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■説教オヤジさんと堅皇さんの対話■
1
:
怖くて名乗れません<m(__)m>
:2010/11/22(月) 21:01:21
[対話の力・大河と潮流]掲示板でおこなわれていた対話の続きです。
ごゆっくりどうぞ。
※難癖をつける横ヤリは絶対に禁止。
46
:
怖くて名乗れません<m(__)m>
:2011/09/23(金) 22:15:43
ちなみに言えば、「真実」を語に顕したと主張するのが「真言」です。
顕せない物を顕したと言っているわけですから
幻を追いかける事になり、行き着く先が「亡国」であるというのが日蓮の論。
また、「真実」を断片的なものであると解釈し
自分たちの教え(浄土三部経)だけを依経として、他を「捨閉閣抛」したのが「念仏」です。
「諸法実相」に反し、鎖国状態に陥り、他人や他法を信じられなくなり
結果的に、他人や他法を誹謗する事になり
この因縁により「無間地獄」に落ちると言うのが日蓮の論。
以上の論を日蓮正宗に伝わる教義と照らし合わせると
「南無妙法蓮華経」を「題目」ではなく本因と言う真実を顕した「真言」と解釈し
更には、宗内に伝わる教義だけに固執し他法を「捨閉閣抛」と言う謗法厳禁システムと言う
謗法を誘発させる行為に及んでいます。
要するに、創価学会が知り合う以前から日蓮正宗の教義は妙法蓮華経に反し
日蓮の論である「四箇の格言」を破っていると言うところですね。
47
:
堅皇
:2011/09/23(金) 22:16:28
46は堅皇ね。
なんかクッキーが残ってくれない。
48
:
説教オヤジ
:2011/09/24(土) 14:39:45
やれやれ・・・・・
もう一度確認する。
>無量義経も妙法蓮華経も「南無妙法蓮華経」も伝える義は1つであると。
お主のこの言葉にワシは
「その義とは?」
「伝える相手は?」
と問うた。
お主の答えは
>義は方便品の諸法実相
>相手は涌出品の地湧の菩薩
というものじゃった。
それが今度はその「義」に
無量義経の「四十余年未顕真実」と寿量品の「久遠実成」が加わった・・・・
という事かな?
それとも
「伝えたき義」は諸法実相ひとつだが、真実の法といえば
それにあとの二つが入ります・・・・・
という事なのかな?
で、伝える相手は、やはり「地湧の菩薩」ということなのかな?
49
:
説教オヤジ
:2011/09/24(土) 14:45:14
で、無量義経の「四十余年未顕真実」から
「四十余年」を除いた理由は、なんなのかな?
50
:
説教オヤジ
:2011/09/24(土) 15:07:58
次に
動執生疑とは
法を説く側の仏、若しくわ世尊が、法を求める者をして、更に一重深みに、更に一層の高みに
至らせんが為に、それぞれの立ち位置やそれぞれの知識や認識について、
「現在の自分ではいけないのか?」と己が己自身に疑問を持ち、後に説く法を
素直に受け止め、信じられるようにとはからう、仏の能動的な行為を指して使う言葉であるが。
若し、釈尊が法華経方便品において十如是を説き、一念三千を明かしたあとに
その座を立ち去った”五千上慢の比丘等”が、お主の言うとおり本当に「動執生疑」であるのならば、
釈尊は、衆生を高めようとして、かえって「へたを打っちまった・・・」という事か?
51
:
堅皇
:2011/09/24(土) 20:19:52
> 「伝えたき義」は諸法実相ひとつだが、真実の法といえば
> それにあとの二つが入ります・・・・・
> という事なのかな?
二つはないです一つです。
三乗は無く一乗と言うくらいですから
「未顕真実」も「諸法実相」も「久遠実成」も伝える義は同じと言う事ですね。
違うのは表現方法と言う事だけですね。
別個に考えているのは日蓮正宗及び創価学会の教義ですね。
無量義経の義と方便品の義と寿量品の義はそれぞれ異なるとお考えですが。
「舎利弗当知 諸仏語無異」
舎利弗当に知るべし 諸仏は語異ることなし、ですよ。
> で、無量義経の「四十余年未顕真実」から
> 「四十余年」を除いた理由は、なんなのかな?
