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したらば版 阿含宗を視る
138
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2013/12/05(木) 06:10:25 ID:xEssvLDo0
だから質問にある「阿含宗の信仰のお陰で人生が好転した人はいますか?」というのは阿含宗の信仰を正しいと
している人には自然的な気持ちで聞きたくもなるわけですが、本当の仏教を知ってそれに即す人からみれば、
「人生の好転を願う・もらうために仏教を講じているのか?」となってくるわけです。
また好転を即すのが仏教ならそれはもはや仏教ではない。
仏教は煩悩を無くし涅槃へ至るための教えと講じのものです。
涅槃へ至るために煩悩を無くす、ということは人生の好転もクソもない。貧乏だろうがどんな境涯だろうが、
煩悩を無くしひたすら涅槃に至る修行をするわけです。
逆に人生の好転を願うということは確かに今の自分の置かれている・受けている環境がよくない場合があります。
そこから脱したいから願うのであり、脱したいということは欲望もある程度絡んでいるわけです。
仏教では究極的に煩悩解脱するためには出家をします。出家は一切のしがらみを捨て欲望(煩悩)を捨てます。
そのために貧乏にもなるし余計なものを持たない。お金はおろか着る物さえも質素である状態です。
食べ物は乞食をして得る有様ですから得られないと餓死する場合もある。
そこまでして煩悩を絶って涅槃へ至る〜解脱するために生活全てを変えてしまうわけです。
在家はそこまではしませんが在家は日々出家とは違い煩悩が発生しやすい環境に身を置いています。
それゆえに煩悩から脱却することは非常に難しいとされています。
しかしながら在家の生活をしながら煩悩を断てたらかなりのものです。在家用にある戒を守り煩悩を断てれば
出家と同じく涅槃へ至れると釈尊は説いています。
在家は在家用に修行があり講じれるものがあるわけです。
しかしそのための修行法を教えるでもなく嘘の教えを説き、我々の財産や物を奪うのが阿含宗なのです。
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