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( ・∀・)またあのmiles awayが流れているようです

1名無しさん:2021/10/23(土) 23:29:47 ID:pGjttnCw0
車の一生は走り始めてからたった数日かもしれないし、あるいは数十年かもしれない。いずれにせよ人の一生の一部にしか過ぎない。

2 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:31:23 ID:pGjttnCw0
オレは車だ。多くの兄弟たちと工場で生まれた。
兄弟たちと工場から出荷されてそれぞれのディーラーに送られてきた。
オレは運転手、いわゆるオレのオーナーのオーダー通りに造られている。だけどオーナーの顔も知らない。
工場でもキャリアカーでもそんな話で持ちきりだった。どんなオーナーなんだろう、いい人かな、そんな感じだ。
心配したってしょうがない、そんな風に思っていたけどいざその時が近づくとやっぱり緊張してきた。

よく晴れた日に最後の仕上げだと言わんばかりにきれいにされて店先に置かれた。いよいよ対面のときだ。
ディーラーマンに連れられて男がやってくる。さて、どんな奴かな?とか思っていたのにオレは拍子抜けしてしまった。

( ・∀・)「うおーすげー」

なんだ、子どもじゃないか!

( ・∀・)「いやーやっぱカッコいいっすね〜」

奴は顔にニキビがたくさんある。そのせいでよけいに幼く見える。
ディーラーマンとの話を聞くと高校を卒業したばかりだという。就職してさっそく自動車ローンを組んだというわけだ。

こまめに洗車してくれる人がいいな、メンテナンスを怠らない人がいいな、兄弟たちはそんな話をしていたけどまさか子どもだとは思わなかった。
大丈夫なんだろうか、と不安になってくる。いやしかし自動車免許は持っているのだ。考えすぎかもしれない。

( ・∀・)「あざっす」

奴はキーを受け取りオレの前に立って記念撮影をしている。そういえば新車購入の儀式みたいなものだと聞いていた。

( ・∀・)「じゃあ初始動っすね」

ディーラーマンに説明されて奴がクラッチを踏んでプッシュスタートボタンを押し込む。
ご機嫌なエンジンがかかる。奴は大げさに声をあげる。

( -∀-)「いい音っすね〜」

うすっぺらい感想だ。
あれやこれや説明を受けてようやく出発することになった。

( ・∀・)「じゃあこれからもよろしくお願いします」

3 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:32:37 ID:pGjttnCw0
ディーラーマンが誘導して道路に出る。オレにとって、初めての外の世界だ。
キャリアカーからは見ていたものの、自分で走るのはまるで違う。何もかも新鮮だ。そんな矢先、

( ・∀・)「おっと」

ウソだろ、クラッチ繋ぎがヘタすぎる!
いや、まだ乗り出したばかりでオレに慣れていないんだろう。そう言い聞かせて走る。
奴は慣らし運転もかねてドライブに行くつもりらしかった。赤信号のうちにカーナビを操作している。
夢中になったのか青信号になっても前の車が発進しても気がつかない。

( ・∀・)「やべっ」

後ろの車にクラクションを鳴らされてあわてて発進した。またしても強引な発進。
数キロ走ってようやく分かる。ヘタだ。やはり子どもだから免許はとれても技術がない。
ヘタな運転は車の寿命を早める。早くもうんざりしている。これからうまくなることを祈るしかない。

奴の運転で大きな道路に出る。まっすぐ続いていて、走る車はみんなスピードに乗っている。
オレや兄弟たちは走りに人気がある。さっそく試そうというのだろう。
ぎこちないながらもクラッチを繋いでいく。3速まではなんとかスムーズに。
4速に入れるのが早すぎてノッキングを起こしてしまう。
ターボエンジンが唸る。スピードに乗る。6速。

(* ・∀・)「おぉ〜…」

ワンタッチウインカーに驚きながらも車線を変えて加速する。他の車を追い抜いていく。
オレとしても爽快だった。こんなに速く走れるんだ。風を切りノロマな車を抜き去っていく。最高じゃないか。

しばらくして大きな道路から離れる。ヘタなギアチェンジでぎこちなく減速していく。
まだ6速に乗った気持ちよさ、高ぶりがオレのなかに残っている。もっともっと走りたいと思った。

やがて広くない道路に入った。家が多い。ようやく帰るのだ。

( ・∀・)「よし」

一つの家の前で止まる。すると中から夫婦らしき男女が出てきた。奴の親なのだろう。
父親らしき男が誘導して車庫にバックで入っていく。初日からぶつけられないだろうか、と心配もしたが大丈夫そうだ。
それにバックカメラもついている。奴はモニターだけ見てバックさせたのは気がかりではある。

4 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:33:28 ID:pGjttnCw0
( ・∀・)「よし到着〜」

奴がエンジンを切る。今日の走行距離と残りの走行可能距離をディスプレイに表示してから暗転する。

( ・∀・)「これからよろしく頼むぜ、相棒」

まったく、なにが相棒なんだか。車庫に停めたオレの写真を撮ってから奴は家に入っていった。

車庫のとなりには年老いた先輩がいた。
もう十年近くこの家にいるらしい。年老いた先輩が奴のことを話す。

奴はこの家の一人息子だそうだ。奴が小学生のころから見てきたという。
車が好きで後部座席ではなく助手席にいつも座って景色を楽しむのだ。
奴が免許を取ってからは一人で年老いた先輩を運転することもあったという。
あのディーラーにも年老いた先輩で通っていたのだ。

あんなかわいかった子が大きくなって、と年老いた先輩が懐かしんだ。
オレにとってはまだ子どもに見える奴も、年老いた先輩にとっては大きく見えるらしい。

あの子のことをよろしくね、と年老いた先輩に言われる。
さすがにギアチェンジがヘタクソだとかそういう話はできなかった。
相棒、奴が言った言葉がよみがえる。



奴は列車通勤をしているようで、平日は歩いて家を出て行く。休みの日になるとオレに乗る。
休みのたびにホースを引っ張り出してきて洗車をする。まぁ小まめにするほうだろう。

( ・∀・)「こんなもんかな」

フロントグリル、ハニカムメッシュの洗い方が雑だ。アルミホイールの水の拭き取りも雑。しかし洗車は終わる。
洗車を終えると出発してまずガソリンスタンドで給油をする。

( ・∀・)「たけ〜…」

黄色いノズル。
燃費のいいハイブリッドとは正反対、走りを楽しむためのオレはハイオク指定だ。
そのおかげもあってハイブリッドのようなもっさりとしたつまらない走りなんてしない。

