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【イマヌエル】永遠平和のために【カント】

1名無しさん:2024/10/19(土) 17:53:46
★このスレッドでは「永遠平和のために」という書に関するお話をしたいと思います。

❇「六項目の予備条項」の「三 常備軍はいずれ全廃すべきである」


常備軍が存在するということは、いつでも戦争を始めることができるように軍備を整えておくことであり、ほかの国をたえず戦争の脅威にさらしておく行為である。また常備軍が存在するとどの国も自国の軍備を増強し、他国よりも優位に立とうとするために、かぎりのない競争がうまれる。こうした軍拡費用のために、短期の戦争よりも平和時の方が大きな負担を強いられるほどである。そしてこの負担を軽減するために、先制攻撃がしかけられる。こうして、常備軍は戦争の原因となるのである。──────

このようにカントは、軍備こそが戦争の原因となる、と考えています。カントが常備軍と呼んでいるのは傭兵の常備軍のことです。カントは傭兵による軍隊と国民による軍隊とを明確に区別しています。

あくまでも傭兵による軍隊を全廃すべき、と考え、国民がみずから軍隊を組織することは、カントは認めています。

2名無しさん:2024/10/20(日) 18:59:25
★共和的な体制と民主的な体制の区別

カントによれば、国家の形式を区別するには二つの方法があります。

一つは「支配の形式」から区別する方法であり、もう一つは「統治の形式」から区別する方法です。

まず、「支配の形式」では、支配する権力を握っている者の人数で国家の形式が区別されます。

支配する権力を握っているのが一人なら「君主制」に、複数人なら「貴族制」に、市民社会を構成するすべての人なら「民主制」に区別されます。

注意しておきたいのは、ここでいう「支配する権力」とは、政府において決定をおこなう権限のことだということです。

(永遠平和のために〜〜より)

もし仮に「君主制」が採用されるとしたら、一人だけが政府において権限を握ることになります。

まさに「君主制」ておいては王様気取りができる環境であります。
立憲君主制という制度もありましたが、そこでは通常、君主は無制限な権力が握られていました。

君主には無制限な権限が与えられたため、君主の権限は法の制限を受けず、それを超越しているとされました。

立憲君主制における王政は、クロムウェルによって崩壊したと言われています。彼は、王政を崩壊させたため、処刑されたとも伝えられています。

ここから学ぶことが、政治的体制に手を出さないことです。処刑されたくないなら、手を出さないで、他の誰かに任せる、などが考え方の大事なところです。

3名無しさん:2024/10/26(土) 15:49:45
★世界国家ではなく国際的な連合を目指せ

私たちが世界国家を理想とした際に、世界国家を誕生させると、戦争が生まれる可能性があることが考えられます。

世界国家に加盟するそれぞれの国が、戦争をしない権利を持っているのですが、加盟していない国を武力で押し込んでしまう可能性があると私は考えます。

国際的な連合を理想とした際に、国際的な連合を誕生させると、グローバル的に緻密で安心できる法案や国際感が練られることが考えられます。

世界国家は攻撃的であり、国際的な連合は保守的であることが窺えるかと思います。カントは国家のありかたを真剣に考えた末に、世界国家としての国のありかたを危険視し、国際的な連合としての国のありかたを重視しました。

世界国家においては平和という切符は切られないと私は考えます。世界国家は様々な国々の集合的なありかたを指します。この世界国家はいっぽうの国からたほうの国へ戦争を持ちかけられることも平和的な共和を組むこともあり得るかと思います。つまり世界国家はいつでも戦争を持ちかけることが懸念として残ってしまう。それでは不安になるからと、カントは国際的な連合という切り口で語っているのです。そして、国際的な連合を置くということは、安心できる環境を設置するということでもあります。安心して安全に過ごしやすい環境作りが、私たちの人生の目的でもありますが、しかるに、完璧な環境というものを、カントは国際的な連合に見出すのであります。平和のためには、国から出発しなくてはならない、という考え方があります。国がまず第一に大衆へ平和を呼びかける、あるいは、平和活動を主張する、そうした行動が私たちに平和に対する思いを募らせてくれる。カントも平和への意志があったことでしょう。平和への一歩、踏み出してみませんか。

