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death論教31

1death論教:2015/01/18(日) 12:12:58 ID:KDDlU72w
death論教

32名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/02(土) 20:03:06 ID:???
違う、違うんだ。優子の目から、貴くて美しい大粒の涙がこぼれおちる。俺の胸が痛む。

あの時の俺に、優子を思いやる気持ちなどなかった。ただ、あいつらが嫌いだった、そして、好きだった女の子にいいかっこしたかっただけなんだ。俺は、君の言うような優しい男の子なんかじゃなかった。
そんな俺を、そんな俺を君は七年も…

「あれから、ずっと直樹くんを見てた。私の初恋。直樹くんは私のこと見てなかった。他の子を見てた。でも、やっと私のこと見てくれた。私、直樹くんのこと、好きでいてよかった…」

俺は優子を抱きしめた。つよく、つよく抱きしめた。涙がとめどなく溢れてくる。俺は、激しく嗚咽しながら優子を抱きしめ続けた。背後で、誰かの足音が近づき、トットットットッと、リズミカルに響いて遠ざかっていった。そんなことはもうどうでもよかった。

日は西に傾き、あたりは夕焼けに包まれていた。

33名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/02(土) 20:58:33 ID:???
優子と恋人として過ごすようになった夏休み。バイト、部活、友人との付き合いといった多忙な時間を縫うように、俺はすこしでも多くの時間を優子と共にした。
浴衣を買ったおかげで財布の中身が乏しくなったから、遠出したりお金のかかるような遊びはできないけれど、お互いの部屋や公園で、お互いの断片を求めるように語りあった。優子のことなら、何でも知りたかった。

優子との会話はときに俺を悲しくもさせた。「ねえ、覚えてる?ほら、四年生の時遠足で―」「あの時の直樹くん、こんなこと言ってたよ―」
優子は、小学校や中学校時代の俺のことを、ほんとうによく覚えていた。自分自身でも覚えていない俺のことを、嬉しそうに話す優子を見ると、たまらなく切ない気持ちになった。俺には、優子との思い出なんてほとんどなかった。優子のことなんて見ていなかったから。

優子との七年の隙間を埋めたい、そのためにすこしでも彼女のことを知りたい。
彼女の言葉に胸を痛めるたびに、優子への愛が深まっていった

34名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 00:22:37 ID:???
夏祭りの日。慣れない藍色の浴衣に身を包み、下駄をつっかけて、普段ならチャリで5分の優子の家まで、30分以上かけて歩いた。

やっぱり浴衣姿で一人で歩くのは照れくさい。誰も気にしてるわけないのに、すれ違う人たちの目を意識してしまう。でも、今から浴衣姿の優子に会えるんだ。彼女と並んで歩く、きっとあたたかい時間を想像しながら、歩を進めた。

「おまたせー」朝顔の柄の浴衣に身を包み、照れくさそうに顔を赤らめた優子に、「おおーっ!」と思わず感嘆の声が出る。一度試着した姿は見てるけど、やっぱりなんだか初々しくて、とにかくかわいい。

手を繋いで、お祭り会場まで、ゆっくりと、ゆっくりと歩く。時々お互いの顔を見合せては、照れ笑いを浮かべる。浴衣を買ってよかったと思う。ほんとうに、今この世でいちばんしあわせなのは、自分達なんじゃないか、と思う。

お祭り会場に着くと、おーい、と呼ぶ声と、女の子のワーキャー騒がしい声がする。声の方を見ると…
なんじゃこりゃ!中三の時のクラスメイトが、ざっと数えても十人以上。その中に…浴衣姿の桜木紗千子の姿があった。一瞬、ほんの一瞬だけまずいな、という後ろめたさのようなものが、頭をよぎる。

優子は、右手に俺の手を握ったまま、おーいと左手をブンブン振りながら、みんなのほうに歩き出す。俺も引っ張られるようについていく。

35名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 00:49:36 ID:???
ふたりとも浴衣姿で、しかも仲良さげに手を繋いだ、俺達の姿は衝撃的だったようで、あっというまに「マジかよー!」「いつからつきあってんの?」と、声か矢継ぎ早に飛んできた。
俺はもう、顔から火が出そうな気持ちで「あー!もう!うるさいうるさい!」としばらく繰り返していた。

こういう状況だと、やっぱり女のほうが強いのかな、と思う。優子も顔を真っ赤にしているし、みんなとの会話もいつもよりたどたどしい感じだけれど、時々上目遣いに俺の顔を見ては、「うふっ」と微笑みかける。そのたびにみんなの野次が飛ぶ。俺の顔はますます赤くなってることだろう。

36名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 01:15:50 ID:???
ひとしきりみんなに弄られたけれど、しばらくすると普通に雑談できるくらいに落ち着いてきた。俺も優子と離れて、久しぶりに会う男子たちと高校生活の事などの話に興じた。

もうそろそろふたりだけでお祭りを楽しみたくなってきた。優子は辻本や真央ちゃん達とおしゃべりしている。三人共浴衣姿だが、目に気色いい優子や真央ちゃんの浴衣姿に比べて、ひとりだけ女相撲の力士が混じっているようで、思わず笑ってしまう。
辻本が「何ニヤついてんのよ〜」とか抜かすから、「三人娘が浴衣で並んで微笑ましいなーって」と適当に答えておく。

優子にそろそろ行こうか、と声を掛けようとしたら、「松原くん、久しぶり。びっくりしちゃったよー」
桜木紗千子が話かけてきた。

37名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 01:48:32 ID:???
「松原くん、元気だった?高校生活はどう?」
「ぼちぼちだよ。そっちはどう?学校どこだっけ?」
5ヶ月近くぶりに会う桜木紗千子。卒業前の数ヶ月、話もまともにできなかったから、ちゃんと会話するのは、もういつ以来だろうか。

かつて、俺は彼女との会話の一言ひとことに夢中だった。彼女との会話から、大事なことがらを探し集めた。いつも、必死だった。彼女との会話に、ドキドキしていた。
今、彼女と話す俺の心は、あの頃からすれば信じられないくらいに、穏やかに凪いでいる。

俺の右手に、柔らかい感触が走った。優子の左手だ。優子はギュッと俺の手を握りしめる。
「本当ビックリしちゃった。ラブラブだねー」
桜木が言う。純粋に俺と優子を祝福してくれているような、やさしい笑顔で。

38名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 02:03:14 ID:???
目の前の浴衣姿の桜木は美しい。でも、大丈夫だよと、不安げに俺の手を握る優子に、心の中で語りかける
もう、俺は大丈夫だから。もう、俺の心はどこにもいかないから。

今、桜木と話してることも、時間が立てば忘れてしまうよ。
かつて、必死に集めた桜木の断片。誕生日、好きな言葉、好きな食べ物、好きな歌、黒板の字、彼女への恋心…
きっと、これから少しずつ、忘れていくよ。

「じゃあ、行こうか」俺は優子の手を引いて、歩き始めた。

39名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 09:08:12 ID:???
こうして、高校一年生の夏休みは忙しく過ぎていった。

俺と優子がつきあうきっかけになったカラオケや、夏祭りの裏話も、後々わかってきた。

あのカラオケは、俺と優子をくっつけるために辻本と真央ちゃんが計画したこと。
優子はそのとき自分から告白するつもりだったのだが、俺に髪形や服装を誉められて舞い上がってしまい、カラオケ中は完全にパニック状態だったこと。
俺達と解散した後辻本と真央ちゃんに慰められながら泣いたこと。帰宅後も部屋でひとり何時間も号泣し続けたこと。
あの夜、優子に電話したとき、彼女の声がかすれていたのを、はっきり覚えている。ああ泣いてたんだな、俺が泣かしちゃったんだなと、そのときはっきりわかった。

夏祭りで浴衣を着た俺達が手を繋いで現れた姿はかなり衝撃的な光景だったらしい。
あのお祭りには、最終的に中三のクラスメイトの半分以上が来ていたこと。他に同じ中、小学校の出身者も大勢いて、俺達の噂はたちまちのうちに広がったこと。
俺達がみんなと別れてからも、俺達を肴に盛り上がったこと。影響されて何組かの即席カップルが生まれたこと。高橋が真央ちゃんに告白して玉砕したこと。

