レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
これで駄目なら
-
「抑圧のあるところには、抵抗がある」。百万の農奴が、農奴主階級の剣や銃、過酷な刑罰に屈したことは、かつて一度もなかった。歴史の記録には、1818年、チベットの北部尺牘県の農奴が、むしろ旗を押したてて蜂起したと記されている。かれらは女農奴ホラームの指導のもとに、「官吏打倒! 一切のウーラー労役の廃止!」というスローガンをかかげて、反動的な県政府を攻撃し、県長を絞殺した。それ以来、各地でおこった農奴の大規模な闘争は、50年のたたぬ間に、すでに百回をこえた。解放を目指す不とう不屈の闘争は、次々とたえることなくくりひろげられ、農奴主階級の反動勢力に手痛い打撃をあたえた。
長い歴史の中で、きわめて反動的な農奴主階級の専制が実行されていたために、チベット全体は長期にわたって、貧しく立ちおくれた、衰退の状態におかれていた。1951年、チベットの平和解放後、チベットの歴史には新たなページがひらかれたのである。ところが、1959年、ダライ・ラマをかしらとする裏切り者集団が、大胆不敵にも反革命的武装反乱をひきおこした。百万の農奴の要求と協力のもとに、中国人民解放軍は、この反乱を平定し、ただちに勢いさかんな民主改革運動をくりひろげ、三大領主の反動的支配をくつがえして、もっとも反動的で暗黒な、もっとも残酷で野蛮な封建農奴制度を根底からくつがえした。こうして、百万の農奴が解放され、1965年には、チベット自治区の成立が宣言されたのである。それ以来、チベットの各民族人民は、毛主席と中国共産党の指導のもとに、わずか十数年のうちに、猛スピードで幾世紀もとびこえ、社会主義のかがやかしい道にそって前進している。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板