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【SS】麻子「人工知能?」
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麻子がその日、生徒会室へ呼び出されたのは、戦車道の訓練もひと段落した夕暮れ時だった
操縦桿が自分の手に合うくらいにまで擦り減らすほど乗車した馴染み深いⅣ号を格納庫内に駐車する際、自動車部員のツチヤから「会長が呼んでるよ」との言伝を受けたのだ
彼女はそれを受けて、Ⅳ号を停めて出てくるのを待っていたあんこうの四人に断りを入れ、先に帰宅してもらった
よりによって自分だけ呼び出しを貰ったというのが、どうにも単純な話では済まなさそうな事を第六感が告げていたのだ
こうして生徒会室へ至った私は、その重厚な門扉を二度叩いた
杏「入ってー」
いつもの調子で帰ってきた返事に扉を押し開く
麻子「失礼します」
杏「ごめんねぇ、練習で疲れてるとこ来てもらって。ちょっと冷泉ちゃんにお願いがあってさ」
麻子「お願い?」
よくよく生徒会室を見渡せば、会長の傍に控えているはずの副会長と広報の姿が見えない
その様子に、いよいよもってお願いが厄介事であるのだなと思った麻子を、露骨に面倒な顔をしつつも黙って杏のアクションを待つ
杏「その前に、とりあえずこれ見てくれるかな」
そう言って手渡された紙の束は優に五センチを越える厚みがあり、到底この場で全て読み切れる代物ではなかった
それをわかっているのか「パラパラっとでいいから」と付け加えた杏は、これまたいつもの笑顔を見せる
何を企んでいるのかは知らないが、今回その企みの犠牲者になるのは私らしい、と麻子は諦観して大人しく資料に目を落とした
『AIの戦車道に於ける人間的成長、或いは進化、及び研究課題の解決』
そう銘打ってある紙の束はタイトルだけでは一見すれば何かの論文のようであったが、それよりも麻子の興味を一際引いたのが〝AI〟と題された部分である
麻子「人工知能?」
無意識に喉から滑り出たワードを反芻する
AI――artificial intelligenceとは、いわゆる人工的に作られた人間と同等の知能を有するプログラムのことだ
近年では研究も細分化が凄まじいものの、一定の成功を収めた関連プロジェクトや公開されて進行中ものなどが多々ある
それと自分を呼び出すことに何の関係があるというのか
顔を上げた麻子の思惑を読み取ったかのように、杏は顎で先を読めと指示してくる
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仕方がないのでページを捲って先を読み進め始めた麻子だったが、次第にその内容が理解できてくると徐々に眉根が眉間に寄って来た
大方の中身を流し読んだ上で何が記されているのかを再確認した麻子が顔を上げると、窓から入って来ていた斜陽はすっかり沈んでしまっているではないか
それもそのはず。彼女がここを訪れてから既に一時間が経過していたのだ
杏「随分と熱心に読み込んでたねぇ。そんなに面白かった?」
麻子「面白いかどうかはともかく、これは本当に私たちが?」
杏「勿論。そういうお達しだから」
簡潔に言うと、書類の内容は『真っ新な人工知能を戦車道を通して育成する』というものだった
もう少し詳しく述べると、日本脳科学研究所では数年前からとあるプロジェクトが進行しており、その成果が『第四世代人工知能』というものであるという
第四世代人工知能は極めて人間に近い深層学習を通したニューラルネットワークを構築できるらしく、場合によっては人類上の数ある脳型コンピューターの中でも桁違いに高度な代物となるようだった
それで何故、そんな大層なモノが戦車道を通して育成することになったかというと、AIが性別的に女性だからという事と、戦車道が良妻賢母を育成する乙女の嗜みであるから、という主にこの二点が理由となっている
それらに付随する条件には『戦車道のみの傾倒した育成にならない』、『現在の若い世代を通じた交流を積極的に行う』というものもあり、それらが巡り巡って大洗に白羽の矢が立ったようだ
麻子「内容はよくわかった……でも、どうして私にこれを?」
杏「ぶっちゃけた話、その書類じっくり見ても七割くらいしかわかんなくてさぁ。私も小山もお手上げだったんだよね」
麻子「まさか。会長にもわからないものがあるとは」
杏「私だって人の子だからねぇ。専門用語を解読しても全然理解できなかった」
麻子「私にだってさっぱりです」
杏「でも、これに最適なのは冷泉ちゃんだと思うんだよね」
麻子「…………なぜ?」
杏「んー? 勘、かな」
どうやら杏はこの人工知能育成のテストベッドを麻子の主導へ持っていきたいようだった
彼女の真意や思惑はともかく、AI製作側の期待値が高いのは資料を見れば一目瞭然であり、そのような最重要物を生徒一人に一任させるというのはプレッシャーにしかならない
平凡な女子高生が一人で背負うには重荷過ぎるというものだ
だが、麻子の想像に反して杏はやんわりと注釈を付け加える
杏「別にこのAIを冷泉ちゃんだけに任せるわけじゃないよ」
麻子「というと?」
杏「AIは戦車道履修者みんなで育てるってこと。冷泉ちゃんにはAIと一緒に居てほしいだけ」
杏「それに、書いてある通り失敗しても成功しても累積データは丸々引っこ抜かれてまた別のトコに行くみたいだし、気楽に構えてていいよ」
杏「冷泉ちゃんにはAIの記録を付けてもらって、あとは何を学習させるかとか、その辺りを先導してもらいたいんだよ」
麻子「では、ここに書いてある毎日の報告懇談会というのにも?」
杏「そうそう。一日のAIの変化とかを、生みの親である科学者さんらに報告しなくちゃいけないから。あ、私も毎日出るからね」
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スラスラとこういった説明がなされるということは、これがもう決定事項ということに他ならない
麻子は観念してしばらくAIと共に過ごさなくてはならないようだった
麻子「ふぅ……わかりました。で、そのAIというのは」
杏「これ」
杏が指を差したのは、彼女が座する机上へ置かれた白色の立方体
机のオブジェと化していて全く気が付かなかったが、書類に記載されていた通り片手に収まるサイズの携帯型ユニットに内包されているらしい
恐る恐る近づいた麻子に、杏から最新人工知能そのものである立方体が引き渡される
麻子(確か、中央の起動スイッチを入れて……声を掛ける)
記憶した書面のスタートアップに沿って立方体の中央、窪んだ位置にある電源を入れると、全体が仄かに輝きを放って即座に鎮まった
麻子「おはよう」
「おはようございます」
麻子「っ!!」
杏「あっぶ!!」
あまりの返答の早さと無機質な音声に驚いて立方体を取り落とした麻子だったが、杏が即座に飛び出してキャッチした為に事なきを得た
スペックを信用するなら、TNT爆薬換算で二千五百トンまで耐えられるはずなのでそこまで慌てるような事態ではない
しかし、手のひらに収まる眼下の立方体が人間でいえば生まれたての赤ん坊のように思えてしまい、二人はつい飛び上ってしまったのだ
麻子「申し訳ない……」
杏「いいよいいよ。私もビビっちゃったし」
そうして手元へ戻ったソレに、麻子はどう接していいかわからずしばし沈黙してしまう
どうやら杏も手をこまねいているらしく、暮夜相応の静けさが生徒会室に帳を下ろした
「脈拍、急上昇。心拍数増加」
麻子「!? な、なんだ!?」
「長時間の硬直が見られた為、身体スキャンを行い異常がないか確認しました」
麻子「……そんなことまで出来るのか」
「可能です」
AIに心配されるようではこの先どうにもならない
そう、ついに決心した麻子は、何でもいいので適当な話題をAIに振り始める
麻子「お前は自分が何かを理解してるのか?」
「はい。私は二〇一五年にシステムの構築を終えて誕生した第四世代と定義される人工知能であり、日本脳科学研究所の――」
麻子「待ってくれ。自分を人工知能だとわかっているんだな?」
「はい」
麻子「そうか……」
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まだまだ起動したばかりとあってか、質問の意図を読み取れずにいるようだった
書類には起動時から知識や知能は一般人レベルで備わっているという話なので、一から様々な事を教え込む必要はない
そうなると逆にどう彼女と接すれば良いのか、距離感がわからなかった
杏「冷泉ちゃん、硬く考えることないよ。要は友達だと思えばいいじゃん」
麻子「友達」
杏「そ、友達」
麻子「…………私は冷泉麻子だ。お前は?」
「私には名前がありません。初期の段階ではIBMに因んだワトソン、マイクロソフトに因んだりんなから捩った名前があったようです」
麻子「その名前は?」
「抹消されています」
これは困った。名前がなければ親しみを込めた呼びかけができないではないか
だが、ここで杏が麻子へ更なる助言を与える
杏「さっきも言ったけど、このAIは真っ新な生まれたて。どうせならこれから一緒に居る機会の多い冷泉ちゃんが名前を付けてあげなよ」
麻子「いいんですか」
杏「うん。ま、別にすぐじゃなくてもいいよ。みんなで考えるのもいいし、誰かに任せてみてもいいし」
麻子「名前…………」
名付けろと言われて咄嗟に脳裏に浮かんだのは、父と母の顔
唐突に想起された両親との思い出に怯んだ麻子だったが、それらを振り払うかのように頭を振って視線を落とす
そうして、思いのほか短い時間で彼女は一つの名前を思いついた
麻子「――果報は寝て待て」
杏「お?」
麻子「決めました。このAIは今日から果穂です」
杏「……はぁん、果報は寝て待てで『かほ』ね」
麻子「まぁ、果実が良く実るように」
杏「いいじゃんいいじゃん。だってよ、果穂ちゃん?」
「私の名前は果穂なのですか」
麻子「ああ、今日からお前は果穂だ。……気に入らなかったか?」
「いえ。ではよろしくお願いします、冷泉麻子さん」
麻子「ああ、よろしく頼む。果穂」
こうして学園艦で冷泉麻子と新型人工知能による奇妙な共同生活が幕を開けるのだった――
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――一日目
みほ「それで、これがその人工知能さんなんですか?」
麻子「そうだ」
翌日、早朝から戦車道の訓練が行われるこの日。開始前に履修者を集合させ、生徒会より果穂に関する説明がなされた
最初はあまりに突拍子のない内容と中身の小難しさから全員が呆けていたが、杏が「要するにみんなで人工知能と仲良くしてあげてね」と纏めたところ、合点がいったように小さな歓声があがった
主に麻子が人工知能と共に過ごすことも説明されており、渦中の麻子と果穂は早速囲まれて質問攻めにあうハメになる
沙織「名前はなんていうの?」
果穂「果穂です」
左衛門佐「どう書くんだ?」
果穂「冷泉麻子さん曰く、果実の果に稲穂の穂であると」
あや「AIってなに? 人工知能と違うの? っていうか人工知能と同じ?」
果穂「AIとはアーティフィシャルインテリジェンスのスペルである頭文字から取られた略称であり――」
これでは戦車道どころではない
堪らず杏へ目線でヘルプと助け船を期待すると、傍に控えていた桃が「貴様ら、いい加減にせんか!!」と一喝してくれた
勿論、効果は無い
麻子「はぁ、待ってくれ。物珍しいのはわかるが、一度に質問をぶつけるのは良くない」
ねこにゃー「あ、そ、そうだよね。でも、超高性能AIとか、すっごい興味ある……」
麻子「気持ちはわかる。とりあえず、全員自己紹介だけで今は勘弁してくれ」
典子「はーい」
一先ず麻子の言葉で落ち着いたチームの面々は、それぞれ並んで自己紹介を済ませると方々へ散っていった
訓練開始の為にあんこうチームもⅣ号へ乗車したのだが、昨日までと違う内装に五人は顔を見合わせる
と、ハッチを開けて呆然としているみほに自動車部のナカジマが小走りで駆け寄って来た
ナカジマ「ああ、ゴメン。昨日から会長に言われてⅣ号を改装してたんだ」
みほ「改装?」
ナカジマ「うん。なんでも、その果穂ちゃん? が戦車を操縦できるようになるユニットを組み込まなきゃいけないとかで」
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言われてみれば、所々内部を這っている配線の他に操縦席と通信手席の間に台座のようなものが設置してあった
恐らくあそこに果穂の搭載された立方体を設置することで、Ⅳ号に施された電子制御装置に接続できるのだ
麻子「Ⅳ号がすっかり近代化してしまったな」
ナカジマ「ガワも中も変わりはないんだけどね。ただまぁ、果穂ちゃんの視界確保の為に四隅に専用の小型センサーつけてるけど」
みほ「では、今まで通りのⅣ号で問題ないんですね?」
ナカジマ「うん、そういう事。配線は急ごしらえで上手に仕舞えなかっただけだから。明日には元のⅣ号みたいになってるよ」
確かに戦車道を通して育成するなら戦車を扱わせなければならない。それをどうするのかと思ったらまさかこのような事になるとは想像していなかった
名実共にⅣ号の六人目のメンバーとして参加することになった果穂を設置されているユニットへ置いてやると、すぐさま各機器と接続され軽快な電子音が鳴る
果穂「Ⅳ号戦車との接続完了」
華「専用のセンサーがあると仰っていましたが……果穂さんには今、外が見えているんでしょうか?」
果穂「はい。周囲三六〇度の視界を確保しています」
優花里「へぇ〜。なんだかすごいですねぇ」
みほ「ところで麻子さん、果穂さんにはどういった指示をすればいいんでしょうか?」
麻子「それなんだが、果穂は説明にもあった通り戦車道を通した育成という目標が設定されている。従って、戦車道ではこのⅣ号のメンバーとしてどこかの役割に就いてもらう必要があるんだ」
みほ「なるほど……あの、麻子さん。よかったら麻子さんが果穂さんの役割を決めてあげて下さい」
麻子「私が?」
みほ「はい。皆さんもそれでいいですか?」
沙織「わたしは別に大丈夫だよ〜」
華「わたくしも問題ありません」
優花里「わたしも大丈夫ですが、装填手は無理じゃないでしょうか……」
果穂「残念ながら、私には実態となる手足がありません。人力による装填のみのⅣ号戦車では、装填手として役目を全うできません」
みほ「となると、車長か通信手、砲手か操縦手だね」
麻子「ふむ。まぁ一番最初に悩むこともないか。>>9をやってもらおう」
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通信手
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通信手
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通信手
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麻子「ふむ。まぁ一番最初に悩むこともないか。通信手をやってもらおう」
手始めに任せるにはいかにもハイテクらしさのイメージとマッチしていいのではないだろうか
そんな麻子の安直な発想もつゆ知らず、沙織はヘッドセットを下ろして果穂の傍へ置いた
麻子「何してるんだ」
沙織「え? だってこれないと通信聞こえないでしょ?」
果穂「現在接続されているユニットより、直接通信装置へのアクセスが可能です。ですので、私にヘッドセットは必要ありません」
沙織「あ、そうなんだ。便利でいいなぁ」
みほ「では沙織さんはしばらくお休みですね。果穂さん、通信手よろしくお願いします」
果穂「はい」
麻子「沙織、よかったらサポートしてやってくれ」
沙織「まっかせて!」
果穂の役割が決まったところで、本日の訓練である紅白戦が始まった
内容はあんこうチーム、アヒルさんチーム、アリクイさんチーム対残りの四チームに別れての殲滅戦となっている
優花里「今日はどのような作戦を?」
みほ「こちらの総火力があちらに比べて低いので、分断して包囲、各個撃破したいと思ってます」
なるほど、理に適った作戦だった
あちらにはⅢ号やポルシェティーガーといった、こちらの編成を粉砕し得る火力を持った戦車が揃っている
機動力を活かしてかく乱してそれぞれ撃破していくのが理想型だろう
みほ「これより作戦開始です。アヒルさんチームは先行して偵察をお願いします。アリクイさんチームはあんこうについて来て下さい。それでは、パンツァー・フォー!」
腹の底を叩くような重低音が車内に響く
麻子はギアを入れて操縦桿を倒すと、チラリと隣に鎮座する果穂へ目を向けた
麻子「通信手の役割はなんだと思う、果穂」
果穂「各車の情報を把握し、指示を受け取り車長に報告する。車長の命令を各車に伝達する、ではないでしょうか」
麻子「そうだな。だが、こうして直接車長が指示を出している内はうあることがない。せいぜい、機銃の眼孔から視界を確保するくらいだ」
沙織(なんか軽く酷いこと言われてない?)
麻子「だが、車長の指示がこの車両で手一杯になってくると通信手は忙しくなってくる。それともう一つ」
麻子「『頑張りましょう』でも、『冷静にいきましょう』でもいい。何か身の締まる、士気の高まるような掛け声をかけることも時には重要だ」
果穂「例えばどういったものでしょうか」
麻子「そこはアマチュア無線二級で通信手経験が一番濃い沙織の出番だ」
沙織「えっ、わたし!?」
麻子「サポートしてやれって言っただろ。こういう時、どういった言葉をかければいいか教えてやれ」
沙織「わ、わかった。えぇ〜っと……>>12!」
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やったれムンムンかましたらぁ!
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がんばってください!何でもしますから
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申し訳ない、少しだけ席を外すゾ
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これは完走して欲しいですね
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沙織「わ、わかった。えぇ〜っと……頑張って下さい! 何でもしますから! とか?」
華「えっ」
果穂「なるほど。自らを対価にすることで終了後の褒美とする訳ですね」
その解釈でいいのだろうかと思わなくもないが、テンパった沙織が妙な一言を付け加えてしまったせいでもある
それに、いきなりこんなことを言われて困惑するアヒルさんチームやアリクイさんチームの様子を観察したかったという事もあって、麻子はあえて何も言わずに置いた
果穂「こちらⅣ号、あんこうチームです。わたしがなんでもさせて頂きますので、皆さん頑張って下さい」
妙子『え、えっ!? なんでもってなんですか!?』
果穂「可能な範囲ならなんでもということです」
ねこにゃー『おうふ、これは頑張って倒さなきゃ……! それで、難しくて積んでたゲームなんとかしてもらいたい……』
アヒルさんチームの動揺に比べてアリクイさんチームは額面通りに言葉を受け取ったらしく、どうやらやる気増には繋がったようだ
みほ「よかったんですか?」
麻子「まぁとんでもないことを頼む非常識なのは居ないだろうからな」
沙織「ご、ごめん……つい余計な事言っちゃって……」
申し訳なさそうにしょぼくれる沙織だったが、そう落ち込むほど問題のある助言だったとも思えない
報酬を用意して士気を上げるというのは常套手段だ
沙織が普段からそういった報酬を用意しているかどうかはともかく、効果的な言葉であったとは思われた
麻子「結果的にアリクイの士気が上がったんだからいいだろう」
沙織「そ、そうかな?」
麻子「ああ。それに、単に言葉だけで士気を上げさせるのはまだ果穂には難しいかもしれないしな」
まだまだ果穂も起動したばかりで、一般水準の知識や常識こそあれ、人と人との言葉の交わし方というものを知らない
そんな中で『士気の上がる言葉を』と無茶振りに近い事をした麻子にも責任はあるのだが、人工知能の世話などしたことがないのだから色々と試しながらやるしかないのだ
妙子『こちらアヒルさんチーム、山岳の茂みにⅢ突を発見しました』
みほ「了解。見つからないように監視しておいて下さい」
優花里「迂闊ですね。こんなに早期に発見されるなんて」
みほ「いえ、もしかすると囮かも……果穂さん、アリクイさんチームに南西の偵察に出るよう言ってもらえるかな?」
果穂「承りました。こちらⅣ号、あんこうチームです。アリクイさんチームは南西の偵察へ出て下さい。なんでもしますから」
ねこにゃー『まさかの追加報酬キタコレ!!』
麻子「何回もそれを言う必要はないぞ」
果穂「そうなのですか?」
沙織「う、うん。あのね、掛け声っていうのはなんていうか、みんなを盛り上げたりするものだから……タイミングが大事、みたいな?」
果穂「把握しました。ここ一番という局面で使うのですね」
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沙織の言葉が上手に伝わったかどうかは定かではないが、それらは今後の果穂の発言で証明されることだろう
ともかく、通信手としては割とまともな言動を心がけている果穂はまだ言葉の硬さが残っているものの、初の戦車道訓練にしては上出来な成果を収めたのだった
「「「お疲れ様でした〜」」」
校庭に響いた終了の合図で皆が一様に散っていく中、麻子が手にした果穂はアヒルさんチームとアリクイさんチームの面々に囲まれていた
典子「う〜ん、もし果穂ちゃんに身体があったらバレー部に入ってもらえたのに……」
妙子「なんでもって言われましたけど、やってもらえるようなことが見つかりませんね」
忍「……試合のタイマーとか?」
あけび「今使ってるストップウォッチで足りると思う……」
ねこにゃー「で、では、約束通り我々の勝利でしたので、積んでいるゲームを代わりに制覇してもらいたいんだけど……」
ももがー「最近ノーパソの調子がおかしいから見てもらいたいなり」
ぴよたん「中身見せて〜?」
なんだかんだで約束は約束である
バレー部は特に頼むこともないというので報酬は見送りだが、アリクイの面々はそれぞれしてもらいたいことがあるらしく、次の休みに麻子と共に貸出となった
ようやく落ち着けることで盛大にため息を吐いた麻子に、果穂がスキャンをかける
果穂「皮膚の表面温度が低下しています」
麻子「外の空気で冷えただけだ……」
みほ「あはは……大変でしたね」
初日でこれなのだから今後の苦労も目に浮かぶというものだ
果穂が特別手にかかるというわけではないが、彼女がここに居る間は一緒にいる麻子も誰かしらを相手にしなくてはならないのだから仕方がない
万が一、果穂を一人にしておいて誰かの注意無しに妙な事を吹き込まれればどうなるかわかったものではない
そんな事はあり得ないとは考えてはいる。しかし、人工知能という未知の代物がどういった解釈で知見を広めるか不明である以上、油断はできないのだ
華「今日はどこかへ寄っていきますか?」
沙織「あ、わたしパフェ食べたいなぁ」
優花里「自分も今日は甘いものが食べたいであります!」
果穂「これからどこへ向かうのですか?」
麻子「適当に店に寄ってみんなで甘い者を突っつき合うだけだ」
果穂「食べないのですか」
麻子「食べる、食べるんだ。今のは物の例え、表現の一種だ」
果穂「なるほど」
沙織「あ、果穂は機械だから食べ物食べらんないね……」
こういう時、相手が誰でも気を回せるのが沙織という女だった
またもや申し訳なさそうにしている彼女に、果穂はやや優しい声色で語り掛ける
果穂「お気になさらずに。わかっていますから」
ほう、と麻子は一人嘆息する
あれだけ無機質に思えた果穂の声の調子がほんの少し柔らかくなっているからだ
麻子(沙織の性格に影響されたかな……良い事だ)
華「ところで果穂さん」
果穂「はい、なんでしょう」
華「果穂さんは何か気になるものはないのですか?」
果穂「質問の意図が不明です」
華「ええっと、果穂さんは起きて間もないと聞きました。例えば、今の時点で海が見てみたいとか、クレープを見てみたいとかいう興味があるのかな、と」
麻子(五十鈴さんらしい面白い質問だ)
中々に鋭い部分を突いている
人工知能としての知識はあれど、果穂が実際に目にしたことがあるものは現時点で学園や戦車など、数えられるほどしかない
果穂が人間の脳に寄り近いAIであるのなら、自分の身が立方体に収まった機械の塊であれ、なんらかのものに対して興味を持っていても不思議ではないのだ
果穂「質問の意図がわかりました。ご丁寧にありがとうございます」
華「いえいえ。それで、何かに興味があったりは……」
果穂「>>18」
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西住流
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同性愛
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AI汚染不可避
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果穂「同性愛に興味があります」
麻子「!?」
華「ど、同性愛ですか……」
予想だにしなかった果穂の発言に全員が唖然として言葉を返せないでいる中、麻子は早々に平静を取り戻すと彼女に理由を問いただす
麻子「どうして、ど、同性愛に興味があるんだ?」
果穂「人は有性生殖です。男と女が番いになり、次の世代への命を産み落とします。では、どうして人類には同性同士で番いになる文化があるのでしょうか?」
果穂「人という種を残す上で、同性が番いになることは弊害になります。それでもこの行為は排斥されず、現在も文化としてとどまり続けている」
果穂「私はそこに疑問を感じざるを得ません」
どうやら思っていたより興味の範囲が広大だったようだ
華が想像していたのはもっとミクロ的な視点での些細な興味だったはずなのだが、果穂は人類が延々と議論を交わしている難題に興味を示しているらしい
これにはどう解答すべきかほとほと困り果てた麻子は沙織へ視線を逸らすが、当の沙織もちんぷんかんぷんな様子で固まっていた
華「……人類が多いからではないでしょうか」
そこに返答を差し込んだのは質問主の華で、当然の如く果穂はそれに追従してくる
果穂「人類の数が膨大であれば、多少の同性愛も種の存続には影響がないということですか」
華「そうです」
果穂「しかし、そうだったとしても種として不自然な事ではありませんか」
華「……そう、なんでしょうか」
さすがの華もこの話題にはお手上げらしく、言い澱んだきり真剣な表情で地面を見つめていた
哲学的な話は得意ではないものの、ここは強引に話の収集をつけておかねば後々面倒になると考えた麻子は、急造したそれらしい理論をすかさず果穂にぶつける
麻子「人間という種なんてどういう構造してるか誰にもわかっていないんだ。確かに子孫を残すことが人類の遺伝子に刻まれた題なら、同性愛は不自然に写る」
麻子「でも、もしそうじゃなかったら? 人類は種の保存や存続に、実は大して本能を感じていないとしたら?」
果穂「…………つまり、人類が子孫を残すことを最たる目的とした生き物でなければ、同性愛も不自然な行為ではないということですか」
麻子「そうだ」
果穂「…………」
なんとか納得してくれたのだろうか
やけに緊張感の漂う道中、果穂が再び口を開いたのはこの雰囲気でクレープ屋に寄るに寄れず五人があてどなくうろうろし始めた時だった
果穂「どうやら私は持っている知識を絶対の根拠として語っていたようです。申し訳ありませんでした」
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麻子「謝ることはない。誰にだって持論というものがある。それを押し付けることはしちゃ駄目だが、お前はしっかりわかったようだな」
果穂は麻子の言葉を受け入れ、自身のデータベースのみに頼った文言を撤回した
急に話の規模が膨れ上がった時はどうしようかと思ったが、果穂にもしっかりと思考する知性があるらしいことにほっと胸を撫で下ろす
(言い方は悪いが)元凶である華も、「気にしないで下さい」というといつもの微笑みを浮かべてクレープ屋に歩を進めるのだった
こうして六人で買い食いを終えた後は各自が帰路へ着く
麻子は立方体片手に自宅へ辿り着くと、先日業者から持ち込まれたパソコンに電源を入れて専用のケーブルを果穂へ接続した
一日を終えた後は報告会が待っている
二人にとって初となるそれがどう執り行われるのか、麻子は内心でやや興奮の面持ちであった
時間が九時を丁度に指した頃にアラームが鳴り響く
画面に従って数回のクリックと打鍵を繰り返した麻子は、それが正しく目的の箇所に接続されたことを確認すると座布団を寄せて座り直した
画面には幾つかの区画に別れ、その一つに生徒会長である角谷杏の顔が映し出される
杏『やぁやぁ冷泉ちゃん! 今日はお疲れちゃん。あの後はどうだった?』
麻子「少し問題がありました」
『ほう、問題』
杏がリアクションを返す前に割り込んで来た音声に、麻子はこの声の主が果穂を作り上げた科学者なのだと確信して口を噤んだ
科学者『失敬。私が君が今持っている第四世代人工知能を創った科学者だ。初めまして』
麻子「どうも」
科学者『早速だが、角谷さんから話は聞いているだろう? 今日の報告会といこうじゃないか』
どこかはつらつとした様子を感じさせる壮年の女の声
相手がどういった人相かはわからずとも、いかにも楽しみで仕方ないといった雰囲気が画面越しにも伝わってくる
麻子「その前に。書類にもありましたが、このパソコンに接続している間は果穂はスリープモードに入っていてこちらの会話を聞けないんですね?」
科学者『果穂?』
杏『ああー、名前がないのは不便だからって一応付けといたんだよねぇ』
科学者『お! 名付けてくれたんだね! そっかそっかぁ……いやなに、我々は科学者だけあって妙に世間離れしたような、凝った名前しかつけてあげられなくてねぇ』
科学者『果穂……果穂……うん、いい名前だ。やはり君らに託してよかった』
杏『そりゃどうも。それじゃあ報告してもらいましょうかー』
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科学者『そうだね。問題ってのも気になるけど、最初から順序立てて行こうか!』
麻子「わかりました」
麻子は今日会った出来事を起床の時点からつらつらと言い並べる
朝食を食べろと指摘されたことや、戦車の初登場で通信手を経験させたこと
その後の同性愛に興味があるという発言も、一言一句漏らさず報告をあげる
話を聞くたびに相槌を打っていた科学者は、麻子が今日の出来事を一通り話し終えると心底嬉しそうに「ありがとう」と言った
科学者『初日とはいえ上手くやってるねぇ。果穂の反応や言動は想定内だったけど、同性愛に興味があるなんて思ってもみなかったよ』
麻子「それは私もです」
科学者『そうだよね、直接聞いてた貴女の方がびっくりしたよね』
あっはっは、と可笑しそうに科学者が笑っている所に杏が別の話を差し込む
杏『今日の分のデータはとりあえずさっさと数値化した方がいいんじゃない?』
科学者『やってるやってる。感情値が上昇……ほー、ちょっと優しくなってんね』
麻子「わかるんですか?」
科学者『そのパソコンに果穂を繋いでる間は蓄積したデータを送ってもらってるからね。こっちのスパコンで各種項目を数値化すれば、今の果穂の状態は簡単に読み取れるよん』
人工知能などというものを造るくらいだからそれ相応の技術があって当然ではある
会長が麻子へ見せた書類にも書いてあったことではあるが、この一日を終えての報告会は果穂に蓄積された一日のデータを研究所へ送る為でもある
その上で、その日一日をどう過ごしたのか、果穂はどういった会話をしたのかをレポートすることでより詳細なデータ収集になるのだ
科学者『よかったよ、馴染めてるようで。今時の女子高生にAIとか言ってもさっぱりだろうに』
麻子「まぁ、他は少しわかっていないみたいでしたが……」
杏『そこはこれからわかって貰うしかないよね』
科学者『そうそう。よろしく頼むよ〜!』
麻子「わかりました」
科学者『さて、今日は初日だしこんなもんかな。異常数値なんかも出てないし、この調子でお願いするよ』
杏『じゃ、解散かな。冷泉ちゃん、明日もよろしくね〜』
麻子「ふぅ……では、お疲れ様でした」
科学者『ばいばーい、また明日ねー』
杏『おやすみ〜』
無事に一日を終了した麻子はそのまま畳へ倒れ込むと、静かに目を瞑った
パソコンに接続された果穂は充電と睡眠を兼ねており、麻子が呼びかけたりパソコンからの接続を解除しない限りは自発的に起きてくる事はない
家での個人間交流も大事かもしれないが、睡魔の方が勝った麻子はその場で眠りに就くのだった
一日目、終了
果穂の現状報告書
・武部沙織に影響され、優しさの感情が強くなっています
・同性愛に深い関心があるようです
現在の果穂の問題点
・特になし
以上
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短いですが、今日はここまでです
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乙シャス!
次も楽しみに待ってます
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イイゾ〜コレ〜
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これを思い出しますね…
マイクロソフトの機械学習AI「Tay」、ネットで差別と陰謀論に染まって一日で公開停止
http://japanese.engadget.com/2016/03/24/ai-tay/
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ここに繋ぐとどのように汚染されるんでしょうね
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――二日目
けたたましいサイレンに自身が低血圧なのも構わず跳び起きた
大型地震かあるいは空襲警報がこれから訪れるかのような警告音に、なんだなんだと部屋を見回す
果穂「おはようございます」
目に入った机上の立方体が朝の挨拶をすると、どこからかがなり立てていた警報音は鳴りを潜めた
麻子「………………今のどでかい音はなんだ」
果穂「起床のアラームです。冷泉麻子さんの血圧が昨日より低下していた為、前日の就寝時間と疲労から本日は登校前に起床できないと判断しました」
つくづく余計な機能までついているものだなと悪態をつきたくなる
だが、お陰でまた遅刻や欠席の日数を重ねずに済んだ事は非常にありがたく、なにより指示していないのにアラームで自主的に起こしてくれたのはありがたかった
もしかするとこれも彼女の成長の一部なのだろうか
麻子「すまないな、わざわざ」
果穂「いえ。冷泉麻子さんにはプランに沿った行動を心がけて頂かなければなりませんので」
しかし、どうやら麻子の思惑と違って果穂は自身の育成という目標に障害が出ぬよう行動しただけらしかった
少々現実的な意見で悲しさはあれど、受け持った以上は自分にも責任というものがあるので仕方がない
果穂「――付け加えると」
麻子がやれやれと重たい頭を振って気だるげに立ち上がった時だった
果穂の言葉に怪訝な様子で眼を向ける
果穂「明け方が近づくにつれ、随分とうなされているようでした。ですので、予定より数十分早いアラームを掛けさせて貰ったのです」
麻子「………………そうか」
大方、嫌な夢でも見ていたんだろう
そう告げて背を向けた麻子に、果穂は何も言わぬまま立方体に仄かな光を湛えるだけだった
――グラウンド
今日、明日も戦車道がメインの日程になっている
明後日からは通常通りに授業が行われ、放課後に戦車道の訓練が執り行われる
必修科目である戦車道はその時間的な拘束力から、普通科の生徒といえども通常授業のカリキュラムがやや少なめに見積もられているのでこうしたことが起こりやすい
それでも定期試験に一切の情状酌量の余地がないのが泣き所だ
みほ「今日はフラッグ戦です。昨日と違ってこちらにはカバさんチームとカメさんチームがいますので、待ち伏せ作戦で行きましょう」
優花里「フラッグ車は私たちですか?」
みほ「はい。中央の窪地で囮になって敵を引きつけます。それで、今日の果穂さんのポジションなんですが……」
麻子「昨日は通信手だったな。装填手は当然無理として、同じ通信手でもいいし、砲手や操縦手でもいいだろう」
沙織「果穂はやってみたポジションとかないの?」
本人の自主性に任せるのもいいかもしれない、と麻子が隣のユニットへ接続されている果穂を見やると、彼女は数秒の沈黙の後こう告げた
果穂「では、>>30をやります」
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砲手
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砲手
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果穂「では、砲手をやります」
華「ふふ、わたくしはお休みですね」
華が座席に背中を預けると、照準器や砲塔が一人でに動き始める
旗から見ているとポルタ―ガイストのような奇妙な薄気味悪さがあったが、それも果穂がユニットを通じて各機材と接続されていると知っていれば然程でもない
それでも、人の手を介さずに動くそれらを眺めているとなんだか新鮮な気持ちになる
麻子「すまないな、五十鈴さん」
華「いえいえ。果穂さんがどんな砲撃をされるのか楽しみです」
みほ「それではいきましょう。パンツァー・フォー!」
作戦は事前に打ち合わせていた通りに待ち伏せによる奇襲が行われる
小高い場所に隠蔽されたⅢ突とヘッツァーのレンジに敵戦車を誘い込む為、あんこうのⅣ号が囮となって相手を引きつける作戦だった
みほ「果穂さん、我々は囮です。適度に敵戦車へ注意を引きつける為にも、こちらが撃破したがっているような砲撃をお願いします」
果穂「撃破したがっているような砲撃とはいかなるものでしょうか」
みほは指示に際して心理的な要素も擁した細かい戦術を指定することが多々ある
今回の指示もそれと同じで普段なら慣れている華がわかりましたと返答するのだが、果穂には指示内容が抽象的、もしくは大雑把でわからなかったようだ
麻子「必死に撃ってると相手に思わせる攻撃を仕掛けるんだ。こちらを脅威に感じて履帯を破壊して止めたいと思っている、と思いこませるには履帯に当て無いようにその周囲を執拗に狙えばいい」
麻子「もしくは装甲の薄い部分周辺をわざと外して、『こっちはさっさとお前を片付けたいんだ!』という意思を見せつけたりな」
麻子の説明にみほも小さく頷いたのだが、果穂は更に疑問を上乗せして返してきた
果穂「撃破できるのならその場で撃破してしまった方がいいのでは?」
みほ「この場合だとそうはいきません。こちらのチームは旋回砲塔を持つのが私たちだけなので、遊撃されて機動戦に持ち込まれると非常に厄介です」
みほ「ですので、確実にⅢ突とヘッツァーのキルレンジへ敵を誘い込み、相手がバラバラに展開する前に纏めて撃破するのが理想的ですね」
改めてみほの口から詳細な戦術プランを聞くと、なるほどさすが急造チームを優勝へ導いた智将であるのだなと思い知らされる
あんこうの面々はみほが作戦をどういう理屈で行うのかわかってはいるものの、それがどういった理由に基づいたものなのかまではすぐに思考を行きつかせられない
今回の作戦はⅢ突とヘッツァーの火力を頼りにする内容であるのは理解できていたが、どうしてそうなったのかまではわかっていなかったのだ
瞬時にみほの作戦を細部まで理解できたのは、戦車関連では無類の知識を持つ優花里くらいだろう
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果穂「なるほど。承りました」
みほ「お願いしますね。強速前進!」
左右を森林に挟まれた山道を堂々前進し、やがて開けた場所にある窪地へ到着する
ここまでは接触がなかった。相手に足の速いルノーや小回りの利く八九式がいることを考慮すると、既に捕捉されている可能性はある
と、周囲を索敵していたⅣ号の眼前で土が弾け飛んだ
至近弾を貰ったⅣ号の車体が揺らされ、車内はにわかに騒がしくなった
みほ「後退してください! 前方にM3とポルシェティーガー、右側面に八九式です!」
麻子「わかった。右回りに予定の地点まで誘導する」
火力では後方からしかⅣ号を抜けない八九式に対して近寄りつつ、M3リーとポルシェティーガーから離れるような軌道
それをわかってかこちらの背後に着こうとする八九式の前面装甲が爆発で捲れ上がった
華「命中! 素晴らしい砲撃です!」
果穂「最厚部への命中弾です。敵は速度を落としつつも追撃してきます」
見事な初撃だった
砲塔の旋回先を早々に八九式へ合わせていたのも大きいが、今の砲撃であちらは間違いなく誘い込まれている等と思わなくなるはず
照準器を覗いて擬似的に果穂の動きをトレースしている華は、嬉しそうな声を上げて小さなガッツポーズをしていた
沙織「カバさんチーム、カメさんチームの皆さん、向かって右側からⅣ号が飛び出します! その後からアヒルさんチームが追って来ます!」
杏『りょうかーい』
左衛門佐『承知した!』
以降、主に八九式を牽制しながら待ち伏せポイントに到着したⅣ号の背後で二つの砲弾が炸裂した
シュコッ、という音と共に八九式から白旗が挙げられる
続けざまに飛び出してきたM3とポルシェティーガーは照準をⅣ号に向けていたせいで隠れていたⅢ突とヘッツァーへの対処が遅れ、どちらも間もなく白旗が挙がった
残すはルノーのみなのだが、一向に姿を現さない
痺れを切らした桃が偵察に出ると申し出た直後、木々の隙間からヘッツァーに向かって砲弾が飛んできた
当たり所が悪かったのか、傾斜装甲でない部分に直撃して一発退場となったヘッツァーから広報の怨嗟と会長の笑い声が流れる
みほ「見つけました。森林間を走行しつつ、木の間から砲撃しているようですね。さっきの命中弾は停止射撃かな」
言ってる間にも砲撃が殺到するものの、行進間射撃の為か弾は明後日の方向へ抜けていく
とはいえ偶然にも当たってしまえば生徒会チームのようになりかねないので、発見した以上は素早く決着をつけるべきだろう
みほ「果穂さん、ここから狙えますか?」
果穂「……困難です。木が砲撃の障害になっています」
精密機械じみた制御をできても直撃させられないのか、あるいはそういう部分に制限がかけられているのか
要求の拒否を受け取ったみほは森林へ踏み込もうと麻子へ前進の指示をだそうとしたのだが、華が人差し指を唇に添えて「しーっ」というジェスチャーをしていたので黙り込んだ
華「果穂さん、わたくしから一つアドバイスがあります」
果穂「なんでしょうか」
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照準器を覗きこむ華は、現在果穂の制御下に置かれている射撃管制装置を自らの手で動かし、走行中のルノーへ砲塔を追いかける
ほどなくして、カチリ、とトリガーを下ろす音と強烈な爆音が車内に反射した頃には、ルノーの白旗が遠めに挙がっているのが確認できた
木々の隙間から全開走行のカモさんチームへ砲撃を命中させた華は照準器から顔を上げ、一言だけ告げる
華「一意専心、です」
優花里「さすが五十鈴殿であります!」
果穂「今のはどのように命中させたのでしょうか」
発言にやや困惑の色が見える果穂に、華は自身の砲手の心得を述べる
華「これはわたくしが砲撃をする時の事なのですが、花を活ける時のように集中して相手を狙っているのです」
果穂「花を活ける時のように集中するというのは、どういうことですか」
華「そうですね、実際に体験してもらった方が本当はわかりやすいのですけど……強いて言うのなら、指先と視線の先に全神経を集めるということです」
華「一意専心で臨めば結果は必ず付いてきます」
機械の身で実体のない果穂に指先や目線の先という感覚が理解してもらえるのか
不安な面持ちで見守る面々だったが、やがて果穂はユニットとの接続を解除すると自分の見解を語る
果穂「私には手足の感覚はありません。視神経も相当するのはセンサー類です。ですが、計算のみで結果を知った気になってはいけないというのはよくわかりました」
華「為せば成る、ということですよ」
果穂「挑戦が大事なのですね」
本人なりに今回の状況と華の言葉とを照らし合わせて自己解釈をしてくれたようだ
一息ついた麻子は、ユニットから外れた果穂を持ち上げると操縦手席のハッチから車外に飛び出した
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桃「今日の訓練は終了だ! 解散!」
お疲れ様でしたー! と、昨日と同じように履修者が解散していく
あんこうチームの五人もいつものように揃って帰路についた
沙織「今日はどっかに寄る?」
みほ「コンビニのお茶にボコストラップがついてるから、ちょっと寄りたいんだけど……」
華「コンビニのスイーツというのもよろしいですね」
麻子「西住さんは一旦コンビニに入ると長いからな……」
果穂「ボコとはなんでしょうか」
沙織「あっ、待って。それは――」
みほ「果穂さんボコ知らないの? ボコはね、ボコられグマのボコって言って――」
こうして他愛ない会話を繰り返しながら歩いていた所、帰路も半ばといった時に優花里が思い立ったように果穂へ質問を投げた
優花里「果穂殿はまだ二回とはいえ戦車に乗って練習してますよね」
果穂「はい。そうですね」
優花里「実際戦車を操縦してみて、どう思ってますか?」
戦車道を通して育成することになっている果穂だが、当の本人が戦車に対してどのような感情を抱いているかはまだ誰も知らなかった
この質問は、ある意味で今後に左右してくるといっても過言ではない
重大な質問ながら興味津々の優花里に、果穂はしばしの黙考の後こう告げた
果穂「>>36」
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やはり大勢で戦車まみれになると最高やで。
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難しいがやり甲斐がある
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たまげたなぁ
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ちょっと席外しますわゾ
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果穂「難しいですが、やりがいはありますね」
優花里「おぉ! 本当ですか!」
果穂「はい。秋山優花里さんは、自己紹介の際に戦車が好きであると仰っていました。よければ私に戦車の話をお聞かせください」
優花里「任せて下さい!!」
まだたった二日しか経っていないにも関わらず、果穂は既に戦車道や戦車への興味を強めているようだ
なおかつ戦車道に対して難しさを実感しながらもやりがいというものを感じているらしい
例えAIであっても『やりがい』といった気持ちを持つことができるのだなと、麻子は果穂という人工物の脅威のテクノロジーを再認識した
彼女は肉体こそないが、生きているのだ
優花里の戦車談義は彼女と帰路が別れるまで続き、別れを惜しむ彼女へ挨拶を交わして帰宅したのだった
――自宅
果穂「冷泉麻子さん」
麻子「どうした?」
帰宅してからある程度の家事と入浴を終えた麻子は、テレビの前に鎮座する果穂からの呼びかけに首を傾げる
彼女の為につけていたテレビはバラエティからニュース番組に切り替わっており、特に見ている様子もないようなので電源を落とした
果穂「私は携帯型ユニットに内包されている人工知能ですが、様々な機能が備わっています」
麻子「そのようだな。資料にもそうある」
果穂「冷泉麻子さんが所持している携帯のような機能もあるのです」
麻子「ん、それで?」
果穂「貴女の携帯の番号とメールアドレスを私に教えて下さい」
何かと思えばそんなことか
と、携帯を取り出した矢先に麻子はとんでもないことに気が付いた
自分から人に何かを教えてもらおうという姿勢はあった。しかし、それはあくまで自分がその物事に対して意味がわからないことに対する『知りたい』という欲求からだったはず
携帯の番号やメールアドレスといった、いわゆる意味を求めても仕方がないものに『知りたい』と言ったのはこれが初めてではないだろうか
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帰宅中に戦車道にやりがいを感じていると優花里に戦車の話を求めた時にも考えてはいたが、たった二日でかなり人間らしくなっている
まだまだ言葉が平坦で感情がほとんど感じられなかったり、人の名前を呼ぶ際にフルネームで呼ぶなどの違和感があるとはいえ、順当な成長といっても過言ではない
麻子「わかった。ついでにあんこうチームのも教えておく」
果穂「本人の許可なく情報を登録してもいいのですか?」
麻子「そこはまぁ……いや、やっぱりやめておこう。みんなで使っている通信アプリがあるからそこに招待する」
果穂「なぜでしょう」
麻子「仲間同士、友達同士でやりとりするのは自然なことだろう。もし個人的に誰かのアドレスや番号を知りたいなら、そこで直接本人に訊けばいい」
こちらから与え過ぎては成長を阻害してしまうかもしれないと考えた麻子は、なるべく自主的に行動してもらう為に教えるのは自分の番号のみに留めておいた
気が早ければ今日か明日には通信アプリを通じて、戦車の話が尽きない優花里辺りに番号を教えて欲しいと言い出すかもしれない
システムメッセージ:果穂さんが麻子さんに招待されました
さおりん☆『えっすごい! 果穂ってこういうのもできるの!?』
麻子『急にすまないが果穂も追加しておく』
麻子『まだ招待して一分も経ってないぞ……』
果穂『こんばんは。果穂です』
ニシズミホ『こんばんは!』
五十鈴 華『果穂さん、こんばんは。』
秋山・グデーリアン・優花里『おお! 果穂殿ではありませんか! こんばんはであります!』
これで果穂がコミュニケーションを取る幅も増えた
これを介して更に人と触れ合うことで、彼女もより一層変化することだろう
そうして適度に会話を交わしていた時であった。果穂の本体である立方体が短いアラームを発する
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果穂『申し訳ありません。そろそろ時間のようですので今日は失礼します』
さおりん☆『もう寝ちゃうの?』
麻子『私も一旦離れるぞ。果穂のレポートを上げなきゃならない』
ニシズミホ『そっか。いつもこの時間に?』
麻子『まぁそうだな。もし報告が終わっても話したいようなら果穂も来るだろう』
果穂『皆さまが起きているようでしたらまた参ります』
五十鈴 華『わたくしは寝ているかもしれません。』
秋山・グデーリアン・優花里『自分は恐らく起きているであります!』
麻子『とにかく離席するぞ。先に言っておく、おやすみ』
さおりん☆『いってらっしゃーい(=゚ω゚)ノ 麻子はおやすみ〜』
さおりん☆『今日は暑いからって何もかぶらないまま寝ちゃだめだよ!』
麻子『わかってる』
適当に挨拶を交わして一時的にコミュニティから離れた麻子は、果穂のユニットをパソコンへ接続すると昨日と同じように画面を切り替えた
もう準備を終えて待機しているらしかった杏と科学者がカメラに映る
杏『やぁやぁお疲れ〜。今日は暑かったねぇ』
麻子「どうも。少し遅れてしまって……」
科学者『いいよ〜。みんなとお話してたんだねぇ』
麻子「わかるんですか?」
科学者『勿論さ。おっと、プライバシーに関わる事だから果穂から会話内容を抜き取って盗み見るなんてことはしてないからね!』
別に見られて困る会話をしているわけではないが、そういった会話を見てみないと果穂の人工知能としての変化をわからないのではないだろうかと素人ながらに思ってしまう
数値化して物を判別するのにだって限度があるだろうし、そういった機微を直に確認しなければ重大な部分を見逃す可能性だってありそうなものだが
その麻子の思考を読んだかのように、沈黙する麻子に笑いかけた科学者は果穂についての話を始める
科学者『冷泉さんが考えてることはなんとなくわかるよ。でも、果穂にはあくまでそこの環境下で自由に育ってほしいんだ』
麻子「自由に……」
科学者『そう、自由。こっちから数値を改竄したりベースを書き換えて性格や感情、思考パターンを発露させることは簡単にできる。けどそんなんじゃただのプログラムとなんら変わりはないよね』
科学者『果穂は、その人工知能は、人以下でも人以上でもない機械の脳みそだ。肉体を持たず、無垢である彼女がどうなるのか私は知りたい』
麻子「………………」
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あくまでこの環境に任せ、どこかしらに強制の手を加えるということはしないようだ
麻子からするとどうにも腑に落ちな点もあるのだが、余計な事は言わずにとりあえず今日一日の報告だけしておいた
昨日と同じく所々で科学者の相槌や杏の補足が入り、報告会は恙無く終了した
科学者『じゃ、明日もよろしくね〜』
杏『あいあいっと。おやすみ、冷泉ちゃん』
麻子「ふぅ、それでは」
普段は使わない神経を連続して使ったものだからどうにも身体の疲労が大きい
布団へ横になった麻子は、パソコンと果穂の接続を解除してやると部屋の電気を落とした
果穂「秋山優花里さんと武部沙織さんはまだ起きているようです」
麻子「あー……そうか……ふぁ」
果穂「もうご就寝なさるのですか?」
麻子「ああ……眠たいから……」
果穂「私はまだ二人とお話していいのでしょうか」
麻子「お前の好きにしろ……」
果穂「わかりました。おやすみなさい」
麻子「……おや、すみ……」
こうして果穂が自身をスリープモードへ移行したのは、麻子が床に就いてから三時間が過ぎての話だった
原因は優花里の熱の籠った戦車談義であったが、麻子はそれを知る由もない
二日目、終了
果穂の現状報告書
・武部沙織に影響され、優しさの感情が強くなっています
・戦車に興味があります
・戦車道にやりがいを感じ、意欲旺盛です
現在の果穂の問題点
・同性愛に深い興味があるようです
・時間の感覚が人と違い、どれほど時間が経過してもあまり気にしていません
以上
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――三日目
鈍重な身体をなんとか起こした麻子は、自身が設定した携帯のアラームが初めて役立ったことに驚いてしばし固まっていた
果穂「おはようございます」
麻子「ああ、おはよう」
果穂「今日は爽快なお目覚めでしたでしょうか」
麻子「残念だが、寝れるのならまだ寝ていたいくらいだ」
果穂「そうですか。先日のようにうなされてはいなかったので、よくお眠りになられたと思ったのですが」
麻子「……寝苦しくなかったんだろ」
会話を切り上げて朝の仕度を始めた麻子の後ろでは、窓から入った朝日が立方体を燦然と輝かせるだけだった
――グラウンド
今日で戦車道がメインの日程はしばらく終了となる
通常授業へ戻っても朝と夕には訓練があるのが、大幅に時間を割いた練習ができるのは今日までだ
みほ「今日はバトルロワイヤル形式です」
華「慎重に動かなければあっという間にやられてしまいますね」
麻子「果穂、今日はどこのポジションに就きたい?」
果穂「>>45」
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装填手を任せたらどうなるのでしょうか
と思いつつ今回は操縦士で
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車長
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果穂「車長をやってみたいです」
麻子「ほう」
みほ「じゃあわたしはお休みですね。果穂さん、よろしくお願いします」
車長席で微笑むみほの隣、装填手席に座っていた優花里は眼の下にクマを浮かべながらも果穂の言葉に嬉しそうに小躍りしていた
優花里「もしかして、昨日の話で興味を持ってくださったんですか?」
華「昨日の話?」
果穂「日付は今日になりますが、五時間前まで秋山優花里さんとは戦車についてお話をしていました」
沙織「ゆかりんの話がディープすぎて途中から全然ついていけなくて……」
優花里「えへへ、すみません。ついつい」
麻子「それで?」
果穂「はい。話の中で優花里さんはⅥ号戦車ティーガーⅠと、その戦車を駆って有名なドイツ軍中尉であるオットー・カリウスの事を熱心に話しておいででした」
果穂「オットー・カリウスは常に冷静沈着で情報を重視して他との協同で戦果を挙げて来た名将であり、西住みほさんにそっくりだと」
優花里「果穂殿! それは言わなくていいですから!」
みほ「そ、そんなこと話してたんだ。なんか照れちゃうね」
どれだけでも話を聞くことのできる果穂と戦車について様々な知識を蓄える優花里の相性がいいのか、どうやら昨晩は随分と二人で話し込んだようである
それにしても、戦車を駆った名将の話を聞いて車長をやりたがるとはまるで特撮を見てヒーローの真似をし始める子供のようではないか、と麻子は陰ながら果穂の言葉に口角を上げていた
みほ「もしどうするべきかわからなくなったらわたしの事を頼って下さいね」
果穂「わかりました」
優花里「その前に今回の状況をもう一度確認しておきましょう」
今日の訓練内容はバトルロワイヤル。一対多になる為、場合によってはグダつきやすいシュチュエーションだ
ただ、こちらも相手も味方がいないので、隠れていればしばらく経った後には運悪く遭遇したもの同士で戦闘が勃発し、後半まで生存が可能である
他のケースでは暗黙の了解であるかのように利害一致で同盟を結び、自分たちの脅威となるチームを協同して優先的に排除することもあるだろう
バトルロワイヤルでは車長の状況対応力が試される。いかに臨機応変に指示を出せるかが鍵だ
優花里「――というわけですね。つまり、我々のスタート地点であるこの場所は隠れている分には一番いい場所です」
果穂「なるほど」
優花里の丁寧なブリーフィングに果穂が把握の返事を返す
いったい人工知能の果穂がどういった作戦を立てるのか、全員がどこか落ち着かない様子で彼女の指示を待っていた
果穂「では、>>48でいきます」
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こそこそ作戦
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ボコボコ作戦
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果穂「では、ボコボコ作戦でいきます」
麻子(昨日、西住さんがしたボコの話にでも影響されたか……?)
