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('A`)上乃たたみを巡る冒険のようです

1名無しさん:2021/10/10(日) 19:19:08 ID:46xzZw.U0


【目次】

1.キャプテン・アメリカのように

2.T・モナー・Jr.は女の子

3.イリヤを追いかけて

4.ハイデガーの先へ

5.実在と存在のエンタングルメント



.

23名無しさん:2021/10/10(日) 21:20:47 ID:UkWx5VPA0
シュルレア、祭りの参加表明してるのに余裕ぶっこいてんじゃん

24名無しさん:2021/10/11(月) 01:13:52 ID:RwEytHnA0
期待

25名無しさん:2021/10/12(火) 12:28:02 ID:seKkTlMo0
いいなこれ

26名無しさん:2021/10/12(火) 14:27:17 ID:iS8ZA.xw0
おもろすぎる 期待

27名無しさん:2021/10/18(月) 18:44:50 ID:NTGlY8B60
続き書け

28 ◆O0krtulOz.:2021/10/18(月) 21:46:25 ID:YNCDmEwA0
>>27
お待たせしてしまい、本当に申し訳ありません!
2回目は今週末に投下します(2週に1回投下を予定しています!)

29名無しさん:2021/10/28(木) 15:38:19 ID:rGYPpapM0
まってる

30名無しさん:2021/11/06(土) 22:19:39 ID:JknLxDwA0



2.T・モナー・Jr.は女の子


セントジョーンズワート、というサプリメントがある。
心療内科に掛かるほどでもないが、日常生活にストレスを感じている、そんな人がやがて行き着くサプリだ。

リラックス効果があるとされていて、以前の俺はそのサプリを毎日服用していた。
半分は思い込みの力によるものなのだろうが、実際に何となく不安が軽減する気がしていた。

ただ困るのは、副作用として悪夢を見るようになることだった。

それも幼少時にしか見ないような、ケタ違いの騒音と混沌にまみれた、強烈な悪夢。
寝具は汗で濡れ、自分の悲鳴で目が覚めることも多々あった。

できるなら悪夢を回避したいという、無意識下の精神的な働きに違いない。
眠っていて夢を見ていることを、悪夢限定ではあったが、俺は何となく気付けるようになった。

T・モナー・Jr.こと、トソンさんと夢の中で出会った時、俺はそんな状態にいた。
この暗闇のどこかから襲い来る怪物か何かに備えつつ、ああ、俺は夢を見ているんだな、と気付いていた。

31名無しさん:2021/11/06(土) 22:21:57 ID:JknLxDwA0

('A`)「暗いな……」

ノベルゲームをプレイするとき、俺はイベントCGを細部までくまなく眺めながら、物語を進めたい。
そのためにゲームのメッセージ画面は、完全に透過した状態に設定にする。

エッチじゃないゲームの場合は話は別で、透過率などどうでも良かったが、今はあまりに暗すぎる。
物自体が光を反射していないか、あるいは目の前に黒いもやがかかっている、夢特有の暗さだった。