5 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:34:31 ID:pGjttnCw0
奴は給油を終えると必ず遠くに出かける。休みの日のたびに、だ。
とにかくいろんな道を走りたがった。海沿いの道、山間部のスカイライン、真新しいハイウェイ。
窓を開け放ち大自然のなかを突き進み、潮風をたっぷり浴びて、長い長い橋を渡る。
奴はいろんな場所を知っていた。いろんな道を知っていた。

海の上を切り裂くハイウェイ、巨大艦のようなパーキングエリア、長いトンネルに連なるテールランプたち。
どの景色も新鮮だった。走るたびに世界が広がっていく。新しい場所へ、また新しい場所へ奴は連れて行った。

毎日同じ道を走るだけの車もいるという。しかしこれならオレは退屈しなさそうだ。
その点、オーナーが奴で、よかったのかもしれない。

そう思った矢先、

(; ・∀・)「あ、やべ」

ガリッ!と音がする。やりやがった。
寄りすぎて縁石にホイールが触れたのだ。降りて奴が確かめる。

(; -∀-)「あぁ〜…ガリ傷だ」

リムが削れて傷になっている。それほど目立たないといえば目立たないが、近づけばはっきりと分かる。

( -∀-)「あーやっちまった」

嘆きたいのはこっちだ!
いくら洗車してもガリ傷は消えない。
いや、思いきりぶつけかれてボディがベコン!とヘコむよりかはマシか。
やっぱりまだまだヘタクソだ。



( ・∀・)「よし、行こうぜ相棒」

奴はいつもオレを相棒と呼ぶ。オレとしてはまだまだ認めちゃいない。

奴を相棒とは認めていないが付き合いは長くなってきた。
オレはオイルを交換されて絶好調だ。大げさかもしれないけど生まれ変わった気分だ。

6 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:35:08 ID:pGjttnCw0
時間と走行距離とともに奴の性格が分かってくる。
奴はやはり子どもっぽくて、ハンドルを握っていると短気だ。抜かされたくはないし遅い車には車間距離を詰める。
そして運転中は気が大きくなる。タイミングの悪い車には悪態をついて露骨にイライラする。
そのくせ高級車にはめっぽう弱い。狭い道ですれ違う時には必要以上に寄る。

おかげで左側のホイールにもガリ傷ができてしまった。
他にも樹脂フロントスポイラーも軽くぶつけて傷がついている。
もはや思いきりぶつけられなければいいや、とオレは諦めている。

奴はいつも音楽をかけてドライブを楽しんでいる。
好みとしてはロックバンドだ。そのなかで一番再生回数が多いのはFACTというバンドの『miles away』という曲だった。
オレはいろんなメディアで音楽を再生できるが奴はデジタルオーディオプレーヤーからBluetoothで飛ばして聞いていた。
だからそのバンドについては名前しか知らない。顔も知らないのだ。飛ばされた音楽をスピーカーから流しているだけだ。

オレから見える世界は奴が運転しているときだけだ。例えば奴の住む家のなかも知らないし勤務先も知らない。
だけど休みの日のたびに出かけるドライブでは多くの世界を見せてくれる。オレは多くの世界を知った。
でもまだこれはほんの一部なのだ。世界は広い。もっともっとオレは世界を知りたいと思う。
だってそれは自然なことだろう?自分が知らない世界を知りたいと思うのは、ごく自然なことのはずだ。



今日の洗車はいつも以上にていねいだった。
車内もハンディ掃除機できれいにしてカーナビの画面上のホコリまで拭き取るぐらいだった。
奴の服装もなんとなくいつもより決まっている。気合いが入っている。
エンジンをかけてからもルームミラーを見て前髪の行く先を追っている。

いつもとは違う。オレはそれを感じ取っていた。
何かが違う。奴の様子がおかしい。
奴の運転で隣の街へ向かう。奴が停める。そこから待つこと十数分、

o川*゚ー゚)o「おまたせー」

現れたのは女の子だった。
ははぁーん、合点がいった。さてはデートじゃねぇか!

奴の車となってから一度たりとも女の子を乗せることはなかった。
つまりは奴に彼女はいない。一人でずっとドライブを楽しんでいたのだ。
ついに、ついに女の子を乗せる日がやってきたわけだ!

7 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:35:58 ID:pGjttnCw0
ただ女の子はまだ奴の彼女ではなさそうだ。まだぎこちない。
なんとかデートに誘うところにこぎ着けたって感じじゃないかな。

o川*゚ー゚)o「カッコいい車だね〜」

( ・∀・)「そ、そう?」

なんだ、見る目があるじゃないか。いい女の子だ。
オレも気合いが入る。いい走りってやつを見せてやるぜ。
はじめはいつもより慎重な運転だった奴もだんだん乗ってくる。調子に乗るタイプだ。

o川*゚ー゚)o「あれ、入らないね」

奴はいつもなら買わないようなスターバックスコーヒーのフラペチーノを注文する。
しかし問題が起きた。オレのドリンクホルダーは狭く横並びになっている。
ペットボトルなどはいいがフラペチーノのような横に大きい飲み物は二つ置けないのだ。

o川*゚ー゚)o「じゃあわたし後ろに置くからいいよ」

( ・∀・)「あ、うん」

そこはお前のを後ろに置けよ!
奴は女の子を退屈させないようにぺちゃくちゃ喋っている。

どうやらドライブデートのようだ。選んだのは海沿いの道。たしかに奴が走る道で一番景色がいい。
下り勾配のトンネルを抜けると助手席側一面に海が広がるのだ。

o川*゚ー゚)o「すご〜い」

奴の計算通り女の子は喜んだ。
きらきらと輝く海をスマホで写真に収めている。
奴もお喋りをやめてその様子を見守った。

( ・∀・)「きれいだね」

o川*゚ー゚)o「ね〜」

快調に飛ばしていたが、詰まり始める。渋滞しているらしい。

8 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:37:16 ID:pGjttnCw0
o川*゚ー゚)o「ねぇ、これなんてバンド?」

ちょうど車内には『miles away』が流れていた。
好きな女の子の前でも流すぐらいなのだから、よっぽど好きなのだろう。

( ・∀・)「FACTってバンドだよ」

o川*゚ー゚)o「うーん、知らないなぁ…」

( ・∀・)「何年か前にもう解散してるんだよ」

o川*゚ー゚)o「そうなんだ、なんで解散しちゃったの?」

( ・∀・)「今の俺らが最強にカッコいいから、だって。 ヤバいよね」

o川*゚ー゚)o「うーん、よく分かんないかな…」

無理もない反応だ。
車列の流れが止まる。渋滞だ。
完全に止まったり、またしばらく動き出したり、また止まったり、それの繰り返し。
女の子の口数が少なくなる。ドライバーは渋滞が苦痛だしドライバー以外はただ退屈だ。
そしてオレも渋滞は嫌いだ。かっ飛ばしたいのにもどかしい。

o川* ー )o「ごめん」

( ・∀・)「え?」

急に女の子が謝る。

( ・∀・)「どうしたの?」

o川* ー )o「…気持ち悪いかも」

(; ・∀・)「え、体調悪いの?」

9 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:38:30 ID:pGjttnCw0
o川* ー )o「いや、その…」

申し訳なさそうに、

o川*- -)o「酔った…」

最悪だ。
女の子の口数が減ったのは退屈だったからじゃない。
奴のクラッチ操作に酔ったからだ!