もうすぐ夏休みが終わりを迎えるというある日、彼女の部屋で、俺と彼女ははじめて繋がった。

十五年の人生で、最も濃密な夏が過ぎ、季節は移ろった。

40名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 11:02:35 ID:???
たしか次の年の春休みだったと思う。優子の部屋で、彼女と背中合わせになって、中学の制服に着替えていた。俺は変態である。要はこれからそういう行為をしようというわけだ。

他に誰もいないはずの家の玄関のほうから、バタンと音がしたとき、俺はまずいと思った。そのとき俺は扉の前に仁王立ちになり、Tシャツに下半身はトランクス一枚、しかもトランクスはものの見事にテントを張った、どうしようもない姿だった。

トントントントン、と、誰かが階段を昇ってくる。ヤバい。俺は勃起したまま硬直していた。しかし、まさか目の前の扉が開くことはないだろう。

そのまさかが起きた。
「ねー、ゆう…」優子の四つ上で大学生のお姉さんが言いかけて、そのまま硬直した。お姉さんは俺の頭の先ら足先まで目線を往復させる。目線が一瞬股間で止まる。後ろから優子の悲鳴が聞こえる。「お姉ちゃん出てってよ!」
お姉さんはニヤつきながら「直樹くん来てたんだ〜邪魔してごめんね〜」と言って扉を閉めた。俺はその場にへたりこんだ。後ろを振り返ると、ブラ一枚にブルマーという姿の優子がへたりこんでいた。平常運転ならそのまま抱きつきたくなるような姿だが、体が動くまでしばしの時間を要した。

41名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 11:36:59 ID:???
「お二人さーん、ちょっと出掛けてくるよー」扉の向こうから、からかうような声がした。俺はサッとジーンズを履いて、お姉さんを追った。「あ、あの、違うんすよ」何が違うのか自分でもよくわかってない。
「気にしなくてもいいって。元気でいいじゃん」お姉さんはニヤニヤしながら言う。そして「がんばれー」とウィンクし、出掛けていった。

数ヶ月後
石川家のリビングで、優子とお姉さんと三人で、桃鉄に興じていた。俺は二人を容赦なくフルボッコにしていた。彼女だろうが、その姉だろうが、勝負事に情けなどない。

お姉さんにキングボンビーがとりついた。またとない好機到来。俺は満面の笑みを浮かべながら、カーソルを『冬眠カード』に合わせた。その時。

「あんた、いっつも優子の部屋で何やってんの?学ランなんか持ってきて何やってんの?ブルマー履かせて何やって…」優子が「お姉ちゃんやめてよー!」と顔を真っ赤にして喚く。

この人を敵に回してはならない。俺は強く、つよく心に刻み込んだ。

42名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 17:06:13 ID:???
高二の終業式から高三の始業式までの春休みに、我が家は長らく住んだアパートから、20キロほど離れた町に移り住んだ。元々実家のあった場所に、両親が家を新築したのだ。
学校の近くなので、それまでの電車通学から、チャリ通学に変わった。引き替えに優子の家へは電車とバスを乗り継いで行かなければならなくなった。

日常生活はますます多忙になっていった。俺と優子は将来について真剣に語り合い、俺は県外の大学を第一志望とすることに決め、学校の他は塾通いに多くの時間を費やすことになった。
優子と過ごす時間は以前よりもはるかに少なくなってしまったが、いまはまだ固いつぼみが、やがて来る大学生活で芽吹き、そして大人として、社会人として大輪の花を咲かせ、そこには今よりもっともっと大きな存在として優子がいる。そんな未来を想えば、まだ雪解け前の準備期間といえる今を優子と離れた町で過ごすことは、辛くはなかった。

43名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 17:38:15 ID:???
また新しい春が来て、俺は第一志望の大学に合格し、優子は地元の短大に進んだ。
俺は大学のある人口百万人台の街で一人暮らしを始めた。優子とは遠距離恋愛となった。といっても新幹線で一時間、車で四、五時間といった距離だから、大学生にはハードルは低くはないけれど、けっして絶望的な距離というわけでもなかった。
俺はバイトして運転免許を取って中古車を買い、授業とサークル活動とバイトの合間を見つけては、優子のところへ帰る時間を作った。
だいたい月に二回は車で優子に逢いに行き、優子が新幹線や高速バスで俺のところへ来るときもあった。

俺達こうして物理的な距離に抗いながらも、心の距離は適切に保ちながら、変わらぬ愛を育んでいける、と思っていた。

44名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 18:57:32 ID:???
五年近くつきあった石川優子との別離は、意外なほどにあっさりとしたものだった。それは俺達が二十歳になったばかりの春のことだった。
別に憎しみあったわけでも、お互いに他に好きな異性ができたわけでもなかった。ともかく、お互いのために別々の将来を歩んでゆくことにしようと、最もらしい言い訳で、自分の心を整理した。

バイトの後輩の戸田理恵を食事に誘ったのはそれから2ヶ月ほど後のことだった。半年ほど前に、俺は彼女に告白されていた。
彼女は医療系の専門学校に通うひとつ下の十九才だった。

その夜の食事の後、俺は彼女に交際を申し込んだ。そして、その夜のうちに、彼女は処女を捧げてくれた。

45名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 19:30:37 ID:???
理恵が突然にこの街からいなくなったのは、交際二年目の春だった。俺は22才になっていて、大学を卒業して、地元には戻らず、この街で社会人生活を始めたばかりだった。
理恵は一年前に就職し、病院職員としてこの街で暮らしていた。俺達はほとんど毎夜をどちらかの部屋で過ごしていた。

理恵の退職を知ったのは、その日の夜だった。そして、この街を離れて地元に帰ることを決めたと聞かされた。俺には何の相談もなかった。俺は一晩中彼女に理由を問い詰めた。だが、納得いく理由は聞き出せなかった。
俺に原因があるのか、それなら努力して直すからどうか話してくれ、と訊いても「直樹さんが原因じゃありません」「あなたのことは好きです」「どうしても地元に帰りたくなりました」「私にはこの街は無理だと思いました」といった答えしか聞けなかった。

46名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 20:08:25 ID:???
理恵は実家に帰り、地元の本屋でバイトを始めたと聞いた。
俺は新社会人としての生活に追われ、しばらく彼女に会うこともなく、電話やメールも途切れがちになった。その少ないメールでも、どうして彼女がこの街からいなくなったのか尋ね、できるなら俺のところへ戻ってきてほしいと訴えた。

ようやく理恵に会えたのは、彼女がいなくなって三ヶ月が経った、6月の土曜日ことだった。
俺は彼女に会うために、車で彼女の地元に向かった。彼女とは、バイト終わりに会って食事することにした。
郊外の国道沿いのファミレスで、彼女に会った。土曜日なのに店はあまり混雑しておらず、一番奥の静かそうな席で、彼女と話した。

それが、理恵に会った最後になった。明日も朝からバイトだからと、その夜は結局その場で別れた。俺は道の駅に車を停めて一晩過ごし、翌日帰宅した。その後、どちらともなくメールも途絶えた。

彼女から長い手紙が届いたのは、それから半年経った頃だった。俺への謝罪の言葉が便箋三枚に渡って綴られた後、地元の病院に再就職したことと、新しく好きになれそうな男性がいることが記されていた。

47名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/03(日) 21:17:00 ID:???
次に恋人ができたのは、社会人2年目の23才の秋だった。
その年の夏、大学時代のサークルの仲間達とバーベキューをした。その時に出会ったのが、小島先輩の妹の茜だった。

正確に言うと、彼女との初対面はもう四年も前の大学時代に、小島先輩の家に遊びに行った時だった。俺は二回生で19才、茜はまだ高校一年生で16才になったばかりだった。
彼女ははっきりいって、そこらのアイドルとは比較にならないほど可愛いかった。その時は挨拶程度だったが、後で先輩と「妹さん可愛いですね〜」「アハハ、色気も糞もないガキだぜ?あんなの、やめとけやめとけ、アハハ」なんて会話を交わしたのを覚えている。

