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【論理】本気で討論するスレッド【理屈】

223ろいろい:2004/01/27(火) 22:43
書きまくり。あ−誤植発見。>>222の「売れる」は「買える」な。

>>221
別に前提にツッコミを入れてる訳じゃ無い。前提を(つまり定義を)吟味すれば彼の主張がそのまま彼の主張を否定するという単なるパラドックスを指摘しているに過ぎない。

セコいことをいくつか。
「常識」を相対化しながらも「私は現代思想の常識を語っている」とはこれいかに。恥を知れ。
「権力主義とは何か」の2つ目、「道徳を利用するか」「道徳を盲目的に信じるか」の二通りだ、というのは「盲目的だ」。道徳を信じる事=道徳を利用する事であることがあり得る(彼の言葉を使えば解釈可能だ)。既に上げられている「信じるフリをする技術」や「でっちあげ道徳」の他に、「本心から道徳を信じる」ことによる「精神の安定」を「意識充足」とみなすことが十分に可能だと思う。うーん、この手法は悟りへのファーストステップと成り得るな。そしてその後「権力主義者」だった事を「忘れる」ことによって権力主義者を超越できるぞ(戯言だから気にするな

224:2004/01/27(火) 22:48
社会的な「権力」と権力主義者でいう「権力」は全く別物。
故に権力主義者より強い権力を社会的に手に入れる、という文章は反論として成り立たない。

【引用】
権力主義者は必ずしも社会的な権力を目指す者ではない。
最も強大な社会的権力者であることと、彼が権力主義者であることは独立である。

225ろいろい:2004/01/27(火) 23:04
>>224
あーやっぱりそう来た?でもね、こういう事なのよ。
エセ道徳家は、社会的権力を手に入れることを意識充足の中で高ランクにおいている、もしくは第1位だろう。道徳を社会的権力を手に入れるためのツールとして使う場合には特に。
この前提を明白に導入しておけば、反論としては十分成り立つ。権力主義者は他の権力主義者に利用されるようじゃあ敗者だと思うがねぇ…。
個人的にはこの引用文が「社会的権力」を「無価値」とする前提を著者が密輸入してる証拠だと思うんだがなぁ。独立なのは明々白々だし、それであっても「軽率」じゃなければわざわざ社会的権力を「放棄」する必要は無い。もし「社会的権力」が優先度が低くても、権力主義者が二人いて、片方がもう片方を「社会的に」「殺した」としたら、やっぱり「権力主義度(?)」は殺された方が弱いだろうよ。

226:2004/01/28(水) 23:24
先生!熱しやすく冷めやすい俺はすでに温度が下がってきました!(ぇ

と、とりあえずバイト帰りで反論考える気力ないのでまた明日・・・は、1日中家にいないから明後日?

227ろいろい:2004/01/28(水) 23:43
>>226
反論が思い付くところだけ反論してると思ったら今度は言い訳かよ、と煽ってみるテスト。
大体反論なんて一生懸命考えるもんじゃないぞ?自然と思い浮かぶもんだ。

まぁそれはオレにも責任の一端は有るけど。わざと論理を一ケ所不完全にしておいて君を誘導して、打ち負かすとかいう小手先のテクニックを使ってるからなぁ。

人の意見をずたぼろに言うのは趣味が悪いし、そろそろ代替案でも書いてやるか。
と言っても「幻想は幻想としか交換できない」と言った人の意見をほぼコピるだけなんだけど。
プラスアルファとしてはつい昨日読み終わった「光速より速い光」の影響があるけど、まぁのぶるのレスをもう少し待ってやろう。

228:2004/01/29(木) 00:16
煽られましたヽ(´ー`)ノ
じゃあとりあえず

前者の常識とは、社会的に存在している人々が妄信している“常識”で(〜なのは常識だ、等と使われるような)、彼の言う常識とは、彼の言葉を借りれば“学問的常識”である。しかし「常識もまた解釈なのだ」と書いてあるのは、暗に自分の学問的常識も解釈の一つであり、その解釈に反論があろうとも『要するにそれらを含む全てが解釈に過ぎず、どんな解釈も、常に「そうではない」と解釈され得るということが重要なのである。もし仮に神や科学や、筆者の記述に対する何らかの反論などが「絶対のもの」であるとしても、それが筆者と何の関わりがあろう? ──ない。たとえ「絶対のもの」だろうと、筆者にそうと解釈されない限り、筆者にとってはそうではないのだ。』とここに通じるのだろうか。
ここでは道徳を利用する事と蒙昧に信じる事は背反の状態として挙げられている。というか、蒙昧に信じていれば上手いように利用するなどという芸当は出来ない。出来ていると本人が思っていてもそれもまた道徳の範疇で足掻いているに過ぎない--のでは?

似非道徳家≠権力主義者だろ?
権力主義者は社会的権力とは独立の存在だというだけで混在しない可能性はない。彼等が道徳や科学や論理を技術・また武器として誇示する場合とか。
それに、例え権力主義者が社会的に殺されたとしても、彼等は道徳を持たないタメにそれを悪としたり恥としたり弱としたりはしない。殺されたのが権力主義度が低いと見なすなら、それは権力主義に乗っ取っていない事になる。

229ろいろい:2004/01/29(木) 22:48
>>228
まず前半。残念ながら最初からずっとそれが出てくるのを待っていたんだよ。
『』でくくってあるところをちょっといじってみるとこうなる。
『要するに無神論を含む全ての神々が信仰に過ぎず、どんな信仰も、常に「そうではない」という信仰があり得るということが重要なのである。もし仮に他の宗教や科学や、私の信仰に対する何らかの反論などが「絶対のもの」であるとしても、それが私と何の関わりがあろう?──ない。たとえ「絶対のもの」だろうと、私が信じない限り、私にとってはそうではないのだ。』
この論法で行く限り、そこら中の盲目バカを正当化するだけだと思うが…。
こういうのをふつう「価値観の差」とかいったりするわけで。
どーでもいいが「学問的常識」を特別視すると>>216のうしろの方が死ぬぜ?あと>>223の真ん中辺参照な。

後半。なんかちゃんと文章読んでるかと煽りたいぐらい話がすれ違ってるんだが。
まず、オレは「エセ道徳家は権力主義者である可能性がある」という話をしてたんだが。
権力主義者が社会的権力を当然(程度の差こそあれ)欲求するだろうと言ったのもオレなんだが。混在しない可能性は無い!とか言われても…。
権力主義者が社会的に殺されて、恥に思わないとしたって、不便だろ。っていうかふつう恥ぐらいで済むんだったら社会的死とか言わないし。
要するに後半は意味がわからんぞ、ぶっちゃけ。

230:2004/01/30(金) 23:33
そこが出てくるのを待っていたと言われても、前に一回そこ引用したが…

でだな
解釈or常識云々については、彼は“現代思想の常識”から語っているからそれは良いんじゃないの?
現代思想の常識が常識を相対化する事、と言ってるんだから。それに対しての解釈の違いも認めてる…んじゃないの?そこまでは書かれてないけど。あとは作者さんの思う所だわよね。

いや読んだが。どこにエセ道徳家が権力主義者である可能性について?むしろ社会的権力に触れてる部分が大半だと思うが。
まぁどーでもいいや。
で、繰り返すが、似非道徳家は権力主義者には成り得ないだろう。
似非道徳家ってのは、「人にメイワクかけちゃいけないんだよ。」とあくまで盲目的に道徳的見地からの思想を持つ人でしょ?それは権力主義者とは全く背反の立場だと言ってるわけだし。
分からんならココ読め『彼らはどんな行為に対しても「道徳的怒り」を感じないし、理性的冷静さを持っているからである。』
ココとか『権力主義者は道徳を持たない。どれほど卑怯な手口で搾取されようと、いかなる不平等があろうと、それは自身の、状況に対する権力の低劣以上のものを意味しない。』
社会的な死っつーのは極論でしょうよ。恥=死っつってるんじゃなくてさ。

231ろいろい:2004/01/31(土) 23:52
私的な理由により今日は長くは書けません。ちょっとだけ。

前半:『現代社会の常識とは「常識を相対化」することだ』という論理式は破綻してる、問いう話をもう2回ぐらいしてると思うのだが。前者の常識と後者の常識に違いがあるなら、別の用語を導入してくれ、分かりにくいから。
ちなみにいうと、私の観点からすれば「現代社会の常識」なんてものはない。今は「ポストモダン」と呼ばれている事から分かるように、「モダン」は終わった、という共通認識はあるものの、その後のビジョン(万人が受け入れるもの)を誰も示せずにいるわけで、そんな時代に「常識は相対化せよ」とか言いたくなる気持ちも分かるが、それは「常識が無い」という現状認識を穿った見方をしただけだと思う。

後半:自分の発言をコピペしたいけどめんどいから明日ね。
あ、エセ道徳家っていうのの定義が違う疑惑。おれは「盲目的に道徳を信じる人」をふつーの道徳家として、「道徳を利用する人」をエセ道徳家と置いたんだな。その上で、ふつーの道徳家とエセ道徳家を観察によって分類する事が不可能であることをしっかり指摘せずにスルーしたのが原因かも。とりあえずこれでどう?

まだまだ書こうと思ってた事はあるけど、すべて明日にまわします。じゃね。

232ろいろい:2004/02/01(日) 23:51
すごい誤植が。よほど疲れたらしい。>>231:問いう→という

まぁ、ここでちょっと趣向を変えて、>>170-176を読んでみろよ。最後をオレの発言にしたのはオレの都合だが、最初をyouの発言にしたから許せ。
何が言いたいってさ、この人は最初の最初に密輸入した前提は、きっと「オレは頭がいい、世の中はバカばっか」なんだろうなぁと思うんだよ。その前提が正しいかはどうでもいい。
君に同意はもらえて無いけど、これは『「美人だから好き」なんじゃ無くて、「好きだから美人に見える」』と同構造だ。すなわち、『「論理的にやつらはバカ」なんではなくて、「やつらはバカだとすればこういう論理が成立する」』んだと思う。人はそこの前後関係を(しばしば無自覚に)ひっくり返すのだ。
それも責めるのは酷だと思う。ただオレはここをもう一度引用しよう。

「冷静になれっ!」

今日はきょうとて疲れてるし、レスが無いのでまた明日。

233ろいろい:2004/02/03(火) 21:52
日記は補足しているものの、これでは逃亡と言われても仕方が無いと思われ。

参考:http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41133&pg=20030615

234:2004/02/03(火) 23:11
何?これはまとめに入ってる?w

えぃっとね。じゃあ一言だけ言って終わるわ。
訴えたいのは、今キミが討論(と呼べる物ではない事は自分でもわかってるが)しているのは、悲しいかなとつげき東北ではない。氏が書いた文章を読んだイチ読者だ。
彼はあの文章を書く際に、“現代社会の常識”を前提に書いている。まぁキミが言う自分は頭が良い、他は阿呆だという論理があるのはよく分かる。特にあの文章だけじゃなくて氏の書いた他の文章(別に思想系じゃなくてただの毒吐き文とか麻雀論とかも)を読めばそれはすぐ分かる。
で、ここで重要なのはそーじゃなくて、彼が現代社会の常識を踏まえて文章を書いていて、俺はその文章を読んだだけという立場である事が重要なのよ。
俺は読者である以上、“『現代社会の常識とは「常識を相対化」することだ』という論理式は破綻してる”と言われてしまえばそれ以上俺には踏み込めない領域になってしまう。
ただそれだけ

とりあえず>>170->>176読んだが
やはり脳死や死刑制度と、ヲタク論議なんかは一線を画した所にあるとは思う
これは今この文を書く段階では上手く纏められん。どう書けば良いか迷う所だ。
何て言うんだろう。えーとね。
一つ言える事は、命題はやはり間違っていたという事だ。
論理で語るのが討論じゃないというのはよく分かったし、言い負かしたら良いという概念も理解した。
なら、命題は「ヲタクは論理的にキモイか?」ではなく「ヲタクはキモイか?」であるべきだった。
そこに論理的にを付けた事によってややこしくなった点も多々あったろうと、今更に思う。
とはいえ、別に過去の討論をここにほじくり返すつもりはないので了承頂きたい。

で最後に美人と好きの関係だが
つい前の木曜にpoco氏にはサラリとそれ関係の事をこぼしたんだわ。ナイスタイミング俺 <?
簡潔に言えば、昔はあれ程心酔していた某SWの音楽が今ではそこまでではない、ということ
あの時は一種の宗教観念みたいなものにハマった、いわば信仰状態のようなものだったのかなぁ・・・
別に今聞いても悪いとは思わないんだよ。普通に良いなぁと思う物も多いんだが、どうも昔程の情熱が湧かない。
かと言って完全にその論理に同意したわけではないんだが。

つかね、例えが美人だの好きだのである時点で、面食いの俺には受け入れ難い。

235ろいろい:2004/02/03(火) 23:12
>>233
補足→捕捉。
良く似てるし(言い訳

じゃ、最後に話の流れを無視して、自分の意見を書いて終わりにするかな。
と思ったけどまた先延ばしと。

236:2004/02/03(火) 23:13
補足

パラグラフ1:つまり、君の反論は、討論の相手が氏本人であればとても有効だったのかもしれないね、という事です。

237:2004/02/03(火) 23:13
>>235
激しくカブらないで下さいw

238ろいろい:2004/02/04(水) 21:41
>>236
君の言う事はもっともだが、君は氏の意見に共感したんだろ?そのへんはどうよ。

次から私の意見。

239ろいろい:2004/02/04(水) 22:12
さて、議論の前提から。
「常識は相対的である」。これは認めよう(そうしないと意見を述べる意味がないからな)。ただし、オレはこの前提もどうしても持ち込まざるを得ない。「何の前提も無しに疑ったり討論したりすることは出来ない(もしくは無意味)」。定義を前提と置き換えれば似たような事を氏も言ってるけどね。

で、一足飛びに結論に行くと、「人は自分の都合で好みの前提を選択しており、また当然すべきである」。まぁ平和主義的な注釈をつけるなら、「みんなが自分の前提を持っている事を世界人類の前提とすべし」。

今までヲタ論において多く語られた事に「先入観」とか「主観」とかの問題があったけど、それと大体同じ事を繰り返す。前提の2にあったように、人は考えるための武器としてまず「前提」を与えられる(大概は「言語」という形をとる)。そんでもって、その「前提」をつかって「好き嫌い」や「善悪」を判断する(あるいはその価値判断系を放棄する;一部生物学的理由に起因するものは除いてくれ、たのむ)。なぜなら「前提」無しに物事を判断することは出来ないから。そして、「前提」を持たない系についての価値判断は、ほぼ間違い無く「前提」を持つ系と(意図するしないの差こそあれ)混同(同一視でも可)することによって先に価値判断し、そこから逆に「前提」を引き出す(萌えの派生メカニズムを思い出す事)。

だから、どっちが先かの差に眼をつぶれば、「前提」の差はダイレクトに「利害関係の差」に帰着する。人によって「利害関係」が違うのは当然(ですよね?古代からの常識!)だから、「前提」が違うのも当然。ここで前提を常識と置き換えてね。

「〜すべきである」について。「人間は自分の幸福を最大化する」というのを認める限りにおいて、この「〜すべきである」は成り立つ。別にその人の常識に「人を幸せにするのは良い事だ」とかが入ってたって全然問題は無い(人を幸せにして自分が幸せになるのはその人の勝手です)。最初の前提にはあえて入れなかったけど、これに逆らう人、いますか?