(; ・∀・)「く、車酔い…」

明らかに奴はショックを受けている。

( ・∀・)「ええと、どこかで停まったほうがいい?」

o川* ー )o「ううん、無理なら全然…」

しかし数分後、

o川* ー )o「やっぱりどこか停まれるなら停まって…トイレあるとこ」

ダメだ、吐きそうなんだ。
海沿いの一本道にトイレどころか停まれそうな場所はない。
まだ渋滞は続いている。焦った奴は前に少しでも進めようとせわしなく詰める。それが逆効果だ!

奴がカーナビで最寄りのコンビニを検索する。
ようやく渋滞が解消され始める。
渋滞ポイントを抜けたようだ。
車列が進む。
奴はカーナビを操作しながらアクセルを踏む。
前方の信号が変わる。
赤だ。
奴はカーナビを見ていて気がつかない。
赤だ! 気がつかない!

やむなくオレはブレーキをかけた。
3速からの急ブレーキ。
後部座席の鞄が滑り落ちる。
交差点突入寸前でなんとか止まる。
乗員の身体はシートベルトでなんとか押さえつけられる。

10 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:39:24 ID:pGjttnCw0
o川*   )o「うっ…!」

途端に女の子がシートベルトを外してドアを開けて飛び降りた。
新鮮な海風とともになんとも言えない音が聞こえてくる。
間に合ったが、間に合わなかったらしい。



それから女の子がオレに乗ることはなかった。
自信をなくしたのか縁がなかったのか奴もオレに女の子を乗せる日は来なかった。
そして、

( ・∀・)「じゃあよろしくお願いします」

奴はオレから降りた。
最初の車検ぐらいは通すだろうと思っていたが違った。車検のタイミングで奴は車を乗り換えたのだ。
何度も他メーカーのディーラーに行くのでまさかとは思っていた。しかし、本当に乗り換えるとは。
新車で、ローンも組んだというのに。

( ・∀・)「いい車なんすけどね〜クラッチがあんまりしっくりこなかったというか」

その言い草に呆れる。

( ・∀・)「緊急ブレーキっていうんすか? あれが本当に急で」

そうして奴は新しいスポーツタイプの車に乗り込んで帰っていった。
また慣らし運転のドライブをするのだろう。
信号のない大きな道路。そして家の車庫へ。

まるで昨日のことみたいだ。しかしそれはもう過去のことだ。
なにが相棒だ。奴はあっさりオレを捨てていきやがった。

海沿いの道、山間部のスカイライン、真新しいハイウェイ、長い長い橋。
奴と走った道が現れては消えていく。



俺は少し離れたエリアのディーラーに引き取られた。メーカー認定中古車として売りに出される。
担当者が外から内から様々な角度から写真を撮った。ホイールのガリ傷などはあるものの内装はあまり劣化していない。
勿論修理歴もなくそれなりに人気のある車種だからそれほど時間はかからないでしょうと担当者は上司と話していた。
走行距離だけがネックらしい。

11 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:41:30 ID:pGjttnCw0
インターネットに俺の情報が掲載されると、何人かが俺を見に来る。若い者もいれば壮年の者もいる。
ホイールのガリ傷を直接目視で確認して諦める者もいれば、相談した結果やはり走行距離が気になり断念しいた者はいた。

そして数週間後、若い男が俺を見に来た。
大学生らしい。前のオーナーと年齢こそ近いはずだが服装や話し方も大人びている。どことなく洗練されているのだ。
彼は担当者の説明を受けて俺のホイールのガリ傷などを確認する。しかし軽く見た程度で切り上げる。

(,,゚Д゚)「全然大丈夫ですね」

懸念されていた走行距離もさほど気にならない様子だった。トントン拍子に話が進み、めでたく契約となった。

新しいオーナー、彼はアパートで一人暮らしをしていた。隣接された駐車場に俺の場所が分け与えられる。
戸建ての車庫とは違いアパートの駐車場には何台もの車が停められている。メーカーや車種もばらばらの車たちだ。
しかしアパートは住人どうしの交流は殆どなく、彼の事を詳しく知っている者はいなかった。

彼はやはり大学生で歩いて通っている。大学キャンパスの近くに住まいを借りているようだ。
休みの日などに買い物に行くために俺に乗り込む。

しかし遠出はあまりしない。景色の良い場所へドライブしに繰り出す事もあまりしない。
走るのが好きというタイプではないようだ。

また洗車もガソリンスタンドの有料サービスに任せるというのが基本だ。
自分では洗車をしない、というよりは洗車に必要なものを持っていないようだった。
そもそもアパートの月極駐車場には洗車に必要不可欠な水道の蛇口も備わっていない。

彼は長距離ドライブをしない代わりに、女性を乗せる機会が多かった。
付き合っている彼女という訳ではない。彼もまたドライブデートなのだろう。
しかし彼は女性と話す事に随分と慣れているようだった。

何より運転が申し分ない。さほどストレスを感じないのだ。
ぎこちない発進もシフトチェンジもない。不必要な加速も強引な車線変更もしない。
制限速度を僅かに超えるぐらいの常識の範囲内で走る。

12 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:43:24 ID:pGjttnCw0
(*゚ー゚)「ギコ君おまたせ〜」

ほどなくして彼に交際相手が出来た。
何度かドライブデートをしていた女性で上手くいったのだろう。

(*゚ー゚)「ギコ君って運転うまいよね。 ミッションなのに」

(,,゚Д゚)「そんなに難しくはないよ」

彼女は小柄で可愛らしい顔立ちをしている。セミロングで毛先をふんわり巻いている。
サンバイザーの裏にバニティミラーがある事に感心していた。

(*゚ー゚)「車もかっこいいよね、なんか赤の使い方がおしゃれ。 わたし、この車が好きだな」

どうやら見る目がある彼女らしい。

休みの日に二人でデートに出かける。
主にショッピングセンターやアウトレットモールなどだ。
ドライブが目的というよりは買い物を主体として考えているらしい。
たまにドライブに出てもそれほど遠出はしない。

