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したらば版 阿含宗を視る

49天照 ◆MO30b8Jwoo:2013/09/26(木) 05:26:41 ID:xEssvLDo0
さてちょっと話は随しながら変わりますが、結局は我々の修行は在家の修行になります。
丸さんもご承知だと思いますが、在家の修行は出家者よりは緩和されていても相当なものであります。
なぜなら出家はほとんど外部との接点を断ち必要なときだけしか在家とは関わらない。
托鉢とかサンガに来た在家者との際の接点ぐらいしか無い。後はひたすらサンガ内での修行です。
だから誘惑や煩悩が起きづらい環境であるといえます。

一方在家は仕事もするし妻帯(夫帯)もある。食べ物や音楽その他色々なものが溢れています。
人との関わりも多く出家のようなわけには行かない。

そういう環境中で煩悩を起こさないで居れるというのはかなりのものです。
だからこそ釈尊は出家より戒を緩和していつつも「在家でも仏陀になれる」というのは画期的です。

それこそ煩悩が多く惑わされる人なら出家でもかなり悶絶しているでしょう。
人とのかかわりを避け誘惑があまりない環境でも自分の心に煩悩に対するものが弱ければ戒を破って
在家に逆戻り〜破門ということもありえるでしょう。

一方在家の環境下にあっても動じない。煩悩をあまり起こさないという人もいる。
そういう人は出家しても耐えれるでしょう。釈尊の説いた教えを理解しそれに準じている。
いろんな誘惑や発動の機会が多いのにもかかわらず、煩悩が起きない。
これはかなり立派な状態(仏陀)といえるでしょう。


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