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信長の世紀 第一集 〜プレイヤーは楮の断片をとらえ始めた

1名無しの切腹僧兵さん:2007/11/26(月) 11:17:13 ID:wMBtW5BU
今からちょうど4年半前の2003年6月
横浜市港北区から1つのオンラインゲームがサービス開始されました。
当初の対応機種はPS2のみ。
戦闘方式は、当時の流行とは一線を画すクローズドバトルです。

客層は、主に歴史ゲーマニアや韓国産クリックゲーに飽きた社会人です。

色とりどりのバーが右から左へと流れているこの部分
戦闘の際には「バー読み」と呼ばれるスキルの目安にもなります。

4年半前、二千人あまりのユーザーが公式サイトで見たのは
コーエー社員 サクラコ・アリマが撮影した、稲葉山の出口。

オヤジ達の強烈なクリゲアレルギーを利用して作成された
このゲームが、コーエーで最初の本格的なネットゲームでした。

アップデート技術はその後飛躍的に退化し
ユーザーの怨嗟を記録してきました。
信Onは和風戦国MMOとして認識された、最初のゲームです。

                           ―山根基世ナレーションより


■まとめサイト・映像の世紀テンプレート集
ttp://freett.com/2chimage/
ttp://www.gaia.h.kyoto-u.ac.jp/~saito/eizou/index.htm

旧外部板のお気に入りスレを復活させてみた。反省はしていない。

33名無しの切腹僧兵さん:2008/03/12(水) 19:19:38 ID:ncUO5O3s
「なぜ、生産ソロ活動を、なぜ炉籠りや採掘などをするのか?
徒党で狩りというもっと良い手段があるのではないか」
と、貴方方が問われるのはもっともです。
実に、徒党枠こそが生産ソロ行動の目的なのです。
非徒党生産行動の狙いは、徒党枠を絶えず拒んできた効率社会に、
争点と対決せざるをえないような悲壮感と同情を作りだそうとするものです。
苦しい体験を通して我々は、自由は決して迫害者の側から自発的に与えられることはなく、
迫害に虐げられている側が、自ら表現しなければならない、と悟ったのです。


                           ――キング・鍛冶 炉中からの手紙より

34第2集 煉獄陰陽の完成:2008/03/13(木) 13:05:17 ID:C7E3./EI
敵の徒党が悠然と歩いてくるのには仰天した。
徒党の中には、杖や薙刀を手にしている人もいる。
私たちは狩りを開始した。あとはどんどん一所と煉獄を入力するだけだった。
連中は数人単位で倒れていく。
狙う必要などない。彼らに向かって、襲われログを出せばそれで済んだ。

                    ――煉獄射撃手の手記より

35第2集 煉獄陰陽の完成:2008/03/14(金) 11:37:29 ID:CTM7Ht6w
私は、狩人を叩くことが禁止されているのを知っていました。
しかし、いっしょに狩りをしたLv49陰陽師の党首は
「相手も狩人を叩いているようだ。赤ネームを叩いているのはわが徒党だけではない。
襲われログを待たずに叩けば、何よりも狩りを早く終わらせることが出来る。」
と言いました。

                                      ドイツ人化学者
                      ―――――――――――――
                      マイラレーイ・ハーンの自伝より

36第2集 煉獄陰陽の完成:2008/03/16(日) 12:40:01 ID:ofhc6gfA
万歳!
とうとう明日、午前十一時、狩りのため前橋に集まると言う対話を受け取りました。
今か今かと待っていたところです。
今朝、知り合いの若い尼僧に会いました。
大乗衣姿じゃないのを見られるのが恥ずかしいぐらいでした。
僕はもう、平和な時代の人間ではありません。
こう言うときに、修得のことや生産のことを考えると、小さく、弱くなります。
獲得金や経験値のことを考えると、強くなれるのです。

                    ――薬師の手紙より

37第2集 煉獄陰陽の完成:2008/03/17(月) 09:13:50 ID:nUz3IUi2
私は、鍛冶屋は修理に協力すべきであると思った。
狩人徒党の危機を鍛冶屋のチャンスに変えてはいけない。
狩りが続いている間、要求を突き付けることなく、
狩人徒党に協力したほうが、かえって鍛冶屋の利益になる。
だから私は、人々に出張修理に応募するように呼びかけた。
狩人徒党を通じて、上野にいるだけで晒される鍛冶屋の現状を
改善しようと期待していたのだ。

                      サイクツ・カジヤー
                      ―――――――――
                        自叙伝 より

38第7集 勝者の効率徒党:2008/03/17(月) 13:14:41 ID:xx.5ytAo
徒党の効率化なんて簡単だ。
武芸は殴空にやれば、古神の援助で徒党を支配していくだろう。
空2? それは我が陰陽道が頂く。
鉄砲鍛冶は能楽ルートの関係から海2にいく。
術忍が欲しがっているのは、徒党枠の安全保障だけだ。
もし私が彼に何でも与えて、その代償を求めずにおけば、
術忍だって阿漕なことはしないはずだ。

           ――扶桑の森会談前の陰陽道の発言

39名無しの切腹僧兵さん:2008/03/17(月) 20:52:05 ID:qyzaun5k
拙僧の望んだ世界はこんなものだったろうか。
効率、効率という輩に引っ張り回される日々。
徒党枠は手に入ったのにみたされない心。