除いてなんかいませんよ。
それよか世尊は方便の諸法を褒め称えているわけですから。
「今者世尊 何故慇懃 称歎方便 而作是言」
今者世尊何が故ぞ慇懃に方便を称歎して、是の言を作したもう。
これ舎利弗からの質問ですよね。
舎利弗もどうやら説教オヤジさんと同様に疑問が湧き出てきているようです。
これが「動執生疑」だと言っているわけですね。
52
:
堅皇
:2011/09/24(土) 20:21:04
> 釈尊は、衆生を高めようとして、かえって「へたを打っちまった・・・」という事か?
違いますね、「諸法実相」を理解せずに一乗の教えを説くならば
方便となる諸法を「捨閉閣抛」し謗法の者に陥る危険性があるからであるといえますね。
そうならない為に度量を量ったということですね。
いたずらに一乗の教えを耳にすると
諸法ではなく一法を一乗と思い込んでしまい、諸法を誹謗する事になるからですね。
その危険性を最も言及しているのが比喩品と言う事になりますね。
「在所遊方 勿妄宣伝」
所遊の方に在って 妄りに宣伝すること勿れ、です。
これは「諸法実相」を理解せずにこの法「我此法印」を広めると
意味を取り違えて、自分の知り得る法のみが一乗と思い
増上慢となり他を誹謗する事になるからと言えますね。
実際に創価も日蓮正宗も「諸法実相」ではなく「一法実相」だと思い込み
諸法の誹謗の限りを尽くしていますからね。
53
:
説教オヤジ
:2011/09/25(日) 08:32:12
>>51
>「未顕真実」も「諸法実相」も「久遠実成」も伝える義は同じと言う事ですね。
>違うのは表現方法と言う事だけですね。
なるほど
で、伝えたき相手は「地湧の菩薩」なのか?
56
:
堅皇
:2011/09/25(日) 10:51:02
もちろんその場にいる人に対しても法は説かれますが
誰に託すかと言えば「地湧の菩薩」と言う事になるでしょう。
これも言って見れば道理の範疇。
未来は誰に託すのかと言えばその場にいる人ではなく
未来に生きる人たちに託すと言う事が道理であると言う事。
その場にいる人たちは世尊と共に生き、次世代を見ることも無く共に滅んでいくわけですから
次世代を担うのは次世代に生きる託す「地湧の菩薩」しかありませんからね。
例えばエジソンが発明した数々の発明品
ライト兄弟が初めて体験した航空飛行。
これらの理論もまた「地湧の菩薩」となる次世代の方々が
この理論を元に継承発展してきたわけであり
エジソンの直弟子による門下が門外不出により電球を進化させたのでもなければ
ライト兄弟の直弟子のみが飛行機を製造しているわけではありません。
何処から湧いて出てきたか彼らの理論を学び発展させ進化させていったと言うわけですから
これはまさしく「地湧の菩薩」の義であるといえるでしょう。
逆にエジソンを本仏と仰ぎ、その理論だけに固執し精査しなければ
エジソン以上の電球の発展も無いと言えますね。
また、エジソンの理論を理解せずに、その理論を破壊しても電球は明かりを灯すことがないと言う。
妙法蓮華経は「諸法実相」であり、諸法の中での中道を導き出すものですから
時代が変化し諸法も進化していきますから、その中での実相を導き出すとすれば
それはもう過去の因習、古い概念に捕らわれていれば
迷信と言う老害に翻弄され本当の意味での実相は導き出せないわけです。
57
:
怖くて名乗れません<m(__)m>
:2011/09/25(日) 10:51:40
釈迦や龍樹がもたらした仏法の流れと言うものは
直接に釈迦や龍樹から教えを乞うたわけではなく
まさしく「地湧の菩薩」である日蓮が理解し継承されたものであるといえますから
日蓮が唱えた「南無妙法蓮華経」と言う題目もまた「地湧の菩薩」が継承するとも言えるでしょう。
そう言う意味では創価学会と言う組織自体は「地湧の菩薩」と言う事は当て嵌まりますが
日蓮正宗の歴代法主信仰を教義として信じてきた創価学会が
本当に「地湧の菩薩」の意味を本当に理解しているかどうかですね。
また、信じる対象は「南無妙法蓮華経」や妙法蓮華経と言う法にあるわけであり
「地湧の菩薩」を所依の対象とするわけではないですよね。
「日蓮本仏論」と言う時点で「地湧の菩薩」の上行菩薩を所依の対象としていることであり
つまりは妙法蓮華経の義から大きく外れていると言えるでしょう。
これを天台の五時八教の義に照らし合わせて考えてみますと
本仏論は華厳経の盧舎那仏信仰と同義であり
仏法とは言えども限りなく外道に近い最も低い教えとなりますし