ただ、権力主義者と一番違う点は、オレはこの常識の差についてもっとオープンになった方がいいと思うのだよ。みんなが「みんな違って当然」と思い、お互いに「オレはこうして欲しい」と提示することにより、うまくトレードオフが成立してみんな幸せで嬉しいな、というのを推奨する。なんてたって、ここでこのトレードオフ段階での裏切り者を排除するのは簡単だ。法律、悪いウワサ、その場での報復、ほとんどあらゆる手段で自然に淘汰されるだろうな。ただ、これを「悪いやつだ」という前提で裁くのは否定しているのは分かる?「オレに損をさせたから」だというベースですよ?

と、基本はこんな感じ。補足及び応用もあるけど、とりあえずここまで。

240:2004/02/04(水) 22:46
確かに彼の意見に共感はしているが、細部にわたって全て関して同意してるわけじゃないよ、一応いっとくと。
全体的な流れとか、合理的な考え方をしているなぁ、という部分に惹かれた。
俺は基本的に無駄な事が好きだからね。こーゆー考え方は現実的ではないとか言われても意に介さないし。

俺が思うに、権力主義者ってのは一番常識の差についてオープンな人種じゃないのか?
むしろ価値観・常識・前転の違いを認めず道徳という一つの常識に縛られているのが彼が文章中で非難する蒙昧な道徳家であり愚昧な人間であると。
「俺に損をさせたから」という怒りや裁きは道徳的観点からくる最たるものではないかと。

241ろいろい:2004/02/04(水) 23:18
>>240
権力主義者は常識の差に自覚的かも知れないけど、オープンでは無いぞ。
なんしろ、人それぞれ違う常識を「否定」してるんだからさ。
「オレに損をさせたから」というのが裁きの実体であるのは多分その人の思想とは関係ない。ただ「そう被告に説明できるか」の違いはでかいだろ?それをわざわざ「悪い事だから」というのがダサい道徳家であって、オープンに「お前気に入らない」と(正当化する論理を持ってこないで)言える人や社会だ、というのがある意味においては非常に「健全」で「効率的」だと言いたいのだ。これはヲタ論でも似たようなこと言ったよね(正当化するから反論したくなるし、それが不毛な議論を呼ぶ)。

補足というかまめ知識というか。
今時の高校生は相対性理論の噂ぐらいは知っているだろう。特殊相対性理論の主張する所によると、我々は光より速く動く事は出来ず(光は制限速度だ)、動いてるひとから見ても止まってる人から見ても光は30万km/sで観測され、速く動くと大きさや時間や質量が増えたり減ったりする。正しい表現とかについては、自分で勉強してね。
でもさ、ちょっと考えたらなんか変だな、って思わない?距離も時間も変動してるのに、光速は変わらないってちょっとねぇ?それって、本当は光速は変わってるって事か?とか思うのはオレだけか?
これに対する解答は「光速がどの観測者からも不変であるように時間や大きさを定義した方がわかりやすいから」なのです、身もふたもないけどさ。

逆に古典物理といわれる高校の物理では、「距離や時間は変動しないと定義したほうがわかりやすいから」そうしてるの。何を基準にしたって別に良いよ?でもボーリングのボールはいつも同じ速度で動いてる事にすると、めんどくさくねぇ?

馴染みが無いとこの手の話には付いてこられなかった?まぁそれはいいとしてだ、ここから出てくるのは、「何を前提に持ってくるかは、なるべく物事が単純になるようにする」という方法論である。
これはそれこそ方法論だから真理じゃないけど、社会っていうのはこういうのを元に出来てる。例外だって少ない方がいい。
それに、「常識を相対化する」話と「相対性理論」の話が関係があっても全然不思議じゃないでしょう?

だから、「光速は不変だ」といきなり言っちゃうように、「人を殺してはいけません」といきなり言うのだ。(註:光速不変性については実験で立証された部分もあり、この説明は相当簡略化してることを御許しください)

242ろいろい:2004/02/05(木) 23:12
もう一点(というか一番重要なとこ飛ばしてた)。

俺は権力主義者の事を「自分の説が自分自身を攻撃してる」として批判した。すなわち、「自分本意の常識を使って人様に文句言ったり迷惑かけてるのは他でも無い君なのだ」と言って。

俺の意見と氏の意見の共通する所は、どんな反論が来ても「それは君の意見でしょ」と言わざるを得ない構造にある。だが、(俺の観察によれば)俺の意見は自己矛盾はしていない。なにしろ、人様に迷惑かけるのは前提(避けた方がいいとは言っているものの)だし、自分が自己中だと開き直ってるし、挙げ句の果てに「君と意見が違って当然。しかも君は間違っていない」と平然といってのけるのが俺なのだ。

これぞ絶対に反論されない理論だ(半分冗談ですよ)。ある意味、前に言った基準で言えばこれは「非科学的」「悪質な」理論である。でも、それさえも開き直る事ができる。

「当たり前の前提から出発して、前提を密輸入する事無く論理的に出てきた答なのだ。反駁出来なくて当然、これが真理なのだよ」

243ろいろい:2004/02/07(土) 21:53
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/
日記(下の方)2/7参照。
「倫理とは何か」の1つ。

244ろいろい:2004/04/16(金) 21:56
topも変更されて、日記に政治色の強いネタが登場するし、管理人は最近創作欲があるようなんで、ちょっと刺激を与えてみるテスト。

前に「バカの壁」読んだとかいってたから、その続編らしい「死の壁」の書評でも。

端的に言うと、今回はかなりつまらん(立ち読みだけど)。
「バカの壁」は発売直後に読んだんだけど、その頃は養老孟司は一般人にはそれほど認知されていなかった。それがプロモーションの高さとタイトルのインパクトでミリオンまで行ったわけだが…。
「死の壁」はそのミリオン作家が書くにしてはあまりにおざなりだと思うのだ。

批判とか批評とかを読む際に気をつけなきゃいけない事は、それが発信者の「自分が抑圧されている事への不満」から来ていると言う事だ。別にそれ自体は非難されるべき事では無い(と思う)。だが、その主張が主流派になった場合、その連中の主張は大体の場合崩壊する。主張に含まれているロジックに少なからず自分達への憐憫が含まれているからだ。
極右も極左もフェミニストも最大野党も、自分達が多数派になったら(今の)自分の主張が無効になるという事は個別には理解できると思う。フェミニストが衰退しつつあるのは、世間にフェミニストの考えが浸透してきたからだ、という本を読んだ事がある。

これは「死の壁」に書かれていた事だ。記憶に基づいて引用すると、「反体制と言われる運動は、大概が反権力と言うべきものだ」とかいう感じ。養老自身もその事を自覚しているらしい。

そんでもって、ここが一番重要な事だが、養老の書く本は全て「反体制」的な事が書かれている(「眼からウロコ」とか美化されてはいるものの、一般的な常識からは逸脱しているのは事実だ)。俺の考えでは、養老の主張も多分多数派への不満が原動力になってると思うのだ(引用する気にはならないし、主観が絡むから省略する)。
さっきあいまい引用した部分についてだけ言えば、学生運動とかについて語ってる段だったと思ったんだけど、彼がそういう主張をする土台としては、1:彼自身は学生運動に参加しなかった。2:周りに連中に運動に参加しない事で白い眼で見られた。という経験があると思われる(そんな事を書いていたように思う)。そういう経験が悲しむべきことで、養老に非が無いのは事実だが、だからといって学生運動が完全悪だということは論理的には出てこない、ということに注意して欲しいのだ。

とにかく、自分の本をばかすか出して100万部も売ってる作家がそんなこどものわがままみたいな事書くのはどうかと思うのだよ。ほとんどレベルとしてはオタクが自己正当化するのと変わらん。今まさに多数派になろうとしている言説としては失格に値する。

という私の主張も多数派になった養老に対する不満が原動力となってるのだった。事実、ヒットする前の「バカの壁」には共感できるパートもあったのだから。とほほ。

ま、読んで無い人には聞いても分からん話だとは思うが、ちょっとね。
ちなみに、イラクの人質さんの話も。君の意見は間違ってるとは思わない(むしろ若者層の間では多数派だ)が、人質に同情する言説(の甘さ)に対する不満だけが全面に出て、主張の客観性を損なう一歩手前なのです。
事実、愚かな2ch住人は人質達を三バカ呼ばわりして死んでしまえとまで(半ば本気で)言うのですから、これはいくらなんでも、と私は思います…。
あと、犯人と交渉するのはテロに屈服するのとは違うと思います。端から「自衛隊は撤退しない」と大見得を切って(ある意味人質を見捨てて)見せるのは逆の意味でテロ行為に対して屈服してるんだと思うよ。打つ手が無い、という点において、ね。

245:2004/04/16(金) 22:36
養老の続編については読んでない俺にはどうにも・・・
一ついえるのは、大方俺はアンチ世間・アンチ大多数の気があるらしい

まぁイラク問題については機を見てまた日記に書こうじゃないか

246ろいろい:2004/04/16(金) 23:03
>>245
インテリ(かぶれ含む)な皆さんは少なからずアンチ世間ですからなぁ。
ひねくれ者の超インテリかぶれとしてはアンチ・アンチ世間として第3の道を行きたくてしょうがないんじゃ。

こんな世界中に対してアンチアンチと言い続ける姿勢を称して、やじうま主義と命名するつもり。
いつかそんなものを確立したいと思うわけだ。確立しちゃったらやじうまにならんけどな、とほほ。

247ろいろい:2004/04/18(日) 00:07
日記と掲示板で議論するのはやりにくすぎる。ただでさえtextで討論のようなことをするとすれ違いが必要以上に多くなると言うのに。

とりあえず、俺が一番嫌いな政治関係の用語が「国益」なんですけどね。
国益を定義せよ、とか無茶な事は言わないけどね、押さえるべき点は自分が考えるのは3点。
1:国益とは「日本国の利益」なのか「日本国民の利益」なのか。
極端な想定をすれば、日本がどっかの植民地になりそうになった(アメリカの州だと思えば割と現実味があるだろ?)。もし、国益が「日本国の利益」だとするならば、日本という国家が存続することが至上命題であるのだから、戦争してでも植民地化は回避するべきだ。だが、「日本国民の利益」だとするならば、戦争のコストと、ホスト国に支配されるコストを天秤に掛けて判断しなきゃならんだろう。
世間一般の認識に従うならば、北朝鮮の国益は「朝鮮民主主義人民共和国の利益」なんだろう。
2:もし国益が「日本国民の利益」ならば、国民の利害が一致しない時にどうするのか。
多数決等によって決定することになるだろうけど、多数決が民主主義を脅かすのは言うまでも無いと思う。
3:もし損得勘定をする時の現状認識に差が有る時はどうするのか。
利害が一致していても、認識が違うことがある。例えば、今後アメリカの同盟国でいる事は長期的に得か、とかね。

以上の議論もなく、「自分の利益」をさも国益だと言って退ける連中には耳を傾けない事にしている。自分の利益じゃないかも知れないけど、反駁する価値が無い。

前々から疑問なんだけど、「非戦闘地域」に行くのに、なんで武装集団を派遣しなきゃいけないの?自衛隊が軍隊じゃ無いと言い張るぐらい無理があると思うんだが、この理屈…。「戦闘地域」と「非戦闘地域」が境界で分かれている状態も想像出来ないし。

それからですね、「自衛隊派遣はするべきだ」という主張を認めたとしても、だから自衛隊を派遣しましょう、ということにはならんと言う事。
自衛隊派遣のデメリットを考慮して(それが存在する事はその記事も認めてるようだし)、どっちが重いかを誰も議論してないんだよね、まったく。
例えば聞くけど、イラクで何人民間人が殺されたら撤退します?自衛隊員が何人やられたら撤退します?日本でイスラム系のテロで何人犠牲者が出たら撤退します?それでもまだ「自衛隊派遣は正しい」だけで粘るおつもりでしょうか…?

あと、「交渉」という言葉に多少誤解がある模様。
別に私は自衛隊を撤退しろ、と言っているのでは無い(どちらかと言うとまだ撤退しなくていいと思う)。ただ、相手には相手の言い分があるのに(正しいかは別にして)、人質取られてるのにいきなり「撤退しない」ってTVに言い放つのはどうかと。
相手を説得するとか、時間を稼ぐとか、そういうのを含めた総合的な「交渉」なのですよ。ホントはこの話は対北朝鮮外交に対して言いたいんだけど…。
あと、「ポジティブな意味で打つ手が無い」って、冷静にもう一度読んでみ?自己正当化もいいとこだぞ?

今回の話、「正しい事をハッキリ言えるようになって日本国民は成熟した」とか書いた人がいるようだが、あきれちゃう。昔の人は多分「正しい事を盾になんでも押し通そうとする」弊害の方に敏感だったんだと思う。若干敏感すぎたのと、実際のパワーバランスが欧米にかないっこなかったから、自己主張が以前より必要なのは事実だったんだろうけど、それは単なる政治的スタンスに過ぎない。どっちが良いかは、何を実現したいかによる。
世界平和を実現したいなら、もっとネゴシエーションするんじゃない?世界平和と国益がバッティングしたらどうすんだろうな…。
「和をもって尊しとなす」と言う事だろ、きっと。

長過ぎる。疲れたよ。

248:2004/04/18(日) 00:40
今回の問題を考える際に国益をいう言葉を用いた場合
その決断が国自体の利益、ひいては国民全体の利益になるのは明白だと思うが
それが齟齬になる場合はまた別。ここで論じる問題ではない

戦闘地域と非戦闘地域がはっきり分かれていない状態だからこそ武装集団を派遣する必要があると思うのだが
丸腰で行くのなら自衛隊じゃなくてそれこそ民間人にボランティアにでも行かせれば良い

イマイチ日記での俺の言いたい事が伝わってないようだ
今回、自衛隊を派遣すべきか否か、という問題は、「誰それが何人殺されたら撤退するか」とかいう次元じゃない
じゃあ○○人殺されたら撤退する、というのならまだ行かない方がマシ

もうちょっと小さい規模で考えよう
近所のI家で火事があった。近隣の住民はみんな消火作業をしている。
某N国だけ、遠くから「あー、みんな頑張ってるわー」と傍観するわけにはいかない。
同じ町内会の一員として、消火作業に携わる責務がある。それをせずに、消火作業が終わった後にノコノコ出て行って「よかったねー、さぁ、石油頂戴」
これが許されると思うかね。

今、東京はいつイラクからテロを受けてもおかしくない状況にある。
また、北朝鮮がいつミサイルを撃ってきてもおかしくない状況でもある。
両者が未だそれをしていないのは、ひとえにアメリカが睨みをきかせているからの他ならない。
今ここで自衛隊派遣について尻込みすれば、国際情勢上日本は非常に分が悪い立場に立たされる。当然アメリカとの関係にも少なからず亀裂・わだかまりが生じることになる。
そうなれば、余計にイラク・北朝鮮からの攻撃が容易になり、より一層の危険に晒されるという事を分かっていない。