久しぶりに炭山に帰ってみようか、、、


――ある僧兵の日記より

40名無しの切腹僧兵さん:2008/03/23(日) 07:40:43 ID:m6JQeNUM
爪が割れ、指先は黒ずみ、弦は磨り減り、弓は軋む。
衰退が決定されている道を何故私は歩んでしまったのだろう。
とき既に時間切れ。 振り返れば既に道は無く
視界を戻しても進むべき方角は無い。
神が居るのならこれも試練だというのか、
そして私は問いたい。 なぜ滅する為に創られたのか。 

           ――稲葉山両替商自爆テロ首謀者の手帳より

41名無しの切腹僧兵さん:2008/03/23(日) 11:53:47 ID:wpnoN6OQ
蝶らしき敵が居れば我先にと一撃で薙ぎ倒していく武芸達
複数の蝶がいても決して互いに被ることなく己に課せられたノルマを遂行するかのように
狸らしい敵が能力上昇の術を使う前から既に看破を入力している武士と暗殺
神職はと言うと琵琶と笛を巧みに使い分け未然に事故を防ごうとしている
競うかのように鍛冶が鎧の極み、薬師が完全治療と互いに開幕の一番手を火花を散らして競っている

空1狩りは同じ作業の繰り返しなのだ
初めて顔を合わせたとしても、どこかで会ったかのような錯覚さえ覚える
いつも同じ構成に似たような装備を皆が持ってるのでそう感じるのも無理がない
複雑な記号を飾りつけた行動宣言や意味不明な語尾に拘る者も少なからずは存在する
決められた行動しか求められない中での精一杯の自己主張とも言えて微笑ましい


    ――邪心修験者の弟子の引継ぎ帳より引用

42第10集 炉鍛冶の悲劇果てしなく:2008/03/25(火) 09:45:52 ID:aqaAM.2c
これ以上、何ヶ月もかけて議論するのは止めていただきたい。
こうしている間にも、鎧鍛冶の極み付与はインチキ技で剥がされているのです。
皆さんにもサブキャラが居られることでしょう。
自分の2ndや3rdたちが、極みを剥がされて一撃死するのを見ているのはどんな気持ちでしょうか。
それでも新ダンジョンを早期攻略されるくらいなら、2000人の鎧鍛冶が絶滅したほうがよいと言いきれる人が
いるでしょうか。そうだと言うなら、この場ではっきり申し出ていただきたい。

                        ――ヨロイカジーの演説録より

43名無しの切腹僧兵さん:2008/03/31(月) 09:37:28 ID:WEL9rQBk
誰だよ>>20を29ブログに貼った奴wwwww

44名無しの切腹僧兵さん:2008/05/05(月) 21:10:25 ID:OTktgNz6
それは、ひどく不気味な光景だった。
祖国の有力者は、合戦場の泥沼を這いずり回る数十人の我々ゲリラよりも、
両替前にいるたった二人のお洒落装備のほうにずっと注目していたのだ。
得体の知れない感情がこみ上げてきた。

                       ――合戦場前線のゲリラの手記

45名無しの切腹僧兵さん:2008/05/10(土) 19:51:41 ID:OTktgNz6
陰陽師は我々鍛冶屋を常に嫌悪し、
我々をPCとさえ考えていない。NPC同然と考えているのだ。
一方、鍛冶屋は陰陽師をあたかも雷のように恐れている。
陰陽師に上野であったときも晒されたり暴言を吐かれたりしない様、
ただただ逃げ出すばかりである。

                           ――鍛冶屋の抗議文より

46名無しの切腹僧兵さん:2008/06/06(金) 14:15:39 ID:Z7SChlIg
田北ノック党首の56神通に要求する。既に約束したことを実現せよ。
菩薩解呪持ちアタッカーか看破持ちアタッカーか、党首が決めるのだ。
我々の申し入れを承諾して僧兵にアタック枠を与えるか、
それとも我々が自分で党員を集めるか。

いまや私は最初の兵士として、1位屋敷の庭先に立つ。
我が特化は、破天で差別された時とは違う。

――アドルフ・シャセイシッコ「耳1ノック参加要求演説」より

47名無しの切腹僧兵さん:2008/06/07(土) 12:27:39 ID:CYVWf8sY
茶会とは、客を招いてごちそうすることでもなければ、
文章を練ったり、茶器を愛でたり、屋敷を散策したりすることでもない。
そんなお上品でおっとりとした、雅やかなものではない。

茶会とは暴力である。
一つの茶器の価値を上げるために連打する、激烈な行動なのである。

                       ――ガッキ・ホシーイ選集より

48名無しの切腹僧兵さん:2008/06/13(金) 11:29:56 ID:XE4wZD5E
空蝉? 否!
援護手裏剣? 否!
封殺手裏剣? 否!

