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みなとマンの嫉妬

279Guest:2020/03/24(火) 16:14:51 ID:9VbDg8Kw






GroundZeroHiroshima5 年前

仏教の無の観念は決して単純ではない。
それは無をも否定する、有無を超越した無といわれる。
凡人はこれを理解せずに、無といえば有に対する無を考える。
だから、自己の死を、世界から自己の姿だけが脱落した光景に比して恐怖する。そのような光景は人がいまだ生きている限りにおいて存在し得るものにすぎない。有無をこえた無、ないし死は、眠りにたとえられるだろう・・・。
知識人は死後の世界を有ととらえることを過ちを犯すことと考えてしまう。しかし世間は虚仮である・・・われわれは生きている限り虚仮のなかにいる。なぜ今さら過ちを犯すことを恐れる必要があろう。ニーチェもいっている、なぜむしろ虚妄への意志がないのであるか、と。
(p.p.131-132)
「三界と六道」 定方 晟(あきら) 『死とはなにか』所収




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