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メモ

1メモ:2011/02/17(木) 16:52:40
メモ

2あろk:2011/02/17(木) 17:12:31
読書でも、対話でも、物事を読み解く時に大切なのは
「相手は、どういう行動基準や価値観を持って、行動や発言をしてるのだろう?」という点に注目する事かもしれない。

物事を読み解いたときに受け取る感情は、受動感情と能動感情の2つに分けられると考える。
受動感情は、ただ感情を思い起こすだけのもので、その場で終わる刹那的なものだ。
能動感情は、思い起こした感情を自分の行動基準に根ざして、能動的な行動のエネルギー源とできる感情だ。

また「パレートの法則」という物がある。
これは、全体のうち20%程度の優れた要素が全体を動かし、
残りの80%は全体の中枢的な働きに影響を与えていない、みたいな考え方だ。

このパレートの法則が、受動感情と能動感情に対しても言えるのではないか。
80%の賢くない人は物事に触れたとき受動感情しか呼び起こせない。
だから、考え方や思想によって行動を変えることができない。
残り20%の賢い人は、物事に触れて能動感情を呼び起こすことができる。
能動感情を呼び起こせば、その時に理解した考え方や思想を、自分の行動原理に根ざしやすくなり、行動を変えやすくなる。

そして、その能動環状を呼び起こすには
物事を読み解くときに「この相手の価値観はどんな物だろう?」という問いを自分の中に作り
その答えを探す事で、価値観の模索をする必要がある。
相手の価値観にまで問いを進めずに、相手の言う事を上辺だけでしか受け取れないと
受動感情しか呼び起こされない。

「何の話だろう?」や「どういう話だろう?」という問いだけではなく
それと同時に「どうして、こういう話をするのだろう?」という相手の価値観まで問い
そしてさらに、その答えを探さないと、能動感情は呼び起こされないのではないか。

この能動環状を呼び起こす事が賢さの鍵なのではないだろうか!!!
何をやっても芯を得ない人は、受動感情しか呼び起こされず
芯を得てる人ってのは、能動感情を呼び起こしているから、っていう説明は、うまくいってる気がするんだけどなぁ・・・
とりあえず、ここまで

3あろk:2011/02/17(木) 17:33:16

せんせいあのね。

そもそもね、ぼくは人に優しくしたとき、
その見返りがない事に注目したの。
(っていうか、注目せざるを得なかったの)

そんで思いついた考え方が
人に優しくした時、相手が受け取る感情は
「能動感情」と「受動感情」に分けられるんじゃないか、って事。

どんだけ優しくして、相手から浴びるほどの「ありがとう」を貰っても、
どんだけ仲の良い友達がいて「オレはオマエが好きだから」って言葉を貰っても
どんだけ相手を信じて、相手から「あなたにしか話したことがない」と言われる話を教えてもらっても
これらの全てが「受動感情」の延長線上にあったら
それはボクにとってプラスにならないの。

なぜプラスにならないのか。
それは「受動感情」によって、その相手が能動的に動くことはないから。
「能動感情」でしか行動は変わらないの。
相手の感じているものが「受動感情」であったら
どんだけ相手から感謝されたり、10年来の付き合いがあっても、
親にも今までの彼氏にも誰にも話したことのない話をオレにだけ教えてくれたとしても
相手の人生にぼくが関わる、という能動的な行動や決断を迫られると
「それは話が別」となる。

なぜ話が別になるのかというと、信頼にみえているソレは「受動感情」による「親しみ」だからだ。
相手の受動感情が求めてる親しみは「受動的に話を聞いてくれるぼく」であって
「能動的なお付き合いのできるぼく」ではないのだ。

そしてもう1つ特筆すべき点は、
これら「受動感情」によって行動する人には
ぼくなりに感じる「芯を得る感覚」がない事だ。

「芯を得る感覚」は、感覚的な物だからうまく表現できないけど
もしかしたら、「相手とフェアでいられるかどうか」という事かもしれない。
「受動感情」の人は、どこかしら結局のところ
相手に「自分にとって都合のいい面」だけを感じている節がある。
そして、「自分にとって都合のいい面」をくれる相手には
最大限の賛美と、秘密話とかをくれたりするけど
能動的な「信頼」には結びつかない。
秘密話は「自分にとって都合よく、受動的に話を聞いてくれる」から話してるだけであって
おそらく、そこにある計算は
「この人に、この秘密を話しても、私は傷つかないで済むだろう」という計算意外の何ものでもない。

さらに言えるのは、この「受動感情」を刺激する事で相手に与えているものは「安心感」かもしれない。
相手は、自分を受け入れてもらえる安心感を覚えて、親しくしてくれるが
それは、あくまで受動的な安心感なんだ。
ぼくが、万が一にでも「一緒に向上心を持って活動をしよう。お互いのために」という事を提示すると
意見には賛同するが、能動的活動はしない。
なぜなら「今は、こう考えたほうがベストだから、この考え方を採用しよう」と言っても
「受動感情」がベースの人は、「受動感情」によって「行動」が変わることがないからだ。
「能動感情」を持ってる人じゃないと、「能動感情」による行動の変化は起こらない。
そこが、ぼくが「受動感情」者に対して献身しても報われない
一番の原因なのではないだろうか?

4あろk:2011/02/17(木) 18:14:56
有力な自分を変える方法として、3つの方法があるという話がある。
「時間配分を変える」 「住む場所を変える」 「付き合う人を変える」の3つだ。
「決意を新たにする」ことは意味がなく、意志だけでは自分を変えられない、というのだ。

ぼくが思うに、
この3つの方法と
「決意だけで行動をかえる」事の共通点は
「能動感情」を呼び起こせるかどうか、だと思う

時間や場所や人間関係は、他者の影響によって自分の存在を認知し
尚且つ行動までも強制的に変えなくてはならない条件だ。
自分の身に差し迫って、態度や行動を変えないといけないとき
人はイヤでも「能動感情」を呼び起こされる。

この「能動感情」の一番のポイントは「能動」でありえるかどうか、だ。
能動的ではない「**だったらいいよね」だとか 「**になりたいな」だとか
そういった、ありとあらゆる受動的な感情では呼び起こされない感情だ。

そして、自分がいくら相手に尽くしても、相手が「受動感情」しか呼び起こされない場合には
「優しく話を聞いてくれる人」や
「なんでも受け入れてくれて安心感をくれる人」が
相手の「受動感情」の刺激にしかなっていないからである。もしくは、
献身を理解して「能動感情」を呼び起こすだけの能力が相手にないからだ。



ぼくが、ありとあらゆる手法で相手に干渉しようとしても
相手がこの「能動感情」と「受動感情」の違いを理解していてくれないと
いくらぼくが、相手の「能動感情」を引き出そうと企てた所で、
相手が一方的に「受動感情」を呼び起こすだけで
ぼくの干渉が、全て無駄になる。
むしろ逆に、ぼくの干渉は相手にとって、煩わしく、無視に値する物になるのかも知れない。

じゃあ逆に、「受動感情」だけで一般的な「お付き合い」が成り立つのは、どうしてだろうか。
それは「共通行動」を繰り返す事で、限定的な擬似「能動感情」を呼び起こすからだ。
「共通行動」をするには「現実」で近ければ近いほうがいい。
同じ行動を共にする回数が多ければ多いほうがいい。
現実で同じ行動を共にしていれば、行動を共にしている間だけ、お互いの「能動感情」が合致する。
深く理解しあおうとしなくても、思考停止したまま行動さえ共にしていれば問題ないということだ。