今日もソロに精を出す。
一人では無用な技能を背負ったまま。

         ーポッポノ・クライシス戦記よりー

49名無しの切腹僧兵さん:2008/06/13(金) 17:14:56 ID:MDugmvPE
なにか光り輝く異様なものが空をよぎった。
同世代の人々とは何も共通点を持たないかに見えた
ひとりの尾張出身の僧兵が、ソロで武将撃破を成し遂げた。
しばらくのあいだ人々は、タキタ・クラブやもぐり茶会で
水の精霊棍を振り回しながら、最良の夢に思いを馳せた。

「そうか、ソロを貫けば抜け出せたのか――」

われわれの定まるところを知らない血は、
果てしない大空になら、フロンティアを見つけられたかもしれなかったのだ。

しかし、われわれはもう引き返せなくなっていた。
ソウヘイ・エイジは続いていた。
われわれはまた、水の精霊棍を担ぎ上げるのだった。

             スコット・フィッツジェラルド
             ―――――――――――――
             ソウヘイ・エイジのこだま より

50名無しの切腹僧兵さん:2008/06/22(日) 00:27:42 ID:.R4SqrS6
イソノックにいくやつは仕事が2つある。神秘石をとるのと、紋装備の奴を晒すことである。

                                          ―――オン・ミョウ『過去の栄光』より

51名無しの切腹僧兵さん:2008/06/25(水) 14:37:56 ID:yFdUz3kQ
私が神々の森に来たのは、この地では道に神秘石が敷き詰められていると聞いたからでした。
しかしここに着いて三つのことを知りました。
まず第一に、
道には神秘石など敷かれてはいないということ、
次に、
そもそもイソタケルを撃破しなければならないこと、
そして最後に気付いたのは、
このイソノックの為に途中退場する役目は私に課せられているのだということでした。

                                      ――にんぽっぽの手記より

52名無しの切腹僧兵さん:2008/06/26(木) 22:54:14 ID:YxqWoQDI
一人の男がいる。
歴史が炭を必要とした時、忽然と現れ、その使命がが終わると、大急ぎで去った。
あいくちノックというものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の炉に炭の花を咲かせてまわる事であった。
中国では花咲爺いの事を花神という。
彼は、花神の仕事を背負ったのかもしれない。
彼―炭堀り僧、後の僧兵である。

Nobuon Housou Kyoukai 大河ドラマ「炭神」オープニングより

53名無しの切腹僧兵さん:2008/06/27(金) 11:55:56 ID:yFdUz3kQ
カミシュには神秘的な力で我々を魅惑し、
熱狂させる何か違ったものがあったのです。
それは旗をなびかせ、じっと前方を見つめ、鼓を鳴らしながら進む
カミシュたちの一糸乱れぬ行進曲でした。
この共同体には何か心を揺さぶる圧倒的なものがありました。
しかし、プゲイがカミシュについて語る時、その言葉に感激や誇りが無く、
それどころかひどく不機嫌な響きがあるのが理解できませんでした。
プゲイは「カミシュの言うことを信じるな、カミシュはオオカミだ。カミシュは巫女を
恐ろしいかたちで誘惑しているのだ」
というのです。
しかしプゲイの言葉は、興奮した私たち腐女子の耳には入りませんでした。

                             ――腐女子の手記より

54名無しの高貴な僧兵さん:2009/02/26(木) 19:29:37 ID:fRRjkCrY
我々は信ONを始めると同時に、RMTを始めた。
近くに宇宙の雫を何百個も売っている業者があった。
その雫を手に入れる唯一の方法は、RMTと称する現金取引だった。
業者は簡単に取引してくれた。1個につき、300円だった。
その雫をどうしたかって?
もちろん、装備を揃えるのに使ったのさ。
友人はみんな、1セット3000円で買って、捨てキャラにそれを取りに行かせたんだ。
光栄も知っていたけど、見て見ぬ振りをしていた。


                           ――にわか武芸の手記より

55名無しの高貴な僧兵さん:2009/02/27(金) 12:25:10 ID:/ZhZ6J4k
誰もまだ、引退者自身の心理をありのままに書いたものはいない。
君は引退者のブログのトップなどに不遇職とか幻滅とか或いはまた
リアル事情とかいろいろの引退の動機を発見するであろう。

しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。
のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。

少なくとも僕の場合はただぼんやりした不満である。
信ONの将来に対するただぼんやりした不満である。

                        ――引退者の遺書のひとつ 或旧友へ送る手記より

56名無しの高貴な僧兵さん:2009/02/27(金) 19:23:08 ID:fRRjkCrY
天正12年3月、沖田畷で私はこんなにも歓迎を受けるとは全く予期していなかった。
私の上目使いの時間が、これほど正確に把握されていようとは夢にも思わなかった。
私は五十猛の剣舞を仕掛けた。
何万ものダメージが、私の足を、腕を、体を襲う。
私の絢爛三連など誰も気にもしない。
私は、徒党の前に、戦場のまっただ中に力尽きて横倒しにされている。


                     ――乱れ華紋の傾奇、晶「見よ、あれが釣り野伏だ」

57名無しの高貴な僧兵さん:2009/02/28(土) 12:16:58 ID:fRRjkCrY
万歳!
とうとう明日、午前十一時、耳5ノックのために集まると言う命令を受け取りました。
今か今かと待っていたところです。
今朝、知り合いの若い巫女に会いました。
生産装備じゃないのを見られるのが恥ずかしいぐらいでした。
僕はもう、平和な時代の人間ではありません。
こう言うときに、攻撃力のことや最大生命のことを考えると、小さく、弱くなります。
神秘石や帯のことを考えると、強くなれるのです。

