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【艦これ】五十鈴「何それ?」 提督「ロードバイクだ」【2スレ目】

1 ◆9.kFoFDWlA:2017/08/13(日) 21:53:56 ID:XmBArZ8Y

※深海棲艦と仮初の和平を以て平和になった世界観における、とある鎮守府での一コマを描くほのぼの系

 艦娘がロードバイクに乗るだけのお話

 実在のメーカーも出てきます

 基本差別はしません

 メーカーアンチはシカトでよろしく


※以下ご都合主義
・小柄な駆逐艦や他艦種の一部艦娘もフツーに乗ったりする(本来適正サイズがないモデルにも適正サイズがあると捏造)
・大会のレギュレーション(特に自転車重量の下限設定)としては失格のバイクパーツ構成(※軽すぎると大会では出場できなかったりする)
・一部艦娘達が修羅道至高天
・亀更新

上記のことは認めないという方はバック推奨。
また、上記のことはOK、もしくは「規定とかサイズとかなぁにそれぇ」って方は読み進めても大丈夫です


【前スレ】

【艦これ】長良「なんですかそれ?」 提督「ロードバイクだ」
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1454251122/

572 ◆gBmENbmfgY:2019/12/19(木) 00:08:24 ID:.GjKxMqA

 今度こそ朝潮は、ぽかんと口を開けて固まった。

 自ら望んでロードバイクに乗り、それを競わんとレースに参加する。そこまではわかる。だがそれでどうして嫌いになってしまうのか。


神通「分かりませんか、朝潮。それは次までの宿題としておきましょう。あまり時間はありませんよ。遅かれ早かれ、その答えは貴女のもとにやってくる」


 提督と違い、神通はあっさりと答えを教えてくれることは少ない。だがその言葉が脅しでないことと、朝潮の事を軽んじて言っているわけではないことは、長い付き合いもあって理解できた。

 神通がそう言うのならば、そうなのだろう。必死にならねばならないと、朝潮は強く心に刻んだ――その必死さこそが、彼女に残酷な答えを迎え入れさせることになるとも知らず。

 そのアドバイスをしっかりと心の中で反芻することに夢中で――――今の神通がどんな顔をしているのか、朝潮は気付けなかった。


神通(…………その素直さは美徳ですが、争いごとにおいては決して利点とはならない。気付きなさい、朝潮。

   ――海戦と、レースは、違う。今まで、敵は敵に過ぎなかった。だけど朝潮――レースで争うのは、味方なのですよ。

   やはり朝潮、貴女は……)


 そこまで考え、神通は首を横に振った。


神通(いいえ)


 まだ結論を出すには早いと、二水戦所属の可愛い部下を見定めるには、まだいくつかの段階を経なければならないと、そう自分を戒める。

573 ◆gBmENbmfgY:2019/12/19(木) 00:23:14 ID:.GjKxMqA

神通「……いずれにせよ、私から言えることはあまり多くありません。だから――」


 神通は薄く笑みを浮かべ、それを見た朝潮の表情が凍った。戦いに赴く際の神通が、時折見せる表情と寸分たがわぬ笑みだった。


神通「明日実施されるタバタ・プロトコルで、私や……他の軽巡・重巡の方々をよく見ておきなさい。きっと――何か伝わるものがあるでしょう」


 奇しくも吹雪が深雪へと告げた言葉と同義であった。

 硬い唾を飲み込みながら、朝潮は敬礼した。今の時点でも、既に伝わるものがあった。

 ――神通さんの瞳には、確かな闘志があります。

 一体何を見据えての物なのか朝潮には窺い知れぬことだったが、確実に分かるものがある。

 ――越えたい、と思っている。

 自分に。誰かに。その意志で押し通らんとする覇気がある。

 歌が聞こえた。二水戦の歌。戦いの歌。意を貫く歌。


 ――通りませ、通りませ、ここは神通の路なれば。


……
………

574 ◆gBmENbmfgY:2019/12/19(木) 00:42:12 ID:.GjKxMqA
※キリ良しとする。皐月? さっちゃんは殺月と書いてさつきと読めになっちゃうからね。(嘘です)

 次回は皐月視点にするか軽巡・重巡らのタバタにするかは少し考え中です。どっちの方が面白いかな。面白いと思った方にします。

>>564
 かわいい!

>>566
 真面目にも種類があります。極論を言えば、真面目さが目的になっちゃってるのがこの朝潮。朝潮、その先は地獄ゾ。
 ここの神通にとって真面目さは手段に過ぎない。神通、とっくの昔に地獄に在住してるゾ。
 神通さんは『いい子』です。提督によって『いい子』の仮面を付けられていますが、その留め金が誰あろう提督の手によって外されようとしている。外れる時にその時の回想シーン入ります。おっぞましいぞ。

>>568
>>570
 神通の辛口は入り口に過ぎず、結果的に相手の成長につなげられるようにフォローすることが多いので優しさに通じています。ご立派、旗艦の鑑。
 長良型の辛口はありのままそこに起こっている事実を指してセメント攻撃である。
 そしてセメント攻撃で落ち込んでるところに「落ち込んでたらまたダメな結果に終わっちゃうよ?」と事実だけど突き付けられると大激痛で救いはねえ物言いが待っている。
 「ピンチの自分はヒーローの自分で救うんだお前を救ってくれる都合のいいヒーローはこの世に提督ぐらいしかいねえ」というスパルタ形式。特に五十鈴。提督という保険があるのをわかってる分、とても容赦がない。

>>569
 あっちの節穴提督ならまだしも、ここの提督が見抜けない訳ないんだよなあ……。

575以下、名無しが深夜にお送りします:2019/12/19(木) 09:58:00 ID:1ryxtM9A
>>574
節(くれだったモノを)穴(に挿れる)提督の方も待ってるよー

576以下、名無しが深夜にお送りします:2019/12/19(木) 21:36:46 ID:Ph6AT11g
腹黒朝潮ちゃんすこ

577 ◆gBmENbmfgY:2019/12/19(木) 23:05:16 ID:.GjKxMqA

………
……


 この世界に生まれ落ちた時の事を、今でも覚えている。

 聞こえたのは潮騒。鼻孔に広がるむせ返るほどに満ちるのは磯の香り。瞳に映るのは青く澄み渡った空と、どこまでも広がっていく水平線。

 それまでは漣一つ立たぬ鏡面の水面へ立っていたはずなのに、足元が酷く揺れていた。鏡面は既にその形を失い、波立った海面となっている。

 背後に誰かの気配を感じる。意のままに動く両足を――船首を返せば、見たことのないヒトガタがいる。本来ならば戸惑い、驚き、あるいは恐怖する場面だったのかもしれない。

 だけど、どうしようもないほどに彼女たちが『自分の仲間』だとわかった。

 初めて耳にする音、初めて嗅ぐ香り、初めて見た風景、初めて出会ったヒト。

 全てに奇妙な懐かしさを感じ、どこか温かいものを覚えた。

 奇妙というよりそれは異常なのだろうと知ったのは、彼女たちに迎え入れられて、自らが『艦娘』と呼ばれる存在であると、頭で理解した時の事だった。

 人は世に生まれ落ちた時、自らが何者なのか理解していることなどないという。周囲の環境を学習し、次第に自己を確立していくものだ。

 だけど、彼女にはすぐに自分の名前が分かった。そしてその役割も。何をするべく、この世に生まれたのかも。

 元大日本帝国海軍の艦艇。峯風型・神風型の流れを汲む最後の艦型。


 ――ボクは睦月型駆逐艦五番艦――『皐月』なんだと。

578 ◆gBmENbmfgY:2019/12/19(木) 23:21:44 ID:.GjKxMqA

 だけど、今はもうそれが分からなくなっていた。戦うために生まれたはずだ。そのためだったのに、戦争は終わったという。

 終わったことを聞いて、皐月は当初こそ素直にそれを喜んだ。もう戦わなくていいんだと思えた。これからは楽しい日々が待っているんだと、無邪気にそう信じられた。

 その平和が見せかけの平和だと知ったのは、すぐのこと。皐月はとてもしょんぼりした。

 鍛錬は続く。訓練は続く。密かに、戦争は続く。大人の事情というものらしいとは、皐月が所属する第五水雷戦隊旗艦・名取からの説明だ。

 皐月には難しくてよくわからない話だったが、日本が一人勝ちをしている状況や、深海棲艦によって皮肉にも人の悪行が制限されているという事実、そして戦後の艦娘達の扱い――それを考えた時、提督がブチ切れながら出した結論はこれが限りなく最善に近い次善なのだという。

 それでも皐月は納得した。よくわからないけれど、司令官がいいというならそれでいいのだ。カワイイのだ。だからよしなのである。

 何より――提督に貰ったロードバイクに乗るのは、すごく楽しかった。

 だけど、いつからだろう。どこか頭にチラつくものがあった。それがはっきりとわかったのは、先刻のタバタ・プロトコルに挑んだ時の事。

 自らが生きる理由を。

 存在することの価値を。

 戦争するために生まれてきたはずの自分は、一体何をやっている? 

 冷めた自分が頭の中で自分に囁くのだ。

 『いい子では勝てない』と提督は――司令官は、そう言った。だけど、もしもそのことで思い悩む自分が『いい子』なのだとしたら。


 ――ボクは、悪い子になりたくない。

579 ◆gBmENbmfgY:2019/12/19(木) 23:42:21 ID:.GjKxMqA

提督「――――で、皐月よ。そんなことを悩んじゃった君は真っ先に俺のところに飛んで来るんだな。さてはおまえ俺の事が好きすぎだろ? 今日も最強にカワイイやつだなおまえは」

皐月「いっ……な、なんで司令官はいきなり茶化すかなあ!? ボク、大真面目に言ってるんだよ!? 可愛くないなあ!!」

提督「おまかわ。そんな怒るな。そしてあんま詰め寄るな。それ以上近づかれると不可抗力とはいえ、皐月のカワイイスカートのカワイイ中身が見えちまうぞ」

皐月「ッ、司令官のえっち!! セクハラだぁ!!」


 ムキー、とスカートを押さえながら顔を真っ赤にしてぷんぷん怒る皐月のやや下方から、からからと笑い声が響く。むしろ未然に防いでるあたり超健全だろうがと、欠片も悪びれない男だった。

 人気のなくなったトレーニングルーム内、トレーニングマットが敷かれた区画内で、提督は逆立ちしていた。

 提督が前述した言葉通り、皐月はタバタ・プロトコルを終えて解散となった後、ルーム内に人気がなくなったのを見計らって司令官と話をすべく突撃した。

 どうして逆立ちしているのかを問いただせば、『軍人としてのトレーニング』だという。成程、体力の向上や維持に努めるのは軍人として正しい在り方だろう。皐月はそれを咎めるほど狭量ではないし、その権限もない。

 だが、皐月とて突っ込みたいところがいっぱいある。

 例えばその逆立ちが、一般的にイメージされるそれとは逸脱しすぎた代物だとか。

 片手倒立である。しかもマットに接地しているのは左手の指先だけだ。75kgはあるだろう提督の肉体――両脚先を綺麗に揃えて、天井から糸で釣られているのではないかと錯覚するほどの見事な倒立を成し遂げている。

 そんな状態で制止するならまだしも、あろうことか腕立て伏せをやっていた。皐月はこんなエグい倒立を見たことがなかった。メッチャキレッキレであった。よどみなく提督の身体は上下する。

 皐月は筋肉が好きである。ぶっちゃけ提督ほど素晴らしい筋肉の持ち主には、鎮守府広しトレーニングスタッフや憲兵多しといえど、同性ではお目にかかったことがない。女性では長良とか長門とか、同じ駆逐艦なら天霧や朧だ。ありゃあすごい。

 しかも提督は上半身裸で、余すところなく筋肉の躍動が皐月の視界に飛び込んでくる。プッシュアップ動作で身体が上下するたびに玉のような汗がデコボコとした肉体を滑り落ちていく様は、皐月には目の毒すぎた。

580 ◆gBmENbmfgY:2019/12/21(土) 01:25:52 ID:7mbL1rnA

提督「それでどうするんだ? ああ、悪いが話は引き続きこのままの体勢で聞くぞ? コレも俺の仕事の内だからな。今日は加圧スーツ着てないから回数こなさにゃならん。なあに、あとたった50回だ」


 なお既に右手は実施済みだという。左手側では皐月が覚えている限り、既に50回を数えている。


皐月「司令官は一体何を目指してるんだい!? 最強かな!?」

提督「馬鹿言え、とっくの昔に世界最強の艦隊司令官だ。しかも現役。交流がてらの他鎮守府との演習で負けなし。実戦でもブッチギリでトップの戦果。違うか?」

皐月(フィジカルの話してんのになんか強引に話が変えられた気がするんだけど、本気で言ってるなあ! 事実だもんね!)


