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22大神殿脱出・2:2006/02/22(水) 16:36:31
 揺られて、揺られて、揺られて……

 前触れも無く、彼は意識を取り戻す。
 全身の感覚が、視覚が、聴覚が、一気に機能するのがわかる。
 堅く湿っぽい木の壁。
 壁の向こう側で確かに響く、たぶん、波の音。
 目と鼻の先に、全身を硬直させて固く目を瞑る少女の姿を視認し、彼は咄嗟に口を開く。
「怪我は……無いか?」
 喉がかすれて、声音がさらに低くなる。
 十年ぶりに声を出したような気がした。
 彼の呼びかけに、少女がそろそろと両の目を開け、
 大きな黒い瞳を何度も瞬かせて、穴の開くほど真っ直ぐな視線をこちらに向ける。
 ……だいじょうぶ。蚊の鳴くような声で、彼女は応える。
 一呼吸。
 二呼吸。
 そして、
 二人は同時に、大きく息を付く。どうやら無事に脱出できたようだ。
 それでも、安堵のため息とは違っていた。

 気を失っていたのかどうか、どうもはっきりしない。
 案外、たいした時間は経っていないのだろうか。
 と、彼は何かが引っかかる。
 ……脱出時?

 あの時、

 妹と彼女、その友の三人を脱出させようとした矢先に、監守に見つかったのだ。
 もしかしたら、後を付けられていたのかもしれない。

 鞭や鎖を持って襲い掛かる監守たち。
 マリアの泣き叫ぶ声。
 そして、
 止める間もなくタルを飛び出し、彼の妹と己の友を逃がし、監守の鞭男達に立ち向かった
少女が、目の前にいる。
 落ち着きを取り戻すにつれて、今まで脇に置いておかざるを得なかった今までの出来事と
それに伴う、怒り? のようなもの? がふつふつと蘇る。

「……君は!」
 唐突に、彼はまたしても言葉を中断し、ぐい、と首が引きつらんばかりの勢いで明後日を
向く。(当然、少女は、どうしたのだろうかと首をかしげた。)
 何を今更だが、向かいで膝を抱える少女が身にまとうのは、簡素を通り越して、ぼろきれ
に等しい奴隷の服。
 今の状況でおかしな感情を抱くほど、自分は愚かではない(と思いたい)が、非常に目のや
り場に困るのはどうしようもない。
 この少女は、君は、なぜ、

「……なぜ、逃げなかった」

 そっぽを向いたままの彼の問いかけに、どうしてって? と少女は不思議そうな顔をした、と思う。
「もしかしたら、捕まったかもしれない」
 それは貴方も同じでしょう、と若干疲労は混じっていても、穏やかな声で少女は言った。
「私は……」
 喉の奥、心の深くで暗いわだかまりが邪魔をして、二の句が続かない。
 我ながら、中途半端なところで黙ってしまったと、彼は思う。
 助かる気など、無かった。
 ……と言えば重く聞こえるが、実際のところ、それほど大したことではない。単純に自分
のことを忘れていただけである。
 身寄りはおろか両親の顔すら知らない彼にとって、唯一の家族である妹を守るのは、幼い
頃から自分の役目であり、他に誰もいないのだから、それは当たり前の事だった。

 自分のことを考えたくない、というのもあったかもしれない。
 未だ大神殿で苦しむ何百人もの奴隷たち。
 それが自分の罪であると認識するほど、それこそ彼は愚かではないが(痩せた土地に住む
飢えた子供に、その場限りの感情で高級な菓子を与える事を、優しさとは云わないように)
妹だけでなく自分も助かりたいとまで考えるのは虫が良い、と理屈を超えて思う。

 が、それを口にしたら楽になってしまう。
 この少女の前でなら、特に――何となくそんな気がして。
 だから、続きは、口にしない。

 ――私は、それでもよかった。

 ――ばかなことを考えないで。


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