上行菩薩を所依の対象と持ってくるとなれば
それは諸仏の中の一仏を信仰すると言う点で方等部と同義であると言えると思います。
五重の相対であるならば本仏信仰は内外相対、一仏信仰は権実相対で表現されると言うところ。
どれもこれも悟りへ向かう、妙法に到達するための方便であると言えますが
この方便に留まり執着していて「誹謗正法」に繋がり、何のための方便なのかと言う事になります。
創価や日蓮正宗の教義を考えますと
日蓮が仏の中の大元である盧舎那仏と同義の本仏であり
その本仏の教えを乞うために、諸仏の中の一仏を介して仏になると言う教義。
(正宗の場合は歴代法主になりますし、創価の場合は三代会長)
この図式は阿弥陀仏と言う一仏に祈願する事により盧舎那仏に接見できると言う念仏と全くの同義であるとも言えるんですね。
58
:
堅皇
:2011/09/25(日) 11:06:13
>>54
幸福ですよ。
と言うか自身が病気を持って生まれたという事が
他人ではなかなか体験できないであろうと言う事を実体験しているわけですから。
これ思索に当たっては非常に価値があることです。
もちろん、頭がよければ実体験する事も無く理論上で語ることもできるのでしょうが
実体験に勝る確証は無いとも言えますね。
「願兼於業」とは良く言ったものだと思います。
知りたいが故に、その論拠のために自身が望んだ結果であるとも言えますね。
ですから僕自身は不幸でもなんでもないですよ。
少なくとも大概の病気や死に対しても困惑したり恐怖を感じる事はほとんど無いと言うことです。
どの程度なら耐え得る事なのか、克服できる事なのか
そのさじ加減が解りますし、同苦のものに対しての適切な指導が出来ますからね。
また、それでも生きていく術は心得ていますからね。
59
:
説教オヤジ
:2011/09/25(日) 11:40:51
法華経を平に読んだ・・・
と言うておったが、”平に読む”とは
本来の意味を違えて、自分流に解釈する・・・・
という事なのか?
61
:
堅皇
:2011/09/25(日) 17:40:15
いやいや、思いっきり平らに読んでいますよ。
従地涌出品を読む限りでは「地湧の菩薩」に託しているのは明らかですね。
ここで本来の回答は終了はしています。
ここでの回答は「地湧の菩薩」そもそも何なのかと言う事の考察ですね。
また何故に「地湧の菩薩」に託すのかと言う考察です。
その考察に用いているのが「諸法実相」であると言うところですね。
さて、犯人は誰なのか真実は何なのかと言う事を現実に突き止めるには一体どうしますかね。
先ず多くの人々に聞き込み調査を行い、物的証拠を集め少しずつ的を狭めていくものです。
一人の人の思い込みによる発言や、こいつが犯人に間違いないと答えありきで調査を進めますと
冤罪事件が多発する事になってしまいますよね。
出来るだけ多くの情報があればあるほど真実により近いものが得られるのではないかと思います。
もちろん情報には嘘や思い込みが含まれているわけですが
こう言った情報はより多くの情報が集まった時点で必ずと言っていいほど矛盾が生じてくるものです。
「一法実相」では判断を大きく見誤る可能性が高いからですね。
そもそも僕は妙法蓮華経を読んだだけではなく仏法全般の概要を掴み
また念仏とはなんなのか真言とは何なのかと言う事を各信者さんとの対話から
その概要を聞かせてもらっているわけですね。
その結論から言えば日蓮の指摘はかなり的を射ていると思うことと同時に
妙法蓮華経は揚げ足を取ったり突っ込みどころが無いぐらいに完成されたものであると言う事を実感しているわけです。
平で読むと言う事は暗に鵜呑みにしないと言う事でもあり
妙法蓮華経が唯一絶対に正しい法であるという読み方をしていないわけです。
ま、結果的に言えば読み深めれば読み深めるほど突っ込みどころが無いと言う結論に至っているわけですけどね。
62
:
説教オヤジ
:2011/09/26(月) 10:47:38
>>61
君の試みは大変素晴らしいものじゃ。
じゃが、君のレス=読み方、解釈
は突っ込みどころ満載じゃよ。
動執生疑という言葉の意味一つでさえも、ちゃんと理解がされてない。
この法華経方便品で表現された「方便」が、なにを指しておるのか、解っていない。
ま、一つひとつやってゆくこととするが、
その前に、更に確認せねばならぬ事が増えておる。
お主の理解では、「伝える」と「託す」とは同一なんじゃね?