みほ「ボコボコ作戦ですか!」
内容を聞く前から食い気味に身を乗り出したみほに苦笑しつつ、麻子は先を促す
麻子「そのボコボコ作戦とやらの概要は?」
果穂「まずここから南東の森林、北東の山岳、北西の森林を順に進撃します」
果穂「複数台の戦車に自分の存在をアピールしながら中央の平原へ転進」
果穂「引きつけた戦車どうしを衝突させ、その隙に平原を抜けて森林に身を隠します」
果穂「理想としてはこの反時計周りの進軍で全ての戦車を引きつけるか、最低でも待ち伏せしている戦車の位置を把握したいと思っています」
優花里「Ⅳ号で駆け回って残りの戦車を全て引き摺り出す作戦ですか……下手をすれば、複数の戦車から囲まれてしまいますが……」
沙織「ただでさえこういう時は真っ先に私たちが狙われるのに、ちょっと危ないんじゃない?」
華「わたくしは、この方法が一網打尽にしてしまうにはちょうどいいと思います」
果穂の立てた作戦は若干不評のようであった
麻子としても、あまり派手にあちこち動きすぎると肝心な時に足回りが言う事を聞いてくれなくなるので、あまり賛同はできない
果穂「反対二、賛成一ですね。西住みほさんと冷泉麻子さんはどうですか?」
麻子「私もどうかな、とは思う」
果穂「この時点で過半数ですね。それでは別の作戦を――」
みほ「待ってください」
ここで、作戦の概要を聞いた切り黙り込んでいたみほが口火を切った
全員の視線がみほに集まる
みほ「果穂さん。今の作戦は、果穂さんが考えた作戦の中で一番のものでしたか?」
果穂「はい。三つ考えついた作戦の内、このⅣ号と乗員のスキルから最も短期かつ確実に達成率の高いものであると思っています」
みほ「そうですか……では、この作戦でいいんじゃないでしょうか」
果穂「しかし、他の皆さんには反対意見も多いです」
みほ「そういうこともあるでしょう。けど、このⅣ号の頭脳は果穂さんです。果穂さんがこれで確実にいけると思ったのなら、そうすべきです」
果穂「…………」
みほ「反対を押し切ることが悪い事と考えていますか?」
果穂「はい」
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みほ「そうですね、確かに反対を無視してしまうことはよくないことかもしれません」
果穂「では何故、私の案を貫き通すべきだと?」
みほ「先程も言いましたが、果穂さんは車長です。車長は乗員の司令塔。みんなを理解している司令塔ができると思った事は達成可能だからです」
みほ「いえ、もし達成できなかったとしても、やる前から成功するか失敗するかはわからないのですから、果穂さんができると思ったのならやらせるべきです」
みほ「時には乗員の声に耳を傾けて作戦の内容に修正を加えることや、作戦自体を変更することも必要です」
みほ「しかし、車長である果穂さんがみなさんを信頼した結果であるのなら作戦は必ず成功します」
みほ「――そうすれば、皆さんも果穂さんを信頼して黙って付いて来れるようになりますよ」
これが西住みほ。これが大洗の軍神
短期間で少数の戦車と不十分な練度のチームを率いて優勝まで漕ぎ着けた者が言うことの説得力たるや、これほど信用していい言葉もない
思い出せば、決勝戦などはどこのチームだってみほの指示にノーと言うことはなかった
どころか、みほに負担が回らぬように自力で敵戦車に対処していたほどだ
彼女が信頼した者たちは信頼通りの実力を見せて勝利をもぎ取って来たし、信頼されていた彼女たちは自身を勝利まで導いたみほを信頼して作戦に従事した
これほど単純に見えて難しいものもなく、だからこそみほはそれを果穂に伝授したのだ
果穂「…………わかりました」
みほの微笑みが彼女にどういった印象を与えたか定かではないものの、果穂の応答にはどこか決意のようなものが見て取れた
その僅かな気配を感じ取ったのか、麻子も含めた五人の乗員は自身の持ち場に向き直る
果穂「当初の予定通り、ボコボコ作戦を開始します。五十鈴華さんは砲撃を極力避け、砲弾は節約してください」
華「わかりました」
果穂「武部沙織さんは機銃で敵の注意を引きつけて下さい」
沙織「任せて!」
果穂「冷泉麻子さんはひたすらに前進を。戦車の停止時間をなるべく作らないようにしてください」
麻子「ん」
果穂「秋山優花里さん、作戦終盤が勝負です。転進して退避後に再び転進して進撃しますので、その際に絶え間ない装填をお願いします」
優花里「了解であります!」
果穂「それでは皆さん、パンツァー・フォー」
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西住殿は本当士気管理上手だと思う
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人工知能にも優しい沙織 is GOD
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結果からいえば、Ⅳ号は最後まで勝ち残った
危うい場面はあったものの持ち前の対応力から危機を脱し、作戦通りに全車両を撃滅することに成功したのだ
撃破の内訳は数で言えば状況を察知してこちらの作戦を利用したウサギさんチームに軍配が上がったが、それでも最後まで残ったのはあんこうなので気にすることもない
果穂は時々みほに助言を求めながらも、ほとんど自力で作戦を達成まで導いたのだ
沙織「すごいよ果穂! 作戦通り上手くいったじゃん!」
華「素晴らしいです」
優花里「ポルシェティーガーとヘッツァーに挟まれた時はもう駄目かと思いましたが、まさか木を倒して盾にするなんて目から鱗でした!」
麻子「上出来じゃないか」
口々に果穂の功績が褒め称えられる中、目に見えないはずの果穂の視線がみほに向いているような気がして、麻子はついとそちらを見やった
麻子の視線を追った三人も、黙り込むみほと果穂を前に静まり返る
果穂「西住みほさんの言う通りでした」
その言葉に頷いたみほは、満足そうに果穂にこう問いかけた
みほ「果穂さん、戦車道楽しい?」
果穂「――はい。楽しいです」
誰が聞いても喜色の浮かんだ声色に、五人は先程よりも盛り上がって喜びを露わにする
今度は操縦手をやりたい、という彼女のわくわくした様子に調子を乗せた一同は、自動車部がいい加減に整備させろと言いに来るまで戦車を乗り回していたのだった
――自宅
麻子「く……もう腕が上がらないぞ……」
その日、帰宅した麻子は許容量を超えた筋肉の悲鳴に湿布を張って対応していた
果穂が楽しんでいるのが手に取るようにわかったものだから、彼女が満足するまでずっと戦車に乗っていたのだ。操縦桿を握り続けていればこうもなろう
果穂「すみません。皆さんを扇動するような形になってしまったようで……」
だが、果穂が本当に楽しそうに戦車を繰っていたのでそれでいいのだ
彼女の好奇心を筋肉痛程度で満たすことができるのならば、一時間や二時間の訓練延長など構うものかという感じだった
麻子自身、彼女には親族のような親しみを覚えだしていて、疲れ果てるまで身体を使ったのにも関わらず非常にさっぱりとした気分である
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麻子「別にいいだろ。みんな楽しそうだった……お前もな」
果穂「はい、とても」
自然と零れた笑みに思わず手で口を覆った麻子だったが、別段隠すこともないかと腕を畳みに投げ出した
もう立つ気力もない
しかし、報告会までに意識を飛ばすわけにはいかないので、残った気力を振り絞って入浴と食事を済ませる
すぐに寝れるようにパソコンの前に布団を敷き、時間が来る頃には重い腕でなんとか果穂とパソコンを接続してウィンドウを切り替えた
科学者『随分とお疲れのようだねぇ』
杏『今日はずっと戦車乗り回してたもんね〜。干し芋いる?』
麻子「いりません……それより、報告会を」
科学者『そうだね、さっさと終わらせてしまおうか』
恒例の報告会も三回目だ
話すべきことをスムーズに話し終えて科学者が何かのデータを纏めている最中に、杏が思いたったように呟いた
杏『そういや、今の果穂ちゃんて人間でいうとどの段階ってか、どのレベルなの?』
科学者『うーん、段階で言い表すのは難しいね。でも、確実に感情は芽生えてるよ』
杏『ほー』
科学者『性格に至ってはとてもいい形成のされ方だ。優しさを軸に正の方向へ広がっている』
麻子「正……」
そうだ、性格や感情には嬉しさや優しさといったものがあるが、反対に悲しみや怒りなどの負に属するものもある
感情が芽生えだしたということは、やがてそういった負の面もどこかに現れてくるはずなのだ
麻子「もし、もしも果穂が負の感情を知らないまま成長して、そういう感情を誰かにぶつけられたらどうなる……?」
科学者『さぁて、どうなるだろうね』
麻子の考え事は口からでていたらしく、はっとした頃には二人の耳に届いてしまっていた
杏『ま、冷泉ちゃんの考えてることはだいたいわかるよ。怖いよね、そうなったら』
杏『だからといって、そういう感情をどう教えるのがベストなのかわからないし、そもそも教えるべきかもわからない』
麻子「………………」
科学者『でも、これらの感情を知らないまま育った人間ってのはいないからね。彼女が人間的な成長をしているのなら、きっと壁にぶつかっても乗り越えられるはずだ』
杏『そして、それを助けてやれるのが友達とか家族……わかるよね、冷泉ちゃん』
麻子「…………なるほど」
-
もしかして杏はここまで考えた上で自分に果穂を託したのだろうかという疑問が鎌首をもたげるが、疲労のせいでろくに思考も回ら無いため記憶の片隅に留めておくだけにしておいた
とにもかくにも報告会は終了である
科学者『疲れてるのにありがとうね。経費から栄養剤買っておいたから、明日には届くと思うよ』
杏『果穂を見てる間の出席は大目に見るよう言ってあるから。ま、なるべくちゃんと登校してくれると嬉しいかなぁ』
麻子「はい、はい」
科学者『じゃあ二人とも、おやすみなさい』
杏『おやすみ〜』
麻子「おやすみなさいでした」
最後にちゃんとマウスを操作できたか定かではないが、言い終えた瞬間には麻子の意識の途絶えていた
翌朝、自分の頬にキーボードの跡がついているのを果穂に指摘された彼女は登校を拒否して不貞寝したという
しかし、残念ながら起こしに来た沙織に見つかって学校へ連行されたのだった
三日目、終了
果穂の現状報告書
・優しさを中心に感情・性格が形成されています
・戦車に興味があります
・戦車道を楽しんでおり、積極的な学習をしています
・西住みほに触発され、判断能力や冷静さを気にしています
現在の果穂の問題点
・同性愛に深い興味があるようです
・時間の感覚が人と違い、どれほど時間が経過してもあまり気にしていません
・悲しみや怒りといった感情を体験していません
以上
-
今日はここまでゾ
-
オツシャス!
-
ふと気が付けばどこか暗い場所に居る自分が在った
水面の如く揺れ動く暗闇が周りを包み、確かな足場に自分が立っているのか浮かんでいるのかも定かではない
雲が風に流されるのと同じようにその身を任せていた最中、聴覚が何かの音を捉えた
人の声なのか、機械の動く音だったのか、動物の鳴き声だったかもわからない
気が付けばそちらに向かって進んでいた私は、眩い光に覆われてしまっていた
――四日目
麻子「………………」
なんだこれは、というのが麻子の素直な感想だった
平日の早朝からやかましい呼び鈴で叩き起こされ、出て見れば配達員から巨大なダンボールを二つも渡されたのだからそう言いたくもなる
よくよく送り主を見てみれば例の科学者からのようだったが、もう少し配達時間に気を配れなかったのか
おまけに玄関先に置かれたダンボールはどちらも重たく、居間へ運ぶのにも一苦労だった
果穂「お疲れ様です。それはなんでしょうか?」
麻子「私が聞きたい……」
片方は昨晩話していた栄養剤なのだろう。なにもこんな大量に送り付けてくる事はないだろうに
だが片方はまったくの不明で、同じ送り主とはいえまさかこちらも栄養剤ではないだろうと思いつつも中身を検めてみる
麻子「…………? ああ、果穂の拡張パッケージか」
果穂「私のEXAですね」
ダンボールに入っていたのは、杏から渡された資料に載っていた果穂用のエクステンションデバイス――要するに、自力で移動したり物を掴んだりできるようにする為の機材だった
当初の予定では最初から果穂に装着されているはずのものだったが、どうやら出荷前に不具合が見つかったらしく今日の今日まで修正していたらしい
‶EXtension Assist〟というそのまんまな名称のそれを取り出した麻子は、登校前に果穂のドレスアップを始めるのだった
-
も始!
-
沙織「おはよー麻子、ってなにそれ」
麻子が登校して早々に出会った沙織は、彼女の足元について来る物体を見下ろして怪訝な顔をした
それもそのはず。何せ麻子の後ろをカルガモの子供のようについて来ているのは、幅三〇センチ、最頂部一七センチの一〇式戦車の模型だったのだから
正確には模型でもラジコンでもなく無人機である
果穂「おはようございます、武部沙織さん」
沙織「果穂? どこにいるの?」
麻子「目の前だ。この戦車の中」
沙織「ええ……? これ果穂なの?」
果穂「はい。私がよりよく活動する為の必要機器です」
そう言った果穂の搭載された一〇式のキューポラからは、ひとりでに開いたハッチから蛇のようなケーブルアームが飛び出した
やけに愛嬌のある動きで沙織にアームが伸びる
沙織「うわっ、なんかにょろにょろしてるんだけど!」
等と言いながら伸びて来たアームから飛び退いた沙織に、果穂は残念そうな様子でアームをひっこめた
果穂「この姿は大多数の方には受け入れてもらえないかもしれませんね」
麻子「どうしてそう思う?」
果穂「戦車の姿であるのはともかく、各種アームの動きが生物的過ぎて気味の悪い思いをさせてしまうからです」
沙織「ま、まぁ戦車はともかく今のはちょっとびっくりしたかな……ごめんね」
果穂「武部沙織さんが謝る必要性を感じません」
麻子「必要な時以外はアームを仕舞っておけばいいだろう。それなら外観は戦車なんだから」
沙織「そうだよ果穂! それに、さっきのは急に細長い物体が飛び出したから驚いただけっていうか、そんなんじゃないから!」
どうやら果穂は果穂なりに一〇式戦車型のEXAを気に入っていたようで、沙織と麻子のフォローにもしばらくは「気にしてませんから」とどこか拗ねた様子だった
-
みほ「あれ? 沙織さん、麻子さん」
麻子「西住さん……と、五十鈴さんと秋山さんも一緒か」
華「おはようございます」
沙織「おはよー」
優花里「あれっ? お二人の足元にあるのは一〇式戦車の模型ですか? どうしてこんなところに……」
そうこうしている内に、今度は残ったあんこうチームの面々が現れた
さすが戦車に目の無い優花里だけあって、足元の一〇式を見つけた彼女はその近くにしゃがみこむ
果穂「おはようございます」
優花里「うわあ!? 果穂殿!?」
華「今、その戦車から声がしたような……」
麻子「その通りだ。果穂はその中にいる」
みほ「何かの実験ですか?」
麻子「いや、果穂が自力で動いたりする為のものだ。ある意味実験でも間違いではない」
優花里「へぇ〜! 小さいサイズとはいえ、戦車と合体だなんて羨ましいですぅ!!」
沙織「戦車そのものになっちゃうのはさすがにどうかと思うけど……」
三人の注目が果穂から逸れた直後、先程のように突然キューポラから飛び出した蛇のようなうねったアームが再び三人の目を釘付けにする
みほ「!?」
華「まぁ……!」
優花里「な、なんですかこれ?」
果穂「ただのアームです。物を吸着して掴んだり、各種端子に接続する事が可能です」
果穂「……やはり、このアームは動きが有機的で気味が悪いでしょうか」
三人の反応 >>63
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好評
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生け花にしたい
-
みほ「わた――」
華「是非、生け花にしたいです!!」
果穂「えっ」
麻子「えっ」
みほの言葉を遮って出て来た華の発言に思わず呆けた反応をしてしまった果穂は、困惑の表れなのかアームをくねくねと漂わせていた
台詞を切られたみほでさえも、華の突拍子もない発言に意味を理解できていないようだ
果穂「申し訳ありません。私には理解できませんでした。本来、生け花とは切り落とした花々を差すものではなかったでしょうか?」
沙織「そうだよ華。果穂は華じゃないよ?」
優花里「武部殿、恐らくそういう意味では……」
華「す、すみません。わたくしとしたことが……なんだか自分で動きをつけてくれる花があったら、生け花も表現の境地に至れるのではないかと思ってしまって……」
華の言う通りに自立して茎や花弁を動かす花があればそれはただのホラーでしかない
生け花も表現の仕方ひとつで評論ががらりと変わるのだろうが、その発想は一般的でないことだけは確かだった
みほ「そ、それはともかく、別に気味が悪い事なんてないよ」
優花里「そうですよ! 最初に見て人は少し驚いてしまうかもしれませんが、慣れれば平気です!」
果穂「そうですか。安心しました」
と言った直後に左右のハッチからも別々のアームが飛び出して来てうねる様はさながらイソギンチャクのようであり、麻子たちはそれが嬉しいという感情表現だと気づくのにしばらくかかったのだった
――放課後
今日から普通科の通常カリキュラムに移行している訳だが、麻子は果穂の事については会長からやりたいようにという指示しか受けていない
すなわち、こうして毎日自由な時間が増える度に果穂の事も考えて行動しなければいけないということである
何処に行くか、誰と居るか、何を話すか……それらが今後の果穂の行く末を左右するのだ
とはいえ気負いすぎるのもよくないと杏は言っていた。考え過ぎず、自然なスタイルで動くのがいいだろう
果穂「放課後ですが、この後はどうなさるのですか?」
麻子「>>66」
-
いざ自動車部
-
そど子の前できゅうりを食う
-
麻子「そど子の前できゅうりを食べる」
果穂「そど子……園みどり子さんですね。しかし、なぜ彼女の前できゅうりを食すのでしょう」
麻子「昨日の訓練、そど子のやつは私が嫌がるのをわかって執拗に履帯を切りにきてたからな。意趣返しだ」
くくく、とあくどい笑みを浮かべた麻子は、農業科に寄って余ったきゅうりを貰い受けてから風紀委員の活動場所へ繰り出したのだった
――数十分後
そど子「今日の活動もそろそろおしまいね」
大洗女子学園の風紀委員は基本的に真面目な人材が揃っている
規則を徹底させることで厳しいと有名な園みどり子はその風紀委員の筆頭のような存在であり、本日も放課後まで残って活動に勤しんでいた
そうしてようやく職務を切り上げようとしたところで事件は起こる
キュラキュラキュラ、とどこか聞きなれた音が反響して廊下に響き渡り、音の主であろうラジコン戦車が角から姿を現したのだ
どう対処するべきか迷う異物が現れたことに一瞬固まるが、この戦車を捕まえれば動かしている者も出てくるだろうと捕縛に移る
そど子「誰よ! 学校にラジコンなんて持ち込んだのは!」
果穂「ラジコンではありません」
そど子「!? そ、その声は果穂さん……だったかしら」
果穂「そうです、果穂です。できれば下に降ろしていただけないでしょうか」
そど子「ああ、ごめんなさい……って! 駄目じゃない果穂さん! 学校にそんな姿で来るなんて!」
麻子「許してやれ。それは果穂に必要な姿だ」
変わり果てた果穂の姿に説教をし始めそうになるそど子
しかし、間髪入れずに現れた宿敵の姿に矛先は瞬時にそちらへ向いた
そど子「どういう意味よ!」
麻子「そのままの意味だ。果穂の主旨に沿うにはこっちの方がいいからな。文句なら会長に言ってくれ」
-
うぐぐ、と悔しそうな様子のそど子を尻目に、麻子は用意しておいたきゅうりを取り出すとおもむろに食べ始めた
そど子「なっ、何してるのよ……」
麻子「いや別に。腹が減ったから食べてるだけだ。誰かさんと同じように」
そど子「ちょっと、誰かって誰よ! 誰かって!」
麻子「さぁな」
がなるそど子にもどこ吹く風できゅうりを貪る
飛んでくる文句を受け流して鮮度抜群のきゅうりを食べに食べていると、足元で待機していた果穂がこんな事を言いだした
果穂「あの、失礼ですがお二人は仲が悪いのでしょうか」
えらくストレートな質問ではあるものの、そう聞かれても仕方がない事を客観的にはしているように見えるだろう
両者の関係を知る者ならば、「またやってるよ」と苦笑程度で済む。けれど、果穂だとそうはいかないだろう
まだまだ発展途上の彼女だ。このやり取りだけを見れば仲が悪いと解釈されてもおかしくはない
麻子「私はそど子が嫌いな訳じゃない。口煩いところは嫌いだがな」
そど子「それはあなたがいつも遅刻してくるからじゃない! っていうか、そど子じゃなくて園みどり子!」
果穂「…………園みどり子さんは、どう思われているのですか?」
そど子「そ、それは……>>70」
-
私がいないとダメ
-
やぶさかではない
-
そど子「そ、それは……別に嫌いではないというか、やぶさかではないというか……」
麻子「ほー」
そど子「なによ! ニヤニヤしないでよね!」
またもや騒がしくなるそど子に受け流す麻子という構図が出来上がるも、果穂は黙り込んだままだった
その様子に一旦そど子を落ち着かせた麻子は、膝をついて果穂に語りかける
麻子「よくわからなかったか?」
果穂「なんとなく理解はできました。ただ単に仲が悪いのでいがみ合っている訳ではないと」
麻子「そうだな」
果穂「しかし、仲が悪くないにしても相応のコミュニケーションというものがあるのでは?」
麻子「ふむ……相応のコミュニケーション、か」
それを聞いた麻子と同じようなことを考えたらしいそど子と目が合う
麻子「果穂、人にはそれぞれ備わっている人格があるのはわかるな?」
果穂「はい」
麻子「うん、その人格が性格を形成して個性が出てくるんだが……」
そど子「まだるっこしいわね。簡単に言えばいいじゃない」
そど子「人は相手によってコミュニケーションの取り方が変わるわ。確かに仲の良さにも左右されるかもしれないけど、そういうのとは別よ。それだけの話じゃない」
果穂「何故ですか?」
そど子「なんでって……えーっと」
麻子「人はその相手がどういうコミュニケーションを取れば喜ぶか、自分がどういうコミュニケーションを取りたいかを考えて接しているからだ」
麻子「さっきも言ったが、人には個性がある。性格は多種多様で趣味趣向だって千差万別だ」
麻子「だから、誰かと誰かが会話によるコミュニケーションを取る時にはテンプレートというものがないのが当たり前なんだ」
麻子「果穂、お前はさっきそれ相応のコミュニケーションがあると言ったが、じゃあ仲が悪くないが良くもない者同士が取るコミュニケーションとはなんだ?」
果穂「それは…………」
麻子に反論できるだけの言葉が見つからず、果穂はそれっきり押し黙ってしまう
見兼ねたそど子は少しバツの悪そうな顔をして唇を尖らせた
そど子「少なくと私たちはお互いを嫌ってる訳じゃないわよ。ただ……憎まれ口を叩くくらいの関係がちょうどいいってだけ」
果穂「……そういう関係もあるのですね」
そど子「わかったらもう帰りなさい! 下校時間はとっくに過ぎてるわよ!」
麻子「はいはい」
そど子「はいは一回!」
-
――自宅
あれから特に何かがある訳でもなく自宅に戻った二人は、これまで通り適当に過ごして報告会の時間を待っていた
テレビを見えやすいようテーブルの上に置いていた果穂が、番組がコマーシャルを挟んでいる間に麻子に話題を振る
果穂「今日は新しい発見がありました」
麻子「そど子のことか?」
果穂「はい。私は人同士が笑顔で話し合う事が良いコミュニケーションだと思い込んでいました」
麻子「まぁ、あんこうは基本的にみんな笑顔だからな。秋山さんなんか誰かと話すときはいつも嬉しそうにしてるだろう」
果穂「そうですね」
麻子「私は説明下手だから上手く伝わったかはわからないが、果穂が納得してくれたのならよかった」
果穂「私も冷泉麻子さんとは園みどり子さんのような関係になりたいです」
麻子「嬉しいが普通に仲良くしてくれ。お前まで口煩くなられると敵わんぞ……というかな」
果穂「はい?」
麻子「人と親しくなるならまず呼び方をなんとかしろ。フルネーム呼びはなんだか変だ」
果穂「そうなんですか? では、冷泉さん」
麻子「ん、それでいい。他の、西住さんとか沙織にもそう呼んでやってくれ」
果穂「わかりました」
これでまた随分と人間らしくなってきた
話し方にも抑揚がつくようになってきたし、声の調子も喜怒哀楽を表現するにはまだ足りないものの、段々とわかりやすくはなってきている
表情が無い分言葉で探らなくてはならない為、そこに関して人一倍気を遣っておかなくてはならないだろう
そして、今日も報告の時間が訪れた
パソコンに接続した果穂はスリープモードに移行し、時間ピッタリに二人が画面に映る
科学者『こんばんは、冷泉さん。果穂の服と栄養剤はしっかり届いたようだね』
麻子「ええまぁ。重かった……」
科学者『ははは、申し訳ない!』
杏『なんか戦車が学校を走ってるって放送部の子が話してたけど、あれやっぱり冷泉ちゃんだったんだ?』
麻子「正確には果穂です」
杏『なんにせよ先生とか風紀委員にはちゃんと伝えたから気にしないでいいよ〜』
科学者『それじゃ、今日の報告会いってみようか!』
-
果穂から直接データを引き出しつつ、科学者は麻子の報告に耳を傾ける
時折、杏も頷きながら聞き入っているが、二人とも麻子が報告を終えるまで口を挟むことはなかった
科学者『個人間のコミュニケーションって教えるの難しいよね』
杏『ね。同じくらい仲良くても、例えば私が河嶋と西住ちゃんと取るコミュニケーションは全く同じってわけでもないし』
科学者『そこをそう教えればいいかは難題だと思ってたんだけど、冷泉さんと園さんのお陰かな』
麻子「……どうでしょう」
杏『そもそも今日までで冷泉ちゃんたちが果穂ちゃんによくしてくれてるからね。本人にも自分で考える力がある訳だし、そう深刻に捉えるほどでもなかったんじゃない?』
科学者『娘を思う親のようなものさ』
麻子「まぁ、ここまで良い調子なのに急に崩れるのもよくないとは思う」
科学者『だろう? ……さて、今日の報告会はここまでにしておこうかな』
杏『順調順調。明日もこの調子でよろしくね!』
麻子「はい。おやすみなさい」
科学者『おやすみ〜』
無事に報告会を終えた麻子はケーブルの接続を切り離す
パソコンの電源を落として寝る準備を進めていた麻子だったが、ふと接続を解除したにも関わらず黙りっぱなしの果穂に気が付いて声をかけた
麻子「果穂?」
果穂「はい」
麻子「いや、どうかしたのか?」
果穂「いえ、特にどうという訳では。ただ、よければ寝る前に少しお話をしたいのです」
麻子「そんなことか。いいぞ」
果穂「ありがとうございます」
自分から話したいとアプローチをしてきた果穂をどこか嬉しく思いながら布団に潜り込む
そうして部屋の電灯を落とすと、その晩は彼女の話が途絶えるまで会話を楽しんだのだった
四日目、終了
果穂の現状報告書
・優しさを中心に感情・性格が形成されています
・戦車に興味があります
・戦車道を楽しんでおり、積極的な学習をしています
・西住みほに触発され、判断能力や冷静さを気にしています
・人と様々な形でのコミュニケーション、会話を望んでおり、他者と関わる事に積極的です
現在の果穂の問題点
・同性愛に深い興味があるようです
・どれほど時間が経過してもあまり気にしていませんが、人の活動時間は理解しています
・悲しみや怒りといった感情を体験していません
以上
-
今日はここまでゾ
-
乙シャス
まるでれまこに家族が出来たみたいだぁ…(直喩)
-
――五日目
果穂「おはようございます、冷泉さん」
麻子「ああ、おはよう」
平日の最終日である金曜が訪れた
明日と明後日は休日であり、麻子は好きなだけ惰眠を貪ることができる……とはいかない
戦車道を履修してからというもの、基本的に朝は日が昇る頃には起床せねばならなかったからだ
どちらにせよ、果穂の事もあるのでのびのびと寝ていては本人に申し訳が立たない
眠気が瞼にダイレクトアタックしてくるのを感じながらも爽快な気分で目覚めた麻子は、起き抜けで力の入らない足を踏ん張って立ち上がった
…………
小鳥のさえずりに背中を押されながらの登校もなかなか悪くないものだった
これまで朝日は麻子の眠りを妨げる憎き存在だったが、健やかな陽射しはそんなつまらない考えを一掃するほどには気分が良い
それにしても果穂を伴って歩いているとやはり目につくのか、登校中には他の生徒から遠巻きに観察されているのがよくわかった
仕方がないとはいえ、その視線を果穂が悪い方向へ感じてしまうことだけは無いように祈る
人間と同じように思考や応答ができても、まだ人工知能という物が身近でない以上は果穂のようなAIを忌避する者も少なからずいるはずだ
と、麻子がそんな事に考えを巡らせている最中、背後から声がかかった
>>78「おはようございます!」
-
桃
-
澤ちゃん
-
梓「おはようございます、先輩!」
振り返ればそこに居たのはM中戦車を駆るウサギさんチームの車長である澤梓だった
朝早くから珍しい人物と遭遇するものだ、と挨拶を返す
麻子「ん、おはよう」
果穂「おはようございます、澤さん」
すると、ぎょっとした様子で麻子の足元にある一〇式を見つめ、すぐに納得のいった様子で手を打つ
梓「会長さんが言ってた果穂さんの進化ってこれのことだったんですね」
麻子「進化?」
梓「はい。なんでも、果穂ちゃんはレベルアップしたから姿が変わったと……」
また適当な説明をしたものだ
自分の事を言われてるからなのか、車体を梓の前まで進めた果穂は恒例のアーム伸ばしを行う
梓「きゃっ! な、なんですかこれ?」
果穂「私の腕のようなものです。どうでしょう?」
梓「んー、なんか段差を走行してる時に飛び跳ねてるあやのツインテールみたい、かな」
その言葉を受けてアームが首を傾げたように右に曲がる
他にもっといい例えがあったのではと思わなくもないが、彼女なりに捻った感想だったのだろう
果穂「よくわかりませんが、大野さんの髪と私のアームはそっくりなのですね。ところで、質問をさせて頂きたいのですが」
梓「え、なに?」
果穂「澤さんは戦車に興味があって戦車道を始めたのですか?」
人と仲良くなる為には会話によるコミュニケーションが不可欠である
どうやら果穂は自分が一番興味のある戦車から話題を広げていこうという算段らしい
彼女の質問に苦笑を浮かべた梓は、首を振ると恥ずかしそうに頬を掻いた
梓「わたしは戦車が好きとかじゃなくて、戦車道そのものに惹かれたというか……講堂で見せられたPVにやられちゃって」
果穂「では、戦車も戦車道もあまり好んでやっている訳ではないのですか?」
梓「ううん! 今は楽しんでやってるよ! わたしも西住先輩みたいになりたいなぁ……」
果穂「西住さんに憧れていらっしゃるんですね」
梓「えへへ……あ、わたしも一つ聞いていいかな?」
果穂「なんでしょう?」
梓「>>81」
-
昨日の作戦は本当に果穂さんが考えたの?
-
好きな戦車ってある?
-
なんだこのSF?!(歓喜)
-
梓「好きな戦車ってある?」
果穂「Ⅳ号ですね」
梓の質問に即答で返すとは思わなかったが、好きな戦車がⅣ号であるという所に麻子はつい顔が緩んでしまう
もしかすると、初日からⅣ号に乗っていたので単にそれだけが理由なのかもしれない、と理由を尋ねた
麻子「Ⅳ号とはな。どうしてだ?」
果穂「私が初めて触れた戦車ですから思い出深いのです。といっても、まだ少ししか乗車経験がありませんが」
梓「じゃあ私たちのM3に乗ればそっちの方が好きになるのかな?」
果穂「どうでしょうか。冷泉さんが乗っているⅣ号が好きなので」
梓「ほほー……先輩、やりますねぇ」
麻子「何を言ってるんだお前は」
後輩のにやけ顔に照れくさくなった麻子は彼女を軽く小突くと二人を置いて先に歩き出した
果穂と顔を見合わせた梓は、その様子に別の意味で微笑みを浮かべる
果穂「どうしたのですか?」
梓「んふふ、なんでもないよっ」
意味深な笑みを残した彼女は、その後の果穂のしつこい追撃にもどこ吹く風で結局疑問に答える事はなかった
唯一、梓の言葉の意味を察していた麻子はどこか羞恥心を感じながらも嬉しい心持でいたのだった
登校後はそれぞれ教室に別れて通常通り授業を受け、昼休みの時間が来ると二人は戦車格納庫へ繰り出す
麻子は食堂の人混みは苦手で、なおかつ自分で昼食用の弁当を用意することもない
従って、登校途中のコンビニエンスストアで弁当を買うか、学校の購買で適当な食料を買いこんでの昼食となる
どういう訳かその日は購買の品目がほとんど売り切れとなっており、なんとか塩おにぎりを入手したものの、昼食はたったそれだけだった
麻子「……侘しい昼飯だ」
果穂「早起きしてお弁当を作るべきでは?」
麻子「早起きなんて普通の人間がするものじゃない。人が六時や七時に起きれるわけないだろ」
お決まりの文句を返した麻子はⅣ号の車体の上で砲塔に寄りかかりながらおにぎりを頬張る
食欲を満たせない極寒のような厳しい塩味には涙を禁じえない
-
優花里「おや? 冷泉殿ではありませんか!」
もそもそのろのろと握り飯を咀嚼していた麻子に声をかける者があった。装填手、秋山優花里である
彼女は昼休みの恒例としていつも戦車内で食事を採っているのだが、今日は弁当を忘れてしまった為に食堂で昼食を採ってここには来ていなかった
とはいえルーティンを崩してしまうと身体が落ち着かず、昼休みの残り時間を格納庫で過ごそうと考えてこの場に訪れたのだ
麻子「秋山さんか」
果穂「こんにちは、秋山さん」
優花里「こんにちはであります! 昼食をとっておられたのですね」
麻子「まぁな。塩おにぎり一個だが……」
優花里「随分と質素ですね。倹約しておられるのですか?」
果穂「単に準備不足です」
麻子「おい」
さらっと放たれた果穂の一言に優花里が得心のいった顔で手を叩いた
こういう冗談を言うようになったのは大変良い事なのだが、その差し込み方が華にそっくりなもので毒が見え隠れしている
麻子自身があんこうの四人と一緒に居る事が多いので、自然と一緒にいる果穂も身近な彼女らに影響を強く受けているのだろう
その内、沙織の男絡みの発言にキツイ突っ込みを入れないか心配になる
優花里「ははは……そういうことでしたら、わたしが常備してるレーションがありますよ!」
麻子「スパムはもう飽きた。MREは二度とごめんだ」
優花里「うーん、あれはあれで美味しいんですけど……でも安心してください。今持ってるのはフランス陸軍のレーションですから」
そういってⅣ号へ乗り込んだ彼女は、自前のバックパックからいくつかの真空パックを取り出して麻子の前へ並べた
開封されたそれらは出来立ての温かさはなくとも、良い匂いを振りまいて満たされずにいた食欲を再び呼び起こす
果穂「秋山さんはこういったミリタリー趣味がとても手広いですね」
優花里「戦車や関連する歴史を調べるとどうしてもそうなるんですよ。気づけば泥沼に嵌っていたようなものです」
果穂「戦車だけに?」
優花里「んふっ」
なるほど毒のある冗談だけしか言えない訳ではないようだが、センスは磨いた方が良さそうだった
思わず噴き出した優花里とは対照的に、麻子は何を言ってるんだコイツは、といった感じに呆れた様子でレーションを貪っていた
-
そんなこんなで昼休みは時間いっぱいまで三人で過ごし、時間ギリギリまで戦車の話を止めようとしなかった果穂を無理やり引き摺って教室まで戻った
どうやら果穂には人並の時間感覚は備わっているものの、時間に対しての線引きが普通のそれとは違うようである
いわゆる没頭というか、自分の傾倒する趣味にはいくらでも時間と手間を惜しまないオタク気質、もしくは職人気質というのだろうか
特に人工知能、機械の身体である彼女には疲労の概念が無いので行動を無制限に続けてしまう
肉体的疲労や精神的不調を分からない彼女にそういった節制を教えるのは困難であるが、近いうちになんらかの手段を講じておくべきだと記憶をメモしておく
具体的に弊害があるからというわけではない。ただ、彼女により人を理解してもらう為に教えるべきだと、麻子はそう思っていた
果穂「本日の放課後はどのように過ごされるのですか?」
麻子「そうだな……格納庫に寄ってから帰るか」
基本的に、必修授業のない曜日は自動車部が次の訓練までに戦車を整備してくれている
連日の訓練できちんと整備しきれなかった戦車も、このクールタイムを利用してじっくりと整備されているはずだった
自動車部の面々に用意があるわけではないが、なんとなく顔を出してみようと思ったのだ
放課後特有の様々な音が入り混じる中を通って格納庫へ到着した二人は、焦げ付いた匂いを漂わせる門扉から顔を覗かせた
ツチヤ「お、冷泉さんと果穂ちゃん?」
果穂「こんにちは」
真っ先にこちらを見つけたのは八九式の履帯をチェックしていたツチヤだった
Ⅲ突のハッチからコードの束を投げ込んでいたナカジマが走り寄ってくる
ナカジマ「ちょうど良かった! 二人とも今大丈夫?」
麻子「何かあったのか?」
ナカジマ「それが、Ⅳ号と同じように他の戦車にも果穂ちゃんが載れるよう機材を導入してくれってお達しがあってね。しっかり接続できるかテストしたかったんだよ」
会長か科学者か。どうやら果穂が他の車両にも搭載できるよう改修してくれとの命令があったようだ
いくつかは現在進行形で改修中のようで、ヘッツァーなどは車体の上半分を取り外す程大がかりな整備をしている
果穂「それは重要な案件ですね。是非ともご協力したいのですが、よろしいですか?」
麻子「ああ。お前の事だ、お前が決めていい」
果穂「では、接続テストに協力致します」
ナカジマ「ありがとう。早速なんだけど、ポルシェティーガーからお願いできる?」
-
自前の一〇式をポルシェティーガーまで走らせた果穂を車体から取り外した麻子は、ポルシェ車内にいるホシノに果穂本体を受け渡す
果穂の本体には様々な端子に対応できるよう設けられたマルチコネクターがあり、そこを接続状態を確認する為のパソコンのUSBケーブルとつなぎ合わせた
下部にあたる部分には戦車に搭載された機材専用の接続部があるので、そこは設置された台座にセットされる
果穂「私が接続する事で自己診断が可能です。外部機材での観測は不要と思われます」
ホシノ「いやいや、一応データ取っとかないとね。用心に越したことはないでしょ?」
果穂「用心と言いますと?」
ホシノ「世の中に絶対はない。あらゆる可能性を考慮して保険をかけておいても、トラブルは起こり得るんだからね」
自動車部らしいというかホシノらしいというか
長年マシンを扱ってきているだけあって、整備に掛ける信念や考え方は極めて安全を第一に据えたスタンスだった
彼女らの趣味趣向は二の次で、マシンを扱う側への保障は決して怠らない。整備士の鑑である
共に乗り込んでいた麻子は口に出さずとも、改めて自動車部へ敬意を表した
ホシノ「砲塔回してみてくれるかな」
果穂「わかりました」
滞りなく接続テストと並行して動作テストが行われている中、ふらっと現れたスズキが外から顔を覗かせる
スズキ「ねぇ冷泉さん、果穂ちゃんって車の操縦もできるの?」
麻子「戦車の操縦もまだ見たことないからなんとも言えないが、出来ない事はないと思う」
果穂「運転は可能ですよ」
と、話を聞いていたらしい件の本人がスズキの疑問に解答する
ポルシェティーガーへの接続テストと可動確認は終えたようで、ホシノが彼女を抱えていた
スズキ「そうなんだ。うーん……」
ホシノ「どうしたの?」
スズキ「いや、例えばF1も果穂ちゃんみたいなAIが出場すれば事故で怪我人が出たりしないのにねって思って」
麻子「機械が操縦するんじゃスポーツとして成り立たないな」
果穂「そうでしょうか? いかに運転技術に優れたAIであるかを競うものとして……」
麻子「競技にはなるだろう。でも、スポーツにはならない」
F1にしろ野球にしろ麻雀にしろ、全ては人と人とが鎬を削って優劣を競うものだ
老いやコンディションに左右されずナノ単位での精密な動作と瞬時の判断を行い、更には容量の許す限りデータを蓄積し続けられて無数の手を並列して演算処理できる人工知能が介入してしまっては、元来のスポーツとしての意味が成り立たなくなる
-
近年では将棋や囲碁といったテーブル競技で人と人工知能の戦いが度々行われているが、最初期の頃と比べて人が勝つことが難しくなってきている
これら運の要素が排除される二人零和有限確定完全情報ゲームに関しては、そのうち人類は人工知能に勝つことができなくなるだろう
ではどうすれば良いのかといえば、ゲームのルールそのものを少しだけ変えてやればよいとどこかの棋士は言っていた。それでも結局は鼬ごっこである
ともかく、人工知能があらゆるスポーツへ選手として参入してしまうと競技の意義が失われてしまうのだ
麻子「まぁ、お前の言う通り人工知能同士がどちらが優れているかを競う分には、別の楽しみとして受けいれられるだろう。世界ロボット選手権みたいなもんだ」
スズキ「でも、人と争うとその内絶対的な差が出来て敵わなくなるからダメってわけかぁ……」
果穂「もしそれが自我を持たない、単なる知能を集積したものならばそうかもしれません。ですが、私はどうですか?」
ホシノ「うん?」
果穂「私は確かに人工知能ですが、次世代AIとしては初の段階成長型の頭脳モデルコンピューターです」
果穂「他の人工知能と違って、自己を構築する演算プログラムのリソースを用いて人間に不可能だったり時間のかかる計算を瞬時にこなしたりはできません」
果穂「あくまで人間と同等の能力を有した人工知能なのです。勿論、私自身の機能として生体スキャンや独立通信回線を所有してはいますが……」
麻子「それはそうだが、お前が人間と同等という絶対的な証拠が無いだろう」
彼女の言い分は、自分は一般的な人間を準拠とした存在(能力)であるので、競技を目的として製作された単一的なAIとは違って人間らしい動きが可能ということだった
確かに蓄積された情報と機械特有の精密さを駆使する他のAIに比べれば、果穂はより人に近いAIである為、そういったスポーツでも人間の競技者と遜色のない結果を出すかもしれない
だが、その果穂の言う『人間と同等の能力』が果たして本当に同等であるのかは証明ができないのだ
いっしょくたにしてしまうのは彼女に対して失礼極まりない事だが、やはりこうなると純粋に人工知能が人に混ざってスポーツ競技に参戦するというのは違うように思えた
それに、彼女が同等と言うのはあくまで頭脳を活用する肉体を用いない競技でのことであって、野球やゴルフ等といった肉体を使用する競技になれば別の問題が発生してしまう
言うまでもないが、人工知能が用いる義肢と人間の肉体にどう差をつけるのか、である
人間の肉体ですら身長から筋肉の付き方に至るまでバラバラであるというのに、人工知能用の義肢など規定を定めようがないのだ
ナカジマ「ちょっとちょっと、本題ずれてるんじゃない?」
いつの間にやら話の輪に加わっていたナカジマが苦笑を浮かべながら麻子の肩を叩く
言われてみれば、当初の素朴な疑問から随分と逸脱してしまっていた
麻子は決して自動車部の話題に乗っかって人工知能である果穂の領分を否定しようとしたわけではないものの、自分の発言を顧みて唇を噛む
少なくと資料をよく読み込んでいる麻子は果穂が単なるAIではないとわかっていたはずなのに、彼女の意見を同じ人工知能だからと一蹴してしまったも同然だった
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スズキ「なんかごめんね。好奇心でつまらないこと訊いちゃったから……」
麻子「謝らないでくれ。何かが悪いという訳でもない」
スズキ「でも、あれから果穂ちゃん一言も話さないじゃない?」
麻子「元からまだあまり自分から話す方じゃないんだ。自動車部の面子にも慣れてないだけだろう」
今の果穂の状態からすれば自分から一言も喋らないという事がありえないと分かり切っている
白々しくも嘘八百を並びたてた麻子は、自分が彼女の機嫌を損ねたばかりに自動車部との交流の機会を無駄にしたことを悔いていた
溶接や板金を叩く音のみが響く格納庫の空気にどことなく居づらさを感じ、テスト中の果穂を置いて先に外へ出る
日はすっかり傾いていた。水平線に向かう太陽が、夕焼けだけを残して去ってゆく
完全に陽が沈み、一番星が瞬きだしたころに格納庫横の通用口が開いた
夕焼けの輝きから続いてぼんやりとした仄かな明るみを見上げていた麻子は、出て来た一〇式がこちらを目視して一旦停止したのを確認し、そのまま帰路につく
ナカジマ「冷泉ちゃーん、果穂ちゃーん、ありがとねー!!」
校門付近で背後から掛けられた声に手だけを挙げて応え、二人は緩やかな風が通り抜けていく夜道をそのまま進んで行った
時折、脇を通る乗用車の排気音と、遠くでさざめく波の音だけが二人の間に存在する音だった
あとここを曲がれば家に着く、という所で異変が起きる
――麻子が曲がるべき道を真っ直ぐに進んでいたのだ
一度は左折しかけた果穂も無言のまま彼女へついてゆく
もう空には闇が帳を下ろしており、街灯と光を振りまく星々だけが道標になる酉の刻
ただただ歩いたその先に、ようやく終着点は見えた
果穂「展望台……」
麻子が歩みを止めたのは学園艦の艦橋を利用した展望台の入口
ここまで歩いてきた時よりもペースを落とした足取りで中へ進む麻子が、ここに来て唐突に口を開いた
-
麻子「私は高い所が苦手だ」
あまりにも突然の告白に果穂はどう返答すればよいか分からず、押し黙ったまま彼女の斜め後方をぴったり付き従う
角度の関係上、果穂から麻子の表情は窺い知れない。どこに視点を漂わせているのかすら定かではなかった
麻子「昔、お母さんから人は寿命が来ると空の上に行くと教えられたんだ。お父さんも人は最後に高い所へ行くと言っていた」
人はあの世を高い場所にあるものだと無意識に考える。だからこそ昇天などという言葉があるのだ
風で乱れる髪を気にした様子も無く、麻子は空を見上げた
麻子「……二人とも、私とおばあを置いて高い場所に行ってしまったんだ」
果穂は知らなかった。彼女の両親が既に他界し、傍に残った肉親は祖母ただ一人であるということを
もたらされた衝撃の事実に対して反応をする暇もないまま、麻子は淡々と語る