彼女もまた彼と同じように単身向けアパートに住んでいてよく送り迎えをしている。
いったん彼のアパートに二人で帰ってから数時間後にまた彼女の家まで送る時もある。
かと思えばその夜は俺の出番はなく翌日の朝になって送っていく事もある。

彼女の家の前に着くと必ずキスをして別れる。
車内でキスをされるのはなんとも言えない気持ちになるがそれ以上の事をさせるよりはマシだろう。

その車内にはいつも彼女が持ち込んだ音楽が流れている。
彼女は自分の好きな音楽を流すのが好きなようで、彼は彼女の好きなようにさせている。
流れているのは流行りのアイドルだったり、独特の感性を持つシンガーソングライターだったり、様々だ。



(*゚ー゚)「わたしと同じ高校だった子が結婚してたの、びっくりだよね」

(,,゚Д゚)「へぇ、早いな」

(*゚ー゚)「デキ婚だって」

13 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:46:30 ID:pGjttnCw0
(,,゚Д゚)「あぁ、そういう。 最近多いよな」

(*゚ー゚)「わたし手順っていうか、なにかそういう大事な順番みたいなものは間違えちゃいけない気がするな」

(,,゚Д゚)「それはそうだな」

(*゚ー゚)「わたしたちもいつか結婚するのかな」

信号待ちだった。大きなバイパスとぶつかる交差点で赤信号が長かった。

(,,゚Д゚)「分からない」

あまり迷わず彼が答える。

(,,゚Д゚)「そんな先、未来の事はまだ分からないよ」

青信号に変わって俺を発進させる。
シフトノブを握る彼の逞しい手を彼女はじっと見ていた。

休みの日に彼女のアパートに迎えに行き、モールに買い物を楽しむ。
彼のアパートにいったん帰って数時間経ってから彼女のアパートに送っていく。
そんな生活パターンが続いた。

正直なところ、俺は退屈さを感じていた。
刺激がないのだ。ハイウェイでかっ飛ばすような事も峠を攻めるような事もない。
いわゆる普通の車の使い方なのだ。本来の車の役目なのだ。

しかし俺は普段の車の通勤でも少し楽しくなるようなモデルだ。
彼は無謀な運転をしない。速度を必要以上に出さないし山道など走らない。
デートで行くのも同じような場所ばかりだ。

もういつから新しい景色を見ていないのだろう。
いくつもの新しい場所で、新しい道で、新しい景色を見たかった。

14 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:49:41 ID:pGjttnCw0
その退屈さを一度感じてしまうと、それは俺のなかで大きくなっていた。
しかしそれは叶わないのだ。車はオーナーと共にある。
どう生きていくかは車が決める事ではない。



彼の生活パターンが少し変わったのは一年以上が過ぎてからだった。違う女性が俺の助手席に座ったのだ。

彼女と違って背が高く足も長い。ロングヘアの髪も綺麗なストレートだ。
長らく彼女の位置になっていた助手席のシートの位置を調整する。
助手席は随分と後ろに動かされてしまった。

(,,゚Д゚)「おまたせ、行こうか」

('、`*川「うん」

はて、と俺は思う。
この女性は一体なんなのだろう。
つい先日も彼は彼女といつものようにデートを楽しんでいたはずだ。
彼女のアパートまで送っていって、別れ際にキスをしている。

('、`*川「ギコってどのぐらい彼女いないの」

(,,゚Д゚)「半年ぐらいだな」

まさか。

('、`*川「そうなんだ。 モテそうなのにね」

(,,゚Д゚)「そんな事ないさ」

彼はごく自然に答えている。嘘をついている素振りすら見せない。

('、`*川「ギコってけっこうイケメンだよ」

(,,゚Д゚)「そうかな」

('、`*川「そうだよ。 社員の人も言ってたよ、バイトで一番イケメンなのギコだなって」

(,,゚Д゚)「それは嬉しいね」

15 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:50:39 ID:pGjttnCw0
どうして嘘をつく必要があるのか、などと考えていると駐車場に入った。
ビルのような建物で一階が駐車場になっている。外からは見えにくい構造で、建物の入り口は回り込んだ位置にあった。
なるほど、と俺は理解する。ここはラブホテルだ。
彼は浮気をしているのだ。



休みの日になっていつも通り彼女とデートをする。
彼女のアパートの前でハザードランプを点灯させ停車する。彼女に着いた旨の連絡をする。
ほどなくして彼女がアパートから出てくる。いつも通りだ。何も変化のない、いつも通りの光景だ。

(*゚ー゚)「おまたせ〜」

彼女が乗り込む。座った途端、

(*゚ー゚)「あれ」

違和感を持つ。
手でシートを触ってみる。足を伸ばしてみる。

(*゚ー゚)「ギコ君」

(,,゚Д゚)「どうした?」

(*゚ー゚)「シートの位置変えた?」

(,,゚Д゚)「あぁ」

一拍置いてから、

(,,゚Д゚)「この前車内に掃除機をかけたんだ。 その時だな」

彼の顔色は変わらない。

(*゚ー゚)「あぁ、なるほど」

彼女は納得してシートの位置を直す。長らく親しんだ位置に助手席が戻る。

その夜、彼女を送り届けてから彼は念入りに助手席の位置と角度を確認していた。
そして数日後にあの女性が乗ったあと、その位置と角度に助手席を修正していた。
なかなか狡猾で用心深い。

16 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:51:28 ID:pGjttnCw0
大前提として、浮気を知られたくはないのだ。
彼女との交際も継続していたいし、あの女性との関係も続けていたい。
そもそもあの女性には二股をかけている事など言うはずもなく、あの女性自身は自分が彼女であると信じているはずだ。

最低な男ではないか。俺はがっかりしてしまった。
そんな男だったのか、と落胆するばかりだ。

彼女とデートをして、あの女性ともデートをする、そんな生活パターンが始まった。
その生活パターンは平穏でまるで破られる気配がなかった。彼は二股生活を上手くやっていた。