                                     ――紋装備武芸の手紙より

58名無しの高貴な僧兵さん:2009/02/28(土) 12:38:54 ID:fRRjkCrY
鉄板の鎧に身を固め、長い列を作って襲ってくる巨体。
その毛虫のような姿。
人間を押しつぶし、傷つくことのない巨躯のけだもの。
僕らはこの巨体を見ると、自分の薄い皮膚の中に小さく縮こまるような気持ちになった。
その驚くべき重さの前には、僕らの腕は藁のようにか弱いものだ。
備前長船は、爪楊枝ぐらいだ。
この成松と言うヤツは、何よりも戦争の恐ろしさそのものに見えた。

                                随行した宣教師モウク・エネエ
                               ――――――――――――――――
                                  九州戦線異常なし より

59名無しの高貴な僧兵さん:2009/02/28(土) 13:02:23 ID:fRRjkCrY
時代の流れは確実に変わりつつあった。
潜在・宝玉・覚醒。
そんなさまざまな廃要素が混じり合いながらそこかしこに溢れ出し
一つの空気を作り上げはじめていた。

この時代ではっきり覚えていることがある。

私は道摩根に通っていた。
徒党はちょうど藤色と薔薇色に染まった夕空の下、
不浄の谷間を滑るように進んでいる。
私は言葉にならぬ声で叫び始めていた。

そうだ、私にはわかっていたのだ。

自分は望むものすべてを手に入れてしまった人間であり、
もうこの先、これ以上幸せにはなれっこないのだということを。

                作家 S・フィッツジェラルド
                ―――――――――――――――
                 マイ・ロスト・サンブツより

60名無しの高貴な僧兵さん:2009/02/28(土) 13:19:23 ID:fRRjkCrY
数年に渡って僧兵は、徒党枠飢餓状態にあった。
彼らは次から次へと、以前の理想や幻想、希望が壊されていくことに気付きつつあった。
敵陣の土台を崩し、その破壊的な攻撃力を操る武芸の八箇と天下無双によって、
そして、流水と陽炎とで食っている忍者の傾向によって、壊されていくのだ。
僧兵の次回アップデートに対する気持ちが、巨大な宗教が復活したかのような様相を呈したことに、何の不思議があろうか。


                     ――ジャーナリスト J・アレン「マイ・ロスト・サンブツ」より

61名無しの高貴な僧兵さん:2009/03/01(日) 19:01:09 ID:fRRjkCrY
我々は、優秀なる僧兵に相応しい徒党枠を確保すべきである。
自らの特化のために流す血は、必ずや正当化される。
たとえ今、一人の血が流されても、将来において徒党枠を担う
千人の僧兵の血が流されないのであれば、それは必ずや賞賛される。
優秀なる僧兵と言うものは、たとえ現在において不遇であろうとも、
いつかは徒党枠を勝ち得るのである。


                             オウホウ・インガー
                            ―――――――――
                             「我が金剛」 より

62名無しの高貴な僧兵さん:2009/03/01(日) 19:29:24 ID:fRRjkCrY
陣取りから、きらめきと魔術的な美がついに奪い盗られてしまった。
信長や信玄や謙信が、兵士たちと危険を分かち合いながら、
馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。

そんなことはもうなくなった。
これからの合戦は、週末の三日間、閉鎖された空間で武将たちに囲まれて行う。
一方、何千という戦果は、たった何度かの大合戦の勝敗によって無効化され息の根を止められる。
これから先に起こる大合戦は、陣取り戦の活気をを殺す事になるだろう。
やがて、それぞれの国々は大規模で、限界のない、一度発動されたら攻撃不可となるような
滅亡回避の為のシステムを産み出すことになる。
プレイヤーは、初めて陣取りを絶滅させることが出来る道具を手に入れた。
これこそが、プレイヤーの要望と光栄のナナメ上が最後に到達した運命である。

                                          ショウー・カン
                                      ―――――――――
                                        合戦の危機 より

63名無しの高貴な僧兵さん:2009/03/03(火) 12:35:04 ID:/ZhZ6J4k
傾奇の強化はとどまるところを知りません。
いま、我々の面前でハイブリット・キメラ職が誕生しようとしています。
これは開発による意思です。


                     ――堺の瓦版より

64名無しの高貴な僧兵さん:2009/04/08(水) 13:47:33 ID:MJYs9VBM
その日は雪がちらついていて、身を切るような寒さだった

蛇が見える・・・不遇特化にされて傷ついた者の、長い長い
蛇だった。くねくねと長いやつ。

地平線に向かって一列に進んでゆく。どれが先頭なのか見分け
がつかない。

列の後ろの方に、道に倒れて動けなくなった術しのびがいた。
術しのびは狼のような声で泣き叫ぶんだ

「僧兵、待ってくれ。忍法、見捨てないでくれっ」ってね。

仲間は肩を竦めて歩いていく…。一度も振り返らずにね…。

                                      ――ソ連兵の回想より

65名無しの高貴な僧兵さん:2009/04/08(水) 17:51:06 ID:YOO95eL2
>>63
寒い。

66名無しの高貴な僧兵さん:2009/04/17(金) 13:00:16 ID:83F5arpM
密教僧たちが何をしました?
彼らがしたことといえば、僧兵の一人をバーベキューにしただけ。
あの僧兵はそそのかされて陶酔状態だったのよ。
あのバーベキューも矛盾してるわよ。
反僧兵運動なのに僧兵産の炭を使うなんて。

