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1:2011/08/11(木) 04:26:56


117:2011/08/17(水) 02:48:07
音声として「言葉」を聞いたときの「音」のクオリア、 文字として「言葉」を見たときの「色」のクオリア、 として、意識はクオリア化して「言葉」を認識します。

思考過程においても、 頭の中で、声として「言葉」がイメージされたり、 文字として「言葉」がイメージされたりすると思います。
そのイメージされたものが、 「音」のクオリアであったり、「色」のクオリアであったりします。

118:2011/08/17(水) 02:49:14
逆転クオリアってやつだね、それ

119:2011/08/17(水) 02:49:50
>>115のことねー

120天才tinko:2011/08/17(水) 02:53:01
>>117
ごめん・・たぶん、やっぱわかってないわ・・
クオリア化はないw
あるかもしれないけど、仮定の話?
例えがよくわかんないw 言葉がクオリアとして認識される?

121:2011/08/17(水) 02:55:16
>>117はコピペだよ。「「言葉」自体というよりは、 」が最初にあるね。
質問内容は「クオリアの中には、「言葉」みたいに思考という過程を経由したものもあるんでしょうか?」

122天才tinko:2011/08/17(水) 03:03:37
>>121
じゃあその説明は間違ってる
言語を「音のクオリアで認識している」ってのは、正しいし
文字を「色のクオリアで認識している」っていうのも正しいと思う

グレーなのは、中盤の説明で
「受け取ったもの(クオリア)を言葉化する」ならわかるけど
「クオリア化したものを言葉として理解する」というのは
物理という客観から影響を受けた物を、人間は主観のクオリアに変換している、という仮定のものなら意味がなりたつけど
たぶん、本来のクオリアは「客観としてのクオリアがそこにあり、人はそれに頼って主観的解釈をするしかない」というものだと思う。
ここが、ちょっとグレー

で、間違ってる部分は
「イメージしたものはクオリアではない」という事は決定的に間違ってる。
赤色をイメージしても、それはクオリアではない。赤色を見ている時に感じるコレがクオリアなのであって
赤色をイメージしている時は「赤色の概念」でしかない
だから、その回答者は、オレが何度もいってる主観とクオリアの違いがわかってない。
概念とクオリアさえごっちゃになってる

123天才tinko:2011/08/17(水) 03:04:39
言葉が変だから訂正する

「イメージしたものはクオリアではない」が正しい。
だから「イメージしたものがクオリアになる」という事は間違ってる。

124天才tinko:2011/08/17(水) 03:07:36
こんなふうに、クオリアを「証明できない色の概念」とか「証明できない色の質感」でしか理解してない人が多いけど(まぁ、それでもいいけど)
本当に深い部分は、「証明できない今感じるコレ」にあるの

それは概念でもないし質感でもない”コレ”なわけ。 その”コレ”をクオリアと言うわけ。
変な言い方をすれば、クオリアは証明のできない客観なわけ。

125天才tinko:2011/08/17(水) 03:12:35
だから、これを読み解くには、まず「きみは主観って何だと思う?」っていう説明をキチっとさせないといけない
けど主観の説明も概念の説明も、ちゃんと出来る人は殆どいない。

せいぜい「自分が感じていて証明できないもの」ぐらいの認識でしかない。概念も主観も。
主観っていうのは、概念が関係してて、いわば、主観は概念の相関関係を定め解釈する目線(あるいは働き) みたいな感じ
まず、この言い回しが理解できないと、到底クオリアは深い意味で説明できない。
主観も概念も理解するには、主体的認識作用のありかた、そのものを理解しないといけない

126:2011/08/17(水) 03:13:16
現象学的還元(現象に立ち返る行為)がなされ、「私にはこう見えたよ」と主観的にされたもののうち、そこに表れている個々の感覚(どう見えたか)のことをクオリアという。

これでしょー?アナタの言いたいことって。
自分に感じられる主観的な感覚全部がクオリアの対象。

127:2011/08/17(水) 03:17:30
自転車に乗っている様子を描いてくださいと言われて、
自分が自転車に乗っている姿を描いた様子が客観で、
自分が自転車に乗っているときに見る風景などを描いた様子が主観、でいいじゃん。

128天才tinko:2011/08/17(水) 03:18:25
>>126
そうそう!!