 提督の言葉には事実を背景とした凄みがあった。少しばかり話がねじ曲がったとしても、そこに確かな実績や肩書、立場というものが付随すると妙に説得力のある言葉に聞こえてくる。これも一つの力である。


提督「……さて、話の続きだ。君の言いたいことはわかった。そのうえで問うが、皐月はどうしたい?」

皐月「ど、どうしたいって……」

提督「よし、聞き方を変えよう。皐月はどうなりたい? 少しずつでいいから、自分の中にある望みを口に出してみろ。その望みを叶える過程や、立ちはだかるであろう障害は無視していい」

皐月「無視していいって……でも、それが一番大事なんじゃ……」

提督「忘れたか、皐月。かつて俺は教えたはずだな? 夢はデカく持てって」

皐月「あの、ボク……そういう不安があって、どうにも集中できないって話をしてたと思うんだけど」

提督「ああ、そうだな。その話からブレてねーぞ」

581 ◆gBmENbmfgY:2019/12/21(土) 01:36:15 ID:7mbL1rnA

皐月「えっ」

提督「集中力を発揮するために必要な要素はいくつかある。その中の一つが『喜び』や『楽しみ』と言ったプラスの感情だ……っと、ぷはー、これで終わりだ」


 エグいプッシュアップを終え、器用に体を折り曲げて両脚でマットの上に立つ提督。いい汗かいたと言わんばかりに微笑む姿に、皐月はドギマギした。

 先ほどまでは鬼が宿ってそうな提督の背中を見て会話していたのが、急に提督の胸元が視界に飛び込んでくればキョドりもする。

 司令官は、皐月がかつて知っていた司令官とは違う。こうして対峙するとますます理解できた。

 着任当初から、皐月と比べて頭一つ分大きかった司令官は、既に頭二つ分以上身長で引き離されていた。

 かつては少年の域を出ない、どこか女性的ですらあった端正な顔立ちも変わった。綺麗な顔立ちは変わらないが、背丈が伸びてしっかりと筋肉が付き、匂い立つような男の風格を備え始めている。

 熱い吐息を腹式呼吸で整えながら、汗拭きタオルで首元を拭うさまも、その度に収縮と弛緩を交互に繰り返す筋肉の動きも、皐月の眼を惹き付けてやまなかった。


提督「夢中になれることって楽しいよな。終わってみるとあっという間に時間が過ぎていたような錯覚を覚えたことがあるだろう? 皐月が俺の胸をさっきからチラチラ見てるのもある意味では集中力が働いている結果だ」

皐月「ッ、ボ、ボボボボボクをいつ司令官のムネに大好きで夢中だって証拠だよ!?」

提督(初々しいなあ。この純朴さの一割ほどが木曾にもあって欲しかった)


 結果はあの進駐軍も真っ青な、風呂場への強制連行である。苦笑しながらタオルを首にかけ、マット横のベンチに腰掛ける。

 ちょいちょいと手招きすれば、真っ赤な顔をした皐月はしぶしぶながら提督の横にちょこんと腰かけた。

582 ◆gBmENbmfgY:2019/12/21(土) 01:47:09 ID:7mbL1rnA

提督「矛盾しているように聞こえるかもしれんがな。苦しいことをやり遂げるために必要なものがまさにそれだ。楽しむということ。よく言うだろ?」


 ――『楽しいことは、苦にならない』。この言葉を聞いて皐月が思い出すのは、やはり天龍だった。皐月は第五水雷戦隊所属だったが、数えきれないほど天龍や龍田と共に出撃や輸送任務を行ったことがある。

 何のことはない。天龍の口癖がまさにそれだったのだ。そこまで考えたところで、ふと皐月は気づいた。その言葉の意味を、深く考えたことは今まであっただろうかと。


提督「文字通りそれよ。楽しさで苦しさを忘れちまおうかって手法だ。苦しさそのものを楽しめと言っているわけじゃあない。それは若葉だ」

皐月「若葉ちゃんへの熱い風評被害をやめよう!」

提督「根も葉もある時点で事実なんだよなあ。話ズレそうだから戻すけど、要は苦しさの中に、あるいはそれを乗り切った先にある楽しさを見出すことで、モチベーションも上がれば発揮できるパフォーマンスも上がる。一種の自己暗示だな」


 提督はいくつか例を挙げて説明を続けてくれた。

 純粋にフィットネスとしての側面で、これをやり切れば筋肉が増強するぞ、代謝が増えて痩せることができるぞ、とか。心肺機能が上がるぞ、強い強度でもっと長く走ることができるようになるぞ、とか。

 こんな苦しいことができる自分って凄いなという達成感。それは自信と誇りに繋がる、確かにプラスとなることだと。短期的な夢ならばそれでいいのだという。だがもっと大きなことを目指すのならば、


提督「レースで勝ちたいって思うなら、勝った自分を……『勝てる自分』をイメージしなきゃな」

皐月「ッ……」


 工夫が必要だという。

583以下、名無しが深夜にお送りします:2019/12/21(土) 10:27:48 ID:6Pxom5.I
F1のチームよろしく鎮守府の人間サイドで
提督以外にロードバイクに関わってるスタッフはおらんのかね
ふと思ってしまった

584 ◆gBmENbmfgY:2019/12/22(日) 01:55:15 ID:5NNworRw

提督「それにな、皐月よ。前提からして少しズレてるぞ君は。集中できない理由があるのならそれを排除しちまえばいいだけの事だし、何より集中しよう集中しようと思って集中できないなら、集中へ至るためのアプローチを変えていかねばならない」

皐月「え? そ、それってどういう……?」

提督「まずは気が散る要素からな。コイツを消すぞ。これから集中しなきゃって時に、君が言った『こんなことをしてていいのか』っていう、ミョーな罪悪感にも似た疑問が湧くってところ。ブチ消すぞ。こいつは簡単だぜ。速攻で消し去ることができる――スライム相手に使うニフラムのようにな」

皐月「じょ、冗談だろう、司令官? そんな都合のいい呪文みたいな……」

提督「冗談なんかじゃない。本当に一言で済む」

皐月「ど、どうすればいいの?」

提督「よろしい、魔法の言葉を教えてやろう」


 もったいつけるように腕を組み、提督はカッと目を見開いて――言った。


提督「そんな疑問が浮かんで来たら、次からこう思え……あるいは叫べ!」

皐月「はい!」

提督「『全部司令官のせいだ。あの野郎……!!』だ!」

皐月「はい! ………は!? え!? ええ…………?」

提督「あるいはこうだ……『よし、司令官に相談して、そういう悩みは全部考えてもらおう!』だ!」

585 ◆gBmENbmfgY:2019/12/22(日) 01:59:09 ID:5NNworRw

皐月「ボク……いい子じゃなきゃ絶対嫌ってわけじゃないけれど……そんな最低最悪な子にはなりたくないよ……」


 それは丸投げである、と皐月は思った。

 絶対にやってはいけないことだし、やりたくないことだとも思った。


提督「何がだ?」

皐月「だ、だって、そんな……ボク、そんな大事なこと、司令官に押し付けられない……」

提督「押し付けられてないぞ?」

皐月「え?」


 皐月は見上げるように首を傾けた。心底不思議と言わんばかりの表情をした提督は、ぽつりと零すように言う。


提督「今、ちゃんと俺に相談してくれたろ?」

皐月「――――」


 今度こそ皐月は、思考が止まった。微笑む提督が手を伸ばし、金色の髪の頭頂部を、ぽんぽんと叩くように撫ぜる。

 かっと皐月の胸の中に、熱がこもった。それはきっと、足りないと言われていた『燃料』だ。そこに火がつこうとしている。

586 ◆gBmENbmfgY:2019/12/22(日) 02:03:16 ID:5NNworRw

提督「ごめんな、皐月。君は真面目で頑張り屋で、いつも明るい笑顔で俺を元気にしてくれる。だからきっと、甘えちまってたんだな――そんなに悩んでたなんて、気づかなかったのは俺の落ち度だ」


 その表情に嘘はなかった。皐月にはないとしか感じられなかったし、頭を撫でてくれる掌がとても温かくて優しかったから、司令官は本当にそう思っているんだと確信できた。


提督「相談してくれてありがとう。すぐに答えは出ないかもしれないけれど、考えような――俺と皐月で、一緒にだ。皆も巻き込んじまおうか?」

皐月「っ…………」

提督「ん」

皐月「う゛ん……」


 声が濁り、皐月の瞳にはまた涙が滲みそうになった。タバタ・プロトコルを失敗した時の悔しさとは違う、嬉しさに端を発する涙は、止められそうになかった。

 自分の頭に乗っている、節くれだった男の指から伝わる温かさが嬉しかった。この絶対的な安堵を与えてくれる掌が、皐月は好きだった。

 それでも、零れ落ちる寸前で、乱暴に袖で目元を拭った。今は泣くときじゃないと、そんな意地があった。


提督「よし、一個解決だ。じゃあ次な。集中したいって時だ。そもそも『集中しよう』とか、『集中しなきゃ駄目』とか思ってる時点で力みが入ってる。それはわかるよな?」

皐月「あっ、そ、そうか……前に座学で教わったっけ。ルーティンとか、ゾーンとか……集中に入る、技法」


 皐月もまた古参だ。そうした海戦で役立つ集中力の底上げや、それを発揮するための準備など、座学で一通り叩き込まれている。

587 ◆gBmENbmfgY:2019/12/22(日) 23:43:25 ID:5NNworRw

提督「皐月。君は俺の事を信じているか?」

皐月「う、うん! もちろんだよ、司令官!」

提督「んじゃ、少し付き合え――ロードバイク乗るぞ。ローラー台でだ。ただし――」


 指を立てて、提督は言う。


提督「今度は負荷をかけず、ゆっくり乗る」

皐月「え? それって、トレーニングじゃ……」

提督「有酸素レベルだからな。俺の筋トレ後のサイクリングに付き合ってくれ。皐月は好きに回していいよ。ただし丁寧にな」

皐月「わ、わかった! ボク、ロードバイク取ってくるね!」


 ぱたぱたと忙しない様子でロードバイクを取りに行く皐月は、まだ気づいていない。

 これが提督からの教導なのだと。

 バイクを二揃え。一つは提督のピナレロ・ドグマF8。並ぶのは皐月のロードバイク。


提督「俺の言葉をイメージしながら走れ。勝つイメージのプロセスの一例を、おまえに刷り込ませる」

皐月「わ、わかった! いつでもこい!」

588 ◆gBmENbmfgY:2019/12/22(日) 23:59:06 ID:5NNworRw

 皐月は自然と、目を閉じていた。体幹を意識し、両足の回転にのみ意識を費やす。

 ――思考にノイズが走る。こんなことをしてていいのだろうか。


皐月「し、司令官や皆と考える! 今はロードバイク!」

提督「お、いいぞ。その意気だ。次はこう考えろ」


 提督の言葉に耳を傾ける。これは簡単に集中できた。何を言ってくれるのだろう、何を教えてくれるのだろう、心の中にわくわくがいっぱいだ。


提督「まずは己のレベルを知れ。お前たちは今、ロードバイク乗りとしての練度は1だ。どいつもこいつも団栗の背比べよ」


 ――そうだ。みんな一緒なんだ。海戦の時とは違う。才能が有る無しは仕方ないことかもしれないけれど、始めた時期はそう変わらない。


提督「ロードバイクに勝つためのトレーニングは厳しい。今日のタバタ・プロコトルなんて序の口だ。アレを30分にわたって行うHIITだってある。

   それは想像するにも恐ろしくキツいだろう。勝利のためとはいえ、その前に凄まじい艱難を極め、乗り越えるために幾多の難渋を強いる」


 皐月の眉根が苦渋によって寄せられる。そんな苦しいトレーニングじゃ、とても達成できている自分をイメージできない。

 だけど、提督はどんどん言葉を紡ぐ。

589 ◆gBmENbmfgY:2019/12/23(月) 00:01:22 ID:1nwj.P5c

提督「しょうがねえさ。最初はちっぽけなもんだ。振り返ってみてみれば、なんのこたあない。あんなちっぽけなもんに自分は苦戦してたのか――――後になればそう思うさ」


 ――それは皐月がもう強くなっていくことをイメージさせてくれる言葉。


提督「でもな、思い返すべきはそこではない。そこについてきたモノこそが、原動力になる」


 ――思い返すこと。即ち実績。司令官に褒められた。旗艦の名取さんに褒めてもらえた。MVPを取った時。つまり敵をやっつけた時だ。

 この時、皐月の中からは『今それをすべきなのに、どうしてここでロードバイクに乗っているのか』という疑問は想起されなかった。
 

提督「思い返してみろ。海の上でも、陸の上でもどこでもいい。クリアできなかった課題をクリアできたときの達成感を」


 倒せなかった敵を倒せた。演習で勝った。お料理ができるようになった。将棋で勝った。

 次は――ロードバイクで勝つ。


提督「その時、褒めてくれた友達はいたか? 仲間はいたか? 憧れた者でもいい。部下でも上司でもいい。あるだろう、そんな思い出が。無い子はいない筈だ」


 ――ロードレースでは、それはまだいない。だけど勝てばきっと褒めてくれる。

 ――睦月型の姉や妹たち。艦娘の友達。名取さん。そして、司令官。

590 ◆gBmENbmfgY:2019/12/23(月) 00:01:58 ID:1nwj.P5c

提督「仲間たちと掴んだ勝利は、どんな気持ちだった?」


 あれは、あれは―――言葉にできなかった。あんなに嬉しくて、そのあまり疲れが完全にどこかへ消えていく心地だった。


提督「それを誇らしいと思えるなら、きっとそれはお前たちの中で黄金にも勝る宝だろうよ」


 ――そうだ、誇らしかった。ボクが頑張れば頑張るだけ、海は平和に近づいていくのが分かった。あんなに嬉しかったものはない。こんなにも頼もしい自信はない。


提督「悔しいこともあっただろう。辛いこともあっただろう。これからもある。今日かもしれない。明日かもしれない。だけど」


 ――ロードバイクにおける悔しい事、辛い事、それはわかる。練習だろう。毎日毎日乗り続ける。きっとしんどいものだろう。


提督「笑っていた時の記憶が多い方が、嬉しいよな。笑える記憶にしたいよな。だから今のうちにズルして備えちまおうぜ。レースやるって話は聞いただろう?」


 ――それでも、それに見合うものがあると信じて足を回す。


提督「お客さんもいっぱいくる。艦娘が陸上で、ロードバイクで走ったらどんなことになるのか――――好奇心で来る人もいる。応援に来てくれるファンだって来るぞ。知ってたか、おまえらには少なくないファンがいる」


 ――お客さん。外部の一般国民の人たちすら集めてのロードレース大会。

591 ◆gBmENbmfgY:2019/12/23(月) 00:03:35 ID:1nwj.P5c

提督「友達だって来てくれる。他の鎮守府にも、いくつか招待状を出した」


 ――容易くイメージできた。知っている艦娘達が大勢来てくれる。


提督「苦しいレースになるだろうか。いやいや、自分が大きく逃げ切って、大勝ちしてしまうかも」


 ――ああ、きっとそれはとても苦しい。悔しい思いを味わうかもしれない。あるいはとても楽しい気分になれるのかもしれない。皆を出し抜いて逃げなんて、とてもワクワクしてしまう。観客のみんなが、誰もがボクを見ている。


