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したらば版 阿含宗を視る

124天照 ◆MO30b8Jwoo:2013/11/22(金) 06:48:47 ID:xEssvLDo0
批判側諸兄様方も言われますが、奇跡などに於いては阿含宗だけでなく他の教団でもあります。
その中身はさて、ということになると説明できませんが確かに奇跡事項はあるようです。
しかしその奇跡はどの教団でもあることであり、阿含宗だけが特別に保持し誇示するものではありません。
そして阿含宗だけが強く謳うとすれば、他の教団よりも多く実際にお目にかけなければ証明にならないと
私は思うわけです。

ところが実際はいつでも誰でも受けれるわけでもなく、なおかつ退会に至るまでの近い時期に非常に
苦労している信者さんがいた。また自分もあまりよくない環境下にもいた。
共に教祖桐山氏の言い分を信じ・聞き悪い環境脱出と好転を期待し修行に勤しんだ。

しかし現実に起きるものは奇跡など微塵も無く時間だけが過ぎるということだけでした。
あまりにも救われない現実についに自分は「本尊も教祖もあてにできない」という思考にさえ至ります。
しかしそれは教団否定と信仰否定になります。だがそれしか答えは出なかった。
その矛盾を抱えている最中に掲示板に参入し批判側諸兄様方の「正しい情報」を知ることになります。
徐々に目を覚ましてゆき考察していくと「騙されていた」ことに気がつきます。
つまり阿含宗の信仰は嘘・デタラメ・インチキで繕われていたということです。それを認識した。

それがわかればどうして奇跡が起きないのか。偶発的なのかがわかるわけです。合点がいくわけです。

考察する過程で「では好転した人は皆無だったか?」をみることがありました。
すると先に述べたようにほとんどの人が好転したというのは少なかったし、あったとしても僅かであった。
つまり奇跡なんて呼べるものではなく「僅かな・ほのかな幸せ」がある程度であって好転というものではない。
それこそ信仰など無くても得られる物であることがわかったのです。そしてそれが大多数であることも。

その有り様に私は呆れ笑いをしてしまった。阿含宗の幸せというものはこの程度か。
またこういうものをありがたくいただいていることで納得しているのが信者か。そう思った。
ただただすっかり騙されて教祖と教団へ貢ぐだけの存在が信者なのか。それがわかった時憤りを感じましたね。


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