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【世界】個々の過程【分析】

1名無しさん:2024/10/03(木) 16:26:19
★富士山はあるか、あるとしたらどのように在るか

富士山は標高3776mの山である。
これをどのように在るか、分析していきたい。

森林があり、土があり、頂上まで道のりが必要であろう。その和集合が山である。

どれも山を成すのに欠かせない要素である。他にも山の内部に火山があることも要素として扱うことが可能である。頂上に行く前に売店があることが、富士山の要素である。

他に、木(x1)に雨(y1)がかかっている可能性がある。ゆえに木は雨で濡れている。しかし雨が乾いてしまうケースもある。道のりとしては雨で泥濘むことも考えられる。木一本ではなく、林や森林といった単位で雨が影響を与えていることが可能性としてあり得る。雨で売店の屋根も濡れていることも、富士山の一部である。

2名無しさん:2024/10/04(金) 10:46:45
★富士山はどのように在るか

木(x2)や雨のひと粒(y2)、それらの和集合が林であり、林が何個もあって森となる。

木を見て森を見ず、という言葉を考えると、木は簡単に視野に入るという点がある。

森を見る機会の方が少ない、とする意見もあるであろう。

雨粒を見ても流れる水を見ず、なんて言葉もあるかな。みずをみず、なんちってー。

3名無しさん:2024/10/07(月) 15:53:06
★イド(エス)と自我と超自我

イドには快感を得たい、温泉に浸かりたい、といった快感を求める作用があります。

うがいをしたいというイドによって自我は、今はうがいをすると隣の人に水滴が吹き飛んでしまうからと、うがいをしないという防衛が働くことがあります。

うがいをしたいときに自我により行動を抑制する場合があります。これが防衛機制です。防衛機制は、無意識、前意識にあります。

フロイトは、無意識と潜在意識は同じもの、と考えています。となると、集合的無意識も潜在意識、ということになります。無意識の領域には、膨大なる過去から私たち人間のそれぞれの思念がはびこっているとする考え方があると拙者は考えています。私たち人間が日本はつまらない、という思念が甚大になると、ネガティブな無意識が日本がつまらない、と現象化させてしまう可能性があります。現代は、日本はつまらない、という人は少ないかと思われますが、日本を終わらせるために、中国や韓国の人民が日本はつまらない、とデモを起こしたら、日本の景気がわるくなるかもしれません。しかしそうはならないでしょう。あくまでも仮説でしょう。

両親に厳しく躾をされ、厳しい超自我へと形成される場合があります。自分が培ってきた道徳観念により、嘘をついてはいけない、と超自我は道徳的に働きます。しかし嘘をついてはいけないと聞いていなかったなら、超自我は相手に嘘をつくことを軽く見ている場合があります。つまり平気で嘘をついてしまうケースがあるのです。

4名無しさん:2024/10/10(木) 13:38:37
★観察する理性
観察する理性には、三つの事柄が関与している。

一、現実を観察する理性

二、自己を観察する理性

ショーペンハウアーによると、「理性とは、抽象的認識である概念を扱う能力であり、それ以上でもそれ以下でもない」と定義される。

三、抽象的認識である概念を観察する理性


(一)

