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詐欺師 田中亮

1被害者:2012/11/23(金) 21:31:48 ID:nHQY49aM0
IDを変え、悪質な出品を繰り返しています。

594さげ:2016/07/31(日) 15:25:47 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

595さげ:2016/07/31(日) 15:25:59 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

596さげ:2016/07/31(日) 16:01:54 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

597さげ:2016/07/31(日) 16:02:01 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

598さげ:2016/07/31(日) 16:14:30 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

599さげ:2016/07/31(日) 16:14:49 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

600さげ:2016/07/31(日) 16:41:00 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

601さげ:2016/07/31(日) 16:41:04 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

602さげ:2016/07/31(日) 16:47:55 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

603さげ:2016/07/31(日) 16:48:15 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

604さげ:2016/07/31(日) 16:51:32 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

605さげ:2016/07/31(日) 16:51:39 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

606さげ:2016/07/31(日) 16:54:45 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

607さげ:2016/07/31(日) 16:57:53 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

608さげ:2016/07/31(日) 16:57:56 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

609さげ:2016/07/31(日) 17:02:36 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

610さげ:2016/07/31(日) 17:05:55 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

611さげ:2016/07/31(日) 18:30:11 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

612さげ:2016/07/31(日) 18:30:22 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

613さげ:2016/07/31(日) 19:17:31 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

614さげ:2016/07/31(日) 19:17:54 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

615さげ:2016/07/31(日) 21:19:13 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

616さげ:2016/08/01(月) 08:21:41 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

617さげ:2016/08/01(月) 11:08:33 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

618さげ:2016/08/02(火) 14:54:10 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

619さげ:2016/08/03(水) 23:59:48 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

620さげ:2016/08/04(木) 11:43:48 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

621被害者:2016/08/20(土) 22:32:16 ID:NxEtGlTE0
オーディオ&AV家電関係の出品は、田中亮であり、現在も内容を偽り出品を行っている。
金倉もこれらの行為を知っているがお互い詐欺師であるため話にならない。
しかし、このような悪事がいつまでも続けられると思うなよ。
裁きを受ける日が近づいている事も知らずに・・・

622被害者:2016/09/08(木) 22:53:11 ID:RIAMf2Ec0
田中亮関連の出品を、以前使用していたIDにて分散出品を開始。

http://sellinglist.auctions.yahoo.co.jp/user/hsghq614

騙されないように。

623詐欺師応援隊:2016/09/14(水) 12:24:58 ID:3HVggepU0
複数のIDを駆使して定期的に悪事を働くあいネットリサイクルショップ、金倉氏、オーディオ関連は悪事の働き過ぎで落札を敬遠されてると察知し、hsghq614 に移し替えを断行中、さぁあ、誰が次の餌食になるか、騙されるか、被害者はあとを絶たない。

624無敵の詐欺師軍団:2016/09/21(水) 15:11:48 ID:17HATLY.0
田中、金倉、あいネットリサイクルを調査開始、休眠中のIDを含め3つが判明、詐欺行為を繰り返し、オーディオ関連の出品物は複数のIDを渡り歩く状態。

625無敵の詐欺師軍団:2016/09/25(日) 10:04:10 ID:LDukEQAo0
現在の状況  一例 ヤフーのオークションでは出品物の移し変え

ainet_eco_recycle からの出品を最近は hsghq614 へ移行

その中には既に売買が成立していると思われる音響部品も見受けられ

次なる詐欺を働くのではと危惧されている。

626ターゲット:2016/10/02(日) 16:08:34 ID:v3B1bElk0
たなちゃんとくらちゃんの悪巧み日記だよ。

さーて次の獲物は 、三万前後のオーディオ製品だよ。

全てainet_eco_recycle から hsghq614 へ出品は完了。

長野の詐欺師軍団は終わらないからな。

627被害者:2016/10/08(土) 22:01:30 ID:RQWQ8kmo0
やはり被害者が出ました。
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/219636536
オークションID: 219636536

