したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

雑談スレ

99今川杉作:2015/06/02(火) 02:38:08 ID:???
第一回講座 序 章
1 世界の学問は3つしかない
学問は三種類に分類される。科学・哲学・芸術である。科学は世界の物質的な側面を、
哲学は精神的な側面を研究し、芸術は感覚的な側面を担当する。
例えば、日本で文系とされている学問の中でも経済学は科学に分類されるが、法学は哲学の側面が強い
(もちろん、どの学問がどの分類とはっきり言えるわけではなく、かぶっている部分がある)。
しかし、現在の学問世界では、哲学や芸術も科学の手法・思考を取り入れている部分が多くある。
これは大きな問題である。科学の手法や思考はあくまで物質的な世界、言いかえるなら「便利さの世界」にしか通用しないものなのだ。
例えば、科学の原則の一つに「オッカムの剃刀」というものがある。
これは、(あらゆる)実験結果を同程度に(測定数値からのズレ等が同じ程度で)説明する2つ以上の理論があった場合、
よりシンプルな方を「正解」とすべきだ、というものだ。
この考え方は、「便利さ」が要求される物質的な世界においては大いに役に立つ。同じ性能ならコストが安いほうがいいという考え方だからだ。
さらに、「科学は実証の学問だ」ということがよく言われる。しかし、科学の世界で「実証」という言葉は「実験による証明」を指しており、
十分にコントロールされた実験で得られたデータ以外は信用しない。
これでは時間的にも空間的にも連続的な広がりを持つ実際の世界をそのまま探求する事はできない。
実験という、時間的・空間的に狭い範囲で起きた事象しかみないからである。
更に、これが先ほどのオッカムの剃刀とあわさると、実験結果を最短距離で結んだものが「正しい」理論となってしまう。
そうして得られた理論は確かに便利なものではあるが、真理を表しているとは到底言えない。
哲学・芸術の学問的探求においては、「便利さ」などは本来要求されないはずである。それなのに、
便利さに特化したと言ってもいい科学の考え方にとらわれて良いはずがない。
真理を探求するときには科学は邪魔でさえあるのだ。
「非科学的だ」という批判は全く批判として成立していないのだ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板