旅行やデートやチョメチョメなどの、定型化された行動をお互いに”こなして”いれば
それだけで、ある程度の一体感が得られる。
なぜ一体感が得られるのか?は、
おそらく、強制的な定型的行動によって、僅かながらの「能動感情」が引き起こされるからだろう。
こういう、決まった行動を繰り返す恒例行事を「リチュアル」というらしい。
「リチュアル」とは儀式という意味らしい。

つまり、これは逆にいえば
「お付き合い」を「儀式化する」という事は
「受動感情」しか呼び起こせない80%の人たちをまとめる上で
すごく有効な知恵でもあった。という訳だ。

5あろk:2011/02/17(木) 18:15:14
ぼくが、相手の受動感情に振り回される理由は、おそらく
ぼくが相手を信頼するのは、相手がぼくに「能動感情」を向けてくれたら、という条件付をしているからだろう。
ぼくは最初、相手への行為を「受動感情」を刺激する事で、つまり
相手を受け入れ続ける事で、相手からの信頼を得ようとする。
その信頼によって、相手の「能動感情」が呼び起こされる事を期待していて、
それによって、ぼくへの見返り(積極性)が現れたら
それがボクにとっての「信頼」になる。
そして、相手の「能動感情」に、ぼく自身「能動感情」で答える
というプロセスでありたいと思っているのだと思う。

さらに、ぼくが「男性の扱いになれた女性」に弱い理由も、これで説明ができる。
「男性の扱いになれた女性」とは、自分がどういうエッチな仕草をすれば、
相手の男性が、どう戸惑い、どう行動してくれるかを「仕組化」できている。
つまり、こういう女性は、男性を誘うことに於いてだけ「ブリーフ」と呼ばれる
「行動の手順を形式化したマニュアル」のような物を持っていて、
その「ブリーフ」を引き出し、相手へ誘いをかけるときだけ「能動感情」が活性化しているのだ。
そしてぼくは、相手の女性が「能動感情」(積極性)をぼくへ向けたことで
それが「信頼に足り得る」と判断してしまう。
ここでのポイントは「能動感情」は、お互いを理解し噛み合う行動をするのに
欠かせない要素ではあるが、
「能動感情」そのものが「信頼」と直結するわけではない、という事かもしれない。



今回、ぼくがどんだけ尽くして、相手の「受動感情」を受け入れ続けても
ぼくの欲しい「能動感情」が呼び起こされない、という事でジレンマを感じ、
それが結果的な”見返りが無いことに注目せざるを得なかった”理由だ。

6あろk:2011/02/17(木) 18:35:51
テレビや映画で感動するだけのが、受動感情
本や相手の価値観を問い、「これを、同理解したらいいだろう」とか
「どう活用したらいいだろう?」って考えるのが、能動感情
と言えるかもしれない。まだまだ不完全だけどね。

7「問と答え」と「連想」と「if」:2011/02/19(土) 23:58:56
「予測」で読解に強くなる!ちくまプリマー新書 を見てて気づいた点がある。
この本では、本とは書き手と読み手の擬似対話である、としている。
これは、小飼弾も苫米地英人も同じことを言っている。
擬似対話とは、どういう事か。
それは本の中に問いの手がかりと答えのヒントが入っていて
読み手は、書き手が示すヒントを読み取り、自ら問いを作り、答えを探す。
この過程が擬似対話なのだと。本をヒントにした自問自答のようである。

そこで、活字による対話という事で、掲示板をすぐに連想した。
しかし、掲示板と本では決定的に違う所がある。
それは本が”擬似対話”なのに対して、掲示板は”実際の対話”である、という事だ。

掲示板への書き込みに本的な読み物としての問いと答えのヒントを一方的に書き記すのなら、
掲示板の「返事ができる」という機能が活用されていない。
掲示板では、書き手が問いを投げかける事で
そして読み手が実際に答える事で、本物の対話ができる。

しかし、掲示板に於いても「文章の予測」という意味合いでの「問いと答え」は健在でもある。
まわりくどい説明になってしまうが
掲示板の書き込みに、書き手は問いと答えのヒントを書く。
読み手は、その問いと答えのヒントを元に、書き手が示したい問いを予想し、そしてその答えをも自分で予想する。
そしてさらに、その「問いと答え」の擬似対話で得た、書き手が示す内容に対して、読み手が新しい「問いと答えのヒント」の入った返事を書きこむ。
そのなかで、書き手の予測していないであろう問いや、読み手がわからなかった答えを、保留状態で書きこむ。(これが質問にあたる)
そして、その答えが帰ってくる事が”実際の対話”という事になる。
答えとは、質問の答えや、書き手と読み手がお互いに示す「問いと答え」が一致できている、と確かめ合える事だ。

ここで思ったのは、本の擬似対話と、掲示板の対話を見比べても、
対話において、問いと答えというやりとりがとても大きい割合を占めている、という事だ。
一時期ぼくは、会話に置ける質問の割合をあまり増やさないようにしたほうがいいのかな?と考えた事がある。
それは自分の会話を省みた時、あまりにも「**ってなに?」っていう類の、単純な質問が多かったから。
質問の連続じゃ、話し相手もうんざりしちゃうはず。
だから、質問の数は少なめにするとした。
でも会話から質問の要素を減らしたら、どうやって会話したらいいのか?
自分の感想を述べて、相手の感想を聞く。これがベースになるのかな? とか思っていた。

そして今回わかった面白い点は、その「自分の感想」の中に既に「問いと答え」という形での「質問」が入ってる事だ。
「問いと答え」を自分の中で繰り返した上での「全体像」が感想になるわけだから、「感想」そのものに、既に質問という要素が内側に入っていたのだ。

質問の重要性からもう1つ連想したのが”if!だ。
プログラムの最大の基板はifによって結果を変えられる点にある。
これも、ある種の”言語”に置ける中枢を担う要素だから、会話か、もしくは検証か、いや具体例はともかく、質問に並んでifは会話の中枢であるはずだ。
実際の対話に於いても、しばしば会話を新しい展開へと進めるのは「もし**だったら」という仮定じゃないだろうか。

あとはまぁ、何気ない会話から、まったく関係ない事を思いついたりする連想も、会話の中枢と言えるだろう。
連想は、これまた文章理解の「予測」に必要な「フレーム」という概念を創り上げるのに必要なものだ。
会話の内容から連想して、使える「フレーム」を引き出す、という事らしい。
フレームについては、「予測」で読解に強くなる!を読んでね!
そして、実際の対話の中でうまれる「もし**だったら」という仮定も、会話の「問と答え」から連想される、新しい「問いと答え」という事になる。


質問(問いと答え)と、if(仮定)と、連想。
これらは、会話の中枢要素ではないだろうか。

質問は質問で、子供の頃から「なんで?」を繰り返すと相手を閉口させられるとかで、その要素の重要性を実感していたし
ifだって、ドリフやお笑いにみる「もし、**なお風呂屋さんがいたら」とかで、その重要性を実感してる。
連想は、あの一時期はやったマジカルバナナや連想ゲームは、「連想」という行為がそれだけでゲームになるほど重要な要素だ。
やっぱり、こういった私生活でむき出しに使える要素は、元素的な、物事の中枢となる、キーポイントなのかもしれない。

8名無しでござる:2011/02/24(木) 01:20:44
おまえ天才?