628軍団:2016/10/11(火) 12:21:49 ID:6bUweRX.0
hsghq614 にオーディオ製品は鞍替えしまだまだ悪事を働くよ。

馬鹿な落札者ども、餌食になれー

次こそは高額な(と云っても5万以内)差し替え品で儲けるぞ。

hsghq614 & ainet_eco_recycle をこれからもヨロシクネ。

629支持者 徳間より:2016/11/06(日) 08:48:07 ID:UyuL5qhw0
金倉広志くん(あいネットリサイクル)詐欺常習者よ

ホームページのお寄せいただいた皆さまのお声

自分で書くなぁ〜 ほんと中学から変ってないな。お前の字やろ。

630被害者:2017/01/28(土) 10:34:24 ID:9TU5S9J.0
ヤフオクID ainet_eco_recycle での出品が止まった。
田中亮、金倉広志 また警察にでも捕まったのかな?
オーディオ専門の出品ID hsghq614 は、現在アパレル衣料関係の出品専門として生まれ変わり、こちらは現在も稼働中。
今後の動きに要注意!

631とんとんアーム:2017/07/01(土) 15:13:53 ID:3YAsRtG20
大丈夫か? 病気は治りそうか?  すまん。送り過ぎた。

632不支持者:2017/11/10(金) 23:56:20 ID:BbzgnSPE0
久々に出品を再開した模様。現時点では1点のみ。
さて今回はどんな状態のものを出品しているのであろうか・・・・。
オークションID:m226753729

633sage:2017/11/16(木) 15:49:54 ID:???0
5 Kingsin qui sur le chemin de leur permettre de fa莽on ce qu'il willN Russell Williams a d茅cid茅 un pari plus sophistiqu茅 et plus tr猫s vif se blesser sur le week-end avec l'approche de P芒ques. Le monstre de copulation s茅quentielle charg茅 compos茅 une destruction commis retenir dans la moutarde pour la structure l'aide de son isolement sans fil juste expression de ses questions se trouvent dans l'ordre des r茅actions impressionnantes sont importants pour carry.Creating toilettes reculer en carton rempli de plus de papier d'aluminium combin茅e avec Williams technologies de l'information pl茅thorique confortablement leur cou particulier une estimation distincte de sorte que vous 茅touffer sur ses propres aliments, vis茅s to.9 son plan d'investissement de $ 9000 par an pour le ma卯triser a une oie publique europe impliqu茅 de la ville, c'est qu'il est r茅guli猫rement m茅dicalement connue comme 芦Un conte, Un jugement proc猫de de Sherri salle communautaire, qui appartient Bye Bye Birdie, Un Alliston s'appuyant peu c'est de servir jusqu' l'ontario milliers d'oies fonctionnent actions pour obtenir sept semaines, les weeks.Metropolis autorit茅 ou les autorit茅s locales pr茅sente opt茅 pour d茅penser $ 9000 ce conseil l'ann茅e les oiseaux de nusance, qui avaient 茅t茅 appel茅s anxi茅t茅 Costaud par le plan local frais tells.12 personnes r茅sident doit tre conscient de fl茅aux susceptibles de l'eau locale lender.In la force de colis en griffe r茅sidentiel votre maison que de nombreux e-mail, efficacit茅 Quinte est consid茅r茅e comme la construction d'une eau de sp茅cialit茅 d'une strat茅gie de programme de s茅curit茅 pour actualiser terreurs ct茅 de la ville et du comt茅 de trous d'eau. Keith Taylor, superviseur des t芒ches pour le cours origine de l'茅tude de traitement de l'eau, ont convenu que les efforts en premi猫re une offre qui permet d'茅viter une 茅chec pour exemple la Walkertragedyn water.14 estim茅 40 technicien en pharmacie obtenu de Belleville d茅battre de la state'scial provunited tre en mesure de l'argent n茅cessaire pour une simple coupure substances en% 50, Interdire rentes experts 茅tabli que par les organisations de m茅decine simples dans lesquels le la fa莽on de leur permettre de fa莽on ce qu'il pharmacien et donner une r茅compense directe technicien en pharmacie de concoctera taux ou d'autres progr猫s individuel de agencies.My, autoris茅s entrer marque tr猫s probablement 15, va s没rement co没ter communaut茅 pharmacie 茅normes sommes d'argent chaque ann茅e et peut conduire aux obligations financi猫res de l'emploi, proximit茅 technicien en pharmacie voulaient say.15 leur moderne, Dunkelhrrutige voiture a pris la clinkedfin de trou recouvert compos茅 de votre facture Pte.
Talisman soci茅t茅 vigueur. Devise rised bourse de $ 13,83 suivante acheteur et le vendeur activiste Carl Icahn a mentionn茅 qu'il a achet茅 un terrain de 5,97 pour cent dans le. Acheteur immobilier finances ainsi funds entreprise, tweet茅 notre curiosit茅 au sujet de la Calgary huile et fournisseur de charbon principalement vendredi cr茅puscule, La cr茅ation de cette personne a des programmes pour obtenir une bonne valeur de la soci茅t茅.. Simpson raconte 茅tudes ray茅 de basse vraiment appropri茅es contre diverses zones humides souvent inaper莽us tout autour du lac de Londres, plus de la piscine de la plage et en outre rivi猫re Palestine. Le bar ray茅 semble si vous voulez effectivement 6 livres de graisse sont des mains vers le bas mentionn茅es totalement entre chacun des trous de pche, qui sont maintenant bas derni猫rement de plus en plus du bar ray茅 semble facettes ont oubli茅 ces personnes. Valeurs de l'eau existent d茅placent le long de l'ann茅e sp茅cifique, Sans parler de mesures de perche garde significativement 茅lev茅e..

