したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

天照 つれづれに書く

60天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/10/01(水) 05:28:42 ID:HxeGAgT60
話は戻るが、阿含宗にも確かに首をひねるような事項もある。
例えば体験談でも聞く様な「ガンになって余命短いといわれた方が奇跡的にガンが消え助かった」とか
科学でも説明不可能な「これは奇跡かも」というような体験をした方もいると思う。

それは私も否定しない。ただ言えるのは
「それは毎度得れない」というのと「誰にでも体験できることではない」のと「数が少ない」という
ことである。

ならば多くの事例を見てゆけば、それほど奇跡奇跡と騒ぐほどのものは滅多に無いと言うことであろう。
まあ、そんな安売りバーゲンのような滅多やたらの奇跡を奇跡と呼ばないだろうが。

私が特に思うのは例にあげたような「ガンが消えた」というようなものと線香の灰が云々と一緒に
できないということです。
結局信者は一緒くたにしてしまう傾向がある。これを言うわけです。
そしてそれは多分に漏れず自分も過去「奇跡の教団だからな。きっとあるはずだ」と信じていた。
ところが何も無いわけである。だから実際質問でこのようなものが上がったことが有る。

「自分は何年も阿含宗を信仰しているが、体験談のようなことに遭った事がありません。
これは自分の修行が足りないからでしょうか」

それに対して教祖曰く

「何も無いことが奇跡なのだ。奇跡を得るには大抵は不幸な事項が多い。つまり不幸になって
それから脱出できたということだから、君は不幸になりたいのかね?」

ということを言っていた。確かにこれはこれで一種の説明である。
だが、私もその質問した信者と同じであった。自分には奇跡体験はさほどない。
あっても「これは奇跡?といえるかどうか」の数種である。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板