「我思う故に我あり」みたいな事を現象学的還元っていうのか。
つまり、これは、全ての認識の出発が認知であるから、その認知(見えたこと)がスタートであるはず、という事だよね。
だから、他者としての物理が存在していて、そこから影響を受けたと考えるかどうか?はさておき
まずは、今起こっている現象に立ち返った時に、まず一番最初に「客観」として働く作用のことだよ。

129天才tinko:2011/08/17(水) 03:20:15
>>127
全然違うw 自分が思い描いてる時点で、両方主観
それは他順に「一人称視点で見てるか、三人称視点で見てるか」の違い
FPSとTPSの違いだな・・

130:2011/08/17(水) 03:21:25
いや、クオリア自体は分かってるけど何がしたいのかサッパリだったのね。
それで、「精一杯説明してくれてるのかなー?」と思って、少し応えてみただけ。

131天才tinko:2011/08/17(水) 03:22:19
>>130
たぶん、主観をわかってない時点でクオリアをわかってないw
分かってると思ってるだけw

132:2011/08/17(水) 03:22:37
>>127が言いたいのは「立って見る事が出来ない状態を描いているから」客観視点、ってこと。

133:2011/08/17(水) 03:23:17
http://blog.goo.ne.jp/yappy0625/e/8c22b9b2e54e057b02fb24ed84b93ddc/?cid=aabfb2313f0e5430a906e59a0c43569a&st=0
このサイトに全部書かれてあるの

134天才tinko:2011/08/17(水) 03:27:14
一応説明しておくが
FPSとTPSはゲームの種類の名称です・・
ファーストパーソン・シューティングとサードパーソン・シューティングの略称
FPSが戦争ゲームとかである自分目線の打ち合い画面で
TPSがモンハンとかPSOとかの、誰かをカメラで撮影してるような目線の画面

>>133
この説明間違ってる
▲のクオリアなんて、ありえない。 クオリアは根源的な認知作用における感じられるコレの事を示すもので
色や手触り、いわゆる五感に値するもの。▲というものの認識は概念によってなされるもの。「三角」というものを感知するためだけの五感がある?
これは典型的に概念とクオリアの違いがわかってないケース

135:2011/08/17(水) 03:30:02
そこじゃなくて、最後辺りの>>126だけ答えさらっちゃっておけばいいんじゃないかな

136:2011/08/17(水) 03:33:18
>>126でウンウン頷いてたじゃん。というわけで、アレってことでいい。
他のは余計にしゃべってしまってゴチャゴチャになってしまった〜ってことで。

137:2011/08/17(水) 03:35:10
なお、特に視覚に注目して定義を伝えましたが、実際には私に感じられる主観的な感覚全部がクオリアの対象になります。
例えば、りんごを触ったときのツルツルした手触り、コーヒーを飲んだときの香り、暖かさ、味、音楽を聴いたときのメロディ、、、そういったもの全て、私が感じたその「感覚」自体をクオリアといいます。

この人もこう言ってることだし、細かいところは気にしない〜
脳内保管って大切だと思うの

138:2011/08/17(水) 03:38:04
今チラッと見て思ったけど、PSO知ってるんだねー
ぼくは3時間程度で飽きちゃったけどねー

139天才tinko:2011/08/17(水) 03:39:25
>>135
現象学的なナントカのあたりは、オレが言ってる「主観と客観の違いがわからなきゃクオリアは理解できない」って言ってることと同じでしょ