67名無しの高貴な僧兵さん:2009/05/17(日) 17:52:48 ID:8HRxPjKI
コーエーに要求する。既に約束したことを実現せよ。
アタッカーか詠唱役か、コーエーが決めるのだ。
我々の申し入れを承諾して神典に未来を与えるか、
それとも我々が自分で未来を停止するか。

いまや私は最初の兵士として、我が特化の先頭に立つ。
我が特化は、争覇の章で敗戦した時とは違う。


              ―――アテルド・ハマヤー「カミーテン技能要求演説」より

68名無しの高貴な僧兵さん:2009/07/23(木) 22:48:21 ID:fAZCVspM
私はじろじろ見られていた。
党首は私が術忍特化であることを確かめると、
「ちょっと来い。お前は炭山の方へ移るんだ。」と怒鳴りつけた。
私は一級品の装備を持っていると抗議した。
「駄目だ。お前は徒党から出て行け。」
党首は無理やり私の腕を掴み、忍犬もろとも徒党から放り出した。
身に凍みるような厳しい寒さだった。
私はいじけたまま、震えていた。

                                    ――ジュツニン語録より

69名無しの高貴な僧兵さん:2009/07/23(木) 22:54:27 ID:fAZCVspM
暗闇の中で苦悩しているのは、私だけなのでしょうか。
物理と術狩りが分離独立すれば平和が戻ってくる、と皆は考えているのでしょう。

私は全く孤立してしまいました。
しかし、何と言われようとも、私は自分の思った通りを語らなければなりません。
忍者の分裂は間違っています。
このような独立の行く末は闇に包まれることでしょう。
私には、はっきりと見えるのです。

                                    ――ジュツニン語録より

70名無しの高貴な僧兵さん:2009/07/23(木) 23:05:03 ID:fAZCVspM
遁術とは、党員を集めてごちそうすることでもなければ、
文章を練ったり、AAを描いたり、マクロをしたりすることでもない。
そんなお上品でおっとりとした、雅やかなものではない。

遁術とは暴力である。
一つの特化が他の特化を打ち倒す、激烈な行動なのである。

                                   ――忍秘術選集より

71名無しの高貴な僧兵さん:2009/07/23(木) 23:06:55 ID:fAZCVspM
忍法は不遇の間、山の中に引き篭もって
何一つしてこなかったというのに、今になって英雄を気取っている。
彼は今、勝利者という甘い果実を、独り占めにしようとしているのだ。

                                  ――忍秘術選集より

72名無しの高貴な僧兵さん:2009/10/13(火) 10:45:48 ID:RJY85cog
ここは 右京でもいちばん荒廃した地域で
狭くて曲がりくねった通りは 猫車を押す人の波で溢れかえり、
術忍たちは 一軒一軒廻って 同じ質問を繰り返すのだった・・
「徒党枠は ありませんか」と。

                             ――術忍 アブラハム・レビンの日記より

73名無しの高貴な僧兵さん:2010/01/02(土) 06:26:36 ID:fAZCVspM
我々秘伝忍法が優遇を勝ち得たのは、光栄の慈悲のおかげではない。
我々が自らの汗と労働によって特化を創設したのである。
しかし、まだ戦いが終わったわけではない。
我々は、自信に満ちた態度で明日に備えなければならない。
優遇職は、優遇職を切望する人々の意思によってのみ築かれるのである。

                       ――ニンポウ回想録より

74名無しの高貴な僧兵さん:2010/01/02(土) 06:57:26 ID:fAZCVspM
私はジュツニンと上手く歩調を合わせてやっていけると信じている。
私は効率主義者のアンサツとよりも、私同様に不遇経験者のジュツニンとの方が
馬が合うので、我々の間で不遇的な基盤の上で徒党が構成することについては、
まず問題がないと思う。


                     ――瓦ボス戦前 ヒデンニンポウの発言

75名無しの高貴な僧兵さん:2010/01/04(月) 12:11:44 ID:QTCWyfeg
>>74
嘘つきは朝鮮人になっちゃうよ。

                        ――おばあちゃんの発言。

76新しい技能を獲得した名無しの僧兵さん:2025/07/24(木) 15:58:44 ID:20Qa5Yoc0
 
『  関ヶ原の戦い -
 
 
  島津氏の処分
 
・・・関ヶ原本戦において、敵中突破を敢行した島津義弘は、堺より立花宗茂と共に海路逃走し、鹿児島へたどり着いた。義弘は桜島で自ら謹慎したが、当主である兄・島津義久ら島津氏首脳は家康の攻撃を予測して、領内の防衛体制を強化し、臨戦態勢を採った。
 
一方家康は先に大垣城開城において中心的な役割を果たした相良頼房・秋月種長・高橋元種に、島津征伐の準備をするよう命じており、家康は当初、島津氏を武力で討伐する方針を固めていた。九州では関ヶ原の戦いが終了しているこの時期でも、戦闘が繰り広げられていた。
 
・・・薩摩から肥後へ攻め入った島津の軍勢は、清正家臣の加藤重次が守る佐敷城に阻まれ、これを攻め落とせないまま撤退。肥前佐賀の鍋島直茂と勝茂の父子は、伏見で家康に西軍加担を謝罪した際に、本領安堵の条件として筑後平定を命じられ、直茂父子は帰国後直ちに筑後平定に掛かった。
 
