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懐かし事件、事故などを語るスレ6

21名無しさん:2025/06/10(火) 22:24:57 ID:???0
太平洋戦争末期、沖縄は「鉄の暴風」と言われるほど無数の砲弾や爆弾にさらされました。アメリカ軍によって打ち込まれた弾薬の総重量はおよそ20万トンと言われ、そのうちおよそ1万トンが不発弾として残ったと推定されています。

1972年の本土復帰までに住民やアメリカ軍などによって処理されたのは、その半数ほどです。このため、不発弾は本土復帰後も住民を苦しめました。

復帰から2年後の1974年3月、那覇市の幼稚園のすぐそばで、旧日本軍が戦時中に埋めた改造地雷が爆発し、3歳の女の子を含む4人が亡くなり、34人がけがをしました。対応を求める声が高まり、3か月後、不発弾処理を専門とする陸上自衛隊の部隊が発足し、これまで処理を続けてきました


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