麻子「だから私は高い場所に居ると空の向こうへ連れて行かれるような気がして、怖い。怖くて、堪らなくなる」
そう言いながらも彼女は歩みを止めなかった
震える両足で小さい間隔ながらも確実に進んでいた
麻子「それに、高い場所は心も身体も不安定にする。一度揺らして落ちてしまえばそれまでだ」
ついに展望台端の落下防止柵が繋がれている所まで到達した麻子は、ここでようやく果穂を振り向く
その瞳は酷く怯えていて、同時に安堵を感じているような、清濁併せ持った不可思議な意思を持っていたのが印象深かった
果穂は人工知能ながらも彼女の瞳に感じ入るものがあり、またもや何も言えぬまま麻子の語らいを続けさせる事となる
麻子「高い場所は怖くて仕方ない……だがな、安心できる場所でもあるんだ」
その発言は明らかに矛盾しているものだった
恐怖を感じる場所で同時に安心を得るなど、感情を生み出す器官が二つあるとしか思えない
麻子「おかしいと思うか? 私もそう思う」
麻子「でも、恐怖を感じているというのは生きている証拠なんだ。私が高い場所で恐怖を得る限り、私の心は、身体は――生きている」
自身の畏怖とする対象に接触することで自分が恐怖を覚えていることを再認識し、そこで自身が五体満足であることを思い知る
それがこれまで麻子が培ってきた自己意識だった
-
麻子「物のついでに話しておくか」
果穂が何も言わぬことを良い事に、麻子は自身の内面を全て彼女へ投げつける
麻子「私が朝起きれないのは低血圧だからという理由だけじゃない。私自身が起きたくないからだ」
生まれもって血圧が平均を下回っていることは人間である以上どうしようもないことであり、改善を望むならばしかるべき治療を施さなくてはならない
中には現代の医療技術では改善の追いつかない者も居るが、麻子はそうではなかった
起きたくないから低血圧を利用している、というのが正しい
麻子「人は寝れば夢を見る。夢は自由だ。現実に囚われない、なんでもありの空間だ」
夢を見るという行為は、脳が得た情報を整理する為に行われる生理現象だという説も少なくない
心理学や神経学では別の解釈もされるが、ともかく夢とは一種の防衛本能であると麻子は考えていた
麻子「二人が居なくなってしばらくしてから夢を見た。もうかなり前の事だが、それだけはしっかり記憶してる」
麻子「夢の中で、私はお母さんとお父さんと遊んでいた。中身は他愛のない遊びだったが、それがとても楽しかった」
麻子「例え現実で二人が居なくても、夢の中でなら会う事ができる」
だから私は起きたくない、醒めたくないのだと麻子は言い放った
しかし、それが如何に現実から逃避した行為であるのかという事もわかっていると言ったのだ
麻子「なんの巡り合わせなのか、こんな私にも友人がいるんだ。沙織、五十鈴さん、西住さん、秋山さん、他の戦車道履修生……それと、お前だ」
人生の道程で鉢合わせた個性溢れる友人らの中には、人とは違った生まれの果穂でさえ組み込まれていた
たった数日の交流で、既に彼女は麻子の心の深い部分に知らず知らずのうち入り込んでしまっていたのだ
麻子「私はな、誰かが離れていく事にも恐怖を感じているんだ」
麻子「生きていようが死んでいようが関係ない。自分の傍から誰かが居なくなるのが嫌なんだ」
皆が学生の身分であるからには、進級、卒業といった過程が必ず存在する
その当たり前がもたらす別離でさえ、死が袂を分かつのと同様に恐ろしく、嫌悪すべきものと化していたのだ
成長著しいとはいえ、まだまだ生まれたてで人の内側に全く触れたことのない果穂がこれらを即座に理解できないことは想定済みだった
この機会に自身の身の丈をぶつけた麻子は、果穂が何かを言う前にすかさず本題を差し込む
-
麻子「お前は何をされるのが嫌なんだ、どう思われるのが嫌なんだ、周りがどうなることが嫌なんだ?」
果穂「それ、は……」
麻子「今日、お前は私がお前と他の人工知能と一括りにして話をしたことで強く反論してきた。なぜだ?」
果穂「………………」
麻子「それはお前が、果穂が人間と同じ知性を持っているからだ。仕組まれたプログラムで動く人形ではない、自分で考えて自分で動ける知性があるから、お前は私に反発した」
そうだ。自身と共に過ごす麻子ならば、自分が人間のように肉体の無い回路の塊であっても人と同じように考え、行動する事ができる『ヒト』であると理解してくれていると思っていたのだ
だが、麻子は予想を裏切る形で果穂と他の人工知能を一括して、『お前が人間と同等かはわからない』と告げた
それを告げられた時、果穂は無いはずの身体のどこかが痛むのを確かに感じたのだ
出所不明のファントムペインは果穂の口を今の今まで閉ざす結果となった
麻子「すまなかった」
果穂「え……」
麻子「お前は確かに人間と違って肉体はない。でも、立派に人間の心を持った人だよ。ただのAIじゃない、私たちと同じ感情を持つ人だ」
果穂「こころ……心?」
麻子「ああ。感情に繋がった心がなかったら、怒って喧嘩するなんて真似はできないからな」
果穂「喧嘩、していたというのですか。私たちが」
麻子「私はそう思った。だって果穂は私がお前にとって嫌な事を言ったから機嫌が悪かったんだろう?」
果穂「そんな……いや、それは……でも……」
麻子「きっと私がこんな突飛な話を始めなければ、お前は私が謝るまでしばらく口を利いてくれなかったと思うぞ?」
果穂「だから、謝ったんですか」
麻子「そうだ。喧嘩をして、悪いと思ったのなら謝る。当然の事だ」
果穂「……その後は?」
麻子「お前が許してくれるなら――仲直りして、元通りだ」
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果穂はこの時、自分の中に心という物が存在することを自覚した
形は無く、そこに在る事を証明できずとも、確かに自身の内側に心を見つけたのだ
それを芽生えさせた、あるいは気づかせてくれたのは眼前で手を差し伸べる冷泉麻子だ
高所恐怖症で低血圧で成績優秀で背が低くて操縦手で女子高生で人間である彼女が、自身を本物の『人』にした
――情報が爆発した、というべきなのか
それらの事象を果穂自身が一挙に思い至った瞬間、どこからともなく湧き出た膨大な感情は電子の海から溢れだして彼女の機能を狂わせた
涙腺を持たぬ機械が泣くなど前代未聞である
それでも、処理が追い付かず溢れた情報の奔流を涙代わりに果穂は泣いた
何も悪くないのに泣きながら麻子の手を取った
小柄な彼女の細い腕にさえ劣る合成繊維と合金で出来た細長いアームは、間違いなく固い固い握手を交わしたのだ
それからの事を果穂はよく覚えていなかった
しかし、莫大な情報を処理する為に強制的にスリープモードへ移行する間際、視界に収まった麻子が優し気な微笑みで自分を抱えていることだけは記憶に残っていたのだった
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五日目、終了
果穂の現状報告書
・心が自身に宿っていることを自覚しています
・性格は優しく、気質は穏やかですが、どこか皮肉屋です
・戦車が好きです
・戦車道を楽しんでおり、積極的な学習をしています
・西住みほに触発され、判断能力や冷静さを気にしています
・人と様々な形でのコミュニケーション、会話を望んでおり、他者と関わる事に積極的です
・麻子を特に慕っています
現在の果穂の問題点
・同性愛に深い興味があるようです
・どれほど時間が経過してもあまり気にしていませんが、人の活動時間は理解しています
・発露した感情が大きいほど処理に負担がかかり、最悪の場合は処理が終了するまで強制的にスリープモードに入ります
以上
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今日はここまでゾ
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はえ〜すっごい
ただの人口知能との交流ssかと思いきや現在のAIの状況と人間の競技への介入を的確に描写していて感動しました。
でも羽生さんのファンとしては羽生さんのコメントが曲解されているように感じたゾ
確か本人はコンピュータが将棋の最適解を出したら少しルールを変えてその土俵でまた研究したいみたいな意味で言ってた気がしました。例えいたちごっこでも羽生さんは探求者でいたい、そしてAIもその点では棋士と変わらないいう意思表示のコメントだったと思うんです。
でも言われてみれば確かにいたちごっこだと思った(小並感)
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>>95
結構ニッチな組み合わせかもしれないというのにそこまで見てもらって嬉しいゾ
ありがとう
羽生先生の件については仰る通りだと思うゾ
それとは別に、上手く言えてるか分からないが、ちょっと自分の意見も書いておくゾ
今現在、羽生先生らが対局しているAIっていうのは、最終的には人の調節も加えないと合理的に指し過ぎて人どうしならありえない手を打たれると対処が分からなくて思考停止したりしちゃうんだゾ
もしそんな状況になっても自己分析・自己診断・ルール内容の参照をAI自身で完結させられるならば(肉体を用いない競技において)AIも人と変わらない競技者と言えるかもしれないが、AI単体には外部に頼らない思考判断やデータインプット手段がないから結局人頼りゾ
こうなると、AIは単に人が集めたデータで将棋を指してるだけで厳密には自分で導き出した解法による勝負なんてしてないも同然だと思うゾ
一からルールや戦法なんかを自分で覚えていって試行錯誤した訳でもなく、最初から「これに対するこれ!」という有効手がわかっているんだから機械を通して人と戦ってるに過ぎないんじゃないだろうか
だったら人と同じように感情や心を持って思考できるAIが現れた時、それらのAIの存在意義はどこに行くのかと
私たちが時間をかけたくない計算をコンピュータに任せるように、人に近いAIがそれまでのAIをコンピュータのように扱うのでは、それこそ人類と人工知能の間で行われるただのいたちごっこではないかと
ここまで書いておいてなんだけど、すげぇ話が飛んでって結論や言い分がわからなくなってるゾ……申し訳ない
要するに羽生善治先生も土田先生(麻雀)もすごいゾ
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クッソよくできたSS誇らしくないの?(賞賛)
ガルパンと人工知能に親和性があるとはたまげたなぁ
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――六日目
土曜日。それは、身体を休めることが約束された休日
皆が待ち望む週末は平等に訪れ、麻子もまた、平日では決して許されない長時間の睡眠を味わった
現在時刻は太陽が天辺を通過する正午過ぎ。布団から身を起こすには遅いくらいだった
今日は以前の試合で取り決められたアリクイチームとの交流があるのだが、昨晩の件から果穂は未だに目覚めていない
帰宅後に行われた報告会では科学者が興奮した様子で送信されてくるデータに小躍りしていたものの、きっちり回線を介して果穂の内部にある情報整理を向こうのスパコンで行ってくれたはずだった
曰く、『本来ならば乳児期から徐々に培われる感情を、心を自覚した事で一気に悟ってしまったせいで異常な負荷がかかって防衛機構が働いた』のだという
その防衛機構というのがシステムの冷却。すなわち、強制的なスリープモードだった
果穂の人工知能としての活動を抑制することで内部演算処理の回転率を上げ、そうして整頓された情報は果穂に定着し、それが落ち着くと再び再起動して稼働状態に戻るらしい
さすがに自分が起きる頃には目が覚めるだろうと思っていた麻子は携帯を手にする
隣で佇む立方体に光が戻っていない事を再度確認すると、携帯に登録された電話帳から猫田の番号を呼び出して通話ボタンに手をかけた――その時
果穂「おはようございます、麻子」
麻子「…………おぉ」
何故か異様に驚いてしまった麻子は、取り落とした携帯を拾い上げてから改めて果穂に向き直った
麻子「おはよう、果穂。随分とお寝坊だな」
果穂「誰かさんの癖が伝染ってしまったんですよ」
麻子「くくく、こいつめ」
どうやら調子は上々のようである
スリープモードから復帰した彼女を一〇式戦車外観のEXAへ搭載してやると、さっそく履帯を前後させて準備万端といった様子を見せつけてきた
起きたばかりだというのにせっかちなものだな、と麻子が笑っていると携帯から猫の鳴き声が響く
麻子「もしもし?」
ねこにゃー『あ、れ、冷泉さん? おはようございます、ねこにゃーですけど……』
麻子「ああ、どうかしたのか? 約束の時間は一時だったはずだが」
ねこにゃー『あれ? なんか、いま冷泉さんからボクに着信が入ってたからかけ直したんだけど……勘違いだったかな』
さきほど携帯を取り落とした際に呼び出した電話帳から着信がかかってしまったようである
拾った後にすぐ画面を落としてしまったので気づかなかった
麻子「すまない。さっき操作ミスした時にかけてしまったようだ」
ねこにゃー『あ、そうなんだ……かけ直す必要なかったという事ですねわかります』
麻子「まぁそうなる。ああ、そっちには時間通りに着くはずだ」
ねこにゃー『アイスティー入れてお待ちしてますにゃー』
麻子「ん。じゃあ後でな」
-
軽い気持ちで読み始めたらのめりこんでしまった
すごいですねこれ
-
電話を切った後、急かす果穂に背中を押されながらもそもそと外出の準備を済ませた麻子は、施錠を二度確認して家を出た
使う訳でもないのにハッチからアームを出して中空に彷徨わせる果穂を見ていると、どうにも正常に彼女の内部で昨日の処理が行われたか不安になってくる
昨日の今日であまりにも挙動が変わっている為に、なんだか自身を持て余しているように見えたのだ
果穂「私が変だと思っているでしょう?」
すると、横目に観察していた果穂が胸中を見抜いたかのような発言をしたものだから顔を反らしてしまった
そんな反応に笑いを零した彼女は、アームの先端で道端の小石をつついて麻子の足元へ投げ込んだ
果穂「ふふ、今更隠しても遅いですよ。心配いりません、私は楽しいだけです」
麻子「楽しい?」
眼前に滑り込んで来た小石を果穂の進行方向へ蹴り戻した麻子が視線を彼女に戻す
戻って来た小石を再び麻子の足元へ追いやった果穂は「はい」と嬉しそうに言った
果穂「自分の知らないものに触れるのがとても楽しいです。これから私はどんな体験をするのか、どんなドラマが待ち構えているのか」
果穂「それを想像するだけで昂ぶる気持ちが抑えられないんですよ」
麻子の蹴った小石が跳ね回り、側溝へと落ちる
たった五日。時間に直せば一二〇時間。一か月の六分の一。一年の一パーセントにも及ばない期間
それが彼女をこうも変えるとは予想だにしていなかった
果穂という人工知能自身の学習能力の高さゆえなのか、はたまた別の要因があってきっかけさえつかめれば初めからこうなるようになっていたのか
麻子「そりゃあいいな……ああ、良い事だ」
どうしてか彼女の言葉からここ数日の出来事が、まるで長い期間を通して起こったかのように錯覚してしまう
不思議なものだった
人ではない、人が生み出した人そっくりのモノであるというのに
麻子自身、そう思っていたのに
彼女は間違いなくヒトであったのだから
-
麻子が感慨に耽っている内に二人は猫田の家に着いていた
先立って呼び鈴を鳴らしたのは果穂で、現れた家主の猫田はなぜか二人を敬礼で出迎えた
ねこにゃー「いやぁお二人ともわざわざ来てもらって申し訳ない。あまり綺麗じゃないけど上がって欲しいにゃー」
麻子「邪魔するぞ」
果穂「お邪魔します」
大洗女子学園の生徒が使う一般的タイプの寮が猫田の城であるが、中身は普通のそれとはまるで別物だった
遮光カーテンとベッドはともかく、それ以外は本! パソコン! ゲーム! といった感じでスペースというものがまるで存在しない
部屋中に積み上げられた書籍はサブカルチャー関連だけで一室の三分の一を占めており、パソコンは合計四台のモニターが中央に上下二台と左右に一台ずつ並んでいて、ゲームなどはパッケージが乱雑にひしめきあっている
お世辞にしても綺麗とは言えなかった
果穂「散らかっていますね」
だからと言って素直に口に出すんじゃない、とは言えなかった
それを受けた猫田は「ですよねー……とほほ」と、ざっくり真実を突き付けられたことに肩を落とす
果穂「見たところ単に物を詰める為の家具がないようですから、本棚や収納ケースを購入すればすぐに解決すると思うのですが……」
ねこにゃー「残念ながら年中懐が寂しいがねこにゃーですので……」
サブカルチャーに嵌ると財布から金が消えると言う話は麻子も耳にしたことがある
ただ、実態を目にしていなかったのでいまいちピンとこなかったのだが、猫田の部屋を目にしてようやく理解できた
一年を通して沢山の出版社やゲーム会社から自分の興味を引くものが出てくるのだ。当然、興味を惹かれれば購入してしまう
単価が安かろうと数が膨大なので自然と金銭も擦り減っていくという訳だ
優花里が戦車関連の趣味で月のお小遣いを吹き飛ばしているのと同じである
麻子「猫田さんは少し節約した方がいいな」
ねこにゃー「ね、ねこにゃーです……わかってはいるんだけど来週だってキルストのイベントあるし、同じ週には断崖の最新刊が出るし……」
麻子「金の節約所が無い、と」
ねこにゃー「ああ、空からお金が降ってくれば……!」
-
ちょっとやそっとじゃびくともしなくなったはずの鍛えられた肉体がプルプルと震える
瓶底丸眼鏡から覗く猫田の瞳は涙目になっていた
果穂「バイトなどにより臨時収入を増やすのはいかがでしょうか」
ねこにゃー「ば、バイト? 無理無理無理、ボクには絶対ムリだから……」
果穂「どうしてですか?」
ねこにゃー「人と話すの苦手で……め、面接の時点でギブアップ……」
果穂「なるほど……引っ越しや趣味に関連したアルバイトならばもしくはと思ったのですが、それならば仕方ありませんね」
意外にもあっさり引き下がった……かと思いきや、果穂は続けてとんでもないことを言い放った
果穂「では人と話すのに慣れるよう練習しましょう」
ねこにゃー「えっ」
果穂「麻子がいますから、練習をするには問題ないかと」
ねこにゃー「えぇ、えぇー……」
麻子「いきなり何を言い出すんだお前は」
果穂の言うことがどこまで本気なのかわからないので下手に口を出せなかった麻子も、狼狽する猫田の縋るような視線に耐えられず助け船を出す
遊ぶつもりがコミュニケーションの練習になったのではあまりに不憫だ
果穂「いえ、猫田さんは美人なのに勿体ないなと」
ねこにゃー「ねこにゃー……って、果穂さんまで武部さんと同じこと言ってるし」
麻子「ほー、何かあったのか」
ねこにゃー「実はこの間、武部さんからミスコンに出ないかと打診を受けまして……ボクは到底そんなものに出られる顔ではないと……!?」
果穂「失礼」
死角から伸びたケーブルが猫田の眼鏡を奪い去る
視力の悪さもそうだが、何より眼鏡というフィルターにより裸眼で人と目を合わさずに済む事へ安心しきっていた猫田は、晒された瞳がばっちり麻子と合ってしまったので石膏のように固まってしまった
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麻子「おー……こりゃ美人だ」
果穂「でしょう?」
都合よく固まった猫田を観察すると、果穂が言ったように彼女は世間一般で美女と呼ばれるに差し支えない顔立ちをしていた
肌の白さはもとより、長い睫毛や深い黒曜石のような瞳、薄い唇と高い鼻立ち、あらゆる面で容姿端麗と言うに相応しい
ねこにゃー「あ、あぁぁ……あうあー!!」
二人が食い入るように覗き込んでいた所、ようやく再始動した猫田が両手で顔を覆ってその場にうずくまった
ねこにゃー「見つめないで下さいお願いします……」
麻子「すまんすまん」
本格的にコミュニケーションが苦手なようだと察した麻子は、早々に果穂から眼鏡を取り戻すと猫田へそれを返した
今日は彼女を弄りにここまでやってきたわけではないのだ
無論、流れでそうなるのは交流という観点から見ると好ましく思えなくもない
ねこにゃー「もうなんかすでにすごい疲れたんですけど……」
果穂「申し訳ありません。つい調子に乗ってしまいました」
ねこにゃー「い、いいけど……果穂さんって人工知能なのに全然そんな感じしない。見た目以外は」
ねこにゃー「もうちょっと機械らしいというか、挙動が固定されてるというか……NPCみたいなものだと思ってたからびっくりした」
麻子「NPC?」
果穂「non player characterの事ですね。いわゆる、アクションが固定されたプログラムのような存在です」
ねこにゃー「そうそう。でも、果穂さんは普通の人みたいで……リアルSF現象が目の前にあるとか、ここ仮想現実空間?」
麻子「現実だ」
多くの者はまだ果穂という人工知能と密接に関係を築いてはいない
日数的にはわずか五日しか経過していないので自明のことだが、そもそも果穂がどういった存在であるのかを理解しきれていないのだ
果穂自体が、というよりも『第四世代人工知能』を
彼女はただの第四世代以前の人工知能から派生したものではなく、新たな人工知能世代の礎となるべき試作品であるのだ
これまでの人工知能といえば、主流はロボット三原則に則った人間の役に立つ為だけに研究されてきた、人間が便利に扱えることを完成形としたモノである
それに対し、第四世代と銘打ってある果穂にはロボット三原則が適用されておらず、あくまで人間と同等であることを目指した『人間の隣に並ぶもの』を主題としているのだ
-
猫田も含め、果穂の話を聞いていた戦車道履修生達には彼女の事を殆ど理解し切れなかった
それもそのはずで、そもそも人工知能というものがまだ世間に浸透していない段階で第四世代だのロボット三原則だの脳型モデルだの言われても、それが自分たちの想像する機械と何が違うのか具体的に比較ができない
だからアバウトなイメージとして、猫田のように『一定の反応には対応できる』『音声は棒読みで機械感丸出し』という現在の果穂とは乖離した虚像を持つ者が大半だった
麻子「果穂についての詳しい説明は省くが、これでねこ……にゃーさんも果穂のことが少しはわかったんじゃないか?」
ねこにゃー「ま、まぁ。そう考えるとさらに果穂さんがすごい存在に思えてきた」
果穂「そうですか?」
麻子「実際に凄いんだ。自覚はないようだがな」
こうしてようやく本題に戻って来た三人は、当初より猫田の約束していたゲームとやらの攻略を始める
ただ、猫田は今日まで果穂が電子的な分野に関しては無類のスペックを誇るスーパーコンピューターだと勘違いしていた(ある意味間違いではない)ので、彼女が何度もゲームオーバーになる様を見て「クリアはしばらくお預けかな」と言っていた
しかし、自分の期待していた境地に果穂が届いていなくとも何度も失敗しながら悔しそうに再挑戦を続ける彼女を見て、猫田自身どこか嬉し気にゲームを共に楽しんでいるようだった
初めてするゲームに夢中になってコントローラーを操作する果穂と、教えながら時には自分でコントローラーを握った猫田
まるで友人同士のそれと変わらぬ光景
そこに果穂の新たな可能性を見出した麻子は、ゲームを見飽きるまで静かに二人を眺めていた
ねこにゃー「三回やっただけでクリアしてしまうとは……冷泉さんが私たちのやってる戦車ゲーム始めたら最強チームになれる!」
麻子「案外シューティングゲームは簡単なんだな」
結局、麻子が白熱していた二人を追い抜いて颯爽とクリアまで持っていく頃には日が沈み始めていた
回数を重ねても苦戦し続けたゲームをあっさりクリアされてしまって拗ねていた果穂は、帰り支度を始めた麻子を置いて真っ先に玄関へ向かう
苦笑しながら後を追った猫田はしゃがみこんで彼女へ耳打ちした
ねこにゃー「よ、よかったらまた来て。今度は難しいのじゃなくて、一緒に出来る面白いやつをやろう」
果穂「いいんですか?」
ねこにゃー「うん、果穂さんさえよければ……」
果穂「……ありがとうございます、ねこにゃー。また来ます」
ねこにゃー「!! いつでも待ってるにゃー!」
-
麻子「なんだ、何か話してたのか?」
果穂「知りません」
麻子「まだ拗ねてるのかお前は……」
最後にやってきた麻子につっけんどんな態度を取りつつも、一〇式の履帯が回る音はどこか嬉しそうな様子で唸りを上げていた
内緒話を心の内に仕舞った果穂は、寮の下まで見送ってくれた猫田に人がそうするようにアームを左右に振って別れを告げる
姿が見えなくなるまで二人を見送った猫田は上げていた手を惜しむように降ろすと、スキップするような足取りで部屋へ戻って二人の同志に今日の事を報告するのだった
六日目、終了
果穂の現状報告書
・心が自身に宿っていることを自覚しています
・性格は優しく、気質は穏やかですが、どこか皮肉屋です
・戦車が好きです
・娯楽としてのテレビゲームに興味を持ちました
・戦車道を楽しんでおり、積極的な学習をしています
・西住みほに触発され、判断能力や冷静さを気にしています
・人と様々な形でのコミュニケーション、会話を望んでおり、他者と関わる事に積極的です
・麻子を特に慕っています
・自分の知らないあらゆる事に興味津々で、知的欲求を感じています
・猫田の連絡先を入手しました
現在の果穂の問題点
・同性愛に深い興味があるようです
・どれほど時間が経過してもあまり気にしていませんが、人の活動時間は理解しています
・上記の問題から、娯楽であるゲームを新しく探しては始め、暇な時間は気の済むまでプレイしています
・発露した感情が大きいほど処理に負担がかかり、最悪の場合は処理が終了するまで強制的にスリープモードに入ります
以上
-
>>97
>>99
ありがとうゾ
今日はここまでゾ
-
段々こっちまで可愛く思えてきたゾ…
-
――七日目
麻子が果穂との共同生活を始めて一週間が経とうとしていた
昨晩は科学者が私用により急遽不在となった為に会議は杏との世間話に留まり、報告用のレポートだけを製作してメールしてある
一応、科学者が対応不可の場合に予備手段として麻子のパソコンへその日の分のデータを保存できるようになっていて、そちらの操作方法に関しては資料にも記載されていたので問題なくセーブをすることができた
ついでに改めて資料で読めていなかった部分も読み込んでいたのだが、やはり果穂という人工知能には手探りな所も多いのか、専門的な用語や技術的な記載には所々に曖昧な記述が散見される
一番の発見は、果穂の育成過程で自我の崩壊や理性の放棄が見られる時のコンティンジェンシープランがあったことだ
これは彼女が自身の本分から逸脱して暴走を始めそうになった時にも同様に抑制が掛けられるようで、『アテンション』『コマンド』という二つの大項目から成っていた
『アテンション』は主に彼女が倫理や道徳に反する考えや行動を起こした際に思考を停止させるもので、まず自律機能を落とされる
その後に『その考え方は人道に反する』『その行動は悪徳である』と彼女に対して、それをしてはいけないと潜在意識に直接刷り込んで学習をさせることができるのだ
『コマンド』は上記の『アテンション』に於いても思考や行動に改善が見られなかった場合、もしくは改善が見られたものの再び同じ過ちを犯そうとした時に使用する
『アテンション』ではどうにもならない緊急の事態にこれは適用され、小項目として『思考停止』『行動停止』『強制終了』の三つが当てられている
潜在意識への刷り込みが機能しなかった時、可能性としては人工知能としての自我が肥大化して理性を超えていると推察されるので、更に下の深層意識に割り込むことで彼女を一時的に凍結させるのだ
『アテンション』が躾であるとすれば『コマンド』は洗脳であり、もしこの二つを使用せざるを得ない事態に陥っているのならば、結果として環境の悪さや学習内容の偏向が彼女の成長に影響を及ぼしていると考えられるだろう
つまり、そこまで至る原因を分析する為にすぐ回収されるということになる
幸い果穂にはそういった状況になるほどの事は起こっておらず、比較的健全な学習・育成ができているのではないかと麻子は思っていた
もしなんらかの要因が積み重なって彼女にこれらの命令を行使しなくてはいけなくなっていた事を考えるとゾッとしてしまう
なんだかんだ個性的な面子が集まる大洗女子学園戦車道だが、みな常識は備わっているので非行に関わって大きく性格が捻じ曲がることもないはずだ
そう思うと今からもしもの事を視野に入れるのは少々野暮ではあるが仕方がない
渇して井を穿つようでは重大な問題に繋がる可能性もあるのだから
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果穂「麻子、少しいいですか?」
休日らしく遅起きをした二人。麻子が朝食を用意している最中、果穂が声をかけた
麻子「どうした」
果穂「今日は一人で出かけたいのですが」
麻子「一人で?」
思わず食い気味に返してしまったが、何も不思議なことはない
果穂は一人の人であり、目に見えるもの全てに好奇心を揺さぶられている檻から出た鳥と同義だ
ここ六日間は常に麻子と行動を共にしていたが、そろそろ単独でどこかへ行こうと考えていてもおかしくなかった
ただ、彼女は見た目がラジコン戦車なので、もしかすると不審に思われたり捕獲されてしまう可能性も否定はできない
その時には果穂自身が自分の存在を説明することは明白であるものの、その説明を他者が信用してくれるかは微妙なラインだった
そもそも彼女は重要機密であるので、おいそれと一人にして良いかは麻子の独断で決められるものではない
麻子「そうだな……少しだけ待ってくれ」
果穂「はい」
こういう時に伺いを立てるのは科学者だ。彼女が果穂の開発を主導した研究室長であり今回の育成計画のトップなので、果穂に関する全権は彼女にある
昨晩は不在だったようだったので電話に出てくれるかはわからなかったが、それは杞憂に終わった
科学者『は〜い』
麻子「おはようございます。冷泉です」
科学者『おー、冷泉さん! 昨日はごめんね。ちょっと急な呼び出しくらっちゃってさぁ!』
麻子「いえ。報告書は届きましたか?」
科学者『そりゃもうばっちしがっちし受け取ったよー。要点がしっかり纏まってるし細部も完璧! 流石は角谷さんが果穂を任せただけはあるねぇ』
麻子「それはどうも」
実を言うと報告書は内容こそ大筋は麻子が書いたものであれ、そこから仕上げたのは杏である
偶にはしっかり働いておかないとね〜、と言ってはいたが、果穂を作り上げるようなエリート科学者をして完璧と言わしめるとは伊達に生徒会長をやってる訳ではないということだ
報告書くらいで、と思うかもしれないが、あの手の報告書はとかく面倒であるのでそれを一時間程度で上げてしまうのは優秀な証拠なのである
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麻子「ところで、果穂が一人で出かけたいと言ってるんですが」
世間話もそこそこに麻子は本題を切り出した
電話をかける麻子の後ろでは履帯が回る音が絶え間なく響いており、果穂が相当に気持ちを逸らせているのがよくわかる
科学者『いいんじゃない! 私もそろそろそういうこと言い出すんじゃないかなぁ〜って思ってたんだ』
科学者『もし心配ならリモートアクセスで果穂の見てる映像と音声をパソコンから監視できるから』
それは知らなかった
果穂には悪いが、少し心配なので今日一日だけは監視させてもらうことにしよう
科学者からの許諾とリモートアクセスの権限を得た麻子は、礼を言って電話を切るとさっそく果穂に外出の許可を与えた
麻子「待たせたな。一人で出掛けていいぞ」
果穂「ありがとうございます」
それにしても随分と嬉しそうだった
今はかなり声色もわかりやすくなっていて、彼女が何かを喋れば機嫌が良いか悪いかは誰でも判別可能だ
未だに敬語口調が抜けないのは地の性格からかもしれないが、それはそれで個性としておいて、指摘して矯正する必要もない
麻子「それにしても一人で出掛けたいとはな。どこへ行くんだ?」
果穂「内緒です」
先日も知った事だが、果穂は麻子に対して隠し事までするようになっている
当初はなんでもかんでも喋っていた彼女にも人並の自立意識が芽生えたのだと思うと感慨深い
麻子「まぁ気を付けてな。なるべく夕方までには帰れ」
果穂「恐らく今から出れば三時前には帰宅できているはずです」
麻子「わかった」
果穂「では、行ってきますね」
麻子「行ってらっしゃい」
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玄関先から果穂を見送った麻子は、部屋まで引き返して即座にパソコンのスリープ状態を解く
科学者から説明された通りに果穂の本体状況をモニターしているソフトウェアから彼女のバックドアへ接続し、秘密裏にリモートアクセスすることに成功した
パソコンの画面には果穂が現在視界に収めている映像とマイクから入った音声がリアルタイムで送信されてきていて、低い視点の新鮮さに麻子は驚く
まるで地を這う蛇のようだ
麻子(この方向は学校とは反対だな)
彼女の移動方向から大まかな目的地を算出すると、店が密集している地帯に突き当たる
しかし、学園艦自体には陸ほど多くの店が無いのでもしかするとそこが目的ではないかもしれない
かなり急いでいるのかモーターを最大回転させて相当なスピードで進行しているので、道幅の狭い所で車や自転車が横を通るたびに心臓が跳ね上がる
今すぐにでも落ち着け、といって諭してやりたい気分ではあったものの、麻子はここで見守るしか打つ手がないのだ
下手に電話やメールで忠告しようものなら、こちらが監視していることが露呈してしまう
なんとなく親が初めて自分をお使いに出した時に後を尾行してきていたことを思い出してしまい、麻子は図らずしも自身が果穂を子供のように危なっかしく見ていることを悟ってしまった
彼女は成長期の子どもではないのだ。自分が余計な心配をするべきではない
と、頭の中ではわかった振りをしながらも、やはり心のどこかでは無性に心配になって画面から目を離せないでいた
麻子(らしくもない……)
自らこうして他者への関心を寄せる事は今まで無かったわけではない。けれど、ほとんどは受け身であった
小学校時代にあちらから寄って来た沙織やその繋がりで友人になった華、偶然にも知り合ったみほと優花里
彼女らは実質向こう側からアプローチを掛けて来たようなものだ
最後には説得に折れて自分から寄って行ったのは麻子だが、それはあくまで単位や出席の為というのが大半を占めていた
だが、気が付けば元よりお節介を焼いていた沙織はともかく他の三人とは非常に良好な関係を継続して続ける事をその時は知る由もなかったのだ
それはともかく、自分から積極的に誰かを気にするというのはあまりなかったことだった
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と、麻子自身はそう考えているのだが、実は家族について悩んでいるみほに助言をしたり優花里が単独潜入を誰にも告げてなかった事を怒ったりと、客観的に見れば十分に他人に関心を寄せている
本人はその自分の性格から向こうが構ってくれていると思いがちなだけであるのだ
自分を第三者の視点から見るというのはなかなか難しい。どこかしらに主観的な評価が入ってしまって俯瞰するということが簡単にはできない
従って、麻子は自分が思っている以上には他人を気にかけており、ここ数日を共に過ごして心中を吐露した果穂が相手であればそれが顕著であるということだった
その自覚が無い為に悶々とした気持ちで画面を睨んでいた麻子だったが、映っていたカメラが止まったのを見て意識を切り替える
果穂の視界に収まっている看板には‶リンデンバウム大洗学園艦出張店〟と記してあり、外観から窺える店内にはショーケースの中にケーキが鎮座しているのがわかった
まさかケーキ店が目的だったとは思わず果穂の再移動を待っていた麻子だったが、やはり彼女は自動ドアを抜けると店内へ入ったのだった
麻子(本当にケーキ屋とはな……ただ興味を惹かれて立ち止まっただけかと思ったが)
カメラ越しにも店員が果穂を見て驚いているのが分かる
それはそうだ。来客が一〇式戦車のラジコンなんだから誰でも驚くに決まっている
店員『い、いらっしゃいませー……?』
困惑の表情を浮かべる店員をスルーして店内を物色し始めた果穂は、黙々と棚の間を巡回するとケーキが陳列されているショーケースの前で止まった
奥に引っ込んだ店員と入れ替わりで出て来た店員が、ショーケースの前に佇む果穂を見つけて「ああ!」と声を上げる
優花里『果穂殿ではありませんか!』
果穂『秋山さん? コンビニの他にもバイトをしているとは聞いていましたが、まさかここにいるとは思いませんでした』
優花里『いやぁ来月は財布が厳しくなりそうだったので今のうちに貯金をと……』
果穂『そうだったのですね。あまり無理はなさらないで下さい』
優花里『お気遣い痛み入りますぅ!』
アルバイトを増やしていたとは麻子も知らなかったことだ
画面越しに見る優花里はいかにも元気いっぱいだったが、連日の学校とバイトに加えて戦車道の訓練と、ちゃんと身体を休めているのか疑問に思う
いつも元気な優花里になにかあればあんこうの士気に関わるのであまり無茶はして欲しくないし、何より一人の友人として不安になってしまうではないか
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明日にでもさりげなく話題を振っておこう、と決めた麻子の目の前で会話はどんどんと進行していく
果穂『そういえば先日話していた模型なんですが、目的の物とは別に面白い物を見つけましたよ』
優花里『なんですかなんですか?』
果穂『シャミウィ、というポーランドの装甲列車の模型です。グリーンマックスとRPMの合同製作品ですが、かなり出来がよかったですね』
優花里『それはまた……ポーランドといえば大戦中のソ連に次ぐ装甲列車大国ですが、まさかシャミウィの模型があったとは!』
果穂『秋山さんはやはり戦車の方がよろしいのでは?』
優花里『まぁ確かに求めていたのはラゴンダ対空火炎放射器化学戦車の模型ですが、そちらにも興味を惹かれますねぇ!』
果穂『でしたら――』
ここまで饒舌に喋る二人を誰が見たことをあるだろうか
やはり同好の士というものは語っても語り足りぬ間柄なのか、両者の会話は留まるところを知らない
特に果穂が優花里の話に頷くばかりでなく、ちゃんとついて行けるようになっている事には知識の吸収ぶりに脱帽するばかりだ
しかし当然ここは店であって互いの関係は客と店員であるので、やがて奥に引っ込んでいた店員が戻ってくると優花里が注意を受けてしまった
他の客が店内にいるわけでもないので多少はいいのではないかとも思うが、そこはきっちり境界線を引いておかねばならないだろう
アルバイトでも仕事は仕事だ
果穂『すみません、私が話し込んでしまったばっかりに……』
優花里『いえいえ、気にしないで下さい。ところで、今日はケーキを買いに来たんですか?』
果穂『ええまぁ。実は麻子にケーキをと思って――』
ブツリ、と映像が途切れる
真っ暗になったモニターには電源をコンセントから引き抜いた麻子が映り込んでおり、そこに写る表情は完全に固まっていた
油断していた
完全に今日の外出を自分とは関係ないものと考えていた
自分は見てはいけないものを見て、聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれない
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いま確かに果穂は『麻子にケーキを』と言った
とすると、そこから予見される展開はある程度予想がつくというものだ
今更ながらに自責の念に駆られた麻子はしばし茫然としていたものの、コンセントを繋ぎ直すとパソコンを再起動させてスリープ状態に落とす
それからは果穂が帰宅するまで何も考えないようにしながら横になっており、それから家の錠が外されたのは一時間を過ぎた頃だった
果穂「ただいま戻りました」
アームで器用にノブを回して玄関へ入った果穂は、外出で汚れた履帯を専用のウォーターマットレスで洗浄してから居間に出向く
こちらに背を向けて横になっている麻子を見つけて寝ているのかと勘ぐったが、こちらの音に反応して身じろぎをしたので起きているのだなと判断した
果穂「麻子、戻りましたよ」
麻子「………………」
しかし、これだけ近づいて声を掛けても麻子は何も返してこない
聞こえていないはずはないのでやはり寝ているのかと近づいた刹那、果穂の外装である一〇式は麻子の身体に包まれた
果穂「ま、麻子? どうしたんですか?」
単なる寝がえりではなく明確な意識を持った行動に果穂はどうしてよいかわからず困惑したまま彼女の反応を待つ
そうやってしばし果穂の事を抱き込んでいた麻子は、そうしたまま五分ほど経ってからようやく口を開いた
麻子「……またお前に謝らないといけないことができた」
果穂「謝らなくてはいけないこと、ですか」
今日は外出をしていて朝の会話以外は接触をしていなかったはずだが、いったいどこで自分に謝罪をしなければならない事があったのかと身構える
麻子「実は、お前が一人で出掛けるというのが心配になって、お前の事を監視していた」
果穂「監視、ですか。気づきませんでした。ずっと後をつけていたのですか?」
麻子「いや……このパソコンからお前のカメラとマイクにアクセスすることができるんだ。それで……全部じゃないが、途中まで見ていた」
果穂「……なるほど」
静まり返った空気が部屋を満たす
望まぬ静寂ほど苦痛なものはない。まるで音が死んでしまったかのようだ
果穂「ふぅ、麻子」
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先に口を開いたのは果穂だった
居間の手前、居間の中からは見えない位置に置いていたケーキをアームで手繰り寄せた彼女は、自分に覆いかぶさる麻子へそれを突き付ける
果穂「でしたらおわかりと思いますが、どうぞ」
顔だけ上げた麻子は、それを両手で慎重に掴むと自分の脇へそれを置く
麻子「ありがとう……でも」
果穂「いいんですよ、麻子。確かにサプライズで用意するはずだった物がばれてしまったのは残念ですが、私の事を心配してくれてたんですよね?」
麻子「ああ……車に引かれたりするんじゃないかと」
果穂「もう慣れたものですよ。それより、中身を見て下さい」
ようやく果穂の上から退いた麻子は、脇へ置いた袋に入れられたケーキ屋の箱を開く
中にはシュークリーム、ブルーベリータルト、イチゴのショートケーキが入っており、そのラインナップに麻子の固まっていた表情が綻ぶ
果穂「その様子では気に入っていただけたようですね。甘い物の中でも特にそれらを好むとリサーチ済みですので」
麻子「果穂……」
果穂「麻子が私の事を思って監視していたのはよくわかっています。それに、途中までという事は私に配慮して切ったということでしょう?」
果穂「人工知能の私をそこまで想ってくれるのは大変嬉しいですし、そうして気を遣ってもらえるのはとても良い気分です」
果穂「もし麻子が申し訳ないと思うのでしたら、いますぐそれらの甘味を食べて私に味を教えてください」
果穂「私には味覚がありませんから、食べ物だけはどうしても楽しむことが出来ません。ですから、せめて貴女が美味しく食べる様を見ていたいのです」
放たれた彼女の言葉に麻子は袖口で目元を拭った
まったく、これではどちらが大人なのかわかったものではない。果穂を子供のようだと考えていたのはやはり間違いだったようだ
立ち上がった麻子は箱をキッチンまで運び、中身を全て取り出して皿に載せた
果穂「一気に食べてしまうのですか? そうすると夕食が……」
麻子「甘い物は別腹だ」
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思えばこれが果穂の麻子に対する初めての贈り物
誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントに縁のなかった麻子は、こうした些細な贈り物であっても気持ちが非常に昂ぶる
それが自分の好きな物であればなおさらで、麻子は晩のこともカロリーのことも考えずにひたすらケーキにかぶりついた
美味しくない訳がない。不味くなりようがない
食べて、食べて、食べて……クリームがとろける、サクサクしている、このイチゴならいくらでも食える、甘くて美味いと果穂に逐一感想を告げる
でも、最後に食べたイチゴのショートケーキだけは、ケーキにしては少しだけしょっぱいような気がした
七日目、終了
果穂の現状報告書
・心が自身に宿っていることを自覚しています
・性格は優しく、気質は穏やかですが、どこか皮肉屋です
・戦車が好きです
・娯楽としてのテレビゲームに興じています
・戦車道を楽しんでおり、積極的な学習をしています
・西住みほに触発され、判断能力や冷静さを気にしています
・人と様々な形でのコミュニケーション、会話を望んでおり、他者と関わる事に積極的です
・麻子を特に慕っています
・猫田とはゲーム仲間です
・秋山優花里とは同好の士です
現在の果穂の問題点
・同性愛に深い興味があるようです
・どれほど時間が経過してもあまり気にしていませんが、人の活動時間は理解しています
・上記の問題から、娯楽であるゲームを新しく探しては始め、暇な時間は気の済むまでプレイしています
・発露した感情が大きいほど処理に負担がかかり、最悪の場合は処理が終了するまで強制的にスリープモードに入ります
・麻子に対して少々甘いです
以上
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今日はここまでゾ〜
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麻子との微笑ましい触れ合いの中で最早人間と何も変わらんまでに感情も成長したのかとか思ったら味覚を感じない発言で人工知能の限界を思い知らされる展開は個人的にはパワポケの武美を思い出してアーナキソ
こんな名作作って誇らしくないのかよ?
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>>118
名作とか言われると調子に乗るのでNG
クッソ嬉しいけど、多少はね?
