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書き込みテスト

4008尋常な名無しさん:2021/11/23(火) 16:45:56 ID:HBpntXzM
あなたが此の世にいなくなったら、私もすぐに死にます。
生きていることが出来ません。
私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。
それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもお止よしになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります。
私の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。
年老いた父も母も居ります。
ずいぶん広い桃畠もあります。
春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。一生、安楽にお暮しできます。
私がいつでもお傍について、御奉公申し上げたく思います。
よい奥さまをおもらいなさいまし。

そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、

「ペテロやシモンは漁人だ。
美しい桃の畠も無い。
ヤコブもヨハネも赤貧の漁人だ。
あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」

と低く独りごとのように呟つぶやいて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けて下さったことが無かった。

私はあの人を愛している。
あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。
あの人は、誰のものでもない。
私のものだ。
あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。
父を捨て、母を捨て、生れた土地を捨てて、私はきょう迄、あの人について歩いて来たのだ。
私は天国を信じない。
神も信じない。
あの人の復活も信じない。
なんであの人が、イスラエルの王なものか。
馬鹿な弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて、そうして神の国の福音とかいうものを、あの人から伝え聞いては、浅間しくも、欣喜雀躍している。
今にがっかりするのが、私にはわかっています。
おのれを高うする者は卑ひくうせられ、おのれを卑うする者は高うせられると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。
あの人は嘘つきだ。
言うこと言うこと、一から十まで出鱈目だ。
私はてんで信じていない。
けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。
あんな美しい人はこの世に無い。
私はあの人の美しさを、純粋に愛している。
それだけだ。
私は、なんの報酬も考えていない。
あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱれ右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。
私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。
ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めて居ればそれでよいのだ。
そうして、出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。

あああ、そうなったら!

 私はどんなに仕合せだろう。
私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。
次の世の審判など、私は少しも怖れていない。
あの人は、私の此の無報酬の、純粋の愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。

ああ、あの人を殺して下さい。
旦那さま。
私はあの人の居所を知って居ります。
御案内申し上げます。
あの人は私を賤め、憎悪して居ります。
私は、きらわれて居ります。
私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日日の飢渇から救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑するのでしょう。

お聞き下さい。
六日まえのことでした。
あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタ奴めの妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たして在る石膏の壺をかかえて饗宴の室にこっそり這入って来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足まで濡らしてしまって、それでも、その失礼を詫わびるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいに拭ってあげて、香油の匂いが室に立ちこもり、まことに異様な風景でありましたので、私は、なんだか無性に腹が立って来て、

失礼なことをするな!

 と、その妹娘に怒鳴ってやりました。
これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それに、こんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ。
これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリ儲て、その金をば貧乏人に施してやったら、どんなに貧乏人が喜ぶか知れない。
無駄なことをしては困るね、と私は、さんざ叱ってやりました。
すると、あの人は、私のほうを屹っと見て、

「この女を叱ってはいけない。
この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。
貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。
私には、もう施しが出来なくなっているのだ。
そのわけは言うまい。
この女のひとだけは知っている。
この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。
おまえたちも覚えて置くがよい。
全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日の仕草も記念として語り伝えられるであろう」

そう言い結んだ時に、あの人の青白い頬は幾分、上気して赤くなっていました。
私は、あの人の言葉を信じません。
れいに依って大袈裟なお芝居であると思い、平気で聞き流すことが出来ましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままで嘗て無かった程の異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽かに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。
ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。
あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか?

 あの人ともあろうものが。
あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。
取りかえしの出来ぬ大醜聞。
私は、ひとの恥辱となるような感情を嗅ぎわけるのが、生れつき巧みな男であります。
自分でもそれを下品な嗅覚だと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。
あの人が、たとえ微弱にでも、あの無学の百姓女に、特別の感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。

私の眼には狂いが無い筈だ。
たしかにそうだ。
ああ、我慢ならない。
堪忍ならない。


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