では、今自衛隊派遣に反対している国民で、拉致問題を抜きにして「日本はイラクへ自衛隊派遣をすべきではない」とする、明確な根拠を示せる奴が一体どれだけいる?
また、「3人が可哀想だから撤退してあげて」というのは道徳的に見れば正しい事であるし、「見捨てる」という言葉を使ってしまえば人道的にも問題がある。しかしそれだけの理由で「自衛隊は撤退しろ」とするのは余りにも浅はかである、ということだ。


なんか「自衛隊を派遣すべきか否か」の問題と「拉致問題に際して自衛隊を撤退させるべきか否か」の問題が混同してきている。

249ろいろい:2004/04/18(日) 21:58
オレとしては全然混同してはいないが、整理して書いた方がいいならそうする。
こっちの認識としては、「自衛隊派遣の正当性」と「自衛隊派遣の政治性」の2点に分けるべきだと思ってるけどね。君の基準からすれば混同してるかも知れんが、最後まで読めば理解できると思う。整理して書くから。

まずは「正当性」から。
国益に齟齬が無かったら、国内でこんなに揉めないと思うのですが?
この現状が、何らかの齟齬(利害関係か、認識差かは不明)が存在することの証拠に他ならないだろ?
「〜は自明だ」という文体がマイノリティーを抑圧し、体制を崩壊させるのは歴史が証明してるぞ。

君のイラク状況に関する認識は良く分からんが、とにかく政府は危険じゃ無い「非戦闘地域」に軍隊じゃ無い「自衛隊」を派遣する、と言ってるわけで。それに君の日記を読むと「非戦闘地域」での「人道支援」だから撤退する必要は無いと書いてあるように思われるのですが、結局どっちなのですか?
現に小泉クンはこの「戦争じゃ無いよ」的傍証を持ってきて誘拐犯に対して(というかメディアに対して)「何で撤退する必要があるの?」とか言ってたね。
ホントはどうかについては私は何も知らないのですが、多分「グレー戦闘地域」に「グレー軍隊」を送ろうとしてるから、こういう物言いになるんだろうな。身内がどう言おうと勝手だが、現地人は結構危ない場所に軍隊が来たと思ってるんじゃ無いの?
暴論だけど、武器が必要なところは「戦闘地域度」があるんだから、「軍隊」が「戦争」しに行かなきゃだめでしょ。
どっちにしろ、こんな稚拙な理論で正当性を主張するとは、中国の武器商人か?

ここから「政治性」。
「人が何人殺されるか」というのと「石油の取り分はどれだけか(もっとはっきり対応させれば、何ガロンもらえるか)」というのはどっちも低次元で現実ベッタリの議論で、同列に論ずるべき問題だと思うが?つまり、「人がx人殺されるリスク」と「石油がy円分もらえるメリット」を天秤にかけた上で、自衛隊派遣が得かを判定すべきだという事。
同様に「アメリカとの関係」とか「北朝鮮の動向」とかも、定量化できないという差こそあれ、自衛隊派遣の「損得勘定」という意味で同列だ、と私は言っているのだ。
「損得勘定」と「正当性」は独立に論じた方がいいと思うが(どっちも「派遣すべきか?」という日本語をとるからややこしい)、「油は条件に加味するけど、NGOやジャーナリストは条件に加味しない」というのは『余りにも浅はかである』。

敢えてややこしいことを言えば、「人道的見地」とかは「正当性」の方に含まれると思うけど、「正当性」は「人からその行為が正当に見えるか」という「政治的」ファクターとも混同されやすい。「正当性」は「自分が自分で納得するか」だから、極端な話『どーでもいい』。でも人からどう見えるかは政治戦略として大いに語られるべきだ。そして、『自分が正当だと思っても、人からもそう見えるとは限らない。特に敵からは絶対に正当には見えない』というあったりまえな事を念頭に置けば、「自衛隊派遣は正しい」という発言がいかに「間違ってる」かが御理解いただけるかと。

以上の事を念頭に置いて、一応オレが自衛隊派遣をどう思ってるかを書いておく。
自衛隊派遣は「正当」だとは思わないが、派遣したほうが「得だ」。でも反発が予想以上ならとっとと撤退しとけ。1度派遣しておけば、しなかった時に比べれば大分ましだろ。

250ろいろい:2004/04/20(火) 22:36
なぜ放置?
一応君のリアクションを期待しているのですが…。実質匿名じゃない環境だからできる事ではありますが。

結局、何に重きを置くか、という問題に最終的には収斂するので、相手を説き伏せることができるとは思ってません。毎度のことですが。
ただ、討論を通してお互いの視点をトレースし多角的な眼を養うこと、自分が正しいと思ってた事を正しいと思わない人がいることをもっと知る事。それは肥やしになるんでねーかと思うのであります。
「正しい事を減らす」のを続けるのは精神安定上よろしくないかも知れないけど、それを止めた状態こそが「思考停止」と俺が何度も言っていることに他ならない。

自分の意見に周りが同意してくれるのは嬉しいことである。相手に説き伏せられるのは不快なことである。これはある程度は変えられない事実だ。でも相手を喜ばせないと自分が喜ぶようなことは多分してもらえないし、相手に説き伏せられるのは「新たな事を知る」快感へと昇華させられるはずなのだ。
仮定でもいいから、相手の言う事を信用してみる、というのもいいもんだ。

前レスでは、最後のパラグラフ以外にはなるべく価値判断を含まないように努力した。また、君の意見については疑問は呈しているが、否定はまったくしていない。
特に、「石油確保」ファクターについては、まったく正しいものとして議論を進めています。ただ、「人命」ファクターも同列に認めてくれたっていいじゃん、というネゴシエーションなのよ。
俺なりの譲歩なんです。

君の譲歩を聞かせておくれよ。
正直こんな位置にオレのレスが晒されてるのは酷いよ(そこか

251ろいろい:2004/04/20(火) 23:45
とりあえず「死の壁」レビューには消えてもらおう。

>>日記
すごい英語を取るようですね。がんばって。
俺のはずれ英語より更に凄いようです。自分がラッキーだと思えました。

言語による去勢…。あはは、俺が英語最後の課題で書いたことと内容は一緒ですね…。
ただ、そんなかっこいい言葉を使っちゃって、誰に向かって喋ってるんだろうね?
薄っぺらい日本語の文庫で「構造主義入門」みたいのを一冊読めば大分楽になるんじゃない?
お勧めは内田樹「寝ながら学べる構造主義」。俺の眼を信じるなら、読んでおけ。損は無い、と俺は思う。

252ろいろい:2004/04/21(水) 22:50
短いレスで埋めてこのスレッドを短くしよう。

日記がblog化するようですね。
ちなみに、http://blog.tatsuru.com/archives/000080.php
フランス人にはこう考える人もいるらしい、ということ。
俺自身はこの意見には別に賛成ではない(どっちかっていうと反対かな?)が、こういう人の方が多数派だったら、と考えると、微妙ですよね。

253:2004/04/21(水) 23:02
えーと、正直すまん
絶対レスするからちと待ってくれ

254ろいろい:2004/04/21(水) 23:21
>>253
了解。

255:2004/04/22(木) 00:31
自衛隊派遣についての自分の意見だけ書いておく
親と色々話した時にも言ってたんだが

今回の派遣には、前向きな、というか正当性のある理由が存在しない
国際情勢にしろ何にしろ、日本には「行かざるを得ない」とか「行った方がメリットが多い」といった理由だけ
これを良い意味で言い換えると「派遣すべき」と言えるのかもしれない
今回の派遣で何が問題かって、派遣の大義名分があまりにも希薄である所にあると俺は思ってる

細かいレスはまた後で

256ろいろい:2004/04/22(木) 22:32
>>255
抽象的な話ではあるが、同意。
どっちかっていうと、大義名分が無いのに、まるで大義名分があるかのようにして派遣しようとする小泉のやり方が気に入らん。

257:2004/04/25(日) 23:45
なんかさ、今頑張って細かいレス書こうと思って今一度読み返してみたんだけどさ
何となく書いた>>255に俺の言いたい事が全部含まれてる系で書く事ないんだが・・・
まぁそれだけだと御粗末なのでちょっと書こう

今君のレスを見て納得しつつ思ったのが
俺のような、というか派遣肯定派は(別に俺が肯定派ってわけじゃなくてこの議論でって事ね)、自衛隊を派遣した方が得だ、という観点で話していて
君のような派遣否定派は人道的立場や道徳的な観点からの意見であると思う

俺が前から思ってたのは、議論するにあたって、肯定派・否定派がそれぞれ違う観点から物を言うとただの水掛け論になって不毛になるんだよね
勿論それでも相手をねじ伏せて説き伏せられればそれで問題ないんだけど、大抵は互いが前提としてるものの相違のせいで意見がすれ違うだけになりがち
たとえ相手の意見が理解できて、納得できたとしても、「それは分かるけどやっぱり」みたいな感じになる
同じ観点の両端に立って議論するって出来ないのかなぁ。それだと分かり易いと思うんだよね。

258ろいろい:2004/04/26(月) 23:44
>>257
結論から先に言えば、出来ない。
というかだね、利害関係が完全に一致してる相手とだったら(世間話はしても)論争には端からなりっこ無い。これは「論争の目的は対立する利害関係をなんとか解消するため」という命題の対偶だから(柔軟に読んでくれよ)、かぎかっこ内の命題が真なら論理的に出てくる。

所詮ここのような場で行われる「当事者」じゃない人たちによる議論では、「ま、結局立場の違いだよね」とかいう諦めの境地的合意形成が出来て話が終わっちゃうんだけど、実際の現場で戦ってる人たちにそういう事は期待しても無駄だ(正当だったりフェアだったりするよりも、行動する方がよっぽど重要な局面に立っている方々で、私には手に負えない領域です)。我々にはなりふりかまわず自分の主張を通さなくちゃいけない動機が無いのだからしょうがない。

逆に言えば、現場に立てるようなパワフルな人間の原動力は、「何かを実現したい!」という具体的でワンサイドな欲求で、「正しい事をしたい!」とかいう抽象的な理念を崇高に追い求める人は多分毎日本でも読んで一生を終えるだろう。
あえてどちらがいいとは言わない。でも実効性と正当性が両立しない、ということは念頭に置く事。

でも一方で、そんな正当性を重要視したいという欲求が人間一般には少なからず存在するようだ。他人事でも。その正当性を保障すべく立ち上がったのが我々「やじうま主義者」なのだ!
つまり、前説での政治家や官僚の皆さんを「当事者」とし、それに対する我々を「やじうま」と呼ぼうと言う事。なんで「やじうま」かっていうと、2つの狙いがある。

1:我々は決して「当事者」よりも偉く無い(例え明らかに我々の方が絶対に正しくても)、ということを自覚する事。別にへりくだったりする必要もないけど。
2:「やじうま主義」が確立した暁には、世界人類が「やじうま的発言」にもっと眼を向けるようになって欲しい。その結果世の中から自己中言説が少しは減少するのではないかと思う。

ま、批評家と被批評者の歩み寄りだ。馴れ合いと言えばみもふたも無いが、今や名も無い市民も批評家になれる時代(これこそ我々だ)、こういう人たちの声を拾い上げるにはこれしかない!あと、Internetというのがメディアとして生き残るのにもこれしか無い、とか思っている。

政治みたいなシビアな話だけじゃなく、趣味だって同じ事だ。
「ファン」と「アンチ」は必死だから、フェアな視点は持ちっこないのだ。
具体例をあげるまでも無いと思うが、だからこそこれまでのオタク叩きもオタク擁護も本質的には成功してこなかったのだ。「やじうま」なら、もうちょっとクールでいられる。
でも、「やじうま主義」宣言の1で書いたように、クールでも必死な人たちよりカッコイイわけじゃないのだよ。

結論:客観的な視点に立ったり、同じ観点で出発して議論したりすることは出来ない。
正当性を保障された議論には実効性は無い。
だが、正当性を保障された「やじうま的やりとり」は別個に存在すべきだと私は信ずる。

259ろいろい:2004/05/06(木) 23:39
流れを切るのが俺ならば、新たな話題を振るのも俺の仕事だとばかりに。

憲法記念日恒例(?)の「憲法改正」論がGW中新聞を中心に盛り上がってました。ちょっと面白い話があるような無いような。

一番印象的だったのは、「どのような改正がなされるか不明にもかかわらず、『改憲に賛成か、反対か?』という世論調査(及びそれに類するもの)をするのはおかしい」という主張。それを書いた人によれば、海外でよくされる憲法改正というのは、「大統領の任期を7年から5年へ」とか「議員の選挙の方法を間接から直接投票へ」みたいな「現実ベタベタ」な改正らしい。それに対して「9条改正」というのは、多分改正しても「法解釈という専門家たちの手に委ねられる」。だから、なんか変だぞ、と。その人のその後の主張は何やら幼稚だったけど、この着眼点はなかなかよろしいんではないかと。

もう1つ。似たような話にはなってしまうが。
「自衛隊を派遣するべきだ」という命題が真だとしよう。
もし、結論として「憲法9条を改正すべきだ」という命題が出てくる為には、「憲法9条があると自衛隊が派遣出来ない」という命題が真である必要がある。ふつうは。
「自衛隊を派遣するのに9条が邪魔」という命題はある程度正しい。でも、「〜出来ない」という命題は現実から見て明らかに偽であることを得る。
要するに、「法解釈でその場凌ぎで自衛隊を派遣する自民党には、自衛隊派遣のために9条改正を唱える大義は無い」という主張である。
これも誰かのパクリだけど、これはなかなかシャープで好きだった。

PS:ブッシュは凄いね。感心するよ。アメリカ兵が捕虜虐待してたというのが明るみに出た時の対応が「彼等は厳正に処罰する」だもんな。アンタ総司令だろ!
民間の会社だったら古今東西まず謝罪、日本だったら100%辞任だぞ(辞任するのが正しいとは言いませんが、ブッシュにはやめてほしい)。
これほど当事者意識の低い最高為政者も珍しいのでは無いだろうか。

260:2004/05/28(金) 23:05
うへぇ。すっかり存在忘れてた。放置プレイッ!・・・いやスマソ。

9条改正を唱える大義は無いが、9条を改正した方が自民党の判断に大義があったように見せかけられるからそれでヨシとするのが今の情勢らしい

PS:ブッシュは凄いね。感心するよ。旧アブグレイドだけじゃなく、他の刑務所でも虐待が行われていたことが次々と明るみに出て、ただの末端兵士じゃない将校クラスの兵士まで関与していた事まで明らかになってきたのに、「一部の兵士の行動」で済まそうとするのが逆に清清しい。
上手い回避の仕方も分からず世論悪くするだけの猿ならさっさと大統領やめたら?

261ろいろい:2004/05/31(月) 23:14
うわお、すっかり忘れられてると思ってた。でも俺の方が気付くの早〜い。

×アブグレイド
○アブグレイブ
ブッシュも演説の時間違えてたけど、奴はどう間違えたんだっけな?