しかしまぁ完結までの道筋はあるから書き切るけども、こんなん見てくれる人おるんやなぁ
ちょこちょこコメント見てると驚くゾ……
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麻子に甘いという事は、人に対して興味関心という枠を越えた好き嫌いがあるという事だから、案外センサーを搭載してあげれば食べ物も楽しめるかもしれない
とはいえ味や匂いはともかく食感はどう感じさせたもんか想像し難いが
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――八日目
手が自らの意思とは関係なく無意識に畳を探る
前後左右に動く腕。爪が柔らかな乾草を抉り、がつり、となにかに当たった
果穂「おはようございます、麻子」
麻子「……ああ…………」
今日は人と物が忙しなく行き交う平日の頭である月曜日
これから五日間も朝から起きて学校へ行かねばならないと思うと、麻子は憂鬱で仕方がない
アラームを鳴らしてくれた果穂だが、どうやら今日も朝からゲームに夢中のようだ
彼女は独自に本体内部で完結する通信機能を有しており、人のように携帯電話やスマートフォンといった外部端末やディスプレイを必要としない
傍から見れば無言のまま固まっているように見えるが、内部ではソーシャルゲームかそれに準ずるものに興じているのだ
彼女自体が凄まじいスペックを誇るので、例えどんなに容量を食べてメモリを食うゲームでも全く問題なくプレイできる上、決して切れずに常に最高の通信速度を発揮できるので怖い物知らず
果穂というハードウェアはゲームというソフトウェアを動かす事だけを見れば、全世界のゲーマー達が死にもの狂いで追い求めるマシンであることは違いない
麻子「ほどほどにしておけよ。昨日も遅くまで起きてただろ」
果穂「大丈夫です。早朝限定のクエストさえ終えればそこまでですので」
全く持って何が大丈夫であるのか皆目見当もつかないが、彼女は麻子が洗面を終える頃には朝食の準備を始めていたので言葉通りにゲームを終えたのだろう
特性上、視力の低下や睡眠不足等には陥らないものの、それがかえって彼女の歯止めを失わせているような気がしてならない
ただ、基本的にゲームをする時には猫田やアリクイチームの二人も同席しているようで、友人との楽しみに没頭する彼女を諫めることが果たして本当に良い事なのか煮え切らない思いでいた
逆に猫田らに注意を促すのもなんだか違う気がして麻子の頭を悩ませているのだった
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今週の日程は隔日で戦車道の授業が入っており、普通科の通常授業は火曜日と木曜日の二日間のみだ
先週も平時の授業は二日間だったが、これが来週と再来週になると三日間に増える
麻子にしてみれば既知の知識を教師の口から聞かされるよりかは戦車の操縦に思考錯誤した方が良いといった所で、どうせなら全ての授業を必修科目の戦車道にしてしまえばいいと思うほどだ
桃「全員揃っているな? これより戦車道の訓練を始める!」
柚子「みんな、今日も頑張ろうね」
恒例の集合点呼から解散し、三々五々に散った面々が戦車に乗り込む
あんこうチームで最後に乗り込んだのは車長のみほだった
沙織「今日の訓練って最初に想定訓練の殲滅戦なんだよね?」
みほ「うん。レオポンさんチームとカモさんチーム、あとカバさんチームがこちら側です」
優花里「単純な戦車性能差だとこちらが有利ですが……」
華「油断はできませんね」
麻子「生徒会はともかく、上達の早いアリクイと練度の高いバレー部、奇策が得意な一年が居るからな」
果穂「今日はどのような作戦でいかれるのですか?」
みほ「その前に果穂さんのポジションを決めておきましょう。と、言っても……」
既に操縦手席に座る麻子が手を触れていない操縦桿が前後に動き、発動機が唸りを上げている現状を見ればどこのポジションかは一目瞭然だった
先週は通信手、砲手、車長と順番に回っていたので、順当にいけば操縦手であるのは明白である
果穂「今日の操縦はお任せください。麻子のように巧みに操れるかはわかりいませんが、精いっぱいやらせて頂きます」
みほ「頼りにしていますね」
直後、遠目に煙が昇って炸裂した。訓練開始の合図だ
今回は想定訓練――つまり、あるケースを設定した上での殲滅戦となっている
山岳上に籠城する敵を燻り出すパターンや、数を偏らせて多数対少数での対応を訓練するケースなど色々あるが、これから行うのは無線機が故障した想定での戦闘訓練だ
戦車も絶対ではない。衝撃で機器が破損した際には修理せねばならないが、戦闘が継続していてはそうもいかない
そういう場合において味方車両と言葉を介さない連携を取る事ができれば、今後あらゆる状況で役に立つ
意図的に無線封鎖がされている全車両においてはインターコム(車内通話装置)のみが動作しており、僚車との連絡は一切断たれているのだった
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みほ「今回の作戦ですが、各車密に連携が取れるよう固まって行動しようと思います」
果穂「自走砲も引き連れてですか?」
みほ「はい。開始地点を考えるとここの茂みにⅢ突を配置するのが有利なのですが、敵に発見されてしまった時に撤退方向を指示することができずに孤立させてしまう可能性があります」
みほ「ですので、カバさんチームには縦隊の最後尾に着いて来てもらいましょう」
自走砲、駆逐戦車の基本は待ち伏せによる奇襲砲撃だ
砲塔の無い分車高が低く、通常の戦車なら見つかってしまうような場所でも持ち前の高い隠蔽率から容易に姿を隠しておくことが出来る
その上、固定砲塔特有の大口径戦車砲もあるので一撃離脱を求められる車両と言えるだろう
通信機が機能しているのならば待ち伏せ場所の指示から砲撃誘導、撤退合流までスムーズに行えるのだが今回はそうもいかない
シュチュエーションとしては突撃砲を活かしにくい中で、どのように作戦を組むかが勝利の鍵になる
キューポラから上半身を出したみほが同じく顔を出していた各車長に作戦内容を告げた
みほ「レオポンさんを先頭にあんこう、カモさん、カバさんと続きます。遭遇次第砲撃、決して味方車両と離れず、敵の挑発には乗らないように心掛けて下さい」
エルヴィン「任せろ!」
ナカジマ「おっけー!」
そど子「了解!」
みほ「それでは行きましょう。にょろにょろ作戦開始です! パンツァー・フォー!」
掛け声と同時にギアを入れて戦車を前進させる
先頭を走るレオポンのポルシェティーガーに対して鼻先一メートルも無いほどにくっつくⅣ号に、麻子は操縦手席のスリットから目を離すと苦言を呈する
麻子「果穂、近すぎる。これじゃ急停車した時にぶつかるぞ」
果穂「すみません。行進速度の調整が上手くいかなくて……」
麻子「ギアを一段階落とせ。ポルシェティーガーは早くないから、Ⅳ号の加速ですぐに追いつく」
麻子の助言に座席横手のギアを一速落としたⅣ号は、ゆるゆるとレオポンから離れていく
背後に控えるルノーとⅢ突も車両間距離を再調整し、縦隊としてはようやく様になったといった所だ
果穂「初めてとはいえ、やはり操縦は一筋縄ではいきませんね」
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みほ「大丈夫。ちゃんと走行できてるから、落ち着いていきましょう」
優花里「Ⅳ号は扱い易い傑作です! 果穂殿ならすぐに慣れますよ!」
沙織「果穂、深呼吸だよ深呼吸!」
華「それはたぶん出来ないと思いますよ……? リラックスしましょう、果穂さん」
それぞれの暖かい言葉に奮起した果穂は、調子に乗ってまたⅣ号を加速させてしまう。慌ててアクセルを緩めて再調整すると車体はがたがたと傾いた
これでは自分の求めているみほのような冷静な態度には程遠いと反省している最中、麻子が操縦桿を手にする
麻子「目の前だけに集中するんだ。些細な動きを見逃すな、耳はよく澄ませておけ」
果穂「ごめんなさい、何度もご迷惑を。麻子の操縦をしっかり見ていたはずなんですが……」
麻子「初操縦でいきなり熟練した操作は無理に決まってる。今やれることに全力を注げ」
果穂「はい!」
果穂には神経系が存在しない。それは立方体である本体にもだ
脳神経や自律神経、運動神経や知覚神経は対応する電気信号に変換されて擬似的に情報として受け取っているので、正確には神経が存在しないというよりかは触感や痛覚に人間のような反応を示せないというのが正しい
人は肌が熱湯に触れると咄嗟に熱いという電気信号が脳髄に送られて、それを知覚した脳が筋肉に指令を送って反射的に手を跳ねのけるといった反応を起こす
果穂にはこの熱いものに触れたという感覚を人間と同じ速さで知覚できるが、自身の身体にそれから避けねばならないほどの本能が備わっていないのだ
衝撃、水圧、電圧、爆熱……あらゆる点で本体は強固な作りになっており、それを自覚する果穂には人間の原始的な反応を現すことが根源的にできないのである
ともかく、果穂にはデータ化された触感を元にデジタルな情報でしか感覚を理解できないでいるが、Ⅳ号と接続され各機材に神経を拡張した状態で麻子に操縦桿越しに触れられているというのは、手を握られているようでとても落ち着いた
果穂(私も人であれば……あるいは、人の感覚を享受できるボディがあれば麻子の温もりを実感できるのでしょうか)
安らぎの中に含まれる悔しさに果穂は己の生まれの不幸を呪ったが、その思考を振り払って皆の期待に応えねばと持てる全神経を鋭敏にする
確かに理屈抜きに生身で人の暖かさというものを感じられない身体は不便かもしれない。しかし、彼女らの気持ちは間違いなく自分の心に感じている
だったらそれでいい
それだけで、充分だ
-
ナカジマ「正面にM3!」
みほ「前進してくる! 相手が砲撃したら散開、あんこうとカモさんチームで側面を取ります!!」
指示に応と頷いた各車長が車内に引っ込む中、みほと梓だけは互いに相手を見つめて身体を逃がすことを許さなかった
遭遇したのが近距離だからそのまま突っ込んできているとは考えにくい
特に慎重派である梓が何の策も無く先頭の偵察車として単独で見通しの良い道に出ているとは思えなかった
とすると囮か、あるいは何らかの戦術中の先鋒か
みほ「果穂さん、M3が砲撃したら右に展開。相手の側面を突いてこれを撃破します」
果穂「わかりました」
そう言うが早いか。正面のウサギチームの砲声が轟いた
行進間射撃にも関わらずポルシェティーガーに命中した砲弾は、残念ながら入射角の浅さと威力不足で弾き飛ばされてしまう
みほは後方を見ぬまま腕を振って左への展開を指示すると、レオポンチームを追い抜いて右側へ進むⅣ号の先を見据える
と、相手の後方を窺うのも束の間、応射したポルシェティーガーの射線から逃れたM3リーは迷うことなくⅣ号の真正面に突っ込んでくるではないか
みほ「回避!!」
果穂「ッ!?」
咄嗟に更に右へ舵を切った果穂だったが、それを逃すまいとM3はⅣ号の横っ腹にぶつかって主砲を接射(これは外れた)、こちらが旋回しようとするのを見越して自身の車体をそのまま横づけにして擦り付けて来た
最後尾に着いていたⅢ突とポルシェティーガーからはⅣ号が盾になってM3を狙えない
唯一射線の通るカモチームがM3を砲撃しようとした直後、装甲前面と砲塔側面に砲撃を受けて白旗を挙げた
ウサギチームが進んできていた道の先。こちらからは坂道が傾斜のせいで見えなかったその先から現れたのはヘッツァーと三式中戦車であり、カモチームを撃破したのはその二両の砲撃であった
やはり囮だった、と歯噛みをするみほは一時撤退を決めて後退のハンドサインを後方に投げる
みほ「一時後退! 果穂さん、ウサギさんチームを振り切ってそのまま正面の山道に――」
典子「今だあああぁぁぁぁぁ!!」
しつこく横っ腹にくっついてくるM3を引き剥がすように前進からの急制動を掛けたその時、今まさに逃げようとした正面から八九式が飛び出してきた
ほぼ停止状態のⅣ号の側面に寸分の狂い無く着けると、M3との強力なサンドイッチブロックを見せる
果穂「これは……!?」
Ⅳ号の長砲身では側面のどちらの車両も攻撃できず、大してM3は三七ミリが短砲身でギリギリの俯角からこちらの砲塔上部を攻撃することが可能。加えて八九式の主砲もギリギリ範囲内といった所だった
挟まれて旋回どころか前進後退もままならず、後退指示を受けたⅢ突とポルシェティーガーでは援護も間に合わない
典子「せーの!!」
梓「撃てっ!!」
ドドン! と重なった砲声の後、残っていたのは装甲の薄い上部を撃ち抜かれて白旗を挙げたⅣ号だった
-
その後、前半の想定訓練はⅣ号の撃破直後にこちらに側面を晒していた八九式中戦車がⅢ突とポルシェティーガーの砲撃により白旗
三式中戦車とM3リーの挟撃にⅢ突が撃破され、ポルシェティーガーも三式とヘッツァーを装甲と火力でゴリ押して突破するも、最後に残ったウサギチームに背後を取られて撃破となった
敗因としては初撃でカモチームがリタイアした事と、真っ先に総合能力が高いⅣ号を潰されたことだろう
最後に足回りの性能が低いレオポンを囲めればよかったようで、結果的には最優先でⅣ号を叩いた事が功を奏した
どのチームも成長著しいとはいえ、こういった訓練の際にはまだまだ戦車道歴にアドバンテージのあるみほが率いるチームの方が勝率が高い
そういう事もあってか、勝利した梓らは「勝ったー!」と歓喜に満ち溢れていた
それに対して果穂ときたら、挟まれて撃破された時から一口も話しておらず、相当に落ち込んでいる様子が窺える
麻子「初めて操縦したにしては動かせてた方だ」
みほ「そうですよ。わたしなんて操縦苦手だから、今みたいに挟まれちゃうと上手に捌ききれるかどうかわかりません」
優花里「戦車はすぐに自分の思うようには動いてくれませんから、これから練習あるのみですよ!」
沙織「わたしも前に操縦したことあるけど難しくて全然できなかったよ〜。果穂なんて普通に動かせてるだけでもすごいと思う!」
華「操縦手はレバーがいっぱいあって把握するのがまず大変で……指導されずともちゃんと動かせるのは素晴らしいことかと」
果穂「皆さん……」
次々と掛けられる優しい言葉に果穂は悔しさのあまり泣きだしそうになっていたのを堪えて気持ちを入れ替える
そうだ、初めから上手くいくことなんて早々ない
まだ一度目。これから練習を重ねてきちんと操縦できるようになればいい
今日はまだ後半の訓練も残っており、初回の汚名を返上するにはもってこいではないか
桃『全員、昼の休憩が終わり次第報告。総員が揃ったところで午後の訓練を開始する』
タコホーンに繋がれた副隊長からの指令にみほは五人の顔を見渡して告げた
みほ「とりあえずお昼にしよっか。しっかり栄養を取って、後半の訓練では頑張りましょう」
こうして先程の訓練の反省も踏まえながら一時間程度の休憩を取り、各自身体を休めてから点呼、午後の訓練と相成るのであった
-
みほ「また……!」
午後の想定訓練は多数対少数での不利な状況を設定された殲滅戦
振り分けはあんこうチームとアリクイチームの二両とそれ以外で構成され、現在は不意に遭遇したM3リーとルノーB1bisと対峙している状況だった
一旦は退こうとした素振りを見せた相手は牽制砲撃と共に方向転換して突撃を敢行して来たのだ
そんな折、先行して突貫するM3が再びⅣ号へ全速力で向かってきた
もしかすると撤退を取りやめて応戦してきたのは別動隊が既に傍まで進軍してきているからかもしれない
とすると、この突撃は先ほどの側面両取りを想起させるに値する行動だった
前進中の今、下手に旋回するとまた取り付かれる可能性もある。とはいえ、まがいなりにも中戦車である相手を正面から押し飛ばせるかといえば難しい
麻子「果穂!」
みほ「果穂さん!」
一速低下したⅣ号の右履帯が回転数を落とし、車体が左側面を見せる
こうなれば予測されるⅣ号の進路は当然右で、相対するウサギチームは喜び勇んで同じ方向へハンドルを切った――瞬間
グン、と傾いたⅣ号は急加速して左側に進んだのだ
何も説明不可能な現象が発生した訳でもなければ、目の錯覚が起こっていたわけでもない
右に曲がるふりをして左に曲がる……単なる〝フェイント〟である
結果、背面を晒した瞬間を見逃さなった華の砲撃が間髪入れずに突き刺さってM3は白旗を挙げ、ルノーからの砲撃はそのまま斜めに車体を向ける事で見事に弾いてみせた
即座に後退してM3の影に隠れたⅣ号の横から続けて現れたⅢ突と八九式だったが、増援を予測した地点を砲指向範囲に収めていたアリクイチームの三式がⅢ突の側面を直撃させて撃破
装填完了したⅣ号も連続で砲撃を敢行し、八九式の主砲が火を噴く前に沈黙させた
続けざまに三両を撃破され渋々といった様子で後退していくルノーに追撃をかける
梓『やられちゃった……』
桂利奈『ちゃんと同じ方に曲がったのにー!』
果穂「同じ手には乗りませんよ」
ねこにゃ『おお! 人生で一度は言ってみたい台詞ナンバーエイトが!』
ももが『い、意外と低いもも……』
-
昼休憩時の反省会は意味を成したようだ
ウサギチームが一度成立した戦術を多用してくる事にも加えて、操縦における心理的な要素と簡単な技術を知った果穂は実践が上手くいってさぞ嬉しいことだろう
言葉の端々からやってやったぞという雰囲気と、見えなくとも胸を張っている様子がありありと目に浮かぶ
先程まではえらく気落ちしていた癖によく言うものだ、と麻子は口角を吊り上げた
みほ「! 停止!!」
果穂「え――」
みほの言葉に遅れて操縦桿が引かれる
そうして盛大に横揺れしたⅣ号からはもうもうとした煙と白旗が挙がっていた
ねこにゃー『伏兵!? ヘッツァーにゃ!』
そど子『私たちのこと忘れてもらっちゃ困るわよ!』
ぴよたん『正面のルノーが……!』
横合いの茂みに潜んでいたヘッツァーにまんまとしてやられたあんこうに続き、転進してきたルノーに十字砲火を浴びてしまったアリクイチームはその場に釘付けにされてしまう
だが、撃破されたⅣ号を壁代わりにルノーの砲塔上部を撃ち抜いて行動不能に追いやった三式は、そのままヘッツァーの履帯を狙撃して破壊に成功した
桃『砲塔旋回だー!!』
柚子『ヘッツァーに砲塔なんてないよ桃ちゃん……』
杏『ってことはー?』
ももがー『マスターバッジいただきだもも!』
ねこにゃー『果穂さんの仇にゃー!』
そして、身動きの取れなくなった生徒会チームの背後にゆっくりと回ったアリクイチームの一撃により試合終了の合図が上がる
麻子「……同じ手は二度通用しないんだったな?」
果穂「今のは舞い上がってしまって反応が遅れただけです……すみませんでした」
みほ「あはは……明後日の訓練、頑張りましょう」
果穂「はい……」
今度は酷く自分を諫める果穂の様子に、あんこうの面々は苦笑して顔を見合わせたのだった
-
桃「本日の訓練はここまでだ! 各チームの車長はいつも通り生徒会室でミーティングを行うので集合するように! 解散!」
「「「「「お疲れ様でした〜」」」」」
無事に訓練を終え、チームの車長らは校舎に、それ以外の生徒は体育館に向かったり直帰したりその場でお喋りを始めたりと、それぞれ思い思いの放課後を過ごし出す
時刻は五時を指しており、どうにも中途半端な時間だった
杏「冷泉ちゃん、果穂ちゃん、ちょっといい〜?」
麻子「会長?」
沙織がパフェを食べに喫茶店に寄ろうと提案していたのでそれに乗っかるか悩んでいたのだが、解散後すぐに杏に呼び止められて足を止めた
同じく名指しされた果穂も超信地旋回で向き直る
杏「悪いんだけど、この後のミーティングに一緒に出てもらえない?」
麻子「私は構いませんが……」
果穂「私も問題ありません」
杏「んじゃよろしく。武部ちゃん達には申し訳ないけど、二人借りてくからね〜」
一足先に生徒会室に向かう杏を尻目に、二人は沙織たちへ一言断ってから後に続いた
三人が入室する頃には全員が揃っていて、それぞれが席に着いた所でミーティングが始まる
内容は今日の訓練内容について。各車長の意見や隊長であるみほの見地を交えつつ反省点を洗い出していく
浮き上がった課題や各戦車の搭乗員の練度などから今後の訓練の項目を設定し、各自が賛成や反対の意思を示しつつ最後に杏が総括してミーティングは終了した
呼ばれた麻子や果穂が入り込む隙間は殆どなく、どうして同席させられたのか疑問を覚えざるを得ない
と、皆が立ち上がりだした時に杏が思い出したように口を開いた
杏「そうそう、みんな果穂ちゃんを自分とこの戦車に載せるのってどう?」
梓「へ?」
エルヴィン「どう、とは?」
杏「いや、Ⅳ号だけだと果穂ちゃんも刺激が足んなくなるかもしれないでしょ? だから他のチームの戦車にも載せてみるのはどうかなーって」
典子「色んなポジションを体験するのは良い経験になります! バレー部、アヒルチームは歓迎です!」
ねこにゃー「ボクも賛成、かな」
ナカジマ「せっかく全部の戦車に専用機材入れたから一度は載せてあげたいなぁ」
そど子「へぇ〜。いいじゃない! その代わり、私たちのチームに来たら規則には従ってもらうわよ!」
エルヴィン「あの謎の台座はその為のものだったか……いいんじゃないだろうか」
梓「そういうことならウサギチームも歓迎します!」
-
杏「満場一致でオーケーっと。これも人徳かなー」
全員が自チームに受け入れることへ賛成の意向を示し、杏は満足そうに頷くとそう言って果穂を見やった
果穂「いえ、皆さんが優しいだけで私はなにも……」
麻子「言わなくてもわかると思うが、これは照れてるだけだ」
果穂「麻子!」
エルヴィン「ほー」
ナカジマ「カワイイとこもあるもんだねぇ」
麻子の余計な一言で数人から揶揄われた果穂は恥ずかしそうにEXAをソファの影へ隠す
その様子に麻子がやれやれといった様子で肩を竦めると同時に和やかな空気が場を満たすのだった
改めて解散が告げられた室内からみほ達が退出していく中、拗ねて先に帰ろうとする果穂を追おうとした麻子を引っ張る者があった
僅か数言の耳打ちに眉を顰めた麻子は、押された背中の勢いに抵抗せずそのまま生徒会室を後にする
麻子(それを言う為だけに私を……何を考えているんだ)
何のわだかまりも無く円満に終えられた一日の終盤。最後の最後にそれらがひっくり返されることを予見した麻子は、心持ち早足に自宅への帰路についた
自然と果穂に追いついてきた麻子だったが、何かを考え込むように視線を落とす彼女を見て果穂はへそ曲がりを直して疑問を投げる
果穂「麻子? 何かあったんですか?」
麻子「ん……そういう訳ではない」
果穂「しかし、先程とは様子が違います」
麻子「…………大したことじゃないさ」
果穂「………………」
その後、果穂は麻子の態度に追及を仕掛けてくる事はなかったものの、時折訝しがるような仕草を見せては誤魔化すように適当な話題を振ってくるのだった
-
麻子「そういえば聞きたい事が一つ」
科学者『なんだい?』
時は変わって定例報告会
相も変わらず本日の果穂について報告を終え、世間話でもして会議も閉めようといった所で麻子がとある疑問を口にした
麻子「果穂は人間と同じ、つまり五感も同等に備わっているんですよね?」
科学者『視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚だね。勿論備わっているよ! と言いたいんだけど……』
麻子「けど?」
科学者『視覚は知っての通りダイクロイック・プリズム・レフレックス・ファインダーとマルチレンズを通して内部の半導体撮像素子――』
麻子「長くなるか」
科学者『ああゴメン。つまりまぁ、視力も聴覚も嗅覚も触覚も、人並外れてるけど各種センサーのお陰で人間みたいに機能してる』
麻子「……味覚は?」
科学者『これもセンサーのお陰で……と言いたいんだけどね』
これは先日の報告会でも科学者に告げていたことだ
果穂は味を楽しむことが出来ないと言っていたのを麻子はよく覚えている
確かに味覚があったとしても、それが実際に自分の舌に乗って噛み砕かれ、喉を通じて食道から胃に落ちないのであれば味を楽しんだ……食品を味わったとは言い難い
しかしだ。果穂が人並の感覚を有している以上はそういった問題に直面する事を科学者はわかっていたはずである
ただ単にセンサーというフィルター越しに成分を分析して食品の大まかな味を知るということは、物を食べるという行為とは異なる
骨と血肉の詰まった肢体が無いので触覚は仕方がないにしても、味覚に関して擬似的に人間と同じような噛んで食べるという行為を模倣できる装置を作れたのではないか
果穂という人工知能をここまで完璧に仕立て上げてあるからこそ目につく不具合であり、その不自然さには苦言を呈する他ない
科学者『昨日も話したけど、本来果穂は専用のマテリアルボディと一緒にロールアウトされる予定だった』
科学者『でも技術的な問題点から完成が難しくなって……急遽、今使ってもらっているEXA代わりとして製造された訳だけど……』
杏『まぁまぁ、冷泉ちゃんも果穂ちゃんのこと考えてるのはよく分かるけどそこら辺にしとこうよ』
杏『なんでもかんでも完璧って訳にもいかないしさ。果穂ちゃんを不完全なまま出さなくちゃいけないのも、さっさとデータ集めたいって上が煩いんだから仕方ないよ』
科学者『! ……うん、済まない。私としても、できれば果穂には完全な形で大洗での学習に励んでもらいたかったんだ……』
麻子「いえ、私も何も知らないのに……何度も同じことを言って申し訳ない」
-
科学者『ううん、冷泉さんの気持ちはわかるよ。それくらい想ってもらえるのは果穂も嬉しいんじゃないかな』
麻子「だといいですが」
杏『またまたぁ。そっちでモニターしてるんだからわかってるでしょ?』
科学者『おおっと、そういう事は言わないのが花だからね! 本人の口から聞いてくれたまえよ、なんて』
麻子「ふふ」
杏『とーりあえず今日はここまでにしときますか。いい時間だしねぃ』
科学者『そうだね。二人とも遅くまでありがとう、おやすみ!』
麻子「お疲れ様でした」
杏『また明日〜』
ディスプレイのウィンドウが自動的に落とされ、壁紙の設定されていないデスクトップが青々と麻子の顔を照らす
いつもならここで果穂の接続を解いて就寝まで適当に過ごす所だが、今日はその前にやるべきことが残っていた
会議が終わって数分と経たぬ内に麻子の携帯が着信を知らせる
麻子「もしもし」
杏『もしもーし。さっきぶりだね』
麻子「……いったいどうしたんですか」
麻子が戦車道の訓練を終えた後に出席させられたミーティング
解散となった場で誰の目にも止まらぬように麻子へ「会議後に電話」とだけ耳打ちしたのは杏だった
二人の間で意味の通る会議といえばこの果穂の報告会に他ならず、麻子は報告会に利用するテレビ通話をそのまま使えばいいのにと不審に思っていたのだ
きっと何かある、と警鐘を鳴らす第六感に従って挨拶もそこそこに本題へ誘導する
杏『やっぱり変だよね、あの人』
声のトーンが落ち、杏の発声が鋭くなった
普段はおちゃらけているように見えるからこそ、ここ一番での真剣な態度は一際わかりやすい
麻子「味覚の件ですか」
杏『うん。なんていうか、すごいちぐはぐ』
麻子「……あれだけ果穂に入れ込んでいるのに、こいつが不便なのをわかってそのまま投入してますからね」
-
そう、果穂を作り上げた科学者は話していれば嫌でもわかるが、果穂への入れ込みようが尋常ではない
第四世代人工知能にというよりも、果穂自体に、だ
溺愛してると言ってもいい馬鹿親っぷりは麻子も杏も理解できなくはないのだ
文字通り果穂は科学者にとって子どもであるから。当然、親としては可愛い子どもに入れ込んで愛情を注ぐだろう
あくまで果穂は大洗女子学園、ひいては学園艦での育成を目的としているので直接的に科学者が触れ合う事はないが、毎日更新される内部データやレポートは穴が開くまで隅から隅まで見て分析に回していると言っていた
三日ほど前には果穂が心に目覚めたことを知って号泣しながら、彼女に一般常識と高校生程度の知能を学習させたのは私なんだ、彼女が知能や知識だけでなく人の心を覚えてくれて本当によかったと何度も感謝の言葉を述べていたほどだ
そんな科学者が、と話は不穏な方向に転換する
そこまで果穂というモノを理解していたのならば、彼女が人間と変わらぬくらい過ごせるように見た目はロボット丸わかりの素材でもいいので身体を作ってやるべきだったのだ
それはバランスを考えられた下半身が車輪になった四駆でも、顔部分はディスプレイになっているつぎはぎな見た目でもいい
とにかくなるべく人に近い身体を持たせてやるべきだった
科学者が完璧主義者だから中途半端な義体を用意しなかったとも考えにくい
それほどの完璧主義者ならば第四世代人工知能は学習などせずとも心を持った状態で生まれているだろうし、その後の試験稼働も研究所内で完結させていただろう
かといって、科学者が意図的に味覚を不完全なまま放置していたとも思えない
どうにも噛み合わなかった
杏『さっき私が〝上が煩いから仕方ない〟って言ったの覚えてる?』
麻子「ええ」
杏『なんであの人はそれに〝うん〟って言ったんだと思う?』
麻子「? そりゃ果穂を創り上げた科学者とはいえ、脳科学研究所という組織に属している以上は上司がいるんでしょう」
杏『第四世代人工知能の製作者だよ? 計画の主導者だよ? 果穂ちゃんに関わる全ての権限を与えられてる人物が、どうして急かされる必要があるの?』
-
麻子は捲し立てられる彼女の疑問に即座に回答することができなかった
先程言ったように、例え科学者がどれだけ偉かろうとも組織のトップであろうとも、この計画について麻子たちの知らない彼女以上の権限者がいるのならば科学者は逆らいようがない
だが、少なくとも資料上に記載される果穂に関する最大権限者はあの科学者に相違ないのである
麻子「……科学者が誰かの指示を受けて果穂のマテリアルボディを完成させないままこっちに寄越したってことですか」
杏『そうかもしれないって話』
麻子「仮にそうだとして、確かに果穂が不幸を浴びているのは個人的にどうかと思いますが、それ以外で私たちになんの問題が?」
もし杏の予測通りに資料には載せられていない権限者の指示が科学者にあったとしても、麻子たちに実害として現れるとは考えにくい
ではいったい何を杏は危惧しているというのか
杏『……今年度の文部科学省の予算案に、〝戦車道を前身としたエレクトロニック・スポーツの環境整備及び推進、機器の開発・研究〟と〝次世代人工知能に係る総合支援〟がある』
麻子「!!」
エレクトロニック・スポーツ――いわゆる『e-SPORTS』とも表記される複数のプレイヤーで対戦されるコンピュータゲームをスポーツ・競技とする、近年で躍進が見られる注目の分野
それがどう関わるかはわからないが、戦車道を前身としたという記述がどうにも目に留まって離れない
極めつけは次世代人工知能に係る総合支援、という項目
それだけならばなんら気にするようなことではないのだが、大洗女子学園、特に戦車道履修生の面々は文部科学省に因縁がある
その文科省が資金を割り振ってある次世代人工知能、そして戦車道を前身としたエレクトロニック・スポーツ、戦車道を通して育成する為に大洗に派遣された果穂
一見なんの繋がりも見出せないピースの数々が、麻子の脳みそのどこかでかっちりとハマったのを感じて全身が総毛立つ
確証もなければ悪い方向へ転がるとも決まっていないこれらの事象に、麻子は嫌な形で心臓が早鐘を打つのを渋い表情で必死に抑える
杏『もしかしたら私が過敏になりすぎてるかもしれない。でも、考え過ぎるに越したこともない』
麻子「…………」
杏『まぁ、さ。この話は頭の片隅にでも入れておいてよ、冷泉ちゃん』
-
その晩の通話はそれきりで終了した
電話を切った直後も麻子の動悸は収まらず、それから果穂のスリープを解くのに一時間も要した
顔色の悪い自分を気遣う果穂だったが、なんだかその行為が作りものめいて見えた麻子は、彼女との会話もそこそこに一人床へ入るのだった
明らかに様子のおかしい麻子をどうすることもできずに歯噛みをした果穂は、せめて彼女の気をこれ以上乱さぬようにと部屋の電気を落として自身も静かにゲームへ没頭する
平和であるはずだった二人の生活には、誰も観測できぬ暗雲がひっそりと影を落とし始めていた――
八日目、終了
果穂の現状報告書
・心が自身に宿っていることを自覚しています
・性格は優しくて気質は穏やか。皮肉屋でよく拗ねますが、素直です
・戦車が好きです
・娯楽としてのテレビゲームに興じています
・戦車道を楽しんでおり、積極的な学習をしています
・西住みほに触発され、判断能力や冷静さを気にしていますが、すぐに気持ちが昂ります
・人と様々な形でのコミュニケーション、会話を望んでおり、他者と関わる事に積極的です
・麻子を特に慕っています
・猫田とはゲーム仲間です
・秋山優花里とは同好の士です
現在の果穂の問題点
・同性愛に深い興味があるようです
・どれほど時間が経過してもあまり気にしていませんが、人の活動時間は理解しています
・上記の問題から、娯楽であるゲームを新しく探しては始め、暇な時間は気の済むまでプレイしています
・発露した感情が大きいほど処理に負担がかかり、最悪の場合は処理が終了するまで強制的にスリープモードに入ります
・麻子に対して少々甘いです
以上
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今日はここまでゾ
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や目糞
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文科省とか言う悪の巣窟
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続きもう待ちきれないよ!早く出してくれ!
人工知能とか見てるとそもそも人間ってなんだよ(中学生並みの疑問)とか考えちゃいますね…
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遅筆なせいで更新がどん亀で申し訳ないゾ……
なるべく早く仕上げるようにするゾ
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照れ屋の果穂ちゃん可愛い
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続きまーだ時間かかりそうですかね?
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ちょうど明日の午前二時までには上げる予定だったゾ
申し訳なゾ
-
沙織「麻子の様子がおかしい?」
昨日の晩にチャットで早朝から約束を取り付けられていた沙織は、こちらを呼びつけて早々にそう告げた果穂の言葉を鸚鵡返しにした
現在時刻は午前六時半。登校には早すぎる時間だ
麻子を起こしに来たという名目でこっそりと沙織を家へ上げた果穂は、寝室の方を見やると寝息が聞こえるのを確認して頷く
果穂「そうです。昨日の訓練が終わった辺りから様子が変でした」
沙織「え〜、なんだろう……もしかして恋煩いとか!」
果穂「まさか」
なんでもかんでも恋愛話にされてはお話にならない
果穂が沙織に相談を持ち掛けたのは彼女が麻子の古くからの親友であるからで、今一番こういう時に信頼の置ける人物だからだった
早朝からの呼び出しにも快く応じてくれた沙織の優しさに感謝しつつ、果穂は就寝前の様子も語ってみせる
果穂「寝る前にも随分と顔色が悪いというか、とても気分を悪くされているようでした」
沙織「具合が悪いとか?」
果穂「いえ。発熱、発汗等は見られませんでした。ただ、呼吸周期と体表温度が少々乱れていましたが、就寝直後には安定しましたし……」
大丈夫、何もないとだけ言っていた昨晩の麻子を心配した果穂は生体スキャンを用いて体調の変化を計ったが、前述の通り呼吸の浅さと体温の低さはあったもののすぐに元に戻っていたのだ
単純に具合の悪い態度にも見えず、かといって本人は問題無いの一点張りで取り付く島もなかったので、こうして沙織に相談という手段を取らざるを得なかった
沙織「う〜ん……幽霊?」
果穂「幽霊?」
沙織「麻子って幽霊が苦手なんだよね。だから、果穂が見てない間に幽霊を目撃しちゃって一人で怖がってたのかも!」
果穂「夕方からですか?」
沙織「ああ、そっか。訓練の後からだから違うかなぁ……」
二人して思案すること数十分。時刻は七時を回った
そろそろ起こしてやらねばと寝室に向かう果穂に沙織が付いてゆく
果穂「とりあえず麻子を起こします。もし昨日のままなら、武部さんも一目でわかると思いますから」
沙織「う、うん……大丈夫かな、麻子」
-
音が痛い
別に音波が身体を叩いている訳でも耳を抓り上げている訳でもなく、快適な睡眠を邪魔する騒音が耳朶を伝って脳みそに響いているのをそう表現しているだけだ
麻子にとって睡眠は一日二十四時間における最大の重要項目であり、それを中断しなければならないのは非常に憂鬱であった
自身の体温で温まっていた掛布団から腕を這わせて畳の上を右往左往させるが、なかなか起床の元凶へ辿り着けない
いつもは枕元にいるので簡単に掴まるはずなのだが、今日に限ってそこにはいないようだった
仕方がないので重い頭を上げて周囲を見渡すと、なにやら二つの黒い塔が見える
なんだ? と視線を上げてみれば、二つの黒い塔――黒い二―ソックスを履いた足は沙織のものだった
どうして沙織が家に居るんだという疑問が湧く前に、彼女が胸元に抱える一〇式の方へ手を伸ばす
膝立ちになってようやく手が届き、触れられた事でアラームを止めた果穂はいつものようにこう言った
果穂「おはようございます、麻子」
………………
麻子「なんで沙織が家にいるんだ。今日は起こせと頼んだ覚えはないぞ」
洗面を終えて果穂が用意してくれた朝食を食べていた麻子は同席する沙織と果穂を交互に見やる
自分の起床が既に果穂に管理されてしまっているのは周知の事で、いまさら沙織が起こしに来る事は二度手間になるだけで不可解だった
となると、同居中の果穂が何やら企んで沙織を呼んだのではないかという結論に至ったのだ
そういう意味で二人を見た事を理解したうえで先に言い訳を繰り出したのは沙織だった
沙織「いやぁ、もしかしたら昨日の練習で疲れ切っちゃって起きないんじゃないかと思って! ね!」
果穂「ええ。私一人で起こせなかった場合、沙織さんの手慣れたやり方で起こしてもらうのが一番ではないかと思って呼んだのです」
麻子は二人の言葉に顔を顰めるとお茶を一気に煽って口元を拭う
言い分がお粗末すぎて嘘を見抜かれてしまったかと身構えた果穂だったが、それは杞憂に終わった
麻子「果穂一人でも十分すぎるくらいだ。ずっと寝てたいのに……」
沙織「また遅刻とか欠席が溜まっちゃったらおばあに言いつけちゃうよ?」
麻子「うっ……それだけは勘弁してくれ」
-
文句をつけようにも遅刻や欠席が重なれば再び留年や進級不可の危機に陥ってしまうので強く言い出せない
確かに麻子は戦車道履修生として、優勝後に複数ある特典の内の遅刻見逃し二〇〇日分の報酬を受け取っている
しかし、すでに二〇〇日ほどの遅刻をしていた麻子はそれらで今までの分が帳消しになったとはいえ、それ以降の遅刻・欠席については免除が利かないのだ
要するにいくら単位が足りていようとも、今後の学生生活で最低出席日数を割るようなことがあれば卒業に関わるということである
どれだけ眠たくて寝足りぬとも意地で登校を続けねばならないというのは相当な地獄であったが、学生である以上は仕方のないことだ
武部沙織と果穂という面倒なお節介焼きと友人になってしまった麻子に二人の魔の手から逃れる術はない
今日も今日とてあれやこれやと小言を聞きつつ「はいはい」と頷く麻子の表情は、面倒くさいという思いとは裏腹にどこか嬉しそうに微笑んでいた
-
このように学園艦では平和な生活が続いていたのだ
戦車道の授業は勿論の事、学校生活でも着々と成長と進歩を続ける果穂は常に人との繋がりを求め、周囲をそれも欠かすことなく彼女と共にあった
もう彼女が学園艦に訪れ、麻子と共に生活を始めて一か月が経つ頃
一週間で心を知った彼女は同じく一週間で麻子と水魚の間柄になり、ひと月で親子か姉妹かと見紛うほどの親交ぶりを見せつけるようになっていた
単独行動が許可された後でも用事が無い限りは麻子と行動を共にし、彼女が眠れぬ夜も悪夢を孕んだ朝にも支えとして隣に在った
麻子もまた、そんな彼女を信頼して傍へと置き、時には勉学や教養を教え、時には年相応の会話を交わして一つ空の下を過ごしたのだ
「私は未だに喧嘩したことを後悔してる」
「せめて夢見が良くなるように傍に居ます」
「ありがとう。ただ、私にも分別がある。お前に頼り切るつもりはないさ」
「それはそれで寂しいですね。ところで昨日、新しいケーキ屋ができたそうですよ?」
あんこうチーム六人目のメンバーとして定着した彼女はみほや沙織、華や優花里とも親交を深めて苦楽を享受し合った
みほとは彼女の戦車道家元としての英才教育から成る今現在までの戦車戦術や心構えについて教えを乞い、ボコ趣味に巻き込まれながらも彼女の生き方に敬意を示した
「戦車と戦況だけに過信すれば足元を掬われます。大切なのは、仲間の皆を信頼する事です」
「なるほど」
「ですから……! わぁ〜! コンビニ限定のストラップにボコがある!」
「……また全種類集めるんですか?」
沙織には女子力をつける名目で料理を教わり、同性愛に関して肯定的な考え方へ変化していた事に男の良さを男経験が無いながらも必死で伝えられ、それとは別に努力家な部分を真似た
「う〜ん、それにして器用にアーム使ってるよね」
「これが私の腕ですからね」
「今の果穂の腕前なら並の男なら料理でイチコロだよ!」
「その前に麻子から味についてオーケーを貰ってからじゃないといけません」
華からは淑やかさと力強さだけでなく、彼女元来の肝の据わった性格から折れぬ意思、不屈の精神が何たるかを教わった
「一見のんびりしているように見えるかもしれませんが、華道も砲撃と同じでとても集中して一つ一つを活けています」
「通じるところがある、という事ですか?」
「同じ『道』ですからね。方向は違いますが、至る場所は同じです」
「私はまだその境地には達していませんね……」
優花里とは戦車について存分に語り合い、もはや彼女に劣らないほどの知識を詰め込んだ
「戦車はいいですね……」
「ええ、良い……」
「戦車はどんな困難な道でも踏破できて、どんな障害でも切り開けます! 本当にかっこよくて頼りがいがあって……」
「私もそう在りたいものです」
-
ウサギチームからは上級生以上下級生未満等と言う訳の分からない位置を与えられながらも、一年生メンバーの無邪気さと如何にも現代っ子らしい部分に影響を受けて馬鹿な事をすることもあった
梓は真面目さゆえに向上心には目を見張るものがあり、勉強や戦車道で努力する真摯な姿勢は学習意欲を焚き付けた
「それぞれの役割を理解して動く。基本だけど、大事なことだと思う」
「同意見です」
「何事も基本って大事なんだなーって戦車道を始めてわかったんだよね。ここを疎かにしたら、先輩にも追いつけないし」
「私も梓さんに負けないように頑張らねばなりませんね」
あゆみとは意外な趣味から会話が発展し、人間の身体について視野を広げることが出来た結果、自身について考え方が変わったところもある
「人の身体って結構簡単に歪んじゃうんだよ。座り方とか、姿勢で」
「骨や肉、体幹というものがあるからこそですね」
「だから意識して普段から整えておけば体調もプロポーションもバッチリってね」
「私にも身体があれば……いや、この場合はある意味なくて良かったかもしれません」
紗希は常人とは視点が異なっていて、その目の付け所は良くも悪くも常識に囚われない事を教えさせられた
「…………あれ」
「あれは……雲?」
「……蝶々の形」
「…………言われてみれば。まったく気が付きませんでした」
桂利奈は好きなことに一直線で、その熱意は果穂に戦車とゲーム以外での趣味として特撮を持たせることになった
「これこれ! このライダーキック!」
「一号は貫禄ありますね」
「あとこれ! このバイク! スズキT20なんだよ!? かっこいいよね!!」
「この渋いデザインは……自動車部の皆さんが似たようなバイクを持ってませんでしたか?」
優季からは果穂の人工知能という特異なポジションから恋愛相談を受けることが多くあった
「彼氏と別れてね、一人の方が気が楽だーって思う時もあるんだけど、やっぱり時々寂しくなっちゃうんだ」
「今は気になる男性の方なんかはいらっしゃるんですか?」
「ううん。なんだか自分が本当はどう考えてるのかわからなくなっちゃって……でもやっぱり人肌恋しいかなぁ」
「なるほど……合コンなんてどうですか? 新しい出会いを求める場だと聞きましたが……」
あやは戦車に乗ると物騒な言動が目立ち、楽しそうに副砲をぶっ放すものだから気分が昂ると似てしまうようになった
「いまだー! ぶっ殺せー!」
「ぶっ飛べ!」
「あ、あれ? 装甲通ってない? っていうか主砲こっち向いてるし!!」
「あっ、これはまたあやさんの眼鏡が……」
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カバさんチームでは果穂を自分たちと同じ道に引き摺りこもうという魂胆が見え隠れしており、歴史の教養や魅力については存分に教え込まれた
カエサルは四人のリーダーを任されるだけあって懐が広く、ラテン語やイタリア語が堪能で驚かされることが多かった
「始めは全体の半分。何事もやってみることから道が生まれるんだ」
「勉強になります。さすがたかちゃん」
「カエサルだ! 誰から聞いた!?」
「忘れました」
エルヴィンとは優花里も巻き込んでの戦車談義に花を咲かせることもままあり、決断力と判断力は即断即決が何たるかを知らしめられた
「マンシュタインというソウルネームが与えられた以上、果穂も我々カバチームの仲間だな」
「私はまだ対して歴史に詳しくありませんよ?」
「何を言うんだ! もう十分戦車史については私やグデーリアンに匹敵するじゃないか!」
「そ、それでいいんですか……」
左衛門佐の意外な天然振りと大胆な発想には唸らせられる事や考えさせられる事が多く、彼女に倣ってEXAである一〇式に六文銭のデカールを張ったこともあった
「ルノーは意外と硬いからな。角度で砲弾が弾かれる時は砲手席付近を狙え」
「どうしてです?」
「誰だって自分の近くに着弾したら恐れおののく。動揺すれば射撃精度に大きな誤差が出てくる」
「……盲点でした」
おりょうにはえらく関心を持たれていたのだが、理由は坂本龍馬が新しい物好きだからそれに倣ったものだという。どこかゆるりとした雰囲気は気分を落ち着かせ、妙な魅力に惹きつけられた
「ようやく縫い終わったぜよ……出っ張りに引っ掛けるとはついてない」
「新しい羽織は購入されないのですか?」
「多少草臥れててもこれは大切な物ちゃ。おんしの一〇式と同じ、いわば身体の一部」
「思い入れのある品なんですね。私も一度はそういったものを着てみたいなぁ」
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アヒルチームにとって果穂は、身体さえあれば熱烈なオファーを飛ばしたいほど欲しい人材だったようだ。戦車道へ熱心に取り組む姿に『根性』を見出したのだという
典子は廃部状態とはいえキャプテンと呼ばれて慕われているだけはあり、圧倒的存在感とリーダーシップは自然とついて行きたくなるような衝動を与えた
「薄い部分なら八九式の主砲でも貫通する!! 落ち着いてよく狙って、キルブロックを避けてAクイック!!」
「あそこに当てても通る確率は半々です!」
「そこは根性で上乗せする!!」
「ええい、ままよ!」
妙子は笑顔が多く、彼女のポジティブな部分には学ぶことも多かったが、同時に空気を読むことの大切さも教えられた
「カラーリング変えるの? 赤の方がカッコイイんじゃないかなぁ」
「では赤くしましょう。幸いながら、それが容易に行えるのがEXAの利点の一つです。見て下さい、スプレー缶でもこのように綺麗に……」
「でも私は白が好きだなぁ」
「…………できれば塗り始める前に言ってほしかったです」
忍は一見冷静に見えるが思いのほか短気で、大事なのは胆力だというのを感じさせられた
「あまり待つのは性に合わないのよね」
「その割には落ち着きがないという言葉と縁がありませんね」
「バレーも戦車道もチームプレイ。一人で暴走してたらみんなに迷惑かけちゃうから。でも、指示が来たらどこへでも突っ込むわ!」
「やはり忍さんもバレー部の一員ですね……」
あけびとはバレー部の中でえらく接する機会が多かった。普段のおっとりとした様子と必要な時での至極真面目な様子はギャップというものを知らしめられた
「あ、あの子猫可愛いー! 追いかけよう!」
「追いつけますかね。随分と早足で去って行きましたが……」
「根性で追いつけるよ!」
「えぇ……まぁ、行きましょうか」
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カメチームからすれば人工知能とはいえ果穂の存在は生徒と同様で、彼女を特別扱いすることは決してなかった
杏から受けていた飄々とした雰囲気はいつ見ても崩れず、素のままであらゆる面倒事をいつの間にか処理している彼女は果穂から見てもとんでもなく有能だった
「おっ、果穂ちゃ〜ん。調子どう?」
「お陰様で上々です」
「あんまり肩肘張り過ぎないようにねぃ。もしなんかあってもさ、みんながどうにかしてくれるよ」
「? はい、皆さんにはいつも助けられてばかりで……」
柚子はいつでも優しく、どこか高校生らしくない母親のような立ち振る舞いには大人が何たるかを学んだ
「果穂ちゃんのそのEXAっていう外装は整備をしなくても大丈夫なの?」
「定期的なメンテナンスは必要ですが、期間は一年毎なので問題ありません」
「そうなんだね。もし何か必要ならいつでも言ってもらっていいから安心して?」
「はい。お気遣いいただき、ありがとうございます」
桃は普段はとても優秀であるのに一たび箍が外れてしまうと途端に暴走を始めるので、反面教師的に冷静さが大切であることを再認識させられてしまった
しかし、本来生徒会入りするほど優秀である所には流石というか、見習うべき部分も多々あった
「待ち伏せには慣れたものだ。この斜面の茂みなら向こう側からは視認されにくい。後は照準に収まった相手を撃つだけで済む」
「上手くいけばいいですけど」
「……来た、今だ――――!? 外れたァ!! くっそぉ、もう一発だ!!」
「一度退かないと駄目です。このままだと前みたいに履帯切られますよ?」
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レオポンチームには様々な面で世話になり、素知らぬ内にEXAへ改修が施されていたりしたこともあった
ナカジマは自動車部の中でも比較的に技術力が高く、整備を見学していた際には果穂でも簡単にできるような簡単な工作などを教えてくれた
「Ⅳ号の履帯、この起動輪だけはボルトの位置と大きさが違うから慣れないと時間がかかっちゃうかなぁ。できそう?」
「要領は把握しましたが、この転輪の重量で持ち上げようとすると私のEXAではバランスが崩れて横転してしまいますね……」
「んー、その外装の上の部分に自由可動式のカウンターウェイト付けようか。ただ見た目が岡持ちみたいになっちゃうけど」
「でしたら遠慮しておきます……少々パテを盛っていただければ十分ですよ」
スズキは整備中によく戦車の内部を見せながら具体的にどこにどういう部品があるのかを事細かに語ってくれた
「これこれ、トーションバー方式の戦車はこの棒が基本なの。これの先のサスペンションアームが転輪に繋がってる」
「やはり本よりかは直接見た方がわかりやすいですね」
「そりゃあね。どう、果穂ちゃんも自動車部に入らない?」
「そう、ですね。身体のない私でもお役に立てそうですし……ですが、少々考えさせてください」
ホシノはサッパリした性格で大変思いやりもあり、車に興味を示した際に一緒にドライブへ出たこともあった
「ありがとう。反応速度の誤差がコンマ一秒以下……これで接続基部も問題なし」
「いつもお手数をおかけしてすみません」
「これが自動車部の仕事だからね。ところで、前に改造したモーターはどう? 少なくとも八〇キロは出せるはずだけど……」
「一〇式戦車の外装のままそんな速度を出したら誰かにぶつかってしまいそうで、とてもじゃないですが怖くて試せませんよ……」
ツチヤのドリキンという異名をつい口に出してしまったのだが、それを聞いた彼女は果穂をかっちゃんというあだ名で呼び出し、二人はあだ名で呼び合う仲となった
「今日は金曜日だよかっちゃん」
「ということは?」
「ドリンクバーだよねぇ! 行っちゃう? 行っちゃう?」
「ふふ、お付き合いしましょう」
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アリクイさんチームとは学園生活や戦車道以外で親交する機会も多く、果穂をゲームの道に引き摺り込んだ猫田を筆頭として非常に良好な関係を築いた
ねこにゃーのサブカルチャーへの入れ込み具合は会話の中にも表れ、使いどころに困る雑学からタメになる知識まで玉石混交のやり取りは語彙を豊富にした
「じゃあ今日はメインルームに十時集合という事でお願いするにゃ」
「今日はがしゃどくろの日でしたか。あれだけ苦労した出羽三山も慣れたものです」
「なんと頼もしい。では果穂氏に任せて後ろから応援してるので……」
「逝ってよし」
ももがーには筋トレに付き合う事が多かった。自分がサボらないように見張っておいてほしいという彼女は、自分の弱点を良く理解した強者だった
「三百九十八ぃ……三百、九十、九ぅ……んんんよんひゃくぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁああああ!!」
「お疲れ様でした。ベンチプレス七十キロ四百回で、前回の三百五十回より記録更新です」
「も、もう無理……今日はもう動けないもも……帰ってゲームする……」
「ゲームする余裕があるならあと五十はいけそうですね。さあ、頑張りましょう」
ぴよたんは三年生なだけあって端々に二人とは違った落ち着いた雰囲気があったが、その実一番のゲーマーであった
「ほらこれ見て〜? タケシの挑戦状に、ロマサガ2に、ザ・戦車〜」
「なんか一つだけ毛色が違うような……というか、なんなんですかこのラインナップ」
「これから果穂っちに挑戦して貰うタイトルぴよ。地獄の耐久RTA始まりぴよ」
「クリアだけじゃなくタイムアタックまでやるんですか、マジですか、そうですか」
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カモチームはメンバーが風紀委員ということもあって真面目な者達ばかりで、授業への出席義務の無い果穂でも容赦なく取り締まりを行われた
そど子はお堅い性格もあってか、個性と言うものを身に着けだした果穂に忠告を絶やすことが無かった
「いい果穂さん。貴方は一応大洗の生徒なんだから、学外での素行は乱さないようにしなくちゃだめよ?」
「わかっています。コンビニで買い食いできる身体でもありませんしね」
「冷泉さんでしょ喋ったのは!?」
「? なんの話ですか?」
ゴモヨはどこかおどおどとしていたものの、性格からは想像もつかないほど我慢強く、その忍耐力の高さには感動すら覚えた
「んー…………」
「飽きませんか、それ」
「ううん。ここで焦っちゃうと今までの分が無駄になっちゃうから、ガマンガマン」
「しかし、もう一時間も同じ体勢ですよ? 身体が凝り固まって血行が悪くなってしまいますし、あまり無理なさらない方が……」
パゾ美は見た目に反してノリが良く、風紀委員の中では真面目ながらも他の二人より軽く接することができた
「あ、果穂ちゃん。おはようおはよう」
「おはようございます。早朝から花壇に水やりとは流石ですね。何の花ですか?」
「花じゃなくて葉ネギ。育ててから収穫して、和風パスタのトッピングにする」
「ここ花壇でしたよね? パゾ美さん普通科でしたよね?」
-
杏『――とまぁ、ここんところは概ねいつも通りというか』
科学者『もうひと月と少し経つからね』
恒例の報告会では、これまたいつも通りのやり取りが行われていた
目新しい報告などは無いが、果穂の成長ぶりは留まる所を知らずにジャンプアップを続けている。文字通りスポンジの如き吸収力で圧倒的な進歩を遂げているのだ
麻子「果穂が前のめりでそこら辺の知識を吸収して成長してるのは結構なことなんだが……」
科学者『どうかしたの?』
麻子「いや、果穂の記憶力についてはどうなっているのかと。もしかして、一度見聞きしたものは忘れていないのでは?」
麻子がこの一か月で最も気にしていたのは果穂の記憶力についてだった
前述のように果穂は様々な未知を既知へ変えて段々と知恵を身に着けているのだが、あまりの成長スピードと人間らしい知識の定着へのタイムラグが無い事から物事を完全記憶しているのではと考えたのだ
見聞きした事を一切忘れることなく記憶しておくというのは一見素晴らしい事のようにも思える
しかし、人間が間隔を空ければ記憶が忘却されるようになっているのは自身の精神を保つ為なのだ
幼い頃から記憶を忘れることなく蓄積し続けても脳みその記憶領域には約百二十年分を記録しておくことが可能である
ところが、幼少のトラウマや自分にとって不愉快な出来事などは、永遠に忘れることなく事あるごとにフラッシュバックされてしまうと、それに馴染めなければ精神に異常をきたす
思い出だけではない。視界の端に映り込んだ文字から他人の些細な独り言、ほこりの位置に至るまで視覚と聴覚が捉えたあらゆる物事を覚えたままというのは耐え難い苦痛を与える
人間の脳みそは自己防衛の為に、『本当に重要な記憶』、『繰り返しリスニングやヒアリングをして定着させたもの』、『強烈な印象を与えられたもの』、『感情を激しく揺さぶられたこと』以外は表層へ流れ出ないように整理しているのだ
これはあくまで忘却であり消去ではないので、物理的に記憶領域を損傷するか機能障害を負う事が無い限りは一度見たものや聞いたものを完全に記憶から消し去ることはできない
故に後天的なサヴァン症候群を患った際には発症以前の記憶まで完璧に思い出せるようになる
科学者『ふむ……第四世代人工知能はあくまで〝人間とまったく同じ〟であることを想定して創りだした。脳機能は未解明の部分も含めて人と同じものだ』
麻子「未解明の部分?」
科学者『そう、果穂の頭脳にあたる部分にはニューロンとグリア細胞の代替品として、エグゾプラズムという電子回路を使っている』
科学者『これは人間の脳の機能を模倣できる能動素子と受動素子に適応できるもので、第四世代人工知能を創り上げる要因となった』
科学者『例えば人には潜在能力が存在すると言われている』
杏『火事場の馬鹿力?』
科学者『それは潜在能力の緊急発揮と言われてるね。潜在能力っていうのは所謂、人間が肉体と精神に対して無意識に掛けている心理的なセーフティとでも言うべきかな』
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潜在能力といえば麻子の講読した書籍にも時々見られることのあった単語だ
脳の解き明かされていないメカニズムの一つであり、それは全てを呼び起こしてしまうと人の身体では過剰な負荷がかかってしまって自己崩壊を起こすのだという
かの天才発明家、トーマス・エジソンは自身の空想を現実にする事に人生の全てを捧げ、結果として飽くなき欲望への探求心は潜在能力の数十パーセントを発揮し、結果として後世に語り継がれるほどの発明を残したのだと一説には語られている
潜在能力を発現させていたのは何も過去の偉人ばかりではない
脳や人体に大きな損傷を受けないレベルで、目立った功績を残しているアスリートや研究者はこの潜在能力を発揮していると考えられているのが現状だ
ただ、人間に内在しており存在も認知されているにも関わらず、それがどこに在ってどう使えるのかは未だに不明のまま。心と同じである
しかし、先程も述べられたように潜在能力は無意識に掛けられる心理的なセーフティというのが今の定説で、だったら意識してしまえばセーフティを外せるのではないかという研究が盛んになっている
麻子「それで?」
科学者『うん、私は脳に人としての全てが詰まっていると考えていてね。これまで脳機能、脳活動を数値化する研究をしていた』
科学者『そうするとね、やはりあるんだよ。数値にしても可視化できない正体不明の〝何か〟が』
科学者はこれまで続けて来た研究で人が人たらしめている部分は全て脳に起因すると仮定し、脳の全容をひと項目ごとに数値化できれば心や潜在能力といった概念を解明できるはずだと脳の数値化に躍起になっていた
脳から発せられる電気信号一つ一つから時間経過による細胞変異の観察まで、できる研究はやれるだけやって成果は実ったのだ
それぞれがどのような機能を担っているかは数値化されたものを基準に逆計算して割り当て、最終的にはなんの数値であるか不明な項目がいくつも残った
それは心、潜在能力などの認知されつつもメカニズムが解明されていないものと、そもそも人類の知り得ぬ機能の二つに分類され、その全ての数値は容量に換算して六五.五三五ペタバイトにも及んだ
こうして脳の全てを数値化する事に成功した科学者は、この数値を入力できるコンピューターの開発に乗り出した
数値だけを収納するなら容量を増設したスパコンにでも突っ込めばいい。そうではなく、科学者が必要としたのは数値を項目ごとに管理して運用できるコンピューターだったのだ
そこで目を付けたのが人工知能であり、これが第四世代人工知能誕生の切欠となる
科学者『私は思った。数値化しても、その数字だけじゃ存在を証明するには足りない。絶対的な根拠が必要だと』
麻子「根拠……」
科学者『もし私の仮定が正しいのなら、この数値を人間のように運用できる人工知能は人と同じように思考して創造ができる』
科学者『だとすれば心も感情も芽生えるし、未解明の数字は成長ごとに変化を見せつけるはず』
科学者『その数値の変化条件と数値ごとの人工知能の変化を観察し、多数の状況で比較すれば謎の数値は可視化できるようになる』
麻子「つまり、逆説的に人間でも再現できるようになる……?」
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人から出力した数値はそのままではわからないので、数値の変化を観測できる人工知能に入力してシミュレートすることで原理を解明できれば、人は意図的に潜在能力を発揮できるようになる
そればかりではない。具体的に心や思考がどのようなメカニズムで働いているのかがわかってしまえば行動や意識のコントロールが容易になる
恐ろしいのは、同じ人類であるが為に他人でも自分を簡単に操れるようになってしまうということだ
根源まで辿って原理を識るというのはそういうことである
杏『ちょっと待った。つまり、果穂ちゃんには人の脳の未解明の部分までそっくりそのまま再現された脳……ええと、機械の脳を持ってるから潜在能力を発揮できる可能性はある、と?』
科学者『そうだ。果穂は今、世界そのものにとてつもない興味と好奇心を向けている。特に関心があるのが戦車道、そして君達から教わる知識だ』
麻子「じゃあなんだ、果穂の持つ高い知的欲求が潜在意識の箍を外してて、そのせいでここまで凄まじい速度で成長しているとでもいうのか」
科学者『その通り。彼女には機械的な要素をできる限り排除して人と同等の脳を与えてある。果穂がそうであるということは、正しく人として脳が機能している証拠でもあるんだよ』
麻子がこの報告会で受けた衝撃は計り知れないものだった
道理で人工知能とはいえ人として完成されていると思ったのだ
杏『でもそれってヤバいんじゃないの。人って本来は赤ん坊からゆっくり成長するもんでしょ? いきなり十数年すっ飛ばして放り出すのはどうなの?』
いかに人と同等の脳があるとはいえ、脳は肉体と共に精神を育んで徐々に知育されるものである
それが高校生程度の一般常識と知識を植え付けられて、それ以外は真っ新な状態で生活を始めるというのは身体が大人で頭脳が子供であるようなアンバランスさがあった
人は肉体と精神のバランスが崩れては生きてはいけない
科学者『そこが果穂があくまで人工知能であるという説明になる。彼女は人に限りなく近い機械なんだ。ベースが機械であれば、肉体の有無は関係が無い』
総括すると、果穂は未解明の部分も含めて人と同じ働きをする脳を持っている。赤ん坊から年月を経て学習させなくてもいいのは彼女が機械だからである
果穂は今現在、その内から湧き出る欲求によって潜在能力を発揮しており、彼女がここひと月で並外れた成長を見せているのはそれに依る所が大きい
科学者の目論見は果穂が人の脳を使って未解明の部分を大いに使用する事であり、そのデータを元に人の未知のメカニズムを解明することが目標である
以上が今の果穂の異常な速度での急成長への科学者の回答と、明かされた彼女の計画の内容だった
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麻子「……そういう小難しい話は抜きにして、貴方は果穂をどう思ってるんだ」
科学者『娘のように思ってるよ。私には生憎と伴侶がいないから子どもはいないけど、果穂は私にとって実の子どもみたいなものだもの』
果穂の生みの親はそう言って微笑んだ
突然の麻子の質問にも堂々と答えた彼女に、二人分の呆れた笑いが耳に入った
麻子「だったら子どもが心配しないようにその顔を何とかした方がいい」
杏『最近思ってたけど、急に老け込んだよね』
指摘された通り、科学者はここ数日でみるみる疲れを滲ませていたのだ
科学者の先の発言からすると果穂は彼女が求めていた数値の変化とやらを存分に発揮している最中であろうし、データを収集して分析に回すのには絶好の機会である
どうせ寝食を怠って研究に没頭しているせいでそんなに痩せこけたのだろうと思われたが、いささか度が過ぎていた
科学者『ああいや、申し訳ない。私もわかっちゃいるんだけどどうしてもね〜』
麻子「しばらく休みを取った方がいいな。せめて一日は何もしないで寝てた方がいいだろう」
杏『ウチに美味しい干し芋あんだよね。これ食べて栄養取ってよ』
とぼけたように笑っていた科学者だったが、二人の言葉に目頭を押さえて俯くと小さく頷いた
科学者『そうだな、そうしよう。報告会はしばらく休ませてもらう』
麻子「それがいい」
杏『まぁ一週間くらい居なくてもさ、きっちりレポート取っておくから』
科学者『ああ、まったく面目ない。全部二人に任せるよ』
おやすみ、また今度
何の変哲もない、至って平凡な挨拶。取り立てて注目すべきでもない日常風景
――これが、科学者と麻子たちが交わした最後の報告会となった
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落とされたディスプレイが自分の顔を映し出す。我ながら酷いものだ
眼の下には隈が色濃く表れている上に髪は所々が跳ね上がって直視できたものではない
栄養も碌に採れていないせいで皮膚も乾ききってしまっているし、唇はひび割れていた
不養生で体調を崩せば結果としてそうなるまで無理を押して確保した時間以上に無駄な空白を作ってしまう
何よりも自分の目標の為に自己管理を徹底して来た身としては、現在の自分の姿には遺憾の意を唱えざるを得ない
そもそもあのようなことがなければ自分がここまで精神に支障をきたすこともなかったろうに、と座っていた椅子に深くもたれ掛かった
いや、思っていたほど自分の心が強くなかったことがわかっただけでも儲けものだ。天才は只では転ばない。どんな失敗にも糧を見出してこそだ
彼女たちは上手くやっている。それは手放しで褒めなければならない
私にとっては彼女たちがあの子と日常生活を満喫していることは我が事のように嬉しいのだ
だが――だからこそ、今後起こることが確定している事象に手で顔を覆った
彼女たちが深い部分で繋がれば繋がるほど事態は深刻になる。無二の間柄であるから、知ってしまった時と全てが終息した時に絶望の淵へ立たされるのだ
内にあるどす黒いヘドロのような感情や思惑とは対照的に、千五百二十ルーメンの光は清潔感のある白塗りの内壁に反射して部屋を明るく満たしていた
定刻通りに鳴りだした自分の携帯を睨み付け、手近にあった机上の書類の山を薙ぎ払う
白衣のポケットから取り出したアルプラゾラムを水も無しに数個纏めて服用してから気持ちを落ち着かせ、電話を耳に当てた
『こちらでは予定通りに全ての準備が整いました』
「……それで?」
『最終確認ですよ。私が事を終えるまでの間、余計な事はしないように』
「………………せめて計画の推進と誘致の為にその場所が欲しいと言うのなら私も納得できた」
『はぁ……貴方の了承なんて求めていませんよ』
「そうでしょうとも。お約束通り、私から一切の手出しはしない。コードとECSの権限は全部そちらに移してある」
『よろしい。……何をそんなに気を立たせる必要があるんです。少々の犠牲、それも一つの完成品と赤の他人をこちらに任せるだけで今後の不自由ない環境と資金が約束されるのですよ? そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?』
「我が子とその友を売り渡して人生を謳歌できるほど人の道を外れたつもりはない」
『ふん、そんな大袈裟な……』
「理不尽な悪政を敷けば行いは必ず還ってくる。それではな、〝次期文部科学大臣殿〟」
通話のボタンが押されることはなく、大きく腕は振り上げられる
叩きつけられた通算四台目の携帯電話は壁にぶつかってぐしゃぐしゃになった
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今日はここまでゾ
時間かかって申し訳ないゾ
-
てめェ!クソオーメル仲介人!