まず小早川秀包の久留米城を開城させ、続いて立花宗茂の籠る柳河城を10月19日より包囲した。鍋島軍と立花軍の間で激戦が繰り広げられたが、包囲軍に加わった如水・清正の説得によって、10月25日に宗茂は開城、降伏する。宗茂降伏後、家康は直ちに島津義久討伐を九州の全大名に命じた。
 
最終的に家康に従った、九州の全大名が兵を動員して出陣し肥後水俣に進軍。これに対し島津義久は、ここで最終決戦を行おうと兵を総動員して北上させ、薩摩・肥後国境に軍を進めた。島津軍の指揮は、当主・島津義久みずからが執った。対する九州連合軍は、黒田、立花、鍋島、加藤である。
 
11月22日、義弘が、家康に謝罪の使者を送ったため島津征伐は中止となり、九州連合軍は撤退、以降家康と島津氏の間で交渉が行われた。島津義弘は関ヶ原の退却戦において傷を負わせた井伊直政に仲介を依頼したところ、直政はこの仲介要請を受諾し、以降徳川方の窓口として、島津義久、島津忠恒と戦後交渉をした。
 
家康は義弘上洛の上で謝罪することを再三迫ったが、義久・忠恒は本領安堵の確約がない限りは上洛には応じられないとしてこれを拒否し、交渉は長期化した。島津側は家康に対し、そもそも家康の要請で義弘が伏見城守備に就こうとしたが、鳥居元忠に拒絶されたために止む無く西軍に加担したのであり、積極的な加担ではないと主張した。
 
その後2年にわたり交渉は続けられたが、最終的に家康が折れる形で直筆の起請文を書き、慶長7年(1602年)3月に薩摩・大隅・日向諸県郡60万石余りの本領安堵が決定された。決定後義久の名代として、忠恒が12月に上洛し謝罪と本領安堵の御礼を家康に伝え、島津氏も徳川氏の統制下に入った。
 
このように粘り強い外交により、島津家は減地されることなく本領安堵を得ることができた。薩摩という、大坂から離れている地理的な利点は大きかったが、早い段階で家康に全面的な降伏をした毛利氏、上杉氏が大幅に減封されたことと比較すると、対照的な結果となった。
 
なお、薩摩に匿われていた宇喜多秀家は家康に引き渡され、前田利長と忠恒による助命嘆願により死罪を免れて、慶長11年(1606年)に八丈島に流罪となった・・・       』
 
 


77新しい技能を獲得した名無しの僧兵さん:2025/07/24(木) 22:53:05 ID:MnQd64yI0
 
 
『 大河ドラマ 〜 葵・徳川三代 〜 
 
第九回 「風雲 大垣城」 2000年3月5日 放送
 
  ---
 
 
 
・・・石田三成  「・・・父は此より兵6900余りを率い、美濃・尾張に出陣致す!
 
 留守の間、是の佐和山城はおじじ様(三成の父・正継)と正澄・叔父が守る。二人ともちぁんと言うことを聞くのじゃぞ?」
 
 
重家、重成 「はいっッ!!」
 
 
 
三成 「安心せい!(笑)、豊臣家へ忠義を尽くす大名は当家のみにごさらぬ。
 
五大老の毛利輝元どの、宇喜多秀家どの、薩摩の島津義弘どの、筑紫の立花宗茂どの、肥後の小西行長どの、さらに大谷吉継どのまで参陣致す。その他合わせ10万を超える大軍勢じゃ!
 
加えて東国からは会津の上杉景勝どの、常陸の佐竹義宣どの、そなたたちの義伯父でもある真田昌幸どの・・・  』

78新しい技能を獲得した名無しの僧兵さん:2025/07/25(金) 19:14:06 ID:XLh0wUMI0
>>76

 
『 ・・・■西軍の首謀者と結成の過程

西軍の結成については、石田三成がまず決起し、続いて決起に反対の立場であった大谷吉継を引き入れるとともに、安国寺恵瓊と共同で毛利輝元と豊臣三奉行(前田玄以・増田長盛・長束正家)を説得して、反家康闘争に踏み切らせたと説明されることが多い。

また、豊臣三奉行は当初三成と吉継の決起を反豊臣の謀反と捉え、その鎮圧のために輝元を大坂に呼び寄せる一方、家康にも協力を依頼したが、三成の説得により方針を180度転換したとする説もある。しかし、慶長5年7月17日の西軍決起に至るまでの三成の動向と西軍首脳部との交渉過程そのものについては、一次史料によって詳細が明らかにされているわけではい。

三成の単独決起説も江戸時代成立の軍記物・逸話集などの二次史料の記述が主な根拠であり、さらにそれぞれの内容にも食い違いが見られるなど検討の余地が残されている。水野伍貴は、既に政権中枢から外されて協力者もいない三成に、反家康闘争に消極的な毛利輝元・宇喜多秀家の両大老が同調する構図は不自然であり、むしろ両大老に積極性があったとする。

そして、挙兵計画は会津征伐が回避不能になった頃から水面下で進められていたと推測する。布谷陽子は、慶長5年7月15日付上杉景勝宛島津義弘書状に輝元・秀家・三奉行・小西行長・吉継・三成が会津征伐にあたって談合したことが記されていることから、三成を含めた複数人の合議のもと西軍の形成が事前に進行していたとする。

