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なんでもよし!

1名無しさん:2015/01/10(土) 06:42:03 ID:c4yQzQFw
 
なんでもよし!

2名無しさん:2015/01/10(土) 18:37:05 ID:d5t9qWcU
おじゃるさん。
カマラシーラの修習次第の初級編は
一般の人が日本語訳したものに、訳者の感想というかメモ書きが書き加えられているのが
ttp://p.booklog.jp/book/69908/read
に紹介されています。

また『修習次第』の中級編は、『ダライ・ラマ 大乗の瞑想法』に易しく解説されていますので
ぜひ読んでいただきたいです。
中古本しかないですが、予算的に厳しいのでしたら
図書館で探されてはいかがでしょう?
地元の図書館にない場合、都道府県内に所蔵されていれば、取り寄せてもらえるかもしれません。
わたしは、図書館で借りたのを読みました。
大乗仏教のエッセンスが凝縮されている名著だと思います。

3基地にゃん♪:2015/01/10(土) 18:58:36 ID:???
暇にゃん♪ (´・ω・`)ノ

4おじゃる:2015/01/10(土) 20:26:10 ID:???
 
基地にゃんさん乙です。そして ID:d5t9qWcU さん、ご教示ありがとうございます

カマラシーラ『修習次第』 >>2 のリンク先の28ページ参照

…カマラシーラから聞かれた、修行者の『修習次第』はこのように終結する

何であれ「原因から生じる事物」と「その原因」
これらをブッダは切り離した
それらを滅ぼしつくすものは、立派な修行者の論理である

四念住(四念処)
四正断(四正勤)
四神足(四如意足)
五根
五力
七覚支
八正道

ttp://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)
自分だけではなく・周囲環境だけでもなく
因と縁の双方の縁起によって現れ(滅し)ているので、それ故に
『自分だけではない・周囲環境だけでもない』と知覚して住むことである

5おじゃる:2015/01/11(日) 09:46:54 ID:???
 
ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BO/0090/BO00900L031.pdf

カマラシーラの因果論及びプラマーナ論の吟味とダルマキールティ

因果論に関し無常な自性を有する対象(因)の吟味に続く本稿で扱う常住な自性を有する対象(困)の吟味に於ても感官知
特に有形象知の点からは経量部説とされる対象の二条件に照合して論破され
さらに推理の点からは常住な自性を有するものの吟味の際の常套手段ともいい得るダルマキールティの刹那滅論の活用により論破される
しかしながらこのプラマーナを用いたカマラシーラの吟味はダルマキールティとは以下の点で異なる
ダルマキールティはプラマーナ(直接知覚と推理)を言語行為によるが
結果的には効力を有する実在(vastu , 勝義有)を明らかにする整合した知であるとする

他方カマラシーラは、プラマーナを有という言語行為及び常、無常なる実在の自性を排除する無なる言語行為を明らかにする知とする

6おじゃる:2015/01/11(日) 10:28:56 ID:???
 
>>5 の続き

カマラシーラによる因果論の吟味はプラマーナすなわち直接知覚と推理を通じて
以下の二自性に基づく因果関係は成立しないと導くものである
それは勝義的自性
実在の自性を「無常な自性」と「常住な自性」とに二分し
「無常な自性」は例えば経量部や瑜伽行派が主張するもの
「常住な自性」は非仏教徒により構想されたものとする

実在論へのカマラシーラの対応は直接知覚に関しては修所成慧としてのヨーガ行者の直接知覚により無我が悟られ
また実在が直観されることはないと論じ … … 無自性論証へと導く

ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku88/B088R001.pdf
後期中観派の自己認識に関する因果関係の吟味

異教徒の主張するアートマンなどの〈 常住な自性 〉 ← 絶対不滅・常住不変のアートマン

経量部や瑜伽行派などが主張する 〈 無常な自性 〉 ← 変化する自性のような 「 (変化する)何かがある 」 とする

ttps://kotobank.jp/word/%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%90%E6%85%A7-1337001
他人の教えから得られる聞所成慧、内的思索によって得られる思所成慧、修行の実践の中で得られる修所成慧

7おじゃる:2015/01/11(日) 10:59:25 ID:???
 
>>6 の続き

なぜ? 『実有・実体・実在が直観されることはない』のか? その理由は?

六大(地・水・火・風・空・識)の依存によって
通常では身体を構成する要素があまりにも微細で目には見えない微細身の依存によって
仮設としての色受想行識が現れ
そして、やがて儚きものとして
この現世から
仮設としての色受想行識は
通常では身体を構成する要素があまりにも微細で目には見えない微細身は
六大(地・水・火・風・空・識)に還元されて逝く

色即是空 → 空即是色

自分だけではなく・周囲環境だけでもなく
因と縁の双方の縁起に依存して

変化・移行・還元して逝くものは

『「それ自体の自性だけで成立しているのではない」とする』みたいな感じでしょうか?

ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought1/sp-thought1-1/sp-thought1-1-1.htm
身体を構成する要素があまりにも微細で目には見えない微細身

8おじゃる:2015/01/12(月) 20:08:00 ID:???
 
 ↓『「非想非非想処も超えて」というような導きが必要である!』と思われる

禅定
心身ともに動揺することがなくなった一定の状態を指す
三昧と同義語である
禅定によって心を乱されない力を定力または禅定力と呼ぶ
(「我癡・我見・我慢・我愛を滅して」というような意味での)真理を思惟して散乱の心を定止することを指している

阿含経典では、この状態に至る過程には、初禅から第四禅までの4段階があるとしている
次に空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があるとする
さらに非想非非想処も超えて → 『想滅定の生起(心作用の滅)』とつづく
戒学・定学・慧学の三学を学ぶことが必須である

ttp://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
長部経典 第9経 ポッタパーダ経 想滅定の生起(心作用の滅)

ttp://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベット・ニンマ派
『「苦集滅道によって→煩悩障と所知障を取り除くための」というような導きが必要である!』と思われる


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