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マルチ待機所 その2
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最近ご無沙汰だったプチAARコーナー ドイツ視点
39/1/1に開始、この時点では史実と違うのは日本が中国を属国にして枢軸にいることと
連合にオランダが入っていた(らしい)こと、このせいでドイツは痛い目にあうわけだが・・・
39年9月に独がポーランド侵攻、MR協定を遵守しつつさっさと併合。
しかしオランダが連合に入っていたことに気づかずオランダから侵攻を受けることになる・・・
39年秋から40年初頭にかけてハンガリー、ユーゴに対し侵攻、バルカン方面は特に問題なく侵攻するが
英艦隊がバルト海に侵入、散発的な強襲上陸を許し作業量を増やすことになる・・、更に悪いことに
あしか用に作っていた空母6隻がすべて撃沈される、これによりドイツの海軍戦力はほとんどそがれることになる。
しかし39年12月に業を煮やしたドイツがデンマーク侵攻、コペンハーゲンを占領し空母戦艦を多数含む英国主力艦隊を
バルト海に閉じ込めることに成功、総勢30隻前後を見られるこの艦隊は爆撃により数席削られた時点で英国が救出を
あきらめ全ての船を自沈させている。
40年3月に戦力を増強した仏軍(AI)がジークフリート線南部を突破、黄作戦のため戦力がベルギーに集中していた
独軍は未配備の歩兵師団などを使用しなんとか侵攻を止めることに成功、その途中で北仏が手薄になった隙を突いて
黄作戦開始、5月上旬にはヴィシー成立。
40年6月、全艦艇をチャンネルダッシュでブレストに集めた独軍は英国本土のプリマスにver1.2のバグ技をつかい4箇所
同時上陸作戦を実施、プリマスを奪取し役80師団の揚陸に成功。
40年11月、英本土はスコットランド北部に80師団で篭城、独軍も100師団の態勢で襲撃の機会を探るにらみ合いとなる。
今日はここまで。
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