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したらば版 阿含宗を視る

115天照 ◆MO30b8Jwoo:2013/11/02(土) 08:33:40 ID:xEssvLDo0
丸さん、レスが遅くなりました。仰せの質問について調べていて時間が掛かりました。

そうですね。確かに読んでみるとどうも難解な場所やわかりづらい表記があります。
またこのサンユッタ・二カーヤは神々とコーサラ国王から仏陀への質問となっています。

単純に神々は自分の聖なる心の声なのか、それともコーサラ国王のように存在しているがその存在を
何かの例えとしてよきものとして神々としたのか。ここが実は自分にも分かりかねている部分であります。

自分なりの推測や解釈ですが、いくら原始経典といえどもはっきり分からない点や経典内容に意味が理解できかねる
ものがある程度存在します。それに対して深く考察することも勉強ではありますが分かりかねることが多い。
そういう場合は自分は保留にしていますね。

これも例えですがジャータカという古い経典もあります。このジャータカも古いとはいえ内容を見るとあまりにも
「そんなわけ無いじゃん」という内容物が多く、また経典の経緯を見ても「どうやら創作の度合いが大きい」と
仏教学者の間でも言われているように、一般人の自分たちが見ても「果たして本当かどうか」という物でもあります。

ジャータカは比較的常識で判断できるのでまだいいのですが、サンユッタ・ニカーヤなどはわかりづらい。
ダンマパダもかなり引用されたり貴重視されているものですが、稀に「これはどうか?」というのもあったり
分かりづらい詩句等もあります。そういう際には自分は保留としています。

阿含経といえども必ず100%釈尊の発した言葉かどうかはわからないと言うものがあるというのはここでして、
非常に残念な次第であります。何分現代のように記録するためのものが当時は発達してない時期ゆえに混ぜ物というか
創作物かもしれないというものが混在しているので本当に困ったものです。

ですから丸さんが読まれて分からないとか理解できかねるものは他の人もわからないものである場合があります。
はっきりとした回答にならず申し訳ないのですが、やはり時間をかけて意味を解くか保留のまま経過するかになるのでは
ないか?と思ったりしています。
とりあえず分かるものだけ把握しておく、というイージーな方法で申し訳ないのですが自分はそのような感じです。


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