(*゚ー゚)「あ、落としちゃった」

彼女がリップクリームを落とした。

(,,゚Д゚)「拾えるか?」

(*゚ー゚)「うん、だいじょうぶ」

ふと、彼女の手が止まる。
大胆に赤が配色されたフロアマットにリップクリームが落ちている。その脇に、

(*゚ー゚)「…」

まっすぐの長い髪の毛。あの女性のものだ。

(,,゚Д゚)「どうした?」

(*゚ー゚)「ううん」

髪の毛と一緒にリップクリームを拾い上げる。何事もなかったかのように彼女は座り直した。

実のところ、平穏などではなかったのだ。シートの位置が変わっていた段階で、彼女はもう不審に思っていたのだ。
きっと俺に乗っている時以外の普段の会話や連絡でも何か気になる事があったのだろう。長い髪の毛は決定打になったようだった。
それを俺は思い知る事になる。

(,,゚Д゚)「コンビニ寄るけどどうする?」

17 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:52:31 ID:pGjttnCw0
(*゚ー゚)「ううん、車にいる」

(,,゚Д゚)「分かった」

ボトルガムを切らして彼がコンビニに寄る。俺を停めて店内に入っていった。

(*゚ー゚)「…許さない」

彼女は車内に一人でいても何か喋る事などなかった。俺は驚いてしまった。
よく見ると彼女は震えている。怒りだ。

(*゚ー゚)「ギコ君は、わたしのものなんだから」

そう言って、急にスカートの中に手を突っ込んだ。
そしてあるものを取り出してグローブボックスの中に入れた。
彼が戻ってくると何食わぬ顔で、

(*゚ー゚)「おかえり〜」

と普段の表情を取り戻していた。それはまさに時限爆弾なのだった。

あの女性はどうやら彼のアルバイトの同僚らしい。
彼女とは大学での話が多いが女性とはアルバイト先での話をよくしている。
そして何より、

('、`*川「なんか赤が安っぽいんだよね」

女性は俺の事があまり好きではないようだった。

('、`*川「顔も子どもっぽいしレザー調で見せかけみたいなのとか」

(,,゚Д゚)「そうか」

さすがに彼も少し不満げだった。

('、`*川「ミニクーパーとかが良かったな。 めっちゃオシャレだよ」

(,,゚Д゚)「まぁ俺も次はミニクーパーあたりがいいかなとは思ってた」

18 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:53:39 ID:pGjttnCw0
('、`*川「えーじゃあ買おうよ。 ドリンクホルダーもちっしゃいしエンジンもムキになってるみたいな感じするし」

(,,゚Д゚)「確かにそうなんだよな」

まさか彼まで女性の肩を持つとは思わなかった。
俺は子供っぽい車なんだろうか。だんだん自信がなくなってくる。
自慢のターボエンジンも見る人によってはなんだかムキになっている子供のようなものなんだろうか。

('、`*川「なによりさー、そのSってスズキのマーク? 超ダサいよね〜」

(,,゚Д゚)「そうだんだよな、Sマークがダサくてダサくて。 恥ずかしいんだよな」

そのエンブレムはまさに俺の誇りだった。
彼は運転も上手で俺としてもストレスを感じない、それこそ新しい相棒にふさわしいと思っていた。
しかし俺の思い違いだったらしい。

残念だ。
せめて一撃食らわせてやる。

橋の継ぎ目で車体が跳ねる。
俺は時限爆弾が仕込まれたグローブボックスを開けた。
バタン、と開いたグローブボックスは女性の足に当たる。

('、`*川「いった…ねぇ勝手に開いたんだけど」

(,,゚Д゚)「大丈夫か? 段差を乗り越えても勝手に開く事なんてなかったのにな」

('、`*川「閉めればいい?」

(,,゚Д゚)「あぁ、頼む」

女性の手が止まる。グローブボックスに仕込まれた時限爆弾。

('、`*川「ねぇ、なにこれ…」

(;,,゚Д゚)「なにって、えぇっ!?」

それは彼女が脱いだ下着だった。
いつか開かれる時のために仕込んだ時限爆弾。
それは誰がどう見ても若い女性用の下着である事は疑いようがない。

(;,,゚Д゚)「それ…なんで」

19 ◆er7AdhCcMI:2021/10/23(土) 23:54:45 ID:pGjttnCw0
それが彼女の下着だと分かった彼が狼狽する。
ポーカーフェイスは崩れてしまった。

('、`#川「ねぇ、どういうこと!? 他に女の子がいるの!?」

(;,,゚Д゚)「ちょ、ちょっと待て、いま運転中だから」

('、`#川「関係ないでしょう!?」

時限爆弾は大成功だった。彼女の目論見は上手くいったのだ。
ただ彼女が彼と良好な関係を継続出来たのかは分からない。
彼女が俺に乗る事はもうなかった。彼はさっさと俺を売ってしまったのだ。

(,,゚Д゚)「グローブボックスが勝手に開いたんですよ」

売却する際に彼は担当者にそう漏らした。

(,,゚Д゚)「これって不具合なんじゃないですか」

そのような不具合は確認されていないと担当者が答えると彼は不服そうに出て行った。

結局、俺が知る事が出来るのは俺に乗っている時だけだ。
俺に乗っていない時にどう生活してどういう会話をしているのかなんて分からない。
相棒か、とどこか懐かしい言葉を思い出す。相棒なんて言うが車は生活の一部分でしかないではないか。



次に私を買ったのは老夫婦だった。
随分と寝落ちした私を見に来ていたのは若い人ばかりだったのでこれには面食らってしまった。
契約時にも二人で訪れていた。印象としてはどこか元気のない夫婦だった。

妻は年齢よりもいくらか老け込んでいる。顔立ちは良く、本来ならもっと良い年の取り方をしていたはずだ。
夫の方は動きが緩慢であまり男性特有の力強さを感じなかった。

( ‘∀‘)「さて、行きましょうか」

( ,'3 )「あぁ」

引き渡しの日になり、私に夫婦が乗り込む。妻が運転するらしい。
規模の大きい中古車販売の店舗で、ぐるりと一周出来る。慣らしとして一周してから公道に出た。

20名無しさん:2021/10/24(日) 00:51:31 ID:1f8Y3fHw0
( ‘∀‘)「うちは代々ミッションだったから、しっくりくるわね」

その言葉通り、彼女のクラッチ操作は完璧だった。また運転も丁寧だ。
横断歩道ではきちんと停車して交差点でお見合いになった時にはこちらが譲る。
彼女の性格が表れている。

