[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
したらば版 阿含宗を視る
47
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2013/09/26(木) 04:11:47 ID:xEssvLDo0
ですから阿含宗に居て阿含宗の教義では心解脱は出来ない、ということです。
もしも出来たとすればその人の素養と偶然正しい仏教の方向性にあった行動をとったからといえます。
何故それがいえるかというと私は当時仲のよい信者さんらに(東京の信者さんも含む)私は宣言をしていた。
「阿含宗の修行システムには欠陥がある」と。
つまり座右宝鑑やら管長の法話などにヒント的な抽象物はあるが、何をどのようにしてと深く行うものが
皆目無いのです。
例えば短気な性格な人が居ます。その短期はどこから来るのか。何が原因なのか。
癖と成っているならそういう傾向や発動があるか。またその原因となるべきものはどうなのか。
また実際的に解決策はどうなのか。どのようにすれば改善ができ性格強制が出来るのか。
この深く性格強制に対する示唆が阿含宗には無いのです。
だから掛け声ばかりあっても「では中身は?」というと「何も無い」
何も無い、ではさすがに済まないので阿含宗得意の「法」だったり「加被力」だったりするわけです。
そしてその「法の加護」や「加被力」を戴くために「積徳」ということで梵行をさせるわけです。
阿含宗には実はこの梵行しかなくて実際的な示唆が無いのに気づいていた。
ただ残念なのはそこから私が脱出できてないということです。
そして欺瞞を知ってそれと同時進行で実際的なことを知りました。それが前にも言った「瞑想」です。
これを活用すると結構はかどります。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板