では、仏が「説く」と、この「伝える・託す」は一緒なのか、違うのか?
63
:
堅皇
:2011/09/26(月) 20:33:27
「伝える」と「託す」は違うんじゃないですかね。
伝えずに託す場合もありますし
伝えたけど託さない場合もありますから。
64
:
堅皇
:2011/09/26(月) 23:36:30
それはそうと
> 君のレス=読み方、解釈は突っ込みどころ満載じゃよ。
何を今更と言う話ですよ。
そもそもここでの対話を求めた理由は互いの突っ込みどころを精査するために行おうとしているんですから。
早く具体的にバンバン突っ込んできてくださいよ。
65
:
説教オヤジ
:2011/09/27(火) 09:41:12
あらあら、
もうずうーーっと
突っ込まれている事にさえ、気付いておらんようじゃ。
>>32
>義は諸法実相で
>伝えるのは地湧の菩薩と言ったところですか。
これは、紛れも無くお主の書き込みじゃよね?
>従地涌出品を読む限りでは「地湧の菩薩」に託しているのは明らかですね。
これも、お主の書き込みじゃ
一方では「伝える」
もう一方では「託す」
では「伝える」と「託す」は同一か?と聞けば
違う!という。
いったいどっちかね?
法華経に登場する釈尊を含む諸の仏は、お主の言うところの唯一の法を
お主のいうところの地湧の菩薩に伝えたのかね?それとも託したのかね?
66
:
堅皇
:2011/09/27(火) 23:16:25
「伝える」と「託す」の違いと言う事ですね。
先ず、「伝える」と言うのは誰にでも伝えられるという話ですが
伝えたからといって、皆に伝わる話でも無いと言うことですね。
伝えたから全て誤りがなく伝わったというのであれば
真言宗は一切の誤りがないはずです。
何故なら真言宗の宗祖、つまりは密教の宗祖は龍樹菩薩にまで遡るわけですから
確実に伝えられた事が伝わっているとすれば
少なくとも龍樹の義とは同一であるはずなのですが明らか見て違いがありますね。
そもそも龍樹は密教など伝えてないのですから。
また、法然さんの念仏に関しても
法然さんは天台沙門だったわけですから
「伝える義」が天台と同義であれば、法然さんは天台と同様に
法華第一を掲げているはずですが、法然さんは法華を難行道に位置しこれを捨閉閣抛しました。
伝える義が同じであれども、受けて側の解釈によって変わってしまったという例ですね。
対する「託す」は委ねるという事ですから「伝えた義」を誰に託すかと言う話。
これが「地湧の菩薩」であるという話ですね。
67
:
説教オヤジ
:2011/09/28(水) 15:02:59
堅皇殿
お主が随分と勉強された事はわかる。
しかし、今は念仏も真言も関係ないから・・・・・
今、話しているのは法華経だから・・・・
しかも、ワシが問いているのは「伝える」と「託す」の違いではない。
今までのやり取りを良く読み直して御覧
仕切り直しにしてあげるから、もう一度質問を戻すよ。
法華経二十八品に登場する釈尊も含めた諸々の仏が伝えたかった唯一の義とは何?
そして、伝えたかった相手は誰?
68
:
説教オヤジ
:2011/09/28(水) 15:52:03
それと
動執生疑をもう一度確認することと
取り敢えず法華経方便品をしっかり読み直すことを勧めておきます。
69
:
堅皇
:2011/09/28(水) 21:03:12
> 法華経二十八品に登場する釈尊も含めた諸々の仏が伝えたかった唯一の義とは何?
> そして、伝えたかった相手は誰?
何故に既に回答済みの同じ質問を繰り返すのでしょうか?
