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書き込みテスト
2389
:
尋常な名無しさん@┗( ^o^)┛( ・m・)【 令 和 】J('ー`)し('∀`)
:2019/09/16(月) 13:50:51 ID:kkYp4qak0
ビザンツ軍は次々とゲルマン人の勢力圏から撤退していった。
ゲルマン人達は敵の撤退に大喜びしたが、やがてもっと大きな敵が現れた。
これまでビザンツ帝国を苦しめていたペストである。
フランク王国がその洗礼を受け、576年にそれが最高潮に達した。
間もなくペストは大陸と盛んな交易活動を展開していたブリトン人の商船に忍び込んで新天地を見いだしブリタニアとアイルランドの島々が破壊されて荒廃した。
ペスト蔓延前夜のブリテン島では、島中央部の大森林を境に、島の西半を土着のケルト系ブリトン人、東半を侵入してきたゲルマン系のアングロ・サクソン人が支配していた。
この2民族はお互いに徹底的に軽蔑しあっていたので、いわば「無視」しあっていた。時折戦争はしたが文化的交流は皆無だったようだ。
野蛮かつ未開でひたすら自分たちの国の中に立てこもっていたアングロ・サクソン人は皮肉なことに交易に全く関心を示さなかったため、ペストの害を余り被らずに住んでいた。
一方先進的なブリトン人は大陸との交易の結果ペストの被害をもろに受けた。
ブリトン人の精神的支柱であった伝説の人物アーサー王がカムランの戦いでモルドレッドと相打ちになったと伝えられるまさにその年、ペストがブリテン島とアイルランド島を席巻したのだ。
次いで547年にはグウィネズ王国の王メルグウィンが疫病ペストにかかって死んだ。
こうしてアーサー王の死後、折からのペストの猖獗もあって、ブリトン人は見る見るうちに弱体化していった。
やがてこれは未開のアングロ・サクソン人も知る所となって、彼等は大挙して島の中央の大森林を突破し、ブリトン人の土地に雪崩れ込んだ。
精神的支柱のアーサー王を失って意気消沈し、疫病にも冒されていたブリトン人達はあっという間に追い散らされ、かろうじてウェールズ、コンウォール、スコットランドを保ち得たのみだった。
国を追われたブリトン人達の内のある者は大陸に活路を見いだそうと、ブルターニュ半島に逃れていった。
こうしてアングロ・サクソン人、すなわち現在のイギリス人の先祖はブリテン島を制覇した。
一方、アイルランドでは536年と539年の不作の後、恐らく550年頃ペストが侵入し、人口を激減させ、食糧不足に輪をかけた。
このため、510年〜555年にかけての45年間に11回しかなかった戦闘が、556年〜565年の10年間に少なくとも8回以上起こるようになった。
実に3.3倍の多発ぶりである。
治安の悪化に伴い、農民達は農地に塀を巡らせ、自衛措置を執るようになっていった。
しかし治安維持にはある程度役だった塀もペストの前には無力であった。
人々は次々と死んでいった。
貴族階級は聖パトリックの布教のため、キリスト教に改宗していたが、依然かつてのドルイド教を信奉する民衆達はドルイドの許に殺到した。
しかしドルイドたちもこの未知の疫病の前では無力であった。
庶民はドルイド教に幻滅し、より大いなる救済を求めてキリスト教に改宗する者が後を絶たなかった。
アイルランドが完全にキリスト教化されたのはこの頃であった。
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