二十歳の大学生になった茜は、愛くるしい童顔で、相変わらずの可愛いさだった。
「松原って今彼女いなかったよな。こいつなんかどう?色気ないのと胸がない以外はいい奴だぜ?」本気とも冗談ともつかない口調で、小島先輩が言う。
「なに言ってんのよ兄ちゃん!」「兄が変なこと言ってすいません」「アハハ、とんでもない。仲の良い兄妹で羨ましいな」

そんな他愛もない会話から徐々に俺達は打ち解けてゆき、その日のうちに携帯とメアドの交換をした。まだ恋愛感情というには遠いけれど、俺は茜に対してほのかに暖かい気持ちを、確かに感じていた。

48名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/04(月) 00:10:51 ID:???
それから、俺と茜は、何度かの食事やデートを繰り返し、少しずつお互いの距離を縮めていった。
紅葉の季節に、ふたりでドライブに出掛けた。紅く染まった湖を眺めながら、俺は茜に思いを伝えた。

彼女との交際は一年に満たなかったけど、一時は真剣に茜との将来を考えた。俺はそれを口にすることはなかった。彼女はまだ学生だったし、自分も社会人としてはまだまだ未熟だと思った。

茜はとにかく可愛くて、暖かくて、色気が無くて、ガサツで、超のつくまな板で、直してほしい所は色々あったけど、とにかくゆっくりと、ゆっくりと愛を育んでいければいいと思っていた。
そうしていければ、やがて、俺は茜の全てを守れる力も自信も持てるだろう。きっとそう思う、と。

茜から別離を切り出されたときの戸惑いと悲しみは、それまでにない感覚だったと思う。

49名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/04(月) 00:53:45 ID:???
「直樹のことは好きよ。でも、たぶん、直樹が思ってるほど、私は直樹のこと好きじゃないのかもしれない」

それが彼女の別離の言葉だった。とにかく、何か言い当てられたような奇妙な感覚と、深い闇に包まれるような感覚が込み上げたのを覚えている。
茜は口に出しては言わないけど、「あなたは私じゃダメだと思う」という言葉が聞こえるような気がした。そして、彼女にそれを言わせたのは自分だという確信が、俺の心を何度もなんども突き刺した。

「だから、今日から友達に戻ろう。兄ちゃんと気まずくなるのは嫌でしょ?だから、私たちはこれからも友達」
「きっと、この世に私以上に直樹が好な人は、ぜったいにいるよ。それに、直樹には私より好きな人が、ぜったいにどこかにいると思う」

本当にこの子はやさしい子なんだ、と思う。
俺は、君のことを守れなかった。あれほど真剣だと思っていた気持ちも、けっして君のためのものじゃなかったんだ。

俺は彼女にすべてを言い当てられたような気がした。そして、彼女の言葉はきっと、将来に、どこかで、明確な答えを示してくれると、そう思った。

50名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/04(月) 23:13:42 ID:???
翌年の春、一通の葉書が届いた。中学の同窓会の案内だった。
そうか、もう卒業から十年経ったんだ。

もう、ほとんどの同級生とは交流がなくなってしまった。みんな元気でやってるかなと、何人かの顔を思い浮かべる。
たしか、前回の同窓会は五年前の成人式の日だった。俺はもう中学時代住んでた街を離れて今の街で大学生活を送っていたけど、そうだ俺は当時つきあっていた彼女に逢いに出席しないあの街の成人式に行ったんだ。

ふと、記憶の堰が一気に開くように、当時の思い出がよみがえってきた。

51名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 00:02:18 ID:???
まだ二十歳の誕生日を迎えていない十九才の俺は、中学校のあった街の成人式会場にいた。実家ももう転居していたし、本来その街の成人式に行く理由はないのだが。
俺は車の中で、式が終わるのを待っていた。式に紛れ込んでも大丈夫とずいぶん誘われたけど、固辞した。
正月に彼女とケンカして、ちょっと微妙な空気になっていたから、仲直りの意味も込めてちょっとしたサプライズを用意していた。
携帯が鳴った。式が終わったらしい。俺は彼女のところへ急ぐ。

彼女とその両親、それに同級生たちが談笑している。俺は後ろ手から薔薇の花束を彼女に差しだし「成人式おめでとう」
同級生たちから歓声が湧く。彼女は満面の笑みで花束を受け取る。「ありがとう。でも直樹くんもだよ。成人式おめでとう」顔を真っ赤に染めて、はち切れんばかりの笑顔だ。俺はこの笑顔を一生かけて守っていきたいと思った。

今思うと、彼女の両親もいるのによくもまあ、あんな恥ずかしいことをしたもんだと思う。何やってんだあの頃の俺。

あの成人式の数日後、俺は二十歳の誕生日を迎え、さらに半月後には彼女の二十歳の誕生日と、つづく記念日をそのたびにふたりで過ごし、俺達はすっかり仲直りしていた。

なのに、その一ヶ月後に俺達は別れた。あの笑顔を守れてないじゃん何やってんだ俺。

何を今さら昔の彼女のことなんて思い出してんだ。何やってんだ今の俺。

52名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 01:38:25 ID:???
葉書を眺めて、どうしたものかと思う。
同窓会は5月のゴールデンウィークだ。別に他に予定はないけれど。

五年前に別れた彼女は今何をしているのだろう。あれから連絡はいっさい取ってない。
もう結婚しているかもしれないし、子供のひとりやふたりいてもおかしくない。
もし彼女が他の誰かとしあわせを手にしているとして、もしそんな彼女と対面して、今の俺にそれを素直に喜ぶことはできるだろうか。

俺はもう、優子のことを思い出にできただろうか。

「きっと、この世に私以上に直樹が好な人は、ぜったいにいるよ。それに、直樹には私より好きな人が、ぜったいにどこかにいると思う」

半年あまり前に別れた彼女は、最後にそう言った。あの時、まるで彼女に何か真理を言い当てられたような、奇妙な感覚をおぼえた。もしもそれが―

そう考えかけて、俺はまた、何を過ぎたことに囚われてるんだ、俺は何をやってんだ、と苦笑いする。

53名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 02:42:02 ID:???
俺は葉書をデスクのトレイに入れた。結局、まだ返送期限までまだあるから、後でいいやと先送りにした。相変わらず俺は成長していない。

数日後、中学の同級生の高橋が電話してきた。高橋も高校卒業後はずっと地元を離れて暮らしている。今でも出張でこっちに来る度に、飲もうよと言ってくれるありがたい奴だ。
「同窓会、行くだろ?」「うーん、どうしようかと思ってる」「忙しいのか?」「いや、休みは取れるけど…」「じゃあ、出ろよ」
何だか、十年前にもこいつとこんなやりとりをしたような気がする。

「あのさあ、そりゃあ会いづらいのは分かるぜ。」「別に会いたくないわけじゃない。優子のことは別に関係無いよ」
「誰も石川のことだなんて言ってませんぜ」
…クソッ

「うん、でもな、今度行かなきゃ他のみんなにも、もう会う機会は無いかもしれないぜ?お前にとって、同級生は石川だけなのか?石川がすべてなのか?俺達は石川のオマケなのか?」
「たしか大内は今アメリカだし、北海道にいる奴もいたよな。そいつらはたぶん来たくても来れねえはずだぜ。それに比べりゃ、お前なんて大して遠くに住んでるわけでもねえだろうが」

正直、何でここまで熱く力説するのか疑問に感じないわけでもないけど、確かに高橋の言うことは、ごもっともである。
「ありがとうな。俺はいい友達をもったよ」と素直に言っておく。
「おう、じゃあ出席な。早めに返事だしとけよ」

