したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

トモくんのビジネスを考察するスレ7

749トモくん:2018/08/13(月) 14:57:58 ID:cnEssHS60
道徳的に真に排斥すべきであるのは、とりわけその所有のうえに休息することで、富の享楽によって怠惰や肉の欲、なかんずく「聖潔な」生活への努力から離れるような結果がもたらされることなのだ。
財産がいかがわしいものだというのは、それがこうした休息の危険を伴うからにすぎない。
というのも、「聖徒の永遠の憩い」は来世においてあたえられるもので、地上において人々は、自分が恩恵の地位にあることを確かめるために、「彼をつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない」からなのだ。
明白に啓示された神の意志によれば、神の栄光を増すために役立つのは、怠惰や享楽ではなくて、行為だけだ。
したがって時間の浪費が、なかでも第一の、原理的にもっとも重い罪となる。
人生の時間は、自分の召命を「確実にする」ためには、限りなく短くかつ貴重だ。
時間の損失は、交際や「無益なおしゃべり」や贅沢によるものだけではなく、健康に必要な六時間かせいぜい八時間以上の睡眠によるものでも、道徳上絶対に排斥しなければならない。
まだフランクリンのばあいのように「時間は貨幣だ」とは考えられていないけれども、この命題はある程度まで精神的な意味で妥当する。
時間がかぎりなく貴いというのは、その失われた時間だけ、神の栄光のために役立つ労働の機会が奪いとられたことになるからだ。
したがって無為の黙想も、少なくとも天職である職業労働を犠牲にしておこなわれるばあいには無価値であり、ときには端的にも排斥すべきものとなる。
けだし、黙想は、天職における神の意志の積極的な実行に比べて、神によろこばれることが少ないからだ。
それだけではなく、黙想のためには日曜日がある。そして、バックスターによれば、職業に怠惰な人々にかぎって、神のために働く機会はあるのに、時間がないなどというのだ。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板