私たちの周囲には、現存在の存在が現れたり、神様に願ったりする方がいるかと思います。

その各々が、一生懸命頑張って生きていたり、好きな話で盛り上がったりするかと思います。

現存在の存在は、そのほとんどが、楽しみたくて、そして目標を持って生活している。

プラモデルを作っている青年を見て、プラモデルに興味があるんだなあ、とかプラモデルが好きなんだと認識することも容易に考えられる。

パソコンを使用している方を見て、そして画面に書いてあることを説明しているのを見て、真面目なんだなあと認識することもよくありそうなことであろう。

電気が点滅しているときは、蛍光灯が古くなってきたからと認識することもよくありがちなことであろう。

時計の針が止まっているときは、電池が切れている、と考えるのが正見への一歩。

5名無しさん:2024/10/10(木) 13:59:44
★現実を観察する理性

好きな人が目の前に現れたら自分はどうなる?という考え方があります。

可愛い女の子を見て緊張するとか、ドキドキするとか、感情的な側面を私たちは担ってしまいます。

これは脳が可愛い女の子を観たら、感情的になる、と考えているからでしょう。

しかしその恋は冷める場合があります。いつまでも好きであり続けるのは難しいでしょう。

相手が一万年も生きた女の子であったら、その年齢を聞いたらがっくしするかもしれません。

透明人間として何度も出て、若々しい風貌で暮らしている方は多数いらっしゃいます。

たとえ無限に生きても若々しい、というのはあり得ると私は考えます。

前の体に戻るだけで、ぴちぴちするのは、若返ったからでしょう。

透明人間は子どもを出産することができない、というのは過言ではありません。

つまり、女の子が透明人間だったら出産できないでしょう。

この透明人間の女の子と結婚しても、血の繋がった子ども授かることはありません。

結婚して子どもを授かりたかったら、まず存在から確認することが要となってくるでしょう。

6名無しさん:2024/10/10(木) 15:05:16
★現実を観察する理性

学校に通っているあいだ、宿題が課される場合があります。

これを宿命とする考え方があります。
学校から宿題を課される宿命が私の一生にはあった、とする解釈です。

これで現実の答えを出したわけではありません。
宿題の内容により、宿命か否かが判断されるからです。

1+3=? この命題の?を書くのが宿題であっても、宿命だとは思いません。

宿命は宿題の中でもより難度の高い宿題なのではないか。

三平方の定理を解く際には数学者は宿命であると考えるでしょう。

数学者は、数学を学ぶのが宿命なのだと言っても過言ではありません。

ただ、1+3=?を埋めるのは宿命だと思わない、とする考え方もあります。

過言ってそう思えるから、ですね。

7名無しさん:2024/10/11(金) 11:13:23
★現実を観察する理性

さて、生き方を観察する理性についてお話したいと思います。

大工さんたちを観て、大工はこうこうこういうふうに家を建てる、と判断することがあります。
大工さんの日常が知りたかったら、大工さんの生活を観察しなければならない、と私は考えます。
大工さんの日常は「普通」であるとよく言われています。ものを作るだけだ、とも言われています。

ではお医者さんの生活はどう判断するでしょうか。お医者さんは診察という仕事を抱えています。これは多くの人々を診るため大変な仕事だと私たちは考えます。

お医者さんの生き方は、かなりハードな場合があります。毎日診察に追われているお医者さんもいることでしょう。それでも頑張って生きているのです。

とある係員さんや職員さんの生き方はいかがでしょう。係員さんはトイレを掃除したり椅子を掃除したりする場合があります。職員さんは会社の仕事を整理整頓する場合があります。

特に係員さんは、トイレを一生懸命磨いたりします。ソファも一生懸命に磨いたりします。私はこの光景に涙が出るほど泣きたくなります。

生き方を観察するためには理性的に分析していくことが要となってきます。ここは掃除したけど、ここは掃除しなかった、とか、ここにはモップをかけなかったなどと細かい分析も理性が判断します。すなわち考えることが理性的になるということです。ただし、昨今の時代は考えまくるとダメだ、とする風潮もありますので、注意して欲しいです。♡

8名無しさん:2024/10/19(土) 18:46:22
★現実を観察する理性

なぜ夕飯になるとお酒を飲む人がいるのでしょう。お酒のCMは昼からお酒を飲むことを示唆しています。(昼のように明るいCMですよね)

お酒はアルコールという旨味成分が含まれています。そして夜は車を運転しないからと、昼以降にお酒を飲むことが容易に考えられます。お酒を飲むと口の中が臭う可能性があります。こうした口臭により、誰かに嫌われる可能性も懸念されます。お酒はできるだけ呑まなくていたいものです。飲酒運転は危険です。