提督「だけど、やっぱり苦しいよな。そんな時に、声をかけてくれる。見知らぬ女性が、男性かもしれない、おじいさんやおばあさん、子供かもしれない」


 ――見える。コースの両脇に設置された仕切り板の向こうで、観客が叫んでる。その名前が、ボクのだったら、ボクの名前を呼んでくれるなら。


提督「口を大きく開けて、言ってくれるんですよ――――皐月、がんばれ、がんばって……って」


 ――ふと、力が入った。すっかりタバタ・プロトコルで腑抜けた両脚が、どんどん回転数とトルクを上げていく。そうしたかったからだ。まるで苦しくないからだ。

 何よりも――楽しかった。


提督「海の上じゃ、仲間同士で掛け合っていた言葉だろ。通信越しだったこともある。直接かけられる時は、曳航する時される時だ。それが、かけられる」

592 ◆gBmENbmfgY:2019/12/23(月) 00:05:51 ID:1nwj.P5c

 万雷の声が聞こえるのだ。島風と夕張がやり合った時の、数十倍もの言葉だ。


提督「嬉しい、だろうなあ。でももっと嬉しい声をかけてくれる――――ゴール前で」


 ――皐月のイメージは、像を結んだ。あっさりと想像できる。今自分が置かれている状況を正しい意味で幻覚し、その世界で――。


提督「そんな衆人環視の中で―――――この中の誰かがチャンピオンに……カンピオニッシモになる」

   チームレースじゃ、エースをゴール前へ送り出すアシストがいるだろう。その姿を見届けることができる位置にいるだろうか。いないのならば、歓声が答えを運んでくれるかもしれない」


 勝利する。駆逐艦・潜水艦で厄介なエースは限られている。その厄介な奴らのどんなちょっかいがあろうと、理想のボクはへっちゃらへーな飄々さで、彼女たちを出し抜く。そして――。


提督「接戦のスプリントか? 白熱のヒルクライムか? 怒涛の逃げ切り大勝利か? いやいや意外な結末に終わるかもしれない。己がその勝利を掴める時を、想え。ありったけの気持ちで想え――――」


 スプリントでも! ヒルクライムでも! 逃げ切りでも! ダウンヒルやアップダウンでだって!! ボクが勝つ! 勝ったら、それは――。
 

提督「勝った。勝ったぞ! 自分が! 自分のチームが! 勝った! 勝ったんだ!! ってな!」


 ――うれしい。うれしい! うれしい! こんなに、うれしいことはないと思えた!

593 ◆gBmENbmfgY:2019/12/23(月) 00:11:18 ID:1nwj.P5c

提督「……目を開けろ、皐月」

皐月「……はぁ、はぁ、はぁっ、はぁっ」

提督「――できたじゃねえか、タバタ」

皐月「はぁ、はぁ……は? え、え? あ、あれ……?」


 自転車から降りようとビンディングペダルを外した途端、身体から力が抜けた。そのまま引力に従うまま、皐月の身体はゆっくりとマットレスに頭から吸い込まれていき――。

 ――提督の両腕で、抱きとめられる。


皐月「し、しれぇ、か……ぼ、ボク……?」

提督「その感覚を覚えておけ。お前は今、タバタ・プロトコルを実施した。あっという間だったろ?」


 提督の話術に従っていたら、自然とペダルを回す速度が速くなり、時にゆっくりと回し、再び激しく―――皐月が気付いていないだけで、それは20秒×10秒×8セットの、タバタ・プロトコルだった。

 それを皐月は今度こそ見事に――達成していた。もちろん出力はガタ落ちしていた。でも持てる全てを『出し尽くした』のだ。


提督「――それが、集中だ」


 皐月だけはこの日――掟破りの二度目のタバタ・プロトコルに挑み、それを見事に達成した。

594 ◆gBmENbmfgY:2019/12/23(月) 00:21:00 ID:1nwj.P5c

提督「この世で最も得難く、そして心を躍らせるものの一つは、いつだって最高の勝利だ。堪らないだろ、今感じてる充足感は」

皐月「はぁっ、はぁっ、う、ぅん……そ、だ、ね、けほっ、けほ、これ、くせに、な、り……こほっ」

提督「ああ、まだ無理に喋んな。筋肉も疲弊してんだし、呼吸整ったらプロテイン飲め、ほら」

皐月「はぁっ、あ、ありが、と……はっ、はぁっ、ぐ、ごく……ッ!? げほっ、げっほ!!」

提督「呼吸整ったらって言っただろ? 落ち着け、皐月。ほら、口元拭くぞ。零れちまってる」

皐月「ご、ごめ、ん。で、でも、う、うれしくて、はぁ、ぜぇっ」


 心に満ちる炎。まだ燃料がそこにあった。

 尽きることなく燃え上がっている。

 心臓の音の高鳴りと同時に、熱く熱く全身に燃え広がりそうな気分だった。


皐月「司令官、ボ、ボク……悪い子、に、なっちゃ、った……?」

提督「――ハッ、何言ってやがる。皐月はいい子のままだ。いい子のままで――やってのけちまったな。凄いやつだぜ」

皐月「そ、そっか、あは、あははっ……ボク、嬉しい」


 ――ボクはきゅっと抱き留めてくれる司令官の首に抱き着いた。本当に嬉しかったのだ。

595以下、名無しが深夜にお送りします:2019/12/23(月) 22:53:16 ID:y00LOtAg
熱いじゃねぇか……!

596以下、名無しが深夜にお送りします:2019/12/23(月) 23:21:23 ID:vqxSdj1o
素晴らしいアツさ

597 ◆gBmENbmfgY:2019/12/24(火) 23:31:44 ID:jcHdMFYE
※今日明日(ヘタすりゃ明後日まで)は書き溜め中。
 比較にならんほど熱いヤツを。
 ストーブもヒーターもいらん奴を頑張ります

598以下、名無しが深夜にお送りします:2019/12/24(火) 23:42:09 ID:TxAfZSrc
待ってる

599以下、名無しが深夜にお送りします:2019/12/25(水) 01:03:53 ID:y48bl8x.
ロード提督(もはやロードバイク提督ですらなくLord提督)が規格外にストイック過ぎて、実家の老舗料亭に行ったらドーピングコンソメスープとか喰わされるんちゃうか疑惑ががが


正直、軽重問わず巡洋艦でタバタ失敗する面子はなかなか想像つかない
加古なんか失敗しそうだけど、初雪が達成してると途端にヤれそうに見えるから恐い
「典型的な『他人と競うタイプ』」の阿賀野はちょっと怪しいかもだが、むしろ長良への対抗意識を自覚したら捩じ伏せるくらいの馬力ありそう
那珂ちゃん・・・は無いな、此所の那珂ちゃんは那珂ちゃん=サンだから

600以下、名無しが深夜にお送りします:2020/01/19(日) 05:43:45 ID:mZ6Wicb2
待ってます

601 ◆gBmENbmfgY:2020/01/21(火) 23:09:56 ID:ML9/ZEiM

 見た目通りにか細く、弱々しい腕で縋りついてくる皐月の身体を抱き上げる。掌から伝わる運動の熱、吐息と共に上下する胸元、しっとりとした汗までもが熱い。

 苦しげに息を乱し、くったりと力の抜けた皐月の軽い体は、すんなりと持ち上がった。

 煽情的でさえある汗だくの肢体の熱さは湯殿のそれ、若い活力の漲る肌には張りがあった。そんな皐月を抱き上げる提督は、不埒とは程遠いことを考えていた。


提督(――ふむ。俺の言霊にずっぽりはまり込む子は他にも何人かはいた。司令部施設を用いた海戦においてだが……皐月はこれほど高い適応率は示さなかった筈。

   それは海戦ではなくレース――自身の勝利を空想する、イメージするという点において適性があるということ。

   ならば皐月、おまえは――)


 提督は確信する。

 ――皐月はチームレースにおけるエースが備えて然るべき勝利へのヴィジョンを持てるようになるかもしれない、と。


提督(文月や望月が向いていると思ったが、皐月も負けていないな。皐月は、勝利することをモチベーションにできる引き出しを得た。これでコイツに好敵手が出てくれば……楽しくなってきた)


 そんな乗り手になるのだろう。提督の最近の楽しみはそれだ。

 艦娘が新たに艦隊に加わるたびに、提督は喜びと期待で胸がわくわくした。その気持ちが、今度はロードバイクに乗る艦娘の数だけ同時にやってくる。

 酷く高揚した。提督はロードバイクが大好きで、艦娘達の事も大好きなのだ。彼女たちはそれぞれどんな乗り手を目指すのだろう。どんなレースを見せてくれるのだろう。

 個人では? チームでは? ステージレースでは? 時にはロングライドもいいだろう。シクロクロスも悪くない。

602以下、名無しが深夜にお送りします:2020/01/27(月) 22:05:22 ID:gpl.IXiE
きたー( ・∇・)

603 ◆gBmENbmfgY:2020/02/02(日) 23:57:44 ID:fwcE2siY

 そんな折だ。


 ――司令官は、立派だもの。なんだってできる人だもの。


 ふとそんな言葉が脳裏をよぎる。イムヤに言われた言葉だ。イムヤだけではない。二十年に満たない人生の中で、似たような言葉を聞いた。

 時に称賛として。

 時に嫉妬として。

 時に怨嗟として。

 時に憎悪として。

 時に嫌味として。

 言われ続けてきた。そんな人生を送って来た。出来ない事なんてなかった。


提督(なんでもできるってことはな、イムヤ。なんにもできないことと同じだよ)


 その未知の最高峰に立つ人間には勝てないということだ。それ一辺倒にやってきた人には絶対に勝てないのだ。

 それでも勝てたとしたら、それは最初から底の浅いものだったのだろう。才能で努力を覆してしまえる程度のものなのだろう。

 だから提督は選んだのだ。

604 ◆gBmENbmfgY:2020/02/03(月) 00:00:55 ID:RuHXJyBE

 なんでもできる彼が、何か一つだけは『誰よりも』できるようになりたいと。

 深海棲艦の侵攻により、提督は『誰よりも』を一つ手に入れた。

 ――司令官としての能力だ。

 では、次は?


提督(――ロードバイクにも、才能というものはある。あらゆるスポーツには全てあると言っても過言ではない)


 提督は見たかった。才能の輝きに惹かれている一方で、才無き者たちがどこまでやってくれるのか。

 ロードバイク――ロードレースは過酷なスポーツだ。それに参加することは、時に楽しみを奪ってしまう。神通が朝潮に対し危惧していたことがまさにそれだった。

 一踏みで軽く進んでいく自転車への高揚を楽しむ余地は、そこにはない。

 移り変わる風景を眺める暇はない。困難な坂道を駆けあがった後の達成感もない。

 心地よい風や、時に障害となる風を感じて、時にはしゃぎ、時に悲鳴を上げて、しかしそこにいる誰かと笑いながら走る――そんな潤いはない。


 ――勝利のために、走るからだ。


 定められた食事制限。ステージレースともなれば日に日に体力と共に体重が落ちていく。それでも食べねば走れない。娯楽と化した食事は、機械的な栄養摂取の場に成り代わる。

 好きなものを好きな時に食べられない。これまでは好きなことをできていた余暇の時間を、ロードレースの練習や勉強が埋めてしまう。

605 ◆gBmENbmfgY:2020/02/03(月) 00:06:37 ID:RuHXJyBE

 練習に次ぐ練習。好きな分野、得意な分野のみならず、苦手な走り方、苦痛に感じるコース、全てを走り続ける。

 辛く、苦しく、もう嫌だと思う――それでも走る。その果てにある栄光を信じてだ。

 ロードバイクはまさに『努力が結果に反映しやすい』スポーツなのだ。努力が報われてくれる。素晴らしいことだと提督は思う。その一方で――。


提督(皮肉なことに、俺の大好きなあいつらには、頑張る奴らしかいない)


 個人レースの頂点に立つ者は一人。チームレースでは1チーム。

 スプリント賞はある。山岳賞もある。敢闘賞や、新たに着任した艦娘達がロードレースに興味を示し、その身を投じていくのならば、新人賞も用意されるのだろう。

 しかしその枠は限られている。涙の味を知るものは出てくる。何度大会を開催するだろう。十回だろうか、それとも百回だろうか。

 その全てで負け続ける者は、きっと出てくる。

 それでも、と提督は思った。


提督(俺の想定を覆す偉大な結果を、俺の予想を凌駕する見事な成長を、俺の期待を上回る灼熱のレースを。

   それを見せてくれないかと、見せて欲しいと、願う自分がいる)


 きっとこれは己のエゴなのだろうと提督は思った。レースの楽しさを知って欲しいと思う一方で、負けて泣き出す子の顔を見たくはない。

606 ◆B2mIQalgXs:2020/03/10(火) 23:19:25 ID:mIVCJMso

 これが艦隊戦ならば、敵が深海棲艦ならば。

 何が何でも勝つという気概を持って、出来ることをやればよかった。

 勝利を目指せばいい。

 全ての艦娘に共通する勝利だ。目指す場所は同じで、辿り着く場所は一つだ。

 艦隊の勝利は全員の勝利。

 だが今回の勝利は、得られる枠がひとつっきりだ。


提督(我ながら度し難い。俺が長良に告げた言葉がそっくりそのまま俺を呪っている)


 『俺は、司令官だからな』

 ――提督は、誰も贔屓することができない。

 レースに出場するならば、もう全員が平等なのだ。海戦とは違う。最前線には最前線の、突撃部隊には突撃部隊への、支援艦隊には支援艦隊への、それに応じた指示を出せる。

 ――提督は、誰も助けることができない。

 艦娘達が日常を送る上での労働シフトも各々が異なる。即ち練習時間や、練習する相手の質や量にも差が出てくる。

 この合宿一つとってもそうだった。初日から七日間通しで参加できる艦娘もいれば、途中から参加する者もいる。隔日参加する者もいる。

 ――提督は、誰も平等に接することができない。

607 ◆gBmENbmfgY:2020/03/10(火) 23:26:59 ID:mIVCJMso

提督(皐月が俺に直接聞きに来たのは、まァ……セーフと言えるか。せめて多くの気づきの機会を与えてやりたい)


 艦娘が求めるならば、提督は己の持つ全てを授けるつもりでいる。

 新人も古参も区別なくだ。ロードバイクの基本的なテクニックから、レースでの戦略・戦術、ちょっとした戦法に至るまで、その何もかもを。

 ――提督に教わってなかったから負けた。

 そう謗られることを覚悟の上で。


提督「……」

皐月「……? 司令官?」


 思案に耽る様子に気付いたか、訝し気に腕の中で声を上げる皐月に、提督は「なんでもないよ」とかぶりを振った。

 皐月の呼吸が整ったことを確認して、彼女の身体をゆっくりと床に降ろす。


提督「――間を置かずに励め、皐月。レースする時には、カッコイイとこ見せてくれよな」

皐月「う、うん!! 了解だよ!」


 快活に笑って敬礼する彼女の金糸の髪を撫でつけながら、提督は微笑んだ。

608 ◆gBmENbmfgY:2020/03/10(火) 23:40:29 ID:mIVCJMso

 一方その頃、その日にタバタに参加していなかった艦娘達が何をしていたかと言えば――提督の指示のもと、鳳翔に率いられ、とある山岳にいた。

 クライマーやパンチャー脚質の艦娘や、アップダウンの対応力をつけたい子たち、そして一部問題を抱えてた艦娘――主に体重的な意味でだが全員がダイエット成功している――を連れて、彼女は近所の初心者向けの峠にいる。


大和「」

赤城「」

蒼龍「」

翔鶴「」

高雄「」

摩耶「」

鈴谷「」

羽黒「」

望月「」

初雪「」


 死屍累々の有様であった。

 誰もが『酸素を下さい』って顔で疲労困憊の極致にある。

609 ◆gBmENbmfgY:2020/03/10(火) 23:55:41 ID:mIVCJMso

 彼女たちはこそこそダイエット生活を送ることで、元通りのカタログスペックを取り戻した。へっこんだ腹部に喜ぶ彼女たち。


高雄『これで提督の前に出れますよ!』

摩耶『やったな姉貴!』

初雪(あっ)

望月(おい馬鹿やめろ)


 ――だがそれが逆に提督の逆鱗に触れた!