何にしても、小手先で本論を摺り替えようとするのは古今東西どこでも使われる手だと言う事だな。
9条だけじゃないけど、憲法というのは「何を定めてるのか良くわかんない」ものが(部分的に)含まれてるわけで。
きっと法学的には「理念」とか「概念」とかだと思うんだけど。
三権についての「何を定めてるか良く分かる」部分を改正するのはすんなり議論出来ると思うけど、そうじゃない部分は、ねぇ。
まず「何を議論してるのか」について議論しないと…。

262:2004/06/01(火) 01:35
憲法だけにとどまらず、法に定めてあることなんてごく一部のことで、しかも曖昧。
ようは考え方。だからこそ法解釈学ってのがあるくらいで。
ちゃんと一本化された矛盾のない完璧な法なんて作成不可。

263ろいろい:2004/06/02(水) 22:43
専門家(相対的には、ね)にぶっちゃけられると話が続かないなぁ。

この話だけに限らず、ニュースを見てて日々思う事はさぁ、「世の中の人が合理的な行動を取るとは限らない」どころか、「どいつもこいつも全然合理的な行動を取って無い」つー事です。

理由は「感情系」と「能力不足系」に大別されるけど、とにもかくにも非合理的な連中ばかりで予測もコメントも出来ずに困るこの頃。
相手の行動と「相手は目的に向かって合理的にいろいろ画策している」という仮定のもと相手の目的を逆算して交渉を上手くやる手がかりを掴もうと思うのに、これが全然ダメ。
だから憲法改正もホントは何のために改正するのか分からんし、人を殺しちゃう理由も、自爆テロする理由も、リコール隠しする理由も、急に経済が回復したように見える理由も、隣の友達がいきなりキレちゃう理由も分からんのだ。

結論:想像もつかない事につけるコメントはございません。

何やらストレスが溜まってるらしい。自分の行動が非合理的だったり自分が交渉下手だったりするから、逆にこんな事言うのかな?

264ろいろい:2004/06/03(木) 23:21
日記にレスですよ〜。

小6の話ですけど、短絡的「ネット悪い」論調はもちろん気に喰わないし、君の主張は正しいと思うのですが。
ネット中毒者がネットでそんな話をしても説得力のかけらもないわけで、もうちょっと違う話を。

ま、なんつーかですね、オレが気に喰わないのはそういう短絡的な「悪い原因を特定する」姿勢もさることながら、問題が発生すると、「まずこいつはイレギュラーだ」という前提から出発するってことだ。
いや、今の大人の人はネットで対人トラブルを抱えたことはないだろうけどさぁ。
子供のころはケンカして頭きて「こいつぶっ殺してやる!」とか思ったことあるだろ?
それを実現しちゃうのと思うのとは凄い隔たりがあるし、その思いがどれほど持続するかは人によりけりだと思うが、何が言いたいかと言うと。

特に少年犯罪において、動機を探ることほど無意味な事は無い。
頭のイイ大人が考え抜き耐え抜いた結果殺したのとは違って、「ムカつく」即斬なわけだ。
それは嘘をついちゃいけないよって言われて、嘘をついたらバレるという経験則を持っていてもなおその場を乗り切るために嘘をついてバレて怒られる子供が減らないのと同型だ。

今日の結論:人を殺したくなるのは当たり前。夜泣きする赤ん坊が憎いのも当たり前。そこから始めた方がいいのでは?

ついつい自戒の念がこもってしまうので、今日はここらでやめときます。

265ろいろい:2004/06/04(金) 22:26
つづーき。
とりあえず殺しの話は一区切りで、「因果的決定論と自由意志」の話。

えぇっと、この手の話は自分で納得して解決したことにして忘れてるのでどういうふうに落とし所を作ったのかよく覚えてないのですが。
少なくとも言えることは、「因果的決定論」と「自由意志」と「両立」の意味する所が非常に広範囲で曖昧だなぁと。特に一つめ。

自分の信じている因果決定論は「全ての物事にはなんらかの原因がある、しかしそれが『単一』であるとは限らない」という感じです。後ろの注釈をわざとらしくつけておくと、自由意志と上手く両立できそーな感じ。
この問題の基本的な構造は曖昧な言い方をすれば「貴方の意志は因果論に支配されてる」という指摘に立ち向かえないことだが、ちょっと小細工を1つ。

自由意志というのは、先程「『単一』だとは限らない」という物事の原因を「これだっ!」と特定することに起因している。なぜなら、論理的に無限に存在しうる原因をいくつかに絞らないと物事を考えられないわけで、それを考えるようにしてるのがその人の意志なんじゃないかと。言い換えれば、「自由意志」とは「選択」である。
でだ。この人の意志決定も誰かに「原因」がある事を指摘されうる。「経験」とか「文化」とか「原初的抑圧」とか。が、その指摘をしたBさんは自分の「自由意志」でその原因を見つけたことが自由意志の定義から自明に引き出される。というわけでいつまでたっても自由意志を取り出す事ができるので、因果的決定論と自由意志が両立されました。

と思いつきで詭弁を展開してみましたが、参考になりましたか?
かなり逃げの姿勢での反論だけどね…。ちなみにこれは俺の本心とはまったく無関係です。自分の納得のしかたはもっと単純お気楽です。

266:2004/06/05(土) 00:54
真面目に考えるなら問題提起から真面目にやろう。

因果的決定論=全ての自然界の出来事は(一つに定められた)過去と(人為では変えられない)自然法則によって導かれる。故に未来は一つしかない。
ここで扱ってるのは、一つしかない過去と自然法則による「単一の」原因から、単一の未来が生み出されるってことやね。
てなわけで、この授業で君の意見を述べるとすると因果的決定論を否定していることになるのだが。だってこの前提だと物事の原因は論理的に一つに定められてるからね。
自由意志でその原因を見つけた事が因果的に決定されてた、とするとどうでしょう。

俺の意見だと、こうなってしまうと因果的決定論はどこまで行っても因果的に決定されていた、で帰結してしまうので、反証可能性なし→因果的決定論排除。という方向で。

また一歩先の問題提起もあるんだがどうしようか。まぁこれはまた後にしよう。

267ろいろい:2004/06/05(土) 22:52
えぇっと、理系に対する挑戦ですか?
君の言う所の因果的決定論は理系コトバで言えば「適切の初期条件の組を使ってある系にかかる全ての力を組み込んだ運動方程式を解けば任意の時間tにおける位置及び速度が分かる」という事ですが、これ、ちょっと待って欲しい。
まぁ量子力学の範囲ではこれは成り立たないことは見逃すとしても、問題は2点ほどある。まず第1に、「全ての力を組み込んだ」運動方程式を用意出来るか、という問題。だって、これが全部だって保証してくれる人はいないですから。第2に、観察者の系や座標の取り方によって話が変わるという問題。哲学の世界だけでなく、物理学というか科学の世界でも「観察者」無しの現象は存在しない。ま、仮定に突っ込むのはとりあえずこのぐらいにしておくが、個人的にこの因果論は信じない。だって前から「かわいいから惚れたんじゃなくて惚れたからかわいい」って言ってるじゃない?

さてと、君が反証可能性が無いからダメなんて言うなんて驚き。授業受けてるのね!
どちらにしても、とある現象の原因として「これは原因ですが、これは原因ではありません」と断言できる局面を想像出来ないので。数学的に想定することが可能かも知れないけど…。
っていうかあれだ。こんな決定論が矛盾しない体系かどうかのほうが怪しい。
そしてきっと授業でやったかやるか知らないが、矛盾した前提からはどんな結論でも引き出せますから、こんな議論は無意味ですね。

とかテキトーにごまかしたものの、自分の嫌いなことを理系コトバを使わずに論破する方法が思いつかなかった。理系でついてこれそうでしたら、やりますが…。

268:2004/06/09(水) 01:14
俺の言う所の、じゃなくて哲学のK先生の言う所なんだが。
つかそこに突っ込まれたら授業内容否定されるので糸冬。

ここで一つ小さな提起。
かわいいから惚れたのではない、惚れたからかわいいのだ
もしこの人が面食いな人であったなら
惚れたからかわいい、しかしそもそも何故惚れたのか?→かわいかったから
かわいいと思ったのはその子に惚れていたから→惚れていたのはかわいかったから

あんるぇー。てか俺このパターン

269ろいろい:2004/06/09(水) 23:21
じゃあ君と討論する、という土俵においては「惚れた問題」について語る方が生産的だな。
というわけでいつもよりもうちょっと丁寧にこの話を。

「かわいいから惚れたのではない、惚れたからかわいいのだ」というのは、ちょっと響きをよくするために説明を端折ってる部分がある。格言には良く有る話だ。

通常、「A、だからB」という時には、「Aだったとする。すると、当然のごとくBとなる」、もっと言えば「『今』Aになりました。『その後』当然の帰結としてBになりました」というわけで、少なからず「時間的」概念と「因果的」概念が含まれている。
君の哲学の先生の言う所では、因果的概念は時間的に一方向に対応するわけなんで、この混同は何ら問題ないわけだが、私の哲学はそこを問題にしているのだ(だからこそ、これを例としてあげているわけだし)。

俺が「かわいいから惚れたのではない、惚れたからかわいいのだ」と言う時、以下の命題は真では無い:「惚れる前にはかわいくなかった」
しかし、これは真だ:「惚れる前にはかわいいことに気付かなかった」

つまり、「かわいい」ということが「惚れる」ということの原因である事は十分に「ありうる」。しかし、その子が「かわいい」という事実はその子に「惚れる」行為によって「間接的に」観察されるはずなのだ(惚れなくてもかわいいと思う事が有るのは大いに認めるが、それは言語上の問題で惚れてるときのかわいさとそれ以外のかわいさには天地の差があると私は思うのでこの問題には関係ない事にしていただく)。
そこの観察が「一意的」であるかどうかがちょっと前の俺の論点だったわけだが、とりあえずこれも今は関係ない。
重要なのはこれだけだ:「惚れて無い」けど「かわいい」ということは無い。かわいいと思った瞬間(もしくは直前)にもう惚れているのだ。

これは多分純粋に科学的問題にも言えることだと自分は思うのだが。
ふつーの人は(理系文系問わず)ここに「長さ」や「重さ」や「時間」があって、そこに力が加わって『運動』が発生すると思っているだろう。
でも、この1重かっこでかこわれた全ての概念は運動を介してでなければ観察出来ない、という致命的な問題がある。
俺の中の哲学ではこれが(特殊)相対性理論の柱だと思ってるのだが。
相対性理論ではこのへんの1重かっこが変化するという技が出てくるけど、これは古典的な意味でのこれらの量の定義を無視してるわけで、目くらましと言うほか無い。要するに、基準点を物理量から運動の方に移しちゃったわけだ。

まぁいいや、物理の話はここまで。
結論:「惚れることによってかわいいことに気付く」を短縮してセンセーショナルに言うと、「惚れたからかわいい」ということになる。
今日のポイント:原因があるから結果がある、というのが「原因」と「結果」の定義だが、「原因→結果」の順序で見つかるわけでは無く、往々にして逆である(ちなみに、この主張は「未来予測が出来ない」という現状から自明に引き出される。未来予測が出来ない哲学的理由はとりあえず略)。

270:2004/06/10(木) 23:35
>「惚れて無い」けど「かわいい」ということは無い。
理解不能。
何故だ?もしかして可愛いというのは顔だけの範疇を超えた話をしているのか?

>惚れなくてもかわいいと思う事が有るのは大いに認めるが、それは言語上の問題で惚れてるときのかわいさとそれ以外のかわいさには天地の差があると私は思うのでこの問題には関係ない事にしていただく
ここを関係ないことにしていただいても。ここが重要なのに。可愛いと惚れるは全く別問題だと思うが。
てか俺が可愛いと思ったコに全員惚れてたら㌧でもないことになる。そうでなければ俺と君の"かわいい"の概念が根本から違うことになる。

271ろいろい:2004/06/11(金) 13:45
ひょっとして議論がかみ合わない理由はこの辺にあるのかなぁと思ったらやっぱりそうか。

>てか俺が可愛いと思ったコに全員惚れてたら㌧でもないことになる。そうでなければ俺と君の"かわいい"の概念が根本から違うことになる。
君の主張は「かわいいと思っても惚れないことがある」ということだ。
だが、その文章が真だという世界認識の上で「かわいいから惚れた」という言説を吐く事はできないと思うが。
「この子はかわいいです。惚れてます。あの子はかわいいです。でも惚れてません。ちなみに惚れた理由はかわいいからです」とか言うやつがいたら俺は切りつけてるぞ。
君の言いたいことは感覚的には大いに賛成だが、全然論理的じゃない。

いいか、自分のことだと思わずに客観的に文章を眺めろよ。
科学、哲学、この世の学問と呼べそうなすべての領域において経験則による原因と結果の法則っていうのはこういうことだ。
「もし、原因となる出来事をある系に与えたら、必ず結果が起きる」
万が一、原因だと思った出来事が起こったのにもかかわらず、結果が起きてしまったら、科学者はこう結論する。
「あぁ、これは原因じゃなかったんだな」

もし「かわいいから惚れた」というのを生かすなら、解決策は2つしかない。
1:気づいてないだけで、かわいいと思ったやつには全員惚れている、とする。
2:「惚れるぐらいかわいい」と「惚れない程度にかわいい」の2種類があってそれを混同している。

これに同意できないとしたら君は世界中にある「因果論」と呼ばれる言説をすべて否定することになるぞ!

272:2004/06/11(金) 18:33
携帯からなので手短に。
そもそも"かわいい"という概念を論理に組み込もうってのが間違いだ。
そうしようとするから"かわいい"を1種類ないし2種類に限定する必要が出てくる。
現実には程度ってもんが存在するだろ。ちょっとかわいいと思うのも死ぬ程かわいいと思うのも同じ"かわいい"の一括りの中じゃねーの?
それを感覚論だとして切り捨てるなら議論の意味無。
じゃあ惚れた奴以外の世界に存在する全ての女は"かわいくない"と?
かわいいの取り方が違って互いに譲らないならこれ以上は無駄かと思うのだが。

273ろいろい:2004/06/11(金) 21:38
今度はこちらがさっぱりわからない。
かわいいの取り方なんて関係ない。程度があろうがなかろうが御自由に。
惚れるボーダーラインがはっきりしてようが曖昧だろうがそれもフリー。

俺は単にこう言ってるだけだぞ。もう一度言うぞ。
「『かわいいから惚れた』のなら、その文章の意味において『かわいい』場合には必ず『惚れる』という事だ」
かわいいの定義なんかこの論理形式には一切関わって無い。『かわいい』を『波動関数の量子数nlmsが一致するエネルギー準位に属している』に変えたって論理的意味には違いがない。今重要なのは「原因」と「結果」の話だ。原因と結果の定義しか問題になってない!

『かわいい』という単語が君にとって曖昧だという事はとりあえず認めてもいい。でも完全一致した『かわいい』ならば上の命題は自明!その上で、『かわいい』についてどんなファクターが一致すれば十分なのかを再検討すべきなんだ(「程度」なのか、「質」が違うのか)。そこが上手くいかない可能性があるが、まずはこの順序について整理しておきたいのだが?