4名無しさん:2024/10/28(月) 20:00:49
★カントの自然論

カントは自然を語る前に人間の利己心を語ります。「悪魔」というワードを用いています。悪魔たちの我々人間が知性を働かせて利己心を用いて進んでいくことを平和への道のりとするのです。

カントは、悪ければいい、という言葉を残しています。悪魔だっていい、という言葉も残しています。

この世界が自然のまま進んでいけば、永遠平和は確立されるとカントは考えます。カントの「自然」とは、人間がみずから進歩・進捗していく様であり、戦争が起きてもそれは「自然」の中にある、と主張します。国と国同士で戦争が起きても国は「自然」に恢復していき、「自然」に形を取り戻し始めます。

人間は、道徳的に悪い人間ほど、自分の利益と保身を考える、とカントは考えます。そんな中で私たちが過ごしやすい理由は法・法律が影を忍ばせているからでしょう。盗人に五分の理あり、という言葉をカントが大事にしているように、盗人にもカントは優しく迎えるという姿勢が窺えます。

「自然」に国家は形成されていく、とカントは考えます。「自然」に任せていれば平和は近付いていく、カントの自然論はシンプルなものなのです。

5名無しさん:2024/11/05(火) 14:21:29
以下引用

『永遠平和のために』で政治の問題に取り組む (という題名※1)

以上の道徳論に基いて著されたのが『永遠平和のために』です。ここでカントはかつての国際連盟、今でいう国際連合のもとになるような政治構想を行いました。カントは次のように問題を設定します。

「戦争が起こりえない永遠平和状態はどのように規定できるか?」

カントの解答は次のようなものです。人間は利己的な欲求をもつため、国家間で戦争が生じることは否定できない。しかし戦争を通じてこそ永遠平和状態は達成される。それは合目的的な自然の「摂理」であって、自然はその目標へと努力するように私たちを義務づけるのだ、と。

このカントの結論は、「核」の存在ゆえに、現代では決定的に妥当性を失ってしまいました。しかし、それでもなおひとつの考え方としてはありえるかなと思います。

――――――

自然の摂理というものが作用して運命的に平和が成就される、そうカントは言いたかった。しかし自然に任せれば平和になる、という言葉の意味は、カントいい、という意味であり、〔この〕意味がカント〔自身〕に影響を与えてしまって、自然に任せれば平和になる、と主張しているのであろう。自然に任せる、という言葉の意味は、カントいい、という意味であり、自然に任せることもカントは考慮していた。カントいい、という語をカント〔自身〕重要視しているのであり、自分に見合った〔この言葉もカントいい、という意味であるが〕言葉を使いたくなるものである。自分に都合のいい言葉を私たちは使うものである。よってカントもその類に属しているのである。神はいるかいないか、カントは存在肯定派だった。事象の原因が神に委ねられているのであり、神が惑星や星々を築き上げ、恒星の配列もすべて神が仕組んだものである、と考えた。神は必然的に平和を齎すことであろう、とも考えた。神の大計画においてはすべてが肯定的であり、ネガティブに考えている我々の思慮を逸脱したものである。右足を踏まれても左足を出せ、とイエスが語ったように、イエスの楽観的思考には目から鱗であろう。イエスは神のように前向きであり、肯定的であり、そしてポジティヴであろう。神はイエスに知恵を授けたという一説も考慮に値するが、このようなことをだらだらと考えるのはナンセンスであろう。イエスは「汝、汝自身の隣人を愛せ」と愛を語る様も描かれているが、これは敵も愛すということを含意しているのであり、敵を持たないということは「無敵」であると五輪書で説かれている。敵を愛すという行為によって、敵は敵でなくなるとも言われている。昨日の敵は今日の友ですよ、とは上手く言ったものである。我々は敵を持ちたくて持つのではないはずであるが、もし敵を抱えているのであれば、責めず、裁かず、許す想念を心掛けることも大事なのであろう。敵に「ありがとうございます」と感謝して、仲睦まじくなるケースもなくもないであろう。「愛してる」と女房の耳に聞かせれば、女房の心も満たされることであろう。女の人は愛されたいのであり、だからこそ旦那に愛を要求するのである。私たちはこのような事情を知らずに暮らしていくのには綻びが生じるかもしれない。知識は自分のために所持することもあるが、パートナーに愛を伝えるべきときは伝えられるくらいの知識をパートナーに対し所持しておくこともまた大事である。