優子が出席するかはわからない。でも、もしまた会えるなら、彼女と、そして他の仲間たちとも、元気で楽しく笑いあえるといいなと思った。

54名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 14:52:41 ID:???
大きな荷物を持った新幹線への乗り換え客や、家族連れの間を縫うように改札を抜け、俺は十代の途中までを過ごした街に降り立った。この駅で降りるのは何年ぶりだろうか。
連休中だというのに駅構内とはうって変わって閑散とした夕暮れのシャッター街を抜け、約束の飲み屋に向けて歩を進める。
子供の頃から高校時代まで、何度も訪れた映画館も、はじめてのデートでハヤシライスを食べた洋食屋への階段も、いまはもう灯火を落とし、何年も開いてないであろう錆び付いたシャッターに閉じられている。
歓楽街にさしかかると、ここは多少なりとも明るい。俺はふーっと深呼吸して、貸切の札のかかる飲み屋の扉を開く。

懐かしい顔たちからおおーっと歓声があがる。次々に「久しぶり」「懐かしいな」「お前変わらねーな」などと声がかかる。俺は担任の先生に挨拶してから、勧められるままに着席する。
俺は落ち着きなく周囲をキョロキョロと見渡す。目の前の美女が、ほんとうにはっとするような美女が口を開いた。「松原くん、久しぶりだねー」「おおおおおーーーーー!いやー、綺麗になったなあー!」

たぶんもう今日一日だけで何度も同じような台詞を言われているのだろう。十年ぶりに会う桜木紗千子は、「フフフ、ありがとう。松原くん、今でもすごく若いね」と微笑みかけた。

55名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 15:32:42 ID:???
それからしばらくの間、俺は桜木紗千子と話し込んだ。彼女は高校卒業後、東京の音大に進み、卒業後は東京で音楽関係の仕事に就いているとのことだった。
彼女の仕事に纏わる話は、「なにかを創造する職業」という点で、俺にとっても通ずるものがあり、非常に興味深いものばかりで、俺は夢中で彼女と話続けた。
「もう仕事が忙しくて、でもなんとか休みが取れたから来れたんだ。彼氏なんかつくってる暇もないわよ。でも今の仕事が楽しいから、まだしばらくはこのままでいいかな」と、充実した笑顔で語る桜木紗千子を見て、俺は十年前に失われた気持ちを思い出していた。

俺は中学時代、彼女が好きで、すこしでも彼女のことが知りたくて、彼女の断片を集めたくて、彼女との会話に夢中だった。
いまはもう、その断片のほとんどを失くしてしまったけれど、彼女を好きだったという気持ちも朧気に思い出すだけだけど、あの頃の苦しくて切ないのに、夢中になれるものがあって、どこか充実した甘酸っぱい気持ちは、ありありと思い出すことができた。
俺はあの頃のように彼女を恋愛対象として見ることはできそうにないけれど、大人になった今、こうして再会でき、大人としての、社会人としての彼女の魅力に触れられたことに感謝した。

56名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 17:52:31 ID:???
桜木との会話に一区切りついて、俺は再び店内を見渡す。だがもうひとり、あの女性は見当たらない。ほっとしたような、すこし寂しいような複雑な気持ちになる。彼女はどうしていないのだろう。誰も知らないのか、俺に気を遣ってるのか、誰も話題にしない。

ふと、いつの間にか俺の隣にやってきた女性が、小声で言った。「優ちゃん、もうちょっとしたら来るから」
辻本晶子、正しくは東晶子の声だった。去年結婚したそうで、かつてのぽっちゃりを通り越してのおデブちゃんが、だいぶ頑張ったようでなかなかのいい女になっていた。正直、その変化に、ついさっきまで彼女に気づかなかったくらいだ。

辻本(旧姓)が、わざわざ俺の隣に来て予告する意味。それはおそらく、あらかじめ心の準備をしておけ、ちゃんと優子と向き合って話せ、ということだと悟った。

優子は、五年でどのように変わってるのだろう。まだ独身なのか。むしろ結婚してしまっていたほうが気楽に話せるのかもしれない。辻本はもうどっかに行ってしまった。

背中越しにいらっしゃいませーと店員の声がした。久しぶりーと誰かの声がする。俺は振り返る。メガネの女性と、パンツスーツに杖をついたロングヘアーの女性がいた。

真央ちゃんと、優子だった。

57名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 19:24:02 ID:???
優子は、真央ちゃんに支えられるように担任の所に行き、挨拶をし、それから俺のいる座敷からすこし離れた椅子席に腰かけた。
高橋が、「おい」と俺を促す。俺が躊躇していると、腕を掴まれ強引に椅子席に連れて行かれて、優子の向かいに座らされた。

「久しぶり」「うん、久しぶり」

…その後が続かない。
あの杖は何?足を引き摺ってるのは何?
聞けない。聞けやしない。優子も、辻本も、真央ちゃんも口にしない。他の誰も、俺を差し置いては聞けないだろう。

意を決して口を開く。「あの…元気だった?」
どうみても元気じゃないだろうと思う。目の前の優子は、五年前より明らかに顔つきが変わり、窶れた感じがした。
いったい五年間に、優子に何があったのか。知りたくない。でも知らなきゃならないんだろうけど、言葉が出ない。

優子は、俺の問いにすこし俯いたあと、顔を上げて「直樹くんは…元気だった?お仕事は順調?」と聞いた。
俺達は、お互いの仕事のことについて話した。でもそれは本題ではなく、間を持たせるための会話であることはわかっていた。
俺達が別れる前、当時短大を卒業間近だった優子は、地元の幼稚園の先生として就職が内定していた。地元ではなく俺の大学のある街に来て就職することも考えたのだけれど、当時はまだ俺の就職内定などはるか先の話で、卒業後の生活拠点が不確定だったことから、お互い話し合って地元での就職を決めたのだ。
もちろん、俺が卒業し、社会人としての生活拠点が定まったその後のことも、真剣に考えていた。
しかし、今の優子は、幼稚園の先生ではなかった。結婚もしていなかった。今は事務員の仕事をしていると言った。

58名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/05(火) 21:13:54 ID:???
なぜ幼稚園の先生を諦めたのか、そんな立ち入ったことは聞けなかった。優子はあくまでも元恋人で、俺にとっては他人なのだ。

すぐに話は尽きた。話したいことはたぶん山ほどあるはずなのに、俺達の話しはそう長くは続かない。続けられなかった。
俺は「ちょっと外の空気吸ってくる」と行って店の外に出た。はっきり言うと、俺は逃げたのだ。

俺はポケットから煙草を取り出して、ライターで火をつけた。高校生の頃、隠れて煙草を吸ってるのが彼女にバレて、烈火の如く怒られた。そして二度と煙草を吸わないと約束させられた。
つい今さっきまで、その彼女が目の前にいたのに、俺はこうして煙草を燻らせている。これは彼女への裏切りなのだろうか。でも、彼女は、他人なのだ。

俺が再び煙草を吸うようになったのは、大学を卒業してすぐの春。たぶん当時はいちばん精神的に不安定だった時期で、新社会人としての重圧と、当時交際していた彼女が突然に地元に帰ってしまったショックからか、俺は五年ぶりに煙草を飲んだ。

そんな回想をしていると、店内が真央ちゃんが出てきた。俺はあわてて煙草を揉み消す。

「ちょっと、いいかな?」「うん、何?」
「優ちゃんのことで…たぶん、本人から聞くより、私からのほうが…松原くんが聞きたくないって言うなら、仕方ないと思うけど…話していい?」

俺はすこし考えて、「うん、聞くよ。教えて」と答えた。確かに、本人から聞くよりも客観的に聞けそうな気がする。

真央ちゃんは、一呼吸入れてから、口を開いた。
「優ちゃんね…右足が無いの。義足なの。三年前に、事故でね…」

杖をついて、ぎこちなく歩く優子を見て、このようなことを想像していなかったわけじゃない。でも、なまじ第三者である真央ちゃんの口から事実を告げられると、そのあまりの残酷な現実に、後頭部を強打されたようなショックを受け、俺はその場でへたりこんでしまった。