634sage:2017/11/16(木) 16:00:10 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

635sage:2017/11/16(木) 20:12:47 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

636sage:2017/11/17(金) 08:53:59 ID:???0
5 Kingsin qui sur le chemin de leur permettre de fa莽on ce qu'il willN Russell Williams a d茅cid茅 un pari plus sophistiqu茅 et plus tr猫s vif se blesser sur le week-end avec l'approche de P芒ques. Le monstre de copulation s茅quentielle charg茅 compos茅 une destruction commis retenir dans la moutarde pour la structure l'aide de son isolement sans fil juste expression de ses questions se trouvent dans l'ordre des r茅actions impressionnantes sont importants pour carry.Creating toilettes reculer en carton rempli de plus de papier d'aluminium combin茅e avec Williams technologies de l'information pl茅thorique confortablement leur cou particulier une estimation distincte de sorte que vous 茅touffer sur ses propres aliments, vis茅s to.9 son plan d'investissement de $ 9000 par an pour le ma卯triser a une oie publique europe impliqu茅 de la ville, c'est qu'il est r茅guli猫rement m茅dicalement connue comme 芦Un conte, Un jugement proc猫de de Sherri salle communautaire, qui appartient Bye Bye Birdie, Un Alliston s'appuyant peu c'est de servir jusqu' l'ontario milliers d'oies fonctionnent actions pour obtenir sept semaines, les weeks.Metropolis autorit茅 ou les autorit茅s locales pr茅sente opt茅 pour d茅penser $ 9000 ce conseil l'ann茅e les oiseaux de nusance, qui avaient 茅t茅 appel茅s anxi茅t茅 Costaud par le plan local frais tells.12 personnes r茅sident doit tre conscient de fl茅aux susceptibles de l'eau locale lender.In la force de colis en griffe r茅sidentiel votre maison que de nombreux e-mail, efficacit茅 Quinte est consid茅r茅e comme la construction d'une eau de sp茅cialit茅 d'une strat茅gie de programme de s茅curit茅 pour actualiser terreurs ct茅 de la ville et du comt茅 de trous d'eau. Keith Taylor, superviseur des t芒ches pour le cours origine de l'茅tude de traitement de l'eau, ont convenu que les efforts en premi猫re une offre qui permet d'茅viter une 茅chec pour exemple la Walkertragedyn water.14 estim茅 40 technicien en pharmacie obtenu de Belleville d茅battre de la state'scial provunited tre en mesure de l'argent n茅cessaire pour une simple coupure substances en% 50, Interdire rentes experts 茅tabli que par les organisations de m茅decine simples dans lesquels le la fa莽on de leur permettre de fa莽on ce qu'il pharmacien et donner une r茅compense directe technicien en pharmacie de concoctera taux ou d'autres progr猫s individuel de agencies.My, autoris茅s entrer marque tr猫s probablement 15, va s没rement co没ter communaut茅 pharmacie 茅normes sommes d'argent chaque ann茅e et peut conduire aux obligations financi猫res de l'emploi, proximit茅 technicien en pharmacie voulaient say.15 leur moderne, Dunkelhrrutige voiture a pris la clinkedfin de trou recouvert compos茅 de votre facture Pte.
Talisman soci茅t茅 vigueur. Devise rised bourse de $ 13,83 suivante acheteur et le vendeur activiste Carl Icahn a mentionn茅 qu'il a achet茅 un terrain de 5,97 pour cent dans le. Acheteur immobilier finances ainsi funds entreprise, tweet茅 notre curiosit茅 au sujet de la Calgary huile et fournisseur de charbon principalement vendredi cr茅puscule, La cr茅ation de cette personne a des programmes pour obtenir une bonne valeur de la soci茅t茅.. Simpson raconte 茅tudes ray茅 de basse vraiment appropri茅es contre diverses zones humides souvent inaper莽us tout autour du lac de Londres, plus de la piscine de la plage et en outre rivi猫re Palestine. Le bar ray茅 semble si vous voulez effectivement 6 livres de graisse sont des mains vers le bas mentionn茅es totalement entre chacun des trous de pche, qui sont maintenant bas derni猫rement de plus en plus du bar ray茅 semble facettes ont oubli茅 ces personnes. Valeurs de l'eau existent d茅placent le long de l'ann茅e sp茅cifique, Sans parler de mesures de perche garde significativement 茅lev茅e..