周囲の薄暗さに加えて、普段とは異なる感覚がある。
顔に脳が直接張り付いているかのような、自分自身との異様な近さを感じる。

いや、今の俺は、本当に顔すらあるのかどうか不確かだった。
自分自身の姿をうまく認識できず、辺りの薄闇を眼を通さずに見ているかのような浮遊感がある。

夢特有の薄暗さと、独特で直接的な身体感覚。

その二つの事柄から、何か悪い夢を見ていることを俺は察していた。
だからといって、どうすることもできなかった。

('A`)「……」

暗くて判別し辛いが、辺りには何もないわけではないらしい。
動かずにじっと見続けるうちに、黒い塗料が溶けて、そこに隠れていた物が姿を現す。

すぐそばにハンガーラックがあり、洋服やバッグ等が整然と並べられている。
そういった洋服類の一塊となった空間は、それぞれが通路や壁で区切られていた。

俺は今、デパートかどこかの衣類売り場にいるようだった。
静まり返った誰もいないフロアを、恐る恐る歩き始める。

32名無しさん:2021/11/06(土) 22:24:04 ID:JknLxDwA0

停止しているエスカレーターを背にしたテナントの一角。

黒いジャケットを羽織ったマネキンが目に付いた。
洗練された、細身のシルエットが特徴的なジャケットだが、何か違和感がある。

春モノにしては、どことなく生地が厚すぎるような気がする。
そのジャケットのマネキンに近寄ろうとした時、ふと背後から誰かに話し掛けられた。

「あなたが着るにしては、ワールド系列は大人過ぎませんか?」

('A`)「……ワールド?」

「あなたが今いる『アンタイトル』の、アパレルメーカーですよ」

('A`)「はぁ……」

不明瞭な返答をしながら、振り返る。
背の高いスレンダーな女性が、数歩先に佇んでいた。

無地のカットソーの上に、薄手のカーディガン。
ボトムは淡い色合いのストレートパンツを履いていて、その姿からは、落ち着いた女性という印象を受ける。

33名無しさん:2021/11/06(土) 22:25:49 ID:JknLxDwA0

彼女の顔に目を向けて、すぐさま俺は夢であるという確信を深めた。
目の前の人物は、感染防止のためのマスクを着用していなかったからだ。

(゚、゚トソン「あなたはどなたなんでしょう? なぜここに?」

('A`)「初音ミクだよ」

夢を見ていると自覚していてまともに名乗るほど、俺は真面目ではない。
悪夢の気配を感じてさえいなかったら、何ならむしろ、彼女に抱きついていただろう。

(゚、゚トソン「……なるほど。一曲お願いしても?」

流暢で平坦な、というべきなのか、初音ミク以上に抑揚の無いアクセントの喋り方だった。
微塵も表情を崩さずにそう答えたため、冗談なのか本気なのか、彼女の真意がつかめない。

('A`)「……」

本物の初音ミクなら、こんな時にどうするのだろう。

34名無しさん:2021/11/06(土) 22:27:53 ID:JknLxDwA0

「今の俺はミク的だろうか?」と、時々俺はふとした瞬間に考える。
初音ミクとは、世界に関わりつつ自由でありたいという精神の象徴だからだ。

一般的に、作家と作品はそれぞれ別のものとして考えられている。
作品の内容がいかに私小説的であっても、作家は作家で、作品は作品だ。

ところが作家と作品の間に初音ミクを挟むと、不思議な現象が起こる。
ミクは歌唱しているだけなのに、その作品はまるで、ミク本人の物語であるかのように扱われるのだ。

初音ミクが歌うことによって、彼女自身が恋をし、砂漠をさまよい、人を救い、あるいは殺す。

初音ミクは単なる合成音声歌唱ソフトであり、実在する人物ではない。
それでも人は、エモーショナルで不可思議な、ミクの人生を求める。

もはや架空の存在と実在との間に、明確な境い目は無かった。
その中で彼女は、イデアそのものであるかのように振舞い、何にでもなれる自由さを人の提示する。

誰しもが初音ミクに羨望の眼差しを向け、ミクそのものになりたいと思うのにも無理がない。
将来なりたい職業について子供にアンケートを取れば、半数以上が初音ミクと答えるに違いない。