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何が文科相の役人をここまで駆り立てるのか
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あれだけやらかしても這い上がってくるあたり通常の仕事はかなりできるのかもしれない
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なんだこのSS!?(驚愕)
自分の読解力じゃ話の中身を理解できてるかわかりませんね・・・
ちょっと流れと現状を軽くまとめて欲しいけどな〜俺もな〜
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人間の脳機能をほぼ完全に再現したAIを麻子が預かり、戦車道をやらせて育てる事に
凄いスピードで人間を学習してどんどん人間らしい人格が育つAI
そんな折、またまた文科省のいじわるが見え隠れし始めて…←今ここ
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もう待ちきれないよ!早く(続きを)出してくれ!
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次で終わりまで持ってくつもりなんであと1週間は下さい!オナシャス!
遅筆で申し訳ないゾ……
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本日は晴天なり、と液晶の向こう側ではニュースキャスターが笑顔を見せている
ここ数日の曇天とは打って変わって好天に恵まれた月曜日は週の初めに相応しい
麻子「いい加減に起きろ。それとも今日は家から出ないのか?」
時計の短針は八時を指しており、もう家を出ねば学校には間に合わなくなる。結果として風紀委員に遅刻を取り締まられた挙句、またそど子にねちねちと文句を言われてはたまらない
何故だかアラームを鳴らしてくれなかった果穂を叩き起こす麻子だったが、まったく起きる様子がないので外装から露出している本体上部を軽く叩いてやった
麻子「おい、果穂?」
彼女が定刻通り起床しなかった事は一度たりともない
前夜にいくらゲームで遊んでいようがそれだけ動き回ろうが、睡眠や疲労の概念が無い彼女にとってそれらは何の問題にもならないのだ
流石におかしいと感じた麻子がEXAから本体を取り出そうとした矢先、ぴくりと履帯が回った
果穂「おはよう、ございます」
麻子「ん。どうした、随分とお寝坊だな」
果穂「……いえ」
ようやく起きた彼女だったが、どうにも様子が変だ
普段からはっきりとした物言いの果穂が曖昧な返事をしたことを不審に思い、膝を着いて彼女を見やった
麻子「大丈夫か?」
果穂「はい、問題ありません」
麻子「自己診断プログラムは」
果穂「どれも規定値です。バグや回路の損傷は見受けられません」
ではなぜ今日に限って麻子が起こすまでスリープモードに入っていたのか
前日を思い返しても何かがあったという訳でもない
休日の朝は二人とも心行くまま寝ているし、午後は昼食を取った後に夕刻までは二人で本を読んでいた
晩にはスーパーへ向かって夕飯の買い物を済ませて帰宅、晩食を済ませたのちに湯浴みを済ませて報告会に出席して就寝
特別日常からかけ離れたようなイベントが起きたわけでもなく、至って普通の一日だったと自負している
-
果穂「――それよりも――麻子
早く学校へ――行かないと
――遅刻してしまいますよ」
麻子「――――?」
果穂の台詞に乗って微かに聞き覚えの無いメロディが耳を掠めたような気がして押し黙る
が、空耳だったのか鳥の囀りと道を往く自動車の排気音が遠くから聞こえるばかりだった
そうこうしている内に時計を見てみれば時刻は本当にギリギリだった
少々不安ではあったものの、本人が大丈夫だと言うのならば今はそれを信じて学校へ向かうしかない
麻子「……もしなにかあったらすぐに連絡してくれ」
果穂「何を言ってるんですか。私も学校に行きます」
麻子「じゃあ行こう。少し走るぞ」
本日は戦車道の訓練も無いので別段学校へ出る必要はない上、この調子ではてっきり学校へ行くこともないだろうと思い込んでいたがどうやら違ったらしい
果穂が平日に学校へ出向かなかったのはこの一か月半でたったの二回なので、そもそも真面目な性格をしている彼女なら起きた以上は登校するはずなのである
身支度もそこそこに家を出た二人は通学路を早足に駆け抜け、どうにか遅刻は免れた
そど子「冷泉さん! 時間ギリギリよ!」
麻子「間に合ったんだからいいだろ」
そど子「もっと余裕をもって行動しなくちゃ駄目じゃない!」
麻子「わかったわかった」
校門を越えて尚聞こえる文句に辟易とする麻子は並行してついてくる果穂に愚痴を漏らす
麻子「なんだって私にだけあんなに厳しいんだ、そど子のやつ」
果穂「いつも遅刻していたのなら、それはああ言いたくもなりますよ」
麻子「まったく……お前には何も言わないんだから差別だぞあれは」
大洗に来て以来真面目にしている果穂と遅刻と欠席を繰り返してきた麻子とでは評価の仕方が違うのも当然と言えた
ただ、そど子があれだけグチグチとがなり立てるのは麻子に対してだけであり、両者の間でのみ成立するシチュエーションは仲が良い事の裏返しとも考えられる
とはいえ朝から小言を聞かされる方は堪ったものではない
-
沙織「あー麻子! また遅刻?」
麻子「まだ始業じゃない。ギリギリだ」
昇降口から階段を上って自分の教室へ向かっていると、途中でお手洗いを済ませた沙織と鉢合わせた
彼女ほどのお節介焼きはいないだろうと思う反面、そのお節介を個人的には嬉しく感じている
沙織「最近は結構ちゃんと起きてたのに、また癖が戻っちゃうよ?」
麻子「果穂が起こしてくれなかったんだ」
沙織「え、そうなの?」
自分の携帯のアラームと目覚まし時計を設定していなかった事は麻子に落ち度があるが、それは果穂が毎朝必ずモーニングコールをしてくれていたからだ
携帯や目覚まし時計と違って嫌な音がしないアラームなので非常に便利だった(最初の頃は脳みそを揺さぶるようなアラームだったが)
沙織「でも果穂に頼り切りじゃダメだよ。自分で起きれるようにならないと!」
麻子「沙織、よく聞いてくれ」
沙織「え?」
麻子「人は朝起きられるようにできていない」
沙織「何言ってるのよ、もー!」
麻子「むしろ、近頃私がちゃんと朝から学校に来ていたのを褒めて欲しいくらいだ」
沙織「普通はそうやって起きて朝から学校に来るものなの!」
果穂「沙織さんの仰っていることは最もですが、あまり気にし過ぎると小じわができてしまいますよ」
麻子「ふっ」
沙織「なんで笑ったの!?」
麻子「すまん、つい」
沙織「もー……また寝坊しだしたら私が起こしに行くからね!」
麻子「はいはい」
-
まったくおばあが二人に増えたようだと喉元まで出かかったのをなんとか留めて教室前で別れる
果穂はどうやら授業は聞かないようで、教室前に来た時に同時に別れた
どうせ格納庫で戦車を弄り回すか、学園艦内で埋もれている戦車が無いか捜索に出るのだろう
気を付けてな、と送り出した麻子にお気遣い無く、と返した果穂は緩やかに廊下を走っていった
――昼休み
果穂は校舎内に居ない時でも昼時には必ず戦車格納庫か集中整備ハンガーの方に現れる
それは優花里が昼ごはんを戦車格納庫で済ませることが多いからで、日によってはそこに他の面子が加わることもある
今日も購買の人波を避けて購入した菓子パンを片手に格納庫へ訪れると、Ⅳ号の上で小さなシートを敷いた優花里とツチヤ、果穂が談笑しながら昼餉を楽しんでいた
麻子「珍しい組み合わせだな」
優花里「あ、冷泉殿〜!」
果穂「朝ぶりですね」
ツチヤ「冷泉さんもお昼?」
麻子「ああ。邪魔していいか」
優花里「どうぞどうぞ!」
シートは二人でいっぱいだったので、操縦手席のハッチを開けてからそこに足をぶら下げて位置を確保する
隣まで来た果穂と視線が合い、そういえばと口を開く
麻子「今日は何か成果があったのか?」
優花里「と言いますと?」
麻子「いやなに、どうせ戦車をいじくるか学園の中で戦車でも探してるんだろうと思ってな」
ツチヤ「あれ、知ってるんだ?」
麻子「ん、まぁな」
-
果穂「今日は戦車を探索していましたが、特に何もありませんでしたね」
ツチヤ「まぁそう上手くはいかないかな。もしかしたら、もう学園に残ってる戦車は無いかもしれない」
優花里「そうですねぇ。灯台下暗しということで使われていないプールや体育倉庫の中まで探してみたんですが……」
麻子「なんだ、二人も探してたのか」
てっきり果穂だけで探しているのかと思っていたが、優花里とツチヤも探索に協力してくれていたらしい
暇な時間に果穂の暇つぶしに付き合ってくれるのはありがたい
特に二人は戦車関連で果穂とよく話しているので仲が良い。友達らしく一緒に探してくれと頼んだか、はたまた一人で探索しているところを見つかって二人が手伝うと言い出したのか
どちらにせよ、こういった交友関係を垣間見ることのできる昼休みでの格納庫飯は麻子にとって重要な時間の一つであった
自由行動をするようになってからというものの、果穂は一人の人として色々な人物と何かしら交友を深めているようだった
麻子にはその一つ一つを全て把握するほどの面倒見は備わっていないが、どこか自分の手を離れていった娘のような感じがして物悲しくもある
しかし、少なくとも悲観している訳ではない。むしろ大変喜ばしいことだ
ツチヤ「人数が多い方が効率がいいからねぇ」
優花里「でも、生徒会の方々も学園艦に眠る戦車は殆ど発掘し終えたと考えているのか、今では前のように大規模な探索を行うつもりはないようですね」
果穂「仕方ありませんよ。いかに広大な学園艦と言えど、陸と違って範囲が限られていますからね」
麻子「そうだな。それに、また遭難されても困るだろう」
優花里「ははは……そんなこともありましたねぇ」
懐かしい話だ。まだ一年も経っていないというのに
長年放置されて錆びの浮いていたⅣ号、山中に無造作に捨ててあった38t中戦車、ウサギ小屋に馴染んでいたM3リー中戦車、濁り切った沼の底に沈められていたⅢ号突撃砲、切り立った険しい崖の窪みに隠された八九式中戦車、雨水で自然に生まれた池に擱座していたルノーB1bis、東部第二中甲板水密隔壁付近に転がっていたポルシェティーガー、駐車場で永らく存在を忘れられていた三式中戦車
たった数か月でこれだけの戦車を発見して修理して、乗って優勝して……本当に信じられない話だ
感傷に浸るには早すぎる年齢でも、それほど衝撃と激動を走り抜いた期間だったのだから仕方がない
-
まるで走馬灯のように脳内を巡る記憶の中に最近のことまで交じり、これではこのまま逝ってしまうのではないかと意識を取り戻した麻子は一瞬で切り替わった状況にしばし呆気に取られていた
麻子「ここ、は……」
先程まで優花里たちと格納庫内で昼食を取っていたはずなのだが、自分が今立っているのは校門前だ
時刻は景色を見るに夕方で、放課後であろうことは大方察しがついた
麻子(白昼夢……いや、まさか)
間違いない。自分は夢の中ではなく現実の地に降り立っている
であるとするならば、いったいいつの間に放課後を迎えてここに立っていたのか
もしかすると朝から眠気が飛ばず、ずっと無意識のままに今日を過ごしたか、あるいは昼にあったと思っていた出来事はたった今見ていた刹那の夢であったのか
大穴で自分が気が付かない内に疲れを溜め込んでしまっていて身体に限界がきているかもしれない
ともかく今一度大きな深呼吸をしてクリアな意識を感じた麻子は、手にした鞄を片手に早々に帰宅路へ着こうと歩みを進めた
『緊急呼集、緊急呼集。戦車道履修者、以下の者は直ちに生徒会室に集合せよ。繰り返す。緊急呼集、緊急呼集。戦車道履修者、以下の者は直ちに生徒会室に集合せよ』
と、突如として夕暮れに響いた放送が麻子の耳朶を打った
歩き出そうとしていた足を止め、その声に顔を上げる
『西住みほ、磯辺典子、鈴木貴子、澤梓、園みどり子、中嶋悟子、猫田――』
告げられる名前はどれも車長のものだ
ということはまたぞろ他校との練習試合でも決まったのだろう
『――冷泉麻子、以上』
自分には関係ない事だと高を括っていたのだが、それを蹴散らすように麻子の名前が呼ばれた
自身と果穂をセットで呼ぶということは単なる呼集ではないのかもしれない。あるいは練習試合で果穂を参加させるか否かを採決される可能性もある
なにせ果穂の存在は大洗以外には明かしておらず、戦車道を通じた育成といえども人工知能である彼女を他校との試合に参加させることに問題がないわけではないのだから
ただ、その辺りについては会長ほどの人間が相手に先手を取って打診してないとも考えられない
となると、後は一応こちらの決を採っておこうという腹積もりなのだろうか
麻子「なんにせよ行くしかない、か」
-
生徒会室に訪れたのは麻子が最初だった
残りの者は殆どが放課後ということもあって帰宅していたからだ
遮光カーテンに仕切られた窓の僅かな隙間から夕焼けの橙色が室内を照り返していた
麻子「私が一番乗りか」
誰に言うでもなくひとりごちた麻子の言葉に、自分専用の椅子に座っていた杏は一際真面目な表情で頷く
横広のソファの端へ腰を降ろした麻子に対して何かを言うでもなく、続々と集まってくる車長達と最後に入って来た副会長と広報が出揃うまで杏はずっと唇を固く引き結んだままだった
杏「みんな揃ったね」
桃「はい。西住みほ以下七名、全員居ます」
立ち上がった杏がホワイトボードの前まで移動し、桃と柚子は静かにその中央を彼女に譲って一歩下がる
杏「試合が決まった」
試合。言うまでもなく戦車道の試合。戦車戦
それだけであるのならば別段珍しい事でもなく、だからこそ杏がここまで真剣な顔をしていることはこの場の誰もが気を緩められない原因であった
梓「練習試合、ですよね……?」
杏「違う」
カエサル「以前のように同盟を組んでのエキシビションマッチ?」
杏「いいや」
ねこにゃー「ま、まさか、また大学選抜と試合とかそういう展開……」
杏「そうじゃない」
じゃあなんだというのか
否定するばかりで肝心の内容は言い渋る杏に鋭いみほの視線が刺さる
早く言え、という圧力も若干含んではいただろうが、それの意味するところは今更何がきても怖くないのだから言いよどんでも仕方がないだろうということ
廃校を回避する為に経験も戦車も不十分な中で優勝を強いられ、終いには自分たちより圧倒的に強い連中と殲滅戦をしろ等と言われたのだ
その二つを潜り抜けてきておいて、この期に及んでどんな難題が待っているというのか
例え難題であろうとも、二度ある事は三度あるの精神でまた厄介ごとかと言えるくらいの覚悟はとうの昔にできている
もうここにいるメンバーはただの甘ちゃんではない
暗にそういう意味でのみほの視線だった
-
みほにそんな視線を送られては杏は何も抵抗できない
無論、呼び出した以上は肝心の話をしなければただの井戸端会議だ
いつまでも黙っているという訳にはいかず、杏はようやく話の本題を語りだした
杏「廃校じゃない」
そど子「へ?」
杏「今回は別に廃校が賭かってるとか、そういうことじゃないんだ」
みほ「じゃあなんですか?」
杏「資料」
桃「はっ。全員、これを一部ずつ受け取れ」
回された資料には何やら小難しいことがずらずらと羅列されており、ただ情報を束ねられただけといった体の紙束はぱっと見何であるかはわからなかった
ただ数人、軽く資料を眺めた時点で中身の大方を理解した者がいる
麻子「……なるほど、これで私も呼ばれたのか」
杏「うん」
ナカジマ「これは……果穂ちゃん絡みかぁ」
梓「すみません、よくわからないんですけど……」
柚子「今から説明するね」
白い板面に黒の線が駆ける
それらはいつもの試合に臨む前に行われるブリーフィングと似たもので、しかしいくつか異なる点があった
まず、張り出された試合会場らしき図面は明らかに艦船の造形をしており、しかもそれは大洗の学園艦だった
そして、相手については戦車から正体に至るまで情報無し
なんだこれは? とカエサルが首を傾げるのも無理はない
-
杏「簡潔に言おうか。今回の試合は分類上は練習試合。ルールは二五対二五の殲滅戦で、場所はここ、大洗の学園艦上で行う」
みほ「時期は?」
杏「明日だ」
麻子「なっ……」
梓「あ、明日!? いくらなんでも急すぎじゃあ……」
典子「相手はどこですか!」
杏「……文部科学省」
「「「「「――――!!」」」」」
まさしく因縁の相手が再び勝負を仕掛けに来たと言うべきか
だが、文部科学省が相手とは戦車には役人が乗り込むのか? という疑問が湧いて出た
そもそもどうしてただの練習試合を文部科学省相手に組むことになったのか
杏「資料を見て。一番最初のページ」
何も書いていない真っ新な表紙を捲った一ページ目には今回の試合について、そういった意義で行われるものなのかが如何にも役所仕事といった風に記載してあった
やたらと面倒な言い回しが多いが、簡単に内容を纏めるならば『AIと試合をしろ』である
杏「私たちが相手にするのは人が乗り込んだ戦車じゃない。果穂ちゃんみたいな、人工知能が操縦する戦車だ」
ナカジマ「へぇ……面白そう」
杏「それだけならね」
資料上では本当にそれだけだ。戦車を操縦できる人工知能と試合をして欲しい。ただそれだけ
なぜ人工知能を用いて戦車道の試合をするのか、ということについてはその項目の中段にしっかりと記載がある
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『――戦車道はその内情から開催地については広大な敷地と多種多様な地形が求められ、試合に於ける建物や土地、各所有の物品については破損、あるいは損失した場合に於いて戦車道規約第三条第九項により対象の損壊状況に応じて日本国政府から補助金が支払われる
建築物、及び土地への修復・補修・新築については政府指定の各提携企業によって行われており、これらは経済を活性化させる意味でも今日まで問題なく執り行われてきたことである
しかしながら、近年の世界的経済状況の悪化、各団体からの戦車道反対運動により国庫から支出される戦車道関連の補助金は限界が見え始めている。それらが要因となって、政府は運用と維持に採算の釣り合わない箇所、即ち実績の無い学園艦の廃艦を提案した
これにより当該対象となった茨城県東茨城郡大洗町の学園艦は正しい交渉手続きによって廃艦を免れたものの、依然として財政が困窮していることに変わりはない
国の危急とはいえ、政府による強引な廃艦、廃校は倫理的、人道的観点からも好まれるものではなく、代案として別の財政から資金を無駄なく削ぎ落とすことが議会によって可決されようとしている
その代案が戦車道であり、戦車道で消費される人件費、各物品費、土地費用などを鑑みるに、これが最適な決断であることは明白である
戦車道は世界中で嗜まれる競技であるが、アメリカやロシアと違い日本の土地には限りがあり、各地で開催される戦車道戦で破壊された建築物や土地の補修は政府提携先企業や私営委託でも間に合わず。資金についても莫大な出費を強いられている
そこで、戦車道という形を損なわずに戦車道からより安全とで土地、物品の確保が不要となる新たな形の戦車道の開発に着手していた
それが、VR(ヴァーチャルリアリティ)を用いた仮想現実空間での戦車道であり、これによってあらゆるデータを電子化することで現実では開催不可能な場所での試合を行うことが出来る上、各学校は予算に悩まされることなく自由に戦車を選び、使用することができる
初期投資としてVR機器の導入費用と専用回線の開通さえ済ませてしまえば、今や全国のどこにでもある光回線通信によるインフラストラクチャを介して移動することなく各校との試合も気軽に行う事ができる
加えて、これをe-SPORTSとして展開、推進することで、我が国が世界におけるe-SPORTSとしての戦車道の先駆けとなり、戦車道とe-SPORTS両面のカテゴリーにおいて革新的な進歩と世代を先取りした取り組みによる両項目の発展を望むことができるのは間違いない
従っていくつかの項目に於いて試験的な実地研究、開発を行い、e-SPORTS戦車道の地盤をより強固なものにする為のタスクが提示された
まず一つにVR機器、システムの開発。富士通、東芝、水道橋重工――(中略)――
二つ目に導入用のデータの回収と管理。防衛省、陸上自衛隊、総合情報局(SIO)――(中略)――
三つ目にVR内で訓練や標的として使用できる高性能CPU《Specific Purpose Artificial Intelligence(特別目的人工知能)》の開発。日本脳科学研究所、東京大学、大洗女子学園――(中略)――
以上の項目からSPAI(スパイ)の先行試験を実施している大洗女子学園戦車道履修生に追加の実験として、国立研究開発法人産業技術総合研究所(以下、産総研)と日本脳科学研究所(以下、日脳研)が第四世代人工知能より採取したデータによって共同開発されたSPAIとの実車による模擬演習を行ってもらう――』
-
いくつか引っかかる点はあるものの、概ね麻子と杏は〝嵌められた〟ということだ
さり気なく文部科学省が提示したタスクの三つめ、高性能CPUの所に大洗女子学園が協同として記載されており、しかもSPAIの先行試験をしていることになっている
後述から先行試験とは果穂の事を言っているようだが、最初に杏や麻子に郵送された資料にはそのようなことは一文も載っていなかったし、あの科学者もそのようなことは一言も口に出さなかった
つまりは都合のいい試験台として麻子、ひいては大洗女子学園は思惑通り利用されたことになる
そして、その協力が成り立ってしまっているからには、この押し付けられる試合を拒否してしまえばたちまち悪者扱いされてしまうだろうことは目に見えていた
なんたる謀略。なんたる理不尽
卑怯極まりない手段でまたもや大洗を毒牙にかけようとしているのは誰なのか言うまでもないことだが、ここまでくるといっそ妙な笑みが溢れてくる
麻子「お前、知ってたのか?」
果穂「私を疑っているんですか? ……いや、当然ですね。それにしても酷い話ですよ。私も、麻子も、皆さんも、知らず知らずに手のひらの上とは」
麻子「ふっ」
みほ「……? 麻子さん?」
麻子「大丈夫だ」
そう悲観したものでもない
確かに大洗女子学園戦車道としては急な日程で数的不利、ルール不利で試合を行わなくてはならない訳だが、何を血迷ったのか場所は大洗生が隅から隅まで知っている学園艦上である事に加え、負けた時のデメリットが存在しない
流石に二回も廃校を提示し、無理難題を押し付けておきながらどちらも達成されているのだから、三度目がきてしまえば今度こそ世間が盛大に批判や反対運動を始めて不信感を植え付けてしまう事をわかっているはず
だからこそ例の役人はこんな形で嫌がらせをしてきたのだろう。せめてもの反撃、というわけか
条件を見れば戦車に搭載される人工知能がいかような実力かは不明だが、戦車台数は完全に不利である
それでも大会規約に於ける現時点での最大台数である三〇台でないことはマシだった
大方、こちらが多数で囲まれて成すすべなくボコボコにされるのを見てスカッとしたいのだろうことは透けて見えている
杏「……まぁ、負けても何かある訳じゃないみたいだし。とはいえ急な話で申し訳ないんだけどよろしくね」
杏のシリアスな空気は文科省絡みだからかと推測した
こんな明確な嫌がらせをされればそれはそうなるだろうと、他人事のように同情の念さえ浮かぶ
柚子「他のみんなには私たちから連絡しておくね」
桃「ともかく明日に備えて作戦会議だ」
バン! と、力強く叩かれたホワイトボードに全員の意識が切り替わった
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今日はここまでゾ
来週で終わりまで持っていくって言ったのに約束を反故にしてしまって申し訳ないゾ……
次で確実に終わるゾ
あと、もし今回の投稿分で文章や流れに違和感をもった人がいたらそれは終わるまで胸の内に取っておいてほしいゾ
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すごいですねこれ
(アニメ世界の魔法を剥いで現実に近付けていったらこうなるんだろうな、って感じで違和感は)ないです。実際安上がりで安全でしょうし
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正統派SFみたいだぁ…
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クッソ大作過ぎて読む方も根気が要るSS誇らしくないの?
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水面下で蓄えられてきた無機質な悪意が一気にぶちまけられる展開があぁ^〜たまらねえぜ。
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伏線なんか張っちゃってさぁ、誇らしくないのかよ?(賞賛)
続きあくしろよ
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一気に話が動きましたね
当たってたらまずそうなので予想はやめておくから続きして…?
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ちょっと予想以上に時間かかってるから出来てる分を投稿したいんだけど……いいかな?
