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109
:
美髯公
:2009/11/25(水) 13:13:08
−けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板−
もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋
450 :梅:2008/12/15(月) 15:08:55
もくれんさん
>>440
>破門後、宗門とは完全に分かれて、いわゆる「戒壇様」は、創価学会には
>存在しないのであるから、「本門戒壇」の文字は無くなって当たり前。
すごく飛躍した論理ですねぇ。
貴方の思索として受け止めます。
>大聖人の出世の本懐である一閻浮堤総与の大御本尊が信心の根本で
>あることは、これからも少しも変わらない。
そうです。これは「法華経の智慧」でも「御書の世界」でも書かれています。
そして、その出世の本懐が弘安12年10月12日の
一閻浮堤総与の大御本尊であることも両書は明確に書かれています。
(ただし、その書き方は以前と違い控えめに触れた程度ですね)
「本門戒壇」を外すとかの問題ではないですよ。
>日達上人は述べられている。
三大秘法の「本門の戒壇」を「義」と「事」に立て分けられているのですよ。
当然、日達師の時代では「事の戒壇」に御安置するのは、いわゆる「戒壇様」ですね。
しかし、報恩抄講義ではこのような立て分けは書いてありませんね。
戒壇=和合僧(仏教教団)と捉えているようです。お分かりですよね。
451 :梅:2008/12/15(月) 15:27:33
もくれんさん
>>441
>700年間一貫して必ずしも、御本尊根本の正しい教義で、きたわけでは
>ないらしいですよ。
その通りですね。
しかし、700年変わらぬ「富士の清流」と教えられたことも事実です。
私の初登山は小学生の頃ですが、そんな話を聞いていても良く分かりませんので
総本山の境内を流れる清流を見て、なるほどこのことかと理解しましたね(笑)
今は知りませんが、昔は水量が豊富でまさに清流でした。
ただ、日寛師について言えることは、彼の教学の全ては、
いわゆる「戒壇様」という「大御本尊」の「法」の証明だったわけですね。
これは、現代で考えるとのとは少し違うのです。
江戸時代の徳川封建制度の中で、富士門流が生き延びていくという時代背景が
あるようです。
現代では、私たちの大御本尊は「戒壇様」である必要はないですね。
私自身の人生からは戒壇の大御本尊様ははずせないですが、
教学的には私はそういう理解です。
452 :梅:2008/12/15(月) 16:03:21
もくれんさん
>>442
>これは、私程度の教学力でも、簡単に「間違い」であると判断できます。
確か「入り口」で「アウト」でしたね。
本迹を伝統的・古典的・定型的に言えば、そうなります。
ですが、何度も言っているように、他の見方も出来るのではないか、
これが私の考え方です。
それで
>>170
は「仮説」を提示し、対話の中で考察しましょうと提案しました。
その上で、人本仏迹論も検証しようとしたはずです。
>梅さんこそ、今度こそ、梅さん自身が沖浦氏と対話をされたらいいと思います。
>沖浦氏に単刀直入に「人本仏迹」論の「根拠」を、お尋ねになればいいと思います。
私は沖浦さんが言わんとしていることは、貴方より深く理解しています。
彼は、本迹を「立場」論で捉えていますね。貴方はお分かりでしたか?
誤解を恐れずにいえば、仏の出世の目的を考えれば、「人本仏迹」も
間違いとはいえなくなるのです。
これは私の見解です。
また、「人本仏迹」について他に適当な言葉があれば、沖浦さんも使わなかったかも
知れません。
「本迹」の言葉に引っかかると、直ぐに邪義といいたくなる気持ちは理解します。
しかし、対話は終わったわけですから、これ以上は申しません。
110
:
美髯公
:2009/11/25(水) 13:19:58
−けんちゃん・ぎかんちゃん(淫尊・旧名)掲示板−
もくれんさん&とっくりさんの語らいの部屋
453 :梅:2008/12/15(月) 16:21:57
もくれんさん
>>443
>>現在もなお日寛師の「戒壇本尊論」に拘ったら、大変おかしなものになることは
>>貴女にもご理解いただけると思いますが、いかがですか?
>こだわっているのは、一体誰なのか?
もちろん、拘ったのは私で、それを私なりに乗り越えた上での発言ですよ。
>理解に苦しむ文章です。「戒壇本尊論」とは、何でしょうか?
ええ! 驚いて返す言葉がありません。
『日蓮大聖人の出世の本懐とされる弘安2年10月12日建立の
日蓮正宗総本山大石寺にある本門戒壇の板曼荼羅大御本尊を
通称「戒壇様」とお呼びして一閻浮提総与の「本門の本尊」たる大御本尊とし、
これをめぐる様々な論争を指す』
そういうことですが。
454 :梅:2008/12/15(月) 16:44:12
もくれんさん
>>444
>こだわっているのは、誰なのかは、ともかくとして、日寛上人は正しいですね。
>別に、今でも、正しいですね。
そうですか。
貴方の見解ですから、ご自由です。
しかし、創価学会には日寛師を越える学匠がいづれ現れると思います。
仏法には「時」というのもあるようですから、何十年もずっと先のことでは
ないでしょうね。
それは単数の人間ではなく複数の人間でなされるのかも知れません
(教学部のようにね)
牧口先生の価値論、戸田先生の生命論があって、
日蓮仏法は現代に蘇ったといいます。
宗門と分かれた現代において、当然、これらの視点に立った教学の
見直しがあると思います。
もちろん、これは私の個人的見解です。
455 :梅:2008/12/15(月) 17:08:00
もくれんさん
貴方のレスにすべてお返事しました。
1ヶ月未満で対話が終わるとは思ってもみないことでした。
内心では3月位かなと考えていたからです。
しかし、対話は相手があって成り立ちますから
一方に無理強いをしてもせんないことですね。
特にここはネットですから、スルーされればそれきりです。
リアルでも、一時交流が途絶えていた友人でも
ふとした機会に思い出したように対話することがありますね。
そういうことでもあったら、沖浦板においで下さいませ。
ネットをやめない限り、そこに常駐しています。
ひできさんには、きちんとしたレスを頂きたいところでしたが、
この板を去ればロムもしませんので再度私が要求したご指摘はもうけっこうです。
また、沖浦板で会いましょう。
教学解釈が違うくらいで、いがみ合うのはソンですよ。
お若いのですから、沖浦さんの人生に学ぶというくらいの
大きな気持ちで眺めてみるのも大切かと思います。
粛坊さんはじめここの皆さん、スレを占領しご迷惑をおかけしました。
静かに見守ってくださり、お礼申し上げます。
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