きっと初音ミクなら、歌うはずだ。
悪夢でさえも。

強迫観念めいた考えが、次第に俺を焦らせてゆく。
何かこの場にふさわしい、ミクの曲を歌わなければ、と。

35名無しさん:2021/11/06(土) 22:30:17 ID:JknLxDwA0

ところが避けがたい夢の不条理さのために、俺はたった一曲すらも思い出せずにいた。
強風になすすべなく飛び散るように鍵が乱れ、一つも歌詞を組み立てられない。

鮮明な思考が保てない不安と焦りで、息が苦しい。
そもそも俺は、なぜ初音ミクについて考えているのだろうか。

(゚、゚トソン「……あの、大丈夫です?」

('A`)「ああ、いや、ごめん。あんたこそ、なにしてるんですか?」

(゚、゚トソン「一言も理解出来ないと思いますが……」

目の前の女性はそう呟きながら、斜め下へとわずかに視線を落とした。
その仕草にどことなく憐憫を感じるが、話を聞いてみないことには何も分からない。

息を整えながら俺は、その「一言も理解出来ない」とかいう話を促す。
やがて観念したのか、彼女は静かに口を開いた。

(゚、゚トソン「本来あるべき場所から浮き出た空間に原点を定め、元のベクトル空間に戻しています」

(;'A`)「……」

驚くべきことに、確かに一言も理解出来なかった。
だが素直にそれを認めるのは、少なからず癪に障る。

このような恥辱的な状況を打開し、かつ優位に立つ手段を、俺はネットから学んでいた。
そう、今の俺に求められているのは、「理解のある彼君」として振る舞うことだった。

('A`)「うんうん、なるほどね。そうか、頑張ってな」

(゚、゚トソン「……」

36名無しさん:2021/11/06(土) 22:32:45 ID:JknLxDwA0

('A`)「大変だよね、そういうの。うん、よく分かる」

(゚、゚トソン「ベクトル空間では原点、つまり基準となる点がありますよね」

('A`)「……はい」

俺が何も分かっていないのを見透かして、彼女は優しく説明し始めた。
むしろ彼女の方が、理解のある人物だったらしい。

(゚、゚トソン「基準があるために、自由な位置から任意の位置を示すことが可能です」

(;'A`)「……な、なるほど、なるほど」

(゚、゚トソン「リヨンとブレストは別の場所ですが、どちらからもパリの場所を測れますよね」

('A`)「うーん、わかりみが深いなあ」

リヨンはおぼろげながら知っていたが、そもそもブレストなる地名は聞いたことすらない。
浅すぎるわかりみを放棄して全肯定していたところ、続けて彼女は、気になることを口にした。

(゚、゚トソン「ですが今ここは、どこからも測ることはできない状態にあります」

('A`)「……ここ?」

(゚、゚トソン「正確には、そごう大宮の三階ですね」

37名無しさん:2021/11/06(土) 22:35:15 ID:JknLxDwA0

そごう大宮の三階。
はっきりとそう聞こえて、一度も来たことのない百貨店の、薄暗いフロアを見渡す。

もちろん夢の中で知らない土地にいることは、何ら不思議なことではない。
けれど、そこまで正確なロケーションを伝えられると、どうしても困惑が勝ってしまう。

(゚、゚トソン「この場所は今、どこにも繋がりがない空間なんですよ」

('A`)「……」

「どこにも繋がっていない空間」とはどういうことなのか、いまいち分からなかった。
確かにエスカレーターは停止しているが、歩いて二階へも、四階へでも行けるのでは、と思う。

それともこれが、俺が察知していた、悪夢の所以たる部分なのだろうか。
エスカレーターの先は計り知れない闇が続いて、このフロアは完全に閉ざされているのだろうか。

(゚、゚トソン「最初の質問に戻りますが、あなたはどうしてここに?」

どこにも繋がっていない空間ならば、彼女がそう疑問に思うのも無理はなかった。
しかし今度こそは単純明快な回答を持ち合わせていて、自信を持って答えられる。

('A`)「悪い夢の最中にいるからだよ」

(゚、゚トソン「……夢?」

38名無しさん:2021/11/06(土) 22:37:24 ID:JknLxDwA0

('A`)「夢の中でパリの路上だろうがどこにいようが、無理がない話だろ」

(゚、゚トソン「今あなたは眠っていて、夢を見ているのですか?」

夢の中で目の前の人物にそう指摘されるのは、ずいぶんと奇妙な感覚だ。
「今から私を食べるのですか?」と食物自体に指摘されているような、言い様のない矛盾を感じる。

その奇妙な感覚に戸惑っている合間に、彼女は矢継ぎ早に質問を重ねた。

(゚、゚トソン「これ、読めます?」

各テナントの店先には、端から端へとロープが、人の侵入を拒むように提げられている。
そのロープの中心に何か書かれた看板が付いていて、彼女はそれについて俺に尋ねていた。

夢の中で文字が読めないという話は、確かにどこかで聞いた覚えがある。
右脳と左脳でそれぞれ、夢を見る脳と、文字を認識する脳が別々であるためだ。

看板のすぐそばまで寄って俺は中腰になり、そこに記されている言葉を見つめる。
どれだけ集中しても文字の細部は曇っていて、意味を見出せなかった。

39名無しさん:2021/11/06(土) 22:39:34 ID:JknLxDwA0

('A`)「いや、読めないよ」

(゚、゚トソン「そうですか。ちなみに、『員数点検済み 立ち入り禁止』と記されています」

('A`)「員数点検?」

(゚、゚トソン「在庫の数を確認したので、もう入らないで下さい、ということです」

('A`)「はぁ……」

(゚、゚トソン「極めて一般的な文面ですよね」

('A`)「まあ、そうだけど」

(゚、゚トソン「確かにここは通常とは異なる、擬似――アフィン空間ですが、私たちの邂逅は現実に起こっていることなんですよ」

俺は眺めていた看板から顔を上げ、彼女の方へ向き直す。
特徴的な髪のまとめ方をした目の前の女は、その表情に何の感情も表していない。

俺たちは実際に今、この百貨店で出会っている?