59名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 00:41:39 ID:???
優子は21才の冬、仕事帰りの夜に起きた自損事故で右足を失った。
それから、社会復帰までには二年以上を要したという。身体的なリハビリだけでなく、一時は鬱病にも陥ったらしい。幼稚園の先生としての復職はできず、事務職としての再起となった。

「何度も松原くんには連絡しようと思ったんだけどね、でも優ちゃんがそれだけはやめて、って」
「そっか…」俺はポツリと洩らす。

「優ちゃんね、実は松原くんと別れてからも、ずっと引き摺ってたから…はやく忘れて新しい彼氏つくりなよなんて言ってるうちに、あんなことになって…」
真央ちゃんの声ひとつひとつが、心に重くのしかかる。俺の知らないうちに、俺を想ってくれるひとが、こんなに辛い目に遭っていたなんて。
昔、優子は、俺が知らないあいだに七年も俺のことを想い続けてくれた。俺は優子を愛せなかったその七年をなんとしても取り戻したいと思っていた。
なのに、そんな思いを忘れて、もっともっと辛い思いをさせてしまった。

「俺の…せいかな。俺が優子のそばにいなかったから、こんなことに…」「違うよ!」
「ごめんね。そんなつもりで言ったんじゃないよ。でもね、やっと優ちゃん、松原くんに逢いたいって思えるようになったの。今の松原くんに彼女がいても、結婚してても、現実を受け入れて、今の自分を見てもらって。そうすれば前を向いて生きられるんじゃないかって」

「優ちゃんは、わがままだと思う。松原くんは何も悪くないのに、優ちゃんのわがままにつきあわせて。ごめんね。優ちゃんの代わりに謝るね。」
「松原くんには松原くんの人生があるから。優ちゃんに対して責任を感じることはないよ。でも、できたら、話だけでも、聞いてあげてほしいんだ…」

60名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 01:27:36 ID:???
真央ちゃんが店内に戻った後も、まだすこし風にあたりたいからと、その場に残った。五月とはいえ、夜風は冷たい。俺はふたたび煙草に火をつけようとして、思いとどまる。俺はこれからどうすべきなのか、何も考えられず、お世辞にも景気が良さそうには見えない飲み屋街の情景を眺める。

店内から、高橋が出てきた。俺の横に立ち「煙草ある?」
俺はポケットからセブンスターを出し「全部やる」と言った。

「聞いた」高橋が、ポツリと言った。
「まあ、お前も石川も、大人同士だからな。俺が意見するべきじゃないかもしれない」

高橋はそれだけ言うと、煙草に火をつけた。そして、同窓会の件で俺に電話してきた事情について、語りはじめた。
突然、真央ちゃんから電話があって驚いたこと。真央ちゃんとは五年前に携帯番号を交換した後、何回か電話してみた―要はモーションかけてみた―けど、ここ数年間連絡はとっていなかったこと。
真央ちゃんは俺の近況と俺に彼女がいないらしいことを聞き出すと、俺にそれとなく同窓会に行くよう連絡してほしいと言ったこと。あえて理由は聞かなかったけど、優子に何かあったんだなと勘づいてはいたことなどを話した。

最後に高橋は「俺も真央ちゃんもお前の友達だからな。いくらでも世話焼くぜ」と言ってくれた。そして「来いよ。もういっちょ飲もうぜ」

俺は高橋に言ってやった。「お前ももういっちょ真央ちゃんにアタックしてみたら?」

「真央ちゃん、彼氏いるってよ」「そうか、じゃあやけ酒に付き合ってやるよ」「うるせー!」

61名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 02:17:55 ID:???
夜も10時を回り、家庭持ちの奴らはぼちぼち帰りはじめ、残った独身メンバーの中から、そろそろ誰からともなく二次会へとの声が出始める。俺も実家から電車で来たから、最初は終電までには帰ろうと思っていたのだが、思うところがあって残っていた。
「じゃあ、私、そろそろ帰るね」と、優子が言った。
誰かが二次会に行こうよと言うけど、足のこともあるから、と言われると、これ以上引き留めるわけにはいかないだろう。

「じゃあ、松原が送っていくから」高橋が勝手に決めやがる。
「そんな…迷惑かけるし、いいよ…」と優子は言う。しかし、俺は「いや、送るよ」と返す。
優子をひとりで帰すなんて、男として、死んでもできない。
周りからも口々に「送ってもらわなきゃダメだよ」と言われると、「じゃあ、そうしてもらう。ごめんね」

俺は優子のハンドバッグを持ち、彼女のペースにあわせて、ゆっくりと、ゆっくりとタクシー乗り場に向かう。
すると、携帯が振動した。画面を見ると…

なんじゃこりゃ。メール、メール、メールの嵐。「ガンバレー」「男ならしっかり決めてこい」「自分の信じた道を行け」エトセトラ、エトセトラ。
桜木紗千子からのものまであった。「松原くんはやさしいからね。きっと大丈夫!」
横を見ると、優子も携帯をいじっている。俯いて顔を赤らめている。
こいつら、ふざけんなよ…

俺達はしばらくその場に立ち止まる。そして「ふたりだけで話したいんだけど、いいかな…?」「うん…」

さて、どこで話そう。居酒屋なんてとんでもない。落ち着いて話せたもんじゃない。バーにでも行くか?でも違う。落ち着いて話はできるだろうが、俺はふたりだけになりたいのだ。カラオケボックス?アホか。

「ここでいい…?」俺達は、もう何年ぶりかに、ふたりでホテルにはいった。

62名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 13:27:40 ID:???
もう時刻は11時を回っている。このホテルに来たのはたしか高校時代以来だ。
俺は今夜はここで過ごすことに勝手に決めて、彼女と一緒に、部屋にはいった。
優子をソファーに座らせて「何か飲む?」と冷蔵庫を開く。アルコールはやめにして、ジンジャーエールを取り出す。
ソファーに向かい合って座る。いきなり本題に入るのは憚られる。俺は携帯を取りだし「みんな一度に変なメール送りつけやがって、しょうがないな〜」などと、つとめて明るく彼女に語りかける。それからしばらく今日の同窓会の話などして間を持たせる。
ポケットに手をいれ、ああ、煙草は高橋にあげたんだったと気づく。持っていても、優子の前で吸えるわけなんかないのに。これが五年間の隙間なのかなと、あまりにあたりまえのように煙草を吸おうとした自分の仕草に、淋しさを覚える。

意を決して、話を本題に近づける。「さっき、真央ちゃんに、いろいろ聞いた。…ごめんな…」やっぱり、こんなことになったのは俺のせいだという気持ちが沸きあがってきて、仕方がなかった。
「せっかくの同窓会なのに、嫌な話聞かせて、ごめんね。直樹くんにも、みんなにも、余計な気を遣わせて、やっぱり来なきゃよかったかなって、ちょっと後悔してる。ごめんね」

「でもさ、お前、俺に吐き出したいから来たんじゃないの?やっぱり、全部吐き出せる相手は俺しかいないって、思ってんじゃないの?」
優子は俯いている。泣かないように、必死に歯をくいしばっているように見える。
「いいよ、話して。俺は一晩中でも聞くから」

優子は、少しずつ話はじめた。話の大筋は真央ちゃんに聞いていたけど、本人の口から聞くと、もっともっと辛くなって、仕方がなかった。事故の詳細や、リハビリのこと、そして鬱になって再入院した話など、きっと思いだしたくもない記憶に抗うように、途切れ途切れに言葉を紡ぐ優子に寄り添って、彼女の両手を擦りながら、俺は聞いていた。

63名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 14:51:07 ID:???
彼女は、ベルトを外し、パンツに手をかける。ここに来てからもう何時間経ったろう。まるで幻覚をみているかのような時間。現実とは思えない時間。

彼女がパンツをおろす。下着、そして膝が露出する。膝の上で彼女の手がとまる。俺は息を呑む。この先に何があるのか、頭では理解しているはずなのに。まるで開けてはいけないパンドラの箱のような、でも俺は、この先に何があっても受け入れなければならない。それが俺の宿命だと、強くつよく思う。それが厄災なんかであってよいはずはないのだ。

