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1
:
名無しさん
:2024/05/28(火) 09:35:03
吉岡「魔法禁断!?どっかで聞いたことあるぜ……」
アマラ「私は魔法が使えるが、どうしたものか」
「アマラ……魔法禁断の術は凄いな。裁判長を見直したぜ」
ゴーマ裁判長「ほっほっほ。これで魔法は封じたはず」
ユフラン議長「カマフラ、次の事案を頼む」
カマフラ「カードゲームを販売している店舗でカードのパックを買い、弱いカードが出ては、強いカード目当てに時間を戻す例が18名、そして46件確認されています」
「注意喚起ですね」
吉岡「注意喚起だが、どこにいるのか解るか」
親父「超能力者だったら居場所を特定できる」
ユフラン議長「それは私でもそうだ。もう18名の顔は確認した」
「ユフラン議長が注意喚起するんですね」
ユフラン議長「もちろん。18名一斉に告ぐ」
ユフラン議長「パック買いを時間を戻して行うのは、やめなさい」
少年「ごめんなさい。もうしません」
18名の魔術師はもう時間を戻さなくなった。
2
:
名無しさん
:2024/09/16(月) 15:43:52
★世界は贈与でてきている──交換の論理
「世界は贈与でてきている」という本、なんと本屋で1980円でした。
さて、タイトルの贈与のお話になります。
プレゼントを渡す行為は、贈与と言えるでしょう。しかしそこに見返りを追求する可能性があります。
クリスマスプレゼントをBさんに贈与した、その行為は素晴らしく感じます。しかし目に見えない見返りがあったとしたら……それが交換の論理を考えてしまっているということでしょう。
ボランティアで、湖の周辺のゴミ拾いをやったとします。そこに偽善が関与してくる可能性があります。「ゴミを拾って有名になりたい」
「ゴミを拾っている姿を見てもらって優遇して欲しい」
「ゴミを拾って気分転換がしたい」
など、ゴミ拾いをする理由として偽善的な考え方が挙げられます。私たちは、いいことをして欲しい生命体です。ですので、いいことをしてもらえることを考えてしまうのです。
ノーベル平和賞にも贈与は関わっています。ノーベル平和賞を贈与されたら、そのために生きたのだと考えてしまうかもしれません。
3
:
名無しさん
:2024/09/19(木) 16:15:39
★贈与というもの
贈与をすると、受け取った側の人も贈与で返す、というサイクルはよくある出来事だ。
贈与は相手のためにするのであろうが、相手の気持ちに反する贈与であってはならない。
贈与は正攻法の贈与であるべきであろう。
贈与を自分が「いい人だと思われたいから」という理由でする者も少なくない。ましてや社会的体裁のために贈与をすることも多い。
クリスマスプレゼントを贈与する、という私たち固有のストレス発散法も考えられる。というのも、クリスマスに相手の欲しかった「何か」を吟味し、喜ばせることで、自分も喜びを得るからだ。
クリスマスプレゼントはサンタクロースがあげる、という常識もあるが、私たちが自(みずか)ら率先してプレゼントを贈る、ということも考えられる。
その贈与の後には、クリスマスプレゼントのお返しに贈与される、という展開も見られるであろう。
4
:
名無しさん
:2024/09/20(金) 16:31:17
★贈与というもの その2
クリスマスにプレゼントを贈与するという出来事は決して珍しいことではない。
お中元に商品を贈与する、という出来事の方が割合は多いであろう。
お歳暮もお中元と贈与する割合は同じぐらいではないだろうか。
彼に恋愛感情を抱いて、クッキーを作ったとしよう。そして作ったクッキーを彼に贈ったとしよう。
彼は嬉しかった、そしてクッキーを食べたのなら、彼女に彼からお返しが来るかもしれない。
しかし、クッキーが不味かったのなら、彼女は彼から嫌われ者扱いされ、お返しが来ない可能性もある。
もちろん「お返しなんて求めていない」と、彼女は保険をかけるかもしれない。
しかし、贈与し返されたいと願うなら、差出人が「ちゃんとしたモノ」を受取人に贈与しなければならない。
「ちゃんとしたモノ」は、自分で作った価値のあるクッキーでもいいし、手で編んだ価値のあるマフラーでもいいであろう。「ちゃんと手を抜かずに」作ったモノは、相手の心を揺さぶるはずだ。「よく作ったね」と感心されることも考えてみて欲しい。こちらもあちらも贈与を介することで歓喜の二元性をあらわにすることが、生き甲斐となるのだ。
受取人は、贈与に満足したなら、差出人に「お返しをしたくなる」ことは、私たちの本能と関係があるのではないだろうか。私たちは「共に喜びたい」という無意識で思えた協調性を大事にするではないか。