9<font color="ac84f7"><b>天才tinko</b></font>:2011/04/08(金) 22:58:59
>>8 ウフフ


なんらかの状況に対して、なんらかの違和感を感じたりした場合
その違和感を前提として考える、という考え方がある。


これだと無理がある。
では、無理があるとして、それを成立させる為には、どうしたらいいか?、と考えるみたいな。
とりあえずメモ

10天才tinko:2011/04/10(日) 04:54:57
>>1
今決定的に思ったのは
能動感情は「相手の価値観を模索することで生まれる行動エネルギー」とするより
「相手の行動や答えを、自分がした行動や答えのように、
 常に相手の身に起こっている事を自分の身にリアルに起こっているように考えられる事」
と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

仮に、「行動エネルギー」とは、自分をコントロールする事だと定義する。
その時、自分がコントロールできない外的要素によって、自分がなんらかの影響(良くも悪くも)を受けると、
その状況を変える(良くも、悪くも)する事を求め、自分をコントロールする事で、外的要素への対処をしようと試みる。
これが、肌感覚で大雑把に並べ直した「行動エネルギーが」起こる過程だ。

「時間配分を変える」 「住む場所を変える」 「付き合う人を変える」の3つは
どれも、直接的に「自分でコントロール出来ない要素を強制的に変える」という意味合いを持つ。
自分でコントロール出来ない物に直面し、それにどれだけのコストをかけても変化が見込めないと実感した時、
はじめて「自分をコントロールする」という発想に転換されるんだと思う。
その時に、意志をもってもがいて、動く事に臨場感を感じる感情が「能動感情」かな。(あやふや)

11天才tinko:2011/04/10(日) 04:57:21
そうそうそう
「相手の身に起こっている事を自分の身にリアルに起こっているように考えられる事」
ってのは、いろんなコト、特に自分以外の事にかんしても大きな緊張感をもって「自問自答し続けること」ができるか?って事だ!

12天才tinko:2011/04/23(土) 20:59:46
なんかさ、意味の本質って「気取る」事なのかなって思った。

絶望を気取ってれば、それ相応に苦しみがあるし
楽観を気取ってれば、それ相応に薄くなる。

先に苦しみの実績があって、そのせいで苦しんで、結果絶望しているのか
先に絶望の気取りがあって、そのせいで苦しんでしまうのか。
まあ、正しさというか、現象を正しく読み解くとしたら、
人間に起こっている現象は後者なんだけど
問題は「なぜ気取るのか問題」だと思うんだよ。

オレは常々「気取るのが嫌だ」と思って生きてきたわけさ
オレにとってのあからさまな「気取り」は皮肉なわけさ。
そもそも「気取る」ってなにさ?

13天才tinko:2011/04/23(土) 21:03:08
例えばさ、彼氏彼女とかも、オレは「気取ってるだけ」にしか見えないんだよ。
オレからすれば、全部「ごっこ遊び」にしか見えないんだよ。
じゃあ、オレが「ごっこ遊びではない」と思えるものはなにか?って考えると、それは資料(データ)か論理(考え方)の、どちらかに絞られてしまう。

「気取る」ってのはさ、いってみれば「ごまかす」って事だよね?
本当は赤色の中身を持っていても、気取ることで、ピンクっぽく見えてくる気がする。
そんな気がするように働きかける事が「気取る」事だよね?
本当は赤色なのに「ピンクごっこ」をするのが「気取る」って事だよね?

だけどさ、オレは「気取る」のってキライなんだ。
だって中身が赤かったら赤いはずじゃん。
中身がピンクだったらピンクなはずじゃん。
資料(データ)や論理(考え方)がなぜ「気取れない」ものなのか?っていうと、
これらは、見せ方を変えても、中身が変わらないからなんだよ。

14天才tinko:2011/04/23(土) 21:23:21
だからオレは「気取らないオレ」でいたかったわけよ。
その為には、いろんなスタンスで生きてみようと思ったわけよ。

ぼくはね、10年ぐらい昔は、ものすごく寡黙な人だったの。
こんなに理屈をベラベラ自分で並べるような事はしなかった。
そのかわり、誰かが広げた理屈に、後追いで理屈を被せて驚かせるような事は、しょっちゅうしてた。
もちろん、みんな驚いた。
10代の頃のオレは、みんなから「実はあいつは40代のジジイだ」とか言われた。
「あんな熟考した意見をぶつけてくるのは、ちょっと学のある事を鼻にかけてるヒマな40代のジジイだろう」って思われるような10代だった。

そのあと、積極的に自分が発言を振るようになった。
これは意識していたわけじゃないけど、みんなから驚かれるようになって、ちょっと自分が認められて解放されたから、自然とそうなった。
ただ、どこかで「他人の理屈を後追いして、その理屈を崩すなんて卑怯だな」とはずっと思ってた。
なにより「最初に理屈を立ててくれる人」が居ないと、喧嘩にならなかった。
そこからオレは、だんだんと「素知らぬ顔して、通常スタンスの人から理屈を引き出す」技術を学んでいった。
これが一番最初の「煽り」となった。
元々、喧嘩が始まれば相手の言い分を、あっちこっち引き回してボロを出させるような、結構暴れるタイプの無茶するスタンスだったから、
その「あっちこっち」引き回すコツがだんだんと分かってきて、引き回し方スムーズになったら、それが自然と「相手から理屈を引き出す方法」になってた。
相手が理屈を並べてくれないと動けないオレは、相手に理屈を並べさせる方法を身につけていったわけ。

ここでも、やはりオレは絶好調だった。
みんなに驚かれて、よほどの識者意外は、完全に無敵であった。
また鋭い人と、「ごまかし」の議論を避けた喧嘩をすると、それは逆に、資料に基づいた建設的な話題になっちゃうような事もちょいちょいあった気もする。

だんだん、相手の理屈を崩すことはオレにとっては普通になってきた。っていうか普通すぎた。
ここらへんから「より無茶な理屈を無理やり正当化する」事を楽しむようになってきた。
この「無茶な理屈を無理やりぶつけて、しかも相手は抵抗できない」ような図式が、「煽り」の第二段階となった。
まさに、理不尽で、「怒り」とか、感情を引き出す煽りになっていった。

ここらへんでオレは、論理(考え方)のやりとりで相手をどうこうする、というレベルの話じゃなくなってた。
どうこうする、というか、どうにでもできてしまうから。

15天才tinko:2011/04/23(土) 21:36:12
オレは、気取るのがイヤだから論理(考え方)で気取ってたはずだった。
論理ってのは道なはずでしょ。
いろんな論理を作って、自分の思ってる事や、考えられる事の道を極めたら
そこには、気取らないオレがいるはず、のような気がしてた。
論理なら気取っても追いつけない、そのままの自分が出てきちゃうものだと、なんとなく思ってた。

棒を100本ぐらい用意してさ、無造作にそれを重ね合わせる。
そうすると、棒が重なりあった点ができるよね。
その棒の重なりあいの中には、棒が複数重なってる「要所」となるポイントがあるはずだ。
その要所は、1つに絞れないかもしれないけど、どのくらい「要所」があるのか?その全容が大体わかれば
それが「気取らない自分」が見通せるヒントになる感じがした。

でもなんか、違った。
どんどん、わかんなくなった。
元々オレは女の子に「かわいいねー」とか、クソ言わなかった。
今でこそ、挨拶のように言ってるが。昔は「かわいいねー」って言うヒマがあったら「死ね」って言ってた。
「え?女? 死ね」みたいな。
むしろ「女?ふーん、どうでもいい。問題は論理(考え方)ができるか、できないか?だけだ」みたいな態度だった。

「死ね」が定着してきたからオレは方向転換をはかった
「死ねって気取ってる」事が嫌だったから。
「死ね」と対極であって、オレもなんとなく抵抗感がある、逆の行動をとる事にした。
自分が抵抗感があるって事は、そこに「気取れない理由」があるような気もした。
それには相手も嫌がるであろう「かわいいねー」を選んだ。
普通の言葉でしょ? この全体の流れで、いかに要所で「普通のイヤな事」を持ってこれるかどうか、これが喧嘩のポイントなんだよ。