違うと思うなら、その場合は説教オヤジさんの見解を述べるべきではないですかね。
> 動執生疑をもう一度確認することと
> 取り敢えず法華経方便品をしっかり読み直すことを勧めておきます。
これに関しても、どう読み直すべきか
どういう見解にあるかを提示していただかないと
説教オヤジさんの見解が全く伝わってないですよ。
70
:
説教オヤジ
:2011/09/29(木) 23:00:08
やれやれ
堅皇殿よ
ワシの、折角の配慮も理解できておらぬようじゃね。
お主、
法華経を読んだと言いながら、全く読めておらぬことを
自ら宣言しておるようなもんなんじゃよ。
このまま、ワシが本当に突っ込んだら、お主笑い者だぞ。
試しに聞いてみよう。
>それよか世尊は方便の諸法を褒め称えているわけですから。
>「今者世尊 何故慇懃 称歎方便 而作是言」
>今者世尊何が故ぞ慇懃に方便を称歎して、是の言を作したもう。
>これ舎利弗からの質問ですよね。
さて、おぬしが言うところのこの「方便」とは、どれを指しているのかね?
釈尊が、未顕真実と言うた四十余年の方便権教のことか?
71
:
堅皇
:2011/09/29(木) 23:48:50
おぬしが言うところのこの「方便」と言われても「方便」は「方便」でしょう。
「方便」とは、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法ですから
「方便」自体は「真如」ではなく、あくまで「真如」に近づく方法、あるいは「真如」に導くもの。
四十余年の権教は「真如」に導くための実教に導くための方便であり
実教もまた「真如」に導くための方便であり
題目もまた教相から観心へと「真如」に導くための方便と言う事でしょう。
「真如」とはあくまで「諸法実相」の中にあると実教である妙法蓮華経に説かれているわけですから
よって「方便」が無ければ「真如」を得る事が出来ず
「方便」に執着しても「真如」を得る事が出来きないものと言う感じですかね。
72
:
説教オヤジ
:2011/09/30(金) 21:56:39
はあーーーーーーー。
>それよか世尊は方便の諸法を褒め称えているわけですから。
じゃから、ここで言うその方便なるものは、具体的には何を指しているのか?
と聞いておる。
法華経方便品で、世尊は方便を讃えてなぞおらぬぞ。
>「真如」とはあくまで「諸法実相」の中にあると実教である妙法蓮華経に説かれているわけですから
これを、法華経の文をあげて言うて見よ。
73
:
説教オヤジ
:2011/09/30(金) 22:28:30
ああ、それと
ワシは自分の見解など述べる積りでやっておるのではない。
ワシがやろうとしておるのは、学会教学の確認じゃ。
それには、この堅皇なる御仁が、
いかに読めておらぬのか、この板で明かせばよいだけの話じゃ。
その積りで覚悟してるが良い。
ま、ここまでで、ほぼ見えてはおるがね。
74
:
堅皇
:2011/09/30(金) 23:06:22
> ワシは自分の見解など述べる積りでやっておるのではない。
> ワシがやろうとしておるのは、学会教学の確認じゃ。
では、その学会教学と言うものを語ってください。
意味も解らぬ得体の知れないものを信じているわけではないでしょう。
でなければ、ご自身の語りで学会教学と言うものを全て語れるはずではないですか。
75
:
説教オヤジ
:2011/10/01(土) 05:36:29
ワシが、敢えて語る必要など一切無いのじゃよ。
学会教学が間違っておる・・・・と断定した
お主が間違っている事をここで照明すれば、それがそのまま学会教学の正答となるからね。
次行くぞ
ぱっぱと答えねば、
お主自身の自語相違と「読んだ」が「読めてない」ことが明らかになるだけじゃよ。
>本当の真実とは教相では顕せないものであるから教相を元に観心せよが答えであると思います。
>よって妙法蓮華経も未顕真実であり「南無妙法蓮華経」も未顕真実。
お主の解釈によると、未顕真実の「未」は「せず」となるのか?
「いまだ・・・・・・せず」こういうわけじゃね?
76
:
堅皇
:2011/10/01(土) 18:34:04
その返答はおかしいですね。
> お主の疑問「久遠元初の自受用報身」「文底独一本門」を説明するためじゃよ
これは大河板の時に説教オヤジさんが発した事です。
つまるところ全く説教オヤジさん方から説明する気が無いと言うことですか?
また、説明するべきものが無いと言うことですかね。
> 未顕真実の「未」は「せず」となるのか?