従業員でも警備員でもなさそうな彼女が、閉店後のフロアにいるのは、どう考えてもおかしい。
それに俺が文字を認識できず、ここが夢であることを、今確かめたばかりではないか。

彼女は夢の中のペテン師であり、俺を惑わそうとしているのだろうか。

40名無しさん:2021/11/06(土) 22:42:07 ID:JknLxDwA0

(゚、゚トソン「あなたにとっては夢、私からすれば現実、ということなんでしょうね」

('A`)「……」

(゚、゚トソン「夢と現実が重なって、もつれている状態なのでしょう」

('A`)「……仮定の話をしていいか?」

(゚、゚トソン「ええ、どうぞ」

('A`)「今仮に俺が夢の中で死んでも、いずれは夢から醒めて、いつもの布団で起き上がる」

(゚、゚トソン「はい」

('A`)「だけどあんたにとって現実なら、俺の死体はここに残り続けるんじゃないか?」

(゚、゚トソン「確かめてみます?」

彼女の喋り口は、相変わらず感情の乗っていない平坦なもので、どことなく不気味なものを感じる。
思わず俺は後ずさり、無意識に身構えた。

(;'A`)「いや……」

41名無しさん:2021/11/06(土) 22:44:38 ID:JknLxDwA0

(゚、゚トソン「いえ、実はその通りです」

('A`)「……」

(゚、゚トソン「目覚めたあなたがここに来て、この場所に残ったあなたの死体を確かめることも可能かと」

それでは、二重に俺が存在することになるのではないだろうか。
考えれば考えるほど疑問が膨れ上がり、狼狽といっていいほどに混乱する。

(゚、゚トソン「とはいえ、実は死体を作らなくても済みますよ」

そう言いながら彼女は俺の前を通りすぎ、ロープを潜って、店の中へと入っていった。
レジカウンターにあったペンを手に取り、マネキンの手首に何かを記している。

(゚、゚トソン「今日の日付とそれに私のサイン、『T・モナー・Jr.』と書きました」

('A`)「……えっ」

(゚、゚トソン「いつか確認してみて下さい」

(;'A`)「いや、それより、モナー・Jr.って、あの作家の!?」

(゚、゚トソン「……ご存知でしたか」

そう呟いた彼女の声は、今までの平坦で冷静な声とはわずかに異なっていた。
それが照れであることに気付いたのは、病室で目を覚まし、この夢を思い起こしていた時だった。

42名無しさん:2021/11/06(土) 22:47:30 ID:JknLxDwA0


( ^ω^)』「すげー浮いてるのを感じるお」

('A`)』「大丈夫大丈夫、プレゼントを選んでる風に」

着信を受けて通話を始めると、居心地の悪い心境を、内藤はすぐに吐露した。
俺は病室のベッドに横たわり、苦笑しながら彼をなだめる。

目覚めてからわずか一週間で外出許可が降りるはずも無かったが、どうしても俺は事の真偽を知りたかった。
そのため内藤に頼み、サインの有無を確認すべく、彼に大宮のそごうまで出向いてもらっていた。