君はこの議論に対して「『量子数』というのがよくわからんので話ができません」と言ってるのだぞ?
これが理解できないはずは無いと思うのだが。純然に論理の問題だ。
このレベルが無駄だと言うのなら、君と討論は出来ないという結論に達する他無い。

274:2004/06/11(金) 21:51
全くかみ合わないな。
何故かわいいの程度を認めた上でそんな見解が出てくるのか?

思うに君は[かわいくない<惚れる<低度のかわいい<高度のかわいい]
と解釈しているのではないか?

俺は確かに"かわいい"が惚れるまでいかない度合いがあるんじゃないかと言ってるんだが。

>じゃあ惚れた奴以外の世界に存在する全ての女は"かわいくない"と?
この疑問に答えて欲しい。

俺はかわいい=惚れるという等価の関係、またそれら二つだけの間における因果関係はないと思ってるが。

275:2004/06/11(金) 21:56
誤解がないように補足
>俺はかわいい=惚れるという等価の関係、またそれら二つだけの間における因果関係はないと思ってるが。
この部分はかわいいから惚れるというのが有り得ないという事を言っているのではない。

俺は理系じゃないんでどーのこーのってのはイマイチ分からんがこう言うとどうだ。
かわいい度が1〜100まであるとする。この程度の差は君も認めてるんだから問題ないよな?
この相手に対するかわいい度が80に達した時点でそのコに惚れるとすると、50かわいいと思っていてもそのコに惚れてはいないことになる。

276ろいろい:2004/06/11(金) 23:42
むーん?

>思うに君は[かわいくない<惚れる<低度のかわいい<高度のかわいい]と解釈しているのではないか?
NO。なぜ「惚れる」が「かわいいランキング」中に入る?

>じゃあ惚れた奴以外の世界に存在する全ての女は"かわいくない"と?
「かわいいから惚れた」という文章内の意味においての「かわいい」なら、YES。

>かわいい度
これじゃ「高度のかわいい」と「低度のかわいい」に分けても変わらんじゃないか。

>俺はかわいい=惚れるという等価の関係、またそれら二つだけの間における因果関係はないと思ってるが。
そういう事を認めるのが重要だ。
ていうかこれはもうちょっと前で言った「俺の因果論」で一般的に言ったことなんだが。「原因は1つとは限らない」。
その上で、何故君は「かわいいから惚れた」と思うのか、もしくは言うのか、ということが重要なのだ。
だって、かわいいだけじゃ惚れないんでしょ?
それは君の「解釈」や「観察」や「推測」が介在してるのではないか、と問うているのが>>269だ。
もっとも、前提が変わった今そのまま読むと反論できてしまうが…。

別に俺は原因を特定しろと言っているのでは無いし、かわいいを定義しろと言っているのでは無い。そんなもの曖昧で当り前だ。
だが何度でも言う。
何故「かわいいから惚れた」のだと言い切れる?

277:2004/06/12(土) 16:52
かわいいという一つだけの理由で惚れるという事ではないぞ
…そうしたら無意味になるのか?

他の内面まで加味した結果全体的な人間を考慮した結果惚れる。
まぁ実際惚れる時にはこんな冷静じゃないだろうが。

その人を判断する材料がいくつかあった上で、その比重が一番重いのが"かわいい"であればかわいいから惚れた、と言えるのでは?

278ろいろい:2004/06/12(土) 23:43
うーむ、非論理的な答弁。

>その人を判断する材料がいくつかあった上で、その比重が一番重いのが"かわいい"であればかわいいから惚れた、と言えるのでは?
比重は比重で役に立つ概念だが、もう一度言うぞ。しかももっと丁寧に言うぞ。

「かわいくなくても惚れた」のなら、「かわいい」は全く「惚れた」の原因では無い。
「かわいいけど惚れなかった」のなら、「かわいい」の全体は「惚れた」の原因では無い(一部は原因かもしれない)。
「かわいい」に程度や種類を許せば、部分的に原因となりうる、と言う事。


これは原因と結果という言葉の定義だ、何度でも言うぞ。
これに不満があるならここに意義を唱えろ。てきとーにごまかすな。

原因が単一である必要は無い。でも「原因のセット」は単一である。
君も聞いたことあるはずの数学用語で言えば、「原因のセット」と「結果」は必要十分条件である、もしくは同値である。
原因のファクターをAnで表し、結果をBで表せば、
「A1かつA2かつA3…」ならば「B」、かつ「B」ならば「A1かつA2かつA3…」
ちょっと考えてみれば分かる事だが、Aの要素は増えても減ってもこの関係は崩壊する。

実際のAとBの関係の仕方を調べれば、比重とかが分かるかも知れない。
けど、Aに属しているか居ないかは構造を調べなくても表面的な実験の繰り返しで(ほぼ)判定出来る。
特に、「惚れた」というような問題に対して構造を調べるのは現実的では無い。

で、Bが「惚れる」だとして、Aに「かわいい」は入っているのか、その時の「かわいい」は一般的日本語のかわいいとは何が違うのか、というのが第一の問題。
第二の問題は、もうとりあえずいいや。

279:2004/06/13(日) 00:40
>「かわいくなくても惚れた」のなら、「かわいい」は全く「惚れた」の原因では無い。
かわいい、が惚れる原因の第一順位だと仮定してるのだからかわいくなかったら惚れないだろうよ。

>(一部は原因かもしれない)
だから惚れる原因の一部としてかわいいという理由があると書いたつもりだったが。

俺のどこが誤魔化したのか聞きたい。
殊討論に関しては君は俺より上だと思ってるみたいだし、俺も全くその通りだと思う。
しかし今回の件に関しては君の言ってる事に反論どうのこうの以前に全く理解出来ん。

>で、Bが「惚れる」だとして、Aに「かわいい」は入っているのか
だから惚れるの一因がかわいいだと(ry

>その時の「かわいい」は一般的日本語のかわいいとは何が違うのか
どういう違いがあるのか俺が知りたい。"顔カタチ"がかわいい以外に何かあるか?

じゃあもう一例。
道路歩いていてすれ違った女の子に対して"あ、今のコかわいい"と思う事は?皆無ですか?
皆無だとすれば俺の常識では考えられないが君の理論は素直に受け入れられる。
で、その子と何かで知り合って、性格激悪ならかわいくても惚れない。性格も良くウマが合うなら惚れる。
えらく単純化したが。

280ろいろい:2004/06/13(日) 22:51
俺は君がなぜ理解出来ないのか理解出来ん。
>殊討論に関しては君は俺より上だと思ってるみたいだし、俺も全くその通りだと思う。
別に今の俺は君を論破するモ−ドでは無い。ただ君に自説を説明してるモードだ。
それに、ハッキリ言って君が俺の想定よりバカなのか、それとも自分がバカなこと言ってるのか分からなくなっていてちょっと悩んでる。感情的になりつつあるのは事実だが、そんな風に言われちゃうとちょっとショックだす。

さて、一言。
俺は「かわいいから惚れるのでは無い」とか、「かわいいから惚れたと何故言い切れる」とかいう主張をしているのだよ、ずっと。そんな人に「かわいい、が惚れる原因の第一順位だと仮定してる」とか言うのはどうよ。それじゃお話にならんだろ。萎えちゃうよ。
繰り返すぞ、何度でも。俺の明示的な前提は「原因と結果の定義」だけだ。

新たな説明方法を思い付いたが、長くなるので一度送信する。

281ろいろい:2004/06/13(日) 23:15
いや、レスがまだ終わって無かった。3連投になるかも知れんが許せ。

>どういう違いがあるのか俺が知りたい。"顔カタチ"がかわいい以外に何かあるか?
いや、私は知りませんけど、「かわいい」の中に種類がいくつもあったら、惚れるに対応するかわいいは「かわいい」全体とは違ったものになると。
まぁ、今までの話が分からないとなるとこれじゃダメかなぁ。

>道路歩いていてすれ違った女の子に対して"あ、今のコかわいい"と思う事は?皆無ですか?
ありますよ。だからそれは違うかわいいなんじゃないかと言いたいの。

雲ってあるでしょ。空気中に浮いてる水滴のあつまりだけど。
雲の中にも種類があるわけ。気象の世界では10種類あるんだけど。
分類方法としては、出来る過程で分けるとか、形状で分けるとか思い付くけど。
所詮曖昧なんですよ。気象の世界では存在する高度と形状で分けますが。
特に、積雲系と層雲系は「成立過程」が明らかに違うのですが、実際は「形状」でしか判別できません。
でも、全部雲ですよ。当り前です。雲といえば「空気中に浮いてる水滴の集まり」。それしか無い。
『それ以外に何がある?』。それでも分類は出来ますとも。
実は霧と区別が難しい雲があるので、話はさらにややこしいのですが…。
かわいいの種類も、「惚れたかどうか」という結果=形状=観測結果から分類してもいいんじゃないかと思うのです。

ま、とにかく長文を待て。

282:2004/06/13(日) 23:27
途中みたいだから一言だけ。
>俺は「かわいいから惚れるのでは無い」とか、「かわいいから惚れたと何故言い切れる」とかいう主張をしているのだよ、ずっと。
例が悪いかもしれないが、いくら全体的な人間がよくても、顔が果てしない不細工ならば(かわいくなければ)惚れないから。

>雲
その例ならば、俺は雲とは顔で、それぞれの雲に特徴があるように顔にも特徴がある。
入道雲が好きで筋雲が嫌いなら、小西真奈美が好きでサトエリが嫌いってこともある。
と解釈した方が上手くいくと思うのだが・・・

283ろいろい:2004/06/13(日) 23:34
仮定1:論理構造が同じなら、代入される言葉が違っても基本的には論証の正しさは変わらない。
仮定2:以下の論証Aは正しいとする。

論証A:
おたくだから必ずキモいわけでは無い。だが、経験的には無関係でも無い。
だから多分「キモいおたく」と「キモくないおたく」がいるに違い無い。
そこで、前者を「ヲタク」、後者を「オタク」と呼ぶ事にする。両者を合わせたものがひらがなの「おたく」。
尚、ここでの命名は暫定的なものであり実社会で使われている意味とは無関係と考えて下さい。
現段階では「ヲタク」と「オタク」を分類する方法は確立されていない。
例えば、「鉄道おたくはオタクだ」とか、「バンダナはヲタクだが、ビームサーベルはぎりぎりオタク」とか言うような命題は検証出来ない。
そういう意味ではこの分類は未だ曖昧だが、確実に分かる事がある。
「ヲタクだけどキモく無いという事は無い」「キモい時は(対象がおたく集合に属してることがわかるなら)必ずヲタクだ」
この2つの命題は100%正しい。
また、このような分類は正当である。

結論:次の論証Bを得る。

論証B:
かわいいから必ず惚れるわけでは無い。だが、経験的には無関係でも無い。
だから多分「惚れるかわいい」と「惚れないかわいい」があるに違い無い。
そこで、前者を「カワイイ」、後者を「萌え」と呼ぶ事にする。両者を合わせたものがひらがなの「かわいい」。
尚、ここでの命名は暫定的なものであり実社会で使われている意味とは無関係と考えて下さい。
現段階では「カワイイ」と「萌え」を分類する方法は確立されていない。
例えば、「アイドルに感じる感情はすべて萌えだ」とか、「」とか言うような命題は検証出来ない。
そういう意味ではこの分類は未だ曖昧だが、確実に分かる事がある。
「カワイイけど惚れないという事は無い」「惚れた時は(原因がかわいい集合に属してることがわかるなら)必ずカワイイと感じている」
この2つの命題は100%正しい。
また、このような分類は正当である。

主張:以上の様に分類した上で、私はまず「カワイイけど惚れないという事は無い」(上で述べた)を認めて頂きたい。

注意:反論する場合には次の手順に沿ってもらいたい。これはお願いです。
まず、論証Aへの反論を述べてください。
しかるのちに、論証Aに無くて論証Bにある不満があるなら区別して述べて下さい。
これによって話が噛み合わない理由をあぶり出そうと思っております。

284:2004/06/14(月) 01:13
論証A→正しい

論証B
かわいいからといって必ずしも惚れるわけではないのは、他に惚れるための要素があるから。
君の話は、どうも惚れる惚れないの原因をかわいいだけに求めているような印象を受ける。
なので、惚れる惚れないという違いが出てくるのは、かわいい、という要素の違いから生まれるのではなく、それ以外の要素の組み合わせによって得られるのである。

なので、俺はかわいいを分類すること自体に疑問を覚える。
かわいい、それはそれとして、他の要素も加味した結果どうなるかって話。

285ろいろい:2004/06/14(月) 21:34
ふーん。前進があったような無かったような…。予想通りのようなそうでもないよな。

じゃあさ、君の論証Bへの反論を論証Aでの言葉で表現してみようよ。

おたくからといって必ずしもキモいわけではないのは、他にキモくなる要素があるから。
(君の話は、)どうもキモいキモくないの原因をおたくだけに求めているような印象を受ける。
なので、キモいキモくないという違いが出てくるのは、おたく、という要素の違いから生まれるのではなく、それ以外の要素の組み合わせによって得られるのである。

この反論も成立するってことになる?ならない?それを聞いた上で、原因-結果論を吟味し直そう。

>かわいい、それはそれとして、他の要素も加味した結果どうなるかって話。
前からそうだけどさ、かたや「惚れる第一要因はかわいい」だといい、かたや「かわいいだけじゃ惚れない」といい、きっと君の中では矛盾して無いんだろうけど、そこが納得行かない。第一要因が満たされても十分じゃ無い、ということでは「かわいい」はそれ単独では「惚れる」の原因足り得ない、ということに思える。
だとすれば、「かわいいから惚れた」という命題自体が否定される気がするわけで。

286:2004/06/14(月) 23:19
おたくに関して。正しいんじゃねーの?

