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◆自分と池田先生を語る◆
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:
怖くて名乗れません<m(__)m>
:2010/11/14(日) 22:42:38
1 :しげきょん:2010/11/06(土) 01:58:21 ID:gQsQ2g3k0
僕が池田先生を知ったのは昭和の59年の文化祭の時。
最初、入会前は学会の見える姿肉眼で知れる姿のイメージで北朝鮮みたいだと思ってました。
だから軍隊的な命令などがあるのかとドキドキでした。
ある日、その文化祭の練習を見ていて
幹部の人に「君は会員かい?」と聞かれて、「いや、友人に誘われて見学にきているのです」と。
すると「君も入会してみないか」と言われ慌てて「宗教は怖いです」と断ったら、それ以上言わなくなり、
「ほう、学会って無理に入会するところじゃないのだな」と空気を感じました。
でもまだ集団宗教に対する恐怖心はあり、洗脳されると思ってましたから
ただその日、文化祭の練習で身体障害者の人が正直に「自分のような障害者がいて練習の足てまどいにならぬよう
また練習に参加させて下さい」と、普通なら勇気がないと言えないことを練習仲間に言ってるなと、ちょと感動しました。
僕も人間の一番信頼における宗教に対する不信はつのり
だんだん何を信ずればいいのかとか考えこむように心理的になりました。
宗教が人間を裏切ったら、もうこの世は闇だと思いました。
かと言って盲信をさせる宗教も人間を裏切るものだと思いました。
ところが学会の幹部の人が、うちの母を家庭訪問するたび
何かこの世をあきらめてたような母が蘇るように元気ではつらつする姿に、
学会の宗教はもしかしたら本物の宗教かもしれないと思い、
いつしか僕は母に「悩みとか学会の幹部の人と相談してね」と言ってる自分がありました。
今では母が僕を信心に導くため方便で悩みの姿をしてたのだと言えます。
それで学会を信頼してこの信心をしてる人たちが指導を求める信頼の厚い人が池田先生だと
池田先生を信頼する自分の心の扉をひらいたのです。
文化祭と母の蘇生の姿で先生を先生と呼ぶようになったのです。
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