6名無しさん:2024/11/06(水) 14:05:52
愛を伝えられたらいいという簡単に済む出来事もあるかもしれないが、花瓶に綺麗な花を指してあげる、あるいは、花束をプレゼントしてあげながら愛の言葉を伝えるという手段もある。私たちは、愛の言葉を恥ずかしがってなかなか言えないものだが、言うべきときは勇気を出して言ってみようではないか。簡単に済む出来事ではない場合とは、女房が愛の言葉に満足しなかったときであろう。もし愛の言葉が通用しなかったのなら、ネックレスや指輪や花をプレゼントしてみると効果があるかもしれない。女性の大多数は花が好きであり、見ることも好きであろう。そして女性の多くは指輪やネックレスなどの装飾品を好む傾向にある。また、女性は男性にアプローチやエスコートされることを求めていることも少なくないであろう。男性が好きな女性とデートした際には、男性が積極的に展開していく、というものがある。味のいい店に一緒に向かって歩幅も合わせて歩き、車道の方は男性みずからが通り、女性の安全な場所を確保するといいかもしれない。味のいい店に行ったら、「(食べ物)美味しいね」とさらっと笑顔で伝えてあげる。女性が満足していたら「また来ようね」とフォローしてあげる。味のいい店に行けるようにデートプランすることも忘れてはならない。Aという店舗に行って、そのあとBという店舗に行って、二人で御馳走する……といった具合に着実に計画することが肝であろう。私たちはデートプランだけに集中してしまいがちになるが、服装を整え、口臭を無くし、いいマスクを掛けるといいであろう。やはり髪の毛がある人は髪をバシッとキメておきたい。しかし髪の毛を茶髪にしなくてもいいはずだ。黒髪のままにしておく、あるいは、白髪になってしまったなら白髪のままでデートに臨みたい。髪を染めること自体大切にしなくていいはずだ。ありのままの髪を染めずに上手くカットしておく。それは美容師さんに頼むことも考えられるが、やはりお金は大事にしたい。美容室に行かずに自分で髪をハサミで切っておく、そういう節約術もあるであろう。こうした少しずつの節約が実となることも少なくない、といえばうそになるかもしれないが、どこかで実となってほしいものである。美容師にかかると四千〜五千円以上料金を取られるケースがあり、髪を染めるためにはそれなりに料金が加算される。そして肝心な点が、男性が女性に食べ物を奢ってあげるという点である。散髪代がかからなかったからこそ奢れるという話は変哲に聞こえるかもしれないが、奢るために金銭的な余裕を持っておく必要がある。奢ることを覚悟しているくらいなら、あるいは奢るつもりでいるなら、就職して職場や会社から給料を貰うことも大切にすることもあるであろう。ある一人の女性のために、俺は稼ぐ、と。給料を全部身投げすることはしないであろう。しかし女性の飲食する金額を賄うことは男性の宿命なのかもしれない。いや、宿命である場合があるとは言えよう。お金を快楽のために使うのではなく、相手を喜ばせるために使った方がいいであろう。女性との性の営みのためにお金を使うのではなく、相手の欲しい服を買ってあげた方が美徳であるであろう。相手の欲しい服を買ってあげるために仕事場で働く、という考え方もあるであろう。しかし貯金はした方がいい場合ばかりであるから、女性のためにお金を使いすぎないように注意してもいいであろう。そして、愛の言葉をデートの後半に伝えて、カップルとなるケースが考えられるであろう。女性に「はい」と言わせる技術もあるかもしれないが、「一生幸せにします」と勇気をもっていうためにはそれなりに努力する必要があるであろう。「付き合ってください」や「結婚してくだい」と真摯に伝えるためには、自分に自信を持っている必要があろう。付き合ったあと結婚して、子どもを授かって、……そうした人生が人並みの人生なのではないだろうか。人並みの人生も面白いときがあるものだ。女性を守り抜くためにはそれなりの経済力・運も必要となってくるものだ。貯金をして経済力を培い、運を味方につけるべく、あるいは運を味方につけながら努力を重ねることが重要である。その努力の上で社会進出することもあるであろう。女性の社会進出というように、男女雇用機会均等法という法律も昭和60年5月に成立した。女性は出産する可能性があり、女性と男性の格差をなくして個々人が十分に能力を発揮できる雇用環境を整備するための法律である。女性は妊娠中や出産に際して差別されることのないようになった。私たちは社会と密接な関わりを持つ経験をする可能性があります。コンビニにおいても店員と関わる可能性があります。店員は、「いらっしゃいませ」と言う場合もあるかもしれませんが、店員は店員で社会進出しています。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」などの言葉は簡単に言えるかもしれないが、いい言葉だと思うし、こういう言葉を使う日本人の美徳が私は好きだ。