 そう、結局のところ太ったことがバレたのだ。自主的に申し出てくるならまだしもこっそりと己が怠惰だったことの事実を脂肪ごと消滅させようとしたことが提督の勘気に触れたのである。

 軍人のみならず艦娘とて体が資本。まして最古参から古参揃いだったことが提督の怒りを加速させた。それはそれ、これはこれである。

 怠惰に日常を過ごし、腹に慢心を抱え込んだ事実は消えることはない。

 かくして鳳翔に命じての特別トレーニングと相成った。

 なお阿賀野は翌日のタバタ参加予定のため、不参加だ。ホッと安心する阿賀野だったが提督がそんな逃げ道を赦すはずもなく、後日マンツーマン指導が待っている。


武蔵「…………」


 時間はおよそ2時間ほどさかのぼる――アップダウンの対応力を身に付けたい艦娘の一人――同伴する武蔵の顔色は極めて悪かった。

610 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:10:03 ID:MMem8xpE

 はしゃいでいるのは中堅どころの艦娘ぐらいである。武蔵を始めとする古参や最古参の顔色は極めて悪い。まるで厳冬期に屋外で放置された腐れ芋の如しである。

 顔色が悪い理由、それはもちろん―――この先頭を曳く存在である。


鳳翔「もうすぐ提督指定の坂道に着きますよ」

龍驤「せやな」


 鳳翔と、龍驤――もう嫌な予感しかしなかった。ここで嫌な予感を覚えない奴は古参じゃない。もしくは長良とか鬼怒とか島風とかだ。

 なお軽空母は脚質問わず強制参加であった。瑞鳳は「ぴよぴよ」とひよこみたいに鳴いて現実逃避していたし、祥鳳は「このロードバイクジャージ、露出が多くて派手じゃないかしら」とトチ狂ったことをほざく有様。

 隼鷹はいつも通り「うひひ」とか「うへへ」とか呟いててとても隼鷹だったし、飛鷹もまたいつも通りしっかりと遺書をしたためてからトレーニングに参加するという念の入れよう。

 千歳と千代田は初夏の陽気で青々と高い空を眺めては「あの空にかかる虹の向こうでまた会いましょう」「うん、千歳お姉」とかやたら私的なことをのたまっている。虹はどこにもかかっていない。

 春日丸は「よいしょ、よいしょ」とペダルをこいでいる。まだ立ちごけが怖いのかビンディングではなくフラットペダルだ。一生懸命であった。

 かくして辿り着いた山岳――斜面の手前で停車した彼女たちは、一様にその坂を見上げ、絶望した。

 前日に現地で指示を出した提督曰く。


提督『――――この激坂(笑)を登って降ってを繰り返しだ。なあに――ほんの勾配12〜15%をたったの800mだ』

鳳翔『なるほど』

611 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:12:25 ID:MMem8xpE

 悪魔のような顔をした提督がいたという。


鳳翔「この坂を登って下さい。そうですね、7割から9割ほどの力です。ええっと、え、『えふてーぴー』換算です」

赤城(かたこと!)

加賀(相変わらず、なんとお可愛らしい方……! ですが仰る内容が鬼のそれ)


 ――FTPとは!

 Functional Threshold Powerの略称であり、ペダリングパワーの一つの指数である。

 その数値は「1時間維持できる限界出力」を示し、その数値はW(ワット)数で記される。

 これは絶対的な数値ではない。というのも数値が高いからといって一概に凄いと言えるものではないのだ。高いほど良いのは間違いないが、この数値は乗り手の体重によって大したものではないものに成り下がる。

 例えば体重50kgの乗り手が出す400w。

 例えば体重70kgの乗り手が出す550w。

 さて、凄いのはどちらか? それを測るにはwをkgで割ればいい。

 前者は8.0w/kg。後者は7.85w/kg。つまり1kg当たりの重量に対する出力比が高い前者の方が速く走れることになる。

 ピンと来ない方もいると思われるので補足しよう。

612 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:16:41 ID:MMem8xpE

 FTPとは! 「意識がなくなる寸前くらいのギリッギリの限界パワー」で! 「1時間ペダルを回し続けた時」の! 平均パワーであるッ!!

 鳳翔さんはそれを7割から9割出せとの仰せだ。提督の指示とはいえこれはひどい。

 そして続く鳳翔のアナウンスを聞いた艦娘達の顔は一様に引き攣ることになる。


武蔵「ど、どれぐらい走ればいいのかな、鳳翔さん?」

鳳翔「そうですね。2時間程度でいいでしょう」

武蔵(死んだ)


 武蔵は遺書をしたためてこなかったことを酷く後悔した。


赤城(一航戦だって死にます)

加賀(死は免れません)


 赤城と加賀も、各々の微笑と鉄面皮が崩壊気味であった。


鳳翔「だ、大丈夫です。私も坂道はとても苦手ですが、がんばりますからね! それに今日は帰ったら腕を揮いますから――美味しいご飯がみんなを待っていますよ!」


 むんっ! と力こぶを作るポーズで微笑む鳳翔の姿がそこにあった。

613 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:21:22 ID:MMem8xpE

加賀(だからこそ死ぬのです。終わったわね)


 ――鳳翔は、坂がめっぽう苦手であった。その鳳翔が死ぬほど頑張るのである。古参にとっては死の宣告に等しい。

 「鳳翔さんが頑張ってるのに、自分は頑張らないのか?」

 そう問いかけられているようなもので――できる訳がなかった。酷い人質作戦もあったものである。提督の思惑通りであった。

 頑張らないとかクソだと思った。そんな不届き千万な艦娘がいたら武蔵が手ずから海の藻屑にするだろう。否、武蔵が手を下すまでもなく、おそらくは――。


龍驤「なんや? なんか文句でもあるんか……おどれら……司令官の命令で指示出しとるウチと鳳翔に……つまり売っとるんか……司令官と、ウチに」


 付き合いの長い軽空母達は言わずもがな――その場にいる艦娘の誰もが、明らかに龍驤の雰囲気が変わったことに気付く。


龍鳳「い、いえいえ、滅相もありません。質問がありまして、よろしいでしょうか」

龍驤「さよか。ええでええで、龍鳳! なんでも聞いてええんやで〜」


 コロコロと殺人鬼と美少女の顔を切り替える龍驤。

 鎮守府において鳳翔と並ぶ最古参であり。

 着任から現在に至るまで一貫して――最強の軽空母である。

614 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:36:03 ID:MMem8xpE

龍鳳「こ、このトレーニングの名前と、その目的を教えていただきたく」

龍驤「おお、説明したるでー! 鳳翔が!」

鳳翔「はい! こほん、それではご清聴下さい……トレーニングの名前はえ、えすえふあーるトレーニングです!」

赤城・加賀(尊い)


 一航戦が香ばしくなっているが説明は続く。


鳳翔「激坂を重いギアの高負荷で登ることで、高いトルクで回す能力を獲得するのが目的の『一つ』――と、提督は仰っていました」


提督『このトレーニングにはもう一つ狙いがある。

   呼吸器や循環器系、そしてスポーツにおいてエネルギー供給の要となる身体の代謝と分解能力の改善だ。

   正しく行うことで効率的かつ滑らかなペダリングスキルを身に付け、有酸素運動能力強化に大いに効果がある』


 提督に受けた事前説明を思い出しながら鳳翔が語り終えると、再び質問が上がる。蒼龍だ。


蒼龍「ちゅ、注意点や、その―――制限などはありますか?」

龍驤「あるで」

615 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:51:19 ID:MMem8xpE

赤城(あるんですかやっぱり)

加賀(あるのねやっぱり……)


龍驤「このトレーニングはいわば筋持久力トレーニング……低ケイデンスで重いギアを回すことが肝要や。故に速度の下限は問わん。

   ただし…………インナーローは禁止な♪ 最低でもミドル寄りで走れや」


※インナーロー:最も軽いギアの組み合わせ。フロントギアはアウター(重)・インナー(軽)、リアギアはトップ(重)・ロー(軽)で表記される。

 ミドル寄り:この場合「フロントをインナー、リアギアは11速の場合は4速から8速程度のギアを使用しろ」ということである。


瑞鳳「――ぴよ?」


 ――瑞鳳はクライマーである。そしてギア管理を走りの武器とするタイプだ。

 瑞鳳は、おそらくこの中で最も自転車の専門知識が薄い。だが、最もヒルクライムを知っている。坂道を登るのが大好きなのだ。彼女にとっては平地である。『なぜか自分以外が遅くなってしまう平地』なのだ。

 その彼女がインナーローを封じられる。


瑞鳳「……………ぴよ?」

 
 雛鳥を彷彿とさせる顔で硬直する瑞鳳であった。これがエンガノ沖で伝説を打ち建てた栄えある軽空母がしていい顔であろうか。

616 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:57:58 ID:MMem8xpE

 だが誰もそれを嗤わなかった。地獄オブ地獄の訓練で名高い一航戦・二航戦でさえ顔色が悪い。

 そして悟る――――あ、これって自転車を動かす筋力の徹底的な底上げが狙いだ、と。鳳翔が言ったとおりであるが、これは特に非力な奴を狙い打ちにしている。まさに坂道での基礎能力を身に付けるのにもうってつけであろう。

 ぶっちゃけSFRトレーニングとはそういうものである。

 ケイデンス40〜60程度でギリギリ回せるギアでひたすら坂を上り続けるという、想像するだけで地獄が垣間見える類の。

 なお提督は2時間を指定したが、これが完全に罠である。


提督『――2時間は無理だ。ケイデンス50〜60ならいいとこ1時間。ケイデンス40〜50程度だと、限界は40〜45分程度だと見ておけ』

鳳翔『? ではなぜ2時間を指定して……――ああ、そういうことですね』

提督『1時間真面目にやればブッ倒れる。武蔵や赤城、加賀……それに飛龍あたりはそれでもやりかねないから君たちで止めろ。根性云々の話じゃなく、膝への負担も大きいから絶対にやめさせるんだ。

   だが他の奴が1時間経過してもまだ走れるようならば、それは――』

龍驤『――サボッてたと判断してええってことやな?』


 日常の練習にも地雷を設置することに勤しむ提督である。これだから地獄鎮守府と陰で言われるのだ。

 かくして説明の後にトレーニングが開始し、冒頭の死屍累々へと至ったのである。

617 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 00:59:48 ID:MMem8xpE

 トレーニングが始まってすぐ、龍驤は思い出していた。


龍驤『なぁなぁキミぃ。これって前に教えてもらったタバタと何がちゃうん? 同じ全身フル稼働の筋トレちっくやん?』

提督『大いに違う。タバタプロトコルは短時間で限界のちょっと上まで『死ねよ』って勢いで急な追い込みかけることで心肺機能と筋力それぞれの上限値をアップさせるのが主な狙いだ。

   が、それを成すために試されるのは心根。

   なんせ本気で取り組んだら本当に死ぬ。こっちの方は少しばかり実戦志向が強めだ』

龍驤『? それって実走やからか? タバタは固定ローラーやもんね』

提督『まあそれもあるんだが、走ってるうちに、すぐ気づくよ……このトレーニングのコンセプトはな――『筋力を上げてトルクで走れ』だ』


 800m――――ロードバイクならばあっという間の距離だろう。全力で飛ばせば1分と掛からない。これが平地であれば。

 それが12%の坂道となれば話はまるで別物になる。


龍驤(た、たったの、800m……そのはず、そのはずや……いつもの、ウチなら、すいすいやぞ、こんなん……け、けど――――)


 ギア管理を制限されることがどれだけ恐ろしいか、それを龍驤は身をもって味わっていた。

 シンプルに『キツい』のだ。

618 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 01:15:46 ID:MMem8xpE

蒼龍(お、重ッ……重ッ、重ぉぉおおおおぉい!!!? し、しかもこの坂、後半にかけて14%に、徐々に、傾斜が、ましてるぅ……!?)


 それは蒼龍もまた同じだ。空母内では低身長、だがやや重めの彼女は、2〜5km/h程度の速度で、錆び付いた歯車のようにのろい動きで坂道を登っていく。


飛龍(すっごく、キツ……い! でも、その分、しっかりペダルを回せば、身に付く……高負荷での、回し方が……!)


