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データと理論はどちらが先行するか

1with:2013/07/04(木) 19:51:30
反証主義(※1)を唱えたポパーという学者がいる。

【一般化された理論は観察結果(データ)をいくら集めても、その正しさを完全に示すことはできない。だが、理論を反証することはできる。】

これが彼の主張である。
とすると、こういうことになる。
もし因果的推論(※2)が理にかなっているとすれば、それはまず理論を考えだし、次にその理論が誤っていることを証明しようとするというような形で進められなければならない。

ではここでは百度の攻撃をはねのけた理論と、今までたった一度の攻撃をはねのけただけの理論を比較してみる(ただし攻撃の強さは同じ程度であるとする)。
その場合後者よりも前者の理論の方がより信頼できるのではないだろうか。
もしもこの問いにノーと答えるのならば、百度の攻撃をはねのけることと、一度の攻撃をはねのけることとの間には差がないということを理屈づけなければならない。
そんなことは当然不可能である。よって答えは「イエス」でなければならない。
・・・となると、「理論の根拠づけには様々な度合いがある」という極めて常識的な結論が導かれる。

例えばここに三枚のトランプが伏せてある。
どれがクイーンか? と訊かれたとする。 それに対し真ん中だと答えたあと、真ん中のカードを表に向けるとクイーンであった、とする。
この場合カードを表に向けることにより「真ん中の札がクイーンである」という理論が誤っていることを示さないだけ、という以上のことが行われていると言える。
この「カードを表に向ける」という行為は寧ろ、それが正しいということを確定している。

したがって、ポパーの主張する「誤りであることを示さない」と同時に「正しいことを証明する」という2種類の検証が存在すると考えてもよいのではないだろうか。
実際問題、「正しいことを証明する」という種類の科学的検証が一切存在しないと考えることは難しい。
果たしてポパーの主張は正しいと言えるだろうか。
議論スタート。

※1 反証主義の細かい中身に関してはここでは重要ではないので読まなくても良い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9 参照

※2
例えば朝目が覚める。道路が濡れている。そしたら我々はおそらく「夜の間に雨が降ったんだなあ」と思う。
このような考えに至るのは観察結果(濡れた道路)と、因果的な規則性(雨によって道路が濡れる)によって推測したからに他ならない。
このようにある観察結果とある因果的規則性をもとにした推論を「因果的推論」と呼ぶ。

2あくろ ◆r7Odi93SjI:2013/07/05(金) 00:02:19

科学的な説や論は、推論(論理)によって導かれるものである

推論の形式には、大まかに分けて「帰納」と「演繹」がある。


まず、「帰納」とは、複数の事例から一つの法則を抽出し結論をみちびく方法である。
つまり、それによって導かれた結論が「完全に正しい」とするには、
この世界のあらゆる時空間に存在する事例を観測し、それらに全て耐え得る(例外がない)ことを証明しなければならない。(ヘンぺルのカラス参照)


また、「演繹」よって導かれたものである場合、その結論を「完全に正しい」と証明するには
当然、その結論を支える前提が正しいものであることを証明しなくてはならない。
そして、その前提を支える命題も・・・。という風に、無限後退に陥ってしまう。
(自己言及のパラドックス参照)



このように、「完全な正しさ」や「絶対的な正しさ」を証明するということは、「永遠」や「無限」を証明することと同じであり
したがって、人間が所有できる「正しさ」は、あくまで「暫定的な正しさ」である。

そして、「暫定的に正しい」ということは、未だ反証される余地があるということ。(これが反証可能性)

そして、「ある理論・仮説に対して反証可能性が存在することを認める」ということが、いわゆる「科学的態度」といわれるものであり

そういう態度に拠った考え方が、まさしく「論理的」ということであり、「議論」というものでもある

みたいな感じだと思います



「自己言及のパラドックス」とい

自身の

3あくろ ◆r7Odi93SjI:2013/07/05(金) 00:13:54
「信頼性」とか「信憑性」とかいうものは、
ある仮説・理論に付与される性質であり、バッキングのような役割を果たすだけで、それらはあくまで、副次的な要素にすぎません。

当然、反証に耐えれば耐えるほど、その仮説・理論に対する「信頼性」「信憑性」は高まりますが、

その仮説・理論が「完全に正しい」ということを決定付ける根拠にはなりません。

4with:2013/07/05(金) 00:19:47
それでクイーンの例はどう覆す?

5喧嘩師ドラゴン:2013/07/05(金) 12:18:38
一見するとポーパーさんの言っていることが間違っている気がする。
もしかしたら反証主義のポイントは「完全に」は示すことが出来ないという部分で、クイーンの例でいうところの残りの札も裏返さないとまだ分からない。
例えば、三枚すべてがクイーンかもしれない。
その場合、必ずしも真ん中の札がクイーンでなくてもいい訳ではないから完全な正しさではない。
みたいな感じかなぁ…。

6with:2013/07/05(金) 17:21:47
>>5
言っている意味がわからないぞ。
真ん中だけ裏返してそれがクイーンであったならば、左右のカードがなんであれ「真ん中の札がクイーンである」という理論は完全に正しいと言えるだろう。

7a:2013/07/05(金) 17:54:55
一般化した理論というのは「クイーンは常に真ん中である」という類のもの

8喧嘩師ドラゴン:2013/07/05(金) 18:41:25
>>6

うん、まあそうだけどさ。
『クイーンはどれか?』という質問に対する。
回答として、残りの札も見ないと分かんないんじゃないの?っていいたかっただけ。
よく考えたら的外れな回答だったね。
すまん

9with:2013/07/05(金) 18:48:02
残りの札に目をつけたのはいいと思うぞ。

10あくろ:2013/07/05(金) 19:03:31
(科学的な)理論というのは、個々の事例に当てはまる、一般的・体系的な説明のことです。


簡単にいうと「ある条件下ならば、それが常に成り立つ」ということ。


今回の例の場合、「三枚のトランプが並べられている(条件)」ならば、「真ん中は常にクイーンである」ということになります。


つまり、この理論を「完全に正しい」ものとするには、『いつ、どこで、誰が』これを行っても、真ん中がクイーンになる、ということを証明しなければなりません。(悪魔の証明)

これは、裏を返せば、「真ん中がクイーンではない」という例が、存在してはいけない、ということと同じです

したがって、現時点で人類が獲得できるのは、「暫定的な正しさ」が限界であり、全ての科学的理論には、反証可能性が存在するということになります

11あくろ:2013/07/07(日) 21:10:25
反論は

12with:2013/07/18(木) 20:51:28
なるほど。
>(科学的な)理論というのは、個々の事例に当てはまる、一般的・体系的な説明のことです。
>簡単にいうと「ある条件下ならば、それが常に成り立つ」ということ。
が本当に正しいならば、

【『いつ、どこで、誰が』これを行っても、真ん中がクイーンになる】

がここでの理論になり、「正しいことを証明する」ではなく、「誤りであることを示さない」の方に近くなるな。
ソース等あれば見せて欲しい。

13囚人番号774番:2013/07/28(日) 11:08:57
ドラゴン様最強

1426qq1727lg:2013/08/08(木) 18:20:42
◆26qq1727lg 1
喧嘩売るんだったらここでやれや


http://jbbs.livedoor.jp/computer/43741/

かかってこい 待ってるぞ クソ住民ども!w〜。

15囚人番号774番:2014/02/14(金) 10:22:59
釣れますか

16囚人番号774番:2014/02/14(金) 12:38:01
ぼちぼちでんな


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