( ‘∀‘)「あなた、スポーツカーが夢だったものね」

( ,'3 )「あぁ」

( ‘∀‘)「これからは色んなところに行きましょう」

( ,'3 )「あぁ」

( ‘∀‘)「たくさん、思い出を作りましょう」

夫婦は既に定年を迎えているようだった。自由気ままな老後生活なのだろう。
小さな戸建てに帰った。一台ぶんの車庫に私の身体がぴったりとはまる。
ここが私の新しい居場所だ。

色んなところに行く、その言葉に偽りはなかった。夫婦は毎週のように遠出をするのだ。
温泉だったり、海だったり、展望台だったり。ハイウェイでもゆっくり走るものの、新しい景色を数多く見る事が出来た。
このような感覚は久しぶりだった。心が高ぶるようなターボエンジンの加速の機会はあまりないけれど、新鮮な景色だ。

二人には子供はいないらしい。いつも二人で出かける。
友人を乗せる事もたまにはあったが基本的には二人だ。きっとこれまで仕事が忙しかったのだろう。
定年を迎えてようやく自由な時間を手に入れて夫婦の仲を深めているように見えた。

温泉街の峠道を、海沿いの見晴らしの良い道を、ゆったりと走る。
車内には少し古い音楽が流れている。恐らく二人が若い頃に流行っていた曲なのだろう。

( ,'3 )「懐かしいね」

彼が感嘆する。

( ‘∀‘)「また今度新曲を出すんですって」

21名無しさん:2021/10/24(日) 00:57:11 ID:1f8Y3fHw0
( ,'3 )「もう彼も随分と長い事やっているけど、まだ新曲が出るとはね」

( ‘∀‘)「本当ね。 何歳まで新曲を出すのやら」

( ,'3 )「そうだね。 いつまで彼の新曲を聴けるのだろう」

彼は一呼吸置いてから、

( ,'3 )「もっと生きたかったな」

そう呟いた。
彼女は答えずその少し古い曲だけが流れていた。

私は彼女たちの会話を聞く事しか出来ない。それ以上は知りようがないのだ。
もっと生きたかった、彼のその言葉の意味が理解出来なかった。

彼は定年を迎えた老人ではないのだろうか。もしや死期が迫っているのだろうか。
しかし会話は続かない。互いを知り尽くした老夫婦に会話は決して多くない。
若いカップルのように会話を絶やさないようにする気配りは必要がないのだ。



次第に彼に変化が現れた。
助手席ではなく後部座席に座るようになったのだ。それも移動距離が長いと後部座席で横たわるようになった。
そのうちクッションが置かれて毛布が置かれて乗車中は基本的に寝ているようになった。

それでも二人は旅をやめなかった。毎週のようにどこかへ出かけていた。
彼の体調は見るからに悪くなっていた。体調が悪いのなら家で休んでいればいいのに、と思っても二人は旅を続ける。

( ,'3 )「忙しかったからな」

ぽつりと彼が漏らした。

( ,'3 )「若いうちにもっと色んなところへ行っておけば良かった」

22名無しさん:2021/10/24(日) 01:00:13 ID:1f8Y3fHw0
( ‘∀‘)「あの頃はそんな事を考えている余裕なんてなかったじゃない」

( ,'3 )「仕事に追われていたな。 時代だった。 とにかく忙しかった。 それが当然で不思議にも思わなかった」

( ‘∀‘)「えぇ」

( ,'3 )「老後にはたっぷり時間がある、なんて思っていたな。 それがこの有様だ」

自嘲気味に彼が言う。

( ,'3 )「時間は有限だ。 過去には戻れないし、時間は取り戻せない…」

( ‘∀‘)「だから、今を大事にするんでしょう」

窘めるというよりも、優しく包み込むように彼女は言う。

( ‘∀‘)「その有限の余命一年を、大切にしなくちゃ」

余命一年。それは彼の事なのだろう。
いつから余命一年なのだろう。体調が悪くなりはじめてからか。
それとも、私を購入した時にはもう宣告されていたのだろうか。

これからは色んなところに行きましょう。
たくさん、思い出を作りましょう。

引き渡しの日に彼女が言っていた言葉が蘇る。

それならば、残された時間は多くない。



彼は日に日に衰弱していった。
彼女の手を借りて私に乗り込む。時折苦しそうに息をする。
旅も遠距離の場所は少なくなった。近場が多くなった。

23名無しさん:2021/10/24(日) 01:02:06 ID:1f8Y3fHw0
( ,'3 )「本当は海外でも行きたかったんじゃないかい」

( ‘∀‘)「いいえ、国内でもこんなに楽しいんだから」

( ,'3 )「そうか、ならいいんだ…」

会話をするのも体力を使うようだった。

彼女の運転で私は山道を登っていく。温泉などが近くにあるドライブコースだ。

( ,'3 )「なぁ」

( ‘∀‘)「はい」

( ,'3 )「ぼくと結婚して、幸せだったかい」

( ‘∀‘)「なに、急に」

( ,'3 )「気になるんだよ。 こうして世話をしてもらって、迷惑ばかりかけた」

( ‘∀‘)「迷惑なんて、そんな。 夫婦なんだから」

( ,'3 )「それで、幸せだったかい」

( ‘∀‘)「勿論、幸せだったわ。 というより幸せ。 過去の形にしないで。 当たり前じゃない」

( ,'3 )「そうか…ならいいんだ…」

やがてドライブコースを外れて狭い道に入る。

( ‘∀‘)「懐かしいわね、この先に会社の保養所があって」

( ,'3 )「もう閉鎖されてしまったね。 いいところだった」

( ‘∀‘)「えぇ」

24名無しさん:2021/10/24(日) 01:04:11 ID:1f8Y3fHw0
途中で車を停める。小さな展望台がある。
眼下は崖下だが見晴らしが良い。遠くの山々まで見渡せる。
知る人ぞ知る場所なのだろう。他には誰もいないし狭い道には他に車すら通らない。

( ‘∀‘)「初めて保養所に行った時にここに停まって…あまりにも眺めが綺麗だったから、よく覚えている」

( ,'3 )「あぁ…特別な場所だよ、ここは…」

彼女に支えられながら、彼はその景色を楽しんだ。

( ,'3 )「幸せだった」

( ‘∀‘)「えぇ」

( ,'3 )「もう、満足だ。 ぼくはもう、満足だよ」

( ‘∀‘)「…えぇ」

帰宅してから彼はもう私に乗らなかった。葬儀はしめやかに営まれた。
彼は本当に満足そうだった。長い旅を終えたのだ。私に乗った旅も、彼の最後の思い出として残っただろう。

一人になった車内は静かになった。彼女は一人ではあまり喋らないからだ。
様々な片付けを終えて彼女は生活を取り戻す事にした。一人残されても、自分一人の生活は続いていくのだ。