5
:
名無しさん
:2024/09/20(金) 18:40:09
★贈与というもの その3
「お返しなんて求めない」という、差出人の「いき」な考え方が、まずひとつ現実としてあり得る。
そういう差出人は、自分の贈与するために出費した「モノ・カネ」を惜しまないことであろう。
これは現実的な価値観である。相手のために「価値のあるモノ」を支出し、あるいは贈与し、そして、見返りを求めない。
こうした見返りを求めずに、相手に尽くす、という生き方は、もったいない、と思われるかもしれない。
見返りを期待して見返りがあるという前提で贈与した方が自分に利益があるからであろう。
しかし、利他愛として、そして、無償の奉仕として、相手のためにプレゼントするという方は、相当レベルが高いであろう。無償の愛で、無条件に尽くすことは、道徳的/モラルとしては素晴らしい。贈与するなら一方通行の贈与、または、贈与するならお返しはいりませんよと銘打っておく手段がある。
しかしながら「モノ・カネ」は大切にしたい。贈与してばかりで生活が乱れないようにしよう。
6
:
名無しさん
:2024/09/21(土) 09:12:45
★贈与というもの その4
贈与というものにおいて、何のために贈与するのか、贈与する前に整理する手段も考えられる。
①相手のために、贈与する
②お返しを求めて、贈与する
①の場合、お返しを求めてはいけない。相手のために、贈与するのだから、自分のために贈与することはあってはならない。
相手のために、贈与するという出来事は素晴らしい。しかし、③が浮上する。
③相手が喜ぶがどうか吟味してから、贈与する
②③、どちらも踏まえて贈与するのは、もっと素晴らしい。私たちは、相手が喜ぶこと、それ自体を追求するべきであろう。
その喜びの声を聞くためには、「相手の喜ぶ贈与」をしなくてはならない。
「相手の喜ぶ贈与」の中には、高価なモノも含まれているし、相手の欲しいモノでさえも含まれている。
高価なモノや相手の欲しいモノをプレゼントすることは、やはり熟慮しないと難しくあり、相手がカップが欲しいからこのカップを買おうというのでは甘い感じがする。やはりカップを何個も見渡し、たくさんのカップの中でこのカップがいいかな、どうかな、と吟味することが必要となるであろう。
7
:
名無しさん
:2024/09/21(土) 10:47:18
★贈与というもの その5
相手のためを思い、高額なモノをプレゼントする、という形で、成功するにはどうすればよいか。
その高額なモノを自分で手に入れなくては、それをプレゼントすることは叶わないと思われる。私たちは、プレゼントする際にはあげたいものを所持していなくてはならない。
また、高額なモノをプレゼントする、とひとつまみに述べても、その高額なモノをカネで手に入れなくてはならないケースもあり得る。やはりカネをモノに替えていかなくてはならないケースがあり得る。つまるところ、カネがなくてはモノが手に入らない、という事態にもなりかねない。私たちは、カネを手にしなくては、あげることもできなくなることも考えておく必要があるであろう。そしてもうひとつ、カネを手に入れるには、何かしらアクションを起こさなくてはならない、という現実がある。
そしてカネを何とか手にして、カネで贈与品を買って、綺麗な包袋を包装して、大切な人のために贈与する……。それが理想形の人も存在するであろう。
これまで、私たちは贈与について見てきました。最期に「贈与」の意味を紹介します。
「ウィトゲンシュタインいい」 (贈与の意味)
8
:
名無しさん
:2024/09/21(土) 11:56:02
★ウィトゲンシュタインと女子語
高額なモノという言葉の意味は、「ウィトゲンシュタインいいいい…いいいい(22個)」という意味がある。
この意味を見渡すに、驚くべき内容であろう。
低額なモノという言葉の意味は、「ウィトゲンシュタインいいいいいい」という意味がある。
中額なモノという言葉の意味は、「ウィトゲンシュタインいいいいいい」という意味がある。
中額なモノと低額なモノは、意味が同じなのではないだろうか。
スパイラスなものという言葉の意味は、「ウィトゲンシュタインいいいいいい」という意味がある。
使用という言葉の意味は、「ウィトゲンシュタインいい」という意味がある。
承諾という言葉の意味は、「ウィトゲンシュタインいい」という意味がある。
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