彼女の手が動く。彼女の手が一気に踝までおりる。
彼女の右足は、膝で途切れ、その先には人工物があった。その人工物が、これが、彼女の足。

彼女は義足を外した。彼女の膝の下には、ぽっかりとした空間しかなかった。

俺の目から、堰を切ったように涙が溢れ出た。俺は彼女の膝に突っ伏して、泣いた。ただひたすら、激しく嗚咽しながら、俺は泣いた。おそらく十年前の夏の日の公園以来、俺は激しく泣いた。
彼女は俺の頭をやさしく撫でる。俺と彼女の嗚咽だけがあたりに響く。俺の頭に幾粒もの水滴がこぼれ落ちた。

64名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 16:19:41 ID:???
「俺のこと…許して…もう一度、俺と、つきあって…」

「私こそ…ごめんね…許して…」
「でもね…私なんかと、一緒にいたら、大変だよ…直樹くん、不幸になるかもしれないよ…」


「そんなこと…」

「私は、あなたのこと、思い出だけでいいよ…今日、逢えてよかった…だから、今日が、最後の思い出でいいよ…」

「そんなこと言うなって…」

「私のせいで、直樹くんが、辛い思いをするなんて、私には、耐えられない…」
「だから、お願い。もし、私のこと、無理だって思ったら、私のこと…捨てて」

「なんで…そんなこと言うんだよ…」
「俺は、お前のこと、これからずっと…」

「お願い…言わないで…私になにも誓わないで…」

「やだよ…お前ともっと、いろんな思い出作りたいよ…いっぱいデートしようよ…映画も観に行こうよ…俺のためにまたご飯作ってよ…一緒に散歩もしたいよ…公園でまた一緒に弁当食べたいよ…優子の作ってくれた弁当食べたいよ…」

「優子…お前…今日が最後でいいなんて、そんな顔してないよ…」
「頼むから、頼むから俺を頼ってほしい…五年もほっといて、こんなこと言えた義理じゃないけど、俺のこと、信じてほしい…」

「信じてる。信じてるけど、私のせいで直樹くんの人生が狂ったら、嫌なの…怖いの…」
「直樹くんに捨てられても、私、恨んだりなんかしない…信じて…だから、だから、どうか、どうか、私になにも誓わないで…」

65名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 18:38:49 ID:???
目が覚める。右腕に重みを感じる。懐かしい感触。時計を見る。朝7時を回っている。俺は、彼女を起こさないように、そっと腕を彼女の頭から抜き取る。床に落ちたトランクスを拾い、身につける。乱れた掛け布団を、そっと彼女にかける。
目が痛い。喉が痛い。鏡を見る。思わず笑ってしまう。酷い顔だ。バスルームでさっと顔だけ洗う。
冷蔵庫を開き、オレンジジュースを取り出す。ベッドに腰掛け、ジュースに口をつける。彼女はよく眠っている。昨夜はよほど疲れたのだろう。

五年ぶりの彼女との口づけ。包みこまれるような下唇の感触。その懐かしい温もり。彷徨を続けてきた魂の帰着点は、ここだったんだと感じた。いつまでも、いつまでも涙が流れ続けた。
彼女の膝の上で泣き、泣きながらキスをして、泣きながら彼女と繋がった。もう、しばらく涙は出そうにない。

「私になにも誓わないで」
繋がったあと、彼女はそういった。その言葉の意味を考える。
彼女のやすらかな寝顔を見る。俺は、これから彼女と向き合っていかなければいけないんだ。
俺が向き合わなければいけないのは、思い出の中の十代の頃の彼女じゃない。俺には想像もつかないほどの痛み、苦しみ、悲しみを経験し、一生消えない傷を負った25才の彼女なんだ。

今の俺に、何を彼女に誓えるだろうか。
一生かけて君を支えるとか、俺が君の足になるとか、そんな陳腐な台詞を言うのは簡単だ。俺には彼女がすべてだと、自信をもって言えるだろうか。

言えない、と思う。
25才の俺には、社会人としての生活があり、そこには責任がある。彼女のためにすべてを投げうつ覚悟など、俺にはない。

でも、それでも―
俺は、彼女になにかを誓えるようになりたい。
俺は、彼女のやすらかな寝顔を、いつまでも見つめていた。

66名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 19:44:14 ID:???
俺は、実家の自分の部屋で、昔のものを整理していた。自分の部屋といっても、新築後一年で他県の大学に進み、そのままその街に住み着いてしまったから、この部屋で過ごした時間は、それほど多くはない。

高校時代の教科書、昔好きだった漫画本、タンスの引き出しに敷いてある十一年前の新聞、そんなものに気をとられていては、整理なのか散らかしているのかわからないな、と思う。

タンスの中に、昔の手紙のはいった箱を見つけた。小学時代から高校時代に至るまでにもらった年賀状、中学時代にはまっていた作家に出したファンレターの返事、それらの中に、一通の、封を開いていない手紙を見つけた。

それは今からもう十三年近くも前、彼女とのはじめてのデートのときに渡すつもりで書いた、人生ではじめてのラブレターだった。
俺はこの手紙に、そのときに彼女に言いたい、いちばん大事な言葉を書いた。それはなんとしても自分の口で直接彼女に伝えたい言葉だったけど、もし万が一、言えなかったときに、彼女に渡すつもりで書いたのだ。

手紙の内容はあまりよく覚えていない。そのときの自分の素直な感情を、ただひたすらに綴った、たぶん今読むと恥ずかしくてどうしようもなくなるような内容だったと思う。
たしか、中学時代に好きだった女の子のことまで書いたっけ。ラブレターに他の女の子のことを書くなんて、どうかしている。
ただ、便箋の最後の一枚、もっとも彼女につたえたかった、いちばん大事な部分だけは、手紙を手にした瞬間、まるで昨日書いたものであるかのように、一語一句はっきりと思い出された。

この手紙が今ここにある、それはその言葉を、自分の口から彼女に伝えられた、ということを意味する。そう、それはあの夏の日に、海の見える公園で。

67名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 19:50:07 ID:???
その夏の日から十一年後の同じ日同じ場所で、俺は再び彼女と向かいあっていた。そして、俺は、彼女に永遠の愛を誓った。

「僕と結婚してください」

俺は、もういちど手紙の宛名を眺める。

石川優子様

そうだ。あと数日で、彼女は『石川優子』ではなくなるんだ。

彼女が石川優子であるうちに、この手紙、渡してみようかな。ふと、そう思った。

68名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/06(水) 20:58:43 ID:???
優子と再会してから、これまでの三年間は、けっして平坦なものではなかった。
もちろん最初から将来を約束しあえる環境ではなかった。それは、遠く、高く、険しい道程であることは最初からわかっていた。

再会後まもなく、俺は優子のご両親に挨拶に出向いた。
ご両親は優子の状況について、俺が理解していることは承知してくださっていた。だがやはり、心配だったのだろう。
本当に娘で大丈夫か。障害者と交際することは肉体的にも、精神的にも想像以上に大変であること、周囲の好奇な目線にも耐えねばならないということ、何より俺の家族、親族の理解は本当に得られるのか、などなど。
まだ結婚など考えられる段階ではないものの、それでも、本当に、俺のことを案じてくださった。

俺の両親には、とにかく優子のこと、石川家のことを悪く思わないでくれと説得した。俺の姉は十九才で嫁に行った。デキ婚だった。当時俺は中一。そんなことがあったから、母親は、姉の旦那とその母親のことを、影で嫌っていて、俺にも度々愚痴るのだ。

まだ親同士が挨拶するほどの関係ではない時期だったが、優子のお姉さん夫婦が石川家一族を代表して、俺の親に会ってくださったりしたのはありがたかった。
お姉さんの言葉は、俺にとって涙が出るほど嬉しいものだった。