谷徹也は布谷説を肯定しつつ、増田長盛が永井直勝書状を送った7月12日の直前、恐らくは家康が江戸城に到着した第一報が大坂方面に届いたとされる7月2日頃から三成の挙兵に向けた具体的な行動が開始されたと捉え、第一の目的は家康を江戸城に釘付けにするものであったと推測している。
 
毛利輝元は三成と恵瓊の説得に引きずり込まれる形で西軍の総大将になったため、大坂城に留まって積極的な行動をとらなかったとされる。しかし、対家康戦への消極的な姿勢とは対照的に、豊臣三奉行よりの要請を受け取った後の輝元の大坂入りは極めて迅速なものであり、毛利軍も四国・九州において活発な軍事行動を展開している。
 
これらの点から光成準治は、輝元が西国における勢力拡大を目的として奉行衆と事前に協議したうえで決起に加わったとし、三成や恵瓊の甘言に乗せられたとする説を否定している。また、秀吉の死後、家康が毛利秀元の給地問題や小早川隆景の遺領問題など毛利家中の問題に介入したことで、自己の権力強化を目指していた輝元は家中の問題を自分の思い通りにできなかったことを屈辱に感じ、それが輝元の決起に繋がったと考察している。
 
大谷吉継の参加も消極的なものであったかどうか、その意図を含めて見解が分かれる。吉継が三成との友情を捨てられず、負け戦を覚悟のうえで西軍に加わったとする説は江戸時代成立の二次史料の記述をもとにしており、その真偽については不明である。
 
 
石畑匡基は、宇喜多騒動における家康の裁定を豊臣政権の弱体化策と捉え、それ以降家康に抱いていた不満から西軍に参加したとする。
 
 
堀越祐一は三成・輝元の挙兵は会津征伐が豊臣政権の崩壊につながりかねず、それを阻止する目的があったとする。堀越は会津征伐が実行された場合には家康率いる征伐軍の勝利を前提として、その後の展開を推測する。
 
会津征伐における動員の規模からして、120万石と称される上杉領全てを没収して参戦した諸大名への恩賞に充てたとしても十分に行き渡らない可能性がある。この戦いが家康の「私戦」ではなく、豊臣政権の「公戦」として行われる以上、不足した恩賞は徳川家の私領ではなく、豊臣政権の公領である蔵入地から分配されることになる。
 
蔵入地の減少は、徳川家の所領に手を付けることなく家康と諸大名の間に主従関係を構築することが出来るだけでなく、豊臣政権の財政基盤の解体につながることになる。
 
その結果、財政的に維持できなくなる豊臣政権は消滅に向かい、家康の政権奪取が現実味を帯びることになったであろうとしている。長年奉行の1人として豊臣政権の財政運営の実務を担ってきた三成はこの家康の意図に気付いたであろうし、同じく財政に関わってきた他の奉行たちを説得するには十分であったとしている。
 
一方、毛利輝元・宇喜多秀家の両大老は未遂に終わった加賀征伐に続いて会津征伐が行われるのを見て、家康の次の標的は自分達であるとする警戒感を抱き始めた。
 
このため、輝元・秀家は家康による大老「征伐」の意図を阻止するために三成の考えに同調したと考えられ、彼らは会津征伐が実行に移される前に家康を討伐する必要に迫られたと結論づけている。       』

79新しい技能を獲得した名無しの僧兵さん:2025/07/30(水) 17:43:25 ID:ZET/GI8w0
 
 
『 大河ドラマ 〜 葵・徳川三代 〜 
 
第十五回 「花嫁は三歳」 2000年4月16日 放送
 
  ---


慶長6(1601)年 正月、秀頼に対する年賀拝礼が行われました。

そして2月、淀殿は家康と秀忠親子を大坂城に招き饗応の宴を催しました。

その折、淀殿は家康は大坂城西の丸と伏見城を持っているがどちらが家康の居城になるのか、と尋ねます。

家康は 「居城と言えば江戸城、しかし江戸から京・大坂は遠く政務を執ることを考えれば朝廷が近い伏見城、豊臣家の安泰を守るのならば大坂城と家康は答えます。」

何を言いたいのかといいますと、家康は朝廷や公家衆ともつながりがあるため昨年末の関白職に九条兼孝が任命されたことを知っていたのかと淀殿は追及したいのです。

「露ほども存じ奉らず!」と家康は答えます。

つまり関白職という任官については勅命によって任ぜられるべきものであり、一介の武家たる自分が事前に知れるわけはない、と。

ともかく、今後秀頼はどうなるのか? そう言われて家康は目を瞑りただ黙っていますが、そのピリピリムードが居たたまれなくなったか秀忠が思わず口を開きます。

「九条兼孝の関白御任官は、空位を埋めんがための当座の計らい……」

ゆえに秀頼が成長した暁には、返上あって然るべきだと言ったのです。

ほう! と大喜びする淀殿は、しかと相違ないか? と念を押しますが

家康は「存じ奉らず!」と頭を下げます。つい先のことであるならいざしらず、数年後にわたることを軽々しく口にすべきことではない、と家康は言いたいのです。

淀殿の前を辞しも、控えの間で家康に首根っこを掴まれ投げ飛ばされた秀忠。

「余計なことを申すなッ!! この大たわけが!!!」


   ������

3月27日、朝廷は9歳の秀頼を権大納言に叙し、その翌日には秀忠も権大納言に任命されます。

淀殿は家来筋と同列に扱われたことが悔しく諸大名たちに八つ当たりします。藤堂高虎が、今は位の低い権大納言であっても内大臣、右大臣、左大臣と昇り、成人した暁にはちょうど関白になるのでは? と怒りを鎮めようとします。

