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4名無しさん:2025/04/17(木) 11:03:01
ダン・ザハヴィ『フッサールの現象学』第3章「後期フッサール」C「相互主観性」20「他者の経験」(その3):「異他的主観」は「私の直接的経験」から逃れ、それゆえに「他者として経験される」!
2025-04-10 13:48:44 | 日記
※第3章「後期フッサール 時間・身体・相互主観性・生世界」C「相互主観性」20「他者の経験」
※ダン・ザハヴィ『フッサールの現象学』(初刊2003)、工藤和男・中村拓也訳、晃洋書房(2017年新装版)
(30)-4 「異他的主観」(他者)は「私の『直接的』経験」から逃れる!それゆえに彼あるいは彼女はまったく「他者として経験される」!
★私は「他者」を「経験」するのであって、単なる「推論」に関係するのでない。(172頁)
☆とは言え、「異他的主観」(他者)は「私の『直接的』経験」から逃れる。それゆえに彼あるいは彼女はまったく「他者として経験される」。(172頁)
☆フッサールは「他者が経験されている」と言うが、「他者」はまさしく「主観的接近不可能性」において「経験」されている。(173頁)
☆すなわち「主観-主観関係」は「非対称性」を含む。(173頁)

★フッサールは「私が他者を構成する時に、他者を創造も、発明も、産出もしていない」と言う。もしこう言えなかったなら、それは「異他的主観性の否定」を含意し、フッサールは「独我論を逃れることはできなかった」ろう。(174頁)
《参考》いったい「構成」とは何か?「構成」とは「顕現」(※「現出」)と「有意味性」を可能にする過程である。すなわち「構成」とは、「構成されたもの」があるがままに「現出」、「展開」、「分節化」し、「自らを示す」ということを許す過程だ。ハイデガーは言う。「構成すること」は「作る」とか「製作する」という意味での「産出する」ことではない。「構成すること」は「存在者をその対象性において見えさせること」だ。(110頁)


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