16天才tinko:2011/04/23(土) 21:41:32
大きく分けて「死ね」と「かわいいねー」を使ってきたオレ。
態度もいろいろ変えた。
身分をまったく言わなかった時もあるし、言った時もある。
情け無い事は全部隠してた時もあるし、情け無さこそをさらけ出して、惨めである事に直面しようとした事もある。
とにかく、縦横無尽、相手に尽くすも、貶すも、ありとあらゆる態度をとって
一方ではMだと、一方ではSだと言われるような、支離滅裂人間になってみた。

これを通じてなんとなく感じてきたのは、「どうやったら相手は自分を理解してくれるのか?」だったように思う。
今も、このテーマに悩まされる。
たびたび、悩んで、なにか理屈を捻り出す時は、大抵それは「相手が自分を理解してくれない理由」だ。
「この理由のせいで理解されない。ここがクリアできれば、ベストな関係になれるはずだ」というわけだ。

でも、なんか違うんです。
どんな態度をとっても、シックリこなかった。心を得た感じがしない。
今オレは「やっぱり気取る事でしか自分を表現できない」という現実に直面している。

17天才tinko:2011/04/23(土) 21:56:28
オレが「気取る」事を嫌うにあたって、驚異的にオレを傷つける、抜群の言葉があった。
それは「中二病」だ。
裏切られた好きな子と裏切られた友達に、よく言われてた。オレは中二病だと。。。

オレはそれが納得いかなかった。
なぜなら、ぼくを裏切った彼らもまた「気取っている」 「中二病」でしかなかったからだ。

オレは、おさえて、おさえて、それを最後までクチにはしなかった。
本当はこう思っていた
「オマエがおもしろがってるそれ、どこがいいの? それ”気取って”面白い気分になってるだけの、中二病じゃね?」
「キミが悲しんで、振り回されてるその男、どこがいいの? それ”気取って”付きまとってるキミが中二病で”イタイ”だけじゃね?」
しかし、この言葉をクチにすることは、絶対にダメだった。
なぜなら、これは、いわゆる喧嘩で使う「相手の一番弱いポイントを刺激する言葉」だからだ。。。
どうでもいい他人ならまだしも、友達と好きな子に対して、このレッドゾーンの言葉は、オレは絶対に使えなかった。今でも使えない。(からここに書く)

この言葉は、とてもストレートな相手の人格否定であり、アイデンティティー崩壊の魔法の言葉なのである。
友達と好きな子に対して、オレはその欠点も認めた上で好きなんだっていう自負を持ってた。
むしろ、相手が「気取ってる」事を理解しようと、積極的に話しを聞いたし理解を示した(つもり)
だから、どんだけ裏切られても、この言葉は投げ掛けなかった。それがオレのルールだった。
そのかわり、オレは惨めにのたうち回ってみせた。その事で相手が理解してくれる事を待った。 ダメだったけどね

そしてなにより、この恐ろしい人格否定の言葉を
オレはオレ自身に投げ掛け続けてきた。

オレは、誰よりも「中二病」の存在に気づいて、その「気取り」を嫌ってきたはずだった。
だから、それが大嫌いだから「気取る」事を絶対にやめるため、オレはあえてカッコ悪いと思ってる事
ダサいと思ってること、不評だろうなと思ってる事をやってきた。(今のこの書き込みも少しそうだ)

彼らなんかより、よっぽど「気取らない」自信はあるし
「気取り」に対する警戒心もある。
なのに彼らは、他方ではエヘラエヘラと「気取って」色恋沙汰を連発してるくせに、
オレの何も理解せずに、やすやすと、かるがるしく、「中二病」と、オレを「気取ってるイタイやつ」と烙印を押してくれる。
死に物狂いで「気取らない生き方」を地でいこうとするオレを、気取りながらやすやすと否定してくれる。
これは、今考えてても耐え難い、身の毛のよだつ、オレの嫌ってる「気持ち悪い部分」を見せつけられてる気分になる。

18天才tinko:2011/04/23(土) 22:21:59
ようするに核心はこうだ。
「気取る」って事は、やっぱり「自己形成」や「自己表現」において避けて通れないものなんだって事だ。

オレが「死ね」を定着させた時も
「かわいいねー」を定着させた時も、変わらない事があった。
それは「死ね」を使うときは、「死ね」が”オレにとっての足がかり”になるし
「かわいいねー」を使うときは、「かわいいねー」が”オレにとっての足がかり”になっていた事だ。

中身が赤色という事は、あるかもしれないし、ないかもしれない。
しかし、人は、行動とか、頭の中のひとりごとで、常に自分を表現している。
その「常に自分を表現している」状態が「気取っている」って事じゃないだろうか?

女の子が泣いてる時、泣いてる自分が見られている事を、必ず無意識は認識している。
それを認識していて「今泣いている」のだ。
それを意識でわかってる女の子は、そういう子を「ぶりっこ」だと嫌う。
「なにも今こんな場所で泣かなくても。」 「わかってやってんじゃないの?なに?アピール?」って思うわけだ。
そして、そういう風に人を見る子を「へんくつ」とか「へそまがり」とか
「そうやって自分を女の子らしくなくする事で自己を確立しようとしている」と、また別の誰かに見透かされる。

オレは、なんだったんだろう?
オレはオレを見透かしたかった。でも、未だわからない。
わからないうえ、こんだけ七転八倒を繰り返し、尚且つ「気取る」事でしか自分が見つからない。
これは恐ろしい結論だ・・・。
でも、なぜそれが恐ろしいのか?といえば、
それは、
「気取る事を否定する事」が、決定的な人格否定の言葉だから、「気取ることでしか自分が見つからない」事が恐ろしい。

「気取ることでしか自分が見つからない」のだとすれば、
オレは今後、いろんな人と出会っていく中で、ふとオレの「気取った態度」を鼻で笑われる度に
オレは全身全霊でオレの人格を否定されていくだろう。恐ろしい。

オレは自分の人格を否定し続けてきたし、そしてなおかつ、一番信頼してる人に否定され続けてきた。
だから、喧嘩が強くなったのかもしれない。

19天才tinko:2011/04/23(土) 22:25:09
気取る事の罪悪感というか
気取ることを嫌う気持ちと・・・

人に甘えられて、気取る自分を認められる事
気取ってる自分を受け入れられる自分・・・ってのはキーになりそうだなぁ

「気取る」=人格 だったんだな。

あと「気取る」=「他人を捨てる」事でもある。
「オレの”気取り(理想)”にあわない他人は、どんどん捨てていく」事が「気取る」という行為そのものだからだ。
ふむふむ ヒントになる。

20天才tinko:2011/04/23(土) 22:26:04
〜以下 カットした一節〜



それにおいて「中二病」とは、相手の「自己形成の過程」そのものを否定する、恐ろしい言葉だ。
それは、どんな姿でも許されない。
どんな内容でも許されない。恐ろしい言葉だ。。。

しかも、許しがたいのが、その「中二病」という言葉を使うヤツが、既に何かを「気取っている」という事実を理解出来ていない事だ。
今、これを読んでいるオマエも
今、なんとなくコレを眺めて「自分語りうぜぇ、イタイ」って思ってるキミも
そう思ってる、今その瞬間のキミは、どうして「気取ってない」といえる?
「自分語りうぜぇ、オレはこういう事はしないぜ」と「気取っている」じゃないか。
その「うぜぇ」はどっからきた思いだ?
完全にキミオリジナルの思考体系から導き出せる「うぜぇ」なのか?
それとも、世間一般のみんなが避ける事柄を、自分も同じように避けているだけの「うぜぇ」なのか?
もし後者ならば、それこそ「ごっこ」じゃないか。 それこそが「気取り」じゃないか。
その「気取り」が中二病じゃなく、オレの「気取り」だけ中二病なのは、なんでなんだ?