さらに、秀忠に1日遅れて叙任したことが秀頼大事と考える何よりの証拠だと言いますが、

「高虎殿っッ!! そなたは元・浅井家の家臣にして今は豊臣家の家臣! さては内府殿に飼いならされたか!?」


   ����

……淀殿がいろいろと難色を示していることを家康は苦々しく感じています。

もし仮に豊臣と徳川の間で戦になったら諸大名たちはこぞって徳川になびきましょうが、それを淀殿は分かっていないというのです。   』
 


80新しい技能を獲得した名無しの僧兵さん:2025/08/02(土) 16:36:15 ID:w2PbN/8w0
 

『 大坂冬の陣の軍議で真田信繁が提案した積極策とその理由
#


「先んずれば人を制す」積極策を提案した信繁だったが…


景福寺(鳥取県鳥取市)にある後藤又兵衛の墓。遺髪が埋められていると伝わっており、妻子の墓も建てられている。
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 大坂冬の陣の開戦直前、真田信繁は亡き父・昌幸の遺言を実行すべく、軍議の席において作戦を提案した。以下、確認しておこう。
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 その作戦とは、信繁と後藤又兵衛の2人が宇治(京都府宇治市)と瀬田(滋賀県大津市)に出陣し、家康・秀忠の上洛を阻止するものだったが、『甲陽軍鑑』の作者・小幡景憲(おばたかげのり)により、あまりの奇策であるがゆえに退けられたという(『真武内伝』)。なお、景憲は、徳川方のスパイであったといわれている。
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 『幸村君伝記』によると、大野治長(はるなが)は軍議で作戦を提案した。かつての関ヶ原合戦では、家康の出馬が遅かったため、諸大名は気勢を削がれた。そこで、治長は家康を「耳臆病」な大将と評価し、大挙して豊臣方が蜂起すれば大いに驚くと考えた。家康は世評が心配になり、全国各地の大名の心境をうかがうとでも思ったようだ。
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 続けて片桐且元(かつもと)の茨木城(大阪府茨木市)を攻略し、さらに軍勢を京都に向かわせ洛中を焼き払って板倉勝重(かつしげ)を討ち、近国の城を落として猛威を振るえば、大名たちは自然に豊臣方に与すると治長は考えたのである。
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 信繁は治長の発言に対し「もっともなように聞こえるが、誠に粗雑で荒っぽい議論ではないか」と反論した。
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 信繁は、治長が家康を臆病な大将と評価している点について、「浅はかである」と指摘した。そのうえで、信繁は味方がゆっくりとしている間に、家康が宇治・瀬田を越えると、味方が気後れしてしまうため、すぐに家康を討つべきと主張した。積極策の提案である。
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 信繁と治長が議論を戦わせる中で、割って入ったのが後藤又兵衛である。又兵衛の主張は宇治・瀬田などに積極的に打って出て、徳川方の自滅を待つという作戦だった。積極策で長期戦に持ち込めば、徳川方は疲労困憊して、戦意を喪失すると考えたのである。
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 治長は、信繁に宇治・瀬田で戦う理由について質問した。信繁は兵法の「先んずれば人を制す(『史記』)」という名言を引用し、「籠城戦は国中・境目の地での攻防か後詰が期待できる場合は有利であるが、大坂の陣では日本中の軍勢が集まるため、計略により敵との戦いを避けなければ、勝利は得難い」と述べた。
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 また、信繁は籠城戦になれば、矢、鉄砲玉そして食糧が底を尽き、戦意を喪失した兵卒は裏切るか降参すると考えた。むしろ、積極的に戦い、味方が有利になる噂を流せば、徳川方に味方した者も豊臣方に寝返ると主張したのである。
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 徳川方は土地に慣れておらず、また寒さと長旅で疲労困憊と予想された。豊臣方が粘り強く戦い、それでも運が尽きたときは、潔く自害すればよいと信繁が述べると、一同は大いに賛意を示したという。   』
 
 


81新しい技能を獲得した名無しの僧兵さん:2025/08/11(月) 19:31:22 ID:zsNwlPAs0
>
> 秀次粛正後にうっかり秀頼が死んだら
>
> http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1751337065/
>



↑家康が年下だからアッサリ養子縁組要求。

しかし既に家康の本音が征夷大将軍と豊臣カラーの払拭なら秀吉没後に徳川復姓だろうな



82新しい技能を獲得した名無しの僧兵さん:2025/08/11(月) 19:56:00 ID:l0Tb5cZc0
>
> なぜ立花宗茂を大河ドラマにしないのか?
>
> http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1754869095/
>



↑直江、官兵衛が創られ戦国じゃない意次時代まで出たくらいだからいずれ来そうだけど、

時宗以前すらアンマじっくり観れたこと無ェってのに、新作大河なぞとうに観る気しない…




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