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技術格差や「上手でないと〜」に起因する対戦環境問題

11★:2003/10/23(木) 08:40
「上手い人間は人間的に偉いという錯覚」
「ゲームのプレイスタイルで人間的な判断を下す」
「上手にならなくてはそのゲームをやる価値がない」
「乱入制度」
「大会前提」
「ゲーム自体がそもそも完成されていないのにも関わらず
 全てを競技作品とみてしまう風潮」
等から、
「キャラクターのポテンシャルとプレイヤーの技術介入度合いの兼ね合い」
「初心者向け優遇キャラ」
等までを
【合わせて絡めて】対戦環境について考えてみましょう。

595捨てハン:2004/09/21(火) 01:19
まず自分を明らかにするところからはじめようかね。>>497 >>533-534を書いている者です。

>>535さん。
「殺伐」っていう言葉自体を誤解して使っているんじゃないかな?
  【殺伐】 すさんでいる。あらあらしい。 (角川国語辞典)
とはいっても、その後に535氏が言い換えている状況については大いに納得できた。
「殺伐」というのはマイナスイメージの言葉であり、望ましくない状況を指す語なので、
熱い闘志をもって行う対戦やボクシングの試合のようなものをこの言葉で代替すべきではないよ。

535氏の考える格ゲー論に関してはうなづくばかりだった。
互いの持てる全ての手段を出し切って戦おう、真剣に腕を比べあおうというのは本当に楽しい。
つまるところ、>>497で俺が書いた『「ドロドロした殺伐としたそんな雰囲気が楽しい」と考える人』は
535さんのような人なんですよ。ちょっと取り違えてしまっていて、おかげで双方に少し誤解がある。
ただ、だからこそ「自分の考える殺伐はこれ」と紹介してもらえたのはありがたかった。
俺と同じような快の体験をしているんだと分かったからね。


>どんなプレイスタイルのもとでもそれ(緊張と弛緩)は存在するんじゃないかな?
もちろん。それは当然だと思う。それどころか、どのような種類の「快」にすら、緊張と弛緩は存在するよ。
一番単純化されたモデルで見てみよう。母親が赤ん坊をあやすときの「いないいないばあ」ってあるでしょ。
(ちょっと長い引用をさせてもらいます)

  母親が笑いかけて、「いないいない」とはやしながら顔を隠し、赤ん坊がこれにこたえて
  母親の顔をじっと見つめながら、その顔の現れるのを「いまか、いまか」とまちうける。
  この宙づりにされた期待がきわまったとき、「ばあ」という声とともに母親の顔が再び現れ、
  期待通りの結果を得て、赤ん坊は「きゃっ、きゃっ」と笑う。

  期待の宙づりを仕組み、しかし必ずこの期待を充足すること、これがこのゲームのルールである。
  母親と赤ん坊の両者のまなざしは、けっして相反する企てが拮抗しあう対向関係にではなく、
  お互いに笑いかけ、笑いでこたえつつ、顔が消えては現れる一つの動きを追い、これに同調する。
  それは、いわばまなざしのキャッチボールである。この、遊びに独特の関係とそのあいだの動きは、
  遊びの基本骨格として、おそらくはより複雑な遊び行動にも、共通して見られるものである。
    ……(西村清和 「電脳遊戯の少年少女たち」 28頁)

この段落の趣旨は別のところにありますが、ともかくこんな遊びにまで
緊張(期待の宙づり、母親の顔を待つ) と弛緩(期待が満たされて微笑む) があるってわけ。
格闘ゲームに限らず、人間のほぼ全ての快の中にこの「緊張と弛緩の往復」はあると思う。
俺は497では「殺伐と緊張を取り違えちゃう人っているよね」という意図でこの話題を出したんだけど
もう一回俺の文章を見返すと、新たな誤解を生む箇所がてんこもりだったなぁ。スマソスマソ

596捨てハン:2004/09/21(火) 01:20
>初級者同士には初級者同士の、上級者同士には上級者同士の楽しさがあるわけだが、
>やはり初級者と上級者とは同じ土俵では楽しめないんだろうなぁ
>初心者、初級者が中級者以上と戦って楽しめないのは、
>中級者以上のプレイスタイルが「悪だから」というわけではない、ということ。
>中級者、上級者にはそれぞれの格ゲーの楽しみ方の流儀がある。
>ただ、それは初心者、初級者にはなじめない流儀である、というだけ。

これも同意。このことは、再度野球に例えてみると
試合でマウンドから軽い球放る奴はいない、キャッチボールで1マイルの速球投げるバカもいない、ってこと。
もっとも格ゲーにおいては、幼稚園児がお遊戯してる所に向かって
松坂ばりの剛速球投げつけるやつが多いようだね。あぶないだけじゃねぇか。