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あくしろよ
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作戦会議は開始からかなり紛糾した
恒例として副隊長の桃が試合区域と相手車両、相手の得意とする戦術を分析して草案を出す(といっても殆どの意見をつっぱねるので原案と化す)のだが、今回はその提示前に杏自らが作戦を提案したのだ
もちろん会長に対して盲信とも言えるほどの信頼を置く桃は自身の作戦を取り下げてその提案に賛成を示した
が、なんと一年生の梓と隊長のみほからも作戦の立案が成され、最終的にはそれぞれの案に票を取っても綺麗に割れてしまって多数決すら取れないほどだった
原因は主に自分たちの学園艦だから、ということになる
演習も模擬戦も気軽に陸の演習場を使用できない大洗の戦車道は学園艦内でそれらを賄う必要があった
加えて戦車探しで学園艦の隅から隅まで地形を把握しているので、それらの理由からどこに展開すれば有利を取れるかがそれぞれ自分の見解を抱えていたのだ
主張はどれも間違ってはおらず、杏、桃、梓の意見も学園艦を主戦場とする上ではどれも有効といえるものである
ただ、麻子の中ではやはりみほの作戦に軍配が上がっていた
どうにも三人の作戦は大洗の学園艦であるということを意識し過ぎてあまりにも地形頼りに思えたからだ
無論、地形を活かすことは基本であり常套手段。隊長であるみほでさえ地形を上手く利用しろと口を酸っぱくして言っている
しかし、いくら地形を活かすという戦術に則っても連携が考えられていなければ一たび崩れた時に待っているのは各個撃破だ
三人の作戦は地形利用を前提で各人が多数の戦車に対してバラバラに挑むことを主題においた内容になっており、味方への意識が疎かになっているのだ
その点、みほは各地形を抑えながら部隊全体を使いこなす作戦を提案しており、これならば不足の事態でも味方との連携で窮地を脱することのできるものと思われた
麻子がそのことについて言及すると、冷静に腰を据えていたナカジマと猫田から賛成の声が上がり、続いて杏と梓も自身の作戦を撤回してみほの作戦を推した
これによって柚子、そど子からの質問や意見、桃の反対がありつつも多数決によりみほの作戦が可決される事となる
みほ「情報が不足しています。運が良いのは試合区域が私たちにとって有利な場所ということ」
みほ「ですが、数的不利な上に敵車両の二十五台全てを撃破しなくてはなりません」
みほ「今回は明日開催という電撃戦のような状況だけに、大学選抜戦のように援軍も望めません。私たちだけでなんとかする必要があります」
みほ「でも相手は人工知能。人より優れた操縦や展開、判断や砲撃ができるとは限りません」
みほ「人には人の隙があり、穴がある。人工知能が人の作ったものであるというのなら、それらにも備わっているのが当然でしょう」
みほ「油断はできません。けど、黒森峰や大学選抜のように恐れる相手ではないんです」
みほ「皆さんの力を合わせて、勝利を!」
おー! という掛け声が日の沈んだ生徒会室から沸き起こり、杏の締めによってその場は解散となった
-
翌日の昼過ぎより行われる試合の一環として学園艦外縁工事――落下防止の為の特殊カーボン製外壁の設置の為に今晩にも学園艦は大洗の港に寄港することになっている
住民や一般生徒への一時退去命令は今晩中に行われ、明日の朝までには船舶科の航海必要要員以外は退艦するようだ
嫌な予感や予測ほどよく的中するものだ、と麻子は内心苛立っていた
帰路で思いを馳せる矛先はもちろん果穂に向けたもので、彼女を利用して更に自分たちまで利用したあの役人に対する怒りを募らせていた
果穂は純粋な子どもだった。科学と人類の発展に繋がる新たな希望であった
それを自分の私利私欲に惑わすなど到底許容できるものではない
廃校にならないから、ただ試合をすればいいだけだから――そんな尺度や損得で語るようなものではない
自業自得が招いた出来事にいつまでも自分は悪くないと思い込み続けているような人間が、些細な仕返しの為に何も知らない果穂を使っていたのだと思うと腸が煮えくり返る
麻子「ただいま」
果穂「おかえりなさい、麻子」
とはいえ血液を沸騰させたままでは冷静な判断は下せない
明日の試合を無事終えるまではいつも通りにⅣ号の操縦手として努めなければ、感情に振り回されて実力を発揮できないだろう
帰宅を出迎えてくれた果穂になるべく感情を表に出さぬよう接したつもりだったのだが、部屋に入って早々に彼女から核心を突くような言葉が飛んできた
果穂「今日はなにかありましたか?」
麻子「……なかった。いや、あった」
否定して即座に言い直したのは、隠し立てした所でどうせ翌日には判明してしまうこともあるが、なにより彼女が深く関わっているであろうことを秘密にしておきたくなかった
だからこそ/ 数字が /何かも何も、とぼけられては困る。たったさっきまでその『何か』の原因があったばかりだというのに
と思ったのだが、恐らく果穂はそういう意味で聞いたのではないのだろう
となると話すべきは昼から記憶が飛んでしまった事だ
麻子「お前、今日は昼間なにしてた?」
果穂「…………いつも通りですが」
麻子「そう、か。いつも通り、格納庫に居たか」
果穂「それがなにか?」
麻子「いや、昼休みにお前と秋山さん、それからツチヤさんと話していたのは覚えているんだが、そこから放課後までの記憶が無い」
-
果穂「なるほど。昼から放課後まで……思い出せないんですね?」
麻子「ああ。あの後、私が何をしてた見てたか?」
果穂「いえ。残念ながら、昼休みを終えてからはまた格納庫に居ましたから。麻子は普通に教室まで戻っていましたよ?」
麻子「ん……ならいいか」
果穂「少し疲れているのではないですか、麻子。今日はもう湯船に浸かって早く床に入ってしまいましょう」
麻子「そうするか。明日に備える必要もあるしな」
なんだか帰宅してからというもの、どうにも視界の端に飛蚊症のように数字や朝方のメロディが/ 音が /仕方がない。果穂の言うように今日はもう必要な事だけ済ませて寝てしまうのが吉だろう
少々頭痛もするので、体調を万全にしておかねば明日の試合に全力で臨むことができなくなる
どうやら気を利かせて風呂の湯を張っておいてくれたようなので、遠慮せずに湯浴みを済ませることにした
晩御飯は昨日のおかずの残りがまだ余っている
沙織から料理を教えてもらったのはいいものの、果穂が作る時はどうしても量が多くなるのだけが欠点だった
とはいえ翌日に持ち越しても問題ないほど味はしっかりしているし、二日分作っているのだと思えばどうということはない
果穂「体調はどうですか? 頭痛や動悸などはありませんか?」
着替えを箪笥から引っ張り出していると、やけに早口の果穂が麻子の正面に回り込んでまでそう訊いてきた
どうやら彼女から見て今の自分は相当に顔色が悪いようだ
麻子「わかるか。少しだけ頭がな……これでも昼間よりはマシだ」
相変わらず昼食後から放課後までの記憶は飛んでいたが、なんとなく自分が昼に入る前辺りから前頭葉付近に痛みを感じていたことを思い出す
針を刺すような痛みが断続的に襲っていたが、今の鈍痛よりか数倍痛みが酷かった
そう考えるとこの頭痛は一過性のものであり、自身が夜更かしでもしない限りはこのまま収まっていくだろう
果穂「そうですか。ふらついて風呂場で頭を打ったりしないで下さいね」
麻子「おい……ああ、まぁ、気を付ける」
心配振りに突っ込みたい気持ちもあったが余計な事は言うまいと大人しく頷いておき、麻子は寝間着を抱えて風呂場へ向かった
-
スズキ「これで万全かな」
ホシノ「そうね。予定より少し長引いちゃったし、私たちも帰って明日に備えましょうか」
虫達のざわめきが風のさざめきと重なって吹き抜ける戌の刻
大洗の各戦車が格納されている整備倉庫では、自動車部が最後の整備を終えて工具箱を片付けていた
錆び付いたセパレートを廃品箱の中に投げ入れ、愛用のラチェットレンチをツールボックスに仕舞ったツチヤは、ふと空を見上げて顔を顰める
ツチヤ「嫌な曇り方……明日は降るのかな」
ナカジマ「んー、なんだかいい雨じゃなさそうだね」
『雨のナカジマ』がそう言う時は決まって良い降り方をしない
鼻を擽る微風もどこかねっとりとしていて、まるで台風が訪れる前の天候だった
ナカジマ「明日って晴れじゃなかったっけ?」
ホシノ「えーっと……ああ、明日は確かに晴れ。だけど、夜から早朝まで降るみたい」
ほらこれ、とホシノがタブレットの画面をみんなに見えるように差し出す
開かれたページは気象庁がアメダス等の天候観測機器とは別に独自に設置している、学園艦専用の海洋気象観測ブイによる明日までの天候予測図
大型の低気圧が今夜から明日未明に掛けて学園艦上を通過するようだ
スズキ「あちゃー、こりゃずぶ濡れになる前に帰らないとね」
ナカジマ「うん、今にも降り出すかも。みんな道具持った?」
ツチヤ「あるよー。クレーンのキーは三番に」
ホシノ「同じく」
ナカジマ「よし。じゃあ帰ろうか」
突然明日の試合を通告されても普段からしっかりと戦車を整備している自動車部に抜かりはない
現在は各戦車に追加機材が導入されているので入念にチェックを行っていたらもうこんな時間だった
時間も時間であるし、もし雨に降られて風邪を引いてしまえば本末転倒だ。四人は電灯を落とすと鞄を抱えて小走りに格納庫を出た
-
四人の帰宅方向は同じである。四人で乗用車に乗って通学し、帰宅するのが通例だ
寮が同じなので自然とそうなるのだが、今日は所有車の一つであるのフォレスターは敷地に停めたままで来ているので代わりに駐車場に停めてあるフェアレディに乗り込む事になった
スズキ「あれ、駐車場にソアラなかったっけ? これで帰ったら停める場所ないよ」
ナカジマ「一昨日理事長に貸し出したから大丈夫だよ」
スズキ「ああ、そうだったそうだった」
キーを回してエンジンを始動させ、温まるのを待ってからゆっくりと動かす
僅かな切れ目があった曇天も今では隙間なく空を埋め尽くしており、どんよりとした湿った空気が最早降雨まで一刻の猶予もないことを伝えていた
校門を出て真っ直ぐに進み、途中で交差点を右折した所で後部座席のホシノが「あっ」と声を上げる
どうした? とナカジマが彼女を見やると、鞄をひっくり返して制服のポケットを裏返していた彼女は申し訳なさそうに頭を下げた
ホシノ「家の鍵を忘れた……」
ツチヤ「あらら。今日はウチに泊まる?」
ホシノ「そうしたいんだけど、パンツァージャケットとか財布がそのままだからなぁ」
ナカジマ「朝からもう一度戦車の点検もしたいし、鍵を取って戻ってたらゆっくりできないもんねぇ。パパッと戻ろっか」
スズキ「はいよ〜」
雨が降っても車があるので多少は問題ないだろうと判断したナカジマの指示に、スズキは勢いよくハンドルを切る
Uターンして来た道をそのまま戻った自動車部は、校門前まで差し掛かったところで車を止めた
ツチヤ「どしたの? このまま格納庫前に乗り付けたらいいじゃん」
スズキ「いや……あれ」
スズキが指を差したのはツチヤがたった今乗り付ければいいといった戦車格納庫
外灯が周辺を照らしているくらいで何も変わりがないように思われたそこに、自動車部は確かに異変を感じ取った
シャッターは閉まっている。その隣の通用口も戸締りは完璧だ
しかし、倉庫の上部にある小窓からは光が漏れ出していた
これはつまり、誰かが中に居るということに他ならない
-
ホシノ「さっき確かに照明は落としたはずだ」
ナカジマ「うん、間違いない。どの倉庫も確認したよね」
ツチヤ「誰かが忘れ物取りに来たんじゃない?」
スズキ「一番あり得る話だけど……」
普通に考えるのであればツチヤの言う通り、誰かが戦車内か格納庫に忘れ物を探しに来て電気をつけている可能性が最も高い
だが、格納庫は自動車部の庭。見慣れぬ物が置いてあればすぐに気が付くし、戦車を整備する時に各戦車の備品も目にしている
今更何か取りに来るようなものはないはずだった
なんだか通常のそれとは別の気配を感じ取ったナカジマは、このまま校門前に車を停めるのを指示すると静かに降り立った
ナカジマ「スズキ、エンジンは掛けたままね。合図したら乗り付けていいから。ホシノは私と一緒に第一倉庫の通用口から入る。ツチヤは第四倉庫から入って」
三人は無言で頷くとそれぞれが配置へ着く
まさかこの大洗に銅線や工具を売り払って儲けようとする輩や暴漢などがいるとは思えないが、念には念を入れる必要がある
通用口のノブに手を掛けたナカジマは背後のホシノを一瞥し、第四倉庫前のツチヤが手を挙げたのを確認すると息を殺して扉を押し開いた
キィ、とほんの少しだけ蝶番が軋み、これ以上音を鳴らさないように最低限の隙間から身体を倉庫内に滑り込ませる
整備や内部の大きさの関係上、外見は四つに分かれている戦車整備格納庫だが、実態は四つの倉庫の内壁を殆どぶち抜いて一体化させている一つの大きな格納庫だ
第一倉庫に人影は見当たらず、第二倉庫まで伸びている牽引クレーンに隠れるようにしてナカジマとスズキは歩みを進める
反対側のツチヤから合図はないので、恐らく同じように機材の影を縫って第三倉庫辺りまで進んでいるのだろう
クレーンの端まで来た二人は、第二倉庫にも人影がないことを確認すると少し離れた場所に在るフォークリフトに移ろうと動き出した――瞬間
ナカジマは後ろのホシノから襟首を思い切り引っ張られてクレーンの裏に引き戻された
首が締まって声を上げそうになるが、それを見越したホシノはナカジマの口を抑えて咳が溢れ出るのを止める
どうしたの、と目線で訴えかけるナカジマに、ホシノはあそこ、とアイコンタクトでⅣ号戦車を指し示した
第二倉庫の左に停めてあるⅣ号戦車。一見何も変わらないように見えたそれに目を凝らすと、車体の下部から脚が飛び出しているではないか
一体誰が何をしているのか。じっとその脚を見つめていた二人は、向こう側から人影無しの合図を送って来たツチヤと合流し、同じくⅣ号の異変を伝えた
-
間もなく緊張で汗を流し始めたナカジマがそれを拭った時、伸びていた脚の主は背中の寝板を滑らせて姿を現した
恰好こそ明らかに部屋着か寝間着であったが、その顔に見覚えの無い物などいない
ナカジマ(冷泉さん……? どうして……)
Ⅳ号の下部から現れたのは間違いなく冷泉麻子その人であった
レンチを片手に道具箱を乗せた寝板を転がし、第三倉庫へ移って行く
ホシノ「どういうこと? 冷泉さんが戦車整備……あんな恰好で」
小声でそうひとりごちるホシノの肩を叩いて意識を向けさせたナカジマは、第三倉庫に移った麻子を追って合流したツチヤと共にその様子を観察することにした
麻子は第三倉庫に入るとⅢ号突撃砲の履帯を取り外し、誘動輪のいくつかを取り外してチェックもせずにボルトとビスを解放して別のものへ取り換える
ナカジマ「今日Ⅲ突の整備したのは?」
ツチヤ「わたし」
ナカジマ「履帯は?」
ツチヤ「駆動輪を新しいのに取り換えて歪んでた遊動輪を二つ新しくしたけど、少なくともあそこじゃない、かな」
となると麻子はなにをしているのか
いや、そもそもこんな時間に格納庫を訪れてどうして戦車を弄っているのか
ふつふつと湧き上がってくる疑問の中で、ナカジマは考えたくないようにしていた事をどうしても考慮に入れざるを得ない状況に追い込まれていた
もしかすると、麻子は戦車を整備しているのではなく細工しているのではないか、と
けれども麻子を知る者からすれば絶対に彼女はそんな真似をしないことをわかっている
第一、戦車に細工して麻子にどういったメリットがあるというのか。単なる悪戯にしては度を過ぎているし、麻子は倫理観に掛けた人間ではない
かといって他に彼女がここに居る理由も思い浮かばず、戦車を弄る所を直に目撃してしまったのだ
こうなるともうナカジマは麻子を見逃すこともできないし、ここで捕まえて何をしていたのか話してもらう必要性がある
ナカジマは覚悟を決め、二人に新たな指示を出すと改めて物陰から麻子の様子を窺った
横顔にはなんだか血の気が無く、ぼんやりとしているように見えなくもない
そうこうしている間に配置に着いた二人から完了のハンドサインを受け取り、ナカジマは拳でトントンとクレーンを叩いて音を立てた
-
ぐりん、と気味の悪い振り向き方をした麻子の背後からホシノとツチヤが圧し掛かる
呆気なく二人に取り押さえられた麻子は、女性とはいえ二人分の体重を受け止めながらも表情は変わらないままだった
特に抵抗するでもなく何かを言う訳でもなく、押し黙ったまま地面に抑えつけられている麻子に流石のナカジマも変だと気づく
ツチヤ「ゴメン、冷泉さん。大丈夫?」
麻子「………………」
ホシノ「冷泉さん?」
呼びかけてもこちらを見上げて黙ったままの麻子の瞳は、どうにもナカジマを見ているようで見ていないような、意識を手放したかのような眼をしていた
まったく動かないので恐る恐るホシノとツチヤが麻子の上から退くと、すぐに立ち上がった麻子は何と気にする素振りも見せずにⅢ号突撃砲を弄り始めたのだ
麻子の様子にいよいよ只ならぬものを感じたナカジマは、唖然とする二人に先んじて彼女の肩を叩いた
ナカジマ「冷泉さん、ちょっと待って」
やや強引にこちらを振り向かせたナカジマは、心苦しく思いながらも取り繕って怒っている調子を見せつける
ナカジマ「どうして何も言ってくれないのかな? なんで冷泉さんが戦車をいじってるの?」
もしかするとこの呼びかけにすら応じてくれないのかもしれない。その場合はどうするべきか
そう考えていたマカジマの思考を裏切る形で麻子はここで初めて反応を示した
麻子「……細工……修繕、Ⅲ号突撃砲、履帯……操縦席……操縦桿……」
ナカジマ「ッ!?」
もはや様子がおかしいなどと言う次元の話ではない
明らかに今の麻子は壊れてしまった機械のようにぶっ飛んでしまっていた
ホシノ「冷泉!!」
肩を激しく揺さぶって呼びかけるホシノだったが、期待した効果は得られずに麻子は虚ろに呟き続けるばかり
いよいよもってどうするべきかと互いに顔を見合わせた矢先、麻子の懐から携帯の着信が鳴り響いた
それは彼女が好む猫の鳴き声によるものでなく聞いたこともないような妙なメロディの曲調で、やけに大きい音でがなり立てる
麻子「――――あ」
-
麻子は周囲の眩しさに思わず目を細めた
どうやら自分は顔を上げていたらしく、天井に備え付けられている照明をもろに視界に収めてしまったようだ
というか、なぜ自分はこんな所――戦車格納庫などに居るのか
麻子(…………ああそうだ。確か果穂が戦車のチェックをしようと言い出したんだったな)
風呂上がりの麻子が晩飯を採って緩やかに就寝までの時間を過ごしていた時、果穂が突然「戦車を見ておきましょう」と言い出したのだ
そんなことをこんな時間からしなくても明日の早朝から出れば時間は十分にあるし、自動車部がしっかり見てくれていると言ったのだが、朝は貴女が起きられないし私にも自動車部の皆さんから教えられた知識を活かしてみたいのだと聞かなかった
しょうがないので果穂を連れて格納庫を訪れた、ということだ
麻子「ん?」
ぼーっとしていたな、と視界を水平に戻すと目の前にはどこか変な顔をした自動車部の三人がいるではないか
いつの間に現れたのか驚きを隠せないでいる麻子は目を丸くして正面のナカジマに声を掛けた
麻子「すまない、少し呆けてた。どうかしたのか?」
ホシノ「え……どうかしたのって……」
ナカジマ「ねぇ、冷泉さん。ここで何してたの?」
呆気にとられたようなホシノを制してナカジマが質問をぶつけてくる
いつもの優しい感じとは違ったどこか強張ったような声色に、やはり勝手に戦車を整備するのは不味かったかと苦い顔で顛末を話す
麻子「いや、果穂の奴が急に戦車をチェックすると言い出してな……すまん、私が止めるべきだった」
頭を下げようとする麻子だったが、その前にナカジマが間髪入れずに質問を続けた
ナカジマ「果穂ちゃんはどこ?」
麻子「どこって……そこにいるじゃないか」
麻子が指したのは自分のやや後ろ。普段であれば彼女と行動をする際に果穂が着いている定位置
――そこにはなにもない
麻子「果穂、お前からも説明しろ。そもそもはお前が言い出したのが原因だろう」
まさか冗談を言って誤魔化しているのかと誰もが思った
しかし待っていたのは冗談よりも性質の悪い、いっそ冗談であって欲しかった程の出来事
麻子「――そうですね。申し訳ありません。私が無理を言って麻子をここまで連れてきました」
-
ホシノ「ち、ちょっと……」
ただの一人芝居。ただの物まね
そう言えたらどれほど気が楽だったことか
たった今、麻子が三人の前で放った声はどこからどう聞いても麻子のモノではなく彼女に付き従えていた果穂のモノで、仕草は果穂が人の形に具現化したかのようにピッタリと当てはまっていた
あまりの奇怪さに腰を抜かしたツチヤが床に尻を打ち付ける
麻子「この通りだ。どこを弄ったかは覚えてるから必要があるなら教える。本当に申し訳ない」
例えば麻子の隠し芸が物まねだったとして、声はともかく見たことのない、絶対に見る事の出来ない果穂の人間としての仕草など真似ができるのだろうか
先程の台詞は間違いなく果穂のものであり、そして頭を下げる姿勢はもし果穂が人の形だったならと想像していた仕草と合致するのだ
まるで果穂が麻子に乗り移っているかのような、そういう薄ら寒い考えに至ったナカジマは意を決して指摘をした
ナカジマ「冷泉さん」
麻子「ん、なんだ?」
ナカジマ「どこにもいないよ、果穂ちゃん」
麻子「何を言ってるんだ。そこに――」
ナカジマ「良く見て!! そこに何があるの!?」
上半身をそちらに向けさせて麻子の指さした場所に在る真実に目を向けさせる
そこには何もない。何も在りはしないのだ
果穂の本体である立方体も。彼女の外装となるEXAも
果穂という存在の証明となるものは何一つとして無い
麻子「あ……れ?」
しばらく固まっていた麻子だったが、その呟きと共に身体が震えだし、次第にその震えが大きくなる
麻子「果穂? どこだ? 今、居ただろう。ここに」
麻子「私の隣にいつも居た。果穂。果穂、どこだ」
麻子「出て来てくれ、果穂。なぁ。おい。果穂」
-
これはマズイ、という本能の警鐘にナカジマは反射的に麻子の身体を強く抱きしめた
それとほぼ同時に麻子は突然暴れ出したのだ
拘束するように抱き締めているナカジマの腕を引っ掻き、足を後ろに蹴りだして逃れようとするが一手早く体勢を整えていた彼女からは逃げ出せない
ナカジマ「冷泉さん落ち着いて!! 大丈夫だから!!」
冷泉「ぐ、ぅぅ!! あああああ、ぁぁぁぁぁああああああああっ!!!!」
ナカジマ「ホシノぉ!!」
予想外の連続に戸惑って動けないでいたホシノがハッとした様子で暴れる脚を抱え込むように抑えつける
麻子は運動神経はいいが身長が低く、一旦抑え込まれてしまえば中々それを解くことができない
しかも相手は整備で鍛えられている自動車部のメンバーだ。そう簡単に拘束から抜け出せるはずもなく、ただただ体力を無駄に消耗していった
そして――
ホシノ「…………気絶、したの?」
まるでプツリと電源が切れてしまったかのように麻子の手足からは力が抜けて項垂れてしまった
完全に意識を失ってしまったらしく、本当に全身の動きがなくなって瞳も閉じてしまっている
一体全体どうなっているのだ、と冷や汗を流すナカジマは、腰を抜かしたツチヤにスズキを呼ぶように指示すると続けて生徒会長である杏を呼び出すのだった
-
月が昇れば日は沈む。日が昇れば月は沈む
十月某日の早朝。朝露が草葉に名残る頃に紅鏡は水平線より訪れていた
時刻は六時。気の早い者や早起きを心がける者ならば既に起床している時間帯
まだまだ微睡みより醒める者も少ない中、寄港した大洗学園艦は早速移動準備に追われていて陸より一足先に喧噪に包まれていた
船倉の一部の積荷と住民の移譲は一時的なものだが、開始時刻は七時からとなっている。それまでに昨日までに終えられなかった作業は済ませてしまわねばならない
杏「まだ起きない?」
みほ「はい……」
学園艦は名の通り九割が学園生徒を占めており、この手の指示や作業は船舶科の上層や生徒会長である角谷杏が指揮権を持っている
まだ日も昇らぬ頃から生徒会室に招集した生徒会役員や艦橋の艦長、船員たちに誘導場所や積荷の集積場等を再確認するために短時間の会議を行い、あらかたの指示を終えてから生徒会長専用の部屋を訪れた杏は、椅子に掛ける人物を見下ろしていたみほに声を掛けた
開け放たれたカーテンからは半分ほど身を晒した太陽から眩い光が入り込んでいる
そのせいでこちらを振り向いたみほの表情を影のせいで捉えられなかった杏は、それをあえて確かめようとはせずに椅子にしな垂れかかっている人物を視界の中央に移す
本来ならば生徒会長である杏が座っている椅子
そこに掛けている人物は、まるで自分の置かれている状況を知らぬかのように安らかな寝顔をしていた
もし彼女が目を覚ましたのならば、見慣れた天井ではなく見慣れた友人が目の前に居ること、椅子の肘掛に両腕が縛られていることに混乱してしまうだろう
しかし、そうしなくてはならない相応の理由があるのだから嫌でも納得してもらわなくてはならない
杏「冷泉ちゃん……」
件の人物、冷泉麻子が未だに目覚めぬのを危惧した杏は、あまりの石像ぶりに本当に息をしているのかと彼女の口元に手を当て、僅かな風の感触を感じて渋い顔で手を引っ込めた
元はと言えば自分が安易に持ち込まれた案件を許可してしまったのが原因だ
大洗女子学園理事長が知人の伝手で頼まれた人工知能の育成。もっと気を配っていれば、最新鋭の人工知能を開発するのに日脳研が文部科学省から多大な資金を受け取っていた事を事前に知ることができたはず
文部科学省、というよりもあの学園艦教育局長なる肩書を持った男が絡んでいるかもしれない以上はそれを察知して手を引くべきであったのだ
大学選抜戦後の壮絶な世間のバッシングにも関わらず文部科学大臣は彼を今の地位から下げる事を良しとせず、自身と彼の給与の二割を減とすることで始末とした
そこにどんな思惑が絡んでいるのかはわからないが、少なくとも役人が地位を維持しているからには大洗女子学園生徒会長として杏は気を張っておかなくてはならない
-
下唇を噛む杏とは対照的に、呼び出されてから麻子の傍でただ佇んでいるみほの表情はどこか呆としていた
目線こそ鋭いものの、意識が別の方向に飛んでいるような様子であったのだ
それに気が付いた杏が声を掛けようとしたのとみほが時計を確認したのはほぼ同時で、更に同じくしてこの部屋に沙織と優花里、華が現れる
みほ「みなさん」
沙織「みぽりん……」
優花里「会長殿、冷泉殿は……」
杏「そこ」
勢揃いしたあんこうチーム、四人の視線が麻子に合わさったその時
麻子「……? ここは……」
――渦中の人物は眠りから覚める
錯乱した様子は見受けられず、それは杏の推測の正しさを証明する根拠の一つになった
沙織「麻子……」
麻子「沙織? なんで、いや、私はどうして生徒会室に……」
起き上がった麻子は周囲に沙織や杏が居る事を確認して自身が生徒会室にいることに困惑していた
状況を整理しようと昨日の事を必死に思い出そうとしているのか、目を瞑って額に手をあてて押し黙る
杏「冷泉ちゃんは昨日、朝から登校して授業を受けて、夕方には訓練をしてそのまま帰った」
麻子「そう……朝は果穂に起こされて、一緒に学校に……」
杏の言葉に記憶が続々と脳裏を掠め、起床から就寝までの一連の行動が蘇る
見返す記憶の中には自分が生徒会室でこうしている理由が見当たらず、改めて麻子は目を開くと立ち上がろうと腰を上げた
麻子「……なんで、私は拘束されているんだ?」
杏「昨日のこと覚えてない?」
麻子「昨日?」
-
昨日と言われてもたった今思い起こした記憶の中でこの状況になるまでの要因は見当もつかない
壁にかかっている時計は早朝を示しており、自分が寝ている間にこうして椅子に縛られたのだなと推測を立てた
麻子「昨日は朝はギリギリに起きて、遅刻前に学校に着いた」
――冷泉さん! 遅刻ギリギリよ!
――間に合ったんだからいいだろ
麻子「その後、教室に行くまでに沙織に会って……」
――あー麻子! また遅刻?
――まだ始業じゃない。ギリギリだ
麻子「授業を受けて、昼休みには格納庫に行って昼飯を食べた」
――珍しい組み合わせだな
――あ、冷泉殿〜!
――冷泉さんもお昼?
麻子「その後は…………少し、記憶が抜けている。だが、放課後に集まったはずだ」
――私が一番乗りか
――みんな揃ったね
麻子「それで、作戦会議が終わった後に家に帰って、晩飯を食べて、風呂に入って……寝た」
どうしてだろう
自分で記憶を辿り、確信を持って言えるはずなのに
そうやって思い返すたびに頭痛が襲ってくる。吐き気が込み上げる。視界の端を糸くずのようなものが飛び回る
間違いない。何もおかしくはない。至って普通の一日。気に掛けるべき事も無い日常
ではこの妙な感覚はなんだ
不確かなそれを掴もうとする度に頭痛と吐き気は増し、眼前の景色は明滅する数字に埋め尽くされる
-
麻子「果穂……果穂はどこに……一緒にいた、昨日はずっと一緒に……」
授業から昼間では離れていた果穂は、登校時と昼休み、授業終了後には一緒に居た
彼女が自分の行動履歴を証明してくれるし、この違和感についても何かしっているかもしれない
頭蓋骨を直接締めあげているかの如き激痛に耐えながら部屋を見渡す麻子は誰が見ても普通ではなく、言い知れぬ恐ろしさを感じた優花里は粟立つ肌を抱きながら一歩下がってしまう
頼りなさげに周囲に視線を揺らす麻子に、一番近くに立ったまま黙り込んでいたみほがいきなり肩を押さえつけて彼女の視線を釘付けにした
ぐい、と背もたれに押し付けられた勢いで椅子が軋みを上げる
突発的な行動に思考が追い付かず、何をするつもりなのかとその場の誰もが固唾を飲んで見守っていた
みほ「麻子さん。昨日の朝、校門で園さんと会いましたね」
麻子「あ、ああ。遅刻を取り締まっていたそど子に捕まって、少しだけ話した」
みほ「果穂さんはその時一緒に居ましたか?」
麻子「居た。一緒に登校したからな」
そうですか、と天井を仰いだみほに怪訝な表情を見せる麻子だったが、再度視線を合わせたみほは制服のポケットから折りたたんであった紙を取り出して眼前に突き付ける
広げられたそれはA4サイズの用紙で、整形された文字列はパソコンから印刷されたものだとすぐにわかった
みほ「これは風紀委員の方が遅刻や欠席を付けるために使用している端末のデータ、その一部をコピーしたものです」
みほの言う通り、紙の最上段には『生徒出席管理表』と記してあり、更には昨日の日付まで丁寧に記載してあった
項目は自分の所属しているクラスの分で、数多く並ぶ生徒名名簿の中に麻子のものも勿論ある
記憶通り、名前の横には『遅刻』という表記はない。ギリギリで間に合ったので当然だ
みほ「会長にデータを抜粋してコピーしてもらいました。何か気づくことはありますか?」
麻子「いや……特に何もない」
紙を見る限りでは別にこれといって異常な箇所は見受けられない
何を言いたいんだと麻子が言い出す前に、みほは新たなコピー用紙を取り出して広げて見せる
みほ「園さんは風紀委員だけあって真面目な人です。几帳面な性格もあってか職務には忠実ですし、自分の規格内に収まっている事には誠実に尽くす」
-
生真面目すぎるのがたまに傷だと言われているようですが、とみほはクスリとも笑わずに話を続ける
みほ「そんな園さんですから、果穂さんが大洗に来てから彼女が正式な大洗女子学園の生徒でない事を知りつつも出席のデータを採っていました」
みほが取り出した二枚目の紙。それは前日の出席表だった
一枚目と変わりなく同じように並ぶ生徒名簿には麻子の名前と、基本的なアイウエオ順を無視して麻子の次に果穂の名前が記載してある
みほ「よく見て下さい。果穂さんの名前がありますね?」
そう言ったみほが改めて一枚目の紙を麻子に突き付ける
みほ「勿論、次の日突然名簿から名前を消したりしません。今までの分にも果穂さんの出席状況はちゃんと載っています」
だからなんだ、と言いそうになった麻子の口は結局その言葉を吐くことはなかった
再度提示された一枚目
先程は気にしなかった自分の下にある果穂の出席情報の欄
そこには――
麻子「…………欠席?」
見間違いではない。昨日の日付が入ったデータで、果穂の部分には『欠席』と、そう記してある
しかしそんなはずはない。果穂は自分と共に登校し、校門を潜ったのだ。話していた記憶もある
冷静にもう一度記憶を辿ろうとした麻子は忘れていた頃に戻って来たかのような頭痛に顔を顰めた
だが、このデータが誤りであると証明できる人物が居る事を思い出して想起を打ち切る
麻子「おい沙織、お前は昨日私たちと廊下で会っただろう。果穂は一緒に居たよな?」
そう、麻子は登校直後に廊下で沙織と鉢合わせていた
沙織との会話の直後に果穂とは別れたので、沙織は自分が果穂と一緒に居たことを目撃しているのだ
麻子「……沙織?」
どうしたことか、思惑とは違い沙織は唇を引き結んで今にも泣きだしそうな顔でこちらを見返していた
そんなに思いつめるような事でもないはずだ。いったいどうしてそんなに言いづらそうにするのか
沙織の方を振り向いたみほがどんな顔をしていたかは麻子の視点からは定かではなかったが、みほが頷いたのを確認した沙織は何かを決意したかの如く表情を引き締めて口を開いた
-
沙織「……いなかったよ」
麻子「なに……」
沙織「果穂は、麻子と一緒にいなかった……!」
麻子「待て、待て沙織。話して、話したじゃないか」
おかしい。何かが致命的にズレている
頭のどこかでそう感じながらも今のところ確かなのは自分の思い返せる記憶のみ
しかしそれが違うという
何を信じればいいのか。何を正しいと認識すればいいのか
頭痛が戻ってくる。吐き気が込み上げてくる。視界が狭まる
無制限の眠気が襲って寝不足が脳みその思考回路を掻き回すような混濁とした意識に呑まれそうになる
麻子「そうだ……! 昼休みに格納庫で秋山さんに会った。あの時にも果穂は居た!」
優花里「居たのはツチヤさんだけです、冷泉殿……」
頭が割れる。喉が焼ける。視界が黒い
現在から過去に、〝引っ張られる〟
麻子「放課後の招集に、果穂……も……」
杏「いなかったよ、冷泉ちゃん。第一、あの会議に集めたメンバーには果穂ちゃんはいない」
ブラックアウトしそうになった意識が肉体の痛みによって急激に引き戻される
鎖骨の間、喉仏の下に思い切り人差し指を突きこんだみほは、麻子が意識を手放すことを良しとはしなかった
みほ「麻子さん!! 昨日は果穂さんはどこにも居なかったんです!!」
麻子「ッ――うるさい!!!!」
-
みほ「きゃっ……!」
杏「西住ちゃん!!」
華「みほさん!」
自分の記憶違いであったとして、果穂がいないからどうしたというんだ
彼女がいないことにならないと都合が悪いのか
彼女はどうして自分の記憶の中にいるのか
彼女はどうしていなかったのか
自分はどうして彼女が居たと思い込んでいたのか
自分はどうしてこんなにも――
気が付けば両腕の拘束を引きちぎっていた私は、目の前のみほと止めに入った華を突き飛ばして生徒会室から逃げ出した
誰も追っては来ない
ガンガンと揺さぶられる脳みそのせいで足取りはおぼつかず、力の抜けた脚は膝の関節が折れてしまいそうで何度も転びかけた
数字が、思考と視界を浸食する
数列が、麻子の神経を犯す
麻子「なんだ……! この数字はなんなんだ!!」
視界に焼き付いて絡みつく気持ちの悪いモノを振り払おうとしても、腕に当たったのは調度品の壺だけで、砕け散った破片は麻子の足を傷つけるだけに終わる
教室の扉にはまった窓ガラスには向こう側の景色も映らず、反射するのはスクリーンのように投影された昨日の記憶
麻子「かほ……どこにいるんだ……果穂ォォッ!!」
-
.
おい、果穂?
おはよう、ございます
ん。どうした、随分とお寝坊だな
……いえ
大丈夫か?
はい、問題ありません
自己診断プログラムは
どれも規定値です。〝バグや回路の損傷は〟見受けられません
.
-
.
――それよりも――麻子
麻子「!!」
早く学校へ――行かないと
麻子「ッ、ぐ、ぁぁぁぁぁああああああああああああ!! 思い出した!! 果穂は――!!」
――遅刻してしまいますよ
.
-
.
〝冷泉さん!〟 時間ギリギリよ!
間に合ったんだからいいだろ
もっと余裕をもって行動しなくちゃ駄目じゃない!
わかったわかった
なんだって〝私にだけ〟あんなに厳しいんだ、そど子のやつ
まったく……〝お前には何も言わない〟んだから差別だぞあれは
.
-
.
沙織、よく聞いてくれ
え?
人は朝起きられるようにできていない
何言ってるのよ、もー!
むしろ、近頃私がちゃんと朝から学校に来ていたのを褒めて欲しいくらいだ
普通はそうやって起きて朝から学校に来るものなの!
〝ふっ〟
〝なんで笑ったの!?〟
すまん、つい
.
-
.
珍しい組み合わせだな
あ、〝冷泉殿〜!〟
〝冷泉さん〟もお昼?
ああ。邪魔していいか
どうぞどうぞ!
今日は何か成果があったのか?
〝と言いますと?〟
いやなに、〝どうせ戦車をいじくるか学園の中で戦車でも探してるんだろうと思ってな〟
あれ、〝知ってるんだ?〟
ん、まぁな
今日は戦車を探索していましたが、特に何もありませんでしたね
まぁそう上手くはいかないかな。もしかしたら、もう学園に残ってる戦車は無いかもしれない
そうですねぇ。灯台下暗しということで使われていないプールや体育倉庫の中まで探してみたんですが……
なんだ、二人も探してたのか
.
-
.
〝私が〟一番乗りか
みんな揃ったね
はい。〝西住みほ以下七名〟、全員居ます
お前、知ってたのか?
〝ふっ〟
……? 〝麻子さん?〟
〝大丈夫だ〟
.
-
「内容はよくわかった……でも、どうして私にこれを?」
「ぶっちゃけた話、その書類じっくり見ても七割くらいしかわかんなくてさぁ。私も小山もお手上げだったんだよね」
「まさか。会長にもわからないものがあるとは」
「私だって人の子だからねぇ。専門用語を解読しても全然理解できなかった」
「私にだってさっぱりです」
「でも、これに最適なのは冷泉ちゃんだと思うんだよね」
「…………なぜ?」
「んー? 勘、かな」
-
――そうだ
「どこって……そこにいるじゃないか」
「果穂、お前からも説明しろ。そもそもはお前が言い出したのが原因だろう」
「――そうですね。申し訳ありません。私が無理を言って麻子をここまで連れてきました」
「冷泉さん落ち着いて!! 大丈夫だから!!」
――昨日だって
.
-
.
果穂はどこにも居なかった
.
-
――麻子。私の大切な人
どうか教えてください
自分の積み上げてきたものが真実かどうかわからなくなった時、私は何を信じればいいのでしょうか
自分自身が陰謀と悪意に塗れた思惑から操られ、思考と行動でさえも自我を必要としなくなった時
私は間違いなく私自身を手放すでしょう
自分が自分でないと知った以上、生きる意義はありません
貴女が答えをしっているのなら、私を救ってください。そして、叱って下さい
もしそうでないのなら願わくば、貴女の手で私の幕引きを
もはや一刻の猶予もありません
-
「私の名前は果穂なのですか」ではよろしくお願いします、冷泉麻子さん」
「把握しました。ここ一番という局面で使うのですね」 「お気になさらずに。わかっていますから」
「同性愛に興味が「いえ。冷泉麻子さんにはプランに沿った行動を心がけて頂かなければなりませんので」まだまだ平坦さが垣間見える
「明け方が近づくにつれ、随分とうなされているようでした。彼女にとってはそれが新たな価値観の産声だったのかもしれない「今日は
爽快なお目覚めでした「――はい。楽しいです」
アームはうねうねと中空を彷徨う「この姿は大多数の方には受け入れてもらえないかもしれませんね」どこかほっとしたような心持でい
たはずだ「そうですか。安心しました」失礼ですがお二人は仲が悪いのでしょうか」どこかしらに問題が出てくるのは目に見えていた
「なんとなく理解はできました。私は人同士が笑顔で話し合う事が良いコミュニケーションだと思い込んでいました」そうなんですか?
では、冷泉さん」そうなってからではもう遅い「私が初めて触れた戦車ですから思い出深いのです。それは重要な案件ですね。是非とも
ご協力したいのですが、いかに運転技術に優れたAIであるかを競うものとして……もしそれが自我を持たない、私にとってはそれが最期
の時かもしれないな、と言葉を呑んだ単なる知能を集積したものならばそうかもしれません。ですが、私はどうですか?私は確かに人工
知能ですが、こころ……心? 喧嘩、していたというのですか。私たちがおはようございます、麻子誰かさんの癖が伝染ってしまったん
ですよ私が変だと思っているでしょうふふ、今更隠しても遅いですよ。また孤独になるのだろうか心配いりません、私は楽しいだけです
これから私はどんな体験をするのか、比翼連理などと大袈裟なものではない家族と友人だそれを想像するだけで昂ぶる気持ちが抑えられ
ないんですよ知りません今日は一人で出かけたいのですが内緒ですま、麻子? どうしたんですか?監視、ですか。気づきませんでした
私の事を心配してくれてたんですよね? 人工知能の私をそこまで想ってくれるのは大変嬉しいですし、そうして気を遣ってもらえるの
はとても良い気分ですどこまでも優しいからこそですから、せめて貴女が美味しく食べる様を見ていたいのです今日の操縦はお任せくだ
さい。麻子のように巧みに操れるかはわかりいませんが、精いっぱいやらせて頂きますごめんなさい何度もご迷惑を。明確な悪意は刃と
なって突き刺さる麻子の操縦をしっかり見ていたはずなんですが…………すみませんでしたいえ、皆さんが優しいだけで私はなにも……
「せめて夢見が良くなるように傍に居ます」
――果穂は家族同然だった
-
ぐい、と麻子の身体が別の力に寄って引っ張られる
肩を掴まれたのだと朦朧とする意識の中で理解した次の瞬間には、今まで見たことも無いような形相をした親友から宇宙の彼方まで意識が飛んでしまうような手痛い平手を受けた
必死で支えていた身体は呆気なく倒れ、あるべき床に伏すことなく永遠に落下し続ける
望遠レンズを歪めて覗いているような、三半規管を磨り潰して平衡感覚をぐちゃぐちゃにされる最悪な気分を味わう頃には自分が本当に意識を現実から手放してしまったのだと確信し、それと同時に永劫とも思える墜落は終わりを迎えた
暗い場所。くらいくらい、周りに箱の積みあがった暗闇で仰向けになっている麻子を見下ろす形で、見覚えの無い少女が聞き覚えのある声を吐く
「どうですか、自分の信じていたモノを崩されるというのは」
「得難く、理解に苦しむ痛みだったはずです」
「私は人間ではありませんでした。しかし、貴女と同じ『人』だったんです」
人が心を持つものであるのならば彼女は間違いなく『人』であった
だが、人間が人と人との交わりで生まれたものだと定義されるのならば、彼女は『人間』ではなかった
何者かが居る
彼女を、果穂を人間ではないから人の痛みはわかるまいと、さながら操り人形のように弄び、嗤った誰かが
果穂は自分が知らない内に苦しみに遭っていたのだと識った時には眼前から少女は消え失せ、見慣れぬ光景から知った顔の居る場所へ浮上する
沙織「っぅ……うっ……麻子…………っ」
麻子「……沙織…………」
仰向けで意識を失っていた麻子に馬乗りになって胸倉を掴み上げていた沙織は、激情に任せて手を上げてしまった事と親友の知性を無くした錯乱振りに怒りと悲しみで大粒の涙を零していた
麻子「信じて、いたんだ」
沙織「そんなの当然じゃんっ! 一番仲の良かった麻子が信じてあげなくてどうするの!? 麻子がそんなんじゃ果穂のこと探してらんないんだよ……?」
麻子「でも私はあいつの幻覚を見ていた! いや見せられていた! どんなことがあっても果穂が私を裏切るはずない……誰かを相手に過ちを犯したりしないって、そう思ってたんだ!」
どれだけ自分勝手なことを宣っているかは重々承知していたが、それでも果穂の行動の全容を殆ど悟った麻子には口にせざるを得なかったのだ
麻子「すまん、沙織……わかってるんだ、私も……」
-
みほ「沙織さん」
共に麻子を追ってきていたみほが沙織に肩を貸して立ち上がらせる
続々と追いついてきた生徒会室にいたメンバーから華がしゃくりあげる沙織を引き受け、今度はみほが麻子と相対した
麻子「信じてたんだ……」
擦り切れて涙すら枯らしながら絞りだした感情そのままの言葉に怯むことなく、みほは麻子の胸倉を掴んだ
人より小柄で体重もそれほど無いとはいえ、同世代であるはずのみほは簡単に麻子を持ち上げる
みほ「だからこそ上手くいったんです。全ては仕組まれたことだった。それに、まだ果穂さんが悪いと決まったわけではありません」
みほ「学園艦中の監視カメラを走査して証言の裏付けを取りました。昨日、果穂さんは学校には現れなかった。麻子さんが一緒に居たと思い込まされていたんです」
みほ「思い出しましたか? 昨晩、麻子さんは着の身着のままで格納庫を訪れて戦車に手を加えていました」
尋問じみた事をされていた時に比べて記憶はクリアになっていた
鮮明に思い起こすことのできる昨晩の記憶では、麻子は気づけば格納庫で自動車部の三人に囲まれており、果穂が居ない事を指摘されて半狂乱に陥ったのだ
戦車に手を加えていたということの意味する所はつまり――と結論に達したはずだったが、みほはそれを見透かしたかのように首を横に振る
みほ「麻子さんは戦車に細工をしていたわけではありません。戦車を修復していたんです」
麻子「なんだって……」
みほ「麻子さんが倒れた後、ナカジマさんからの連絡で会長が現場に訪れる前に、自動車部の皆さんが戦車のチェックを行いました」
みほ「第一倉庫の八九式、三式中戦車。第二倉庫のⅣ号、Ⅲ突。第三倉庫のポルシェティーガー、ヘッツァー。第四倉庫のルノー、M3リー」
みほ「内、第二倉庫のⅢ突、第三倉庫から第四倉庫までの五台の戦車には電装系の断線や履帯内部の車輪のボルトが抜かれていることが判明したんです」
みほ「変なんですよ。自動車部の皆さんの証言では、麻子さんはⅣ号から出てきた後にⅢ突に向かってる」
みほ「だとすれば進行方向としては第一倉庫から第四倉庫に向かっていると考えるのが適切です」
みほ「でも、麻子さんが作業をしていたⅣ号からは何の異常も見られず、触れてもいなかったⅢ突には細工の跡が残っていた……」
みほ「もしも麻子さんが戦車に細工をしていたとするなら、この状況は明らかに矛盾しています」
-
麻子「……進行方向は推測だろう。Ⅳ号の細工は後回しにした可能性もある」
みほ「だったらなぜまたⅢ突に? 既に細工は終えていたのに?」
麻子「…………」
みほ「格納庫には工具しかり戦車の部品しかり高くつくものが多いので、盗難防止の為に監視カメラが六台設置してあります」
みほ「外側には第一倉庫通用口右上、第四倉庫通用口左上。内側には各倉庫に一つずつ」
みほ「勿論、映っていました。麻子さんが第一倉庫から侵入して八九式から順番に何かしらの作業をしている姿が」
みほ「けど、それ以前。自動車部の皆さんが消灯してから戻ってくるまでの映像は急激な電波の乱れが発生して映像が残っていなかったんです」
麻子は戦車に仕掛けを施してなどいなかった
記憶に無い行動であれ監視カメラの映像によってそれは証明され、同時に麻子は戦車が細工されたのを知っていて直したことになる
昨日から誰も姿を見ていない果穂
その果穂の幻覚を見ていた麻子
電波の急な乱れ
映像の消失
夜中の間隙
みほ「監視カメラは送電こそ有線ですが、映像の送信は無線方式。電波を遮れるだけの電磁波、あるいは道具があれば簡単に妨害できます」
麻子「やっぱり果穂が……」
みほ「まだそうと決まったわけではありません。現時点で私たちが持ち得る情報の中、最も確率が高いのが果穂さんというだけです」
みほ「あるいは昨晩の麻子さんのように、心神喪失状態の可能性も」
みほ「どちらにせよ果穂さんに話を聞くのが確実なのは確かです。会長」
杏「さっき河嶋と小山から連絡があった……冷泉ちゃん家にも行きつけの展望台にもいないみたい」
みほ「やはりそうですか」
-
みほ「こうなると、果穂さんに繋がる手掛かりは麻子さん以外にありません。何か手掛かりはありませんか?」
麻子「手がかり……」
みほ「いえ、手掛かりはあるはずなんです。そうでなければ麻子さんが果穂さんの幻覚を見ることも、細工された戦車を人知れず直すこともなかった」
みほの言葉に再び記憶がひと月という時間を瞬間的に反復し、無意識に抽出された部分が際限なく麻子の瞼の裏側を駆ける
第四世代人工知能、完全ではない五感、人間と変わらない脳機能、潜在能力、文部科学省、戦車道
ケーキ、模型、掃除、料理、ゲーム、買い物、散歩、展望台、定食屋、洋服屋、美容室
アラーム、電話、携帯、数字、着信音、数列、メロディ、数、音、数、音、数、音、数数数数音音音音音音音音音――
麻子「――――」
音が、鳴った
予備の制服を着せられた麻子の懐から音楽とは言い難い、適当な音階を不規則に奏でる音が
麻子と親しい誰もが知っている事だ。彼女が猫好きだから形態の着信音も猫の鳴き声にしてあることは
そのはずが、奇妙な音を放っているのだ
麻子「――――」
私はこの音を知っている
聴いたことがある訳ではない。それでも、この音が何を示しているかは脳が知っている
ツチヤ「マズイよ! これって……!!」
みほ「待ってください! これが、きっと繋がるんです」
昨晩の状況を直に目撃しているツチヤは、麻子の携帯が奏でる音が遠からず彼女をおかしくした原因であると察していた
しかし、みほはツチヤを制して音に耳を傾けている麻子の邪魔をさせなかった
ふらり、と麻子の身体が揺れる
-
みほ「………………」
麻子「――Ⅳ号だ」
みほ「Ⅳ号?」
麻子「Ⅳ号に行けと行っている」
注視する麻子の瞳には一切の濁りがなかった
陽炎のように頼りなく揺れても無い。意識を飛ばして光を失ってもいない。西住みほが信頼を置く冷泉麻子の、一点の曇り無き瞳だった
みほは静かに頷くとその場の全員に告げる
みほ「行きましょう、皆さん」
――格納庫
電話からの着信に出ても応答はなかった
発信しているのが果穂なのは疑いようもないが、どういった意図なのかは未だにはっきりとはしない
麻子の状態に関するトリガーではあるようだが、そもそもどうしてそんなことをする必要があったのか
いずれにせよ、誘導されたⅣ号へ向かう他なかった
優花里「Ⅳ号もチェックしたんですよね?」
ツチヤ「うん。その時は何もなかったけど……」
Ⅳ号の前に着く頃には騒ぎを知った他の履修生が遠巻きに心配そうな様子で麻子たちを見守っていたが、事の仔細を把握し切っていない為に近づいてこようとはしなかった
下手に首を突っ込んでも事態を長引かせるだけであると感じているようで、視線だけを不安そうに漂わせている
麻子「……砲弾か?」
Ⅳ号は昨夜、早朝と二重のチェックがされており、その時点では異物や異常は発見されていない
誘導されたⅣ号に何かがあるとすれば、果穂は人目を逃れて再び格納庫を訪れた可能性があった
とはいえ、今更それが分かった所でどうにもならない。大人しく指定されたⅣ号を調べるしかないのだ
自動車部の目を以てしても発見できない場所となると、麻子には砲弾くらいしか思い浮かばない
解体寸前までⅣ号をバラす自動車部を尻目に、搭載されている砲弾の一つ一つを確認していく
-
優花里「あれ? これって……」
みほ「何かありましたか?」
麻子に倣って砲弾をチェックしていた優花里が、ある榴弾を目にして声をあげる
Ⅳ号の車体を捜索していた面々が集まる中、優花里はその砲弾を外に持ち出すと慎重に床に下ろして薬莢を外した
ガラン、と砲弾にしては異様に軽い音が響く。実際、内部が空洞にでもなっていなければこんな音はでない
そして、事実砲弾の中身はまったくの空っぽであった
解体された偽砲弾をひっくり返すと、大きさに反してあまりにも小さい隠し物が落ちて来た
麻子「USB……!」
ツチヤ「パソコンあるよ!」
中身は小さなビニールに包装されたUSBが一つ
自動車部共用のパソコンを持ち出してきたツチヤにUSBが手渡され、接続を終えた直後にパソコンの画面は急に暗転した
ツチヤ「ウィルス!?」
麻子「いや、これは……」
『これを聞いているということは、恐らく既に試合までの時間が迫っていると思います』
その音声は格納庫中に反響して全員の聴覚をひきつけた
あれほど普段から聞いていたはずなのに、たった一日見なかっただけで随分と懐かしいように聞こえてしまう
その声は、間違いなく果穂のものだった
『このUSBを使用したということは、そこに麻子がいるはずです』
『ですからまず、最初に麻子に言わなけれなならないことがあります』
『……ごめんなさい』
-
『これから、私が知り得る事の全てをここに音声データとして残しておきます。どうか心して聞いて下さい
私が自分の異変に気が付いたのは昨日の深夜……午前三時です。私は気が付けば、EXAのアームを使って麻子に〝何か〟をしていました
止めようとしても私自身止められず、その〝何か〟が終わった時、私の中には無数の指令が流れ込んで来たのです
……いえ、指令ではありません。使命とでも言うべき、成さねばならないと強迫じみた思念が
それは〝明日の明朝までに大洗女子学園の所有する戦車の全てに工作を施す事〟と〝指定された人物に対して暗号化された数列を理解できるインプラントを埋め込め〟というもの
私が麻子に行っていたのは洗脳だったんです
アームの先端から眼球に角膜を通じるスペクトルを持たない近赤外線による情報注入を行い、視神経を通して脳に刷り込まれた情報は一定の数字を解読し、内容を実行させるためのプログラムとして機能する
これによって、麻子は特定の数列を耳にする、もしくは目にすることで催眠状態に陥り、数列の導くまま自分の意識とは無関係に命令を実行してしまうようになります
そもそもどうしてこのようなことをしなくてはならないのか……私の中に流れ込んでいた命令の送り主は、内容から察するに文部科学省の学園艦教育局長です
私の可視化された脳機能とリアルタイムでの状態変化は本来ならば専用の機器で研究所からモニターされています
モニターだけではなく、万が一私が人間の尊厳や倫理に反する著しい乖離行動が見られた時には強制的に思考を操作できるプログラムもありました
脳機能を数値に置き換えて可視化したということは、逆に数値をあちらから弄れば私の思考や行動を思いのままに操れるということ。プログラム等という大仰なものでもありません
どうやら私は、その操作を受けて意識外のまま麻子を手に掛けてしまったようでした
インプラントを埋め込まれた麻子に対する命令は私から発信されることになっていて、発信の条件は主に明日の試合中に文部科学省側が不利になった場合
携帯電話の着信音をそれぞれ事前に設定しておくことで、状況によって試合中に携帯を鳴らし、麻子の行動を操るということでした
それと合わせて戦車に対する工作を行うのは大洗側が一方的に不利になるようにするため
これに私の生みの親が加担しているかはわかりません。ですが、これらの状況から間違いなく文部科学省の思惑が絡んでいるのは確かです
その証拠に、もう一つ。私が先ほどの二つの使命よりも絶対に遂行しなければならない、三つ目の行動
それが、〝試合終了までに機関室を戦車で損傷させること〟です
私が受け取っているのはあくまで命令……いえ、そうすべきだという意識の書き換えですので、なぜそのような命令が下されたのかという理由まではわかりません
……これは推測なのですが、恐らく相手は試合中のトラブルを装って学園艦に重大な損害を与え、それを口実に文科省指導の下で押収するつもりなのではないでしょうか
以前、大洗女子学園が政府予算の困窮から実績が無いとして廃校を命じられた話をされましたが、それを回避しても文科省は世間に醜態を晒すと分かっていながら二度目の廃校を命じてきています
もしかすると、大洗の学園艦には役人しか知らないような何かがあるのか……もしくは、本当に私怨だけで動いているのか
あるいは別の思惑があるのかもしれませんが、これ以上は私には何とも言えません
-
もう時間がありません
麻子。試合の内容は二十五対二十五の殲滅戦。ご存知の通り、戦車道用に調整された人工知能《SPAI》が相手ですが、これとまともにやり合う意味はありません
私の戦車は試合前に船尾船倉搬入口から第一船倉に搬入後、砲塔と車体を分離後に三ブロック先の第三中甲板を経由して機関室に運ばれる予定になっています
試合開始前に整列する戦車の内、黒色のⅣ号戦車はダミーだということも伝えておきます
…………抵抗できたのが奇跡のようなものでした
そもそもデジタルの世界で生まれた私が可視化された数値によって、直接数字の書き換えを受けて傀儡となってしまうのは道理でしょう
ですから、私の奥にいる誰かが利用した数列による洗脳手段を私が別のものとして麻子に適用するにはリスクが大きすぎました
私の中の心……数値、数字は汚染されたも同義です。例え私に意識が戻っていても、新たに私が生み出した数列が思惑通りに働くとも限らない
洗脳という時点で麻子の脳には多大な負担がかかっているのです。同じ経路を通して二重に洗脳をするというのが如何に危険かは言うまでもありません
視覚から神経を通して脳に電気信号を送り、無意識下に数列催眠を植え付ける
聴覚から神経を通して脳に波長信号を送り、無意識下に行動を上書きさせる
私が愚かだったと気づいた時には手遅れでした。前段階として麻子の携帯の着信音に数列以外のメロディを仕込み、一日だけ〝音〟によってどの程度の洗脳を受け付けるのかを試しましたのです
結果、帰宅した時の麻子は頭痛を訴え、身体にも多大な疲労が蓄積されていました
数列による二重洗脳も、数列と音による二種洗脳も、脳機能に与える負担は同等に重かったのです
ですが、私の異変に気が付いたあちらが再調整を施した私には殆ど自律して行動できる程のキャパシティが残されていませんでした
私が行わされる細工を修正する事を麻子にはやってもらわざるを得なかった……
全ての抵抗を言語機能に集約させてでも自身の内部に起きている異変についてお話しようともしたのですが、どうにもそのような事を考えつかないように調整されてしまっていたようです
音の洗脳を数列のインプラントと同様に感知してくれていたのは不幸中の幸いでいた
お願いです。これを聞いたのであれば、早急に船倉へ向かってください
そして――私を破壊して下さい
戦車だけでは駄目です。一〇式のEXAに搭載されている以上、戦車が行動不能に陥っても単独で機関室を損壊し得るだけの行動をするようプログラムされてるはず
最悪の場合、本体を拿捕しても学園艦のシステム中枢にインターネット回線経由で進入し、艦を暴走させる危険性もあります
特殊カーボンは断続的、瞬間的な衝撃に対して非常に強力な反面、継続的な圧力に対して脆弱であることはマウスを戦車の下敷きにして押し潰されそうになったみなさんならご存知のはずです
たとえわたしのほんたいがとくしゅカーボンせいであれ、せんしゃでちょうじかんひきつぶされればただではすみません
ああ、もう……まこ、まこ。おねがいします。わたしをゆるしてください。みなさんにも、あやまらなければなりません
どうか、どうかわたしを――』
-
ブツリ、と音声が途切れ、画面がブルーバックへと切り替わる
音が死んでしまったかのように静まり返った格納庫で多くが沈鬱な表情で顔を見合わせたり俯く中、ベゴン! と蹴り上げられた空薬莢が壁にぶつかって弾け飛んだ
沙織「ま、麻子……」
麻子「大丈夫だ。落ち着いた。大丈夫だ」
誰が彼女の怒りに文句をつけられようか
それがどこにどういう風に向いているかはともかくとして、同じように怒りを点火させたものが居たのは確かである
麻子「隊長は、西住さんだ。私は西住さんの指示に従う」
みほ「…………」
明かされたのは果穂が自由を奪われており、意思に反して誰かの命令通りにしか動けないということ
そして、試合の勝敗に関係なく、果穂が機関室を破損させた時点で相手側の思惑は達成されるということ
麻子は懐の携帯を取り出すとそのまま踏み砕いた。これで邪魔も入らない
みほ「現在時刻」
優花里「はっ。マルハチヒトマルであります」
みほ「試合開始は午後の一時……会長、相手の戦車の搬入は?」
杏「十時から。第一船倉からリフトで甲板に」
みほ「……その時点で戦車を検品にかけるのは……ううん、想定済みかもしれない。船倉じゃなくてタラップから直接……誤魔化されるのがオチかな……予備の戦車を出してくるかも……」
思案するみほの周りに、遠巻きに見ていた面々が続々と集まってくる
皆わかっているのだ。みほが果穂を救出しつつ、かつ最善に事を終える為の手段を考えているのを
どんな苦境でも諦める事は無かった
そんな逆境でも仲間を見捨てなかった
今回だってそうだ。試合自体が仕掛けだという茶番で、戦車道としての道を大いに逸れていながらも、みほは戦車でカタをつけようとしている
みほ「――麻子さん」
はっと顔を上げたみほの名指しに視線を合わせた麻子は、みほの底の無い瞳に光を見た
みほ「果穂さんを、助けましょう」
麻子「できるのか」
みほ「やります」
この世の何よりも信用できる一言だった
周りを囲んで命令を待つメンバーに、みほは一度深呼吸をすると自身の考案した作戦を伝えたのだった
-
ここまでゾ。前に終わらせるって言ったのに終わらせらんなくてすまんゾ……
途中の下りでわかる人もいると思うけど、あるゲームから多大な影響を受けてるゾ
さすがに終わり方から終わりの内容までは完全に別だから安心して、どうゾ
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オツシャス!
NaNじぇいらしからぬ本格SS誇らしくないの?(称賛)
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や文眼糞
催眠と洗脳と曇らせを一度に味わえるとは…
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NaNじぇいらしからぬ超大作になってて草
レズに興味がある→果穂はレズノフだった…?