内藤は今、フロア内を移動して店を探しているらしく、しばし無言が続く。
進展を待ちながら俺は、ぼんやりとベッドテーブルの上のメモ帳を眺める。

10月の半ばを過ぎても、まだ暑い日が続いている。
夏の群れからはぐれた熱が、仲間を探してさ迷っているのだろう。

( ^ω^)』「あっ、お店はあったお。『アンタイトル』だったおね?」

('A`)』「そうそう。どんな感じ?」

( ^ω^)』「お店自体はそんなに広くないお。後ろにエスカレーターがあって……」

43名無しさん:2021/11/06(土) 22:49:23 ID:JknLxDwA0

内藤の声に耳を傾けているうちに、だんだんと鳥肌が立ち始める。

夢で見た見知らぬ場所の光景が、現実に存在している。
その事実に俺は、軽い恐怖と隣り合った、妙な高揚感を覚える。

( ^ω^)』「それからマネキンがあるお。厚手の黒いジャケット着てるお」

('A`)』「……ジャケットの袖を持ち上げて、マネキンの右の手首を見てくれ」

( ^ω^)』「分かったお」

春ものにしてはやけに厚手のジャケットだと、あの時の俺は疑問に感じていた。
しかしあのジャケットは、秋冬用のジャケットだったのだ。

自身が7ヶ月も意識を失っていて、その間に季節が変わっていたなんて、思いもしなかった。

( ^ω^)』「ドクオ、もう一度聞くけど……」

('A`)』「おう、何だ?」

( ^ω^)』「本当に、何かの冗談じゃないのかお?」

('A`)』「マジだって。ミクについて考えてたところから、もう一度話す?」

( ^ω^)』「いや、それはいらんお」

44名無しさん:2021/11/06(土) 22:51:59 ID:JknLxDwA0

('A`)』「……で、どうよ?」

( ^ω^)』「一体これはどういう……」

('A`)』「……サイン、書いてあるんだな?」

( ^ω^)』「あるお。『28th September T Monar Jr.』って、はっきりと」

('A`)』「……」

( ^ω^)』「……」

('A`)』「……何とか頑張って写メも頼む」

( ^ω^)』「ええっ、絶対周りから不自然に思われるお……」

('A`)』「頼む! おごりの件、好きなもの追加していいから」

( ^ω^)』「……はぁー、やれやれだお。撮って後で送るお」

('A`)』「恩にきるよ、ほんとにありがとう」

( ^ω^)』「もう二度と来ないお、婦人服売り場なんて」

大宮そごう三階、婦人服のフロア。
あの時トソンさんに、俺の姿はどう見えていたのだろうか。

45名無しさん:2021/11/06(土) 22:54:07 ID:JknLxDwA0

通話を切る手前になって、もう一つ内藤に聞くことがあったのを思い出した。
「今関係ないんだけど」と前置きして、それとなく俺は訊ねる。

('A`)』「……ところでさ、上乃たたみって知ってる?」

( ^ω^)』「えっ、知らないお。芸人?」

(;'A`)』「いや、まあ、そうかも……」

逆に訊ねられた時の答えを全く用意しておらず、俺は曖昧な返事しかできなかった。
が、幸いにも、内藤の意識は、婦人服売り場をさっさと抜け出ることにあるようだった。

( ^ω^)』「ドクオの知ってる人じゃないのかお? まあ、また後で聞くお」

('A`)』「おう、じゃあ」

ほどなくして、スピード感のあるブレた写真が送られてきた。
周囲を気にしながら急いで撮った内藤の姿が容易に想像できて、思わず笑みがこぼれる。

文字が判別し辛い写真だったが、確かにサインと日付が、マネキンの白い手首に記されていた。
それを確認したところで、俺はスマホをベッドテーブルに置き、一旦大きく腕を伸ばした。

46名無しさん:2021/11/06(土) 22:56:50 ID:JknLxDwA0

('A`)「……」

椅子に座ったまま謎を解き明かす「安楽椅子探偵」は、読書を趣味とする人ならば大抵が知っている。

が、ミステリ小説のジャンルには、それを越えたものも存在していた。
「ベッド・ディテクティヴ」と呼ばれていて、その名の通り、主人公はベッドに横たわったまま事件を解決へと導く。

まさに俺の状況は寝台探偵そのもので、俺はどこか少し楽しんでいる自分を感じていた。
取り巻く二つの奇妙な出来事について、順序立てて整理しなくては、と意気込む。

ひとまず夢の方は、サインの確認をしたところで決着としなければならなかった。
これ以上考えていても、仕方がなかったからだ。

もちろん俺は、あの夢が物語る冷酷な可能性にも行き着いていた。

トソンさんは、人前に姿を現さない作家として知られている。
インタビュー記事など全く存在せず、ネットで検索しても写真の一枚も見つからない。

それは単に、彼女がシャイな性格をしているからなのだろうか。
あるいはトソンさんは、あの断絶された――繋がりがない空間を、一人さ迷い続けているのではないだろうか。

('A`)(確か、浮き出た空間って言ってたよな)

('A`)(……)

('A`)(だからと言って、俺にできることは……)

無力感に気分が落ち込みそうになるのを、努めて打ち消す。
気を取り直して、俺はもう一つの問題である、上乃たたみについて考え始めた。

47名無しさん:2021/11/06(土) 22:59:30 ID:JknLxDwA0

上乃たたみが「おかえり」とツイートした日、つまり俺が意識を取り戻した10月8日。

あれから、すでに一週間が過ぎている。
その「おかえり」のツイートを皮切りに、上乃たたみは、いかにもそれらしい呟きを続けていた。




上乃たたみ @tatami_ueno 2021年10月10日
ハンバーガーを食べたんですけれど、ハンバーガーの包み紙から、トマトとかソースの液体が染み出てこなくてすごい!