21天才tinko:2011/04/23(土) 22:30:58
気取って、誰かと意見が合わなかったとき、その意見を倒すことはできる。
それで気取ってたら、まるで「自分の”気取り”」が「相手の”気取り”」に勝ったように見えるし、
「自分の”気取り”」が「相手の”気取り”」より「強い”気取り”」のようにさえ見えるけど、そういう事じゃないんだよね。

それをやる事は事態は喧嘩ができれば簡単である。
でも、問題はそんな事じゃないんだよね
「なぜ気取るのか問題」という事が、人格形成における骨子となる問題だと思う。

22天才tinko:2011/04/30(土) 10:14:49
はあ・・・辛い・・辛すぎる。
このバカ丸出しのクソ本を読みきらないといけないのが辛すぎる。
望む話をが出来る人がいない。
なんでオマエら、そんな頭が悪いんだ・・・


私が読んでいる(もうすぐ読み終わる)のは
なぜ若い世代は「キャラ」化するのか
著書 瀬沼文彰 春日文庫
です!

元々、人の存在とか性格が、簡単に決定づけられてしまう事に違和感があった。
そこで、ブックオフでたまたまこの本を見かけて、買っておいたのだ。
その後、>>12-21にわたる「気取る」論を思いついた後
「ややっ、これはやっぱり”キャラ化”という事なのか?!」と思って、この本を開いてみたわけだ。

読みはじめの頃は、まず本の背景知識などを説明していて、それ相応に興味深く読んでいた。
これから、どういう風に著者の考える「キャラ化」とはなにか、が浮き彫りになっていくのか、楽しみだったし、
それによって、オレの「気取る」論との共通点、相違点はどこで、どういった脳内化学反応がおこるだろうか・・・と
楽しみに思っている時期が私にもありました。

本は、読み進めるにしたがって、どんどん支離滅裂になっていった。
この本の中で一番最悪なポイントは、著書の立場が明確ではない所だ。
いろいろな他の本からの引用があるのだが、著者はその引用をする度に
「こうとも解釈できる」と言い出し、さっき著者自ら述べていた解釈と、まったく相反する解釈を始める。
しかし、相反する解釈を共存させて、それを統合的に捉えること事態は間違いではない。
最大の間違いは、「こう解釈できる」と著書が言っている部分が、どう考えても「そう解釈できない」事が多々あるからだ。
しかも、「こう解釈できる」の一言で片付けられてしまう部分には、絶対に「なぜそう解釈できるのか」という
著書がどう考えているか?という理由が、一切説明されていない。

本の後半は、ただひたすらに、本の引用と、著者の意図的な解釈の繰り返しで
その解釈の繰り返しの中に文脈は存在していなく、ただただ、ひたすらに支離滅裂なだけだ。
行間が広すぎて、著書の意図を汲み取るのに苦労するあげく、
汲み取ったその著者の意志が欠陥だらけなので、反論したくなる、けど反論できない、というクソ本だ。

まず著者として、自分の言葉で自分は「どう思っているか」を述べてくれないと、
自分が思っているのは、こういう前提で、こういう理由だ、という事を述べてくれないと
話がはじまらない。
にもかかわらず、この著者は、自分の考えてることを「著名な本から引用」すれば、それが「理由になる」と勘違いしている。
この著者の意見は、全て他の本からの引用を「こう解釈できる」と一言付け加えるだけで完結してしまって
読者に伝えるべき「著者の立場」がまるで伝わってこない。

しいて言えば、オレに一番伝わってきたのは、
著者の意見を補強したいがため、難しそうな本からの引用を多様し、
さらに、それらの引用が、あたかも客観的な事実比較であるかのように”装っている”。
これによって、著者の意見は、いかにも冷静で客観的で、妥当と言える論理だ、と”思わせようとしている”
こういう、ごまかしの態度だけは伝わってきた。


本には、本の中核としての「著者の立場」を明確にする必要がある。
何かから引用するか、どう引用するか、引用したものをどう解釈するか、なんて事は問題じゃない。
それは全て「著者の意見」や「著者の立場」を明確にするための手段にすぎないものだ。
そして、その「著者の立場」を明確にするには、引用を「こう解釈する」と仮定したときに
「なぜ、そう解釈するのか?」という問いに対する答えを、つぶさに答えておく必要がある。
でなければ、どういう引用を、どういう解釈をするか、という説明なしに、勝手な暴論を組み立てる事が可能になってしまうからだ。

とにかく、クソ本で、イラついて、ひどいって事を言いたい・・・
以下にダメなクソ本かって事を攻め立てたい・・・・
つええ

23天才tinko:2011/06/17(金) 09:20:16
やばい、すごいこと発見したかも。

人は、何もされないって事に母性を感じるんだ。

24天才tinko:2011/06/17(金) 09:35:03
動物は生まれたら、敵に攻撃されるのがデフォだ
って事は、様々なことに常に怯えるのがデフォなはずだ。仮にね。
(最初は怯えることを知らず、攻撃されそうになってから怯えることを覚える、って考え方もできるけど)

怯えることがデフォならば、怯えなくてすむ存在、それが家族や仲間であるはずだ。
つまり、家族に怯えた時点で家族じゃないんだよ。
怯えない存在、それは、「ただ、そこに居るだけの存在」だ

だけど、これが難しい
影響がない「なにもしない」が「何かが起こる、動きまわる世界」において、最も難しい事かもしれない。
少なくとも、人間は、主観的に、雄大でなにもしない、ただたたずむだけの存在を
自然だとか、壮大とか、母性だと感じるのは間違いなさそうだ。
「なにもしない」には、そういう性質があって、それなりの意味も考えられるって事だ。

25名無しでござる:2011/06/17(金) 17:04:20
>>24
きみは自転車で自宅から駅へ向かっている。
自転車が快調に動いている限り、きみの注意は歩行者や車や道端の石ころや水溜まりに向けられる。
頭の中では、なにやら思索めいたものを捏ね回しているかもしれない。

しかしブレーキが軋んだりハンドルの角度がおかしかったりすると、自転車を意識せざるを得ない。
そしてパンクするなどして走れなくなると、きみの頭はクソッタレ自転車で占められてしまうだろう。

道具は道具としての役割をきちんと果たしていれば、その存在は意識されない。
しかしそれが役に立たない場合、にわかに存在感を増す。

活躍するほど目立たなくなるというのはおもしろいよね?


さて、家族や友人との関係は千差万別であり、「ごく普通の関係」などあり得ず、いつだって「特別な関係」だと思う。(他人からみればありふれているにせよ)

そうは言っても、普段は、家族や友人の存在を特に意識しないかもしれない。
おおむね退屈で平凡な日常だろう。

で、このとき、その彼や彼女となにかの事情から離れることになったとする。
ひどいケンカをしたとか、ケガや病気で入院したとか、はなはだしくは亡くなったとか。

こうなると、残された者は、しばらくはその彼や彼女のことしか考えられないだろう。

つまり?