かわいいだけじゃ惚れないってのは一般的な話。
他に色々要素があって、ただそん中で俺が顔の好みを重要視してるだけの話。
極論言えば別に"かわいい"じゃなくても成り立つじゃん。性格が良かったから、でもいいし。
かわいいから惚れたってのはあくまで俺の話だ。もとい面食いの人。

じゃあさ、普通に出てくる疑問として、何故惚れるの?
例えば何をして君は女の子に惚れるのか?それが聞きたい。
ここから違いも分かるだろうて。

287ろいろい:2004/06/15(火) 22:18
>>286
手短に行こう。

第1段落:何故おたくに関しての反論が正しいと思えるのにも関わらず、貴方は論証Aに問題を感じなかったんですか?それも、君が論証Bに疑問を感じた感じ方なのにだ。それが知りたい。

第2段落:
別にかわいいじゃなくても結構ですよ。じゃあ、やっぱり一部の人はかわいいから惚れたのだと言い張るのですね。その人達の間では「かわいいけど惚れないと言う事は無い」は真になりますか?(当然のごとく、あとでかわいいは他の価値観に置き換えられることは念頭においている)

第3段落:
うむ、ふつーだな。そこには事態が収拾してから行こうと思ったのに。
というかそれを説明して納得できるなら話は終わってしまうのだが。
結論から言えば、私個人に限れば「何故惚れるのかはわからない」。ただし、原因なく惚れる、と言っているのでは無い。
なぜならば、惚れてからでないと惚れた理由は調べる事は出来ないが、惚れてからじゃ惚れる前の事なんか全然分からないからだ。
その上で、もし惚れる前にそれほどかわいいと思って無かったにもかかわらず、今かわいくてたまらないと思うなら(そしてその変化こそが惚れるというものだと個人的には思うのだが)「惚れたからかわいい」と言える。
特にここで「かわいい」を前段で使った「カワイイ」に置換すればこの主張はより強固になる、というか条件文がほとんど意味を成さなくなる。

偶然今日拾ったニュースにいいものがあったので貼っとくぞ。
http://www.japanjournals.com/dailynews/040614/news040614_4.html

288:2004/06/15(火) 23:28
ごめんね。おかしいと思って今論証A読んだら明らかに同意ではない。
ヲタクの例での俺の意見は>>285だね。

>やっぱり一部の人はかわいいから惚れたのだと言い張るのですね。
んー、だからさ、この表現自体が惚れる原因を"かわいい"一つだけに絞ってるじゃん。それじゃ語弊がある。
いくら顔が好みで絶世の美女だったって相手が妲姫並の悪女だったら誰も惚れないでしょ。

惚れたから主観的なかわいさがUPするのは分かるけど。
というか「何故惚れるのかはわからない」といわれたら後に何も続かん。
惚れる前には惚れた後は論じられないし惚れた後には惚れる前を論じられないなら全ての論理が覆されるし。

289ろいろい:2004/06/16(水) 23:42
失恋に近いダメージを喰らったので恋愛について語る気にもなりません。
もうちょっとで結論に辿り着きそうなんで、やめたくないのですが、こんな話をすると精神分裂しそうなくらい鬱なんで。
くわしくはヲタスレ参照ということで、今日は勘弁。

290:2004/06/17(木) 00:06
2次元の失恋ね。はいはい。
人として断れない用事が知りたいと思う今日この頃。

291ろいろい:2004/06/17(木) 23:00
>>290
用事はヲタスレに少し書きました。2次元じゃないから!新谷良子をバカにするやつはオレが許さねえ!
とか言いつつヲタスレで自虐的バカにしてる発言をしてる自分が可哀想。こんな事で失恋などと大騒ぎする理由については自分の悲しい過去について語らねばいかんのでお断りします。

さて、本題。
えっと、書く事整理してたんだけど忘れちまった。

>この表現自体が惚れる原因を"かわいい"一つだけに絞ってるじゃん。それじゃ語弊がある。
こだわるね。若干数学的素養が必要になるから物事を単純にしようとしてたんだけど、ダメならしょうがない。
惚れる原因は単一である必要が無い、と前から言っている。
だから、惚れる原因というのは「一定基準以上かわいい」「一定以上性格がいい」「一定以上スタイルがいい」(以下略)という複数のパラメータの組み合わせによって表現すればいい。
パラメータは無限に存在してかまわない。「オレはルックスにはこだわらない」という人は「かわいい」パラメータの基準を0にすればいいだけ。
つまり、マニアックなパラメータ(例えば、「一定以上萌えボイス」「一定以上オタクに理解を示す」とか)もあらかじめ全部組み込んであると想定すれば、これはどんな人にでも適用可能なモデルとなる。
このモデルの上でも、前の議論は成立するはずだ。
すなわち、「ある人の『一定基準パラメータセット』を満たす娘が居たら、その人はこの娘に必ず惚れる」。
繰り返すけど、これは「原因と結果の定義」だよ。
そして、自分個人としてはこれには違和感を感じるのだが、どうよ?

>惚れる前には惚れた後は論じられないし惚れた後には惚れる前を論じられないなら全ての論理が覆されるし。
そうだねぇ。「全て」かどうかは疑問だが、今までの話は無意味だなぁ。
無意味だと言ってもらうためにこれまでがんばってきたわけで。
オレはこの前提を信じてるから、「なんで『かわいいから惚れる』って言い切れるの?」と言い続けてる。

結局のところ、原因なき宙ぶらりん状態に人間は耐えられないわけだ。
だから、「恋」などという精神疾患にも原因を求めたがる。
オレも、原因が無いとツラい。
でもさ、原因がある「恋」なんて、全然ロマンチックじゃないよな。
だってさ、上の方の議論から出てくる(出すつもりだった)話で、「今惚れてる女よりかわいい(パラメータ評価が高い)娘が出て来たら、そっちに惚れるのか(もっと言えば、両方に惚れるのか、前の感情は廃れるのかという問題もある)」。
そんなの「惚れてる」って言わない、とロマンチストは思うわけだ。

結局、「かわいいから惚れる」も「惚れたからかわいい」も現実を正確に言い当てる事は出来ない。
要は自分が「どちらの物語を選択するか」。

「かわいいから惚れる」を取れば、原因無き病気と闘う苦しみから解放されるが、「恋」の甘さは半減する。
誰かと付き合ってたって、街を歩く美人に眼を奪われ、その当然の帰結として心も奪われかねない。

「惚れたからかわいい」を取れば、原因不明の病気を抱えて生きる事になるが、「恋」は終わらない。
だって、「惚れたからかわいい」のだから、(同時に2人に惚れないとすれば)この女よりかわいい奴は存在し得ない。
街を歩く美人とは、「かわいい」の種類が、次元が、違うのだ(2次元とかじゃなくて)。
思う存分「恋」をエンジョイ出来る。

なんとなく疑っちゃうんだけど、君、「恋」したこと有りますか?
オレは、アイドルとか抜きにしても、ちゃんと有りました(懐かしい話だ)。
「天駆ける硬派天才ロマンチスト」を自称する私としては、自分を騙せないし、スイートじゃない恋もイヤ。
だから、正々堂々と開き直る選択をしたのだ。「何で惚れたかは分かりません」。

さて、君と僕、どちらがホントのバカなんだ?
どっちがホントに痛いやつなんだ?
オレが現実逃避してるのか、君が現実が見えていないのか。
そして、これは「オタクはホントに現実逃避してるのか」という問題と同型ではないか?

292:2004/06/17(木) 23:11
1:パラメータが∞に存在するならばそれは正しいんじゃないの?
そこには必ずしも外見とか内面とかのパラだけじゃなくて気が合う度とかフィーリング的なパラも含まれてるとすればね。

>「なんで『かわいいから惚れる』って言い切れるの?」
これに答えようとすると全てが無意味になるからどうとも微妙なんだが。

>「今惚れてる女よりかわいい(パラメータ評価が高い)娘が〜
だからこの世に浮気ってのがあるんじゃないの?そりゃ浮気は色々それはそれで事情があるんだろうけど、浮気相手を選ぶにも何か基準があるだろうってことで。
そこらへんは重婚(婚じゃないけど)はいかんとか道徳的観念やら、君の言う惚れてるから(もしくは付き合っているから)主観的に余計かわいく思える理論で補えるんじゃ?

そうねぇ。恋という恋は小学生ん時までかなぁ。中学で色々と鬱になる出来事があったりしたし。
そのまま高校で男子校入ったし。そして今現在は恋してない状態かと。

293ろいろい:2004/06/17(木) 23:32
>>292
だから無意味で何が悪い?

浮気が有るのは「かわいいから惚れる」理論を選択してる人間が多いからだ。
今までうやむやにしてきた突っ込んでこなかったのが不思議だが、こいつは「惚れる」の定義による。
っていうかそのようにちゃんと書いたが。
>そんなの「惚れてる」って言わない、とロマンチストは思うわけだ。
浮気した時点で、「もう惚れて無い」。

まぁ君のトラウマを話せとは言わないが、オレのトラウマには勝てないぜ。自信があります(何が)。

294:2004/06/18(金) 00:17
無意味に互いの意見がすれ違うのはもう散々やったんで何ともニンニン。

惚れるのは理論の選択の問題かいのぅ。
じゃあ惚れるの定義が違ったのかもしれないね。

浮気した時点で惚れてないってのはちょっと「ぉ」と思った。
しかし浮気の定義もあるし、浮気するには必ずしも惚れなければならないわけでもないのではないかと思う18夜。

別にトラウマでは勝たなくていいや。
というか俺の消極的性格、もとい言い方を悪くすれば準引き篭りみたいな性格は絶対に中学生ん時に形成されたと断言できる。
俺は小学生ん時までは積極的で活発な少年だった。クラスの面白い奴ランキングとかにも載ってたような良少年だったのに。
横浜市立○○中学校ぬっころ。マジ中学時代を俺の歴史から排除したい。

295ろいろい:2004/06/18(金) 22:20
選択について。
「母性愛」というのは、男が女が子育てをしっかりするように作った「幻想」だという人がいる。殊に最近、虐待とか多いからね。
生物学的根拠も有るかも知れないけど、その指摘は間違って無いと思う。
でも、その「幻想」から眼を覚ましてどうするつもりなんだろうか。「子供はシカトして自分の好きな事をする」とか?まぁ、なんでもいいですけど。
今言いたい事はこれだけだ。「幻想は幻想としか交換出来ない」。
ならば、自分に都合のいい幻想を信じるのがベストではないかね?

本来の話に戻って、原因と結果の話。
原因と結果がそうそう断言出来るものではない、という象徴的な話がある。
身体に誰かが触ったとする。すると皮膚上にあるいくつかの感覚点がその刺激を電気信号に変え、神経経路を使って(化学物質と電気信号の交換を繰り返し)脳まで信号を伝える(と考えられている)。つまり触られてから「触られた」事を認識するにはタイムラグがあるはずだ。
ところが、目隠しなどした上で実験した結果、触ると同時に脳が触られた事を知覚した(正確には、知覚した事が分かるような脳波が出た、というようなこと)。らしい。
この現象は「脳内タイムマシン」と呼ばれている。上で語られたような神経経路が作動しているのは疑いが無い。だが、「原因→結果」というのでは語れない何かがある。
果たして、自分は触られるまえから触られる事を知っていたのだろうか?

SF世界のタイムマシンを持ち出さなくても、原因と結果は入れ子になって複雑にからみ合っている。だから因果論で未来が全て決定される、というのは事態を単純化し過ぎていると思う。
そうで無くても、こんな話もある。
「因果論を信じたのは君の自由意志だ。その時点で因果論と自由意志は両立する。もしこれで不満があるなら、因果論を信じなければ良いだけでは無いか?」

自分はトラウマの幻想を捨てる事にした。
小学生から続く呪に今こそ決着をつける時だ。
でも「幻想は幻想としか交換出来ない」。そこで、最高にパワフルで阿呆らしい幻想を採用した。阿呆らしければ、信じるのに根拠はいらない。

「オレは天才だ」「新谷良子はオレの運命の人だ」
全ての現実と闘う事は出来ない。片方の現実に眼をつぶり、もう1つの現実に闘いを挑むのは現実逃避ではない、とオレは断言する。
ま、オレの話だ。気にする事は無い。
君は君の幻想を選択し、君の現実と闘えば良い。

296:2004/06/18(金) 22:29
すばらしいまとめをどうも有難うってな所なんだが、一つだけ。

>だから因果論で未来が全て決定される、というのは事態を単純化し過ぎていると思う。
単純化しなきゃ大学の哲学の講義で語れる内容にならんだろうが・・・まして俺のような今まで哲学に触れた事にないような学生相手にするのに。俺が因果論信者のような言い方しないでくれ。

最近、その忘れかけていたトラウマが鮮明になる事件があったもんでね。まぁ今となっちゃどうでもいいことなんだが。

297ろいろい:2004/06/20(日) 22:55
>>296
別に君が、とは言ってないよ。

はてさて、論理学を再学習ちう。古典論理学にはカタがついた。
良く分からないけど、法学を学ぶのには論理学は必修だと今読んでる本に書いてあるよ?
法律の条文同士が矛盾してるかどうかをチェックしたりするには役に立つかな?

哲学を楽しむために哲学の先輩(?)から1つ助言を。
哲学するって事は、自分にとっては「問いを問う」と言う事です。
その質問はどういう意味?なんでそんな事聞くの?その質問には答えがあるの?ひねくれたこどもの質問みたいだね。
例えば、「生きる意味はなんですか」というのはオレに言わせりゃ哲学じゃない。「どうして生きる意味が必要なのか」と問うてそこから哲学が始まるのだ。
そして、自分の事さえ分かればじゅーぶんだと思います。一般論を語るのは哲学研究家にやらせればいい。
ちなみに、「オレの生きる意味」なら答えられる。オレが生きる意味が必要な理由は「無意味に生きて満喫できるほど人生は長く無いから」といったところか。
哲学する楽しみは、こんなセリフをしゃあしゃあと吐けるようになることかな?

298ろいろい:2004/08/08(日) 22:48
討論スレにこんにちは。

>>日記
えっと、何の話でしたっけ。えぇっと、まずはブーイング問題に的を絞ろうか。

サッカーファンに御高説を垂れる気は元々ないので、早い時間のTVでやってるような知識でしか対抗出来ないですが、よろしいですか?
まずですね、自分の記憶が正しければ、ヨーロッパの方の大会で「ナチ死ね」みたいなプラカード出してる連中は見たことあるぞ。
それと全く同じだと思うわけ。今の現役の若い人にとっては全く他人事だけど、自分の先祖が酷い事したのは事実、という構造をコミで。
それ以前になんだっけ、「フーリガン」とかいう無意味な戦闘種族がいるじゃん。あれの縮小コピーだろ?

もちろん、大前提として中国が日本に対して良い感情を持って無いというのは有るでしょう。
ですが、ホントに日本が嫌いだったらサッカーの試合見に行ったりはしないと思うけどなぁ…。
多少個人的感情が含まれてるのでアレですが。

どっちにしたって、これで中国の事を非難しても意味ないし、下手したら相手の思うツボだと思うが。
黙って耐えて、実害を被ったらどっかに泣きつけばいいんだから。日本が中国に一対一で非難するのは、中国側の視点から考えれば「本末転倒」なのだから。
そういう時に、黙って耐えるのが、ホントに日本人の美徳だと思う。なんでも耐えればいいってもんでもないが、有効な手段として考慮すべきだと。
そして、ホントに問題を起こしたら困るのは中国なんだよ。

韓国はともかく、北朝鮮に対する考え方と今回の考え方は基本的に俺は同じ。
中国の今回の言動レベルは低いとは思う。だが、というか、だからこそ、というか、こう考える。
必死こいて政府が抗議したり、中国をいろんな手段(まぁ、webだろうな)を使って非難したりするのはアホだ。
なぜなら、バカと同じ土俵に降りていって戦う事になるからだ。しかも、やってる事に失礼さからこの下らないケンカは日本側には勝ち目が無いときてる。
故に、相手が「俺ってバカかも?」と思うまで、黙ってるか頭下げてるかしてりゃいいんだよ。
それを応用すると、心の中で「バーカ」とか思いながらも「あなたの事が好きなんです、受け入れてください!」と(少なからず本気で)言う、という戦術になる。
そうすりゃ相手を精神的に叩きのめし、しかるのちに仲良くできるという非常にオイシイ結末を迎えることが出来ます。

いや、君が本気で諸国が嫌いなら強制はしないさ。
でも、俺はそういう人間はスタジアムの中の中国人と同一視するけどね。
本気で嫌いなのが、不憫だ、という意味で。あぁ、かわいそうな洗脳された中国国民!

