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72雪解け・5:2006/07/02(日) 12:18:06

 やわらかく華麗なフルートの旋律に乗せて、辺りを淡い紅色の風が包む。
 風の色だと思ったものは、無数の桜の花びらだった。辺りを覆う白銀の雪は一時の眠りを
与える役目を終えてその姿を消し、大地が、木々が、河川が、湖が、長い冬から眼を覚ます。
 山岳はまだ頂に白い雪帽子を残しながらも、麓は若葉と蕾の濃い緑で覆われて、雪を受け
止めて潤った大地が呼吸を始める。厚い氷の蓋を取り除かれ、静かに流れ始める河川と、細
かい波紋が重なり合う湖が、陽射しを浴びて輝きを放つ。芽吹きたての梢や、雪の代わりに
世界を染め上げる草原の緑、それを飾る開きたての色とりどりの花が風に揺れる。甘い草花、
つんとする爽やかな青葉、草原と森の匂いとざわめきが、少女たちのいる上空まで届く。
 慈悲深い主と、色鮮やかな花と緑。冒険の最中に何度となく聞いた、ベラの誇る妖精の里
の美。
 寝坊して遅れた分を取り返すかの如く、世界は緩やかにそして急激に彩を取り戻す。
 やがて、水音をたてて泳ぐ魚や、木の枝の上や空で囀る鳥、大地を駆け抜ける獣たちが目
を覚ませば、色とりどりの音がこの景観を飾るだろう。
 もうすぐ。
「ベラ」
 少女は、妖精の国の完全な春を見ることが出来ない。でも、いつか……
「また、会えるかな?」
 先程は答えをもらえなかった問いかけを再び繰り返す、あどけない真剣な横顔。ベラは意
を決して、小さな唇を開く。
「会えるわ……また、会える。だって、あなたはとても、いい子だもの」
 再会の約束はあってはならない。
 けれど後悔はすまいと思った。先に禁忌に触れたのはポワン様だ、と思うのもやめる。
さっきよりも嬉しそうな友達の笑顔。ただ、それだけで。
 妖精たちも、本当は願っているのだ。
 幼い頃に迷い込んだ子供たちが、その頃のままの心で再びこの国を訪れてくれるのを。そ
れは不可能な事じゃない。大人になっても、懐かしい気持ちで、また古びた絵本の表紙を開
くことがあるように。
 少女は、妖精たちの切ない思いを知らない。ただ、瞳に映る全てを記憶に焼き付ける。
 色彩豊かな大地の色、瑞々しい花の匂い、風と若葉の囁き、桜色の風。そして、心優しい
妖精の少女たちを、いつでも思い出せるように。
 きっとまた会える。
 先のことは、本当はわからない。
 不確かゆえに切実な、その願いが叶うよう祈りを込めるだけ。
 きっと忘れない。
 また……会える日まで。


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