上乃たたみ @tatami_ueno 2021年10月12日
わくわくした気持ちは私を子どもにするからわくわくした気持ちなのかもしれない





(;'A`)(なんだその馬鹿っぽいツイートは……)

48名無しさん:2021/11/06(土) 23:02:36 ID:JknLxDwA0

その投稿文を読むたび、なんだその馬鹿っぽいツイートは、と幾度となく思い、ついそこで思考停止してしまう。
それは幼稚な内容だったが、確かに俺がしそうな発言だったからだ。

偶然アカウント名が被り、たまたま俺が目覚めた日に、「おかえり」なんて呟いたとは考えにくい。
他のツイート内容からも鑑みるに、やはり誰かが俺に成り済ましている、と考えるべきだろう。

そもそも上乃たたみとは、俺自身がかつてネットに投稿した小説のタイトルを、アナグラム変換したものだ。
上乃たたみとして発言するうちに、自然と形成されていった、SNS上の人物像もある。

一人称は「うち」か「私」を気分で使い分け、楽観的な性格、好きな動物はパンダ。
趣味は映画鑑賞と読書。マインクラフトを一生遊べるゲームだと思っている。

そんな可愛い人間が本当に存在しているのかと、改めて考えてみると疑いたくなるような人物像だ。
それも当然と言えば当然で、SNS上の自身をよく見せたいと思う感情が、俺にはあるからだ。

「上乃たたみを被る」と、ことわざを言い換えてもいいほど、厚手の猫の毛皮を着ている。
けれど誇張はあっても虚偽はなく、上乃たたみは確かに俺の一面として存在していた。

問題なのは、成り済ますほどの価値が上乃たたみにはない、ということだった。

('A`)「何のメリットもないんだよなあ……」

49名無しさん:2021/11/06(土) 23:05:26 ID:JknLxDwA0

最初こそ恐怖を覚えたが、他に何か実害があったわけでもない。
むしろ今では、成り済ました相手がどういうツイートをするのか、楽しみにしている部分もある。

つまりは誰かが俺を驚かせ、単に楽しませようとしているだけなのかもしれない。

その可能性を信じ、俺はまだSNS上の上乃たたみに対して、何のアクションも行っていなかった。
正体が掴めたときに、答え合わせとして、仮アカウントからリプライを送るつもりだ。

('A`)「……」

では一体誰が、上乃たたみを演じているのだろうか。

ネット上で上乃たたみと名乗り、小説を投稿していたことを、俺は周囲の誰にも話していない。

手元のスマホは母親が病室まで持ってきてくれたが、彼女が犯人の可能性はまずない。
俺のスマホとPCは、必要以上に強固なパスワードを設定していて、その上親はネットにも電子機器にも疎かった。

('A`)(あるいは病院関係者だったら……)

病院関係者ならば、俺が昏睡状態から意識を取り戻したことを、容易に知り得るだろう。

そこからどうやってネット上のアカウントと結びつけたのか、疑問点は残る。
が、あまりに怪しすぎる人物に、俺は心当たりがあった。

50名無しさん:2021/11/06(土) 23:07:14 ID:JknLxDwA0

     lw´‐ _‐ノv

理学療法士の素直さんだ。
そう考えてみれば、彼女はヒントとなる言動をしていたように思えて仕方がなかった。

運動機能の改善の一環として、ヨガをしていたときのことだ。
彼女はオリジナルのヨガポーズを、「パールヴァティーの回転」と命名していた。

パールヴァティーとは、インド神話に登場する、二面性を持つ女神だ。

素直さんはヨガからインドを連想して、パールヴァティーを使ったものと、あの時は自然に思っていた。
だが、俺と上乃たたみの存在を二面性と捉え、そう命名した可能性も十分に考えられる。

('A`)「……」

そこまで考えたところで、俺は自身の説をどうにか立証させようと、熱くなりすぎていることに気付いた。
少し冷静にならなくてはいけない。

推察することと、疑い深く考えることは、紙一重の違いでしかない。
このままでは何か別の病でも発症してしまうのでは、という懸念があった。

51名無しさん:2021/11/06(土) 23:09:23 ID:JknLxDwA0

一旦ペットボトルのジャスミンティーを飲み、その原料国である中国に想いを寄せる。
そこから自然と派生した流れで、俺はパンダの生態について考える。

('A`)(……パンダ)

('A`)(たった二色のモノカラーが、何故愛くるしく見えるんだ?)