これはおそらく、先にあげた西村氏の言う「メタ・コミュニケーション不全」なんだと思う。
メタ・コミュニケーションっていうのは、すごく平たく言ってしまうと
「今の俺達って、遊びなの、それともガチなの」って確認を互いにしあうこと。
親が子供を叱るときに、笑い混じりに「まぁまぁ、しょうがない子ねぇ」なんていえば、
子供は親の表情から、軽いいたずら、遊びの類として認めてもらえたと認識する。
するどいまなざしと厳しい叱責(ときには殴るなど)があれば、自分のしたことを重大な逸脱だったと学ぶ。
これが「メタ・コミュニケーション」。
ふざけあっているように見えるときに本気でぶん殴ってきたり、
逆に不快な表情や声で相手を責めていながら急に笑い始めたりする人には、どう反応していいかわからない。
これがメタ・コミュニケーションがうまくいっていない状態ね。今の両者の関係が確認できてないわけだ。

格闘ゲームをやってる人の中には、いわばキャッチボールの好きな人もいっぱいいるわけだね。
160キロの球を打つ反射神経もないし、キレのいいフォークボールも投げられないけど、野球は大好きって人だ。
プロとアマの比率をみれば明らかにこちらのほうが人が多いはず。格ゲーも一緒じゃないかな。
ところがここでスポーツと格闘ゲームで違ってしまったのは、
メタ・コミュニケーションがじゅうぶんに行われてこなかったこと。
100円入れてスタートボタン押すだけで試合がはじまる故に、両者の関係を確認するステップが省かれたんです。
スト2が出始めたばかりの頃は全員アマチュアだったから不要だった作業だが、今になって浮き彫りになってる。
そのため、多くのゲーセンで「キャッチボールだと思っていたのに剛速球が飛んできた」という光景がおこった。

無理が通れば道理引っ込むの格言そのままに、こういう状況では「気軽に楽しむ派」が一歩ひくしかなくなる。
そして、なんでもそうだけれどヒエラルキーのピラミッドでは実力に劣る者ほど数が多い。
サイレントマジョリティの立場の人々は場所を譲るしかなくなってしまい、やがては消えていってしまった。
プロ球団のドーム球場ばかり建って、市民球場や学校の校庭、土管のある空き地や家の庭にあたるものが
格闘ゲームにおいてはこれまで全く存在しなかったか、数が需要に対して少なすぎたのがこの状況を招いた。
俺はそんな風に今考えています。

597捨てハン:2004/09/21(火) 01:21
「声の大きな人が〜」なんていう話題にシフトしていますね。鶏が先か卵が先か、みたいでちょっとイヤだけど
声の大きな人にみんなが乗っかって今の風潮になっているわけでもないだろうと思う。
消えていった人達の穴が、今の論調をかえって浮き彫りにしただけに過ぎないのではないかなあ。

もっとも、「下がりだってハメ・待ちだってなんでもOK!食らうほうが悪いし何でもありが基本だよ!」
という考え方は、俺もおおいに基づいて対戦をさせてもらってる。
それは何故かって言うと>>538に出てくるように「それぞれに楽しみ方がある」から。
>>535氏の出した格ゲー論が俺にとっては一歩壁を乗り越えたような上達感があったし、すごく楽しいのね。
何でもアリで真剣に戦うのは本当に面白いし、俺が感じるところの「快」はこの段階に存在してる。

ただし、それはあくまでもメタ・コミュニケーションの十分な状態でなければ言えないこと。
何でもアリで戦うのならば、自分と同様に相手もまた勝ちに貪欲で練習をしてきており、
また戦術についても知識を持ち、その場その場でどのようなセオリーがあるかを知っている者でなければならない。
そうでなければ、それは弱い者いじめに過ぎない。
「草野球に大リーガー乱入」なんていう下らない三面記事並みの出来事になってしまう。

そういう意味では、俺は>>555の前半の
「声の大きい人が言ったことは事実を伝えている」「多くのプレイヤーはそれに対し、納得の上で格ゲーをやめた」
については同意しかねるのだが、
「窮屈な状況に行きつくしかない格ゲーというゲームは、未完成である」
という論に関しては一理あるとみています。

同意しかねるというのは、格ゲーはそもそも極めることはできるが、極める必要はないから。前提自体に疑いあり。
始めたからには必ず頂点を目指せ、なんてうざったいでしょう。全員が全員「星飛雄馬」になる必要はない。
草野球レベルでもいいじゃん。昼休みに屋上で、ネクタイゆるめてキャッチボールしてるだけでもいいじゃん。
学校の校庭で放課後に、安物のボールとビニールのバットで遊んでいるだけで何が悪いというのか、ということ。
要するに野球ってスポーツもまた「マジで戦おうとすると多くの人は嫌気がさしてしまう」ってわけ。
つまりここには問題点はない。真に問題とすべきは今までに俺が述べてきた部分にある。
そして、格ゲーが未だに完成をみていないということについては同意します。
これはきちんとしたメタ・コミュニケーションがとれていないという、むしろ環境を含めた視野からの意見だね。

ゲーメストのブランドや権威がどうの、なんてのはどうでもいいや。
楽しい誤植を提供してくれた雑誌としか思ってない。

『ガチンコで対戦しても多くの人が楽しめる対戦ゲームだって作れるのではないか?』というのは俺も考えた。
バックダッシュしたほうもされたほうも楽しめるゲームを作ればいいんじゃねぇか、なんて風にね。
これは実現してほしい目標なんだが、ただこれだけでは結局「格ゲーは未完成」のままだよ。
「強いんだけど場違いな奴」が結局減っていないわけで、根本原因には見て見ぬフリということになりかねん。


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