お酒を呑むことは、身体を麻痺させたり、調子を悪くさせたりする場合があります。今現代は害がありますが、前時代は、お酒を呑んでも害は少なかったと言われることでしょう。友達が飲酒したからといって、自分も呑んでもいいとは限りません。酒を呑んでも呑まれるな、という諺もあります。お酒には注意したいものです。

9名無しさん:2024/11/03(日) 19:20:52
★現実直視

現実は食べる存在と何も食べない存在の2種類に分かれる。闇の透明人間は食べ物を食べられない。光の透明人間も何も食べられない。風の透明人間も食べることはない。じゃがいもの透明人間も食べ物を食すことはできない。犬の透明人間は食べられない存在もあるが、胃や腸や心臓があるため魔法を使えば食べることはできる。

何も食べられないという現実はどのように捉えられているだろうか。闇の透明人間は食事代がかからないから肯定することもできよう。しかし、一回も食事を食べないのはあまりにも哀しい。どこかで酒の一杯も呑めないのはいかにも哀しい。であれば、食事代が払わなくていいとは言い切れないであろう。私たちは食事代を払いたくもなるであろうから、お金の使い道は食事代にかけても構わない。私たちは闇の透明人間が何も食べられないからといって闇たちを貶すことはしない。私たちは闇の透明人間に希望を持って欲しいのであろう。水を飲めないのも何たる損か、という話もあると思う。お化けも食べることはないし、液体を飲めもしない。猫の透明人間も食べられはしない。胃と腸と心臓があってこそ食事が可能なのだ。猫という動物はキャットフードを嗜む。しかし当の透明人間はキャットフードも何も食べない。トナカイの透明人間も何も食べられはしない。

現実は甘くない。むしろ現実はしょっぱいであろう。人生はさみしい。私たちは色々試行錯誤するが、結局は結果が出せればいい、というのが現実的な考え方であろう。上手く行かないときは、「上手く行かない日だって二人でいれば晴れだって」と笑って茶化そう。「考えろ、全集中してトライしろ」と理性は思考するであろう。「事実の総体が世界である」という認識をもとに世界を理解する前に言語を理解することがウィトゲンシュタインの試みであろう。私たちは言語ゲームとして、親父というワードを無視することはできない。

Aさんは「親父が疲れてる」言う。BさんはAさんの親父が疲れたと認識する。しかし、Bさんの親父が疲れた、ということを言いたかったのである。Bさんには正確に言葉のニュアンスが伝わらなかった、という事態がそこにはある。

10名無しさん:2024/11/05(火) 12:21:30

テーブルストアに向かう途中だった。

「お、お待ちください」 澄んだ声でそう聞こえた。

私は踵を返すように振り向いた。相手を見据えて言った。「何か?」

存在は汚れた感じがするが、スコーエフを着ていた。いい服という意味だ。

正体を捉えようと、私はじっくり顔を見た。相手は言った。「理事長です」

「理事長?この図書館の理事長があなた?」

理事長は、少し早く走っていたようで、呼吸を整えようとしていた。

「はい。私が管理責任の理事長と申します、さきほどは失礼致しました」

声色こそ少し冷静であった。声が特徴的とは言われてないか、悪意で追ってきたのか思考によぎった。

「そうですか。あなたが最高責任者ですね、それで私を呼び止めた訳は」

「さきほどテーブルストアに爆弾が仕掛けられていると聞いたものですから」

「爆弾?本当かい?もしそれが本当だとしたら、テーブルストアの周辺は危険ですね、それから」

「それから?なんです?」

「私をテーブルストアにいかせまいとしていたのでしょう」

「確かにそうですね」

「感謝しているんです。あなたに命を救ってもらったのかもしれない」

「嬉しいです。井伊こんたさん」


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