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椋の木の上にて榎の実を落とす
400
:
椋
:2014/06/05(木) 08:47:05 ID:YKDkTaDQ
>>269
> ちなみにいまわたくしはぜんらです
『裸の王様』って知ってます?
悪徳商人に「バカには見えない服」を騙されて買わされ、着せられる王様の話です。
もちろん王様はそれを見た民に裸であることを「バカにされちゃう」んですけどね。
でもね、最近僕は常々思うんです。
それって本当に「バカにされちゃう」ようなことなんだろうかって。
もちろんリアルで全裸になったら、公然わいせつ罪で捕まっちゃいますし、
「騙されていた」ことに関してはバカだな〜って思いますよ。
だけど、この話の本質ってのはつまり、簡単に言えば
「プライドが邪魔して盲目になる」ってところにあるでしょう。
「見えてない」のは「自分が裸である」という事象で、
これに対する懐疑心ってなんだと思います?
ってあなたには聞くまでもないことでしたね。
そうつまり
>>395
でも言った「固定観念」ってやつですよ。
「裸であること」は「恥ずかしい」。
これ、「喧嘩」に置き換えるとどうなるんでしょうね。
言わば彼らが直面している問題はそこにあると言っても過言ではないでしょう。
で、結論だけ言ってしまえば、それって大きな「勘違い」なんですよね。
この「勘違い」が彼らの精神的な自由を妨げる要因になっていることは言うまでもないですね。
佐々木中という思想家の『夜戦と永遠』という著書のインタビューの中で、
以下のようなことをおっしゃっていたので、ぜひご一読してみてください。
『マリアが孕んだもの、あれは何でしょうか。
イエス・キリストですね。イエス・キリストを神学文献では通常「Verbe」と言います。
Verbeとは「御言葉」です。大文字の御言葉とはキリストのことです。
ではイエス・キリストは言語なのか、それとも言語ではないのか。
イエス・キリスト の身体はキリスト教社会において世界そのものでした。
それを創出する享楽を、ラカンは「女性の享楽」と呼んでいます。
言語と言語の外という退屈な二元論に 依拠している限り、この「社会を創出する享楽」は捉えられない。』
http://www.k-hosaka.com/henshu/yasen.html
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