7名無しさん:2024/11/06(水) 14:06:45
「またおこしくださいませ」と言われると嬉しくなってしまうケースもある。玄関で靴をこちら向きに揃えてみれば、相手に好感を持たれることもあるであろう。山田花子という芸能人は玄関でこちら向きに靴を揃えたことが、将来の旦那さんに好感を持たれたという。靴ひとつで結婚に繋がるまでの何らかの関連を持っていることに勉強になる方もいるであろう。女性の品質として靴は大切であろう。女性は毎日玄関掃除をすることも考えてみてもいいであろう。いや、男性も玄関の掃除をすることを経験してもいいであろう。服装の乱れは心の乱れ、というように、玄関が乱れていると心も乱れる、という発想もあるであろう。玄関を掃除することも大事だが、お墓参りの方も重要視して欲しい。細木和子という占い師は、お墓参りに行くことの重要性を説いた。そしてまた、先祖供養のあり方を説いた。先祖を供養することが重要であり、積極的に先祖を供養していくことを推奨する。そもそもなぜ先祖供養という規範があったのであろうか。それはご先祖様方はあの世で修行していて、お米や酒を呑まずに過ごしているのですが、私たちがお米や酒をお供えして気を吸ってもらうことが大事だからである。あの世で先祖たちは気を吸うという特殊な技術を持っていることは奇跡的であろうか。仏壇にお供えした食べ物の気を吸うことで、ご先祖様方は満足するはずである。他にはタバコをお供えするとタバコの好きなご先祖様はお喜びになるであろう。先祖供養というのは基礎的な行為である。先祖供養を怠ると幸せになりにくくなってしまうことも考えられる。先祖供養は幸せになるためのひとつのピースだと思っていただきたい。♡

