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新聞記事に記者の主観は必要か

1高校生 ◆.yN7PMq/hw:2014/03/11(火) 11:03:03
議論スタ^ト

2メンヘラ:2014/03/11(火) 11:04:39
私は新聞記事に記者の主観は「必要である」という立場です。

3高校生 ◆.yN7PMq/hw:2014/03/11(火) 11:06:13
理由どうぞ

4高校生 ◆.yN7PMq/hw:2014/03/11(火) 11:11:48
今のところ>>2とは逆の立場ですが
予断として、これはあくまで二項対立を前提とした主張です

これから細かい議論に踏み入っていくにつれて
たとえば場合分けに応じて立場が変わる可能性なども考慮しておいてください

5(^q^):2014/03/11(火) 12:16:09
「肯定立論」

私は新聞記事に記者の主観を取り入れることに肯定的な立場を取るわけですが、その理由は主に2つあります。

まず1つ目が、主観のない記事、すなわち事実だけを記載する新聞記事構成になってしまえば、
現存の新聞社が消滅、もしくは完全統合される可能性があると考えるからです。
現在日本には、読売、朝日、毎日、産経、日経の5大紙と呼ばれる新聞社に加え、各地域に地方紙と呼ばれる新聞社が存在します。
このように日本には数多くの新聞社が存在し、それらの新聞社は各々が独自のカラーを持ち、事件なり政治なりを報道しています。
しかし、記者の主観的意見をなくし、ただただ起こった事実のみを記載するようになれば各新聞社のカラーは失われ、どの社も全く同じ記事を書くことになり、
現在のように数多くの新聞社が存在する意味がなくなるのです。
翻って、多数の新聞社が存在する意味がなくなれば、消滅もしくは統合されるという可能性は十分に考えられます。
記者の主観を完全に消しさることができ、事実だけを書くのならばどの社も同じ記事になりますし、その同じ記事を書く会社は何社もいらないだろうということで、その考えに至りました。
まあ、経済学的見地からすると、この考えは至極当然な考えだと思います。

そして、新聞社が統合された際に生じる問題というのが、「権力の監視」機能がうまく働かないという事です。
マスコミの役割は「権力の監視」です。数多くのメディア機関で権力を監視しているのが現在の日本です。
しかし、新聞社が統合されてしまうと、万が一権力と新聞社との間に癒着が生じてしまった場合、それを暴く機関がなくなるという危険性があります。
つまり政府に都合の悪い情報は報道しないという現象が発生しやすい環境になるということです。これは社会主義国家(中国など)を見れば言えることであり、
いわゆる「情報の闇の世界」を生きることになる危険性があるので、主観を書かない記事を否定する一つ目の理由です。
まとめますと、それぞれの新聞社は独自のカラーを出していくことで、存在の意味を見出し、そして複数のメディアが存在することによって権力の監視がうまく機能するという考えです。



2つ目は、記事から主観を消すと、事象の把握が非常に困難になるという理由です。
例えば、「先日、自民党政府は集団的自衛権の憲法改革に着手」という記事があったとします。
この例は完全に主観がない事実のみを記載した記事です。

そして、この事実だけが書かれた記事で、事象の本質が理解できますでしょうか?
私の場合ですと知識不足もあり、全くことの本質が掴めないと思います。
事実に加え、記者の解説があってようやく事象の全体像を理解できると考えます。
集団的自衛権とはどういうものなのか?どういう場面で行使する可能性があるのか?それによるメリットは?デメリットは?

これらのことが記者によって書かれているからこそ私は事象の本質を理解することができますし、読者に事象の理解を深めさせるためにも記者による解釈は必要だと考えます。
事象が理解できなければ元も子もありません。
私のように浅学の読者がいる以上、記者(新聞社)による解説は必要です。


記者の主観が必要だと考える理由は以上です。

6囚人番号774番:2014/03/11(火) 15:13:26
天使くせぇ


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