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技術格差や「上手でないと〜」に起因する対戦環境問題

11★:2003/10/23(木) 08:40
「上手い人間は人間的に偉いという錯覚」
「ゲームのプレイスタイルで人間的な判断を下す」
「上手にならなくてはそのゲームをやる価値がない」
「乱入制度」
「大会前提」
「ゲーム自体がそもそも完成されていないのにも関わらず
 全てを競技作品とみてしまう風潮」
等から、
「キャラクターのポテンシャルとプレイヤーの技術介入度合いの兼ね合い」
「初心者向け優遇キャラ」
等までを
【合わせて絡めて】対戦環境について考えてみましょう。

533捨てハン:2004/09/19(日) 09:13
>格キャラ副長さん
>それは楽しいという錯覚を抱いている可能性があります
うん、錯覚だよ。それは俺も平素考えている通りだ。
俺の「ドロドロした殺伐としたそんな雰囲気が楽しいと考える人がいてもおかしくない」という箇所は、
「殺伐=楽しい」ではなくて、「殺伐=楽しい と思い込む人が出るのもしょうがない」と解釈して。
勘違いするのもしかたないかな、と読んでくださいな。だから「殺伐=楽しい」は錯覚なんです。
殺伐としているのが楽しいわけはないと思ってますよ。上手く伝えられなくて申し訳ない限り。

格キャラ副長さんが出した「二つの緊迫感の違い」だけど、これは言葉で言うなら簡単だと思う。俺は

楽しい緊迫感=後になって弛緩される緊張感のこと。
楽しくない緊迫感=いつになっても弛緩されない緊張感のこと。

だと思ってる。要するに俺が>>497で書いてるのは
緊張感そのものがどうこう、ではなくて、それが適度に弛緩されるから面白いんだということ。
これは俺の文章が明らかに下手だった。誤解を招いてばっかりでスンマセン。

例えばの話、悲劇的ストーリーを見て(読んで)人が泣くことも「緊張→弛緩」の流れから出る涙であり
迷子になった子供が、母親の元にたどり着いた途端、セキを切ったように泣き出すのも「緊張→弛緩」であり
縮こまった姿勢をとったあとに、大きくのびをしてあくびをすると涙が出ることすらも「緊張→弛緩」である、
という考え方を読んだことがある。そしてこの3種類の「泣く」は、どれも快の感情を含んでいますね。

最近になって「スローライフ」がやたらに提唱されるのは、
普段の生活がギスギスしているからこそ、もっと弛緩が必要、という考え方にほかならない。
あなたを追い詰め、また壊していったのは、ストレスそのものではなく
ストレスが弛緩されることなく継続してしまったことにあると俺は思った。
あなたの受けたストレスは、適度な弛緩が与えられればプラスのストレスになり得たのでは、と残念に感じます。

つまるところ、格ゲーに限った話ではなく、「緊張だけ」「弛緩だけ」はつまらない。
「緊張と弛緩が適度に交代してやってくる」のが人を面白がらせる娯楽ってわけです。
格ゲーもこうあってほしいもんですね。

「貴方は皆ではない 皆は貴方ではない」
心得ておきます。これに関しては本当にゴメン。
でも俺は>>497から書き込みをしていなくて、>>518さんは別人です。

534捨てハン:2004/09/19(日) 09:13
格ゲーとプロスポーツで比較するという面白い話題が出ているので、俺もひとつ。

スポーツがおもしろくて、競技人口が多くて素人が楽しめているのは
ただ単に「からだ動かすのが楽しいから」じゃないかと思う。
休み時間にやる素人バドミントンは、単にシャトルを打ってるだけでもスカッとするよね。
その「単にからだ動かしてるだけで楽しい」という状況に、一つのルール(勝利条件)を加えてやることで
今度は勝ち負けという概念が出て、それが目標意識の元になる。勝ってみたいと思って熱が入る。
すると、動いてるだけでも面白いのに、そこに「軽度の緊張状態から弛緩へ、そしてまた緊張へ」という
「快」の波ができてくる。これが「勝って楽しく負けて楽しい」理想の状態だと思われる。
つまりここでの楽しさには二つの段階があるわけです。

こう考えてくると、今の格闘ゲームで何が初心者を苦しめてるかって言うと
「単にレバーとボタンをがちゃがちゃしてたら、キャラクターが動いた。おもしろい」という
最も初歩の部分の楽しさを十分に味わえないことにあるんじゃないかなあ。
そして、それと同時に、少なくとも中級者以上に位置しているであろう俺達自身が
この初歩の楽しさを忘れかけているんじゃないか、って思ってる。
あ、これも自分と他人を一緒だと思い込んでることになっちゃうかな。まぁ話を聞いてください。

他の世界と格ゲーの世界で違うなあ、と考える点が2点ある。
例えば野球はどうか。子供向けの入門書をみれば、「これがカーブの投げ方で、これがシュートで」と
事細かに解説があるそうですね。すると投げる球のキレは練習量と天性によるとしても、
手順を間違えさえしなければ、できるようになる方法が確立されてるわけだ。
「だれにでもわかる」「だれにでもやれる」という上達の手順や段階がスポーツには欠かせない。

そしてそれと同時に、上級者が「初心者の視点・基本の段階に、日々立ち返る」ということ。
プロ野球選手が練習時間に、チームメイトと笑いながらキャッチボールしているシーンはよく見るし、
プロのピアニストは演奏会のときだけピアノに触れるわけではない。
プロ雀士は頭の中を「初心者の考え方」に戻して初心者向けの上達本を書く。
上級者になればなるほど、初歩はどうであったかに思いを馳せるのが他の世界なんじゃない?
「触ってるだけでも面白いなぁ〜」なんていいながらゲームしてる上級者は、俺はあまり見かけなかった。
そこで出てくる上級者・初心者のギャップを指摘してくれているのが>>499だと思う。>>514はその通りだ。

浅学なもんで伝聞で申し訳ないんですが、カイヨワとかいう哲学者が
「遊びは単に個人的娯楽ではない。競争者も観客もいなければ、人はすぐに飽きてしまう」
と本に書いているそうですね。これと一緒なのが>>525なのかなぁ。
ましてや格ゲーは対戦がひとつの軸になっているのだから、人がいなけりゃ始まりません。
共に競い合う他を認めないことには、その姿勢は褒められないってことになりますね。


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