つまり家族や友人の役割とは、「一緒にいること」なのだ。

彼らはなにもしないわけじゃない。
考えてみよう。
家族や友人への感謝は尽きないだろう。
そして家族や友人のせいでどれほど苦しんだことか。
家族や友人とは、これほどまでにきみに対していろいろなことをしている。
しかし彼らの存在感をひときわ発揮させるのは、その不在である。
家族や友人の役割が、「一緒にいること」だからだ。

逆に言えば、一緒にいるだけで、そういう親密な関係になれるということでもある。
ストックホルム症候群なんていうのがそれだ。

余談ながら、喧嘩サイトが必ず衰退するのはこのことに因ると思う。

チャットや掲示板で盛んに喧嘩をするほど、結局メンバー同士は親しい友人になってしまうからだ。

26天才tinko:2011/06/17(金) 18:22:09
>>25
キミは、未熟だ〜。
どっから手をつけて指摘したらいいのか困る・・・。

ただ、キミが、家族や道具や、自分と関係を持つものを「役割」という性質で読み解いたとき、
家族の役割は「一緒にいることである」とする。と考える事はわかった。

これについて、細かい反論をする事は可能だが、問題はそこじゃなく、
キミが、自分におけるどういう関係に対し、どういう性質を見出すのか?という点において
「家族の役割は一緒にいること」と仮に、そう断定する事が大事なんだと思う。
そうする事で、キミがこれらの性質を、どう解釈し、特徴を摘出しているのかが、わかって、キミの目線が見えてくる。
そういう意味では、キミの言いたいことの方向性は感じる。


以下、ダメだし箇条書き
・「〜として」という前提が、自転車、家族においてバラバラなので、筋が通ってない
・道具は道具としての役割をきちんと果たしていれば、その存在は意識されないわけではない。
・しかしそれが役に立たない場合、にわかに存在感を増すわけでもない。そういう事もあるだけ。
・物理的に、家族と一緒にいないから家族の事を思うことはない。学校に行ってる時に家族が恋しくてたまらないか?
・ストックホルム症候群は「一緒にいるだけ」ではなく、明らかに非日常的な、動的な刺激に晒されて起こる現象。
・「一緒にいること」と「なにもしない事」の境界線の曖昧さ。


特に最後の条について補足。
見る人によっては、「一緒にいること」と「なにもしない事」が同じに思えるかもしれないが、この2つは明確に違うことをハッキリしとく。
なにが違うかというと、前提が違う。

「なにもしない事」の前提とは、相手から刺激を受ける世界が常である、という考えに基づく。
刺激を受ける世界が通常である反対に、自分が他者から刺激を受けない事が「なにもしない事」だ。

一方「一緒にいる事」は、条件によって、「一緒にいること」そのものが刺激になりうる。
自分が他者をどう捉えるか?という自発性によって、それが刺激になるかどうかが変わるからだ。
本来は刺激があるものでも、自分が慣れているから刺激にならない。「なにもしない事」になっている場合もあるだろう。

25のいう「一緒にいる事」が具体的にどういう事かは、オレはよくわからない。
ここでは物理的に「自分と他者が同じ空間に居ること」と理解しておく。

27天才tinko:2011/06/17(金) 18:34:58
ちなみに「何もしない」が母性的だって感じたのは、映画ジュラシック・パークから。

ジュラシック・パークのテーマソングって、中盤からすごい壮大になるのね。
曲の最初のほうは、恐竜アドベンチャーにワクワクするぜ!ってテンポなんだけど
中盤から、いきなり壮大になって、大自然!って感じになる。

いつもそこで、ジュラシック・パークのラストを思い出す。
恐竜の恐怖から逃れてヘリから山を見下ろしたときの大自然。
それが「何もしていない」ように見える壮大さを思い出すの。


本当は恐竜も自然のうちだし、木々とか、自然にある個々1つ1つの物から刺激をうけてる。
だから自然が「何もしていない」とは言い切れない。
だけど、それら自然の物を全部まとめて「自然」として見下ろしたとき、
なぜだかいつも、自然とか地球は、人間に対して「何もしていない」ように感じるわけさ。
そして、「何もしていない」からこそ壮大で、大きいと感じるわけさ。

その「何もしない」「ただそこにたたずむだけの存在」に対する感情の元はなんだろう?って考えたとき、
おそらく親からくるものなんじゃないかと連想したわけ。
地球に対して感じる壮大さとは、母性としての性質を持っているんじゃないかと。

そうすると母性とは「何もしない」という事になる。
逆に、「母性的ではない」とは「何かをしようとする」「こうるさい感じ」という事になる。
ここまで連想しても、違和感は感じ無い。この筋が正しい可能性が高い気がする。

つまり、世界とは元々動的なもので、絶えずお互いを刺激しあってる。
それは本当に細かい世界を見れば、絶えず刺激している。
だけど、世界の見方を大きくすると、ある一定の所から「何もしていない」ように見える。「刺激を観測できなくなる」と言ってもいいかも。
その「刺激を観測できなくなる」一番最初の存在が親であり、また親の理想的なあり方を示唆してるんじゃないかなと。

親って木に立って見るって書くじゃん。いや、これはこじつけだけどw
少なくとも、母性に対して「刺激をあたえず、なおかつそばにいる存在」という性質を読み解くことができそう。
という結論に至ったわけさ。

28名無しでござる:2011/06/18(土) 17:06:56
>>26
いや…その、なんて言うか、きみが反論?指摘?指導?している箇所は、特別俺の持論を述べたわけではなく…

一読して、きみの教養はおれと議論できるレベルでないことがわかりました

29名無しでござる:2011/06/18(土) 18:24:14
>>27
ふつう母とは、
産み、乳を与え、糞尿の始末をし、病気や外敵などを心配しまたそれらから守り、しつけるもの、というイメージがあるがいかがだろう。

きみは「母性」というコトバを、独特の意味で使っているのではないか。

前レスできみを「教養がない」と指摘したけれど、それは単に知識の量と質のことだった。
人並みの知性があるなら、何冊か本を読めば解決することだ。

しかし奇妙な言葉使いで、誤謬を繰り返しながら(wikiで「後件肯定の虚偽 」とか調べてみてね)、論を展開するきみは、論理的な思考や記述する能力に欠けていると思う。
精神疾患ないし知的障害をさえ疑う。

やはり議論にならないね

30天才tinko:2011/06/18(土) 20:22:03
>>28-29
うむ。
いろいろ疑うのはいいんだが、疑うならば、どこをどう疑ってるのか、最低限その理由を示してください。
ぼくはキミの書き込みのどこらへんがおかしいのか箇条書きにしました。
最低限、ぼくがどういうふうに物事を見ているかという、ぼくの目線の説明もしました。
あなたは、それをしていません。
ぼくから見れば、あなたは「母」と「母性」の違いも理解できていないように見えます。
誤謬以前の問題で「読めていない」ように見えます。



オレの愛する「コトバンク」より引用
>ぼ‐せい 【母性】
>女性のもつ母親としての性質。母親として、自分の子供を守り育てようとする本能的特質。「―本能」「―保護」⇔父性。

ここに書いてある「性質」という言葉。
これはなんどもオレが取り上げて注目してきた言葉です。
そして、>>26-27あたりでは、性質とは、それを読み取ろうとする読み手の積極性によっても、見え方が変わる、という点は書いてあります。
大事なのは、この相手の目線をいかに理解するか?です。
そのためには、相手が物事に対して、どういった性質を読み解くことを重要視しているのか。ここに注目する事で相手の目線が分かってくる。

性質を読み解くとは、もちろん、物事が備えている物理的な機能を表す側面もあるけれど、
他に、その物事のどういった特徴に注目するか? そして、なぜその特徴に注目したか?を読み解くことで、
人の価値観、人が何を前提にしているのかが、少し読み解けるという事です。
性質とは、物事に備わる不変的な部分を言い表し、それを定義し、その定義に基づいた狭い視野で物事を見る事ではありません。

性質とは、私たちが、どういった前提に基づいて生きているのか? その価値観の特徴を示す物です。
そしてその、私たちにとっての前提 とは、論理学で言えば「〜とする」と公理を定めうような事です。
実際ありえない事だけども「人間は死なないものとする」と設定すれば、それは「死なない」という前提で物事を考える。

では、現実世界で、ぼくらの「〜として」を決めているものはなにか?
それは教科書ですか?親からのしつけですか?日本の文化ですか?
いえ、どれも違います。現実世界でk,ぼくらの「〜として」を決めているものは、ぼくらの「感覚」「感想」「感性」
いわゆる「感情」そのものです。
性質とは、あなたが、なにを「〜として」と受け入れることができ、受け入れることができないのか? という事で見えてくる、あなたの人間性です。