 呼吸を乱しつつも、目的に沿ったスキルを身に付けんと意識を集中させるあたりが飛龍が飛龍たる所以である。逆境にあってこそその判断力、観察力が輝く艦娘であった。


加賀(ッ、もう、脚に来ましたか……呼吸も、乱れる。整えながら……速さは、いらないと、そう仰っていましたね。ならば、丁寧、にっ……)

赤城(エネルギーが、エネルギーが、枯渇していく……ほ、補給食を食べてもいいかと、事前に聞いておいて、良かった……)


 二人が取り出したるは間宮印の羊羹だ。もぐもぐして、クラスターデキストリンもたっぷり溶かしたBCAAドリンクもごくごくして、必死にペダルを回し続ける。

 1kgにも満たないボトルの重さすら今は恨めしいと思いながらも、適切な摂取量を心がける当たりは流石の一航戦であった。


武蔵(と、遠い……800mが……そ、それが……永久に思えるぐらい、遠い……と、遠ぉい……と、と……遠ォオオオオオオオオオオ!)

大和(死、死んじゃう、死んじゃうぅ……!!)


 大和・武蔵もびっくりの高負荷である。それでもギアを決して軽くしようとしないのは、連合艦隊旗艦を務めたものの意地か、戦艦としての誇りか、大和型としての自負か、或いはすべてか。

619 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 01:18:26 ID:MMem8xpE
※このSSの欠点はわかってるんだ

 酷く個人的なことになるんだけど、書くと乗りたくなるのよ

 だから深夜帯に書くわけなんだけど、日中に疲れ果ててるとどうにもこうにもならん

 遅い投下で本当に申し訳ないですが、エタるつもりはないので気長に待って楽しんで下されば本望

 早くレースさせてあげたいなあ

620以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/11(水) 09:47:52 ID:RlGjpQx2
乙乙
自分もここ見ると乗り行きたくなる
コロコロでシーズン初めのレースが中止になって寂しい…

621 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 22:52:43 ID:MMem8xpE

初雪(なん、で……初雪、と……望月、だけ……? きょ、今日はもう、タバタ、やってる、のに……き、きつい……だらけてたから、司令官、怒ってるんだ……)

望月(太ったの、隠してた、から、か……ち、ちきしょお……)


 先ほどのタバタ・プロトコルを走り切った中で、この二人だけは更に強制参加だ。提督の名指しである。

 寝正月を過ごしたことを悔やむ二人であったが、実はそれは不正解である。どっちにしろ二人は参加させられていただろう。

 この両名に共通している点がある。ロードレースにおいて、それは島風や雪風が今は持っていない武器になりうるのだ。


提督『ああそうそう――鳳翔、龍驤。初雪と望月には目をかけてやってくれるか』

龍驤『はいよー…………ん? 聞き間違いか? 目を『付ける』、じゃなくて? 目を『かける』?』

提督『聞き間違いじゃあない。目を『かけて』やれ。むしろよく観察してみろ……あの二人に自覚はないだろうが、以前ヒルクライムに同行した時、かなり面白いことをやっていた。

   特に鳳翔はよく見ておくといい。君の抱えている課題の解決策が見つかるかもしれん。クライマーの龍驤にとっても十分に参考に値するほどのことをやっているぞ』

龍驤『ふーん……? ようわからんけど、了解や。バッチシ目をかけとくで!』

鳳翔『は、はい…………?(クライマーとしては、確か特型では磯波ちゃん、睦月型では菊月ちゃんが実力を備えつつあると聞いていましたが……初雪ちゃんと、望月ちゃんを?)』

提督『まァ、タバタ・プロトコル後だからな……膝壊されても困るし、長くても30分程度で上がらせてやってくれ』


 提督の言葉通りだ。二人はまだ自覚していないだろうが、初雪と望月の両名は『休むことが上手い』のだ。

622 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:00:51 ID:MMem8xpE

 サボリ癖が……ないという意味ではないが、そうではない。

 力を最小限にとどめるための運動効率――即ち『課題の条件を満たしつつ手を抜く余地があれば必ずそこを見つけ出してサボる』――そんな能力が高いのだ。


鳳翔(…………!? これ、は)

龍驤(なんや、こいつら)


 鳳翔と龍驤は二人の後ろに位置取りし、その動きを観察していた。

 否、それはもはや観察というより――。


鳳翔(こ、これは……休んで、いる? この二人……!! 提示した条件を、きちんと満たしたまま! 休めている!? で、出来るのですか、こんな……?)

龍驤(…………う、巧い。何が上手いって――何もかも巧い)


 ――魅入っていた。

 坂道では、己の脚に嘘を付けない。かつて前述したとおりだ。常に己の体重とロードバイク自体の重量が重くのしかかる。鳳翔も龍驤もそれを知っている。まさに味わっている。

 だがそこで消耗する体力を温存する走り方というものはある。あるのだ。それを実践している者達が、目の前にいる。

 それをそうとは知らず実践している――初雪と望月。ひたすらに無駄を省く――即ち『疲れたくない』という欲求からだ。

623 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:02:55 ID:MMem8xpE

鳳翔(提督のペダリングとは違う。純粋なペダリングとしてならば、提督や赤城さん、加賀さん、神通ちゃんに比べればまだ粗がある。

   けれど……下死点における足の脱力を、ダンシング時もシッティング時も完璧に成し遂げています……二人ともが! これに限れば、神通ちゃんを超えているかも……?)

龍驤(つーかライン取りがメチャウマやなおどれら?! よぉ路面を見とるわ……路面のクラックはもちろん、アスファルトの僅かなギャップまで……きっちり躱しとる!?

   それでいて登坂のラインは最短、或いは最も傾斜が楽な場所を選んで……!? 上体を起こして、姿勢も斜面に合わせて変えとる……!)


 環境を認識し、最善を選ぶ――それは雪風の持つ『眼』と同じであったが、発想が違う。使い方が異なるのだ。そして最善に対する認識も違う。

 より速く己を頂上へ連れていくためにではなく、いかにして疲れないように最大を発揮するか。

 似ているようで違う。雪風のそれは残った体力・気力を全て使い潰すためだ。だが初雪と望月はそうではない。坂を登り切った後にまだ続いているコースを見据えているような走り方だった。

 山岳をゴールとするヒルクライムレースならば、雪風の走り方は正しい。

 だが、あくまでも山岳賞が狙いではない、その先にあるポイント賞や優勝を狙っていくレースであれば――。


鳳翔(この二人――化けますね)

龍驤(こんな走り方が、あったんか……!)


 二人は勘違いしていたが、まさに提督の言葉通り、鳳翔と龍驤は初雪と望月から学んでいた。

 何せこの二人は、今もなおサボろうとしている。

624 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:07:41 ID:MMem8xpE

初雪(うう、駄目だ。力任せで踏むと、つ、疲れる……踏み抜いちゃ、駄目だねこれ……クランクが0時〜3時のところできっちり力入れて、後はもうぷらーんとさせよう……こっちの方が、疲れない)

望月(うへぇ……足がプルプルしてきたぁ……サドルやハンドルに持たれちゃダメだこりゃ……足の使い方変えよ……上体起こそう……すーはーはー、すーはーはぁーーーーー……あー、少し整ったぞぅ)


 弟子に教わる、とは少し異なるが、鳳翔と龍驤は瞠目した。

 鳳翔はただ耐え忍ぶようにペダルを回し続けるだけだった。

 龍驤は本来の適正ギアに変えられないことに歯がゆい思いをしながら、同じく回していただけだった。


鳳翔(初雪ちゃんも、望月ちゃんも……今、まさに成長しようとしている……! タバタで消耗した二人を参加させると聞いたときはどうかと思いましたが、これが狙いだったのですね。

   そして私への提督の狙いも……二人のこれを見せるため! 私は、坂道が苦手です。こいでも回しても速度が出ない、耐え忍ぶだけの競技だと……こんな走り方があったのですか。

   この二人は、『疲れずにペダルを回す動作』を、知らず習得している……!! 私に足りないものを持っています……!!)

龍驤(やるやないか、この二人……サボリ常習犯の悪ガキどもとしか見とらんかったが……悔しいけど、見習わせてもらう! そんで盗ませてもらうで、そのスキル!!)


 二人の目に火が灯った。その視線を感じ取った初雪と望月は――げんなりとした。


初雪(う、うー……龍驤さんが、見てる……なんですか、初雪、サボりませんよ……? 信用無いのかな……司令官、初雪に、がっかりしちゃったのかな……帰ったら、ちゃんとごめんなさいしよう……許して、くれる、よね……?)

望月(な、なんだよぉ鳳翔さん……ちゃんとケイデンスも維持してるし、ギアだってミドル寄りでやってるじゃんかぁ……ただでさえしんどいのに、プレッシャーまでとか……ホントに司令官、怒ってんだな……嫌われたら、泣きそう)

625 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:24:17 ID:MMem8xpE

 なお帰った後に提督に謝ったところ、纏めてぎゅうと抱き締められて幸せいっぱいな顔する二人である。

 だが――提督にとって想定外だったのは。


武蔵(――成程、ああいう走り方が)

大和(取り入れましょう。艦種は違えど、序列も違えど―――彼女たちは私たちの、先輩なのですから)

赤城(加賀さん……あの子たちにできて、私たちにできないことはあってはいけません)

加賀(もちろんです、赤城さん――二航戦は無論、五航戦たちも日に日に練度を上げている……強くなるための糧は、全て喰らいつくしていきましょう)

蒼龍(あー、うん、なるほど…………なんだ、意外と簡単。最初からこうすれば良かったんだね……といってもキツいものはキツいけど、大分マシだ)

飛龍(ッ、私が辿り着いたやり方と、ほぼ同じ……!? いえ、二人の方が上手い……!?)

翔鶴(提示された条件の中で、やれることを探す……私は探していたでしょうか、あの二人のように――――今からでも、遅くはないわよね)


 意識の変化だった。


瑞鳳(そ、そっか……ペダリング改善が、目的なら……試さなきゃ、ね)

祥鳳(ええ、やりましょう……良き技術、素晴らしいやり方は、どんどん取り入れて糧とする――それが私たちの鎮守府の力。私たちの絆なんですから)

飛鷹(ふ、う……どうやら、あの二人のマネすれば、遺書は無駄になってくれるかもね……)

626 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:27:00 ID:MMem8xpE
       モン
隼鷹(いい技術もってんじゃねえのおチビども――あたしに寄越しな、ソレ)

高雄(馬鹿め、と言って差し上げますわ……今の私に。そしてそれでいいのよ、と言って差し上げます――これからの私に!)

摩耶(ガキどもより、頭漬かってねえのか私は……ああクソ、クソが! 頭来るぜ! 頭来るけど――あとで褒めてやるよ、初雪ェ! 望月ィ!!)

鈴谷(マジあり得ないし……この鈴谷が、あんなちびっこたちに教わるとか……頭切り替えてかないとダメだねこれは)

羽黒(すごい、すごい……二人とも、戦艦や空母の方々が出来なかったこと、出来てる……!! わ、私だって、やってみせます!)

千代田(あ、あー……なるほど、そういう。それじゃあ――いただきね!!)

千歳(凄いじゃない、あの二人……!!)

春日丸(へひ、はひぃっ……す、すごい。小さな子たちも、あんなに、がんばって……私も、がんばらなきゃ……がんばらなきゃ)


 武蔵も、大和も、そして他の重巡や空母・軽空母達も、この二人を見習いだしたことだろう。

 軍艦としての誇りとは、目下の者を軽んじることに非ず。むしろ正しく評価し、優れた技術を生み出したのならば諸手を挙げて称賛し、受け入れるべきことこそが大器であると認識している。

 提督がまさにそうだった。

 古参・最古参が多いこのメンツで、提督がそうして成長してきたのを、彼女たちは見ている。

 水雷戦隊の運用――駆逐艦や軽巡洋艦に分からないことがあれば積極的に質問し、疑問点を洗い出しては戦術に組み込む。

 空母機動部隊も、連合艦隊も、提督に問われなかった者は一人としていない。そして二度同じことを聞かれることは、一度たりともなかった。

627 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:33:12 ID:MMem8xpE

鳳翔(ふ、ふふ――私と貴女のお目付けは、最初からいなかったのかもしれませんね、龍驤さん)

龍驤(せやなぁ……そうかもしれん。んじゃまあ、このやり方を研ぎ澄ませて……行ってみよう!!)


 全員の瞳に火が灯る。いつだって駆逐艦の奮闘が、彼女たちの心に火を点けた。

 小さな体、短い射程、ちょこまかと動き回る敏捷性――だけどいつも不安だった。

 手の届かないところで、沈んでしまうかもしれない。あんな装甲で、敵の攻撃を耐えられるのか。

 そんな子が、今また頑張っている。


 ――――ここで燃えなきゃ、軍艦として恥だと。


 誰もがそう認識したのだ。

 そんなこんなで一時間が経過し――。


武蔵「ま、まだ、だァ……ごっ、ごの、むざじは、まだっ、い、いけるぞぉ……!!」

加賀「が、鎧袖、い、一触、よ……たかが、あと一時間程度……私ならばやれる。やれます……私は、一航戦……ここは、譲れません」

鳳翔(提督の予想通りに!?)

龍驤「はいはい、終わりやでー。最初にいた二時間はな――ウソや」

628 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:36:00 ID:MMem8xpE

 その龍驤の宣告に、一同は一瞬凍り付いたように押し黙る。

 そして叫ぶ。

 例の言葉をだ。



 ―――よくも騙したァアアアアアアアアアアア!!!



