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【主人と奴隷】ヘーゲル【ジレンマ】
1
:
名無しさん
:2024/10/27(日) 19:07:29
ヘーゲルの哲学には、主人と奴隷というお話が出てきます。
主人は勝者、奴隷は敗者、として語られるこの作品。
主人は一見、奴隷より一生が上だと思われます。奴隷が労働することで主人自身に享受を齎します。主人はこれを喜びとしますが、奴隷が自由と自立を獲得していくこの現状を見ると、主人は物足りなさを抱きます。
ヘーゲルは主人が本質的には満足できないことを、この作品で表そうとしました。奴隷は労働する機会に恵まれているのに対し、主人は奴隷がいないと享受することもできません。つまり、主人は奴隷に主人自身の存続の名目として依存していることになります。主人は奴隷がいなければ存続できない、という不都合な真実がこの作品から見て取れます。私たちは奴隷になりたくはない、と思ういっぽう、主人にもなりたくない、と考えさせられる作品です。
主人は物持ちであり、娯楽の一時くらいの有余はあると思われます。しかし奴隷にも労働する有余はあります。この労働の自由性と自立性がマルクスがヘーゲルから影響された事柄であります。ヘーゲルは主人が奴隷を解放しないように、奴隷も主人を解放することはありません。労働というイマージュは、今日の私たちに軽く触れられることもあります。奴隷は労働する自由があるゆえに、主人の自由のない生き方より優位であるとされるのです。
2
:
名無しさん
:2024/10/29(火) 18:18:06
★即自と対自
即自とは、あるがままでありつつ意識もされず存在しているもの、であろうか。
東京ドームの端っこに置いてあるゴミは、誰も意識もしないはずである。このようなゴミを即自状態の物質とよぶことができよう。
対自とは、存在しているがそれに対して他者から意識されている存在、であろうか。
すなわち他者から意識される対象でいかがだろうか。対象とは自分自身のことを指している。対自観念として、悪い存在ではないのに他者の中に悪い感じを自分自身へのバイアスとして感じる、という事象がある。例えば、明石家さんまさんは悪い存在ではないが、私たちの中で悪い感じをバイアスとして抱いている。これを対自的バイアスとよぶ。
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