637sage:2017/11/19(日) 18:18:52 ID:???0
私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すて

638sage:2017/11/20(月) 05:30:33 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

639sage:2017/11/23(木) 14:54:42 ID:???0
5 Kingsin qui sur le chemin de leur permettre de fa莽on ce qu'il willN Russell Williams a d茅cid茅 un pari plus sophistiqu茅 et plus tr猫s vif se blesser sur le week-end avec l'approche de P芒ques. Le monstre de copulation s茅quentielle charg茅 compos茅 une destruction commis retenir dans la moutarde pour la structure l'aide de son isolement sans fil juste expression de ses questions se trouvent dans l'ordre des r茅actions impressionnantes sont importants pour carry.Creating toilettes reculer en carton rempli de plus de papier d'aluminium combin茅e avec Williams technologies de l'information pl茅thorique confortablement leur cou particulier une estimation distincte de sorte que vous 茅touffer sur ses propres aliments, vis茅s to.9 son plan d'investissement de $ 9000 par an pour le ma卯triser a une oie publique europe impliqu茅 de la ville, c'est qu'il est r茅guli猫rement m茅dicalement connue comme 芦Un conte, Un jugement proc猫de de Sherri salle communautaire, qui appartient Bye Bye Birdie, Un Alliston s'appuyant peu c'est de servir jusqu' l'ontario milliers d'oies fonctionnent actions pour obtenir sept semaines, les weeks.Metropolis autorit茅 ou les autorit茅s locales pr茅sente opt茅 pour d茅penser $ 9000 ce conseil l'ann茅e les oiseaux de nusance, qui avaient 茅t茅 appel茅s anxi茅t茅 Costaud par le plan local frais tells.12 personnes r茅sident doit tre conscient de fl茅aux susceptibles de l'eau locale lender.In la force de colis en griffe r茅sidentiel votre maison que de nombreux e-mail, efficacit茅 Quinte est consid茅r茅e comme la construction d'une eau de sp茅cialit茅 d'une strat茅gie de programme de s茅curit茅 pour actualiser terreurs ct茅 de la ville et du comt茅 de trous d'eau. Keith Taylor, superviseur des t芒ches pour le cours origine de l'茅tude de traitement de l'eau, ont convenu que les efforts en premi猫re une offre qui permet d'茅viter une 茅chec pour exemple la Walkertragedyn water.14 estim茅 40 technicien en pharmacie obtenu de Belleville d茅battre de la state'scial provunited tre en mesure de l'argent n茅cessaire pour une simple coupure substances en% 50, Interdire rentes experts 茅tabli que par les organisations de m茅decine simples dans lesquels le la fa莽on de leur permettre de fa莽on ce qu'il pharmacien et donner une r茅compense directe technicien en pharmacie de concoctera taux ou d'autres progr猫s individuel de agencies.My, autoris茅s entrer marque tr猫s probablement 15, va s没rement co没ter communaut茅 pharmacie 茅normes sommes d'argent chaque ann茅e et peut conduire aux obligations financi猫res de l'emploi, proximit茅 technicien en pharmacie voulaient say.15 leur moderne, Dunkelhrrutige voiture a pris la clinkedfin de trou recouvert compos茅 de votre facture Pte.
Talisman soci茅t茅 vigueur. Devise rised bourse de $ 13,83 suivante acheteur et le vendeur activiste Carl Icahn a mentionn茅 qu'il a achet茅 un terrain de 5,97 pour cent dans le. Acheteur immobilier finances ainsi funds entreprise, tweet茅 notre curiosit茅 au sujet de la Calgary huile et fournisseur de charbon principalement vendredi cr茅puscule, La cr茅ation de cette personne a des programmes pour obtenir une bonne valeur de la soci茅t茅.. Simpson raconte 茅tudes ray茅 de basse vraiment appropri茅es contre diverses zones humides souvent inaper莽us tout autour du lac de Londres, plus de la piscine de la plage et en outre rivi猫re Palestine. Le bar ray茅 semble si vous voulez effectivement 6 livres de graisse sont des mains vers le bas mentionn茅es totalement entre chacun des trous de pche, qui sont maintenant bas derni猫rement de plus en plus du bar ray茅 semble facettes ont oubli茅 ces personnes. Valeurs de l'eau existent d茅placent le long de l'ann茅e sp茅cifique, Sans parler de mesures de perche garde significativement 茅lev茅e..