PS:ちなみに、一番バカだと俺が思うのは、本気で中国に向かって半ギレで「バカ」だのなんだの言ってるI都知事です。
あぁかわいそうな石原(伏せ字の意味無し

299ろいろい:2004/08/08(日) 23:16
ttp://blog.tatsuru.com/archives/000262.php
良いサンプルを発見してきた。
これでいろんな人の意見を読む事が出来ます。私は途中で飽きちゃったけど。
でも笑っちゃうのは、神速のレスを入れるやつはまず間違い無くアホってことだな(失笑

300名無しもぬ:2004/08/08(日) 23:18
討論というものまではする気はないので簡潔に。

日記で言ったのは、要は平気で裏切れる体質なんだなぁ、って話。別に良し悪しじゃなくて。

本当に嫌いだからこそ応援席まで来て横断幕掲げてピッチに物を投げ入れたりするんだと思うけど。
応援に来ないのは嫌いな人じゃなくて興味がない人でしょ。

俺が嫌いなのは中国国民や韓国国民や国そのものじゃなくて、その国民性。同じに思えるかもしれないけど違う。
君の言葉を借りれば、国を挙げて洗脳し、洗脳されているその体制。いつまでやってんだろう、って。
北朝鮮に対しては国そのものというより、国の某トップ以下一部の層。

スタジアムの前で日の丸燃やして喜んでた奴らがいるけど、別に俺は日の丸が燃やされようと国家にブーイングされようとどーだっていいわけだ。ただ馬鹿な事やってんなって。
そんな意味で道頓堀に飛び込む人たちの気がしれないのも正直な意見だがね。

301のぶ:2004/08/09(月) 00:36
全部呼んだよ。とりあえずレスは無視して、氏の意見にだけ。

>第一段落
"そういうものだ""他に例がある"ということだけでは今回の件の正当化は為されない。
むしろ、"ほんらいニュースとして取り上げられるべきではない事態"がフーリガンやその他事件と同列に扱われ、(望むべくではないが)政府間の問題にまで発展した事を考慮し、余計に問題視するべきではないか。

>第二段落
その度に反日デモが繰り広げられた、とあるが、この反日デモの横行こそ今回のブーイング事件の根底となり得る精神の問題だ。

>第三、第四段落
反日思想が中国国民を一つにまとめた効果の如何は俺には計り知ることは出来ない。恐らくは効果はあったのだろう。
しかし、その効果の有無に関わらず、国民をまとめる方法として敢えて反日思想を取ったその在り方を問うべきだ。

また、今までその反日思想によって国益を得られたと考えよう、とあるが、まぁこれまでの事ならそこまで議論することもないだろう。それが例え本当に国益になっていたとしてなっていなかったとしても。
問題は、これから反日思想がずっと続くような事態になれば、将来的にこれは日本にとって利とするものではないのではないか、ということ。実際にその発端としてこの問題が浮上してきたのだから。

>第五段落
親同士がケンカしたのだから、子同士の諍いがあっても然るべきだ、というのはいささか飛躍した論理に思える。
最後の文で"まさか〜とは思うけど"とあるが、実際日本のファンでその事実を知らない人は多くいたと思う。これは完全に推測の域を出ないが。対して中国国民でこの事実を知らない人は皆無だったろう。

302mutty </b><font color=#FF0000>(OK/MuttY)</font><b>:2004/08/09(月) 01:48
いきなり漏れが発言するべきなのか疑問があるところだが、一つ発言してみたい

今回のケースほぼ最初からこういう結果になることは火を見るよりも明らかだった
だからこそ中国政府は一生懸命努力したんだろう。結果的に止められなかったが…
たしかに普通のフーリガンだったら報道はされないだろう。
しかし日本を始め世界各国で報道されているのはこの暴動が単にフーリガンや
その他事件とは違い、戦争から生まれた「反日」の思想からきていると言うのは
もはや世界で周知の事実だからである。

漏れから見たら今回の事は日本人が巻き込まれた対岸の火事に過ぎない。
漏れは中国は嫌いではないし、中国人がどう思おうが関係ないと思っている。

しかしね、許せないのは今回の報道のインタビューでスーパーでは雰囲気と書いてあるのに
明らかにインタビューを受けてる奴は「ふいんき←なぜか変換できない」と言ってるんだよ
まぁこんなところでふざけてる漏れの台詞ではないが許せないね。

303ろいろい:2004/08/15(日) 23:43
ついつい旅行中で放置してしまったよ。スマンスマン。

というわけで(どういうわけだよ!)、8/15記念、なんとなくエッセイ。

大分曖昧な記憶だけど、たしかのぶが日記で「なんで日本だけ未だに悪者扱いなのか」みたいなことを言っていたような気がする。そんな話とか。

まぁ、単刀直入に言うと、それは以下の2点ぐらいに集約される。
1:最後の「しかけておいて負けた国々」のひとつだから。
2:日独伊は当時の「世界の空気」を読めて無かったから。
別にこれは橋本治「二十世紀」からの自分流の抜粋ですから、オリジナルではない。
だが、今の自分の意見はこれである。
勝手に解説させてもらう。

1について。
これは意味は分かるだろう。
ケンカを裁くルールとしては、「先に手をあげた方が悪い」というのがある。
戦争を裁くルールとしては、「負けた方が悪い」というのがある。
だから、「先に手をあげて負けた」日本は「どうしようもなく悪い」のである。

2について。
当時の世界の空気、というのは「戦争で植民地を広げるっていうの、もうやめない?」というものである。
その真偽とか理由とかは良く分からないけど、それ以前においては戦争とか植民地というのは「先進国のたしなみ」だったのだ。全然悪いことではなかった。
それで、軍縮とかを話し合ってる最中に、ちょっと必死すぎて頭いかれちゃった連中が戦争おっぱじめちゃった、ってこと。
ちなみにその理由と言うのは、
独:第一次世界大戦の経済的打撃及びトラウマ
日:結構先進国になりつつあるのに「かつての欧米」の背中を追い掛けていた、世界恐慌後の経済失策とか
理由は一つである必要は無いが、言いたいのはこれだけだ。

「日独伊は戦争を悪いと思って無かったが、連合国は世の流れに乗って『戦争=悪』という図式を完成させてしまった」
だから、日独伊は世界で最初の悪者なんです。
その後「昔気質の戦争」というのは一つも無い。あくまで「武力行使」とかそんなん。

補足して言えば、ドイツはその後象徴としてのナチスが叩かれ、分裂したりしたから「当時のドイツ」と「今のドイツ」が別物、という感触が世界に馴染んでるし、御近所のヨーロッパはドイツと戦ってるのが昔からの腐れ縁みたいなところがあって、アジアとは大分状況が違っている。
日本は昔と憲法ぐらいしか変わって無いし、アジア諸国は日本にやりこめられたのは初めてという事も関係しているのでは無いかと思っている(これは私観

そんなこんなで、アジアと日本の関係としては、「まだまだケンカしたりない」とか思うである。別に戦争しろというのではない。
むしろサッカーとかでナショナリズム全開で大げんかしちゃえよ、みたいな話かな?
フェアな(定義が曖昧だが)戦いを積めば仲良くなるんじゃね?

おまけ:なんで今回中国に行ったサポーターの皆さんには「自己責任論」が出ないんでしょうか?首相や政府も中国に抗議する前にサポーターに文句をいうべきでは?(別に私は自己責任論者ではありませんよ?)
あと、スタジアムの外(比喩的な意味ですよ)では日本人がいじめられたりはあまりしなかったらしいです。

304:2004/08/16(月) 00:42
>なんで日本だけ未だに悪者扱いなのか
俺はそんな意図の話はした覚えはとんとないんだが話は面白く読ませてもらったよ

んで自己責任論
思うに、それは前から挙がっているようにスポーツと政治の問題でしょ。
スポーツの応援に行くのとボランティアに乗り込むのとはまたちょっと違うさ。少なくとも俺にはちょっと性質が違うように思えるけど。

今回のブーイングとかもさ、ホントの反日感情じゃなくて、日×中の試合っつーことで、少なからず(過去の事例に関わらず)日本に対して敵意が生まれる。
それが元々中国人に根付いてる反日感情と上手く反響し合ってそれが増幅した形なんだと。
だから、ブーイングは日本に対する敵意というより、スポーツにおける相手への感情の行き過ぎが現れたものと考えれば何となく合点がいくような気がする。
要は大袈裟な慣例行事みたいな。それが大袈裟すぎたから問題になったのかな、とか。

スタジアムの外でイジめられなかったのは、完全に中国人と日本人が隔離された状態で出入りしたりしたからじゃね?
完全に両者が顔を突き合わせる場面とかはなかったはず。

305ろいろい:2004/08/16(月) 23:55
うん、じゃあもう一人の方に言われたんだな。
ほかの人とともこんな話をしたんで混じっちゃってさ。

応援とボランティアの違いは、前者は趣味で後者は善行だ(と世間体では見える)ってことぐらいしか思い当たらない。
そして、善行をしてるやつを妬いているから見当違い(でもないか)な批判が無責任に噴出したりしたんだと思う。
別にサポーターがスタジアムで惨殺されても、かわいそうということにはなるだろうが英雄とまでは言われんだろ。そのあたりの問題かと。

比喩的、というのはサッカーのサポーターでない中国人が同じくサポーターでない日本人に暴行を働く、というような事態を指している。
だから、出入りしていた人はまぁそれとして、別の話。
そして多分サッカーの応援に主体的に参加しなかった人たちは日本人をとって喰おうというような考えは起こさなかった、ということなんだ。
そこから「元々の反日感情<サッカーのテンション」というのが強引なのは重々承知している。
でも、君自身が>>304で書いたように、国際試合特有の、そしてサッカー特有の流儀がそれなりのウェイトを持っているのは事実だろう、ということ。
自分としては単に、あれはお祭りだったと思った方が両国ともに気持ちがいいんじゃないのぐらいの感覚ですが。君とも似てるかも。

さて、今日は「ぶっちゃけ憲法改正論」について。
日本では「憲法改正」というと9条のこと、ということになっている(らしい?)。
なんで9条を改正するのか、という理由で俺が把握してるものを並べてみる。

事実上軍事的に自衛するのに障害になるから。
アメリカに媚びを売るのに(同盟上の、ということ)障害になるから。
アメリカに無理矢理押し付けられた憲法だと思うので気にくわないから。
(とにかく憲法を改正してみたいから)
(戦争をするのに障害になるから)

最後のをかっこ付きにしたのは無視したいからです。今回は。
逆に、9条を改正してはいけないという人の意見も。双方とも海外からの意見も念頭に入れています。

戦争に向かう歯止めとなっているから(=改正したらまた日本は戦争すると思うから)。
世界に一つしかない(素晴しい!)平和憲法だから。
(とにかく改正したくないから)

「とにかく〜」のペアは形骸化した某政党と某政党の論争を揶揄したものです。

さて、こう比べてみると、意見の対立とは別の軸で9条に対する認識のズレ、戦争に対する認識のズレというのもあるというのがわかると思います。
ともかく、こんな状況で「改正是非」だけを論じるのは相当歪んでると思うのです。
もっと本質をやれよと。

とか思ってたらこいつを全部黙らせるいい方法を思いついたんですよ、最近。
こんな新9条はどうでしょう?
「日本はアメリカの属国として自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る。当然交戦権は無い。集団的自衛権はアメリカ軍との間にのみ認める」
ほら、完璧!(そうか?
アメリカ嫌いでも「主体的に」アメリカにすり寄るのを断れるやつはいないだろ!(ということに今回はしといて

しかし、これで怒る人たちもいるんだなぁ。こういう人たち。
「アメリカの味方は敵だ!!」
さて、私は誰でしょう?

まぁ長々と冗談を書くのもどうかと思うが、こういう考え方も良いんじゃない、という極端な例を出してみました。どうでしょ?

306:2004/08/17(火) 00:48
その話はイラク問題の流れか?
そうだなぁ、こっからは議論とかじゃなくて完全に俺の私見だが

俺は改正とかいらん事せんでえぇと思うけどね。現状維持。
現に憲法を改正しなければ国の存亡が危うくなる事態とか起こってないわけだし。
何故そこでわざわざ改正する必要があるのか俺の納得する理由は見た事がない。
先のイラク派遣とかは俺は全然9条違反だとは思ってないわけで。理由はもうここではいいや。
妙に戦争でも起こされて俺らの世代が狩り出されるとか迷惑この上ないし。

問題なのは、確固たる正当理由もなしに蒙昧に改正だけを叫び続ける奴と、憲法9条を良いように盾にする奴。両方。

しかし、憲法改正ってアメリカの実質的な属国から完全に独立せんが為に叫ばれてんじゃないの?

307ろいろい:2004/08/18(水) 14:56
まあ話の唐突さはおいておけ。

この話はどいつもこいつも真意が見えないから、どうにもやりにくいのですが。
自分が本当にしたかったのは、「国という形態にこだわる必要はどれくらいあるのですか?」というよーなことなの。
説明しよう。

某朝鮮半島の上の方の国は、「国民を省みず国家体制の存続のみを求める一部の幹部による独裁政権だ」云々といわれております。
かたや、俺の>>305での意見を縮めて極端に言うと、「日本国民の国益のために日本国はアメリカの属国になるべきだ」となる(その正否はおいとけ)。
多少言いたいことが見えてきたと思う。つまり、「一体現存する国という枠組にどれほどの価値があるんだろうか?」
もちろん、国家無き世界では暮らすことはできない(少なくとも現在の日本国民に限れば)。
だが、それが「日本」である必要性ってどれほどあるんだろうか?
それに必要性を見出すことは危険なナショナリズムにつながらないだろうか?

常々俺が思ってることっていうのは、「侵略戦争」を受けた「主権在民」の「民主主義国家」が、「国家存続」のために命を張って戦争する、というのはどうも理解できないんだよね。
指導者が命令するから戦いにいく、というのなら分かるし、愛国心(弱いナショナリズム)に突き動かされることを否定はしないけど。
君自身「妙に戦争でも起こされて俺らの世代が狩り出されるとか迷惑この上ないし」と言っていて、それは同意する。
もし全国民が「迷惑この上ない」と思ってる戦争をする意味って、じゃあなんだ?
それがもし「侵略戦争」だとしたら、さっさと降伏しちまえばいいんじゃないの?

と、このまえ友達に言ったら、「降伏すれば許してもらえるってわけじゃないだろ」というなんだか気のない返答をされてしまいした。
確かに、侵略してくるような連中に支配されたら国民は不幸になりそうな気もするが。
で、君はどう思うよ?

