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考察★地震データを見守る/異常震域・深発地震◆合同避難所

44朝日新聞連載 人・脈・記/大地に聞く:2012/11/14(水) 19:01:31 HOST:SDDfb-02p2-243.ppp11.odn.ad.jp
【ニッポン人・脈・記:大地に聞く4 津波の化石に青くなる】朝日新聞夕刊 2012/11/02 東京3版1面

 大分県佐伯市米水津に小さな池がある。周囲500メートルほど。名前はなく、地元でも「池」としか
呼ばれていなかった。2004年、高知大学特任教授の岡村眞(63)らが調査に入った。
 一帯は1707年宝永地震で大津波に襲われた。この池は海岸から100メートルくらいしか離れていない。
大津波が来ると、海の砂が内陸に運ばれる。陸上に残された砂は風雨で流されるが、池や湿地に
流れ込んだ砂は底にたまる。その上を泥が覆い、また津波が来ると、砂がたまって地層ができていく。

 岡村は池の底にある砂の層を「津波の化石」と呼ぶ。いかだを浮かべて、池の底にパイプを
突き刺し、引き抜いてサンドイッチ状に重なった砂や泥を採取する。一つの池で 200〜300カ所。
地層に混じっていた植物を取り出し、年代を測定して津波の時期を探る。
 調査が始まったことを知ったマスコミが次々と取材に訪れた。池の名前を尋ねられても、
誰も答えられない。近くに龍神様が祭ってあるから、いつの間にか龍神池という名前がついた。
 龍神池からは目立った砂の層が8層見つかった。津波は1回だけでなく、コンスタントに何回も
来ていた。「宝永級の大きな地震は最短で300年に1回。このペースなら次は今ということになる」。

  *****

 岡村は、この研究の成果を高名な地震学者に話したことがある。一笑に付され、壁の高さを感じた。
地震や津波の研究者の中でも、岡村のような地質学者と、地球物理学者とは手法が大きく違う。
野外調査が基本の地質学者に対し、地球物理学者は、地震波や地殻変動を解析して物理学的な
理論を考える。一般に地震学者とは地球物理学者を指す。成果を発表する学会も異なり、互いの
研究への関心も低い。

 東日本大震災が起きる1年前、東京大教授古村孝志(ふるむらたかし・49)は岡村が調査している
高知県土佐市の蟹ケ池を訪れた。古村は地球物理学の研究者で、スーパーコンピューターを使った
地震波や津波の伝わり方の解析で知られる。岡村とは08年から始まった南海トラフの巨大地震を
探るプロジェクトで一緒だった。
 蟹ケ池は絶滅危惧種のベッコウトンボが生息していて開発を免れ、昔のままの環境が残されている。
そのトンボが姿を消し、調査ができるようになった。

 古村は池で採取した砂の層を見せられた。岡村によると、南海トラフで最大と考えられてきた
宝永地震の時よりも分厚く、2千年前にもっと大きな津波があったと考えられるという。
 信じられなかった。本当に巨大津波が運んできた砂なのだろうか。隕石が落ちたのが原因かも
知れないし、古代人が砂を捨てた可能性だって考えられるかもしれない。
 ピンと来たのは、東日本大震災が起きた後だった。地震の解析を始め、大津波の起きる仕組みが
見えてきた。ひょっとしたら、南海トラフでも同じような地震が起きていたのではないか。
それなら説明ができる。その瞬間、「青くなった」。

  *****

 日本地質学会は今年5月、文部科学省に意見書を提出した。地質学的な研究を軽視し、地球物理学
的な手法に偏重していたことが、東日本大震災での「想定外」につながったと指摘している。
 学会長として意見をまとめた新潟大名誉教授宮下純夫(みやしたすみお・66)は
「過去にあったことをきちんと見るのが地質学だ。地震を予測する委員会でも地質学者は少なく
歯がゆい思いをしてきた」と話す。

 岡村が調べた宝永地震の史料には、村々が「亡所」となったという記述がある。大津波は
すべてを流して何も残さない。東日本大震災で岡村は「亡所」の意味が実感としてわかった。


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