( ‘∀‘)「さて、第二の人生を始めますか」

彼女にとって自由な時間がとても多くなった。彼女は習い事をするようになった。
ヨガやフラダンス、英会話まで。心なしか彼女は以前より少し若々しく見えた。
いや、年相応の輝きを取り戻しつつあるのだ。本来の自分の姿へ。

( ‘∀‘)「あの人の介護ばかりだったから…」

彼女もその自覚があるらしく、バニティミラーで自分の顔を確信しながら呟いた。

( ‘∀‘)「やっと、自分の人生を歩めるのかも」

彼女は活動の幅を広げていった。新しい友人が増えた。

25名無しさん:2021/10/24(日) 01:06:38 ID:1f8Y3fHw0
友人を乗せて出かける機会もあった。友人は私に乗り込むと驚く。
どうしてこんなに若い人の車に乗っているの、と訊かれる。

( ‘∀‘)「亡くなった主人がスポーツカーに乗るのが夢で。 その頃にはもう自分で運転出来なかったのだけれど」

そうか、だから私を選んだのか。ようやく合点がいく。最後の思い出作りのために、私は買われたのだ。
しかし楽しかった。毎週の旅。久しぶりの新しい景色。心躍る経験が出来た。

新しい生活は充実しているようだった。そう見えた。
ある日彼女は何かやりきったような清々しい顔をしていた。
出会った頃の老け込んだ様子はない。若々しさを取り戻し生き生きとしていた。

一人で私に乗り込み走らせた。車内の音楽は彼が好んでいた少し古い曲。
山を登り温泉街のあるドライブコースへ。そこから外れた狭い道へ。もう閉鎖された保養所へと繋がる狭い道。

( ‘∀‘)「だめだった…」

展望台へたどり着く。

( ‘∀‘)「楽しかった…何をしても新しくて楽しかった…自由な時間が楽しかった…」

彼女は運転を終え、息をついた。

( ;∀;)「でもだめだった…わたしにとってあの人が全てだった…あの人がいないと、どれだけ楽しくても、どれだけ美味しくても、色がなくて味がない」

彼女は泣いていた。静かに涙を流していた。

( ;∀;)「あの人がいないのなら、わたしには何の意味もなかった…」

彼女は私のエンジンを切る。シートベルトを外して、ドアを開けて、外に出る。

( ‘∀‘)「ごめんね、こんな場所で、一人きりで」

彼女が私のヘッドライトに触れる。
私は彼女の言葉が理解出来なかった。何をしようとしているのか、分からなかった。

26名無しさん:2021/10/24(日) 01:09:00 ID:1f8Y3fHw0
彼女が展望台の柵に手をつく。そしてゆっくりと足をかけ、登った。

まさか。

( ‘∀‘)「やっと、これで」

やめてくれ、やめてくれ――そんな思いは届かず彼女の姿は消えた。

私は取り残された。静かな時間が流れていた。

どれだけ長い時間が経っただろうか。一台の軽自動車が狭い道を走ってくる。
私は力いっぱいクラクションを鳴らした。けたたましいクラクションが響く。
クラクションは静かで寂しい崖に長い間響いていた。



それからわたしは長い時間を倉庫などで過ごした。
もうわたしを買う者などいないだろうと思っていたし、見に来る者もいなかった。
傷も多く汚れも目立つ。樹脂パーツも白化していて見栄えが悪い。
それにわたしももうオーナーを失いたくはなかった。

もうかつてのように高速で駆け抜ける事も難しいだろう。身体じゅうが傷んでいる。
このまま廃車となるかもしれない、と思った。しかしそれは仕方のない事だろう。
それにオーナーを失うよりは、いい事ではないか。
静かに長い眠りにつくのだ。

しかし突然の来訪者がそれを打ち破った。

「間違いない」

信じられなかった。はじめは目を疑った。

( ・∀・)「このホイールのガリ傷…懐かしいなぁ、あの頃のままだ。 えぇ、これはかつて俺が乗っていた車です」

現れたのは初めて私を買った彼だった。かつてわたしを相棒と呼んだ男だった。
すっかり大人になっている。服装も話し方も落ち着いている。見違えるほどだ。

27名無しさん:2021/10/24(日) 01:10:56 ID:1f8Y3fHw0
( ・∀・)「はい、買います。 他の車も乗ったんですけど、また乗りたくなってしまって」

またしても信じられない事に彼はわたしを購入した。既にかなり安価になっていたものの、それほど先の長くないわたしを買うとは。

( ・∀・)「いやぁ、久しぶり。 また出会うなんてなぁ」

いくら大人になっても笑った顔は変わらない。整備されてから彼に引き渡された。

更に驚いたのが彼は運転技術が飛躍的に向上していた。
発進もシフトチェンジもスムーズだ。それに無理な車線変更もしないし感情的にならない。
内面的にも大人に成長していた。あの頃の未熟な彼とはまるで違う。

彼は実家を出てアパートに暮らしていた。また月極駐車場が新たな居場所となった。

川 ゚ -゚)「へぇ、これが新しい車なんだ」

彼は結婚していた。そして子供もいる。まだ赤ん坊で妻に抱かれている。
変化についていけない。ただ驚くばかりだ。

( ・∀・)「後ろもそんなに狭くないでしょう」

川 ゚ -゚)「えーでも広くはないじゃない」

( ・∀・)「コンパクトカーだからね」

川 ゚ -゚)「この子が大きくなったらスライドドアがいいよ」

( ・∀・)「分かってる分かってる」

恐らくスポーツカーを乗り継いできた彼にとってスライドドアの車は嫌だろう。
彼女は渋々といった様子で後部座席にチャイルドシートを取り付ける。



彼との新しい生活が始まった。休みの日には家族三人で近くのショッピングモールに出かける。
時折少し遠くへドライブに繰り出す。彼女も彼の好みはきちんと分かっているようだった。
ハイオクが高いと給油時に漏らすものの仕方ないなという顔をしている。

28名無しさん:2021/10/24(日) 01:13:00 ID:1f8Y3fHw0
彼は子供が小さいという事もあり速度を出さなかった。ゆったりと静かに走る。
それでも一人で運転している時は昔の血が騒ぐようだった。
ハイウェイに入ると順調に加速して6速まで。周囲の車を抜いて置き去りにする。
心躍る瞬間だ。楽しい。はっきりとそう思える。