「直樹くんが優子のところに戻ってきてくれてから、あの子、すごくよく笑うようになったよ。直樹くん、ありがとうね。」

69名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 00:08:23 ID:???
こうして一年と二ヶ月あまり、俺達は少しずつ愛を育み、俺は優子にプロポーズした。優子のご両親からは、入籍前に一年間一緒に生活すること、それでもし無理だと思えば婚約解消しても構わないという条件で認めてもらった。
結婚は早くて二年後、俺達は二十八才になる。子供も欲しいし、本当は少しでも早く結婚したいけど、俺達はこの条件を受け入れることにした。俺のことを信用していない訳じゃなく、本当に俺の人生を案じてくださっているのだと、痛いほどわかっていたから。
実のところ、既成事実を作ってしまえば、とか考えなかった訳でもない。でも、やはりそれはできない。ご両親は、俺を信頼して、優子を託してくださるのだから。俺達は、十五才で初体験してから、本当にいちどもゴム無しでしたことはなかった。

婚約から同棲をはじめる春までの八ヶ月間、優子の新しい職場を決め、新居を決め、彼女の引っ越しの準備をし、さらにその他諸々の手続きと、慌ただしく過ぎた。

翌春、学生時代に二年、再会から二年の遠距離恋愛を経て、俺達はひとつ屋根の下で暮らすことになった。
一緒に暮らしてはじめて見えてくることは確かにある。楽しいことも、辛いこともあった一年四ヶ月。俺達は同棲生活で泣き、笑い、ケンカもし、そして優子の障害に纏わる苦労も経験した。長年暮らした実家を離れ、慣れない街で暮らすことも、容易なことではなかったろう。
結婚への準備も着々と進めた。不安が全く無いわけじゃない。子供ができればどうなるか、きちんと育てることができるか。今はまだ若くて体力もあるけれど、果たして年齢を重ねればどうなるか。でも、俺達はそれを乗り越えていかなければならない。障害のせいにすることは許されない。

俺は、優子を愛している。きっと、優子も、俺のことを。
俺達は、この街で、生きてゆくんだ。

70名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 01:24:00 ID:???
結婚を目前に控え、大学時代の友人達が、祝いの席をもうけてくれた。要は俺をダシにして久しぶりに集まろうや、ということだ。
お世辞にも盛大とは言えない会だが、みんな温かく俺の前途を祝してくれた。

その後、小島先輩の家で二次会となった。
メンバーは小島先輩と俺の同期生ふたり、それに先輩の妹で俺の元恋人の小島茜。茜とは別れてからも数回顔を合わせてるけど、ちゃんと話すのは約四年ぶりだ。

「一時は、松原が俺の弟になるかと思ったんだがな」先輩が、俺と茜を交互に見ながら言う。
「何言ってんのよ兄ちゃん!ないない!だって私まだ学生だったもん。ねー」茜が俺に同意を求める。

「いや、俺は、君とならって思ってたよ。マジで」俺は真顔で答える。これは嘘じゃない。もう四年も前、それは一年に満たない期間だったとはいえ、俺達は嘘偽りなく愛しあった仲だ。俺が冗談を言ってる訳じゃないことは、目を見ればわかるだろう。
「ちょっと、直樹、飲み過ぎじゃない?」茜は明らかに困惑している。

「そんなことない。俺は、君を、真剣に、愛していた」俺は茜の目をまっすぐに見つめて言う。これも事実だが、ちょっといじめてやろうと、もはや芝居モードに入っている。あと一押しだ。
「今からでも俺とやり直さないか?」言ってから、さすがにこれはやりすぎだったかなと思う。

「もう!私なんかより奥さんのこと考えなよ!奥さんが聞いたら怒るよ!」茜は呆れてる。先輩はヘラヘラしている。あんた、妹が結婚前の男に冗談とはいえこんなこと言われて気にならんのか。

71名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 02:25:20 ID:???
「でも、奥さんの話聞いたら、やっぱり私じゃ敵わないなって思う。私は直樹のこと好きだったよ。でも、私は奥さんほど、直樹のこと好きじゃなかったと思う。ぜったい」茜がしみじみ言う。さすがに茜も、ちょっと寂しそうだ。

「直樹も、奥さんより私のこと好きになったことないと…思う…」一瞬、場が静まる。こいつもだいぶ酒が回ってるみたいだ。恋愛について、語る、語る、とめどなく語る。
「だってさ、純愛じゃん。私だったら、自分のこと第一に考えちゃう。もし私とつきあってた頃に、直樹が義足になったら、私はたぶん…」と言いかけて、茜は急に黙ってしまった。急に酔いが覚めたみたいだ。

「ごめんね…私なんてこと言っちゃったんだろう…直樹にも、奥さんに、すごく失礼なこと言っちゃった…ごめんね…」
茜は顔面蒼白だ。もう今にも泣き出しそうな目で、許しを乞うように俺を見る。

「大丈夫だよ。気にするな。君はやさしいから、自分のことのように考えたんだろ。でもな、俺はたまたま嫁があんなことになったから、たまたまひとつ決断をしなきゃならなくなった。で、俺は嫁と結婚することにきめた。それだけなんだよ。嫁が義足なのは、俺には特別なことじゃない」

「俺には特別なことじゃないけど、君には嫁みたいなことになってほしくない。なっちゃいけない。君のこれから出逢う大切な人にも。だから、こんなことは考えるな。考えちゃいけない。」

「うん、ありがとう。ごめんね」茜はすこし救われたような表情だ。
「茜にはしんみりした顔は似合わないよ。やっぱり笑顔のほうが可愛いよ」

相変わらず、茜は可愛い。もう二十五才になっている筈だが、本当に変わらぬ可愛いさだ。こんなに可愛い女の子が、俺の恋人だった頃もあったんだな。

もうすぐ結婚するのに、昔の彼女と会って、歯の浮くようなクサイ台詞吐いて、こんなことを考えてるのは不誠実だろうか。
でも、彼女ならそんなこときにせずに、笑って許してくれるよな、きっと。

72名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 10:50:32 ID:???
目が覚める。まだ眠い。昨夜は夜更かししたから。いつもの朝、でも今日は特別な一日。

いつものように、洗面所で顔を洗い、髭を剃り、歯をみがく。
キッチンではコトコトと鍋が音をたてる。いつもの音、いつもの匂い。

「おはよう」
「おはよう」
いつものように、彼女と挨拶をかわす。食卓に腰をおろし、ご飯をよそう。味噌汁と焼き魚と卵焼きが並ぶ、いつもの朝食。
ふたり向かい合って「いただきます」箸を口にはこぶ。いつもの、そしてこれからの『わが家』の味。

いつものようにネクタイを締め、いつものようにスーツに袖を通す。

「じゃ、後でね。五時半に、区役所の前」
今日は、仕事終わりに彼女と待ち合わせて、一緒に婚姻届けを提出する約束だ。その後はふたりでちょっと気のきいたレストランで夕食の予定。今日は、特別な一日なんだ。

「これ、後で読んで。感想は言わなくていいからね」
俺は二通の手紙を彼女に手渡す。一通は、先々週実家で見つけた、十三年前に書いた手紙。十五才のとき、はじめて書いたラブレター。
もう一通は、昨夜書いた手紙。独身時代最後のラブレター。

「いってきます」いつものように、彼女にいった。

73名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 11:29:27 ID:???
石川優子様

この間のカラオケとボウリング、楽しかったです。どうもありがとう―


―今まで、君のことは苗字でしか呼んだことないけれど、ちゃんと口に出して言うときは、名前で呼ばせてほしいと思っています。だから馴れ馴れしいかもしれないけど、この手紙でも名前で書きます。

僕は、優子が好きです。どうか、僕とつきあってください。よろしくお願いします。

大好きです。

1994年7月30日 松原直樹




石川優子様


久しぶりに君に手紙を書きますね。独身最後の手紙です。改まって書くと、やっぱりなんだか恥ずかしいな。
何から書こう。昨夜のハンバーグおいしかったです。って違うか―


―いろいろ遠回りもしたけれど、今日、僕達は夫婦になります。今までほんとうに、ありがとう。

僕は、優子が好きです。どうか、これからも、ずっとずっと僕のそばにいてください。よろしくお願いします。

大好きです。

2007年7月30日 松原直樹

74名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 19:53:30 ID:???
今年2018年―平成30年