今、クオリアに関係してくる、少なくとも哲学的な客観は、「どう見えているか」ってうのは、関係ない。
「どう見えているか」は全て主観で、「どういう目線か?」を疑問にして、はじめて主観から切り離すことで客観を定義できる
つまり、現象に立ち返った時の客観とはクオリアの事になる。(主観を構成する認知作用の根源という意味合いにおいて)
つまりクオリアは誰の目線か? クオリアとは誰のものか?を問わないといけない。(現象的には今は自分の中で起こってることとしか説明できないけど)
ただ、自分が主観の中で概念の相関関係をを定めて自我を形成していくなかで「こう見えるはずだ」という客観をつくる。この客観のデータ元は、すべてクオリアであるわけ。(そもそも主観の全てのデータ元がクオリアであるわけ。)

でも、少なからず▲のクオリアとか言っちゃう時点で間違ってるよ
この人は現象学的にいっても「クオリアは主観である」と思ってて、だから(決めつけていいものである)って認識になっちゃってる
クオリアが外的要素と関係性があるかどうかはわからないが、すくなくとも現象学的にいっても外的要素を捉えるセンサーの意味がクオリアだから
主観と客観を定義するとしたら、クオリアを内的な客観とするしかない
現象学がどういうものか知らないけど、現象学には主観しか存在しないって事は無いと思うけど、わからないw

140:2011/08/17(水) 03:43:40
>>139
そっかなー とりあえず取っつきやすいようにああ言ったんじゃないかなって思ったよ

141:2011/08/17(水) 03:51:08
「なんで空はあんな色をしているのかしら」
「空色のクオリアを感じているからだよ」

142天才tinko:2011/08/17(水) 03:53:13
>>136
やっぱり、理解できてないよ海ちゃんは
理解できたら、こうやって説明できる>>139

>>137は正しい。ようするにクオリアは五感によって感じる”この感じ”の事を主観から切り離して考えたものだから。
この主観から切り離すってのがすごく大事で、それは「五感を自我の範疇としない」という事だよ。
それは、「五感が自我に影響をうけない」という事。
実際はプラシーボ効果とかで五感は自我や概念の影響をうけるんだけどw
それは、五感というセンサーそのものは、情報世界の臨場感が高まらない限り、物理世界の臨場感にのっとって概念の影響を受けない。と説明すればいいと思う。

だから、なんで五感を主観から切り離すのが大事かっていうと
五感が主観だとしたら、クオリアが主観だとしたら、この”見えてる感じ”が主観であり
「他者に受け取られた時食い違いがあってもいいもの」となるので、今ある世界と矛盾がおきる。
つまり、それは「他者に受け取られた時に食い違いがあってもいいクオリアと概念によって、食い違いなく動いてるこの世と概念」という事になる。
概念が主観であり、クオリアも主観なら、概念が共通性をもち他者と一致する時点で「クオリアは一致する」という単純な結論になる。

でも、そうじゃなくて、概念が主観って事は、概念は自我の中に相関関係を構築させるって意味。
となるとクオリアも自我の中で相関関係を構築されているのか?って事になる。
でも、それだとやっぱりおかしい。つまり「始まりの何かがあり、そこから相関関係が構築される」ものだから。
この出発点が「現象」であり「我思う故に我あり」であるわけ。

だからクオリアを客観としないと、逆転クオリアという想定はなりたたない。
逆転概念はありえないってのはわかるでしょ?それは主観に依存するから。 でも逆転クオリアはありえる。それは自我から切り離された存在性が確認できるからなんだよ。

もうやめるか、ちょっと深入りして、かなり難しい領域に入り込んでる
この掲示板にこれを理解できる人はいない

143天才tinko:2011/08/17(水) 03:55:37
>>138
PSOおもしろいよ!!!!!
もったいない・・・友達とプレイしたら楽しいのに!!!!
オレ、レンジャー使ってたよ

144:2011/08/17(水) 10:07:14
理解は出来ても説明は出来ない人々はたくさん居るよ。
そして、実際に説明は出来ていてもそれが伝わらなかったら「説明出来てない」とする人々もたくさん居るの。
だから表現方法は多種多様なのね。

