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懐かし事件、事故などを語るスレ4
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飯田篤郎(いいだ あつお)は大阪生まれで、ヤミ屋や大阪地裁の書記官などの職を転々としていたが、
1965年に大阪で従業員5人と小さな鉄工所を経営するようになった。
もとから右翼的な思想に傾倒していたという飯田は、鉄鋼書を経営する傍ら「まことむすび誠心会」という政治結社を作り、『誠心週報』という記事チラシを発行していた。
だが政治結社とは名ばかりで、党員は飯田ひとりであった。
事件の1年前、1984年に飯田の取引先の工場が倒産。そのあおりから、飯田の鉄工所も連鎖倒産してしまう。
一方の矢野正計(やの まさかず)は、大阪の工業高校を中退後、タクシーの運転手や暴力団組長の運転手などの職を転々とした後、
1980年から、飯田の鉄工所でダンプカーの運転手として働いていた。
だが「給料が安すぎる」と言い残して、2年弱で飯田とは袂を分かっている。その後、飯田と矢野に接点はない。
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