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記憶を「被害妄想」と結論された無念
先に述べたように、保見死刑囚は多分に誤解を招きやすい人物である。どちらかと言えば内気な性格で、コミュニケーションにおける表現力は乏しい。還暦を過ぎた男にしては、その性格はあまりに無垢で純粋だ。
中学卒業と同時に集団就職。それから30年が経ち、両親の介護のため故郷にUターン。43歳の時だった。介護の日々を彼はこう振り返っていた。
「両親とも認知症です。そのほか色んな病気がありました。父に一番苦労しました。耳も聞こえません。ジェスチャーだけです。手を抜くことができません。母は痰を吸引しなければいけません。眠れませんでした。昼、デイサービスがくるので、その間、寝ていました。もちろん、おしめも換えます。慣れると簡単です。洗うことはありませんから」
介護の経験は、彼の“死生観”にも影響を与えたようだった。
「毎日病人と一緒だと、私自身、人の手を借りてまで生きようとは思わなくなった。それと私は若い時から、死ぬ時は田舎で、と思ってました。両親を看取って、75歳くらいまで生きたら、父親の生まれた近くで穴を掘って入ろうと思ってました」
田舎暮らしを重ねるにつれ、保見死刑囚の苦悩は深まっていった。20年近い故郷での生活の末、5人殺しの惨劇が起きた。
今、田舎暮らしは、大変なブームになっている。移住者の数は増え続ける一方だ。保見死刑囚が体験した悲劇は、どんな移住者にも貴重な“教訓”を教えてくれている。誰もが同じ体験を味わう可能性がある。まさに「今、ここにある危機」だ。
保見死刑囚に粗野で自己中心的な側面があるのは事実だ。弁護団は一貫して、彼を「妄想性障害」の持ち主として扱った。だが、その内面は実に繊細だ。そして、こちらが驚かされるほど相手を観察している。
強い印象に残ったのは記憶力。彼は事件当夜から山中への逃避行の間――草木1本の位置や正確な時刻さえも――何から何まで鮮明に覚えていた。手紙や面会で詳細な証言に触れるにつれ、「本当だろうか?」と疑問が湧いた。
私は殺害現場から任意同行された場所まで、GPSを片手に確かめて歩いてみた。結果から言えば、証言の全ては完全に正確だった。記憶力に関しては、ある種の特殊な才能を感じたほどのレベルだった。
自分が殺害した5人の被害者とのやり取りも――帰郷して“田舎暮らし”が始まった約20年間分を――鮮明に覚えている。保見死刑囚にとって最大の無念は、その全てが「妄想性障害」と判断されたことだった。単なる被害妄想と片付けられてしまったのだ。
彼が思い込みの強いタイプであることは否定しない。だが、彼ぐらいのレベルは、世間のどこにでもいる。さらに、思い込みが強いからといって、彼の話が全て嘘であるはずもない。必ず真実が含まれている。そこには注意が必要だ。
例えば、高齢の方をインタビューする際、私たち取材者は何度も同じ質問を繰り返し、ゆっくりと事実関係を確認していくのがセオリーだ。こちらの呼吸と相手の呼吸が合わないと、誰も心情を吐露したりしない。私は保見死刑囚も似たアプローチが必要な人物だと考えていた。
保見死刑囚の誕生日、私は自宅で「お誕生日おめでとう」とのプレートをホールケーキにつけ、火をともしたキャンドルを載せたところを写真に撮って送った。彼は「誕生日をお祝いしてもらったのは人生で初めて」と、いささか大仰な返礼の手紙を送ってきた。
彼の要望に応じて自宅に足を踏み入れ、衣類などを拘置所に届けたこともある。そして、飼っていた犬の供養も――。
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