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カタツムリの載

64名無し募集中。。。:2015/05/18(月) 15:19:22
   
人を斬った晩は、山田家では必ず夜通しの酒宴が催されました。酒を浴びるほど飲み、夜通し大騒ぎをすることで、人を斬ったという重圧感から解放されようと努めたのでした。
しかしこういう夜通しの酒宴は、世間にはよく思われてはいませんでした。このことについて山田家八代目・吉亮はこのように語っています。
「手前や弟子なぞでも人を斬って帰って来ますと、どういうものか顔がボーッとのぼせて、大変な疲れを覚えます。一口に血に酔う、とでもいうのでしょうか。とにかく妙な気持ちです。
そんな時は、父から夜通しの酒宴を許されるので、若い弟子たちは底を抜いて騒いだものです。これを世間の人たちが曲解して、浅右衛門は怨霊に悩まされて眠れない為、ああして夜通し騒いでいるのだと伝えたものでしょう。」(篠田鉱造『明治百話』)

この敷地は現在、延命寺となっており、境内にある首切り地蔵(上写真)は刑死者の菩提を弔うために、1741(寛保元)年に建立されたものです。


山田浅(朝)右衛門好きな人
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/knife/1340558653/
「山田浅右衛門(ヤマダアサエモン)」について書かれた資料を見たい。小説でもよい。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000037636
山田浅右衛門
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B5%85%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=0&oq=%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%88&pstart=1&fr=top_ga1_sa&b=31


大江戸死体考、大江戸残酷物語


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