もとより俺は、オカルトや陰謀論に興味を惹かれる傾向があり、それが悪癖であることを自覚している。

子供の脳から抽出したアドレノクロムなる化合物は、不老不死の薬であり、5G電波は人体に悪影響がある。
そういった信憑性の薄い話を一笑しつつ、それらは心の奥底に淡い希望として堆積していた。

邪悪な世の中の方が、感情面ではずっと楽に生きられる気がするからだ。
死んでも仕方ないよね、と思える世界の方が住み易く感じるのは、すでに何かずれているのだろうか。

(;'A`)「……あっ、もう時間じゃん」

時刻を確認すると、ちょうど午後の予定が始まる頃だった。
無視することのできない多大な重力を感じながら立ち上がり、俺は病室を後にする。

52名無しさん:2021/11/06(土) 23:11:37 ID:JknLxDwA0


今日は栄養指導という、言わば座学のようなものを受けることになっていた。
相談室という六畳ほどの部屋で、部屋奥のスクリーンにパワーポイントの画面が映されている。

lw´‐ _‐ノv「はい、栄養を採らないと、どうなるでしょうか?」

('A`)「ええと、体が弱っていく……?」

lw´‐ _‐ノv「惜しい、正解は……」

そう言いながら彼女はパソコンを操作し、スクリーンが次のページへと切り替わった。
おどろおどろしいフォントで「しにます」と、画面いっぱいに表示された。

lw´‐ _‐ノv「しにます」

(;'A`)「えぇ……」

そのあまりにゆるい内容に脱力しつつ、この病院は大丈夫なのかとやや不安になる。

確か担当の医師は、栄養指導は医療行為の一環なので、専門の者がしますから、と言っていた気がする。
あるいは素直さんは、管理栄養士の資格も持っているのだろうか。

53名無しさん:2021/11/06(土) 23:14:11 ID:JknLxDwA0

やがて素直先生によるゆるい講義が終わったところで、俺は何気ない風を装って訊ねる。

('A`)「素直さんて、小説とか読みます? ……特にネット小説とか」

lw´‐ _‐ノv「……しょう、せつ?」

まるで初めて聞いた単語であるかのように、大げさな反応でそう答えてくれた。
期待していた結果が返ってこないという予感がしてならない。

lw´‐ _‐ノv「何年も読んでないよ」

('A`)「じゃあ、『SS系小説創作ファイナル板』って知らないですよね?」

lw´‐ _‐ノv「聞いたことないなあ」

('A`)「……そう、ですか」

lw´‐ _‐ノv「何かおすすめがあったりするの?」

(;'A`)「あ、いえ、特に何かあったわけじゃないんですが……」

俺は慌てて話題を逸らす。

54名無しさん:2021/11/06(土) 23:17:52 ID:JknLxDwA0

('A`)「そういえば、俺っていつ頃退院できますか?」

lw´‐ _‐ノv「まだ先だと思うよ。その煮干しみたいな身体してる内はね」

袋に入って干からびた魚が頭に浮かぶ。
同時に俺は頭の中で、一本の線が繋がるのを感じる。

('A`)「……もしかして素直さんって、魚が好きなんですか?」

lw´‐ _‐ノv「私は驚いたかのように目を見開き、それからドヤ顔で答えました……」

彼女は、先ほどの小説について聞いた流れを汲んだのだろう。
実際にはあまり目を見開いた様子もなく、残念なことにマスク姿では、渾身のドヤ顔も伝わってこない。

lw´‐ _‐ノv「うん。ご飯に合うおかずだったら、何でも好きだけどね」

素直さんは名札のお魚シールのことを、伏線だと言っていた。
が、それは、単に魚が好きだよ、ということを示していたのだ。

伏線と呼んでいいものなのかすら分からず、改めて俺は、彼女の自由さに驚かされる。

lw´‐ _‐ノv「それにしても気付くの早かったね、びっくりしたー」

('A`)「そういう伏線だったんですね」

lw´‐ _‐ノv「ふふ。伏線のある人生と」

lw´‐ _‐ノv「伏線のない、面白くない人生だったら、どっちがいい?」

('A`)「印象操作が凄いありますけど、まあ面白い方が……」

lw´‐ _‐ノv「でしょー……」

何か俺は、俺の人生に伏線を張ってきているのだろうか。

55名無しさん:2021/11/06(土) 23:20:54 ID:JknLxDwA0

それから自身の病室に戻り、上乃たたみについて検索を続けていたときだった。
上乃たたみが数日前に、キャス配信に参加していたらしい情報を、俺は知った。

かつて俺が小説を投稿していた、「SS系小説創作ファイナル板」は、そこそこ長い歴史がある。
いつからかは知らないが、単に小説を投稿する場から、コミュニティとしての側面も持ち始めていた。

そこに投稿された作品の感想や雑談など、作者読者問わず、ラジオやキャスの配信をすることがある。
どうも上乃たたみは、その場で喋っていたらしい。

('A`)(上乃たたみよ、ボロを出したな……)