クオリアってのは「主観的体感を伴う質感(>>137)」のことで、クオリア自体は主観的なものだけど、クオリアを捉えるときは客観的でなければならない。でいい?
そして「クオリアを感じさせている何かがあって〜」って説明で伝わるかな。

145:2011/08/17(水) 10:10:40
そして「クオリアを感じさせている何かがあって〜」は
>つまり「始まりの何かがあり〜」を少し言い換えたんだけど、これは合ってる?ってことね。

お友達はラピ子なのね。きゅぴきゅぴ。
焼き鳥にするととってもおいしいんだ。
PSPo2iではフォースしてたなー

146名無しでござる:2011/08/17(水) 12:38:01
>>81
>英語はよくわかんないんだけど

と言った端から英語の講釈を始める、頭が悪い。


>>82
>「悪いことでないと確信してなされる」=「間違いに気づかない」だよ(以下略)

理解できないらしい、やっぱり頭が悪い。


いや、頭が悪いというよりも、

>>83 >データ・クレーム・ワラントも内包・外延も、元々感じていてわかってた。
>>83 >オレをモデルとした口調をオレにぶつける、っていう、その態度もどうかと思ってます。
>>114 >もう、こういう話、普通の人に通用するレベルにいないのかもしれない、オレ・・・
>>142 >もうやめるか、ちょっと深入りして、かなり難しい領域に入り込んでる>この掲示板にこれを理解できる人はいない

あたりを読むと・・・、

以下wikipediaより引用。
―引用ココカラ―

妄想とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。
妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)場合が多い。
精神医学用語であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、
経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされている。

■分類
1.誇大妄想
 誇大妄想は、現実的な状況から逸脱し、自己を過剰評価したり、実際には存在しない地位・財産・能力があるように思い込んでいる状態である。
 躁病によく見られる。誇大妄想の原因として評価基準の甘さと自己と他者の評価のバランスの悪さがある。

2.被害妄想
 他人から悪意をもって害されていると信じる妄想。
 何らかの犯罪的な干渉を受けていると信じこみ、事業や就職などにおいて失敗しても、他者からの攻撃で失敗したと考えたり、
 「脳内に何らかの機器を埋め込まれ、意識や行動を操作されている」と考えたりする。被害妄想も参照のこと。

3.注察妄想
 「常に盗聴されている」とか「隠しカメラで監視されている」と思い込む妄想。

4.関係妄想
 周囲に起こっている現実を自らに結びつけて考える妄想。周囲の行動・言葉に過敏で自己に関係して捉えるが
 それに動じることも多く妄想まで発展し現実離れしていく。

5.盗害妄想
 自分の物を盗まれたと思い込む。認知症によく見られる。

6.罪業妄想
 自分は非常に悪い存在だ、罰せられるべきだ、皆に迷惑をかけているなどと思いこむ妄想。うつ病によく見る。

7.心気妄想
 自分の身体の一部が病気にかかっていると思いこむ妄想。実際に病気に罹っていても、その症状が自分の思っているより非常に軽い場合も
 この種類に分類される。うつ病によく見られる。

8.貧困妄想
 現実にはそうでないにも関わらず、自分は非常に貧しい、借金を抱えてしまったなどと信じる妄想。うつ病によく見られる。

9.宗教妄想
 誇大妄想の延長上、またはひとつの症状として考えられる。
 統合失調症のひとつの症状としても考えられているが、自分自身に何か超次元的で特別なパワーがあると信じたり、
 霊界のような所から特別な預言や啓示を受けた、またはあらゆる病気を癒す力を授けられたなど、
 内容が極めて非日常的で壮大なものであり、訂正不能な強固な確信があることが特徴である。(略)

10.その他
 不死妄想、Capgras妄想、被毒妄想、恋愛妄想、血統妄想など(詳しくは統合失調症参照)。

―引用ココマデ―

上記のうち、誇大妄想と関係妄想が認められる。
滅裂思考、言語新作などの思考障害も観察されるが、これらは躁病や統合失調症などに多くみられる症状・障害である。
軽度の躁欝病ならばまだしも、仮に統合失調症だとすれば、悪化することこそあれ自然寛解はあり得ない。
速やかに専門医に受診、相談し、適切な薬物療法などを行うべきだろう。

