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したらば版 阿含宗を視る
132
:
天照
◆MO30b8Jwoo
:2013/11/25(月) 04:07:37 ID:xEssvLDo0
続き
結局指導に沿いながら修行をしても助けてはもらえない。私は苛立ち本尊怒りを覚えた。
一方教祖を見れば同じことのなおざりで「真言行を行え」「きちんと修行をしているか」ということばかり。
その体たらく振りを見て「キサマ!阿含宗の現状や信者の困窮を知らずに、何寝ぼけたことを言っている!」と怒った。
しかしやがてその怒りは捨てました。なぜなら2つの理由に沿ったからです。
1つは「供養が足りないか救われる時期がまだ来ていない」もう1つは「自力で成し得れる方法を探ろう」です。
前者は阿含宗の思考から離れてないもので、後者は当時自分で勉強していた「依存からの脱却」の流れに沿ったものです。
実は阿含宗の信者(自分を含め)信仰に依存しているのではないか、という考察が立っていたのです。
何でも本尊・教祖にすがり「助けてください」が多いように考えた。
また教祖自体が「基本的には自分の努力が必要だがどうしようもないときは本尊におすがりしなさい」ということに
自分は同意しながらも疑問を抱いていたのです。
なぜならまず真っ先に浮かぶのは「言っていることの矛盾」です。
一方では「頑張れ」でその言葉を吐く矢先に「すがれ」です。
これではどっちに行ったらいいかがわかりません。
また以前から私が言っていることですが、教祖の無責任発言には飽き飽きしていた。
現世成仏による因縁解脱が主眼だったのが急に「輪廻転生いいじゃないか」になり仕舞いには「輪廻を操作できる」
とふざけたことを言ったからです。とうとう頭がイカレたか?と思ったほどです。
こういう教祖に期待できるでしょうか?だからこういう馬鹿教祖に頼ることをやめたわけです。
また何も音沙汰が無い居るんだか居ないんだかわからない本尊にも嫌気が差してきた。
だから怒りを捨てて頼らないことにしたのです。
でもそれは宗教依存からの脱却であり、信仰を半ば否定したような行為です。
だから私は欺瞞を知らない時期だったが、その自分の判別に笑ったものです。
「逆切れもここまでくると阿含宗サヨナラみたいだな」本当にそう思った。
まさかそれが正解でそのようになろうとは夢にも思わずでしたが。
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