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【ジャック】欲望【ラカン】

1名無しさん:2024/10/29(火) 13:13:48
★ラカンの鏡像段階論に関するお話

赤ちゃんの頃、お母さんに「こうであって欲しい」と思って、だだをこねたり泣いたりした経験があるかと思います。

お母さんに気を配って欲しくて、泣きわめく。その泣いている自分自身を子どもがイメージをはじめて持てるようになる時期のこと鏡像段階と呼びます。(と言いたい。本当の理由は以下に書きました。)

本当はラカンは、鏡に映し出されたイメージの力を借りて、子どもがイメージをはじめて持てるようになる時期のことを鏡像段階とよぶ。――と考えていたはずです。

私には甥っ子がいるのですが、わざと号泣することもあって、その理由を考えていました。

私の知り合いのその子どもは、母に心配されたい、構って欲しい、と思っていたのでしょう。

泣けば、母が心配して近くにやって来て、あやしてくれる、そうたくらんで、子どもは計画したのかもしれません。

子どもは、母への愛情を欲望します。すなわち、母という他者の承認が必要になります。
子どもは、母という他者の欲望を通じてしか、自分自身の欲望を満たせない可能性があります。

「欲望とは他者の欲望である」とラカンは軽く名言を残しています。

ラカンが説くには「他者の欲望行為が誘因となって、私自身の欲望が生み出される」。

2名無しさん:2024/10/31(木) 14:22:47
私の幼いころに、友達がおもちゃを持っている場面を見て嫉妬したことがありました。
このおもちゃが欲しい、私は欲望しました。その友達は、そのおもちゃを貸してもくれず、こっちのおもちゃなら使っていい、と言いました。私はかっこいいガンダムみたいなおもちゃを触れなかったことを悔しく思いました。今振り返ると、なんてことないと思います。そんなおもちゃは私は今は欲しくありません。「いつか欲しくなくなるぞ」と言われたのもあったかもしれません。

幼い頃に子どもは母への愛情を持つことがあると、ラカンは見抜きました。そして、母も愛情を尽くすこともあると、ラカンは認めました。子どもの頃に母の愛情に育てられ、母を信頼する<私>は、母以外の他者を信頼するようになるのはきっと時間が経ってからなのでしょう。きっと<私>は、恋心でも抱かなければ、母以外の他者を愛さないことでしょう。兄がいる家系では、兄を「お兄ちゃん」と呼び、姉がいる家系では、姉を「お姉ちゃん」と呼ぶ。きっと兄や姉は束縛してくることもあるでしょう。そんな中で、母にみずから身を委ねてみることで、束縛性が薄れることがあるでしょう。兄も弟である<私>を許してくれたり、認めてくれたりするでしょう。姉も弟である<私>を束縛しなくなったり、めんどうを見てくれたりするでしょう。兄と弟は信頼関係で結ばれる、ということも少なくありません。私たちは一個上の存在だけに、人生を左右されてしまう。この仕組みを上手く活用したいことでしょう。兄を尊重し、兄を思いやり、姉を敬い、姉を尊敬する、そうしたことが人生を上手く生き抜く一歩なのではないでしょうか。恋人を大事にする、恋人を愛する、そういう恋愛術も考えられます。道路を二人で歩いているときは、車の通りやすいところを男性が歩く。そして女性を庇いながら歩調を合わせて歩いていく。また、映画館に行きたいときは、受けのいい映画を見に行く。当たり前ですね。女性がアプローチしたいときは、マフラーを編んであげて喜ばせる。


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