参考url:http://www.nurs.or.jp/~taiga/psychiatry/schizophrenia.htm

147:2011/08/18(木) 02:31:25
1から全部読んできた。40ぐらいからはちゃんと読んでなさすぎて会話になってなかったね。
で、それはいいとして144と145は無しね。全然違ったの。

熟したトマトの表面を見ることに伴うクオリアとは、視覚によって直接アクセスできる特有の質、つまりその赤さであり、
コーヒーを味わうことに伴うクオリアとは、嗅覚と味覚によって直接アクセスできる特有の質、つまりその味や香りである。
クオリアは徹底して主観的、一人称的である。つまり、客観的な現象としては自分の脳の中にも見出せない。
主観がある程度集まったとき、その共同体の内部でそれは「客観」と呼ばれるようになるが、それもあくまでも原理的には主観である。
従って、クオリアは現在のところ証明不可能である。何故なら、あなたが私にならない限り原理的に確かめようがないからだ。

これでいい?

148天才tinko:2011/08/30(火) 20:27:34
大体いいよ!

>主観がある程度集まったとき、その共同体の内部でそれは「客観」と呼ばれるようになるが、それもあくまでも原理的には主観である。

ここが、ちょっと違う。
「我思う故に我あり」って考え方があって、それは今見えているこの世界の全ては私の主観だから本当に存在するかどうかわからない、って考える。
つまり「自分が見えているモノが、自分以外から見たら存在していないかもしれない」っていう意味だ。

こういう考えを突き詰めて行った時
「そもそも自分自身は本当に存在するのか?」っていう問題にぶつかる。

自分を証明できる「主観ではないもの」を証明できない限り、自分が本当に存在するかどうかを証明できない、っていう事になってしまう。
でも自分は他人になれないので、「自分以外から見た自分が存在するかどうかがわからない」
もちろん他人に「いまオレ存在してるかな?」と聞いた所で、オレが見ているその他人が本当に存在するかどうかがわからないので意味がない。

すると結論は「自分自身は存在しない」になってしまう。
だけどそれじゃあ矛盾だ。
だって「この世は全て”私”の主観だから証明できない」という事を根拠に、結論が「”私”は存在しない」だと、明らかにおかしいでしょ?
”私”が存在しないのながら、じゃあ主観はどこからやってきたの?
そう考えた時、「自分自身は本当に存在するのか?」と「疑っている何者か」は絶対に存在するわけだ。

つまり客観とは、主観(人)が多数集まり、その多数の仲で共通して「これを客観としよう」と決めたものではなくて、
客観とは「主観(自分の信じている現実)から切り離せるもの」が客観なわけ。それは他人との合意以外にも「主観から切り離す」という作業を行うことができる。
その1つが「我思う故に我あり」なわけ。

「主観は証明にならない」だから「主観は存在しない」とすると、「主観を疑う何者か」の存在が説明できない。
主観が証明できない、ゆえに主観を見ている”私”は存在しないのだとしたら、そもそも主観を疑う何者かなどは存在するはずがないからだ。
つまり、これらの考えは「主観を疑う何者か」という存在を「主観(自分の信じている現実)から切り離すことができる」という事であり、これこそが「自分自身」の存在を証明できる、自分の中にある主観から切り離すことのできる”目線”であり、これこそが自分自身の始まりだ。と考えるわけやね〜〜

この本当の”目線の違い”を意味する所の「主観と客観の違い」を理解できてる人は、実は少ない。
根拠なく簡単な事だと思われてるけど、簡単に理解できるものじゃないんだよ。

最近は、この違いが理解できていない事の連鎖に思えるような出来事が多い。
例えば、物事を主観から切り離した評価軸で語ることが出来ない人がとても多い事だったり、
自分が何について話そうとしているのかを、自分以外の目線に伝えるにはどうしたりいか?という事をそもそも考えられない、
自分が見えている世界をくり返し述べるだけという人も増えてる。こういうのはとても頭が悪い。