 その大咆哮は、峠の奥の奥まで、遠く遠く染み渡っていったそうな。



……
………

629 ◆gBmENbmfgY:2020/03/11(水) 23:38:25 ID:MMem8xpE
※提督は嘘をつかないと言ったな

 アレは嘘だ

 騙して悪いが、提督は地雷を設置するのが好きなのだ

 さて、いよいよ合宿初日が佳境。お食事の後は睡眠。

 二日目には、軽巡・重巡ら(一部不参加あり)のタバタ・プロトコルが開始です。

 ただし普通のタバタとはちょっと毛色が違います。そう、いつもいつも提督って奴が悪いんだ。

630以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/12(木) 00:45:53 ID:r0yaSN/w
乙。


あぁうん、全盛期くらいの時期ですら42-26なんて甘えたギアで登坂してたオレには耳が痛い

631以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/13(金) 00:26:19 ID:Q1Y.OFME
バイクに浮気してたけど、このスレ読んでると乗りたくなる……
足も細くなってきたし、さっさとフレーム組み終えて乗ろう

632 ◆gBmENbmfgY:2020/03/13(金) 00:43:41 ID:a0vO2vQc
………
……


 合宿一日目のプログラムは、日の入りと共に完遂された。

 座学においては大淀と明石主催による自転車の整備方法やパンク時の対応、レースにおける基本的なルールや特記事項の説明が行われた。


嵐『すぴすぴ、すやり……』

大淀『てい!』

嵐『ぁぅ』

まるゆ『明石さん、明石さん、まるゆ、シマニョーロという画期的ないいとこどりを考えて――』

明石『そぉい』

まるゆ『ぅゃっ』


 寝てる子や関係のない質問を飛ばす子には、容赦なく二人のチョークが飛んだ。時速120kmぐらいで。


白露『す、すいません大淀さん! 夕立が! ウチの夕立が!!』

時雨『ハンモック持ってきて堂々寝始めてるんだ……ごめんなさい。今日合宿があるのを楽しみにしすぎて、昨日はロクに寝付けなかったんだ……』

大淀『いい度胸してますねこの子……』

633 ◆gBmENbmfgY:2020/03/13(金) 00:45:28 ID:a0vO2vQc

夕立『ぽいちょむにゃむにゃ……ゆらゆらしちゃう……こいのとぅーふぉーいれぶん……よどさんはおに、あくま、きちくめがね……』

大淀(#^ω^)


 大淀のチョークは飛ばなかったが、チョークスリーパーに切り替わった。夕立が激痛で目覚めた後にオチる五秒前のことである。そんな問題があったが、それ以上の問題もあった。


夕張『マイクロロン処理について教えてください』

明石『ほう』

大淀『!?』


 明石がとある話題に食いついてしまったのだ。


大淀『そんなニッチかつ効果が本当に発揮できてるのか、発揮していたとしても実感できないレベルで微妙なものは後です』

夕張『な、なんてこと言うんですか大淀さん!!』

明石『そうですよ! メカニックの立場から言わせていただきますが、選手が乗る機材は少しでも良いものにしたいというこの工作艦魂を――』

大淀『時間外にやって下さい』

夕張『 (´・ω・`)そんなー』

明石『 (´・ω・`)そんなー』

634 ◆gBmENbmfgY:2020/03/13(金) 00:46:38 ID:a0vO2vQc

 大淀のメガネが光り出したあたりで、ようやく全員が真面目に座学に取り組むようになった。補給食を取るタイミングや、練習方法によっての諸注意など、説明しなければならないことは山ほどある。

 その一方、テクニックにおいては一部のバランス感覚に優れた艦娘が講師となって、実演形式で指導していた。


子日『子日うぃりー! Wheelieeeeeeeeeeeee!!!』

若葉『なるほど。これはカッコいい』

初春『惑わされるでない、若葉よ。アレはレースには必要ない技術じゃ。まさに無駄よ。無駄無駄、無駄無駄無駄無駄……』

子日『えー? でもレースで優勝してゴールした後にこれを披露できたら……』

初霜『か、カッコイイわ……!!』

初春『惑わされるなと言っておるーーーーッ!!』


 これぐらいはまだ可愛いものであり、スタンディングスティル(※)練習中に問題は起こった。

 ※スタンディングスティル:自転車のトリックの一つであり、自転車に乗った状態でペダルを回さず静止し、足を地面に着かずにバランスをキープする技である。

 レース技術というよりは、日常的な自転車活用法である。信号待ちなどで使える。そして使えるとカッコイイのだ。

 なおミスってコケると自転車に凄まじいダメージ、そして凄まじい恥ずかしさが同時にやってくる。

 格好悪い上に歩行者や車のスゴイ=メイワクになるので、いい子の提督たちは時間と場所と自らの自転車乗りとしてのスキルの分は弁えなよー!

 そんな練習中のことである。

635 ◆gBmENbmfgY:2020/03/13(金) 00:50:47 ID:a0vO2vQc

 練習用のバイクにまたがって必死にバランスを取り、よたつきながらも『お? コツが掴めてきた?』と口元に笑みが浮かび始めてきた加古の姿がある。

 そんな加古を卯月はキラキラした瞳で見つめている。卯月が懐く数少ない先輩艦娘の一人が加古であった。古鷹や夕張も好きである。その時、悲劇が起こった。


野分『ノワッチ!!』

加古『ぶっはwwwwwwwってうぉあああああ!?』

卯月『か、加古ーーーーっってぴょーーーwwwwwなんwwwだっwwwwぴょんwwwwそれwwwww』


 スタンディングスティル練習中に、いつかの陽炎型シェイクダウン時に開眼したノワッチ乗りが不意打ち気味にお披露目。爆笑した加古、そして加古のみならず被爆した艦娘たちは、尽く横倒しとなった。

 なお左右にマットを敷いての練習だ。大事はない。だが急に難易度が上がった。絶対に笑ってはいけないみたいな空気になってしまったのだ。


日向(耐えろ、堪えるんだ日向……瑞雲を、瑞雲の数を数えるんだ……瑞雲は幾多の海域を私と共に乗り越えてきた戦友……私に勇気を与えてくれる)


 そんな日向のところに、サドルの上に逆立ちしながら自転車を転がす舞風がいっきまーすぅ!!


舞風『あ、日向さん! 上手に乗れてますね。良いですよ、その調子その調子ぃ!』

日向『煽っているのか君は!? って、あっ』


 日向ー、アウトー。

636 ◆gBmENbmfgY:2020/03/13(金) 00:52:58 ID:a0vO2vQc

 マタツマラヌモノヲカイテシマッタ
 閑  話  休  題。

 各艦娘の課題に合わせた練習はつつがなく終了し、各々が大浴場へと向かっていく。

 各々が一日の汗を流しながら訓練の内容を共有し、反省点や得られたものを語り合う。

 以前は艦娘としてのトレーニング内容を語り合っていたが、この日ばかりは誰もがロードバイクのことだけを口にしている。

 一日の汚れを疲れと共に洗い流し、湯船につかり始めた頃には、そんな彼女たちの頭の中は『あるもの』一色になっていた。


 ――――ごはん!


三隈(体の中のグリコーゲンが枯渇しているような……全身の細胞が食べ物を欲しているような心地……ロードバイクに乗るときは少なからず感じていましたが、こんなに明確に食欲が出てきたのは久しぶりです)

古鷹(いっぱい動いたから、とてもお腹が空きましたね……提督にいっぱい補給食を頂いていきましたが、まだお腹空くなんて……あんなに食べたのに)


 ――鎮守府内では食が細い三隈や古鷹ですらそう思う。誰だってそう思う。


清霜「おなかすいたおなかすいたおなかすいたおなかすいた……御夕飯、なんだろう? お肉がいいなあ……」

霞「肉は……どうかしらね。プロのロードバイク選手を意識したメニューって言ってたし……あんまり脂っこいものは出ないと思うわよ?(食べたくないとは言ってない)」

637以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/13(金) 00:57:17 ID:oo31GyXU
ジャストインタイム乙

638以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/14(土) 08:08:20 ID:wB6YwwkE

>>613のRJちょっとリーゼントっぽくなってませんかね

639以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/14(土) 10:40:27 ID:IADL56pY
龍驤はお屋形様勢かな?
立会人やってそう

640以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/14(土) 14:49:59 ID:rHRMzmm2
>>633の夕立の寝言、由良さんも那珂ちゃんも四水戦旗艦だったか


チョークスリーパーがマトモに喉仏に入った時の痛みって独特だよね、デカい鈍痛というか

641 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:11:40 ID:sON9gTFc

隼鷹「ロードバイク選手が食う食事ねえ……? 糖質制限だとか脂乗ってるのはダメとか、無味乾燥なモンばっかりなんだろうなあ……今日はあたしらのグループ、メチャクチャ坂道走ったから肉が良いよ肉ぅー!」


 隼鷹が「それと酒」と言わない当たり、その飢餓っぷりは推して知れたものである。他の空母・軽空母も似たり寄ったりで、これからの夕食に各々が思いを馳せていた。

 何にしてもお腹いっぱい食べたいが、それすら叶うかすら分からない。不安げな者、食べられるなら大丈夫と空元気で笑う者、様々であった。

 そんな中、初月は――。


初月「ロードバイク選手が食べてる食事が出るんだろう? 知ってるぞ。僕は知ってるんだ……大丈夫。僕は秋月型だ。清貧なんてへっちゃらへーだ。が、頑張るずい!」


 一人湯船に肩までつかりながら決心を新たにする初月。その両隣では姉二人も神妙にうんうんと頷いた。



 ――が、その期待は大いに裏切られる。初月にとっては良い意味と、悪い意味の両方でだ。



……
………

642 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:12:49 ID:sON9gTFc
………
……


http://youtu.be/hpxWvYPgs1E

 かくして食堂へと場面は移る。

 ある艦娘はウキウキ気分で、ある艦娘はげんなりしながら、各々の歩みの軽重は異なっていた、が――彼女たちは忘れていた。

 提督がふるまう料理はハズレなしである、ということ。


提督「今日、鳳翔旗下でSFRトレーニングしたグループと、足柄旗下でスプリントトレーニングしたグループ、こっちの席に座りなさい。

   筋肉を酷使し、グリコーゲンも底をついているであろう諸君らは、これをモリモリ食べなさい。鳳翔も手伝ってくれた逸品揃いゾ」


 それはそれは見事な――料理の数々であったという。


足柄「あら」

清霜「わぁあっ!」

霞「え、嘘っ……!?」

島風「おぅっ!?」

三隈「えっ」

643 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:14:27 ID:sON9gTFc

 提督のスペシャリテは本日、このグループにふるまわれた。

 まずは鳳翔旗下・足柄旗下のグループのメニューである。

【肉・魚料理(選択制。もしくは両方も可能)】
・鳳翔特製〜蜂蜜酒の温製酔鶏(酔っ払い鶏)風〜
・ヒラメの蒸し焼き・提督特製豆腐ソース

【サラダ】
・キヌアサラダ〜インゲン水煮・アルファルファ・イチジク・オレンジ・メロンスライス添え〜

【メイン】
・サフランリゾットを用いたラグーとチーズのアランチーニ(シチリア・パレルモ風)

【デザート】
・ヨーグルト(+ハチミツとナッツ)


提督「筋肉酷使してきた自覚がある奴は、メインより肉・魚を食え。上質のたんぱく質でいっぱいだぞ! ミネラルやビタミンもだ!」

隼鷹「う、うぉおおおおお!? め、メッチャうまそう……!!?」

鳳翔「ふふ、腕によりをかけると言ったじゃないですか」


 かくしてお腹を空空均せた欠食艦娘達は、ほかほかの料理から上り立つ食欲誘る香気に誘われ、アッというまに夕食会は開始された。

644 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:17:21 ID:sON9gTFc

隼鷹「う、うめえ……やっべ、うめっ……このスープリ……じゃなかった、アランチーニ? 肉とチーズがゴロンゴロン入ってて、すげえ食い応えあるぅ……染みるぅ……でもグループでメニュ―違うのなんで?」

提督「トレーニングメニューが違うからだ。炭水化物は例外なく摂取してもらうが、筋肉酷使した奴にはタンパク質を多めに取ってもらう。

   足りない分はサプリメントやプロテインから補ってもらうが、なるべくちゃんとした食事でとってもらいたい」

霞「意外ね。ロードバイク選手用の料理っていうから、もっとパサついた鶏ささみに塩ゆでパスタにチーズだけ、みたいなのを想像してたわ」

提督「ステージレースで消耗しまくった選手はひたすら炭水化物でグリコーゲン貯めさせるけどな。お前らにはまだ早いよ」

清霜「このコロッケの中に入ってるお肉、すっごく柔らかくておいしい!!」

島風「うん! おいしいね! ちょっとご飯が少なめ? でも美味しい! いっぱい食べてもっと速くならなくっちゃ!」


 このグループに提供される食事は、PFCバランス的に言えば、たんぱく質を重点的に摂取させようという意図が丸わかりな献立であった。


提督「三隈も筋肉つけような」

三隈「が、がんばりますわ! いただきます!」

提督「おいしい?」

三隈「はい、とっても。疲れた身体に染みていくような優しいお味ですわ」


 本心からそう思っているのだろう。儚げなれど嬉しそうな笑みに、提督も満足げに頷く。ならばよし、と。

645 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:20:29 ID:sON9gTFc

提督「さて、本日タバタ参加後に座学、もしくはスケジュール関係上、座学しか参加してない、或いはその後のテクニック講座以外の運動はしてない子達――それと参加してなかったとしても、戦艦はこっちだ」

【肉料理(一択)】
・提督特製〜温製鶏むね肉のトマト生姜煮〜

【サラダ】
・キヌアサラダ〜インゲン水煮・アルファルファ・イチジク・オレンジ・メロンスライス添え〜

【メイン】
・ラグーソース(牛肉のワイン煮込み)かけパスタ

【デザート】
・ヨーグルト(+ハチミツとナッツ)


 選択肢が一部異なる。というかない。一択だ。これに疑問の声を上げるのは、戦艦達である。


伊勢「…………白米、は?」

提督「おまえたちはおパスタ食べろ」

武蔵「あっちの連中が食べてる、ライスコロッケ……アランチーニは?」

提督「ねえよ? 消費カロリー差だ。大体だな武蔵ちゃん、お米は朝とお昼に食べたでしょ?」

武蔵「私をボケ老人の如き扱いするな! 炭水化物!! よこせ!!」

提督「あるだろ? ジャガイモ、パスタ、キヌア(※)が。好きなの選べよ」

646 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:22:27 ID:sON9gTFc

大和「こ、米、は……?」

提督「戦艦をこっち呼んだ理由がそれだ――おまえら、米食いすぎだ。朝と昼にな。だからダメ。炭水化物欲しいならキヌアサラダ食え!! たっぷりとな!!」


 ※キヌア:ヒユ科アカザ亜科アカザ属の可食植物。粟(あわ)や稗(ひえ)と同じ雑穀に分類される。

  インカ帝国の時代から存在している食物であり、『チソヤ・ママ』と呼ばれる神聖な食べ物であったという。ママーーーーッ!