少なくとも、>>29さんは、「受け入れない」という事を頑なに示すだけで、
その他の持論が何も見えてこないので、今の所、あなたがどういう目線で物事を見ようとしているのか、わかりません。
誤謬や、議論や、論理的な思考といった語彙を好んで使うことをみると、
きみは、社会によって規定され、なんらかの形として保証されえた情報しか信用しない。
ゆえに知識依存型の、自立思考が足りない人間には見えるのですが、これは「あなたの目線の性質」ではありません。
これは「あなたの弱点」です。性質を読み解くことで見えてくる、あなたの欠陥です。
ぼくが今、これを喧嘩ではないメモとして重要視しているのは、あなたの弱点ではなく、あなたが、どういった目線にたち、どういった性質を重要視しているか?という、建設的なあなたの価値観で、あるのでーす。

31天才tinko:2011/06/18(土) 20:42:36
一人称と三人称のブレが気がかりな今日この頃のおいら

32天才tinko:2011/06/18(土) 20:43:03
二人称だった・・・・

33名無しでござる:2011/06/19(日) 01:21:19
>>30
道具的存在者と事物的存在者の違いというところから話を始めたときに、
どうやらその概念を知らぬ様子で、見当外れで幼稚な揚げ足とり、のみならずキモチ悪い、恥知らずな上から目線の語り口…。
ああ、教養がないのだな、議論の相手にならないな、そう判断したまでです。

ですから、きみに対して、きみが
・何がわかっていなくて
・どこがトンチンカンなのか
それを逐一解説するなんてことは、ものすげえ労力が必要とされそうですし、たぶんきみにはそれを理解する知力も無いと思います。
説明などねだらないでください、まっびらです(^^;)

母は何もしない存在ですか?
誤謬について、学習しましたか?


そしてまた、唐突に「性質」に関して熱心に語り始めていますが、なんの受け売りです?
当方はまったく興味がありませんよ?

その前後の脈絡の無さに気づいていますか?
「読み解く」、「〜とする」なんてコトバが頻出している滑稽さを自覚できませんか?

こなれていない感、底の浅さ、薄っぺらさだけが伝わります、これは印象ですがね
ああ、この子が最近読んだご本に影響されてんだろうなあ…みたいな。


>誤謬や、議論や、論理的な思考といった語彙を好んで使う(中略)知識依存型の、自立思考が足りない人

あるコトバを、きみしか知らない意味で使い、その上支離滅裂な理路で話を進めている、
それを咎めただけですが、理解できないならばやはり精神疾患か知的障害を疑うしかないでしょう。

もう少し「知」というものに謙虚になるべきです。

こんな場所であれ、せっかく自身の言説を披露するなら、「キチガイの妄言」と蔑まれては残念でしょう?

34名無しでござる:2011/06/19(日) 12:53:48
ブラジルのイグアス大瀑布は、乾季で水量が少ないと聞きましたが、それでも迫力がありました。

南アフリカの海岸で見上げた星空は、眩しく、賑やかで、果てしなかった。

ニュージーランドの大草原は、360度地平線で、風がびうびう吹いていた。

他にも、茫然とするような景色はいくつも見ましたが、きりがないのでこのへんで。

自慢話ではありません。

ただ、それらの景色は、一般的には、金と時間と労力を使い、その上また幸運に恵まれなければ見られないものだと思います。

で、そこに立ち尽くし感じることは、ハリウッド特撮映画を観て感じることと等価であるとは思えません。

「ジュラシック・パーク」を観て?
壮大な自然を?
ホウホウ、ああ、そうですか(^^)

きみの教養は、誰かのブログかせいぜいスッカスカな新書を読みかじった程度(それとてどれほど理解できているやら)

きみの経験は、漫画や映画による疑似体験、ネット上の匿名の人間関係やゲーム内での冒険といったバーチャルなもの。

そんな印象を受けますが、間違ってますか?


きみが、何事かについて語る能力に欠けていることは前レスで指摘しました。

ここでは、そもそも語るべきことを持っていないのではないか、を疑いたい。

読む価値のある文章を、きみが書けるとは思えないのです。

35天才tinko:2011/06/19(日) 17:08:55
>>33-34
うーん・・どうしようか困ってます。

このメモスレは、ぼくが普段「ハッ!こうだ!いや、こうじゃないか?!」って思いついたことを殴り書きしてます。
それを誰かが見て化学反応が起こったらいいな!と思ってます。
喧嘩じゃないから、できるだけマトモに話してるわけですね。

それを、上から目線だとか、経験が対等じゃないとか、オマエの読んでる本がどうとか・・・そういう事を言われても困ります。
(ぼくは本を全然よみません。最近になってやっと少し読み始めて、それでも全然進まない)
自分の目線や思った事を発言するのが趣旨であると言いました。
それなのにあなたがたは、それをまるまる無視して、オレの目線を理解しようとしない、それはいいとしても、自分の目線を語ろうともしない。
じゃあ、あなたがたは、なんでここに居るんですか?


あと、これを喧嘩としても見ても困ってます・・・
おそらくこれを喧嘩に発展させて、あらためてぼくからアナタ達の欠けてるところを指摘しても、
あなたたちは「ほーら、やっぱ話にならねーや いこいこ」と去っていってオワリでしょう。
そもそも、あなた達の発言の骨子は「経験の質」だとか「自分だけの言葉」だとか、まるで一般には通用しないことばかりです。
人間の主観的な経験の質を、どうやったら比べることができるんですか?
「自分だけの言葉」は、どういう意味で使ってるんですか?ぼくが使ってることが、広義として、その言葉の意味を解釈できない理由は、なに1つ論証されていません。めちゃくちゃですよ。
貴方達の発言は、終始「オレにはオマエの言ってることがわからない。しかしオマエはオレの言ってることをわかってくれない。だからダメなんだ!」と言ってる事と同じです。
なんら、具体的な説明、筋道の立った論理的説明がありません。
喧嘩としては弱すぎるし、語るにしては自分の意見がなさすぎる。

つまり、どっか行ってくれてかまいませんよ、と

36名無しでござる:2011/06/21(火) 10:03:26
>>35
◆化学反応!
なんですそれは(笑)
バカのくせにどうしてそこまで自己評価が高いのか?
無知無教養で論理的思考もできないきみの駄文で?
詩人やクリエイターのようなオリジナリティやひらめきもないきみの駄文で?
どこかで聞きかじったような陳腐な発想しかできないきみの駄文で?
一体どんな"化学反応"とやらを期待しているのです?「できるだけマトモに話して」この程度?ホントに?冗談?

◆>それを、上から目線だとか、経験が対等じゃないとか、オマエの読んでる本がどうとか・・・そういう事を言われても困ります。
…いや、バカのきみがバカを書いてるだけなら、そんな周知の事をわざわざ指摘しませんよ。
トチ狂って「きみは未熟だ〜」などと身のほどをわきまえないから教えてやったまで。(前レス読み返してくださいね?)
困ります、じゃなくて「ありがとうございます」でしょ、そこは。

◆で、目線がどうとか口を尖らせてほざいていますが、きみの好みに合わせる義理はこちらにはありませんよ。
きみの知的レベルがあまりに低すぎて相手にはならない旨は、こちらも早い時点で申し上げている。

◆>あなたがたは、なんでここに居るんですか?

などと聞かれると、
「ネットで見つけたキチガイをなぶって暇潰ししてます」と答えねばならないから、どうか聞かないでください。

◆発言の骨子は、
「身のほどわきまえろよバーカ」といったあたりですから誤解なきよう。

◆前述、「おめぇの『母性』の概念ってヘンじゃね?」とか、「おめぇの思考は筋が通ってないよ?」とか指摘しておりますが、そのへんをスルーしたままなので「自分だけの言葉」と言うのです。まだ理解できませんか?

