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23大神殿脱出・3:2006/02/22(水) 16:38:25
 頭の中で続けた言葉と、少女の声が重なり、彼は思わず顔を上げた。
 深く、吸い込まれるような黒い瞳。あどけなくも、色濃く憂いを帯びた表情の少女がそこ
にいる。
 彼は内心の動揺を、極力表に出さないように努めつつ、つい口走ってしまっただろうかと
自分の行動を思い返す。
 間違っていたら、ごめんなさい。ぽつりと遠慮がちに彼女が口を開く。
 貴方が、助からなくてもいいって言うと思ったの。

 ――君は他人の心が読めるのか?

 喉元まで出かかった問いかけを何とか飲み込む。危うく語るに落ちるところだった。
 家族を……マリアさんを置いていくなんて絶対にだめ。
 彼女は小声ながらも強い口調で続ける。

 自分ではない、他の誰かにそれを言いたいのではないだろうか。
 何の根拠もなかったが、ふと彼は思う。

 他意なくそれを問うてみたら、彼女は一瞬の間をおいた(ように見えた)後、否定した。
 やはり自分の勘は当たらない。
 何としても生き延びなきゃだめ、と、繰り返し少女は言う。
 今度は『自分たち』に言い聞かせていることが、彼にもわかった。

 ……初めて、彼女を見かけた時のことを思い出す。
 重労働と暴力にあちこち傷ついても、毅然としていた少女。
 凍りついたような表情で、神殿の監守たちに無言で抗い続けた気丈な一面を持つ反面、
 どんな時でも笑みを絶やさず、惜しみなく癒しの呪文を分け与える彼女は、老若問わず
奴隷――特に女たちに慕われていた。
 そして結局、彼らを残して、彼女と彼はここにいる。
 この暗いわだかまりは、罪悪感か、後ろめたさか。心のどこかに暗く虚空を穿つ。

 逃亡者の存在を知った奴隷達は、その前途を祝福するだろうか。羨み呪うかもしれない。
 自分とて教団の在り方に疑問を持っていなかったわけじゃない。でも何も出来なかった。

 目に見えるもの全てを救えるほどの力など、人の身には持ち得ない。
 それは事実だが、開き直りとも取れる。
 第三者に、薄情だと言われてしまえば、それはそうなのだろう。
 両手で持ちきれないほどの命に責任を感じる事は、慈悲を通り越して思いあがりだが、今
まさに傷ついている者がいるのに心を痛めないのは、人の道に外れていると思う。

 ――私には、やるべき事がある。だから、まだ死ぬわけにはいかないの。貴方も、そうで
しょう?
 そう告げる少女の美しい面差しは、蓄積した疲労で青白い。それでも迷いの無い眼差し。
 私の事を、薄情だと思いますか? 
「――いや」
 重ねられる問いに、彼は静かに頭を振った。
 それは、ありえない。
 彼女がどういう経緯で奴隷に身を窶したのか。何が彼女を奮い立たせているのか、彼は詳
しい事は何も知らない。
 でも、彼女が薄情ならば、自分は今ここにいない。
 それに、己の心を保つだけでも容易でないあの場所で、他者に優しさを与えていたのは事
実なのだから。
 彼女は、割り切れない悲しみを抱いているだろう。
 それでも『やるべき事』のために、前に進まなければ、とあがいている。
 強い人間が悲しみや痛みを感じないわけではないのだ。ただ、表面には現れないだけで。
 そう思うから、彼は無言で――こんな恥ずかしいこと、言えるか――首を横に振った。


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