  炭水化物を多く含むが、特筆すべきはタンパク質含有量である。なんとおよそ14%。極めて粘性の高いでんぷん質を豊富に含んでいる。粉末にして麺に打ち込むとコシのある麺が作れるゾ。


提督「本日の武蔵の運動量と食事のタイミング、食べた内容、そして補給食の内容……総摂取量から逆算して――食べていいのはこの中からだ。コレ以外はダメ。武蔵は炭水化物取りすぎなので、本来は朝昼でリミットです」

武蔵「パスタはいいのか……? なんで米は、ないんだ……?」

提督「パスタはいいんだよ。白米に比べて血糖値上がりづらいから。武蔵の場合、米は駄目」

武蔵(その白米がないのが痛いんだよぉ……!!)


 戦後、食の欧米化が急速に進んだとされる日本にあって、当然のように武蔵はお米派だった。

 そこに不満がある子は一定数いた。今後は朝昼は好きにお米食べてもいいが、夜は米なしという風に、だんだんと切り替わっていくだろう。金曜のカレー曜日だけは例外的なチートディ扱いだ。

 その説明が終わると、艦娘の多くが納得し、それを受け入れた。まあロードバイクで速くなるためなら文句はないという風に。

 ――だが、一部の例外はいる。その不安要素は――初月だったのだが。

647 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:24:34 ID:sON9gTFc

初月(…………? 戦時の一汁一菜すらままならなかった頃に比べれば、十二分に贅沢では?

   …………あ、あれ? 最初は凄く嫌だったけれど、このラインナップなら僕は全然耐えられるが?)


 ――秋月型や雲龍型。何故か彼女たちは個体ごとにある程度の差はあれど、質素倹約が建造・ドロップ時から染みついている。本来なら特型駆逐艦の方が、史実の建造時には世界恐慌とモロに衝突していたため、よほど清貧を強いられていたはずなのにだ。

 艦娘として生を受け、現代の食事事情に一種のジェネレーションギャップというか、カルチャー的ショックを受けることはあれど、質素であることをさほど苦痛と思わないのである。

 そんな不思議な認識の相違があった。

 具体例を挙げるとすれば――初月にとっての粗食とは、後述のような献立のことを言うのだ。


・ふかした吹雪


 以上である。芋である。芋とは吹雪だ。それをふかすんだから戦争ってのは地獄だぜフゥーハハー。

 仮に「今日の夕食はこれだけだよ?」と提督ににこやかに言われて吹雪(芋)を差し出されたならば、大半の艦娘は「提督は私たちの事が嫌いになったんだあ……!!」と悲観に暮れ、芋(吹雪)はふくれっ面を晒して怒るだろうが、少なくとも初月は違う――食べられるものがあるならそれでヨシ! ってな具合である。

 これで満足できないなら「よし魚を釣ってこよう」って発想になるのが彼女だ。後に着任する涼月は自給自足が板についており、家庭菜園――と呼ぶには規模がでかすぎる――を営む山雲あたりとは、姉妹ともども仲良しになるのはまた別の話である。


 さて――得意料理が麦飯に沢庵、芋の味噌汁の初月。カレーや牛缶をこの上ない贅沢品と言う。


 現代人にはピンとこないかもしれないが、当時の日本は戦争云々以前に、その日の食事に困る人間は一定数以上いた。

648 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:25:57 ID:sON9gTFc

 戦時中の食糧難の時代は、食糧や調味料が配給制。麦ごはん(米が入っているとは言っていない)が基本である。おかずに使われる食材も品目が乏しい。

 米の代用食としてさつまいも(吹雪)・じゃがいも(吹雪)・水団(すいとん)・草殻・もち草・柏の葉・サトイモ(吹雪)・かぼちゃ――の、葉や茎まで食べるという有様だ。吹雪と吹雪と吹雪が被ってしまった。

 農家であっても米なんかない。政府から供出制度(簡単に言えば米は全部買い上げますよっていう話し。なお強制である)により、軍隊に全部持っていかれるのだ。

 農家以外の家庭も十分な米の配給を受けられない、極めて深刻かつ絶望的な食糧不足の時代である。「お米食べろ? その米がねェんだよ!! 政府が強権揮って持ってくから!!」という有様だ。

 そんな食事がフツーであった。ただしこれは民間人の話であり、軍は除く。これで暴動が起きないどころか、戦時中の民間人は「贅沢は敵だ」なんて言ってるのだから、当時の日本の末期的状況は推して知るべしであろう。

 ――さて、何故かそんな民間の食事事情が何故か記憶に染み付いている秋月型である。

 そら着任当初、初月が提督に提供された料理を食べた時に「こんなうまいものはこの世にない」と言って泣き出すわけである。

 着任から半年が過ぎた初月は、この米のない夕食に耐えられるのかと言えば――。

 
初月(思ってたよりおいしい……この肉の入ったパスタ、すごくおいしい。パスタも見たことない形状……きしめん? に似てる? 未知の味と食感だ……僕、これ好き……好きぃ……♪

   ワインもついてくるのか……1杯だけならいいって言ってたけど、僕はいらないな)


 ワリと余裕であった。幸せいっぱいにラグー(牛赤身肉の煮込み)ソースがかかったパスタを頬張る初月であった。チーズもたっぷりかけちゃうのだ。付け合わせのブロッコリーやサラダもたっぷり食べる。

 頭頂部の髪の房は、朝と同じようにぴこぴこと左右に揺れている。

 少し話は脱線するが、初月の好きな男性のタイプは料理上手な人である。かつ大人だったら最高。理想がほのぼのしているが、提督のせいでかなりハードル高くなっていることに本人は気付いていない。

 何にしても、この料理は初月にとって嬉しい誤算だった。未知の美味なる料理――照月にとってはモチベーションを上げるだけのものだった。

649 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:30:02 ID:sON9gTFc

初月「なんだ――これなら僕、全然頑張れるぞ! なあ、姉さんたち――」

秋月「…………」

照月「…………」

初月「? 姉さん? どうしたんだ、そんな辛そうな顔で料理を見て……!?」


 そう、誤算があったとすれば、初月ではない。

 秋月型の――二人の、姉。


https://youtu.be/BIZ-4jUJLk8?t=54

秋月「…………おこめが、食べたいです」

照月「今日は味の濃いものをおかずに、お米が食べたかったなあ……」

初月「!? ね、ねえさん、たち……!?」


 【提督って奴のせいで】悲報――たらふく食べさせた結果がこれだよ【とっくに舌が堕落しているんだッッ】

 そう――姉二人の方が、着任してからの期間が長いため、贅沢品に対する耐性が無くなっていた。

 何せ照月の着任日の時点で、初月の着任日からは一年以上の差がある。秋月に至ってはほぼ丸二年の差……!!

650 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:32:22 ID:sON9gTFc

 二人の記憶に呼び起こされるのは、着任した当初から今日に至るまで、提督からふるまわれた料理の数々――春、夏、秋、冬、季節折々の旬の素材を使った料理の数々。初月はまだ着任半年で、初冬から初夏にかけての料理しか知らない。この差はデカい。

 秋月が秘書艦研修に初参加する日――その朝の出来事である。

 顔合わせこそ済んでいたが、食事を通して為人を知ろうと、食堂で鶴姉妹らも含めて朝食を共にした時であった。


秋月『え!? 今日は秋月も銀シャリ(白米)食べていいんですか!?』

提督『きょ、今日『は』って何……?』

秋月『…………? 私が秘書艦としてお勤めする初日だから、お祝いというわけではないのですか?』

提督『え? あ、あのさ君……着任したの、四日前だよね? なんか酷い苛めでも受けてんの……? それまでメシどうしてた……?』

秋月『? いえ、普通に食堂で麦と菜っ葉と沢庵を配給していただいていましたが』

提督『は?』


 ――この時期の秋月は、食堂で好きなものを注文できると知らなかった。秋月にとって食堂とは配給場所である。

 周りの艦娘らがどんなに美味しそうなものを食べていようと、「彼女たちが贅沢品を食べているのは何か特別な日か、もしくは大きな戦果を上げた優秀な艦娘なのでしょう」ぐらいにしか思っていなかった。

 なお着任した秋月に鎮守府内施設の案内をしたのは、立候補した鶴姉妹である。

 自然、提督の殺意は二人に飛んだ。

651 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:35:22 ID:sON9gTFc

提督『おい、翔鶴……』

翔鶴『ど、どうしてそんな目で私を見るんですか、提督!? ち、違いますよ……! わ、私も瑞鶴も、ちゃんと説明しました! し、しました! 本当ですぅ!!』

提督『ほんとぉ? ほんとにぃ? おい、二人とも――俺の目を見ろ』

瑞鶴『そこでなんで私に殺気込めた目を向けんの!? ち、違うからね!? なんかこの子、よくわかんないんだけど無駄に清貧気質なのよ!? 自炊もできるっていうから任せてたんだけど、進んでお昼におにぎりと沢庵だけを美味しそうに食べてるの! ほ、本当よ!?』

提督『なにそれ可哀想……あ、あのな、秋月? 別に毎日、白米食べていいんだよ? おかずもね? 度が過ぎる偏食さえなければ、好きなものをしっかり食べて、しっかりトレーニングして、しっかり眠って英気を養っていいんだぞ?』

秋月『え……? す、好きなもの、を……? だって、配給制だから……あ、あれ? そういえば配給おねがいしますって鳳翔さんにお願いしたら、不思議そうな顔をされて、何を食べますかって……え? だから、秋月、たくあんと、麦飯を……麦飯、白米が多めに入ってて、鳳翔さんって優しい人なんだなあって……』


 後に事情を知った鳳翔がほろりと泣き崩れ、秋月に美味しい料理をふるまったのは言うまでもない。


翔鶴『!? そ、そうよ? いえ、違うのよ!? ごめんなさい、私たちの説明が足りなかったみたい……! あのね、秋月――食堂ではね、好きなお料理や定食を頼んでいいの。御品書きにあるものはなんだって頼んでいいのよ?』

秋月『え? あれは高級士官や大活躍をした艦娘、そして空母や戦艦たちのための特別な御品書きではなかったのですか?』

瑞鶴『そんなわけないでしょッッッ!? 艦娘だろうと憲兵だろうと、それこそあんたの言う高級士官だろうと、あそこにある御品書きは好きなもの注文して食べていいのよ!?』

秋月『!?』


 信じられないことを聞いたという目で秋月は提督を見た。鶴姉妹の言葉を疑っているわけではないのだろう。だがそれは秋月にとってあまりにも衝撃的すぎて、現実味がなかったのだ。

 提督は、静かに頷いた。

652 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:41:03 ID:sON9gTFc

秋月『ッ、ッ〜〜〜〜〜!! し、司令、ぢれぇ……!!』

提督(な、泣いてる……!? たんとお食べ……?)


 提督の焼いた一夜干し縞ホッケは肉厚で、脂と旨味たっぷりだった。焼き加減も絶妙で、外はカリッ、中はフワトロ、かつ味わいは期待通りのジューシィさ。噛み締めるほど塩気と共にグルタミン酸が染み出してくるようだった。

 添えられた大根おろしもまたたっぷりだ。贅沢に――贅沢に!――醤油を垂らして味の変化だってできるし、吹雪たっぷりの御味噌汁までついてきて、何よりご飯と吹雪汁はお代わりだってできる! 当たり前だ!

 ほろほろのホッケの切り身を咀嚼しながら熱々のご飯を頬張ると、味の奔流が口の中で爆発した。やがてそれは収束し、後にはとろけるような旨みが噛み締めたご飯の甘味と混然一体となって、舌に残るものはもはや幸せだけになる。

 秋月の瞳からは笑顔のままに涙がとめどなくあふれてきた。

 秋月は『お腹がいっぱいということはなんと幸せなことなんだろう』と思った。この食事事情を護るために、秋月は護国魂を燃やした。護らねば、このご飯を。

 後に『魔弾の射手』とか『マリアナ沖の守護天使』とか『防空女帝』とか『五航戦最強の盾』とか称される最強の防空駆逐艦――海軍駆逐艦ランキング七位・『覇天』の秋月。

 その強さの原動力が美味しいご飯だったなどと誰が知るだろう――鎮守府の古参はワリと知ってる。

653 ◆gBmENbmfgY:2020/03/15(日) 23:42:50 ID:sON9gTFc
※秋月型ったら、また泣きながらご飯食べてりゅ……

 次は照月よー。そしていよいよ2日目の軽巡・重巡タバタよー

 もちろんSFRやスプリントトレーニング参加した子は疲労が残ってる状態よー

 それでもきっちり追い込むのよー。走れー、わー、提督の鬼ー

 ご期待ください

654以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/16(月) 05:44:47 ID:388gFuSQ

洋食珍事府みがある

655以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/16(月) 12:07:05 ID:9RZyP8T2
GCNJapanのYouTubeチャンネルでやってた土井ちゃんおすすめの朝食メニューがなかなか良さそうだったなぁ

656以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/16(月) 12:51:13 ID:uOm7.DOI
作者は芋に、いや吹雪に何か恨みでも?w

657以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/16(月) 14:20:50 ID:QR.83U5s
思いがけず日本の食の歴史だった

658 ◆gBmENbmfgY:2020/03/16(月) 23:47:49 ID:bite6EM2
>>654
 まだそれを覚えていてくれた人がいるとは……ベースはこっちだったりする

>>655
 アレいいですよね。ロングライド前の食事とか。パスタ+塩コショウ+チーズは結構うまい

>>656
 >>1のリアル艦これは吹雪と始まったんだゾ。
恨み? まさか! 愛だよ! 

>>657
 ブッキーは戦時も大人気だ。だってお芋は蒸しても焼いてもみそ汁の具にもなる。
 だから焼き吹雪も蒸し吹雪も吹雪汁も大好きだ

659 ◆gBmENbmfgY:2020/03/16(月) 23:51:48 ID:bite6EM2

 そして照月である――前回の反省点から、鶴姉妹と先任たる秋月は、食堂の使い方を間違いなく、過不足なく、完璧に、照月に教えた。

 照月もまた涙をぽろぽろ零しながら食堂で美味しいご飯に舌鼓を打った。薄切りの牛肉を鳳翔手製の割り下で作ったすき焼きは、すわ天上の食べ物かと茫然自失するほどのおいしさで『いつか、いつか涼月や初月にも食べされてあげたい』と強く願った。秋月姉、タッパーウェアどこー?