149天才tinko:2011/08/30(火) 20:33:33
>”私”が存在しないのながら、じゃあ主観はどこからやってきたの?
って考えたとき、この主観は「神がくれたものだ」って考える事もあったような気がする
んで、そのアンチ神の論理で主観の内在にある”目線”の存在を証明したのが、「我思う故に我あり」 みたいな流れだったような

150名無しでござる:2011/08/31(水) 16:44:28
実際にクオリアを感じているかどうかは説明ができない
なぜならば、クオリアを持ち出さなくても相手の行動がすべて説明することが可能だからだ
脳細胞の動きだけで、相手の行動がすべて説明できてしまう
脳細胞という神経が物理的な条件にしたがって、隣の脳細胞に延々と刺激を伝えている、という歯車的な機械しか見つからない
「その関係性が客観的に正しいかどうか、他人と共有して検証しようがない」という問題がどうしても付きまとってしまい、
つまるところ、科学の理論として、みんなが共有できる客観的なものにはならない
厳密に言えばクオリアを科学として取り扱うことはできないけれど、そんなことしてたら何も語れなくなってしまう
しかし、「他人の脳だって、同じ物理状態になったら、同じ現象が起きるはずだ」と考えるのは、とても妥当なこと
なぜならば、科学にはなんにしても譲れない前提はあるはずで、そういう暗黙の了解の上に構築されているから
だからこそ「クオリア」や「哲学的ゾンビ」が難問として人々を蹂躙している

151名無しでござる:2011/08/31(水) 16:47:21
修文

実際にクオリアを感じているかどうかは説明ができない
なぜならば、クオリアを持ち出さなくても相手の行動がすべて説明することが可能だからだ
脳細胞の動きだけで、相手の行動がすべて説明できてしまう
脳細胞という神経が物理的な条件にしたがって、隣の脳細胞に延々と刺激を伝えている、という歯車的な機械しか見つからない
「その関係性が客観的に正しいかどうか、他人と共有して検証しようがない」という問題がどうしても付きまとってしまい、
つまるところ、科学の理論として、みんなが共有できる客観的なものにはならない
厳密に言えばクオリアを科学として取り扱うことはできない
しかし、そんなことしてたら何も語れなくなってしまう
「他人の脳だって、同じ物理状態になったら、同じ現象が起きるはずだ」と考えるのは、とても妥当なこと
なぜならば、科学にはなんにしても譲れない前提はあるはずで、そういう暗黙の了解の上に構築されているから
だからこそ「クオリア」や「哲学的ゾンビ」が難問として人々を蹂躙している

152名無しでござる:2011/09/01(木) 11:34:02
言葉は全て概念だぞ
「それなら概念だね」なんて要らない

153:2011/09/02(金) 12:54:54
不適切な内容:主観がある程度集まったとき、その共同体の内部でそれは「客観」と呼ばれるようになるが、それもあくまでも原理的には主観である。


不適切な内容を変更したもの:主観とは、自己に内在するものである。それが外在化されるとき、必ず客体化を伴うので、主観を完全に伝達することは原理的に不可能である。

これならどう?

154天才tinko:2011/09/03(土) 02:17:17
いいよ!

155:2011/09/03(土) 04:19:47
やったね!

157名無し:2014/01/21(火) 16:05:23
結論:ただの長文大好き派達のオナニースレ。
>>11
>オレは基本的に言葉を本来のものより多く意味をもたせる事は絶対しないよ。
むしろ、書きこむ時は常に「どこまで言及したらいいかな・・」を考えてる。
できるだけ簡潔に言い表せるようにしてる。昔は意味を複雑な言い回しにし
たり付け足したりしてたけどね。喧嘩だっら今でもそういう事もするかな。


最初に発言してた趣旨から遠く離れたとこに飛んじゃったね〜ドンマイ♪

158名無しでござる:2014/01/24(金) 04:23:22
>>157
なんか言ったか雑魚


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