ちなみに同様の理論により「属国で何が悪いの?」という疑問がある。
そんな考え方に裏打ちされて「積極的アメリカ属国政策」を提示してみたんだけど。

あ、念のために言っておくけど、そーゆーの全部国民投票とかはしてもらいたい。
現首相のアメリカ追従政策を100%否定はしないけど、黙って向こうで決めてくるのはさすがにいかがなものかと。

そうそう、憲法改正しないと安保理常任理事にしてやんないよ〜とパウエルに言われたらしいね。

おまけ:http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=632
この投稿をえらく左翼的だと思ったら、一読してください。
自分とは対立する意見を展開してはいますが、「個」の論理、という点で共通するかも。
あと左のリストから飛べる「小泉レイプ事件」って知ってる?あはは&へぇ〜。

308:2004/08/18(水) 20:57
それは君は体裁を気にせず実質的な利益を重要視してるだけの話でしょ。
むしろ君はそれを体裁の問題として捉えてないのかもしれないけど。

集団に属してればおこぼれに預かることは可能だけど、一人で自立してやっていきたいと思う人もいるってそれだけの話。
別にそれが本当に自立してるのかどうかじゃなくて。目指すものの話で。

309:2004/08/18(水) 21:00
>この話はどいつもこいつも真意が見えないから、どうにもやりにくいのですが。
>自分が本当にしたかったのは、「国という形態にこだわる必要はどれくらいあるのですか?」というよーなことなの。

といわれてもそれは君が勝手に置いた問題でしょうに。

310ろいろい:2004/08/18(水) 22:37
体裁を気にして利益を得られない場合に体裁を気にするやつがあるか?
だから利益レベルで話をしようとするなら体裁の問題なんていうものは無い。

自立とかそういう事じゃなくて、集団の維持を目的にするのはバカバカしいですね、という話です。
会社を守るために情報隠したり、政権守るために国民を虐げたり。
本来組織というのは個のレベルで実現不可能な利益を達成するためにあるもんだから。
そのメリットと弊害についてもっと意識的になろうというような提言(?)。

それでも国というのにこだわりたい人はいると思う。大いに結構だと思いますが。
そこで顕在化する問題というのは、それこそ体裁の問題でも集団にコミットすることでリターンされる利益の事でも無い、と思う。
もちろん利益は利益なんだけど、リターンされるモノでは無く、人間が(おそらく先天的に)持っているある欲求に関わる問題である。
このスレでも割とお馴染み感のある、「どっかにコミットしておきたい」病である。

ナショナリズムが蔓延るのも、世の中の大概の現象が「ファン」と「アンチ」という構図(カッコよく言えば、二項対立)で説明出来ちゃうのも、この病気のせい。
まぁ、1人で自立してるという人だって、好きなものというのがあって、それは義務=保障という契約を結んで無いだけでゆるい集団へのコミットに変わり無い。
好きなものが無い人は悟りを開いている疑いが濃厚なので、利益レベルで話をしても埒が空かないので無視。
多分この禁断症状に陥るのを回避するには、「自分が誰かにコミットされる」しか無いでしょう。
で、そういうカリスマな人たちはしくじれば叩かれるので大変です。そうでなくても嫉妬されます。

結論:利益を追求すると誰かにウザがられる。オレはそういう人がウザい。
ワシが一番嫌いなのは「自分の事は棚にあげる」人たちだから。
意識的にやってるならまだ良いんだけど、気付いて無いからな。

>>309
オレが自分勝手で回りくどいのはいつものことだろうが。

311:2004/08/18(水) 23:05
それを自慢するなw

君が馬鹿馬鹿しいと思うのはそりゃ最もなのかもしれんが、それに拘る人はそういう理論以前の問題でしょ。
そういう人は利益以前に国が崩壊した時点で自分の意見が根本から崩壊するし。

312ろいろい:2004/08/18(水) 23:19
忍法・開き直りの術だ!

うん、きっと理論以前の問題だろうね。
それでもそういう問題があることに変わりは無いわけ。
国を愛するのは当然だとか、侵略されたら追い返さなきゃいかないとすぐ思う人は、そういう問題に対して「思考停止」してるわけ。
自分がそれで納得するのは一向にかまわないと思うのですが、他人にそれを強制しないで下さい。
以上終わり。

>そういう人は利益以前に国が崩壊した時点で自分の意見が根本から崩壊するし。
いい着眼点だと思います。
つまり、そういう人は国が崩壊する危機を訴えるけど、本当に国が崩壊したときの事は考えていないんだな。
そういう一連の運動にコミットする事で満足感を得ちゃってるんでしょうね。
私も人の事言えませんけど。自分の場合、「とりあえず人とは違うことを言う」ことで満足してるからな、あはは。
意外と、「本気で国の将来を心配する」のは難しいのかも知れませんね…。

313ろいろい:2004/08/30(月) 21:15
このスレッドは今から俺が思った事を書きなぐるコーナーとなりました(ブログやれよ

アテネオリンピックが終わった。
そういや、昔管理人に「スポーツと試合は違う」と言った事があったなぁ。
そして、今回そういうところがかなり前面に出たオリンピックだったと思う。いや、我々(私だけ?)が歳をとったからかも知れないけど。

スポーツと政治を切り離せと人は言う。
じゃあとりえあずオリンピックとかやる時に国単位でやるのを止めたらどうかな?
何故スポーツするのに国を背負わなきゃいかんのじゃ?

スポーツで国同士の交流を計ろうと言う人もいる。
はて?どうしたものかね。結構な事だとは思うのですが。

スポーツ:自分のベストを尽くすもの
試合:勝つためにやるもの=誰かに「お前がベストだ」と認めてもらうこと
この、「自分にとって」か「誰かにとって」かの違いが、スポーツと試合の違いです。
ハッキリ言って、採点競技(特にシンクロ)はスポーツ性はかなり低いです。
逆に、割と判定基準が明白な陸上競技などはスポーツ性が高いですねぇ。
また、その点から、真のスポーツは健康維持のためにのんびりやってる所とかにあったりするわけですよ。切ないけど。
ちなみに、スポーツをやると健康になるけど、試合をやるとどんどん不健康になります。ストレス溜まるわ、怪我するわ。観てれば明白だし、経験者ですから、一応。

314:2004/08/31(火) 00:10
そうだ。ブログやりなさい。別に不定期更新でもいいし。そうしなさい。

んで感想→ふーん、納得。みたいな。

でもスポーツで試合をすることは欠かせない、ってか切り離せない部分があるからまたややこしいんだろうね。

でさ、とってもヲタな発想で申し訳ないんだけど
ビーマニをね、普通にやったらめっちゃ楽しいの。
でもね、インターネットランキングとか、スコア競うと使命感みたいのに駆られて全っ然楽しくねぇの。
むしろ失敗したりしてストレス溜まんの。これじゃ本末転倒だよ、といつもながらに思うのよ。

でもビーマニをやる上でスコアを狙う事っていうのは欠かせないんだよね。
同じだけど二面性を持つ、って感じ?

315ろいろい:2004/08/31(火) 22:55
ブログ、どれにしようか決められなくてさ。
はてなが良いかと思ってたら、最近利用者規約が改悪されたらしくて。

>>314
まぁ、スポーツだけの話じゃ無くなってくるけどさ。
それに今までに語って来た事の繰り返しに近いものにもなるけどさ。

やっぱりヒトというのは他人に認められないと落ち着かない生き物らしいんだな。
だから自己満足で自己満足出来ない(うわぁ!形容矛盾!)んで、試合とかくらべっことかむやみやたらにしたがるわけで。

そこで本当に問題になるのは、「本当は何をしたいのか?」というやつですな。
あるいは、「手段が目的化する」というやつですな。
君のビーマニ問題はこの部分による所が大きい。
というか、誰かに提供される各種サービスというのは気がつくと本末転倒というのは珍しい話では無い。

もう1つの問題は、「システム/ゲームの内部と外部の境界」が曖昧であることにある。
多少前レスで語った事だが、スポーツというゲームは外部と切り離されていることを前提として構築されたシステムと捉えることができる(これは正確な表現では無く、外部と内部を分けること自体がシステムの重要な機能の1つだ、と言うのが正しい)。
が、当然切り離される事は無い。
だから、試合で勝とうとするといつのまにかスポーツの外へ飛び出して行く事になる。各種の政治的争い、ルールに明記されてない慣習法、連盟等の組織構造、うんぬん。
そしてそれがいつの間にか目的と手段を摺り替える原動力となる。

さて、君はなんでビーマニをやるのかね?
同様に、なんで君はビーマニが好きなのかね?
ランキングがどうかは良く知らないが、自己新を目指すんじゃダメなんですかね?
それとも、自己満足じゃ自己満足できないクチですかい?

316:2004/08/31(火) 23:48
ビーマニをやる理由。いつか日記に書いた気がする。簡略化して書こう。
1:上手くなるのが楽しいから。
2:身近にライバル(俺の場合実力がちょっと上の人=身近な目標)がいるから。
3:ネットでの動画、またリアルで全国トップクラスの人のプレイを見られて刺激を受けたから。

で、フラストレーションが溜まるのは、別に全国順位が上がらないからじゃないのよ。
自己新が出ないからなの。いつも自己新を目指すんだけど上手く更新出来ないのがもどかしいわけ。
自己満足にすら達してない段階かね。ていうか自己満足の到達点なんかないよ。

317ろいろい:2004/09/04(土) 23:00
Blog開設する可能性もアリ。

>>316
ふーん、良く分からないや。
別に君のカウンセリングをしてやる義理も無いしな(冷たいなぁ
でも、「自己満足の到達点なんかないよ」というのは鋭いぞ。
そのあたりを騙し騙しやっていくのが人生ですかね。その辺は自分でなんとかしてね。

ただ、カウンセリングっぽい事を1つ言うなら(嘘、カウンセラは絶対にこんなことは言わないだろうな)、
「そのやる理由の中には『ビーマニである必要性』が見受けられないが、その辺どーよ?」

>>日記
哲学のレポートに役立つ保証はしませんよ?
っていうかそういう文脈で紹介したのか記憶が定かで無い…。
でも、「倫理とは何か」の方は自分でもかなり刺激を受けた方の入る本なので、是非御一読を。

318:2004/09/04(土) 23:17
今更ビーマニやる意義を問うつもりなんかさらさらないよ。
ビーマニやってることに迷いとか後悔とか微塵もないし。

別にビーマニである必要性なんて何もない。
君が所謂オタクのような趣味を持ってるのも、サッカー少年がサッカーやってるのも、雀荘にいる人が麻雀やってるのも全部同じやん。
たまたま俺はビーマニに出会ってそれが面白いからずっとやってる。

どうやら直接役立つようなものではないな。レポを書く上での基礎知識かな。
もう少しレポの内容に肉薄した本も今度借りてくるつもり。

319ろいろい:2004/09/05(日) 22:30
お、レスポンスがいいねぇ。
実はもうBlog借りていじってるんだよね。どうも使い方が手に馴染まないので、慣れたらアドレス公開するっぽいぞ。

あー、ちょっと表現が悪かったかねぇ。
なんつーか、「ビーマニがビーマニだから面白い理由」が分からないよ、と言いたいのです。
君が>>316で言っている事はスポーツ一般にそのまま当てはまる話じゃない!?

自分の趣味の話をするのは弱味を晒すようで嫌ですが(被害妄想)。
自分は今や一応「声優オタク」を自認しているわけでございます。
で、「声優オタク」である理由と言われますと、正確に言えば「声優オタク」を選択したわけでは無くて、声優アイドル「新谷良子」を選択したわけで。
そこで質問が間違ってるというか、すり変わるというか。

さらになんで「新谷良子」なんですか、と聞かれれば、こちらお得意の「惚れたから好き」理論を繰り出して、「気がついたら好きでした」と言って逃げるわけだ。いや、本心だけど。

さて、何が言いたかったかというと、恋愛じゃなくたってどこかで幻想を信じないとやってられないということです。
幻想を信じるのに疲れたら、違うのに変えるのも悪くないと思うぞ?
そういう意味で、君の「幻想」を聞き出して、それを維持する気力があるかを調べる事は「カウンセング」としては間違って無いと思った次第。

で、そんな解説をしちゃった以上もう一回聞く。何故ビーマニが好きなんですか?

320:2004/09/05(日) 23:57
ごめん、ビーマニを例に出した俺が悪いんだが、ビーマニに関してそんな"ビーマニがビーマニであるが故に面白い理由"を哲学的に考察しようと思わん。
敢えて一言言うなら、ビーマニがビーマニとして面白い理由なんてないだろ。

あと一ついつもながら思う事があるが、これはまぁいいや。

321ろいろい:2004/09/08(水) 23:46
以後新規のネタはhttp://yajiuma.seesaa.net/に書く事になるが、ちまっと書いてみる。

>>320
>敢えて一言言うなら、ビーマニがビーマニとして面白い理由なんてないだろ。
う〜ん、カッコいいけど悲しいな。
哲学的に考察する必要は無いけど(っていうか、精神衛生上あまりよろしく無い)、その理由が無いってことは、さぁ。
それが一般的に拡張されちゃったり「もしも」すると、「生きてる意味無し」になっちゃうよ。
ま、それもまたカッコいいと思えればいいんだけど、俺はそれはヤな人種なんで。

>>昨日の日記
ものわすれ症もアルツハイマー病も「痴呆症」の新しい呼称の案です。
ただしアルツハイマー病というのは多分医学的に正しい病名で、「痴呆症」の部分集合にあたるんだと思います。つまり、アルツハイマーとは呼ばれない痴呆も医学的には存在する。
詳しく無いけど、新聞知識ではこのぐらい。

322名無しもぬ:2004/09/09(木) 01:06
ビーマニが面白いのはビーマニそのものにあるんじゃなくて
それをプレイする俺の問題だろう

ってこと

323ろいろい:2004/09/09(木) 23:30
なんか終わらないと気が済まない嫌な性格が災いしてる予感。

>>322
もちろん君の問題である。大いにそうだ。っていうかそうじゃなかったら全人類がビーマニオタにならなきゃいけなくなるし。
そうでなくて、君の問題であるにしても、その君に対してトリガーを引くのが「ビーマニ」であって、他のものでは無いという事実はやっぱり変わらないんじゃないかと。
例えば、俺は歌舞伎とか講談とかが割と好きで(と言っても伝統的なものより斬新なほうを好むあたり邪道なのだが)、時々見に行ったりするけど、俺の記憶では君は「何が面白いのか分からん」とかもうアレルギーかという勢いで嫌ってたような気がする。
それはもちろん君と俺の違いに還元する事もできるけど、やっぱりこれだって相対的な問題だよね。
事項の違いが先か、パーソナリティが先か。
もちろん答は、両方であるべきだ。あるいは、同じ現象の別表現だ、という見解もアリですね。

つまり何が言いたかったかというと、君の問題だからってビーマニを分析することに対する意義は一向に薄れないと言う事です。
ある意味、「俺の問題だろ」というのは単なるコミュニケーション拒否というか逃げに見えて、あまり良く無いと思う。
まぁ無理にやれとは言わんが、論理的に見えて案外そうでも無いよと言う話でした。

324:2004/09/09(木) 23:43
他のことなら一向に構わんが、これに関してそういうのを持ち込む気にならん。
別にそれが拒否やら逃げになるならそれでもいいよ。と、こういう言い草がまた問題なんだろうけど。
ここが討論スレだからそうなるんだろうな。このスレにビーマニ持ち出した俺が悪かったよ。

というか俺そんなアレルギー反応してたの?俺は歌舞伎やら講談やらを聴きにいった事もないのでどうにも。
行けば面白いのかもね。


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