 その巡り合える日が必ず来る。その日までに生きねばならない。彼女たちが沈んだ海に、迎えに行かねばならない。そう――生きて、強くあらねばならない。かくして鎮守府に着任した二人目の防空駆逐艦の力が目覚めた。

 ―――秋月型が持つ力とは、食事の力。清貧を至上とする彼女たちが初めて出会った現代の食文化。飽食だ無駄だといくら声高に叫ばれようと、圧倒的美味の前では無駄無駄の無駄である。

 そこから何を得るのか。秋月は『ご飯を護る。つまり国を護る』という極めて高いモチベーションを得た。そう、食事の幸せをモチベーションに変え、何かを成すのが秋月型が目覚めた力。

 ――集中力の持久・瞬発が、共にズバぬけている。一瞬を無限に、無限が一瞬に感じるほどの長く短い時間の中で、月の輝きは決して途絶えず欠けぬように、その光を照らし続ける。

 雲霞の如く迫りくる敵艦載機。その軌道を読み切り、砲撃を放ち、射撃を放ち、通過すべきところに置くように撃つ。当たるのは当然、当たらば堕ちるは必然、即ち防空駆逐艦の本懐なり――と真面(マジ)で言ってのけるが、秋雲型の流儀である。

 照月もまた『いつか妹たちと美味しいご飯を食べる。鳳翔さん、すき焼き、美味しゅうございました……!!』という夢を、己が強くなって生き延びることを達成することで成し遂げようとした――必要なものは、圧倒的な力。力。力だ!! 何千、何万と、鶴姉妹の元で対空射撃訓練を繰り返した。

 秋月の異名に肖った『光弾の射手』と称される照月は、誰からも異論を赦さぬ防空駆逐艦へと成長し、至った姿こそが――――海軍ランキング十三位・『紅天』の照月。 

 これには提督も青空笑顔。このままエンディングの流れでもおかしくないほどにパーフェクトであった。

 だが無情にも、悲報は届く。意外なことに、その悲報の語り手が、雪風であった。


雪風『し、しれえ!! 照月ちゃんが、照月ちゃんが――――お風呂場で、石鹸で髪を洗ってました!!!』

提督『』


 これには流石の提督も求婚をはぐらかされた時のカイザーのような顔で、握りしめた万年筆を縦に粉砕した。

660以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/17(火) 00:52:20 ID:sJ7xkR9k


芋≡総て吹雪では勿体無いだろ、白雪ちゃんがサトイモだったり峯雪ちゃんがヤマノイモだったり深雪様がコンニャクイモだったりすべきでは?

あと秋雲オメー、過去の型式不詳を逆手に取ってネームシップ立ち上げたな?

661 ◆gBmENbmfgY:2020/03/17(火) 23:11:18 ID:aRODnWyE

 提督と共に執務に励んでいた大淀と、工廠での開発結果報告のために訪れていた明石も口を押さえて驚いた。

 共に激務の最中にあったが、思わず手を止めて雪風を問い詰める大淀と明石。


明石『せ、石鹸? 石鹸って、せっけんよね?』

雪風『せ、石鹸です』

大淀『しゃ、シャンプーは? リンスは? コンディショナーは?』

雪風『雪風もそう聞いたら『なにそれ』って言われました』

島風『島風も見てたんだけど……むしろこの子の常識が『なにそれ』って感じだった』


 偶然、雪風と共にその衝撃映像的な現場に居合わせた島風も、神妙な顔で頷くばかりである。


提督『ッッ…………しま、った』


 提督は己のやらかしを悟った。

 秋月型には何故か――何故か!――戦時の民間人の生活をそのままサクッとスライドさせて記憶に埋め込んでいるかのようなちぐはぐさがあった。それは秋月が着任する以前から、ある程度は分かっていたことだ。

 と言うのも、秋月型にとどまらず、艦娘にはしばしば見られる特徴であった。

 建造された工廠が関西の方面ではないのに関西弁を話す艦娘や、東京方面でないのに江戸っ子口調だったり、名前から連想される動物をモチーフにしたような特徴的な語尾で会話をしたりと、艦娘とは摩訶不思議な存在だキソ。

662 ◆gBmENbmfgY:2020/03/17(火) 23:24:04 ID:aRODnWyE

 その奇妙な固定観念は食事関係のみに留まらない。むしろ留まっているとどうしてそう思ったのだろう。

 艦娘は着任当初が特に常識の差異が顕著であり、どこか現代的な常識と噛み合わない部分がある。鎮守府で時を過ごしていれば、先輩艦娘達からの指導もあり自然と学んでいくのだろうが、座学としてきちんと教わるのと環境から受動的に学んでいくのとでは習熟度合いはまるで違ってくる。

 それをうまくかみ合わせるための教育体制を整えるのも提督の仕事であった。

 だが生憎と――着任から一年と四ヶ月が経過した頃――照月が着任した当時の提督は、『サーモン海域チキチキ蹂躙作戦(副題:戦艦レ級eliteの内臓がボロンとまろび出るよ! 何色かな?)』という大仕事が佳境に入り、頭脳の大半が深海棲艦絶対殺すマンと化していた。

 常識や道徳、情操教育などを後回しにしたうぬが不覚よ。無理やりに改造手術を施しておきながら、洗脳を後回しにするヌケサクな悪の秘密結社の如きマヌケっぷりである。

 そんな殺すマンな脳味噌が冷静さを取り戻した瞬間、提督の脳裏に雷撃的に駆け抜けた記憶がひとつある――かつて提督が戦時の民間人の生活や風俗をまとめた書記をテキトーに速読で流し読みした時の事だった。


提督『せ――洗髪の頻度か……!!』

大淀『あっ』

明石『あっ』


 その提督の一言で、大淀と明石の二人もまた察した。二人ともに、かつての教え子をビデオで見た時の安西先生みたいな顔だったという。

 なんやかんやと幅広い知識を持つ二人である。

 洗髪頻度が高くなり始めたのは、日本では戦後からだったという。

663 ◆gBmENbmfgY:2020/03/17(火) 23:29:29 ID:aRODnWyE

 聞いて驚け、むしろおののけ。


 1950年ごろまで、日本人の洗髪頻度は『月に平均2回』だ。


 『日』ではない。『月』だ。マメな人でも週に1回程度だったというから、現代人からすれば鳥肌が立つレベルであろう。

 なお比較対象として、平安時代で年1回。江戸時代では多い人で月1〜2回であったという。バッチイか? バッチイに決まってる。

 『江戸っ子は綺麗好きだった』なんてフレーズでピンと来る人もいるかもしれないが、その綺麗好きで知られる江戸時代においてすら、多くてもそんなもんなのだ。

 悲しいことにそこから「まるで成長していない……!!」のが当時の日本である。現代から過去へ転生なんてやるもんじゃねえとお判りいただけるだろう。その英知でこの不潔っぷりを何とかして見せろ!!

 なるほど、戦時は食糧難だったのだろう。その日に喰らうおまんまにありつければマシな方であったのは間違いない。

 だがそれは食料だけか? 勿論否だ。あらゆる物資が規制され、手に入りづらくなる。


 ――じゃあ石鹸は?


 答えはシンプルだ――食事より悲惨である。洗濯用を含む家庭用石鹸は『油脂性』だ。当然のように政府から規制対象――配給制となった。

 こうした物資不足は戦局の悪化と比例して下降の一途を辿る。国内で配給される石鹸は、石鹸成分がわずか30%、粘土や陶土が70%を占めるという、もはやこれは石鹸なのか芸術家気取りの陶芸家が叩き割った駄作の破片なのか判然としないものとなる。

 香料? 色素? ああ? 入ってねえよんなモン。しかもこの石鹸、入浴用と洗濯用の『兼用』である。地獄か? 地獄であろう。

664 ◆gBmENbmfgY:2020/03/17(火) 23:32:27 ID:aRODnWyE

 配給という名の地獄の時期を乗り越え――戦後の経済的急成長の陰には、こうした文化的な成長もあった。


 さて、ここに一つの命題がある。


 ――そんな時代の常識が、女の子の形にモールドされ、さながら型抜きのように『ポンッ』と海の上に放り出されたとしよう。


 こんにちは! 私、照月です!!


 ――そんな子をお風呂に入るのを勧めたとしよう。


 どうする?











 どうなる?

665 ◆gBmENbmfgY:2020/03/17(火) 23:35:47 ID:aRODnWyE

https://youtu.be/yv23BDV_jH4

照月『こんな柔らかくてきれいで、泡立ちが良くて、すごくいい香りのする石鹸で髪を洗えるなんて……!!』

雪風『』

島風『』


 ――あんのじょう、こうなりました。

 雪風はダムを破壊されたビーバーのようなご尊顔を晒し、島風は顔面を迷路にしたアザラシのごとき変顔で硬直した。

 嬉しそうに石鹸で髪を洗い始める照月を止めるどころか、流石の二人も茫然と見ているしかなかったという。絶句とはこのことだ。

 視界の中でキュゥキュゥと、不思議な音が聞こえてくる。それは照月の髪から奏でられる音――キューティクルが死んでいく断末魔である。

 なおその光景を見ていたのは、雪風と島風だけではない。


綾波『…………』


 大浴場の湯船に浸かりながら南無妙法蓮華経を唱えていた綾波が声を失った。

 アルカイックな笑みを浮かべたまま、しかし流石にショックを受けていたのか、左右の手は来迎印と摂取不捨印を結びながら硬直していた。

 その鼻から一筋の血が流れた。理解が追いつかない。なんだ? 一体何が起こっているのだ? どうすればよいのだ? レ級を片手間で肉塊にする彼女だって、困ることぐらいあった。

666 ◆gBmENbmfgY:2020/03/17(火) 23:40:52 ID:aRODnWyE

夕立( ゚Д゚)


 そして綾波の隣で同じく湯船につかりながら、玩具のアヒルで遊んでいた夕立もまたそれを見た。


夕立( ゚д゚ )


 こっちみんな。

 夕立は半笑いと驚愕を絶妙にミックスした形容しがたい表情のまま、あっちこっち見ていた。

 夕立は自由奔放なわんこ気質である。アクティブで常に動き回っている忙しない彼女は、この時、完全に自分を見失っていた。


吹雪「ふー…………」


 そんなことを知る由もない吹雪は、一人静かにサウナでぽかぽかとふかし芋風味になっていた。

 駆逐艦の最上位勢が揃いも揃ってこのダメっぷりであるが、さもありなん。

667 ◆gBmENbmfgY:2020/03/17(火) 23:46:19 ID:aRODnWyE

 そして照月は執務室に呼び出され――。


照月『毎日髪を洗わせていただけて、照月は幸せですよ! ちょっと贅沢しすぎですかね、うひひ♪』

提督&大淀&明石『OTZ』

照月『提督と大淀さんと明石さんが挫けた!? そ、そんなに経済がひっ迫していたのですか……!? 私、なんてことを……!?』


 明石と大淀は挫けたというより、無力感からの五体投地であったという。照月の言葉が更に彼女たちを打ちのめし、やがて鎮守府の好感度を上げるがごとくうつぶせに倒れ伏した。


提督『ちくしょう、ちくしょう……!!』


 提督は純粋なDOGEZAだ。キューティクルを殺してしまったことへの罪悪感が並の乙女より強い男であった。

 着任より一年と四ヶ月――彼はまだまだ未熟であった。

 新任の艦娘向けのマニュアルはおろか、鎮守府内のあらゆる施設のマニュアルが徹底的に見直されたことは言うまでもない。


提督『おのれ深海棲艦……!!』


 そして深海棲艦への怒りを燃やす。全ての経験を、あらゆる苦汁を、『全て敵のせいだ』と闘志に変換していると言えば聞こえはいいが、ただの八つ当たりであった。ただし誰にも迷惑をかけない八つ当たりである。だって相手は深海棲艦だもの。

668 ◆gBmENbmfgY:2020/03/18(水) 00:08:40 ID:gTTQmrQ6

 閑話休題――そういう意味であれば、初月は非常に良い時期に鎮守府に着任したと言えよう。

 共にソロモンでやらかした綾波の『世紀末迷子事件』や、夕立の『伝説のスーパー白露型事件』といった諸々の問題の当事者にならなかったし、とっくに戦艦レ級eliteの内臓は無事に海の藻屑と化した後に南方海域は攻略(蹂躙)済みである。鎮守府内のあらゆる施設は充実の一途を辿り、新任艦娘への教育制度も日々バージョンアップしつつも骨子は完成していた。


秋月『いいですか初月――髪を石鹸で洗ってはいけません』

照月『その通りよ初月――そして食堂は配給場所じゃあないわ』

初月(姉さんたちは一体、何を言っているのだろう)


 時に怪訝な目で見られようと秋月と照月は挫けなかった。あの悲劇を知ってるからだ。身をもって。

 今や二人は食堂で堂々と季節のランチ(10食限定)を注文してしまうし、なんと大浴場ではシャンプーで髪を洗うのだ! 文化的!

 洗髪後にトリートメントは欠かさないし、タオルドライ後のヘアオイルは入念に、しかもドライヤーまでかける! ブルジョワ的!

 お出かけ時にはUVケアで髪と肌を守るし、おしゃれ着だって部屋の桐たんすに10着も入ってる! おしゃれ!

 だがそんな二人は今や、


秋月「……」

照月「……」


 どこか暗い雰囲気で夕食のパスタを食む。初月には理解不能である。こんなにおいしいのに、一体全体どこが不満なのかと。

669以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/19(木) 15:06:43 ID:Xu0npiGI
>>1のために吹雪の参考画像を拾って来た
http://dec.2chan.net/60/src/1584592848576.jpg

670以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/19(木) 18:38:48 ID:.LpDOef6
>>669
なんてすけべなんだ

671以下、名無しが深夜にお送りします:2020/03/19(木) 21:44:07 ID:xN0mqGo6
今後の新規着任者には女子力講習を受けさせなきゃならないな
鎮守府にて最強の女子力って誰? 陸奥? それとも提督?


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