結婚から11年目になります。
今、彼女―優子は、僕のそばにはいません。
いや、別に何かよくないことがあったわけではありません。むしろ逆です。

今、彼女は生まれたばかりの三人目の子供と一緒に、病院にいます。

結婚の翌年に長女が生まれ、その三年後には長男が誕生しました。
三人目は、女の子です。

75名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 20:35:55 ID:???
昨年、親父が急死しました。
長男である僕が喪主となって葬儀を執り行いました。
その後もしばらく、相続の関係などで、週末のたびに自宅と実家をひとりで往復する生活が続きました。
平日の仕事が終わってから、土曜日の早朝に出発し、ひとりで車を運転し、土日の間用事を片付け、日曜の夜に帰ってくるという生活でした。
この間、相当疲労が溜まったのは当然で、不謹慎な話ですが、優子との『営み』をもつ余裕もありませんでした。

ようやく一区切りついた時、僕は優子に「君がもし大丈夫なら、もうひとり、子供が欲しい」と相談しました。
僕は『生まれかわり』といったものは信じていませんが、自分にもっとも近い人間の死を目の当たりにして、すこしでも多く自分の遺伝子を残したいという、動物的な本能が働いたのかもしれません。

もともと、長男が生まれた時点で、子供はふたりで打ち止めだろうと思っていたし、もう39歳、いわゆるアラフォーといわれる年齢での出産は決して容易なものではありません。しかも優子は義足というハンディキャップを抱えています。
三人の子育てはかなりの負担です。

しかし、優子は「私、頑張るよ。直樹くんも、一緒に頑張ろうね」と言ってくれました。

そうして、優子は、元気な女の子を産んでくれました。

76名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 21:21:14 ID:???
これまでの僕と優子の物語を、さまざまな形で彩ってくれた旧友たち。彼らもそれぞれに平成三十年の今を生きています。

桜木紗千子―中学生時代好きだった女の子は、今も音楽業界で活躍しているそうです。今もお正月のあけおめメールのやりとりは続いています。ただ、現在まで独身のままというのは、僕にとっても複雑な気持ちです。

真央ちゃん―広沢真央は、僕達の一年前に結婚し、現在の名は中野真央。二児の母親です。辻本あらため東晶子もいまは同じく二児の母。
彼女らは今でも地元からほど近いところに暮らしており、帰省の最、優子は子供たちを連れて、ママ友会と称して彼女らと遊んでいます。
僕も毎回誘われます。でも勘弁してくれ。

高橋は三十才で結婚。男の子の父親です。今でも年に出張でこちらに来た最に食事するつきあいは変わっていません。

77名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/07(木) 21:50:36 ID:???
小島茜とは、あの飲み会以来会っていません。ですが、小島先輩経由で、三十をだいぶ過ぎてからようやく結婚したと聞きました。
長らく「独り身のほうが気楽。結婚するつもりはない」なんて言ってたそうで、先輩には冗談めかして「お前が嫁にもらってくれなかったせいだ」なんて言われて心配していましたが、今では子供もひとり生まれたそうで何よりです。
ちなみに先輩も今は二児の父親です。

二十歳から約二年交際した戸田理恵とは、その後連絡はとっていません。
きっと今ではしあわせに暮らしているでしょうし、心からそうあってほしいと願っています。

他にも、初恋の女の子である井上晴花など、もう二十年以上会っていない、消息も知らない面々。みんながどこかでしあわせでいてくれたらいいなと思います。

78名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/08(金) 00:47:20 ID:???
結婚の翌年に生まれた長女は現在、四年生です。
長女はほんとうに子供の頃の優子にそっくりで、メチャ可愛いです。親バカです。

すごいパパっ子で、娘とはラブラブです。今でも一緒にお風呂に入るし、キスもするし(虫歯がうつるから良くないらしいけど)、娘とふたりで手つなぎデートもします。
でも、これから難しい年頃になるし、いつまでラブラブでいてくれるかなと思うと、娘の成長は楽しみだけど、ちょっぴり切なくなったりします。
優子の妊娠中は僕よりママと一緒にお風呂に入りたがり、おなかをさすって喜んでたらしいです。お姉ちゃんというより自分もママになったような気分みたいですね。
今は僕が仕事から帰ってくると、妹に会いたくて、はやく病院に行こうよと急かします。

79名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/08(金) 01:27:08 ID:???
息子は今年一年生になりました。長女が母親似なら息子は僕似、とはいかず、やっぱり母親似です。
でも優子に言わせると、僕のおもかげのようなものはすごく大きいみたいで、「甘えん坊なところは直樹くんそっくり」だとか。うん。僕はたしかに甘えん坊だ。
というわけで、娘がパパっ子なら、息子はママっ子です。でも、お姉ちゃん同様、優子が妊娠してからは、だんだんお兄ちゃんらしくなってきたなと、親の欲目でなく思います。ええ、親バカですとも。

親父が死んでから、やっぱり僕と息子を、親父と僕に重ねてみることが多くなりましたね。親父の最期はアル中でどうしようもなかったけど、子供の頃は忙しいなりに僕との時間も作ってくれましたから。
もう少し大きくなったら、男同士でふたり旅なんてしてみたいな、と思います。

子供たちにとっては、母親が障害者という点は、正直かなり負担になってると思います。
でも、彼らが生まれた時から、僕にとって、優子の障害と向き合うことは悲しむべきことじゃない。これは喜びなんだと、子供たちにも伝わるように示しているつもりです
彼らが僕の背中を見ている以上、彼らが、優子の子供として生まれてよかったと、自信をもって生きていってくれると、僕は確信しています。

そして、そんなお姉ちゃんとお兄ちゃんの妹として生まれた次女も、きっとやさしい女の子になってくれると、僕は確信しています。

80名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/08(金) 02:35:36 ID:???
最後に、僕と優子の今について。

結婚11年になりますが、今でもラブラブです。遠慮なくノロケます。ラブラブです。
優子とは、家族であり、夫婦であると同時に、恋人同士です。僕は優子に恋をしています。だから、優子は恋人です。

セックスのペースも二十代の頃とあまり変わっていません。でも三人目生まれてどうなるかな。
僕は実年齢よりだいぶ若く見られます。「松原さんって年上だったんですか!?」とよく驚かれます。さすがに二十代とはいかずとも、普通に三十代前半に見られます。
でも中身は四十前のおっさんです。持病も抱えてます。頭に白いものもちらほら目立ちはじめてます。
性欲は落ちてないし、気持ちもまだまだ若いつもりだけど、正直、体力面でいうと、いつまでこのペースでできるかな、と思います。

優子も、元々チビで童顔なのもあって、年齢より若いです。はっきり言って、可愛いです。
あと、やっぱり僕と優子は相性が良いんだと思います。体の相性も最高だと思ってます。十五才で、お互い童貞と処女でスタートしてから、ふたりでいっしょに、ゼロから開発してきた間柄です。途中五年のブランクがあったとはいえ、あれから24年。お互い一番気持ちいい部分を、もう熟知しています。

最後微妙なエロ話で締めるのも何ですが、充分ノロケましたので、第三子誕生を期に綴ってみたこれまでの僕と優子の物語をそろそろまとめとしたいと思います。

81名無しさんの住居は極寒の地:2018/06/08(金) 03:00:57 ID:???
この物語は、僕の小学生時代の初恋から始まりました。それはほろ苦い初恋でした。

しかし時を同じくして、もうひとつの初恋の物語が始まっていました。

僕の物語は中学時代の、やはりほろ苦い恋を経て、もうひとつの恋物語と結束していきます。

いちどはひとつになった僕達の恋物語は、お互いの未熟さゆえに、ふたたび離ればなれになり、彷徨を続けてゆくことになります。

しかし、お互いの恋物語が、お互いの魂が帰着するべき場所は、ひとつでした。

僕と優子の物語は、ひとつの物語となりました。
僕達は、これからも、ひとつの物語を紡いでゆきます。


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