厳密に言えば「未」は「未だ」と言う意味であり「せず」は「不」になりますね。
ただ妙法蓮華経で明かされた真実とはあくまで「諸法実相」ですから
諸法を知らずに実相はつかめませんので「未だ」真実は明かされていません。
また日蓮の南無妙法蓮華経に置いても真言(真実の言葉)ではなく題目と言う事なので
「未だ」真実は明かされていません。
あくまで教相の語を求めるのではなく義により観心で真実を求めるわけですから
「未だ」真実は顕されていないと言う事ですね。
もちろん「未」は「不」ではありませんので
妙法蓮華経や南無妙法蓮華経と言う教相、題目の義を用いて観心することが出来れば
真実を捉える事が可能ですから「不」ではなく「未」が用いられているのであると言えます。
「文底独一本門」では題目の言葉(語)が真実であると捉えられているようですが
その根拠は何処にあるのかを伺っているわけですから。
日蓮は「南無妙法蓮華経」を題目と表現しています。
題目の意味はご存知ですよね、題目は真言ではありませんよ。
77
:
堅皇
:2011/10/01(土) 19:33:25
教相と観心に対して日蓮の盂蘭盆御書にもある盂蘭盆経を1つ例を出して説明してみますか。
盂蘭盆経は大乗経典の1つであり、これも釈迦の教説ではないものと言われているものですね。
ここでの内容は目連が母親の回向に対し触れてあるものですね。
餓鬼道に落ちた母親に対し、目連は良かれと思い神通力を使い食べ物を送ってあげるのですが
それが母親の目の前にいくと、その食べ物が火に変わってしまい余計に母親を苦しめると言う結果に。
これだけを読むと現実には有り得ないフィクション(虚)を語っているようですが
似たようなシチュエーションは現実でもあると言う事が学べると言う事ですね。
それはどう言う事かといいますと
いじめられている人に良かれと思い、その場助けようと手を差し伸べると
一見助けてあげたように思えるのですが、その助けた行為により
いじめている人に反感を買い、余計にいじめが強くなると言う事があります。
これって良かれと思って食べ物を与えると、その行為が逆に火に油を注ぐ行為になると思いませんか。
この場合、苦しんでいる根本原因を突き止め、それを対処しない限り
相手を救う事にはならないと言う事になるかと思います。
つまり盂蘭盆経に書かれている目連のエピソードと言うものは
教相だけに捉えていれば虚しいものであるが、その義を汲み取り観心で捉える事により
実として得る事が出来ると言うもの。
仏法に置ける経文の捉え方と言う物は全てこの一乗で真実を得る事が出来ると思います。
故に「非実非虚。 非如非異。」とは物凄く納得なものであるといえます。
また全ての方便は虚ではなく重要なものであると同時に方便を真実と捉え執着しても真実は得る事が出来ない。
そう言う意味でも妙法蓮華経に記されている教相は究極の方便であり
教相を実と捉え観心する事がなければ単なる虚で終わってしまうものと思われます。
79
:
説教オヤジ
:2011/10/07(金) 16:13:08
>これは大河板の時に説教オヤジさんが発した事です。
そうか?
本当にそうであったか?
数日間確認の時間を空けたが、確認はしかたのかな?
以下大河板より
13 名前:堅皇 投稿日: 2010/10/17(日)
>でもやはり最大の問題は「久遠元初自受用報身如来」に「人法一箇」ですね
185堅皇:2010/10/26(火)
>それよりも今を生きる段階で親の力と言う言葉をあて自分達の人間の一生と捉える言う具合ですね。
>そう考えた段階での「久遠元初」の言葉の意味です。
>久遠元初とは何時の事であるかという疑問。
>久遠元初の時点で自受用報身如来という仏と言う存在となったとすればどの様な生物であろうと言う疑問。
>久遠元初とは仏法の輪廻の考えから逸脱し「創世記」的な発想である言葉にとなる疑問です。
>とすれば自受用報身如来とは神のような存在なのかと言う事です。
233 :堅皇:2010/10/30(土) 22:55:31
>当然、文底の南無妙法蓮華経ですよ。
>ただ、独一文底の南無妙法蓮華経とはなんぞやと問うているだけです
これ以前にワシとお主との間でワシの謗から「久遠元初元初云云」「文底独一云云」を言うてはおらぬぞ
80
:
堅皇
:2011/10/07(金) 20:35:55
一つ確認しておきたい事なのですが
創価学会と言う組織は
「創価学会は、日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを使命とする仏意仏勅の教団である。」
これは会則に書かれていることなので間違いないですよね。
加えて説教オヤジさんは創価学会の信者であり
会則にあるとおり日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを使命とする仏意仏勅を考えておられるわけですよね。
しかし、日蓮の真蹟によれば
「久遠元初元初云云」「文底独一云云」と言う事は何処にも記されていません。
「久遠元初」の記述は「本因妙抄」「百六箇抄」
「文底独一本門」に関しては「六巻抄」による記述ですよね。
つまり日蓮が発してない語に関して疑問を抱くのは当然の話。
創価学会では日蓮大聖人の仏法に対し仏意仏勅であると言う前提であると言う観点から
何故に「久遠元初」及び「文底独一本門」の義を語られるかと言う事です。
ご自身が「久遠元初」及び「文底独一本門」を信じているのは構いませんが
何故にそうなるのかを説教オヤジさんの方からご説明できないのですかと問うているのですが
答えられ無いと言うことですか?