確かに俺は、それらのラジオやキャスを聴いて、文字を使ってコメントすることはあった。
が、俺自身が配信に参加して喋ったことは、かつて一度たりともない。

声を用いて、全面的にその姿が明るみに出れば、所詮俺は、どこにでもいる冴えないオタクに過ぎない。
初めて話す相手に、「にっこにっこにー♪」などと冗談を言って笑わす度胸もないし、頭の回転が速いわけでもない。

俺は着飾った猫の毛皮を、自らの手で剥ぎ取るつもりは更々なかったのだ。

('A`)「……」

上乃たたみが喋ったキャスのアーカイブが残っている。

どことなく、軽い緊張が走る。
その声を聞けば、一体誰が成り済ましていたのかが分かるに違いない。

俺はキャスの再生ボタンを、意気揚々とタップした。

56名無しさん:2021/11/06(土) 23:22:04 ID:JknLxDwA0


「今日はゲストに上乃たたみさんを呼んでいます、どうぞ!」


「ハローユーチューブ! ミミミン!ミミミン!タータミン! どうも、たたみです!」

「うわっ、いきなり過剰な挨拶から入りましたね、あとこれはキャスですよ」


「えっ、そうなの!? 私、帰りますから! バーン! ガチャ!」

「あっ、ちょっと! おーい、たたみさん?」


「……トントンって言ってください」

「えっ? ああ、ノックの音ですか? トントントン、たたみさーん」


「あっ、おかえり〜……」

「何で僕の方が帰ってきたことになっ……」



.

57名無しさん:2021/11/06(土) 23:24:52 ID:JknLxDwA0

やがてひどい耳鳴りがし始め、会話が聴こえなくなる。

('A`)(……誰かが)

('A`)(誰かが、俺を驚かせて楽しませようとしている、だって?)

そのキャスはそれまでの考えを完全に一蹴し、俺はベッドの上で呆然とする。

全身に鳥肌が立ち、あらゆる感情が渦巻いている。
もはや笑っていいのか、怖がるべきなのかすら分からない。

確かにSNS上の上乃たたみは、こういう声をしていそうだ。
そんな喋り方をするに違いない。

俺は、こんな声の女を知らない。
まさに理想的な上乃たたみが、全く知らない人物が、その場で喋っていた。

('A`)(……俺は今、ミク的か?)

ぐるぐると視界が揺らめくなか、ぼんやりとそんなことを考える。
同時にそれは、底知れぬ恐怖からの逃避でもあった。



.

58名無しさん:2021/11/06(土) 23:25:27 ID:JknLxDwA0

続く

59名無しさん:2021/11/07(日) 00:11:49 ID:/3nHJelA0
乙・・・!

60名無しさん:2021/11/07(日) 00:12:31 ID:3BhSzgbA0

やはりヤバいくらいにおもしろいな
読んでて背筋がぞくぞくしてくる

61名無しさん:2021/11/07(日) 17:47:25 ID:6zDNJcP20
いや怖!!! 面白かった乙

62名無しさん:2021/11/10(水) 18:25:35 ID:ltp9IY320
面白い!続き待ってる!

63名無しさん:2021/11/18(木) 20:55:54 ID:aQ5tDSo60
おつおつ
面白い

64名無しさん:2021/11/24(水) 15:17:07 ID:zlyxzoG20
なんでこんなに面白いの!?!?!?

65名無しさん:2021/11/26(金) 18:52:46 ID:SbfpBXy.0
量子の雑学読んでるときと似たようなゾワゾワ感

66名無しさん:2022/01/24(月) 22:11:58 ID:hcu5593E0
続きまってるよ!

※擬人化注意
https://i.imgur.com/f81Cs6X.jpg

67名無しさん:2022/01/26(水) 23:40:18 ID:CBTxMmZ60
>>66
かわええ!そしてすごい

68名無しさん:2022/01/27(木) 08:19:38 ID:4lE2sdn20
良い支援絵きてる支援

69名無しさん:2022/01/27(木) 19:18:23 ID:Z375kTTM0
めちゃ面白い…
続きも楽しみ

70名無しさん:2022/03/18(金) 17:47:24 ID:AwV5X8EI0
めっちゃ面白い
続き待ってるぞ

71名無しさん:2023/01/13(金) 20:54:44 ID:XD1304cw0
age

72名無しさん:2023/01/29(日) 15:25:53 ID:8AnLGj9o0
待ってる


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