8名無しさん:2024/11/12(火) 13:25:28
そして幸せになるためには、家族を大切にすることも自分を大切にすることも考えていくべきであろう。あの世にいる祖父のことはお供えすることで大切に扱うのが当たり前であって欲しい。母のことは食事を終えた後の食器洗いをみずからそっせんして行い、少しでも楽をさせてあげる。スーパーに母と一緒に買い物しに行ったときは、リアスカーをみずから運転する。車に荷物を詰め込むときは、荷物が重くても持って車にしまう。母の腰に負担をかけないように気を付けておく。母も荷物を持ってもらえて楽になって喜ぶことであろう。ちなみに節約して買い物に臨もう。母がぎっくり腰にならないように、腰を大事にしてあげて、母にも腰を労るようにアドバイスしよう。親孝行は進んでさせていただこう。母の肩を揉んであげることも考慮しておこう。車を運転するなら慎重に運転しよう。カーブに差し掛かったらスピードを緩めよう。赤信号が点滅しているときは止まろう。丁寧にぶつからないように、そして交通事故に遭わないように気を付けて運転しよう。母は助手席か後部座席のどちらに座るがいいか考えよう。自分の散髪よりも母の散髪を重んじよう。母の髪を切ってもらうことは微妙かもしれないが、母が喜ぶ姿を想像して散髪をしてもいいという許しや寛容を持とう。お金がある程度あるなら母の散髪に使ってみる手もある。母の靴もそれなりの物を買おう。靴を磨くべきときは靴を磨こう。財布は品がいいものを手に入れよう。母の財布を重んじることで、母を大切にしてあげよう。洗濯や洗濯物の出し洗いもみずからすすんで実践しよう。母は母自身の健康を気遣っているかもしれないが、母の健康を思いやってみよう。母の喜ぶ出来事を第一の目標とし、思いやってあげよう。孔子は「思いやることが一番大事」と述べたではないか。「情けは人のためならず」、というように、思いやりは巡り巡って自分に返ってきます。他者に懸けた思いやりがいずれ実を結ぶこともあるでしょう。それは、他者のためでも、自分自身のためにも、です。母を尊重して悪口・文句を言わずに接してあげましょう。母は素晴らしいと、自信が持てるくらいに褒めてあげましょう。母に毎日感謝を伝えましょう。「お母さん、ありがとう」と優しく言ってみましょう。母の手料理に感謝してみましょう。そして母に手料理を作ってあげましょう。母はきっと「息子の作った弁当美味しい」と称賛するでしょう。母と風船リレーをして遊びましょう。母が膨らんだ風船をトスして、こちらもトスして返して、リレーをやりましょう。風船リレーは意外と続くものです。また、家族でトランプで遊ぶのもいいでしょう。スピードや大富豪で遊びましょう。スピードは「真くんいい」という意味であり、大富豪は「真くんいい」という意味があります。風船は「真くんいい」という意味であり、風船リレーは「真くんよい」という意味があります。母の肩とは、「ドラゴンいい」という意味があり、リアスカーとは「ドラゴンいい」という意味があります。許しは「真くんいい」という意味があり、寛容とは「真くんいい」という意味があります。「情けは人のためならず」とは「真くんよろし」という意味があり、思いやるという言葉の意味は、真くんいい、という意味です。このように真くんいいという意味が少なくないことが窺えます。感謝感謝とは「ドラゴン神」という意味があり、「情熱情熱」とは「神ドラゴンいい」という意味があります。ドラゴンに関する意味もちゃんとあるにはあります。コドモドラゴンとは「神神神コドモドラゴンだぞ」と解読するとゆっくり来ます。母のために尽くす、それが親孝行であります。母を大事にして暮らしていきましょう。父のことも尊重するといいでしょう。父も母も子である自分を育ててくれたありがたい存在です。大事にしないならダメな奴。わかっててもできないのが子だったりします。大事にするべきと思わない方は微妙でしょうか。母も父もどあちらも思いやって、父の健康も大丈夫なようにしましょう。母や父が運転するときは飲酒運転させないようにしましょう。運転するときは運転していいときだけにしましょう。午後のおやつのときはおせんべいやチョコレートを家族で食べましょう。時には寿司屋さんに行って外食しましょう。ラーメン屋さん巡りも老後は楽しみにするかもしれません。食べることが面白いとか、喜びだとか、そういう感覚でいいです。もっと食べることの良さを噛み締めて欲しい。食べることが生きがいでもいい。食の喜びを堪能して欲しい。父にも母にも「おはようございます」、「おやすみなさい」とちゃんと言おう。挨拶は礼儀の基本というように、挨拶することは当たり前のことですよね。近所の人付き合いのときも「天気がいいですね」と言って差し上げる。天気や野菜作りを主張して、分かち合ったりすることがあり得ます。

9名無しさん:2024/11/13(水) 13:14:30
父の喜びも個人的にあるはずです。将棋を学んでいるなら大会へ参加させてあげたり、将棋本を見つけて手渡ししてあげたりする。きっと将棋が好きな父は喜ぶでしょう。母には花をプレゼントしてあげる。花が好きな女性は意外と多いものです。好きな人がいるなら貯金して品物を買う余裕を持っておく。それと同様に、母にあげる花を買う余裕を持っておく。母と料理を一緒に作ることも考えておく。心配させないように暮らす。迷惑を掛けないように甘んじない。大丈夫、とよく思うことが肝である。思うことから始まるんです、あの松下幸之助さんが述べたように。思うことからすべては始まるというように、思うという単純なことが大事なんです。


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