◆アダルト動画を見るばかりの童貞が「女っていうのはさあ…」などと一席ぶっているときに、
携帯の釣りゲーしかしてないやつが釣りについて講釈を垂れているときに、
他方でそれぞれ「その道の達人」というようなひとがいた場合、
「経験は主観的なものですからね、比べられませんよ(キリッ)」ですか?

「大自然を前に、おれはこんなことを感じたんだ…」と語り始めて、つらつらその話を聞いてみると、「大自然」とやらは映画『ジュラシック・パーク』だったとか…
それでもその滑稽さを自覚していればこそ、謎の上から目線で小賢しく屁理屈捏ねるから嘲笑されるのです、理解できませんか?

◆>論証されていません。>めちゃくちゃですよ。

などと言う前にちゃんと前レスを読んでください。
ふつう(と思います)の読解力ならば、こんなふうにくどくど説明しなくても理解できるはず。
どうやらきみは本も満足に読めない種類のバカのようですが、それならなおのこと繰り返し音読するなり要点をノートに書き出すなり、せめて人並みにわずかでも近づけるよう努力するべきでしょう。

◆>「オレにはオマエの言ってることがわからない。しかしオマエはオレの言ってることをわかってくれない。だからダメなんだ!」と言ってる事と同じです。
「同じです。」じゃなくて、まさしくそう申し上げております、そこは理解しているようですねよかった。
◆まとめればきみは、
喧嘩としては弱すぎるし、語るにしては頭が悪すぎるようです。
どっか行ってくれませんか?

37天才tinko:2011/06/21(火) 20:17:51

>トチ狂って「きみは未熟だ〜」などと身のほどをわきまえないから教えてやったまで。(前レス読み返してくださいね?)
>>それを逐一解説するなんてことは、ものすげえ労力が必要とされそうですし、たぶんきみにはそれを理解する知力も無いと思います。
>>説明などねだらないでください、まっびらです(^^;)
「教えてやった」と豪語してますね。
しかし、言われたとおり前レスを読み返すと「説明などねだらないでください」と「教えない」事を表明してます。
フツーに矛盾ですよ。
それと、母性について話している最中に
>>ふつう母とは、
>>産み、乳を与え、糞尿の始末をし、病気や外敵などを心配しまたそれらから守り、しつけるもの、というイメージがあるがいかがだろう。
って、「母性」じゃなく「母」という存在について語りだしてますよね。
頭悪いですよ。


>前述、「おめぇの『母性』の概念ってヘンじゃね?」とか、「おめぇの思考は筋が通ってないよ?」とか指摘しておりますが、そのへんをスルーしたままなので「自分だけの言葉」と言うのです。まだ理解できませんか?
母性の概念が、どうヘンなのか、詳しい説明を。
筋が通ってないと思うなら、どこがどうおかしいと思うのか、詳しい説明を。
と、説明を求めたところで返事が帰ってきていません。


>他方でそれぞれ「その道の達人」というようなひとがいた場合、
釣りや恋愛など、ある程度のノウハウ、つまり技術の体系を必要とするものと
風景を見て壮大さを感じた事と、映画をみて壮大さを感じた事を同列に比べる事は、なに1つ前提条件が合致していませんよ。
あなたは、「物事から受け取る感想」と、「具体的な技術体系に支えられる行動」をごっちゃにしているバカです。


>それならなおのこと繰り返し音読するなり要点をノートに書き出すなり、せめて人並みにわずかでも近づけるよう努力するべきでしょう。
最近はじめて本を読み始めて(まあ、数ヶ月前から)音読から始めました。
音読でも難しいね・・・


>どっか行ってくれませんか?
わかりました。

38名無しでござる:2011/06/21(火) 22:47:32
>>37
◆>フツーに矛盾ですよ。

「教えない」「教えてやった」などの単語だけ抽出して…。
あまりに頭悪すぎませんか?
>>25について、その内容の懇切丁寧な解説も議論も真っ平御免こうむるというのです。

>>35>それを、上から目線だとか、経験が対等じゃないとか、オマエの読んでる本がどうとか…

に対して、バカがバカを書いているだけならわざわざ指摘しないがトチ狂って「きみは未熟だ〜」などと身のほどをわきまえないから、
上から目線だとか、経験が対等じゃないとか、オマエの読んでる本がどうとか
教えてやったと申し上げている。
「教えてやった」のは、なぜきみをバカと蔑むかについてです。

>>27>そうすると母性とは「何もしない」という事になる。
>逆に、「母性的ではない」とは「何かしようとする」「こうるさい感じ」という事になる。
>ここまで連想しても、違和感は感じ無い。

いや…違和感あるけど。
どう考えても一般的概念とズレている。
このキチガイは「母性」をふつうと違う意味で解釈している可能性がある。
つまり親の愛情を受けることなく育ったとか。
虐待されたり育児放棄されたり。
なにしろこんなバカを産むぐらいだから、このバカの母親もやはり頭が悪く、ふしだらで、ろくでもない女に違いない。
ここまで連想しても、違和感は感じ無い。

そこで>>29に於いて、
「ふつう母とは、〜というイメージがあるがいかがだろう」と確認のうえで、
「きみは「母性」というコトバを、独特の意味で使っているのではないか」と訊ねたのです。

「母性と母を混同している!」などと言いがかりをつけ、というかその一点にしがみついて揚げ足取りに必死ですが、
話の流れのなかで、なんら混同と受け取られる記述は見当たりませんね?
単にきみの惨めな読解力の問題です。

◆語り手の経験・経歴について話をしているのですが…。
「大自然の前に立って―」と語る者が、その大自然とやらが「じゅらしっくぱあく」なのかイグアスの滝なのか、差があるでしょうという話。
具体的な技術体系に支えられる行動?
誰がそんな話してるんです?

◆>最近はじめて本を読み始めて
>音読でも難しいね…

ひとには向き不向きがあります。
不向きなことに時間や労力を費やすのはいかがなものでしょう?
申し上げ難いけれど、きみには決定的な「手遅れ感」を感じますし。
ここまでのやり取りだけでも、驚くべき頭の悪さです。
理数系なら得意とか、体力に自信があるとか、ギャンブルをすれば神がかり的なツキがあるとか、
なにか他に取り柄がありませんか?
そうでないなら、あいにくですがあまり幸せな今後の人生は期待できないと思います。

ひよっとすると、きみはしんでしまったほうがいいかもしれませんね。

39天才tinko:2011/06/23(木) 03:44:21
そうか
性質で物事を読み解くというアプローチがあるなら
まったく同じ、性質ではない方法で、均等なレベルで物事を読み解くっていうアプローチも可能なのか。

つまいだ、性質が特徴をあらわにして、定性的な観点から差異を理解するとしたら
性質をもたない状態で物事を読み解くとは
全てを、一定範囲のレベルに収めて読み解くことで、そのレベルから逸脱したものが差異である、と認識できるのかもしれない。

40名無しでござる:2011/06/23(木) 18:54:52
>>38
お前かなぶん
だろ

41天才tinko:2011/06/25(土) 16:48:26
喧嘩にして乗ったほうがよかったのかな?
でも、割と真面目に語ってるからなぁ・・・ここ。

まぁ「喧嘩にしたほうがよかったのかな?」って意識しなきゃ喧嘩にならないようじゃまだまだっつー事で
なかった事にしよう。

42名無しでござる:2011/06/25(土) 21:12:30
ひよってねーでやれよ
本当はこの名無し強いからやるの怖いんだろ?


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