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独り言
245
:
我疑う故に存在する我
:2005/12/07(水) 00:30:38 ID:LCcSrQ4M
>
私は指摘厨、別解厨、注意厨かも知れないが、
今日(既に昨日か)はこれまでに各種掲示板に書いた回答の中で一番長い物を書いた。
(もっとも、見かけはそれほどでなくともタグが多いと実際上長い)
昔ある方が回答者の分類をある掲示板でやっていた。
詳しくは記憶が無いので、私の見解も入れて次のようにしよう。
1) 数ヲタ(小学から院卒まで)中には学校数学や受験数学を通じて数学が好きになったという人も多いが、
小学時代から幾何学や数論に強い興味を持っていた者が狭義の数ヲタである。
2) 塾や学校の先生。或いはその経験者。
3) 工学系、数学以外の理科系の出身者で、高校までの数学と、大学数学では本人の守備範囲で回答出来る人。
4) 数学愛好家。上記と重複はあるものの、大学へ入ってから
数学の論理性・厳密性に惹かれたという人も少なくない。
5) そのほか。(計算機関系で数学を使っている人や、余り一般的でない応用系の人など。)
1)の人はヒントや方針だけに留めたり、分かりにくい回答を書いたりすることもある。
2)の人はおおむね普通の回答、完全解答をする。
3)の人はある面では質問者の心理をつかんだ分かり易い回答をする場合もあるが、
逆に頓珍漢な回答になることもある。
4)の人には「下手の横好き」も少なくない。○○氏が2chに引っ込んでいろと云った方など。
とは書いてみたものの、この様なことには余り興味がない。
質問者のリモートホストにも余り興味がない。
(只、明らかにおかしいと思った場合は別だが。)
質問投稿を読む場合も、先ず質問文から読むので、意味不明と言う事が少なくない。
その次にタイトルを読むので、その時点でやっと理解出来ると言うこともある。
小学の時は面白かった小説や理解出来た理系の本は著者・出版社などは全く覚えていない。
理解した直後には、生まれた時から知っていた感覚になった。
中学になって友人から「著者は誰か」と聞かれてから著者・出版社・刷り数
等にも注意しなければいけないと思うようになった。
小学の時に読んだ本でも理解出来なかった本は著者の名前を覚えていることがある。
例は赤摂也:「数の不思議」である。前半は小学生でも分かる内容だが、後半になって急に
「有限体」が出て来てさっぱり分からなかった。
しかし数学の道に進むことになったが、その理由の一つは
理科の学説はコロコロ変わるので常に最新の事情に精通していなければ
本を読むのは全く無意味だと分かったからだ。
医学・健康法等の学説は更に変化が激しく、
ノーベル医学賞も現時点に於いて少なくとも二つは間違っていたと分かっている。
数学ならば正しいことは永久に通ずる。
所で狭義の数ヲタにはある種の特徴がある。
数学的事柄(定義・手法・定理・問題を解く等々)の理解・思考についても、
すぐ分かるか、暇がかかるかは全く別で、
理解していないか完璧理解かのどちらかしかない。中間がない。
しかも理解したら生まれた時から知っているような気になって、
私が苦労して人に教えてからも、1時間後には他の人に得意げに教えている。
中には教わった人に敬意を表する場合もあるが、そうでない場合が多い。
これは良く人からも聞くが、独創的内容を教えた場合は、聞いた人が、
全て自分が発見したかのような論文を書く場合が多いそうな。
それに回答者としての違いは、他人の回答を余り参考にせずに、
自分がこれまで培ってきた知識と経験だけを基にする人と違い、
他人の回答を即ちに自分のものとし、夫ればかりではなく
質問者が理解しやすいような回答の体裁なども取り入れることである。
(これは良いことだが、問題のタイプによって書き方もかわる。)
しかし、中には他人の回答を全く読まないと思われる人もいる。
同じ過ちを繰り返している。
長くなったので(しかもまとまりも無い)この辺で一旦打ち切るが、
>数学が面白くなるように
>教育関係の方々に頑張ってもらいたいですね
大学からでは無理。
「馬を水場に連れて行くことは出来ても、
無理矢理水を飲ませることは出来ない。」
ロバならなおさらだ。水場へ連れて行くことすら出来ない。
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