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【在特会福岡】山口県護国神社に異常な抗議をした小郡教会に電話

135名無しさん:2014/09/17(水) 14:38:11 ID:qO1njGgU
左翼が絶対に教えない中国の当時の情勢↓

清朝末期〜1937年代まで、国民党、地方軍閥、共産勢力、
匪賊による暴行、略奪、焼き打ち、青少年の強制連行、
2重、3重の税金の取り立てにより、中国人民は
塗炭の苦しみを味わっていた。
そこで日華事変で日本軍が進出してきて、国民党、
共産軍、軍閥、匪賊を、完全に駆逐した地域では、日本軍統治を
歓迎する中国民衆は上から下まで多数に昇った。
実際、日本統治区では経済は回復しており、多くの民衆が流入していた。

この現象は古代中国からずっと続いていた
歴史が1900年代でも繰り返されていたに過ぎない。
日本軍も天下統一戦の一勢力だった。

そして中国内乱の被害・1945年以降の国共内戦の被害も、
戦後すべて日本軍の仕業と押しつけられることになる。


1930年代初頭の上海、福建の米外交官の
報告によると、
共産党軍は金持ち、経営者、地主、商人を
次々に拷問、殺害を繰り返して金品の
強奪していたので、富裕層はみんな
逃げ出してしまい、結果、共産党支配地域では、
中流以下の貧民に大量の餓死者がでたと。

まぁ、当時の複雑な状況から多角的な見方は必要だが、
第一次上海事変や日華事変前は、度重なる中国の各種勢力の挑発行為が繰り返されてて、
フランス、イギリスの新聞は日本に同情的で、あの当時から反日的だった
ニューヨークタイムスですら「日本はよく我慢している」とか
「日本の我慢も限界だ」って記事をだしてるくらいひどかった。

当時、上海と福建で勤務したアメリカの外交官、ラルフ・タウンゼントも
1931年の満州での中国軍閥討伐も、在中米英の官民は日本を圧倒的に支持していた。
「今までわれわれがやるべきだと言っていた事を日本がやってくれた」と。

当時の経緯が意図的に無視されることが非常に多い日本の近現代史。


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