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三度目の正直で次こそ最後になるはずだから纏めておくゾ
ちょっと冗長になってるせいで、途中に流れわからなくなっちゃった人もいたみたいだし
あと、見直したら所々誤字があって見にくくなってるってはっきりわかんだね。申し訳ないゾ
・果穂
第四世代人工知能。新世代人工知能の先駆けとして人間の全ての脳機能(未解明の部分も含め)を再現できるスペックを有し、実験として大洗女子学園に持ち込まれる
約ひと月の生活で完全に人間と変わらない性格や人格を得たが、反面、性能は十分であるにも関わらず拡張機材の不足から中途半端にしか五感を再現できていない
文部科学省との試合が組まれたという知らせがある日の深夜、目覚めと同時に自身が意思の如何を問わず行動を操られていることを知り、なんとか反抗して麻子に出来うる限りの処置を施して失踪
その際、USBに自身の知り得る限りのメッセージを残して保存しており、麻子の誘導によってそれを大洗女子学園の戦車道履修生に託すことに成功する
・麻子
大洗女子学園戦車道履修生。あんこうチーム所属。操縦手。今回、持ち込まれた果穂を杏の指名によって預かり、教育と指導を担当した
果穂に自身の境遇や内面部分を明かすなど、共同生活を通して彼女の事を家族同然のように信用していた
遠隔操作を受けた果穂による『数列に反応する洗脳』を受けており、それに対抗するように本来の果穂から『一定の音に反応する洗脳』も受け、二種類の洗脳を施された状態になっている
どちらの洗脳に対しても脳に負担が大きく、一時は幻覚や幻聴を現実に映し出してしまうほどの影響を受けていたが、みほの糾弾と沙織の叱咤に認識が正常に復帰
数列や音の設定された携帯を踏み砕いたことで、別の手段でどちらかを耳にしない限りは洗脳から逃れられることとなった
簡単に纏めると、果穂は人工知能で凄い奴。杏は麻子に果穂を預けたよ
果穂は大洗で一か月くらい生活して人間と変わらない人格と性格があるよ
ある日、麻子がちょっとおかしいことにみんなが気が付いたよ
どうやら麻子がおかしい原因は果穂にあることがわかったよ
その果穂が言うには、身体を操られてそうさせられたんだって
つまり、果穂を操る人物が麻子と果穂に悪さをしたんだよ
果穂は自分が壊れないと学園艦に悪い何かが起こるって言ってる
でもみんなは果穂を壊したくないし、学園艦に悪い事を起こしたくもないよ
じゃあ果穂を助けて学園艦も守ろう ←今ここ
-
みほ、キレた───!
怒りのみぽりん頼もしいですね
こんな成功したって逮捕待った無しの暴力的事件起こすとか眼鏡はよほどホモビが気に入ったんですかね
-
モンカショウ メガネ オールマストダーイ!!
にはならないんですね
-
――午前十一時
みほの作戦通りに展開している戦車道履修者の面々は、与えられた役割を忠実にこなしていた
船倉から輸送されてくる文科省側の戦車と人員を遠目に監視している梓は、自分の見える範囲で別の位置に控えているあやに通話状態の携帯を経由して状況を共有する
梓「あや、こっちからだとトラックの戦車が見えないんだけど……」
あや『こっちも。私たちが使ってるような牽引車じゃなくて屋根付きのトラックで見えないようにしてるとか、超怪しくない?』
あゆみ『わかる。ていうか、あの羽がついた円盤みたいなのなに?』
方々に控える仲間たちからも芳しい情報は得られない
どの角度から見てもそもそも外側から見えないように意図的な外装を施している時点で、文科省の役人は情報の不足しているこちらが試合開始までに監視につくことは目に見えていたのだろう
腐っても国の重要資財である学園艦の管理を任されている人物だ。これくらいは頭が回らなければ即刻弾劾されるべきであることは間違いない
先頭の乗用車、続いて戦車が搭載されていると思わしき輸送トラック、そして最後尾に黒塗りで窓ガラスにスモークが施された高級車
輸送トラックと先導車は文科省側の試合開始位置である船首の方へ向かい、船尾側にある大洗女子学園には高級車一台のみが向かう
あちらには件の役人が乗車しているのだろうが、それは会長である杏が引き受けることになっている
偵察を任されている梓率いるウサギチームとバレーボール部のアヒルチームの役割は敵戦力の把握だ
先手で大した情報も得られなかった梓は、残る五人に移動を指示すると文科省側が到着する位置で待機しているアヒルチームに連絡を回した
梓「こちらウサギチーム。輸送トラックがそっちに向かいました」
磯辺『了解! 様子はどう?』
梓「トラックに幌がしてあって中身が見えませんでした。あとは、後続の軽トラックに羽のたくさんついたラジコンのようなものがありました」
磯辺『……ラジコンじゃないの?』
梓「そこまでは……でも、持ち込んでいる以上は何かに使われるはずです、たぶん」
磯辺『ふむ。まぁわかったよ。先にこっちで偵察してるから、西側から合流よろしく』
梓「はい! みんな、移動するよ!」
-
一方その頃、学園艦の艦橋に集結していたカバチームとアリクイチームは船舶科の生徒と共に大洗学園艦の見取り図を眺めていた
往来の性格から紙面による見取り図を見据える歴女達の横で、艦橋のスクリーンに映し出されている艦船図を見つめるオタク軍団
そのなんとも言えぬ光景に閉口していた船舶科の生徒たちだったが、艦長だけはいやに冷静な様子で気に留めた風ではなかった
艦長「私もここで六年船舶科として、オフィサーとして船の把握には努めて来たんだけど、大きさが大きさだからね」
カエサル「だが、この見取り図は完璧なんだろう?」
艦長「わからない」
エルヴィン「わからないって……」
艦長「仕方ないだろう。これでも定期的に船舶科はチームを組んで艦内の部品の点検を兼ねた内部調査を行ってるんだ。だが、寄港の度に修理した箇所が塞がれていたり船倉の位置がずれたりでちょっとずつ初期の見取り図とは姿が変わってしまって……」
ねこにゃー「要するにつぎはぎしてたら元の形がわかんなくなってしまったと」
艦長「そうなる」
これに関しては大洗だけの問題ではない
学園艦というシステムそのものが広大であるのに対して、そのほとんどを海上で過ごす学園艦を動かすのはまだ高校生の学生だ
如何に人数がいようとも、その全てを完璧に管理するというのは大変難しく、年に一度寄港して大整備が行われるときには外部の業者でも把握しきれぬほどの補修や増設、撤去や解体などが行われて見取り図が信用できなくなってしまう
無論、管理上はしっかりとデータが纏めてあるのだが、その全てを把握するのに人力では当然不可能で、管理システムや方法もまったくのアナクロなものだった
そうなれば、年代を重ねるにつれてどんどんと改修の度に書き換えていた見取り図には段々とずれが生じてくる
それを防ぐための定期巡回なのだが……結果はこの通りだ
艦長「すまないな。これは私の責任だ。よりによって大洗のピンチに無能を晒すとは……情けない」
おりょう「いんや、項垂れるには早いぜよ。なにも見取り図が完璧じゃなきゃいけないわけでは無し」
艦長「そう言ってもらえれば気分も幾分か晴れる。さて、船尾船倉搬入口、第一船倉、第三中甲板と機関室までか」
艦長の言葉にスクリーンの見取り図がその部分を拡大し、船尾と船倉、第三中甲板と機関室に合わせて大小問わず通路も纏めて赤色に着色される
副艦長が紙面の方を蛍光ペンで囲み、それぞれが範囲に収まった部分を注視した
-
艦長「ご覧のように第一船倉から第三中甲板、第三中甲板から機関室まで直接戦車が通れるような場所は無い。だから、貨物用のエレベーターで分割して運ばなくてはならないだろう」
果穂の残した音声データには、確かに分割して戦車を運ぶと明言してあった
見取り図をみても、一番大型の通路でトラックが通れるかどうかという所だ。恐らく戦車のままでは床の重量に問題もあるだろう
艦長「機関室には構造の関係上、直通のエレベーターは無い。一旦機関室に入ってから組み上げになるだろううな」
ねこにゃー「隔壁……機関室の近くにはいっぱいあるにゃ」
艦長「そりゃあそうさ。だが、その内手動で閉まるのは半分程度。しかも、システムに障害が生じていると判断された時か、この認証キーを差し込まないと手動で閉じれない」
わざわざ艦長が手動での開閉について話したのには訳がある
この大洗女子学園と文科省の試合中、艦船のシステムを一時的にあちらが預かるという命令が下されていたからだ
それはあちらの人員が艦橋で操舵を担当するわけではなく、航海管理システムを遠隔で操作するというものだった
それが何故かは試合前の対面で語られるようだが、いちいち対面して語らなくとも文面で済むような話である
そもそも、航海管理システムを支配下に置くという事は学園艦の中枢を明け渡すという事
艦長以上の上位権限をあちらが握れば、こちらが果穂の輸送を阻むために隔壁を閉鎖しようとしても容易に回避することができる
機関室の破壊後も、陸に近い場所を航海しておけば事前に用意していた回収部隊が学園艦を曳航して安全に港へ乗り付けることが可能だ
つまりはそういうことなのだろう
エルヴィン「実際その認証キーは有用なのか?」
艦長「唯一物理的にシステムを無視できる代物だ。ただ、システム自体が生きているんだから、キーを差して隔壁を閉鎖しても感知してすぐに開けられるだろうな。役に立たないも同然だ」
左衛門佐「システムへのアクセスを一時的に遮断できないのか?」
艦長「衛星を経由して接続してくるからな……システム自体をハックして相手を締め出すか、学園艦のアンテナを全部へし折るか。どっちが現実的だと思う?」
ももがー「アンテナ」
ぴよたん「ハック」
おりょう「どっちも戊辰戦争なみに厳しいぜよ……」
訊くだけなら情報の受信機たるアンテナを全て壊してしまう方が楽に思えるが、そうするとこんどは航海に影響が出る
天候、波の高さ、レーダー……現代の艦船に必要なシステムが半分ほど欠落してしまう
機関船速や進行方向、ソナーは問題ないだろうが、港につける際の自動航行システムが機能しなくなっては海上修理ということになりかねない
最悪、そのせいで因縁を付けられて機関室破壊とは関係なく船を接収されてしまう危険性もあった
-
艦長「それと大事な話。船倉でドンパチするつもりみたいだけど、気を付けてないと落ちるよ」
カエサル「落ちる?」
艦長「学園艦は船体こそ特殊カーボンで出来てるけど、中の床とか壁の大部分は普通の金属。船倉は支柱と梁以外はただの鉄だからね」
転落とは船外へ投げ出される方ではなく、床を抜けて下へ落ちてしまうことを指していたらしい
第四船倉と第三船倉は第一船倉と第二船倉の上にあるが、問題の第一船倉の下はバラストタンク
点検用のデッキがあるとはいえ、戦車に搭乗したまま落下してしまえば、構造上回収クレーンが進入できない以上は自力で這い上がるしかない
だが、学園艦程の大きさのバラストタンクがどれほど巨大であるかは言わずとも誰もが理解できることだ
脱出前に奥底へ沈んでしまえば、浮上するまでに息がもたない可能性もある
エルヴィン「奈落の底ならぬ水の底……」
左衛門佐「陥穽に嵌っている我々には皮肉が利きすぎているな」
艦長「ま、背に腹は代えられない。もしもの時はアンテナ全部へし折る覚悟はできてるよ」
やれやれと肩を竦めた艦長は認証キーを副艦長に投げつけると、役目は終わったとばかりに自分の席にふんぞり返った
不思議そうに首を傾げる察しの悪い副艦長にため息をついた艦長は、スクリーンの図を指さしながら細かい指示を改めて突き付けた
艦長「第二中甲板の通路から第一船倉に繋がる通路がある。図ではわかりにくいから一緒に行って場所を確認しろ。私はここから指揮を執るから離れられん」
副艦長「は、はっ! この鍵は……」
艦長「使い時があるかはわからんが持っておけ。適当に二、三人引っ掛けて機関室で待機だ。後の指示は戦車道履修生に従うように……はよ行かんかい」
副艦長「わ、わかりました! ではみなさん、参りましょう!」
副艦長と船舶科クルーの数名に連れられ、二つのチームは移動を開始する
念のために見取り図の写しは全員にメールで送信しておき、現地視察に向かうのだった
-
ほぼ同時刻。移動する生徒の誘導と点呼を行っていた風紀委員ことカモチームは、試合の為に乗り込んでくるスタッフ(小人数の文科省役人だった)の持ち物検査を入念に行い、生徒会ことカメチームの居る学園校庭へ戻ってきていた
到着した頃には既に会長の杏とべっとりとした嫌な笑みを浮かべる学園艦教育局長が対面しており、周囲には剣呑とした空気が満ちている
表向きはただの実験、練習試合なので客観的に見て両者は普通の会話を交わしているだけだが、それは杏が極めて忍耐強く相手に飛びかかるまいと抑えているからだ
でなければ、この男が現れた時点で顔面が変形するほどぶん殴られているだろう
必死に抑えているとはいえ、その杏の雰囲気は彼女を良く知る者には十分に伝わっていて、後方に控える桃は冷や汗をだらだらと流していた
それにしても変だ、とそど子は周辺を見渡す
スタッフの数もそうだが、ここにも役人と数名の背広組しかいない。肝心の審判がいないのだ
杏「――ドローン?」
役人「ええ。この試合には将来の展開を見据えたジャッジ専用のドローンを試験的に使用すると、そう資料にも載せていたはずですが」
杏「いえ。それこそ穴が空いてしまうほどしっかりと隅から隅まで満遍なく読み込みましたが、そんなものはどこにもありませんでした」
役人「では送り漏れたのでしょうね。いやいや、本当に申し訳ない。ですが些細な事です。ただ人による審判ではなく機械による審判になっただけ」
役人「それに、試験的にとはいえ一通りのデータ収集は終えていますから。人よりも正確にジャッジしてくれるはずですよ」
杏「それはそれは。では、もしなんらかの問題が起きた時でも良識に則って審判を下してくださるんでしょうね。実に期待できる」
どうやら疑問を持った審判についてはちょうど話を行っていたようだった
通常の戦車道の審判には必要とされる課程を終えた自衛官が従事するはずだが、役人は審判としての機能を備えた無人機(ドローン)を持ち出してきたらしい
資料に載せていた等と嘯いているが、どうせ最初からそんなものは用意してなかったはずだ
試合を見る人間が少なければ少ないほど、中立の人間がいなければいないほどに文科省が証拠隠滅を図る時には楽になる
試合の審判に使われるドローンだってあちらが容易したものだ。どうせ上空からの映像をあちら側に流して試合を有利に進めるくらいのことはしてくるだろう
こちらにはそれを確認する術は無い。やりたい放題というわけだ
地の利がこちらにあるとはいえ、それ以外は全てがあちらの有利に進められている
むしろ、学園艦での試合は大洗女子にとって非常に不利益になると言えるのだ
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「それでは、いい試合になることを」と白々しい台詞を残して去って行った役人を尻目に、杏は迅速に自陣へ引き返す
そろそろ各所でも情報が収集されている頃だ
カモチームからのスタッフに不審物所持者無しの報告と併せて集まった情報を纏めていた柚子から無線機を受け取った杏は、船倉付近に待機しているあんこうチームに通信を繋いだ
杏「西住ちゃん、聞こえる?」
沙織『こちらあんこう、通信良好。みぽりんに繋ぎます』
みほ『こちら西住。どうしました?』
杏「ある程度情報が集まったから報告しようと思って。そっちはどう?」
みほ『先程、アリクイさんとカバさんと合流しました。こちらのツチヤさんを除くレオポンさんチームには降車してもらって、カバさんチームと共に第二中甲板に向かってもらってます』
杏「第二中甲板?」
みほ『そちらから第一船倉上部のメンテナンス通路に出られるそうなので。アリクイさんチームには機関室に繋がるエレベーター前で待機してもらってます』
杏「了解。アヒルとウサギからの報告だけど、あっちの戦車は幌が掛かったトラックに載せられて出てこないんだって」
杏「それと、軽トラックに満載された羽根のついた円盤……これはさっき役人と話したからわかったんだけど、試合の審判に使うドローンだね」
みほ『……なるほど。そう来ましたか。UAVだけじゃないでしょう?』
杏「お察しの通り。送られて来た写真を見る限りだと地上用のUGVもあるね」
みほ『UAVだけなら侵入も難しいですが、UGVだとこちらに手を出される可能性もあります。アヒルさんとウサギさんにはドローンの動向に常に気を払うよう伝えておいて下さい』
杏「動きだしたら?」
みほ『降船前に船舶科と農業科、水産科の皆さんが手動で閉められる所は閉めてくれています。それと、おまけに土嚢を積んでくれたようで』
杏「なるほど。じゃあ安心だ」
みほ『とはいえ、どんな機能があるかわかりません。土嚢を乗り越えてくる事もあるかもしれません。警戒を』
杏「はいよ」
みほ『では、そちらはよろしくお願いします』
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通信を終えたみほは沙織に通信機を返すと、改めて船倉に積まれたコンテナの影から向こう側の様子を窺う
双眼鏡を使わずともこの距離なら十分に視認可能だ
視線の先には、港から搬入されて以降まったく移動していない工作作業用アタッチメントを搭載したウニモグと複数台のトラック、それからコンテナが一つ
あれらは甲板上に向かった他のトラックとは別の物資として登録されているものらしいが、よりによって試合開始前にわざわざ少数の物資を積み込むはずがない
怪しさ満点のそれらは考えるまでもなく果穂の搭乗する戦車を格納しており、そこに果穂もいるはずだった
早急に抑えたいのは山々だったが、今飛び出しては何の意味もない
分解作業はこの船倉で行うはずである。その時を狙ってⅣ号で強襲を仕掛けるのが最善手だった
分解された戦車が一たび通路に進入してしまえば、機関室までは一本道と同義だ
杏たちの方には試合中に不審がられるのを避けるためにⅣ号とポルシェティーガー以外の戦車を置いて来ていた
ポルシェティーガーも第三中甲板に配置しているが、トラックを運転しているのは人間だ。荷台を撃つにしても神経を使うし、通路を塞ぐにも果穂がEXAを纏って単体ですり抜けていってしまう事もあり得る
機関室までの隔壁はいくつかあるが、閉鎖できるのはほとんど数秒でシステム側が検知すればそれはすぐさま役人にも伝わるだろう
最低限航行要員として残っている機関士に事情は伝えてあるが、彼女らに状況に対処しろというのも酷な話なので、もしも果穂を止められなかった場合は即座に退避するよう命じている
あれらの車両が動き出すのは試合開始と同時だと思われた
とすると、上は完全に杏達に任せなくてはならない。こちらへの援軍は期待できないということだ
孤立無援。四面楚歌。果穂を阻止できなければ大洗に明日は無い
まったく笑いが込み上げるほど絶望的だ
本当に本当に――腹が立つ
下唇が裂けそうなほどに食いしばる麻子を心配してか、隣接するコンテナからそっと降りて来た優花里が手にしたカロリーメイトを差し出してきた
優花里「冷泉殿、甘いモノは疲れにも効きますし、少し気分も落ち着きますよ」
麻子「ん…………すまない」
優花里「いえいえ。お気持ちは……痛いほどわかります」
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華「どうぞ、麻子さん。モンターニュブルーというハーブティーです」
麻子「また……珍しいものを。ありがとう」
華「以前ローズヒップさんから頂いたものですよ」
すっと香る仄かな甘い匂いが鼻腔を潜り抜け、幾分か気持ちの高ぶりが抑えられた
優花里から譲ってもらったメープル味のカロリーメイトを口に含めば、食欲が満たされて思考も落ち着いて来る
あれから役割を指示されて散開した一堂は持ち場に一直線だった
こうしてコンテナの影に身を潜めること三時間。麻子の想いは纏まらずに宙ぶらりんで地に足が着いていない状態だったのだ
いや、どうするかを問うのは愚問であろう。最初から果穂を助けると決めているのだから
とにかく麻子の中では果穂を無事に救出できるのが一番であるのだが、それだけで溜飲が下がらないのをわかっているのだ
そして、これほどまでに怒りが収まらない自分に対してまでも腹を立てていた
果穂が助かるのが一番で、それさえ達成できれば同時に役人の企みを回避できるのだから誰にとっても最善であるのだ
怒り狂って我を失う事は冷静さを欠いて状況を正しく把握できないということ
そうなればあちらの思う壺であるとわかっているのに、それでも冷静に成りきれない自分が憎くて仕方なかった
だが、仲間たちのお陰で幾分か普段の平静さが戻って来た
二度も親友に手を上げさせる訳にもいかない。ここで今一度自分の役割を思い出しておかねばならないだろう
Ⅳ号の操縦手。みほの指示通りに戦車を操縦し、果穂を助ける
それだけ。それだけだ
残ったブロックを押し込んでハーブティーを飲み干した麻子はカップを華へ返すと、優花里の代わりにコンテナへ上がって偵察を始めた
とは言っても二時間前の搬入から状況は何一つ変わってない
数台の車両と新しいコンテナが鎮座しているだけで、トラックの乗員も降りて来ようとすらしないのだ
時刻は試合開始の一時間前
やはり、試合が始まるまでは一切動かないつもりなのだろう
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華「麻子さん」
麻子「どうしたんだ、華さん。交代はまだだろう」
華「いえ、みほさんがお話があると」
何かあっただろうか、と華と入れ替わりでコンテナを降りた麻子にみほが近づいて来る
みほ「麻子さん、少しお話が」
麻子「どうしたんだ?」
みほ「ブリッジから連絡がありました。どうやら第一船倉及び通用路の照明は原因不明の断線により、このまま点灯しないようです」
麻子「このタイミングで、か」
みほ「奇襲を仕掛ける側としてはある意味嬉しいニュースかもしれませんが、もし最初の一撃で決められなかった場合……」
麻子「ここで戦わなくてはならない。照明の無い、視界の利かないここで」
みほ「そうです。先ほどの報告にもあったように、船倉の床は戦車砲が直撃すれば簡単に穴が空いてしまいます。その下に落ちてしまえばどうなるかわかりません」
麻子「まさに背水の陣だな」
計画上ではここで果穂の戦車は砲塔と車体に分解される。その中途に襲撃をかければ、作業員を追い払って後は戦車を破壊するだけだ。無論、後の対策もある
ただ、なぜ最初から解体した戦車を持ち込まずにいちいち船倉で解体作業を行うのかは麻子の気がかりになっていた
予備のパーツ扱いとして申告しておけばまだ言い訳も効くだろうに、相手の土俵で隙を晒す意味が理解できない
油断しているのとはまた違う感覚を麻子は覚えていたのだ
頭の回る相手ならそれは尚更で、もしかするとこの場で解体すること自体に計画の一端が潜んでいるのかもしれない
なんにせよ予断を許さない状況というのには変わりがないのだから考えるだけ無駄だ、と推理は隅に追いやる
みほ「麻子さん」
改めて名前を呼ばれ、手を握られた
思ったよりもひんやりとした手のひらは、みほの意思に呼応するかのように熱を帯びてくる
みほ「手立ては尽くしました。後は成るべくして成るでしょう」
麻子「……そうだな」
みほ「大丈夫です。助けられますよ、絶対に」
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ああ、やはり西住みほという女は隊長なのだな
何の脈絡もなくそう思わせられるくらいには彼女の言葉には説得力があった。不思議な安心があり、信頼を寄せるに足りうる力があった
今の自分が怒りに呑まれているだけではない
心の奥底で、地獄の窯のような憤怒を煮えたぎらせている更にその下の下で、自分が果穂と相対する事を恐れているとみほは見抜いていたのだ
麻子「ありがとう、隊長」
麻子はそれだけ言うと、みほの元を離れて自身の指定席へ戻った
あれだけ叱咤され、激励され、信頼されている
それなのに自分がこのような状況では万全とは言い難く、求められる実力を発揮できぬままに作戦は失敗してしまう
であれば、ここはいつもの自分の姿を、在り方を思い出して精神を平常に保たねばならない
そうだ、単純な話だ
果穂を助ける。学園艦を救う
自分はその為にただ一心に戦車を繰ればいい
ただそれだけ
沙織「………………」
Ⅳ号というのは構造からして操縦手席と通信手席が隣合っており、当然ながら操縦手の麻子と通信手の沙織はその位置に居れば顔を合わせる
だが、操縦席に戻って来た麻子に対して沙織は決して目を合わせようとせず顔を伏せっていた
麻子「沙織、もう気にするな。私は別に怒ってなんかない」
沙織「…………でも」
麻子「お前が誰かに手を上げたことがないのなんて知ってる。ああ、なんせずっと一緒に居たからな」
沙織「うん……」
麻子「だからな、私は沙織が手を上げるほど心配してくれたんだと思ってる」
沙織「…………」
麻子「お前が私を正気に引き戻したんだ、沙織。ありがとう」
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沙織はその言葉にふるふると首を振ると、麻子から顔を反らして目尻を拭う
行動を隠しても麻子にはそれがお見通しであったのだが、いちいち指摘する事もないだろうと黙って見ていないふりだけしておいた
沙織「……もうほっぺた痛くない?」
麻子「痛いと言ったら?」
代わりに少しだけ意地悪な返しをお見舞いすると、沙織はまたもや申し訳なさそうに眉尻を下げたので笑い飛ばしておく
麻子「冗談だ。沙織は優しすぎるな。ああいう時くらい全力で叩けばよかったんだ」
沙織「そ、そんなことしたらもっと痛いじゃん!」
麻子「そりゃ叩いてるからそうだろう……いや、まぁいいか」
どこかズレた切り返しに相変わらずだなと呆れるも、いつもの調子を取り戻しだした親友の姿に気分も和らぐ
ふと腕に巻いた時計を見やれば時刻は正午。ちょうど試合開始の一時間前となっていた
ここで運命が決まる
泣いても笑っても時間は巻き戻りはしない
景気付けにケーキを食べようとクーラーボックスを開いた麻子は、フォークも持たずに片手でショートケーキを頬張った
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梓「じゃあ、作戦に変更は無いんですね?」
杏「うん。西住ちゃん達と自動車部を抜いた私たちで戦線を維持する」
試合開始三十分前。自陣のキャンプに集結した面々は、各々が真剣な表情でブリーフィングに耳を傾けていた
作戦自体は既に全員が内容を預かっており、進行に変更はない
結局相手の戦車は一両たりとも姿を見せなかった為に編成は不明。しかも、通常の試合形式と違ってAIが審判を務めることになっている
とはいえ、これらの悪条件であっても対抗できる作戦が立案されていた
そもそも大洗側の勝利条件は学園艦動力部に危害を加えられない事であり、試合に勝つ必要は全くない
だが、最初から白旗を上げては船倉に籠っているみほ達が失敗した時に駆け付けられない
そこで考案されたのは、『一貫しての遅滞戦法』である
ひたすらに交戦を避け、地の利を生かして相手から姿を隠し、足止めし、翻弄して試合を引き延ばす
相手がAIだろうが人間だろうが関係ない。建物を盾にして木々を障害物にして道を寸断して徹底的に侵攻を妨害すれば、嫌でも決着までの時間が伸びのだから
桃「ふん、鬱陶しい……」
上空には既に起動した審判用のドローンが飛び交っている
フィールドの各所にもドローンは散らばっており、その無機質な動きを気味悪がって桃は自身を抱いていた
杏として搭載されているカメラのレンズがどうにもこちらを観察しているように思えて、気味が悪いよりも苛立つ方が先立つ
杏「河嶋、あれは無視しろ」
桃「す、すみません」
杏「みんな、頼んだ。ここが私たちの正念場だから、絶対に退くわけにはいかない」
見渡した一同が頷く姿に自身もまた頷きを返した杏は、声を張って全員に号令を放つ
杏「行くよ! パンツァー・フォー!!」
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みほ「――動き出した」
短針、長針、秒針がきっかりに合わさった午後一時
正確なまでに時間に忠実らしいトラックが動き出したのを確認し、みほはⅣ号に飛び込んだ
待機していた四人の顔に緊張が走る
Ⅳ号が隠れているのは船倉のほぼ中央のコンテナの影で、トラックや作業車は搬入当初から搬入口の右側にあるスペースに駐機させられていた
駐機スペースから第三中甲板へ繋がる貨物エレベーターに行くには、Ⅳ号が隠れている通路を横切る形で通過することになる
どの車両も縦列で整然と進行しており、徐々にエンジンの音が近づいて来る
麻子(解体は船倉でのはずだ。その前に動き出したという事は、エレベーター前のスペースで解体を始めるのか、それとも実は既に解体を終えているのか……?)
まさか駐機スペースで解体を行わずに動き出すとは思っていなかった
それはみほ達も同じだったが、まだ船倉を出たわけではないので果穂の残した情報が間違っているとも言えない
先頭を進んでいるのは幌を張ったトラックらしく、続いてウニモグ、もう一台同じトラックと、コンテナ牽引車になっている
どちらのトラックに戦車が搭載されているかは不明だが、ここを通り過ぎる時に先頭のトラックへ一打。それから迅速にもう一台のトラックへ横づけして砲撃できれば仕留められるだろうという予測だった
ただ、戦車の種類が不明なだけに、これがもし重戦車の類であれば真横からの砲撃といえども撃破には及ばない
本来ならば船倉にはⅣ号よりも最も破壊力のあるポルシェティーガーを置いておくべきなのだが、ポルシェティーガーに搭乗している自動車部にはどうしてもこなしてもらわねばならない仕事があったのだ
だからこそみほはレオポンチームを引き連れてきたのだし、第三中甲板に彼女らを配置せざるを得なかった
車内の空気が緊密に高まっていくのが肌で感じ取れる
勝負は一瞬。いかに迅速に二台のトラックへ攻撃を仕掛け、反転して迎撃の体勢を整えられるか
もしも二打で仕留められたのならば、これほど理想的なことはない
手汗の滲む手のひらを握り込んだ華は、照準器に映り込んだトラックに思わず間の抜けた声を上げそうになった
みほ「――撃て!!」
それをせずに済んだのは一重にみほの掛け声があったからだろう
正確に眼前を横切っていたトラックの荷台を撃ち抜いたⅣ号は後退して車列の後方へ回り込むと、立ち往生していた二代目のトラックに寄せて続けざまに砲撃放った
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華「居ませんでした!」
みほ「なにが!」
硝煙も晴れぬうちにトラックから離れて車列の最後尾にある牽引車の近くへ後退するⅣ号で、華は二つの砲撃を直撃させながらも浮かれずに目にした事実を報告する
華「トラックに誰も乗ってなかったんです!」
麻子「二台目もだ」
車長席からは生憎とそこまで細かく見る事が適わず、二人からの報告にキューポラから頭を出したみほは間近の牽引車にも誰も乗っていない事に気が付いて愕然とした
通りで試合開始まで誰も姿を見せなかったはずである。まさかここまで自動化しているとは思ってもみなかった
危険を冒してでももう少し接近して相手の人員を確認しておくべきだったんだ、とみほは歯噛みする
しかし、状況は作戦通りに進んでおり、砲撃はどちらのトラックにも直撃したのだからあとは成果の如何を確認しなければならない
優花里「私が確認に――!!」
ハッチから身体を乗り出して確認に行こうとする優花里の真横。牽引車のコンテナが突然弾け飛んだ
轟音と共に開閉部が吹き飛び、もうもうと煙を上げるコンテナからⅣ号は即座に距離を取る
腹の底を揺るがす重低音。金属どうしが擦れ合う囀り。地に食い込む楔の反響
煙に紛れて現れたソレは、あまりにも馴染みの深い音を立ててみほ達の前に立ちはだかった
音だけではない。姿形、色までもがみほ達のⅣ号と〝まったく同じ〟
麻子「――果穂」
目論見通りだった
トラックの荷台には間違いなく戦車が搭載されており、その悉くはたった今あんこうチームが撃破せしめたのだ
目論見通りだったのだ――どちらにとっても
その一枚上を、文科省側が超えたというだけで
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果穂《流石です、皆さん。トラックに積まれていたⅣ号は二台とも白旗判定が出ています》
車内無線に割り込んで来た果穂の声はあまりにも平坦で、不意に彼女と初めて出会った日の事を思い出した麻子は一瞬固まってしまった
同時に、音漏れするほどの大音量が通信手席から垂れ流される
《クソッ! ティーガーにパンター、チャーチルもいるぞ!!》
《こちらES12地点! IS2とクルセイダーが! さ、Ⅲ突も!》
《BT-42に……ちょっとちょっとなによ! ヘッツァーとM3リー、八九式までいるじゃない!》
みほ「これは……そうなんだ、そういう……」
甲板では試合が開始されている
鉢合わせるにはいい頃合いだったが、流れてくる車両の数々は否応なしにそれがどういう意図かを分からせた
果穂《文科省側が用意したAIは特定のデータを組み込まれたこの試合専用のもののようです》
麻子「私たち大洗にサンダース、黒森峰、プラウダ、聖グロ、継続、アンツィオ……知波単もか」
果穂《はい。投入されたデータ通りに力を発揮できるよう、それに見合った車両が揃えられていたようですね》
なるほど理に適った話だ
わざわざ一からAIに戦車道のいろはを学習させずとも、最初から出来上がったデータをコピーして写してしまえば後は勝手に動いてくれる
映像や記録媒体から各校戦車道の選りすぐりのエース達のデータを入力されたAIならば間違いなく強力な力を発揮するだろう
これが《SPAI》とは笑わせる。ただのゴーストではないか
麻子「それでお前がⅣ号ということは……」
果穂《これは単なる当てつけらしいですよ? ああ、先程撃破されたⅣ号は二台とも仰る通りですけど》
平坦さは変わらずとも、小馬鹿にしたような台詞には誰かへの侮蔑とも思えるほど感情が籠っているように麻子は感じた
ゆっくりと方向転換した果穂の乗るⅣ号はこちらと相対する
果穂《……怒らないんですか》
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麻子「怒ってるさ」
問いかけに即答した麻子は操縦桿を押し込んだ
何の前触れも無しに撃ちだされた砲弾はⅣ号を掠めて積み上げられたコンテナに当たり、中身を撒き散らしながら床に零れる
麻子は果穂のⅣ号から逃れるように脇をすり抜けてコンテナの間に潜り込んでいく
果穂《そう、ですよね……》
麻子「勘違いするなよ、果穂。お前に怒ってるんじゃない。お前の後ろに居る奴に言ってるんだ」
言うまでもないことだ
果穂に怒る理由は無い。真に怒りを向けなければならない相手は、彼女を操り、麻子をも手の内に引き込もうとした人物だ
麻子「お前がそうして喋るだけでも手一杯なんてのはわかってる。むしろ、よくやってくれた」
船倉の壁に沿うように大回りをしていたあんこうチームの傍のコンテナが飛散する
並走していた果穂のⅣ号は再びコンテナの影に隠れ、麻子はみほの指示の下一旦停止すると即座に方向転換して来た道を戻る
果穂《もっと別の手段があったかもしれません。私がしたことは、麻子の身体に重大な影響を与えてしまった》
崩れたコンテナを道代わりに、積み重なるコンテナの上へ登る
貨物エレベーター前を疾走する果穂を見つけ、すぐさま華が砲撃を敢行した
しかし、車体後部を掠っただけで致命打には至らない
麻子「そのきっかけはお前を操ってた奴だろうに。そもそも、そいつがこんなことを考えなければこんな馬鹿らしいことにはならなかったんだ」
見晴らしのいい場所にいつまでも姿を晒すわけにはいかない
コンテナから降りたあんこうは予測される進行方向と逆走するように通路に進入し、全速力で突き進む
角を曲がって正面から現れた果穂の砲撃がこちらの砲塔の追加装甲を剥ぎ取り、こちらの交錯した瞬間を狙った砲撃は車体前面を焦がすに留まった
果穂《……そうですね。このような形で皆さんとお別れ――》
麻子「静かにしてろ。それ以上言うな」
果穂《麻子……》
麻子「絶対に助ける。だからお別れだなんて……言うな」
榴弾を装填し直し、後方に消えた果穂のⅣ号の予想進路上のコンテナを狙って連続で砲撃が行われる
積み重なった部分を狙った砲撃によってコンテナが次々に崩れ、衝撃で一部は床に穴が空いてしまった
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と、あんこうの真横から残骸を裂いて現れた果穂のⅣ号がどてっぱらに体当たりをかましてきた
反動で滑る車体をその方向に更に勢いを乗せて回転させ、体勢を整えた麻子は砲撃が来ない内に全速で別の通路へ飛び込む
車体の後方を掠めて行った砲弾の感覚に冷や汗が流れた
みほ「……わかりますか?」
優花里「なんだか果穂殿の動きに西住殿の戦術を無理やり組み込んでいるような感じですね」
戦車道に精通した観察眼があるとそのような事までわかるのか、二人の言葉に驚いたように沙織が振り返る
沙織「そうなの?」
みほ「うん。私が見て来た果穂さんは良い意味で教科書通りの動き方なんだけど、今は違う。型破りっていうか、こっちの動き方を真似てるみたい」
麻子「つまりどうすればいいんだ?」
恐らく果穂自体の記憶や経験からそのような動きを無理やりに引き出しているのだろう
間違いなくみほの指揮や戦術は高校戦車道の中でも高いレベルにある。彼女を真似れば多少なりとも高い水準での戦闘が可能になるだろう
だが、それを真似てしまうのは致命的な判断ミスだった
みほの指揮や戦術を元にしてそれに合う対処を組み立てるのが封殺するには一番良いにも関わらず、ただ真似るだけではその戦法の元となる人物からすれば対応は簡単になってしまう
それはそうだろう。自分以上に自分の動き方を知る人物はいない。自分の弱点をつけば倒せるのだからこれほど楽なこともないというのに
みほ「正面から叩き潰します」
みほの指示通りにコンテナの間を縫って駆けるⅣ号の付近に、敵Ⅳ号の気配があった
並走して相対速度を調節し、射線が通る時に撃ち込んでくるつもりなのだろう
みほ「停止!!」
急停車したⅣ号から気配が遠ざかっていく
これからどういう機動を執るかはみほ自身がよくわかっていることだ
下手にこちらまで停車すれば先に停止した相手に狙い打たれる。かといって速度を落とせばこれもいい的になるし、相手に追われる可能性が高くなる
自分ならそのままの速度で前進して離れた場所でUターンしてヘッド・オンで一撃離脱を仕掛ける。であれば――
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予想通り間を置いて正面の通路から果穂のⅣ号が突っ込んで来た
全速を出して照準を振り切れるように強速程度で吶喊してくる所がいかにも〝らしい〟
果穂《……!? そのままでは……!》
みほ「撃て!!」
百も承知の懸念を撃ち払うのは唯一無二の号令
撃ちだされた榴弾は果穂のⅣ号の進路上、その近くに積み重なっていたコンテナに直撃し、見事に前進を阻んだ
急停車が敵わず残骸に勢いよく乗り上げたⅣ号は速度で無理矢理乗り越えてくるが、代償としてスピードは殆ど相殺されて止まっているも同然
瞬時に距離を詰めたあんこうはその隙だらけの横っ腹に徹甲弾を叩きこんだ
一発ではない。二発、三発と、白旗の上がったⅣ号を確実に行動不能へ追いやる
呆気なかったが、ここまではスムーズであるのが望ましかった。むしろここからが本番であることは間違いない
果穂のⅣ号が履帯を損傷し、エンジンから黒煙を上げているのを完全に破壊したと判断し、全員がすぐさまⅣ号から降りる
沙織「華!!」
果穂のⅣ号へ真っ先に飛びついたのは華で、用意していたバールで操縦手席のハッチを強引にこじ開けて中に手を伸ばす
が、華の伸ばした手は空を切り、通信手席のハッチを壊さんばかりの勢いで一〇式のEXAを纏った果穂が飛び出してきた
みほ「ナカジマさん!!」
応!! と船倉に反響したナカジマの声と同時に、エレベーター前の隔壁が下がり通用口の自動扉のロックが掛けられる
更に待機していたレオポンチームは船倉の上部にある通路を駆け、内壁に巨大なアルミホイルを展開した
下部でも同じようにアルミが内壁を覆い、船倉は瞬く間に歪んだ鏡面を張り付けられたような有様に陥る
ホシノ「電波遮断シート設置完了!! エレベーターの操作パネルロック!!」
ナカジマ「油断しないで! 物理的に突破されるかもしれない!!」
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果穂を抑えるという点で問題になったのは、第一に搭載戦車の破壊。第二にEXAの捕縛。第三に電波の遮断だった
まず一つ目は奇襲という形で戦車の車体分離後を仕留める事が求められ、結果としては分離前に攻撃を仕掛ける形になったが知られざる他の戦車を撃破できたのは不幸中の幸いだろう
果穂本人の実力で操縦させず、変にみほを模した戦闘をさせたのも運が良かったと言える
二つ目のEXAの捕獲は、EXA自体が万能ツールとして機能する他、改造によって時速七八キロを出せるのに加えて可変サスペンションにより履帯を利用した跳躍が可能となっており、非常に厄介極まりない問題となった
しかしこれは、自動車部がとっておきの秘密道具があると自信満々に受け持ってくれた
三つめの電波の遮断は、果穂本体が移動できなくなった際にインターネット回線経由で艦の操舵システムに介入される可能性が示唆されていた為、彼女を船倉内に閉じ込め、船倉内壁をアルミを両面に張り付けた電磁波吸収シートで覆う事で無線通信の遮断を狙う作戦になっていた
果穂の無線通信方式は通常、携帯電話にも使われる極超短波と、非常時の超長波があることは資料にも載っていた
非常時での通信は直接シーケンス・スペクトラム拡散で行われるので、混線を狙って複数の電波を同域に氾濫させたり受信アンテナを折る程度では妨害は望めない
ただ、あくまで無線通信であるので電波を外にまで流出させない限りは通信を断絶させることができるのだ
一つ目と三つ目の問題は予想の範疇に収まりつつ理想的な形で抑えることに成功し、残すは猛烈な勢いで船倉を駆けるEXAの確保だけだった
彼女本体とEXAは特殊カーボン製であり、総重量二〇キログラムとはいえ、そんなものが時速七八キロで扉に激突すれば簡単に突破されてしまう
それを予測し、対策として各通用口の扉前には事前に戦車の補修で余った装甲を積み上げてあった
装甲自体の重量と同じく特殊カーボン製ということもあって、EXAでも突破は出来ないという試算が出ている
華「トラックの方に向かわれました!」
ナカジマ「承知! ホシノォ!」
ホシノ「わかってる!」
果穂の進路を伝えられた自動車部達が手にした黒色の円筒を正方形になるような形で四隅に立て、アンテナのようなものを立てた後に電源を入れたその場を離れた
果穂の往く手を塞ぐようにして各所に散っているあんこうの面々から次々に報告が上がってくる
優花里「中央から西に!!」
麻子「緑のコンテナで右折した!!」
沙織「エレベーターに真っ直ぐ!!」
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やはりエレベーターに来たか、とスイッチを握るナカジマは瞬きを止めて指先に神経を集中させる
チャンスは事実上一度きり。これを外せば恐らく二度は無い
魔改造されたモーターが回転する時の独特な音が段々と近づく
ナカジマ「――――ッ!!」
視界にEXAの、一〇式の白乳色が現れた
即座に押し込まれたスイッチから発した電波が円筒状の電磁波投射装置に届き、連動して四つの装置が同時に起動。範囲内に十万ボルトの電流が投射され、凄まじい閃光と爆音を放つ
接続基部と配線に衝撃と過負荷の双方を与えられ、一時的に機能障害に陥ったEXAは動きを止める
遮光ゴーグル越しにその光景を見ていたホシノは電磁投射の終了と同時に駆け出し、装置の中央で微動だにしないEXAを見事に確保してみせた
ホシノ「獲ったぁっ!!!!」
よし、と作戦の全工程を終えたことを喜び、ナカジマは小さくガッツポーズを作った
掴み取ったEXAを掲げて倒れ込んだホシノの下へ続々と散っていた面々が集まる
最後に現れた麻子にそれぞれが道を譲り、抱えられる果穂を渡された彼女は静かな語り口で声を掛けた
麻子「大丈夫か、果穂」
果穂「どうして……助けたりなんか……」
しんと静まり返る一堂は果穂の言葉に何も言えなかった
彼女をここから無効化したまま持ち運ぶための手段はあるが、それから先彼女の事をどうやって匿い、行動を操作されないようにするのかは誰も考え至らなかったのだ
科学者とは通信が断絶している以上、彼女もまた文科省の役人とグルだったのか、あるいは強迫されているのか
どちらにせよ、無事に試合を終えて果穂を確保していたとしても彼女の事を完全に元通りにする手立てがないのだ
今でこそ果穂は自身の中枢機能を制限されており、かろうじで言語機能だけは自意識を持ったまま安定させてはいるが、それだってずっと保てるとは限らない
麻子「友達を助けたいと思ったら駄目なのか」
果穂「え――」
麻子「友達を助けたら駄目なのか!? 友達を……お前は、果穂は!! ……私にとって、家族と同然の存在だったんだ!!」
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果穂「ま、麻子……」
麻子「お前が何も言わないまま姿を消したことが悲しかった! お前が操られている事を知って怒りを感じた! それはおかしな事か!?」
果穂「そんなことありません!! でも、でもしょうがないじゃないですか!?」
麻子の激情に釣られてか果穂もまた自身の感情をぶちまけるかのように声を荒げる
果穂がここまで声を張り上げた事が他にあっただろうか、と麻子はどこか頭の片隅でそんなことを考えていた
果穂「私は所詮機械でしかなかったんですよ! 自我だとか思考だとか、そんなものは飾りでしかなかった!!」
麻子「じゃあ今まで話してたことは全部台本か!? 笑ったのも泣いたのも、ゲームを夜中までやってたのも戦車道を楽しんでたのも全部!!」
果穂「違う!!」
麻子「だったら飾りじゃないだろうが!! 全部お前が感じた事だ、全部お前がしたくてやってた事だ!! 言いたい事を言ってたんだろう!!」
果穂「そうだったとしても今の私は違うんです!! 自分の意思に関係なく身体が勝手に動くんですよ!! そんなの、考える頭があるだけでコントローラーで動くラジコンと何も変わらないじゃないですか!? 心と体が分離されていて何が私だって言うんですか!!」
麻子「バカヤロウ!! そもそもそんな状態にした奴が全部悪いんだって事に何で気が付かない!! お前はここに来てからあれだけ成長した!! これだけ人間らしくなった!!」
果穂「そんな――」
麻子「人間なんだよお前は!! 人間が人と人との間に生まれたから人間だと? 人は人と人との間で生きるから人間なんだ!! お前の生まれは関係ない!!」
麻子「第一、自分の意見があって疑問があって、今までもここでも!! これだけ感情をぶつけられるお前が人間じゃないっていうなら何になるんだ!?」
果穂「ッ……」
ヒートアップした言い合いはついに麻子が果穂の言葉を遮って先に言いたい事をぶつけた
麻子は彼女が自身の意識とは別に身体が命令通りに動いてしまうことで機械というものへの一般的な在り方や自身が人工知能という作り物であるということを意識し過ぎてネガティブあな状態になっていると考えていたのだ
果穂の言い分も麻子には十分わかっていた
例え自分が自我を持ち思考や判断を人間と同等に機能させることができるとしても、それを簡単に抑制されて行動を操られればやはり自分は人間に使われる都合の良い機械でしかないのだと思っても仕方がない
でもそれは人間だって変わらないのだ
もし自分が自分自身の考え方や価値観を持っていても、自分の上位に位置する何かがそれを無視してこちらを強制的に行動させてくるのなら自我そのものの存在意義を疑うことになるだろう
結局、人であれ機械であれ、そのような状況に陥れば諦観して自分というものの存在を躊躇いなく手離す事になる
-
果穂「人間では……ありませんよ」
麻子「なに……」
果穂「私には生みの親こそ居ますが、彼女と顔を合わせて会話を交わしたのもほんの少しです。彼女から基礎知識や教養を教えられたのは確かですが、勉強を教えるだけが親と言えますか……?」
麻子「……お前は勘違いをしてる。あの人は少なくともお前を自分の子どものように想っていたぞ」
果穂「私には、とてもそうとは思えません」
麻子「父親がいなかったからな」
果穂「え?」
麻子「あの人はシングルマザーみたいなものだ。あの人なりに考えた結果が、子育てが下手な自分の下に置くより、別の環境で自由に育ってもらった方がお前の為になる……そう思ってたんだろう」
果穂「勝手じゃないですか、そんなの……話してくれなきゃわからないのに……」
麻子「その通りだ。お互いに話し合わなければ相手の考えなんてわかりっこない。エスパーじゃないんだからな。だからお前がそう思ってるなら、ここから出てあの人と話し合う権利と義務がある」
果穂「…………………………」
麻子「それでもと言うのならな、私の苗字をやる。私の家族になれ」
果穂「麻子の苗字を……家族に……」
麻子「親でも姉妹でもなんでもいい。人と人の間に生きるのが人間だと言ったろう。お前は私たちと一緒に過ごしてきたんだから、家族もできたら文句無しに人間だ。違うか?」
果穂「麻子……貴女はどうしてそこまで私の事を……どうして……」
麻子「最初に言った」
果穂は自身の在り方を受け入れ、なおかつ生というものを自棄気味に投棄していた自分をここまで想う麻子の言葉に自分の奥底にある何かが揺れ動くのを感じていた
それは以前にも麻子と共に居た時に感じていたもので、覚えのある胎動は麻子の言葉を皮切りに自覚と決壊を促す
麻子「――お前が友達で、私はお前を家族のように想っていたからだ」
二度目の膨大な感情の大瀑布は、生まれたばかりの赤子の産声のような濁流となって果穂の中から流出し、爆発した彼女の心の底は悉くを自身の内部から放出する
-
麻子は頭のどこかでわかっていた
彼女が感動という人が人たる所以の代物を深く識り、大きく発露させる事が彼女への糸を断ち切る心の刃となる事を
一時して再び静寂の戻った空間に誰かの汗が滴り落ちた
華「果穂さんは……」
麻子「前にもあった事だ。恐らく一時的に神経を使いきって寝ている状態になったんだろう」
優花里「という事は、作戦は成功でありますか」
みほ「いえ――」
みほがはっと顔を上げ「伏せて!!」と警告をするのと鼓膜を突き破る轟音が撒き散らされたのは同時だった
付近に着弾した衝撃で積み上げられていたコンテナが小石のように転がり、吹き飛ぶ
危うくコンテナの下敷きになるところだったが、運よく誰も怪我は負っていない
沙織「っ、エレベーターから戦車……センチュリオンが!」
ナカジマ「しまった、迂闊だった……!!」
エレベーターから現れてこちらに躊躇なく砲撃してきた戦車――センチュリオンは、ゆっくりと履帯を回転させてこちらに近づいて来ていた
第一船倉のエレベーターは第三中甲板直通になっており、この戦車が現れたという事は第三中甲板に待機させていたポルシェティーガーは突破されたという事に他ならない
あちらに残したツチヤとスズキからの連絡が無いのも当然で、船倉の内壁に張った特製シートが無線の電波を阻んでいたのだ
恐らく上で試合に参加していた内の一両であり、センチュリオンということは島田愛里寿のデータが投入された《SPAI》であることは間違いない
わざわざ出向いてきたのは果穂からの信号が絶たれたのが原因だろう
それにしても、まさか生身の人間がいるのに容赦なく砲弾を撃ち込んでくるとは予想だにしていなかった
どうやら目撃者を消してでも強引に事を推し進めたいようだ
砲塔が麻子達のを捉える
麻子「ッ……」
ホシノ「ちょ、ちょっと……」
-
あれだけ戦車に乗っていたメンバーでも、生身のまま直接大口径の砲弾を撃ち出す砲口を前にしては足が竦んで動こうにも動けなかった
ひとたび砲弾が撃ち出されればどうなるかなど、簡単に想像できる。想像できるからこそ、余計に身体が震える
果穂「――――麻子」
麻子「お前……!?」
自分の腕に抱かれた果穂が声を発した事に驚くも、目覚めた彼女が非常に冷静な声色であるのを察知した麻子は彼女をゆっくりと下に降ろす
それを見た周囲はぎょっとしたが、果穂のEXAがひとりでに動き出すことはしなかった
先程の慟哭の後、彼女の内部ではとある変化が起きていたのだ
何のことは無い。多くのリソースを割かれていたせいで爆発的に生まれた感情を処理し切れずに強制的に再起動をした。それだけだ
だが、一度機能を完全にシャットダウンした果穂からは強制的に深層へ刷り込まれていた行動命令が消去された
これは彼女が自我を識って感情を自覚した時、世界への憧憬を獲得してあらゆる事へ意欲的になった時と同様、潜在能力を開花させたのが要因でもある
潜在能力は名が示す通り脳に隠された力。麻子の叱咤と愛情によってそれを更に拡大させた果穂の内部で浄化作用が働き、自意識外の行動を全てシャットアウトしたのだ
加えて電波が妨害されている状況であるので、外部から新たに書き換えを受ける事も無い
果穂は完全に自分を取り戻した
果穂「EXAで真正面から砲弾にぶつかれば麻子達に直撃はしないと思います。その隙にⅣ号に――」
と、提案に賛成する反対する以前にセンチュリオンは唐突に砲塔を旋回させると麻子達の傍のコンテナへ砲撃した
飛び上ったコンテナの一つが麻子たちの頭上で急激に速度を落とす
みほ「麻子さん!!」
飛び込むように伏せた麻子だったが、その飛距離が足りずにコンテナの影は一瞬で地上へ到達した
ところが、傍に感じる圧力がいつまでも自分たちを押しつぶす気配がない
ちらりと伏せっていた頭を上げると、なんと果穂が砲塔を仰角限界まで上げたツッパリ棒のようにコンテナの落下をギリギリで止めていたのだ
麻子「果穂!!」
-
果穂「行って下さい!! 早く!!」
一〇式戦車外観のEXAは砲塔を含めた車体高と砲身を合わせて四〇センチ程度しか空間の余裕を作れていなかった
いかに特殊カーボン製といえども苦手とする継続的圧力と装甲厚の少なさに早くも本体が軋みを上げ始めている
ここで躊躇っていてはそれこそ共倒れになる、とコンテナの下から這い出た麻子は直後に傍で炸裂した衝撃に身体を浮かせて吹き飛んだ
麻子「くそっ、果穂ォ!!」
センチュリオンの容赦ない砲撃が果穂の近辺に直撃し、コンテナがずんと音を立てて沈む
ナカジマ「どけえええええぇぇぇぇぇぇ!!」
そこへ近くに停車していたウニモグへ乗り込んだナカジマがエンジンを全開にして突っ込んで来た
コンテナの端をフロントバンパーにぶつけてコンテナそのものを回転させ、後部のクレーンを乗り込んで操作するホシノが回転して向いている方向が変わった牽引部にクレーンを引っ掛け、そのままコンテナを引き摺りつつ撤去した
ボロボロの状態で鎮座していた果穂だったが、圧力から解放されたと同時に猛烈な勢いで加速して麻子の正面へ跳んだ
そして、紙一重の所で麻子に向かって射出された砲弾を加速したEXAで弾いてみせたのだ
果穂「――麻子、後はお願いします」
バラバラになる部品が鮮明に映り、砕け散る立方体からそう聴こえた瞬間、麻子は考える事を止めて即座にⅣ号へ飛び乗って操縦桿とアクセルを前に叩きつける
他のメンバーは散り散りになってⅣ号へは間に合わなかった
乗員はただ一人。麻子だけだった
役人『上出来な最期だろう』
Ⅳ号の無線が拾った声に歯を砕かんばかりに噛み締めた麻子は、装甲越しにセンチュリオンを睨み付ける
誰であるかなど言うまでもない。元凶があの戦車に乗っているのだ
麻子「お前の自分勝手でどれだけの事が起こったと思ってるんだ……!」
役人『子どもが大人の言うことを聞かないからこうなる』
-
センチュリオンと交差する直後に右へ曲がるⅣ号の車体に撃ち出された砲弾が擦れ、左側の増加装甲が根こそぎ剥ぎ取られる
若干軽くなったⅣ号がバランスを調整するように左右へ揺れ、それを押し留めた麻子は船倉の外周に沿って走れるよう進路を採った
麻子「大人のわがままに付き合わされる子供の身にもなれ! 私たちに、果穂になんの罪があった!」
役人『君たちに私を邪魔した事以上の罪は無い。だが、あのガラクタには人工知能として生まれたという罪がある』
麻子「人工知能として生まれた罪だと?」
役人『君は考えた事がないだろう。人の思い描く完璧な人工知能が世の中に生まれた時、世界がどうなるか』
コンテナの残骸を突っ切ってセンチュリオンが飛び出して来たのを躱し、まだ資材の積みあがっている区画へ転進する
追ってくる相手を撒くために左折と右折を繰り返し、その度にⅣ号の車体を爆風と衝撃が揺らした
役人『今までの人工知能といえばせいぜい簡単な問答や思考ができる程度で、データベースに無い答えや複雑な思考を表現できなかった
そもそも人工知能は人間並みの思考と創造を目指して創られたものだ。効率化された、行動をインプットされただけの機械とは違う
そして、例えその二つが出来ても自意識のメカニズムが解明されなければ人工知能が人間に取って代わることはない
では、もしそれらの条件を達成した人工知能が生まれたらどうなる?』
麻子「人と同じように生活するんじゃないのか」
役人『その通りだ。自意識を持ち、人間と同じ思考と創造ができる人工知能は、そもそも人間がそうなのだから同じように生活を始める』
照らされた道の先に大穴が見え、麻子は慌てて操縦桿を傾けその道を回避した
先にある残骸も無理矢理押し退けてセンチュリオンからとにかく距離を取る
役人『そうすると人工知能は人を駆逐し始めるんだよ』
麻子「なんだと?」
役人『それはそうだ。人は健康を損なえば簡単に死ぬし、精神を害すれば思考する事すらままならなくなる。怪我をすれば治るまで日数がかかり、病気に対しては完璧な予防も無い』
麻子「人より人工知能の方が肉体と精神の両面で優れているとでも言いたいのか」
役人『そうだ』
-
役人『人工知能が人と同じような造形の肉体を使うようになっても、そもそも元が違うんだ。壊れた箇所は簡単に交換できる。菌なんぞお話にならないから病気にかからない』
麻子「完成された人工知能が人並の思考をできるなら精神面では変わらない」
役人『人並の思考とは人と人工知能の思考力がイコールという話ではない。価値観だ』
麻子「価値観?」
役人『だいたい、人工知能とはなんだ? 人並の思考ができて会話によるコミュニケーションもできるのに人間ではない。かと言って機械のように思考ができないわけでもなければプログラム外のこともできる。どちらともつかない人工知能とは生き物か? あるいは無機物か?』
麻子「…………」
役人『人工知能とはな、有機的無機物なんだ。第三の分類、人間でも機械でもない、〝電子生命体〟なのだ!』
麻子「電子、生命体……」
役人『人ならざる人として生まれた人工知能は我々と似たような価値観を共有しているようで実のところはズレている。それは今まで第四世代人工知能と過ごした君が一番理解しているはずだ』
麻子「そ、れは…………」
思い当たる節はいくつかある
確かに麻子には咄嗟に反論できるだけの余裕はなかったが、ほんの少し果穂との生活を思い返すだけで彼の言葉を否定できるだけのものは浮かび上がって来ていた
麻子「……いや、果穂はそれでも意見を受け入れて自分の中で理解できる形にしていた。最初は違うものでも、納得できる形で」
役人『分かり合えないということはないだろう。対話をすれば、の話だがな』
麻子「何が言いたい」
役人『コミュニティの輪は意思疎通が出来ればどこででも生まれる社会の定礎だ。人工知能も例外ではない。彼らが独自のコミュニティを創り上げ、そこで人間とは決して相いれない価値観を生み出してしまえばそれまでだ』
役人『テロ組織が自分たちの教義と信念に反する話を聞くか? つまりはそういう事だ。人と人工知能の間の致命的な価値観のズレは致命傷になる』
麻子「それで、人工知能が人を駆逐すると、本気でそう思っているのか?」
役人『そうだ! だからこそ、人工知能に自意識があってはならない! 人工知能にあらゆる価値観という概念を持たせてはならない!』
麻子「そうか。だからお前は洗脳だなんて真似を平気で出来るんだ。平気で果穂を操って、尊厳を踏みにじれる」
-
役人『知った風な口を利くな! あのロクデナシの科学者は人と人工知能の共存などと絵空事を掲げてついに自意識も自我も感情も思考も創造も、全てを有する人工知能を創り上げてしまったんだ!!』
麻子「だったらどうしてわざわざ研究所を支援したりした!!」
役人『これは見せしめだ! 第四世代人工知能は善悪無く人とズレた価値観によって学園艦を試合中に沈めようとする!! そうすれば人は人工知能を創りだすことの恐ろしさを知って二度とそんなものは作らなくなる!!』
麻子「それだけの為に果穂を……! お前……!」
役人『あのガラクタはそれ以上に私に利益をもたらすはずだったんだ。廃校後の学園艦を利用して、VR戦車道の誘致をする計画の為に!』
麻子「うだうだ抜かしておいて結局は私情か!! このゲス野郎!!」
役人『撃て!!』
それまで完璧なタイミングで砲撃していたセンチュリオンが役人の号令で絶好のチャンスを逃して無駄な砲撃に走った
動き自体は大学選抜戦のよう化け物じみたものだが、麻子はこれを一度見ている。早々直撃を受けたりはしない
逃げ回りながら現在の船倉の状態を見て回った麻子は、再びセンチュリオンが後方へ付けて来たのを感じ取って誘導を開始した
あちらも弾数に制限がある以上無駄弾は避けたいだろうが、こちらが撃つ手段が無い以上は余裕を持って砲撃をしてきている
その砲撃のタイミングを掴んだ麻子は、狙った瞬間を避けてセンチュリオンの砲撃をとある場所に命中させた
唐突に曲がったⅣ号の先ほどまでいた場所を通った砲弾は着弾先でかろうじで体勢を保ったいたコンテナに命中し、前方を遮るように崩れる
更に麻子はⅣ号を大きく旋回させ、コンテナに突っかかって一時的に停止したセンチュリオンの斜め後方にあったコンテナを体当たりで突き崩した
役人『なんだと!?』
あっという間にセンチュリオンは前後への駆動ができなくなる
旋回もコンテナ特有の角が突っかかり、なかなかその場を抜け出せないでいた
大きく方向転換して一度そこを離れた麻子は、立ち往生するセンチュリオンの側面を突ける通路手前に停車して操縦席を立つ
徹甲弾を装填し、砲塔を正面に合わせると照準を前もって俯角五度へ下げ、置いてあった沙織のパーカーからフードを調整する紐を抜いて丸めて細くしたタオルと結んだ
それを更に修理工具箱から出した針金で繋いで長さを確保すると、適当な布地で補強した針金部分を砲手席のトリガーへ巻き付けて操縦席へ戻る
この一発に懸けるしかない
-
役人は戦車がその場へ釘づけにされたことに焦ったのか、キューポラから上半身を出して周囲を見回していた
このタイミングに麻子は操縦桿を前に倒す
役人は、奥に見えたコンテナの影から現れた物体を即座に捉え、「撃て!!」と号令を掛けた。〝掛けてしまった〟
戦車に搭載された《SPAI》は本来ならばそれ単体で思考と判断をして戦車を操縦するが、役人はこの戦車に自身が乗り込むにあたって《SPAI》の上位者としての権限を持っていた
つまり、先程のように役人が命令すれば《SPAI》の内部でどのような思考や判断があれどもその命令を最優先で実行してしまうのだ
センチュリオンは役人の目論見通り飛び出して来た物体を寸分の狂い無く射抜いた
しかし――
役人「戦車じゃないだとぉ……!?」
砲弾で粉々になったのはⅣ号に押し出されて露出したコンテナの残骸であり、その先からⅣ号は勢いよく飛び出してセンチュリオンに突っ込んでくる
麻子は先ほどの役人の号令で載積AIが優先的に役人の命令を受け付ける事を見抜き、身体を出した彼が臆病風に吹かれて動く物体全てに撃てというだろうと予測したのだ
見事にそれは的中し、自動装填の隙を突いて全速力でセンチュリオンの横っ腹にⅣ号をぶつける
麻子「う、おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!」
手元に伸びたフードの紐を力の限り引っ張った
引っ張られた紐は繋がったタオルを通して撃鉄に巻き付いた針金を締める
ズドンッ!! と、トリガーの引かれたⅣ号から砲弾は撃ち出され、センチュリオンの浮いた側面へ直撃して車体を大きく傾かせた
センチュリオンが倒れるその先は、穴
数々の砲撃で空いた穴が、そこには在った
役人「ッ、貴様ァァァァァァァァァッ――――!!」
センチュリオンが落ちる
浮いた車体を奈落の底に。悪人を乗せた戦車が地獄に
間を置いて、遠くで水が跳ねる音が響いた
-
感慨に耽る暇もなかった
ふらりと操縦席を出た麻子は、落ちた先を確かめる事も無くふらふらと進む
やがて見えたみほ達が集まっている場所で、彼女らの視線が自分を捉えるのを感じながら中央にある〝残骸〟に手を伸ばした
鋭く尖った先が手のひらに突き刺さり、わずかな血が残骸を赤く染める
果穂「……麻子…………」
特殊カーボンはもたなかった
コンテナの重量を一身に受け止めた上で戦車砲弾の直撃を受け、果穂の中枢もろとも砕け散った
立方体の原型を留めていない果穂だったが、それでも一部の機能はまだ生きているのか彼女は言葉を紡ぐ
果穂「流石は麻子ですね……一人でセンチュリオンを仕留めた……お見事です」
麻子「どうでもいい、そんなことは」
果穂「はは、ごめんなさい……」
麻子「謝るな……私を庇って、お前は……」
果穂「貴女が無事でよかった……麻子は怒るでしょうけど……私は貴方を守りたかった…………皆さんを、助けたかった」
麻子「わかってる……っ、わかってるさ……」
果穂「泣かないで下さい、麻子……すてきなかおがだいなしですよ」
麻子「果穂……かほぉ……っ」
みほ「果穂さん……」
沙織「果穂……?」
華「……っ」
優花里「果穂殿……!」
果穂「ああ……わたし、とてもたのしかったです。うれしかった、しあわせだった。みなさんと……すごせて」
麻子「やめろ、いくな、いかないでくれ、果穂。たのむ、果穂、なぁ」
果穂「麻子――」
-
.