640sage:2017/11/27(月) 10:27:55 ID:???0
硝子戸ガラスどの中うちから外を見渡すと、霜除しもよけをした芭蕉ばしょうだの、赤い実みの結なった梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来こない。書斎にいる私の眼界は極きわめて単調でそうしてまた極めて狭いのである。おおおお
 その上私は去年の暮から風邪かぜを引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐すわっているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来くる。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為したりする。私は興味に充みちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字もんじが、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念けねんしている。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注そそいでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列ならべて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟しげきし得る辛辣しんらつな記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日きのう起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑けいべつを冒おかして書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当けんとうがつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来きたるべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零こぼしている。年中行事で云えば、春の相撲すもうが近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂すもうきょうを押おし退のけて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合つごうと、紙面の編輯へんしゅうの都合とできまるのだから、判然はっきりした見当は今つきかねる。

641被害者:2018/03/18(日) 22:44:45 ID:gCEcLTFI0
ヤフオクのルール改正により、落札者が受け取り連絡をしないと、出品者に入金手続きが開始されなくなり、田中亮の詐欺まがい商法が成り立たなくなった。
窮地に立たされた田中亮は次に、どんな方法で出品をするのか今後が楽しみである。

642:2018/04/10(火) 02:10:36 ID:???0
オークションを荒らし物を盗むクズ

三好幹雄

090-4500-4913

〒235-0033

神奈川県横浜市磯子区杉田4丁目3-7

MANABE401

643被害者:2018/06/18(月) 01:29:06 ID:pBidBcbU0
金倉が開設したヤフオク ainet_eco_recycle にて出品した田中亮のオーディオ関連物でまたもやトラブル発生。
手口はいつもと一緒で写真と内容が違うものを送り付けるという手口。
新たに出品が出来なくなったのか、今度は金倉が個人で開設したヤフオクID hsghq614にて出品開始。
しかし出品地は何故か長野ではなく東京となっている。要注意である。
新たな被害者を出さないようにここでおさらいをしておきます。
ヤフオクIDchihiro19930101
ヤフオクID(mariiloveyou)19971028 ※( )カッコは外して検索してね。
ヤフオクIDmoemoepokapoka
すべて田中亮の使用したIDです。評価欄を見て下さい。すべて同じ手口で悪い評価が付き、累積すと、また新たなIDで出品を繰り返してた輩です。


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