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11
:
名無し募集中。。。
:2014/12/03(水) 16:37:30
第1期 事件発生から「救う会」結成まで
この第一期は事件発生直後の嵐のような日々であり、これまであまりオープンになっていなかった生々しい事実経過、特に警察やマスコミの問題点が既に顕著になっており、
「坂本事件」を方向づけてしまった重要な出来事はたくさんあります。
(1) 坂本弁護士一家事件は、1989年11月3日から4日未明にかけて発生した。
しかし、11月4日が土曜日、5日が日曜日だったこともあって、横浜法律事務所の弁護士は、一家の行方不明を全く知らなかった。
11月6日、坂本弁護士の母さちよさんから坂本弁護士がどこにいるか問い合わせる電話が横浜法律事務所に入り、また、「坂本さんは?」と聞く弁護士もいたが、
坂本弁護士が連休前風邪気味だったこともあって、いつの間にか坂本弁護士は風邪だということになってしまい、11月6日に特に危機感を持った弁護士はいなかった。
この日の夜、心配したさちよさんが、夫の良雄さんに頼んで、坂本弁護士宅に行ってもらい、良雄さんは、朝まで一晩泊まって一家の帰りを待ったが、結局坂本一家は帰ってこなかった。
しかし、このことも横浜法律事務所の弁護士達は知らなかった。
(2)坂本弁護士は、11月7日になっても事務所に出勤してこなかった。
同僚達はさすがに心配し、武井弁護士が小島弁護士に「坂本は今日の国労の地労委に来ることになっているから、来るかどうか見てくるよ。」と言って地方労働委員会の審問に出席していった。
昼前、武井弁護士が事務所に帰ってきて、ワープロを打っていた小島弁護士に「おい、坂本来なかったぞ。」と伝えた。「えっ」と言って武井弁護士を見上げた小島弁護士に、武井弁護士は言った。「あいつオウムやってたからな。」。
それを聞いた瞬間、小島弁護士も何とも言えず不安になり、「今日の午後の裁判が延期になったから、俺が行って見てくるよ。」と言って、坂本宅に向かった。
坂本宅のアパートで、階下の奥さんに聞くと、「坂本さん達は11月3日夜まではいらしたけれど、11月4日からいませんよ。昨日もお父さんが心配して泊まったけれど、帰ってこないので、朝会社に行ったようですよ。」とのこと。
事ここに至って、ただごとではないということになり、夜7時半過ぎにさちよさんに合い鍵を持ってきてもらい、同僚達が坂本宅に入った。
坂本宅に入ったのは、さちよさん、坂本弁護士の妹の弥生さん、同僚の星山、武井、小島弁護士。また、事務員の市川、青柳の両名は、外で不審な人物がいないか見張り役をやり、後に坂本宅に入った。
(3)同僚達は緊張しながら坂本宅に入った。しかし、室内は、特に乱闘の後と言えるようなものはなく、ただ、居間の敷物が横に強い力で引かれてめくれたようになっており、敷物を止めてあったピンがくの字に曲がっている程度だった。
この晩は、さちよさんや同僚達は、寝室のプルシャや、ドレッサーがふすまに当たった後には気づかなかった。
しかし、一家がどこかに出かけるならば当然もって出るはずと思われるものが残っているなど、どう見ても自発的な失踪ではないこと、日頃良く知っている坂本の性格からして家出をするとは考えられないことから、すぐに警察に届け出ようということになり、同日夜、磯子署に届け出た。
同僚達は、その届け出の時から、坂本弁護士がオウム真理教の事件をやっていたこと、直前にオウム真理教から坂本弁護士を誹謗するビラがまかれるなどしており、オウム真理教が一家を連れ去った可能性が高いことを応対した当直の刑事に訴えた。
このように、坂本弁護士一家事件は、一家の行方不明を知った直後から、オウムの影との戦いだった。
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