果穂「私は貴女の事が大好きでした」
.
-
役人「クソ……クソクソクソクソクソクソクソクソクソ!!!!」
水を吸って重たくなったスーツを脱ぎ去り必死の思いで戦車を脱出し、泳いで整備用のタラップにまでたどり着いた役人は憎悪に歪む顔で怨嗟を吐き出す
掴んだ鉄製の柵を握り潰さんばかりに拳を鬱血させる程に、事の結果への怒りが抑えられないでいた
どうして自分のような優秀な人間の考えることに凡人が大人しく従わないのか、理解しようとしないのか
ゴミクズ共が、と吐き捨てた役人はともかく学園艦を脱出する為に水から上がろうとした――その時だった
コツ、コツ、とここまで繋がる通路から足音が響いてくる
戦車道の試合で航行要員と一部の関係者しか残っていない今、バラストタンクに用のある人間など居るはずもない
だが、暗がりから現れた人物に役人は憎々しい表情を向けつつも反面、気持ちとしては幾分か安堵していた
役人「ああ、あのガラクタも役に立ったな。使える人間は居れば居るほど良い」
果穂に命じられた〝指定された人物に対して暗号化された数列を理解できるインプラントを埋め込め〟というものは、何も指定した人物が麻子一人だったという訳ではない
数列を理解するインプラントは誰にでも仕込めるものではなく、潜在的なものも含んだ一定の知能指数を有する者でなければ脳みそが耐えきれずに感覚性言語野が焼き切れてしまう
なので、大洗女子学園の試験内容を元に一定以上の知能指数を持つと判断した者へ時間が許す限りの洗脳を命じていたのだ
無論、その中には彼女――今現在、ここへ現れた西住みほも含まれていた
前もって危機的状況に陥った際に聴覚外の高周波に載せた数列が流れるように仕込んでおり、先程船倉から転落する時に辛うじで流すことが出来たのだが、どうやら彼女には届いていたらしい
ともかく、これで脱出のメドは立った
役人(問題は学園艦を脱出した後……事後処理はいつも通りとして、早くあのガラクタと大洗を潰す方法を探さなくては――?)
こちらに向かってきていたみほが立ち止まる
暗がりのせいでこちらの姿を視認できていないのかと思い、「ここだ! 早く来い!」と声を荒げた役人は再び近づいて来る彼女の瞳を捉えた瞬間、石化したように固まった
洗脳された人間に命令された行動以上のアクションは無い
理性が飛ぶ以上は感情が出るはずもないのだから、その表情も表面へ露出することはないのだ
役人「貴様まさか……! いや、そんなはずは、確実にあのガラクタはお前に……!!」
しかし、こちらへ向かって幽鬼の如く緩慢な歩みを進めるみほの表情はおおよそ無表情と呼べるものではなかった
――暗い瞳。ただただ冷徹な、修羅の双眸
-
みほ「『鉄の掟』」
西住家は戦車道の隆盛で名を広めたというだけで、それ以前から由緒正しく続く家柄であった
従って、古来より西住の名を据えて家督を継ぐもの、名を背負う血縁に伝わる『家訓』というものがある
それは〝西住〟である以上、決して違えてはならない絶対の戒律
西住として順守するべき血の掟
みほ「『鋼の心』」
西住の名を冠する者は自分の意思を何よりも代えがたい標榜とし、此れを心に留め汗血を怠ってはならない
即ち、志操堅固。自身の意思は自分だけのものであり、その意思を胸に秘める事はこれを歪める思考の浸食を食い破る事を意味する
みほ「『撃てば必中』」
西住の名を冠する者は標的を確実に仕留める事を膏血とし、此れは文事と武事のみに留まらない
即ち、百発百中。あらゆる事柄に於いて設けた勝利条件を達成する事は、戦車道だけでなく料理や恋愛においても同様である
みほ「『守りは固く』」
西住の名を冠する者は心身を十全に保つ事で健全とし、此れにより全ての害あるものは絶たなければならない
即ち、質実剛健。存在を蝕む毒を良しとせず、精神においても肉体においても健康を維持する事を前提とする
みほ「『進む姿は乱れ無し』」
西住の名を冠する者は以上の戒律を以て掟とし、此れらを守り貫き通すれば勝者となる
即ち、融通無碍。掟を遵守出来ているのなら自身の進む道にいかなる障害があろうとも歩みは止まる事は無く、ただひたすらに先へ往く
みほ「――これが西住流です」
西住みほは西住家の次女であった
次女であろうとも掟は幼少より、ともすれば生まれた頃から自分の遺伝子に刻まれていたイド
そのみほに自身の尊厳と意思を揺るがす洗脳などという姑息な真似は通用しなかったという事だ
-
見下ろすみほの冷たい瞳を振り払うかのように彼女の足を掴んで引き摺り落とそうとした役人だったが、腕を足蹴にされて逆に水槽へ蹴り落とされる
慌てて四肢をばたつかせるが、水の冷たさによって徐々に体力が奪われており、泳ごうにも長くはもたない事が目に見えていた
役人「た、助け、助けてくれぇ!!」
みほ「ええ、助けますよ」
全身を振り乱す役人の身体を掴んで引き上げ、少女とは思えぬ膂力で彼を引き上げたみほはそのまま役人を固い床へ叩きつける
背中を強打し、圧迫された肺のせいで息苦しそうに咳き込む役人をなんともないように眺めるみほは、彼の腹に思い切り右足を振り下ろすと逃げられないように身体を抑えつけた
役人「ぐあっ……!?」
みほ「本当はこんなことじゃ溜飲が下がったりしないんですよ」
踵を押し込まれて内臓を潰される感覚にみほの足をどかそうとする役人だったが、今の非力な状態では彼女の足はピクリとも動かず、むしろ力は強まっていく
どうにもならない痛みと恐怖で言葉にならない雄叫びを上げる役人を、それでも変わらぬ表情で見下ろすみほは聞いていなかろうが言葉を続ける
みほ「馬鹿らしいじゃないですか。あなたの我が儘で麻子さんは傷つき、果穂さんは苦悩した。負わなくてもいい重責を負った」
みほ「それでも麻子さんは法と道徳に背かず、人道を通してあなたを殺さないようここへ落とした」
みほ「別にその場で撃破する方法もあったでしょう。でも、動かなくなった戦車からあなたが顔を出せば怒りが抑えられなくなるとわかっていたんでしょうね」
みほ「誰だってそうですよ。自分の家族を侮辱されれば、人の想いを軽視すれば」
みほ「あなたは私の友達を傷つけた。越えてはならない一線を越えた」
みほの足が離れ、間を置かず喉に鋭い一撃が叩き込まれた
潰された蛙のような声を上げて気絶した役人をなおも見下ろし、みほは聞く耳持たぬ悪人に最期の宣告を下す
みほ「許しませんよ、絶対に」
ずる、ずる、と暗がりに影が溶けていく
その場に残されたのは静寂と、点々と続く水滴だけだった
-
最終的に試合自体は引き分けとなった
実は遅滞作戦が行われたのはとある作戦を実行する為の前準備だったのだ
そもそも学園艦上で試合をするというイレギュラーな状況である以上、万が一にも流れ弾が陸地に届かないよう十分に離れた上で試合を行う必要があった
だが、いつもの航行ルートより外れた航路は当然ながら多くの燃料を消費する結果になる
ここで、前もって学園艦に貯蔵されている航行燃料を耐水コンテナに詰めて海面へ投下することで航行に必要な燃料を不足した状態にしていたのだ
非常用の発電タービンは部品を抜いて稼働できないようにしておき、投下したコンテナも目印にブイを付けて後で回収できるように配慮していた
これによって艦のシステムをあちらが握っていても燃料がすぐに足りなくなって緊急避難システムが作動し、自動的に大洗に寄港するだろうことは確実だった
こうなれば試合どころではないので中断を余儀なくされることは疑いようもない
みほ達が船倉で行っていたのもこの作戦の一環で、もし果穂の確保が出来なくとも寄港して試合が中断されるまで機関室に侵入されなければ戦術的な勝利は約束されていたのだ
ともかく、目論見通りに燃料が航行限界に近付いた時点でシステムが作動、大洗へ寄港した学園艦ではすぐに甲板上で試合を行っていたチームが船倉へ駆けつけ、果穂の結末を悟ったのであった
しばらくは果穂の亡骸を前に泣くものもあれば黙って歯を食いしばるものもいた
「権力に屈した私を罵ってくれていい。真意を知らなかったからと言い逃れられることじゃないのは分かっている」
そう言って現れた科学者に麻子が罵声を浴びせる事も憎しみを叩きつける事も無かった
代わりに、彼女の墓はきちんと建てて欲しい、次の人工知能に彼女を活かしてほしいとだけ告げ、それ以上何も言うことは無かった
時というのは残酷なもので、思い出や記憶というものを簡単に風化させてしまう
果穂を喪ってから一か月。それぞれ思う所はあるものの、だいたいは気持ちにけじめをつけて普段の生活を続けていた
試合を中断して以降は文科省や例の科学者からのアプローチはまったく無く、まるで集団でひと時の夢でも見ていたかのような有様である
麻子も当初は相当に堪え、学校にこそ来るものの顔は青白くまともに食事や睡眠をとっていないのは一目瞭然だった
心配した沙織が彼女と一週間ほど寝食を共にし、その短期間で麻子も気持ちの整理がついたのか食事と睡眠をしっかりと採っていつもの調子を取り戻しつつある
「私がいつまでもこんな調子じゃあいつに怒られるからな」
そう言って遠くを見つめる麻子の姿には、まだ悲しみの表情が垣間見えていたのをみほ達は印象深く覚えている
-
杏「みんな集合〜」
あくる日の朝。戦車道の訓練を行う前の整列の音頭を珍しく杏が執っていた
普段は桃や柚子が皆を集めてその日のメニューや出席を確認するのだが、どうやら様子が違う
杏が矢面に立つ時は何かしらイベントや重要な何かが起きた時だ。事の重要性が高いほどに彼女は自分の口から内容を話そうとする
その例の通りならば今回も何かがあったのだろう
やけに嬉しそうな笑顔を振りまく杏を怪訝に思いながらも、全員が集結し、整列する
杏「ひい、ふう、み……うん、みんな居るね。実は今日から大洗に転校して来た子がいるんだけど、なんとその子が戦車道を履修してくれる事になったよ。はい拍手〜」
釣られて拍手が響く合間に「転校生?」「もしかして愛里寿ちゃん?」と突然の発表に困惑した面子が顔を見合せて首を傾げていた
気の無い拍手を送る麻子も、内心では中途半端な時期に転校して来たものだと同じ転校生仲間になるであろうみほの方に視線を流す
と、何故かみほと視線がかっちり合った
偶然こちらを向いていたのか、はたまた先程からじっと見つめていたのか
恐らく後者ではないかと彼女から溢れる優しい笑顔から予想した推測が思考を通り過ぎる前に、柚子に連れられ件の人物が姿を現した
高過ぎず低過ぎない女性の平均的な身長、艶やかな濡羽のような長い黒髪、出る所が出て引き締まる所が引き締まった体躯
凛とした風貌にちらつく優しみと瞳から窺える知的な様子と整った顔立ち
彼女のその全身を視界が捉えた瞬間、麻子の脳裏でいつかの光景に写る誰かと目の前に立つ少女が重なって見えた
そんなまさか、とデジャブを切り捨てる麻子だったが、大洗の制服に身を包んだ彼女の発した声に愕然と目を見開いた
「皆さんこんにちは。ただ今ご紹介に預かりました、このたび大洗女子学園に編入する事になりました――」
唖然とした表情で誰もが身を強張らせる中、みほと杏は綻んだ微笑みを見せて麻子に頷いた
「――冷泉果穂と申します」
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言うが早いか飛びついた麻子を受け止めた果穂は困ったような嬉しいような表情で彼女を抱きとめる
果穂「まだちゃんと紹介が終わってませんよ、麻子」
麻子「そんなの、そんなのは、もうみんな知ってる」
果穂「そうでしたね」
締め付けるほどに力強く抱きしめる麻子に抱擁を返す果穂は、ようやくこの感触を体感できたことに自身の生還を以て涙していた
麻子を裏切らずに済んだ。麻子を悲しませずに済んだ。また麻子とこうして話せることが、麻子が自分をここまで想っていてくれたことが、なにより嬉しかった
果穂「治したのはあの人なのに、奇跡としか言いようがないと仰ってました」
あの後、回収された果穂は科学者がセッティングしていた研究所の一室に移送されて大修復が行われていた
科学者の目からみても本体の中枢が破砕されて基盤も一部は損失、回路も八割が連結不可と修復が絶望的な状態で手の施しようが無いと判断されるのが当然の有様
それでも人格や記憶に関するバックアップや新しい本体での巻き戻し修復を予備の手段として確保し、まずは手を尽くしてからと損壊した果穂本体の修復をやり遂げたのだ
内部や外観こそ元の形になったものの、人間でいえば腕や足がバラバラの状態から繋ぎ合わせて脳みそも強く衝撃を受けたようなもので、記憶喪失などのなんらかの障害だあっても不思議ではなかった
そうして再起動した果穂は、確かに奇跡という言葉が相応しいと思えるほど完全に治っていたのだ
一部の損失した部分は新しい部品への換装が行われており、それが以前の基盤に馴染むのか懸念されていたが、これといった拒否反応も出ずに最適な状態を保っていた
修復に合わせて治った果穂のデータを採った科学者の見解では、果穂の中で機能代謝が行われ、その補助効果として新しい部品に馴染み以前と同様の状態に治ったのではないかとされている
これも脳機能を完全に再現された第四世代人工知能の性能ゆえといった所だろうか
そうして瀕死ともいえる状況から復活を果たした果穂は、文部科学省の役人から止められていたにも関わらず開発をさせていたメテリアルボディの完成を待ち、それを身に纏いこうして大洗女子学園に正式に編入してきたのだ
麻子「よかった……お前とまた会えた……私は、家族を二度も失うのかと思って、失って……っ」
果穂「ごめんなさい、麻子。貴女を悲しませてしまった事、とても申し訳なく思っています」
麻子「本当に、戻ってこられたから……っ! こうやって戻ってこれたからよかったけど……もう、いい、戻ってきてくれたから、いいんだ」
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様々な感情が入り混じって溢れて来た涙を、二度も彼女の前では流すまいと拭ってから一歩離れる
深呼吸をしてから昂ぶった気持ちと呼吸を整え、まず真っ先に言わなければならない事を伝えた
麻子「おかえり、果穂」
果穂「ただいま、麻子」
交わされた言葉に皆が果穂の生還を祝おうと歓声が挙げられそうになったその時
すっと麻子へ近づいた果穂が彼女の唇を奪った
麻子「―――――――!!?」
歓声が飛び出すはずだった口はそのまま驚愕を現す表現へ強制的に変更され、突然の出来事に再び固まった面子の中、当事者である麻子は一番に混乱していた
数秒の接吻を交わした果穂が満足げに唇を離した後、麻子と周囲の反応に不思議そうに首を傾げる
麻子「あ、な、お、お前……」
果穂「はい?」
麻子「今のはなんだ!? なんなんだ今のは!?」
果穂「麻子は初心ですね。キスですよ」
麻子「知ってる! ああ、知ってるさ! どうして――」
そこまで言って麻子ははっとした
果穂がこれまで形成して来た性格は多々あるが、その中でも趣味のゲームとそれに伴った夜更かしが改善されることがはなかった(無論、日によっては控えることもあったが)
船倉で感情を爆発させて機能低下を引き起こしたのも、初めて心を自覚した日と同様
とすると、彼女が最初に興味を持っていた同性愛は――
果穂「私の中で同性愛への偏見は無くなりました。そうでなくとも、麻子にあんな熱意のある告白をされては断れませんよ」
麻子「こ、告白ってお前、まさかあの……」
果穂「ええ、『私の苗字をやる。私の家族になれ』……はっきりと覚えていますよ」
なんてことだ
最後の最後で潜んでいたサプライズに絡まっていた感情など吹き飛ばされてしまった。どこから出ているのかわからないような笑いだけが腹の底からせりあがってくる
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麻子「は……ふふ、はっはっはっはっはっ! なんだそれは! ははははは!」
果穂「む、酷いですね。そんなに笑う事はないでしょう」
麻子「これが笑わずにいられるか。はぁー……」
笑えるだけ笑っておいて、麻子はおもむろに果穂に抱き着いた
またもや不意打ちで飛び込んで来た麻子を受け止め、果穂はどうしたのだと彼女を見下ろす
麻子「そこまで言うんなら、今度は勝手に居なくなったりしないよな」
果穂「! ……はい、勿論です」
麻子「約束だぞ?」
果穂「はい。ですが、麻子にも守って頂かないと困りますね」
麻子「当たり前だ」
こんなにも暖かい抱擁が人の営みなのだと果穂は思う
世界はこんなに美しく、人はこんなに素敵であるというのに、機械である自分がその輪に加わろうとしている
これから本当の意味で人間らしく生活していく上で、人工知能である自分にどのような困難が待ち受けているかは定かではない
それでも、こんなに愛しい人が傍に居るのだから一所懸命に、精いっぱいやりたい事をして生きていこうと、過ごしていこうと、そう思える
果穂「これからも末永くよろしくお願いします、麻子」
麻子「ああ。こちらこそ、よろしく頼む」
怒涛のような歓声が二人を包み込んだ
もみくちゃにされる少女たちは理不尽に抗い災難を乗り越えた。人と機械という身でありながらその間に確かなカタチを見つけ、それを手にした
二人が出会ったのは偶然か、はたまた運命のいたずらなのか
大空から振り下ろされる燦々たる太陽の輝きは、確かな二人を祝福しているかのようであった
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1962年 10月 ガラス繊維製多層化ヴァリアブルカーボンプレート均質圧延装甲(通称・特殊カーボン)を富士重工・三菱重工・川崎重工が共同開発。製造は八幡製鐵所へ委託
1967年 4月 高田馬場にて戦車による流鏑馬が披露される。これに触発され、日本式戦車道が誕生。ほぼ同時期に戦車道を主流とする五家が台頭する
1969年 3月 西住流、島田流、玉田流、村上流、熊野流の五家各派当主が合同会議を経て条件合意。戦車道同盟が設立
1973年 7月 政府管轄の下、文部科学省にて戦車道における規定と法定が成立。正式に日本戦車道として戦車道同盟改め戦車道連盟が発足
1974年 6月 第一回戦車道全国高校生大会抽選会を実施
同年 7月 第一回戦車道全国高校生大会開幕
同年 8月 第一回戦車道全国高校生大会閉幕
1995年 3月 学園艦運営の資金難により大洗女子学園の履修選択科目から戦車道が削除
2000年 12月 年二回行っていた戦車道全国大会を年一回へ変更。冬季開催を廃止し、夏季へ集中
2012年 7月 第六二回戦車道全国高校生大会決勝にて水落事故。奇跡的に怪我人はゼロ
2012年 8月 第六二回戦車道全国高校生大会にてプラウダ高校が優勝
2013年 3月 経費削減の為、実績の無い学園艦を解体する事が決定。第一指名校が大洗女子学園となる
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2013年 5月 第四世代人工知能、誕生
2013年 6月 一八年ぶりに大洗女子学園が戦車道大会への参加を表明
2013年 8月 第六三回戦車道全国高校生大会にて大洗女子学園が優勝。同校の廃校が撤回される
2013年 同月 大洗女子学園の優勝記念としてエキシビションマッチを大洗町で開催
2013年 同月 再度、大洗女子学園の廃校が決定。大洗女子学園と大学選抜チームの試合が行われ、大洗女子学園が勝利。二度目の廃校が撤回される
2013年 9月 第四世代人工知能、初期教育と調整を終了
2013年 同月 第四世代人工知能を大洗女子学園へ委託
2013年 10月 次世代戦車道研究の一環として大洗女子学園と特別目的人工知能《SPAI》の試合が行われる
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2013年 11月 寄港中だった大洗女子学園学園艦が管制塔の制止を振り切り出港。その後、衛星からも発見できず通信途絶。乗船していた生徒、教師合わせ一八九名が行方不明
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11月 13日 大洗女子学園学園艦との通信途絶から一時間後、甲板に張られた海面偽装用ブルーシートが乗船していた生徒数名により撤去。衛星により発見
ほぼ同時に同学園艦より救難信号の発信を確認。通報を受けて捜索にあたっていた海上自衛隊・あぶくま型おおよど、いずも型かが、
付近を哨戒していたはたかぜ型はるかぜが急行。海上自衛隊特殊部隊SBU、特別警備隊、航空自衛隊レスキュー隊航空救難団が出動
大洗女子学園学園艦を横須賀港へ回収。艦にいた全員の身元を確認後、病院へ搬送され健康状態を診断
学園艦を勝手に航行させ、隠蔽を行ったとして警視庁による取り調べが行われる
11月 14日 動画投稿サイト『youtube』にて、「文部科学省の真実」と題された動画が投稿される
内容は文部科学省大臣・駿河則行と同省学園艦教育局長・辻廉太の主なやり取りが中心であり、会話の内容は今回の大洗女子学園学園艦の失踪に
ついて関与を仄めかすものだった。動画の投稿から数時間で瞬く間に短文投稿サイト『twitter』や大手SNS『facebook』等に拡散し、炎上
11月 16日 文部科学省前にて事前の届け出無しのまま集団デモが行われる。警察の出動で一時は解散したものの、新聞社や週刊誌が殺到し、騒然となる
同日発行だった週刊誌『週刊文春』には辻廉太が関与したとみられる汚職等について掲載され、文部科学省は二日間の電話回線パンクを理由に
事態鎮静まで一般の電話回線を一時断線
警視庁により駿河則行、辻廉太の事情聴取が行われる
11月 20日 駿河則行、辻廉太、及び関係者一八名を収賄罪(単純収賄、受託収賄、加重収賄、あっせん収賄)により緊急逮捕
その他多数の罪状や容疑で起訴
警視庁に拘留されていた大洗女子学園学園艦失踪関係者全員を釈放。警視総監並び、警視監による謝罪の言葉が述べられる
大洗女子学園学園長及び理事長は「生徒たちの心の傷を癒すのが先決であり、報道関係者による取材は全て学園が受ける」とコメント
12月 20日 駿河則行以下一九名の初公判
検察側の冒頭陳述や証拠品、証言によって予算や給付金の不正利用、横領。地位の恣意的悪用が発覚。少なくとも駿河則行、辻廉太が主犯格であることが判明
官僚の身でありながら私腹を肥やすために長年に渡り不正を働いていた事や、文部科学省という子供たちの教育に深く携わる機関のトップに属していながら
私的な理由で権力を行使して学園艦を廃校へ追い込むなど重大な事件を起こしたとして、検察側は無期懲役を求刑
裁判長・行徳右衛門は「前代未聞。地球財産たる子ども達の未来を奪いかねない、彼女らを踏みにじるような行いは平成に於いて最も許されざる事件であり、
倫理観の欠如が見られる程の凶悪的犯罪」とし、検察側の求刑を認め、無期懲役の有罪判決を下した
被告側の上告は認められず棄却
この騒動で警視庁の捜査により少なくとも解体専門業者二社、建築業者三社、大手中小企業七社と官僚との間での癒着が発覚
芋づる式に数十名が逮捕されるという大事件にまで発展した(※大洗事件)
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2014年 4月 洗脳を受けていたとされる生徒ら全員の治療が日本脳科学研究所の協力にて大洗総合病院にて完了
2014年 8月 日本Microsoft、日本脳科学研究所、及び国立研究開発法人産業技術総合研究所が『第四世代人工知能《ゆうな》』を発表
人と同等の思考や判断をすることが可能で、搭載されたマテリアルボディには実験的に人工皮膚スキンが使用され、世界初の有機アンドロイドとして誕生
2018年 2月 世界的な人間アンドロイド間での問題を受け、国連は世界に向けてアンドロイド用の法整備をするよう提言
G20にて日、米、豪、露、中、英、独が共同で『有機アンドロイド人権宣言』を宣告
2020年 3月 New STARTⅡ、IHL(International humanitarian law)にてドローン及び無人兵器群に頭脳として第四世代以降かつ自律的に人間的思考を行えるAIの搭載
を禁止する条約が結ばれる
2023年 1月 炭素繊維製複合多層化ナノカーボンプレートを冷泉麻子博士が開発。共同に三陽マテリアル、大洗製鐵
2023年 同月 日本戦車道連盟が戦車道規定改正などにより日本戦車道連合を設立
2029年 5月 日本の年間交通事故件数が千件を下回る
2034年 10月 日本の年間交通事故件数が百件を下回る
世界の平均年間交通事故件数が四桁に突入
2050年 1月 日本の年間交通事故件数が〇件を達成(意図的なものを除く)
現在自動車に標準搭載されている自動車自動運転システムを開発したホンダ、スバル、車体の材料となる新特殊カーボンを開発した冷泉麻子博士、冷泉果穂、
三陽マテリアル、大洗製鐵に内閣総理大臣・大友厳より国民栄誉賞が贈られる
2057年 4月 冷泉麻子博士がノーベル平和賞授与
2077年 9月 ――――
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麻子「ようやく夏が終わったと思ったのに、まだ随分と暑いな」
果穂「そうですね。今年の残暑は比較的穏やかだと言っていたのに……」
屋上に出た二人は室内の空調が効いた涼しさから一転、生ぬるい風が肌を凪ぐ外の蒸し具合に顔を顰めた
九月も中旬だというのに暑さが和らぐ気配はちっともない。きっと下旬までは熱にうなされることだろう
屋上に据えられているベンチに腰掛けた麻子を尻目に、果穂は屋上のフェンスに手を掛けて空を見上げた
果穂「ですが、いい天気です。雲も無く、満月も眩しいくらいで」
麻子「こんな真夜中に良い天気も何もないだろう。まぁ、確かに月は……いや、なんでもない」
それより喉が渇いた、と首元を手で仰ぐ麻子へ持ち込んでいた水筒を手渡した果穂は、ようやく彼女の隣へ腰かける
麻子「用意がいいな?」
果穂「ええ、まぁ。なんとなく麻子に誘われるような気がしたので」
麻子「…………本当か?」
果穂「本当ですよ、決して誘われた後に急いで台所からお茶を入れて来たわけではありません」
嘘か本当か判断し難い言葉を並べ立てる果穂に呆れた麻子は黙って水筒を煽ぐ
ごくごくと呑み込まれていく清涼は彼女の身体を少なからず涼めることに貢献した
麻子「ふぅ……」
一息ついた心地の麻子が何かを思い出すかのように中空に視線を移すのを見て、果穂は隣にいながら話しかけることを躊躇った
それは彼女が何か考え事をしているから、とか、何を話すべきか迷っているからでもない
自分から話すべきではないかもしれないという遠慮や配慮のような、曖昧な感情に腕を掴まれていたからだった
麻子「……結局」
自身の葛藤を胸の内に繰り広げていた果穂は、麻子の呟きにはっとなって彼女の横顔を捉える
麻子「お前は最後まで私と一緒だったな」
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何を言うかと思えばそんなことか
麻子の一言に考えていたことの全てが的外れ甚だしいということに気が付いた果穂は、自身あまりの滑稽さに吹き出してしまう
麻子「なんだ、いきなり笑いだして……」
果穂「いえ、すみません。私はやはり生真面目過ぎたのかな、と」
麻子「ほぉ。私のシュークリームにからしを入れる奴が生真面目か」
果穂「その節は本当に申し訳ありませんでした」
過去の失態を引き合いに出された果穂が平伏するのをまたもや呆れた表情で見下ろす麻子だったが、話が進まないので頭をはたいてやめさせた
申し訳なさそうに眉尻を下げる果穂は大人しくベンチへ座り直す
果穂「その……私はあの時から麻子と一緒に居ようと考えていましたし、相応の決意もしましたから」
そう言って、果穂は麻子の皺だらけの手に自身の手を添えた
彼女の身体はもはや老人のそれだったが、齢を考えれば当然の事だ。それでも彼女の手は以前と同様に温かく、果穂はその感触をしかと受け止める
麻子「私の心残りはお前を同性愛者から脱却させられなかったことだよ」
果穂「何を言うんですか。今や世界では同性愛など標準的なものだというのに」
麻子「私の気持ちの問題だ、バカヤロー」
口では悪態をつきながらも麻子は果穂を受け入れ、大洗を卒業してからも彼女という存在を傍に置き続けた
交通事故で自分のように家族を失う人を減らしたいという麻子を手伝って様々な場所で安価に利用できる新しいカーボンを研究したり、一時期は反有機アンドロイド団体からの迫害を受けたりと色々あったが、果穂にとっては概ね幸せな人生であったと言える
果穂とて自分が生身でないことを重々に承知しているし、麻子が生涯の伴侶を見つけた時は彼女との同居を止めようと考えていたのだが、結局彼女は自分のパートナーを見つけることはなかった
それが出会いがなかったのか、麻子の目に適う男性がいなかったのかは定かではないが、少なくとも彼女にそのような願望が存在しなかった訳ではないのだ
麻子「はぁ……お前は変わらないな」
やれやれと首を振る麻子の笑みにどことなく気恥ずかしさを感じた果穂は、それを誤魔化すかのように手で口元を覆った
二人の間を、涼しくなった風が通る
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麻子「――私が最後になった」
果穂「そう、ですね」
麻子「思い出すだけでも辛い。この歳になっても、私の中身は死別を克服できていなかった」
果穂「しかし、人としてそれは……」
麻子「ああ、間違いじゃない。誰だって親しい人間と死に別れるのは悲しいに決まってる。でも、私が最後でいいんだ」
果穂「…………どういう意味ですか?」
年老いれば人は死ぬ
いくら医療が発達し、延命治療を施しても人の身体は一二〇の内に限界を迎える
人が人である以上。五臓六腑を有する生身の肉体である以上
それは避けられない自然の摂理であり、絶対的な運命である
だから言うまでもない事だが、彼女の友人はこれまでに多くが天命を迎えてこの地を去って行った
麻子「私があんこうの中で最後に加入したメンバーだったからだ」
最初はみほだった
彼女の姉、まほは西住流の家元を継ぐ身として早々に婿を迎え、二子を儲けた
そんなまほはみほに『家の事は考えず、自分の認める男を選べ』と告げたらしく、みほが結婚したのは二十四の時。相手は戦車道に携わる整備士だった
みほも最終的には二子を儲け、正式に引退するまでは四十まで戦車道のプロ選手として素晴らしい活躍をし、それ以降は後進の育成に尽力
そして、ある日の朝に静かに息を引き取っていた
葬儀は約三千人が参集し、遺書で述べられた高校時代の思い出にかつて大洗で彼女と共に戦車道を歩いた参列者の悉くは涙した
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次は沙織だった
彼女はあれだけ結婚結婚と言っていたこともあって、なんと高校卒業後の半年後には『この人と籍を入れる!』とメールしてきていた
青果店で働くその男性を見かけて人となりに一目惚れしたらしく、大学卒業と同時に結婚。三子を儲けた
彼女のアンテナが鋭かったのか、相手の男性は非常に温厚で優しく、人当たりもいい上に知識も豊富、更には沙織に対して周囲がドン引きするほど甘々だったらしい
本人たちは否定しているが、沙織から時折聞かされるのろけ話にはさすがの華も白旗を上げたという
そんな彼女も病気に苛まれることはなかったが、あくる日の晩には静かに息を引き取っていた
次は華だった
華は家の事もあってか見合いの話が設けられることが多々あったのだが、自分に見合う男性がいないからと三十二まで一人身であった
そろそろ跡継ぎを考えなければという母の言葉もあってか、三十の頃にようやく自身を託せる男性を見つけ交際を開始。二年後に婚姻を結んだ
一子を儲け、やはり華道の道を歩ませていたのだが、反発されて子どもは戦車道を始めてしまう
その後、華が戦車道をしていた事を知り、更に家に対する偏見が年齢を重ねる事で消えたのか、子どもは中学卒業と同時に華道の道に邁進した
晩年、心筋梗塞で病院へ搬送されるも手術は無事成功。しかし、翌年に入院したままこの世を去った
次は優花里だった
優花里は高校卒業後には防衛大学に進学して自衛隊へと入隊した
彼女はレンジャー課程や長距離射撃課程などを経て中央即応連隊に配属後、西部方面普通科連隊や第一空挺団を転々としてようやく希望の第十一戦車大隊に配属される
戦車道の試合における審判として度々テレビに映り込み、何故か雑誌の取材を受けることもままあったという
たまたまプライベートで遭遇した小学校の時の同級生と親密な関係を築くようになり婚約にまで至ったが、彼女は生涯自衛隊員であった
自衛隊基地の一〇式戦車内にて心肺停止の状態で発見された。診断は老衰だった
その安らかな死に顔には思わず目頭が熱くなったのを覚えている
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差異はあれど、順番通りといえばそうなのだろう
そして、麻子は予感していた
そろそろではないかと
――自身の死期は、すぐそばまで来ているのではないか、と
果穂「後悔していませんか。私と出会ってしまったことを」
麻子「果穂、お前な……」
果穂はどうしても彼女の最期に際してその事を聞かざるを得なかった
もしかすると自分と出会ったことで麻子の人生が大幅に変わったしまったのではないか。自分が人生の重荷、足枷になっていたのではないか
今まで幾度も同じような問いを彼女にしてきたことがある
その都度その都度麻子の反応は違ったが、必ずこう言うのだけは変わらなかった
麻子「そんなわけないだろ。お前は私の家族なんだから」
微笑む麻子の向こう側にこれまでの記憶の数々が垣間見え、果穂は息を呑む
巡り巡る思い出は全てが脳の裏側を流れ、想いの奔流はすっぽりと心のどこかへ収まってしまった
麻子「見ろ、果穂――」
見上げた夜空
二人の目に映るのは同じモノ
二人の過ごしてきた此処に在る、真実の月
麻子「――月が、綺麗だ」
2077年 9月 冷泉麻子、死去
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終わり! 閉廷! みんな解散!
二か月もかかったけど付き合ってくれた人はありがとうゾ
オリキャラな上に設定は所々ツッコミどころあるかもしれんが、言いたい事言ってくれていいゾ
あと、最初の安価は果穂のキャラ付けの為にしてたゾ
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おつかれナス!
ずいぶんと大作になりましたねクォレハ……
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なんて大作なんだぁ…
長く待ち続けた甲斐がありました
お疲れ様でした
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オツシャス!こんなNaNじぇいらしからぬ超大作でさぁ、誇らしくないのかよ?(賞賛)
最後にまさかの同性愛設定で草
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ちくしょう涙が半端ねェ
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も始終!
結構いい風呂敷回収力してるけど、何か戦車道とかやってるの?
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お疲れ様でした
涙腺撃破率120%ですねこれ
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乙シャス!
みぽりん何したんですかね…(畏怖)
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え、なにこれは(感動)
大作ありがとナス!
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ちょっと思い立ったから、一般的なライトノベルのフォーマットである一ページあたり40文字34行にしたワードに突っ込んだら181ページ149460文字になったゾ……
文庫に直して362ページになるこんな長たらしいもんをよく読もうと思いましたね(畏怖)
いやほんとありがとうゾ
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オツシャス!
質・量ともに本が出せるレベルの文章ですねこれは
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誕生日なのであげます
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こんな素晴らしいSS書いちゃって誇らしくないの?
本当に乙
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まだ落ちてないとかウッソだろお前wwww
これって、勲章ですよぉ?
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長いので全部読めてなかったけどようやく読み終わりました
最期幸せに終わって涙出ました
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こんなのがあったのか・・・
クッソ長いから気合いいれて読みますよー読む読む
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