81
:
説教オヤジ
:2011/10/08(土) 10:20:17
やれやれ・・・・・・
説教オヤジが、昨年来ずうーーーーーーっと
そのことしか話題にして居らぬ事にさえ
気が付いてはおらぬらしいの。
ところで
>>79
は、この通りで良いのかな?
で、あれば
>これは大河板の時に説教オヤジさんが発した事です。
はお主の勘違い・・・・
という事になるが。
82
:
堅皇
:2011/10/08(土) 12:56:24
説教オヤジさんが勘違いと言うのであれば勘違いなのかもしれないですね。
当時のコメントをままに載せると
----------------------------------------------------------------------------------
245 :説教オヤジ:2010/11/01(月) 02:54:07 ID:y0Iu4qX60
両方の質問共に、お主の疑問「久遠元初の自受用報身」「文底独一本門」を説明するためじゃよ
1、
>法華経の中でと言われれば存じておりません。
では、釈尊の元々の成道は何時じゃったっけ?
2、
文底の南無妙法蓮華経とは誰が悟った法かな?
----------------------------------------------------------------------------------
この発言を読む限りだと
説教オヤジさんが対話の相手をして頂き、幾つかの質問を投げかけておられるのは
「久遠元初の自受用報身」「文底独一本門」を説明するためだと伺え取れるのですが
今回の発言からはその意志が全く感じられる事無く
ただ単に「久遠元初の自受用報身」「文底独一本門」と言うものをゴリ押ししたいというだけと言う事かと。
当時から「説明」と言う表現を用いてたのですが
もともと、説明すると言う意思は端っから無かったという事のようですね。
そう言う意味でも説教オヤジさんは対話を求めていたのではなく
また、自身の考えを相手に納得させる事を目的としているのではなく
単に押し込めようと考えていただけだと言う事が解りました。
まー残念と言えば残念ですよね、僕は本来互いに理解を求め合う対話を求めていたわけですから。
83
:
説教オヤジ
:2011/10/08(土) 13:38:15
>>82
お主
今更、なにをのたもうておるのかね?
>>説教オヤジ:2010/10/24(日)
>何度も言うが、「説教オヤジ」は幼き頃からの創価の会員ゆえ、ワシが答える結論など決まっておるよ。
>創価に疑問を持って離れてしまったお主とは、基本的に相容れぬ者同士という事になる。
すでにワシはこのようにも宣言して居ったではないか?
さらに
>ワシがやろうとしておることは、堅皇を名乗る一人の脱会者が、多くの者が注視している
>「INの掲示板」という場に登場し、己の脱会の理由として、創価の教学の間違いを挙げ
>我が師である創価の指導者が、さも多くの者を騙してきたが如き戯言に対し、
>創価の教学に一点の間違いはなく、代々の創価の指導者が多くの者に希望を与え、多くの民の人生を救って
>来たという事を、大聖人の法に照らして証明しようとしておるだけじゃよ。
こうも言うておるし、さらに
>勘違いして頂いては困るよ堅皇殿
>ワシが最初に「説教オヤジは創価の者」「互いに相容れぬ立場」と書き置いたのは、
>‘仲良く法を語りましょう’という事ではないのじゃよ。
>ワシがやろうとして居るのは、
>・HN堅皇の脱会に、法に基づく理、無し
>・HN堅皇の学会批判、創価の指導者批判に理、無し
>・HN堅皇の釈尊仏法並びに大聖人仏法への理解、極めて浅し
>等々を明らかにして、お主が批判した創価の正しきを宣言することなんじゃよ。
このようにも宣言しておるではないか。
じゃから、覚悟して来い!