( ・∀・)「やっぱり最高だよ、相棒」

相棒。とても懐かしい響きだ。随分と過去の事のように思える。

何が相棒だ、当時はそう思っていた。彼と別れてから、彼が見せてくれた景色を懐かしく思った。
相棒か、悪くないではないか。いいだろう。このまま朽ちていくものだと思っていた。
最後にまた全力で走ろうじゃないか。



車内には『miles away』が流れていた。懐かしい曲だ。いつも彼は聴いていた。デートの日にも流していた。
そういうところは変わっていないんだな、と不思議と嬉しくなる。

彼は一人の時は決まってドライブに出かける。懐かしい道。新しい道。
かつてはなかったバイパス、拡幅されたトンネル、完成したばかりの新しいハイウェイ。道は変化を続けている。
峠を走る。彼がハンドルを傾けるときっちり曲がる。まさに人馬一体、彼の思うままわたしは走る。

( ・∀・)「スライドドアかぁ」

信号待ちで彼が呟いた。

( ・∀・)「ミニバンなんか乗りたくないなぁ」

ハンドルのステッチをなぞる。

( ・∀・)「俺はずっとお前に乗っていたいよ」

無理を言わないでくれ。わたしはもう、そう長くはない。
それにもう新しい車がたくさん出ている。わたしは年寄りだ。もっと魅力的な車がいるだろう。

29名無しさん:2021/10/24(日) 01:14:10 ID:1f8Y3fHw0
( ・∀・)「でも子供がいるとなぁ…」

信号が青に変わる。静かに発進する。

その時だった。
右から何かが近づいてくる。
トラックだ。
速い。
明らかに速い。
赤信号で止まるような速度ではない。

( ・∀・)「え」

彼も気づいた。
慌ててブレーキを踏む。
トラックは赤信号を無視して交差点に突っ込んでくる。
間に合わない――

ぶつかる。
右側では彼の方にぶつかってしまう。
もう彼は一人ではない。
妻も子供もいる。
いけない。

わたしは勝手にハンドルを切る。
車体が半回転する。

衝撃。
回転。

クラッシュしてようやくわたしは止まる。
トラックはそのまま信号機に突っ込んだ。
大きな衝撃音と共に地面が揺れる。

彼は無事だろうか。
意識が朦朧としている。そうか、わたしは死ぬのか。
身体はあちこちが傷む。致命的な傷を負ったのだろう。

30名無しさん:2021/10/24(日) 01:17:17 ID:1f8Y3fHw0
(; -∀-)「いっ…てぇ!」

彼が外に出た。ふらついているが歩けている。無事だったようだ。
それは、何よりだ。わたしは役目を果たす事が出来た。

(; ・∀・)「お、おい、大丈夫かよ」

彼はわたしの心配をしている。まず自分の心配をしてほしい。
わたしはもう無理だろう。意識がどんどん低下している。

わたしはもうじゅうぶん走った。最後にまた走れて嬉しかった。

視界が暗くなっていく。彼の顔が見えなくなる。
最後に見たのは憔悴しきった彼の顔だった。そんな顔をしないでくれ。

脳裏に浮かぶのは過去の景色だ。
海沿いの道、山間部のスカイライン、真新しいハイウェイ、長い長い橋、ショッピングセンター、アウトレットモール、展望台。
景色たちが駆け抜ける。色んなところへ行った。色んな道を走った。どれも大切な思い出だ。

わたしは幸せだった。幸せな車だった。
最後にオーナーを、ドライバーを守る事が出来た。もう失う事はない。
わたしは幸せだった。これで良い。
幸せを噛みしめて、わたしは眠る。



目を開く。
ここはどこなのだろう。
すると目が合った。彼だ。

( ・∀・)「いやぁ、良かった」

どういう事なのだろう。
わたしはあの事故で致命傷を負ったはずだ。廃車になるほかなかったはずだ。

( ・∀・)「しかし直って良かったです」

整備士だろうか、男と彼が話している。

31名無しさん:2021/10/24(日) 01:21:00 ID:1f8Y3fHw0
( ・∀・)「まぁでも新車買った方が安かったって散々奥さんには怒られましたね〜」

お前は馬鹿だ。こんな老い先短い車に金をかけて直してどうするというのだ。
本当にお前は馬鹿だ。本当に、

( ・∀・)「もう一回走ろうぜ。 もう一回、お前と走りたいんだ」

いや、よそう。過去は振り返っても仕方がない。
ここにあるのは今だけなのだ。

わたしは車だ。彼がそう望むのなら、応えよう。

ボディだけでなく細かいパーツも生き返っている。随分と費用がかかっただろう。
しかしこれならまた走る事が出来る。全力で、6速で、かっ飛ばす事が出来る。
かつてのように。

( ・∀・)「よし、さっそくドライブだ」

彼がエンジンをかける。

( ・∀・)「行こうぜ、相棒」

あぁ、相棒。

車内にはまたあの『miles away』が流れている。お気に入りの曲を流してご機嫌なドライブが始まる。



( ・∀・)またあのmiles awayが流れているようです

32名無しさん:2021/10/24(日) 02:34:32 ID:yFOvoaVg0
すごくよかった…
泣いてしまった、乙

33名無しさん:2021/10/24(日) 12:31:35 ID:0sOhuheI0
泣いた、いいなあ、車大事にしなきゃな


34名無しさん:2021/10/24(日) 13:19:10 ID:OWdDg.Og0
乙です

35名無しさん:2021/10/24(日) 23:10:42 ID:GP6JL1nY0
これは良いなあ、好きだ

36名無しさん:2021/10/26(火) 01:20:31 ID:N6eroJAg0
うわあ、凄い良かった
車のチョイスがいいよね、外車じゃなくてスズキってのが

37名無しさん:2021/10/26(火) 17:22:53 ID:.AHneqjQ0
「またあの」ってそういうね…
良い人生、車生を見せてもらったぜ

38名無しさん:2021/10/26(火) 18:20:28 ID:/60D2.cg0
人前なのに涙が滲んでしまった
いい話を読ませてくれたな

39名無しさん:2021/10/27(水) 00:44:50 ID:wm1QA7jI0
乙乙
じーんとした。すごくいい……

40名無しさん:2021/10/27(水) 13:54:11 ID:aXy0KJsU0

老夫婦の幸せだったかってのとラストシーンにジーンと来た

41名無しさん:2021/11/02(火) 21:32:32 ID:Ts3UeUC20
風が吹き抜けるような気持ちいい話だったよ


42名無しさん:2021/11/04(木) 11:12:06 ID:90Yd0biE0
これは泣いた。人で無いものが感情を持ってる話に弱いし、ラストもよかった。乙です


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