というておるのに、今更泣き言かな?
84
:
説教オヤジ
:2011/10/08(土) 13:45:55
>説教オヤジさんが勘違いと言うのであれば勘違いなのかもしれないですね。
なんじゃこれは?
大河の板で、久遠元初の自受用報身や文底独一本門を云云したのは
ワシからじゃったのかね?
お主からじゃったのかね?
85
:
堅皇
:2011/10/09(日) 10:47:31
なんだか良く解らない事を言い始めましたね。
そもそも久遠元初の自受用報身と書かれているのは何ですか?
「本因妙抄」に「百六箇抄」だけでしょう。
更に「本因妙抄」や「百六箇抄」は日蓮の書とは言えないでしょう。
戸田さんはこれらの書を日蓮の中でもっとも大事な書であると思ったそうですが。
加えて創価学会では戸田さんが獄中悟達されたと思ってらっしゃるようですが
その根拠は何なのでしょうか?
また、文底独一本門と言っている日蓮の書はありますか?
創価学会では「日蓮大聖人の仏法を広宣流布することを使命とする仏意仏勅」と表記はしてますが
その実は「三代会長の思想を広宣流布することを使命とする仏意仏勅」と考えている組織なのではないのでしょうか?
86
:
説教オヤジ
:2011/10/10(月) 09:04:20
堅皇殿
お主、他人と対話を望むのであれば己の発言に責任を持つべきじゃよ。
己の言うたことを「貴方が言い出した事」などと訳のわからん事を言う者と
今後、どのような話をすれば良いのかね? ん?
本当に大丈夫なのか?
土台、方便品の上慢の四衆を「動執生疑」だなどと・・・・
その語の意味をも解らん者が、本当に「義」を理解できると思っておるのか?
87
:
堅皇
:2011/10/10(月) 17:58:22
「意味をも解らん者が、」と言う割に
では、どういう意味かと問えば無回答。
結局何をしたいわけですか?
88
:
説教オヤジ
:2011/10/10(月) 22:51:30
>>87
そのようなこと
何度も言うておるじゃろう。
>勘違いして頂いては困るよ堅皇殿
>ワシが最初に「説教オヤジは創価の者」「互いに相容れぬ立場」と書き置いたのは、
>‘仲良く法を語りましょう’という事ではないのじゃよ。
>ワシがやろうとして居るのは、
>・HN堅皇の脱会に、法に基づく理、無し
>・HN堅皇の学会批判、創価の指導者批判に理、無し
>・HN堅皇の釈尊仏法並びに大聖人仏法への理解、極めて浅し
>等々を明らかにして、お主が批判した創価の正しきを宣言することなんじゃよ。
これをやろうとしておるだけじゃよ。
すでに終わってはおるがね。
ワシがこれまでに挙げた大聖人の御書に、その答えがあったことにさえ
気付いておらんじゃろ?
89
:
説教オヤジ
:2011/10/10(月) 23:01:34
先ずは
己の勘違いを、「私の勘違いでした」・・・と
言えば良いだけじゃ。
これで二度目じゃが、勘違いなど何度しても良いから。
世間では、仏の顔も三度までというがね。
ワシはおぬしが何度勘違いをしても、お主がもういいと言うまで付き合ってあげるよ。
90
:
説教オヤジ
:2011/10/10(月) 23:15:59
ああ
>「意味をも解らん者が、」と言う割に
>では、どういう意味かと問えば無回答。
動執生疑の意味など、とっくに書いて居るぞ。
91
:
説教オヤジ
:2011/10/11(火) 00:04:12
ああ、それと
明日から少しずつではあるが
この堅皇なる者の、これまでの書き込みの中で、
いかに程度の低い解釈を基に法華経を読み、その程度で創価仏法を批判したかを明らかにして進ぜよう。
お笑いものじゃよ。
92
:
堅皇
:2011/10/11(火) 07:17:10
楽しみにしています。
93
:
はぐれ雲
◆HHaU7zEjNg
:2011/10/21(金) 19:09:35
まだやってんのか?w
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